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亡者の思念 2

 心配していた通りに結界を壊してきたのか、そう思ったのだ。しかし予想に反して、後方には笛を吹き続けるマオ以外誰も居なかった。


 だったら声はどこから来た? コルトは大きく身を回転させてもう一度泉の方へ向きなおった。それと同時に、泉の上で霧が揺らめくのを目にした。


 水面から太く尖ったツルのようなものが飛び出し、凄まじいスピードでコルトを突こうと向かってくる。茶色いが植物じゃない、泥水の塊だ。当たったら痛いのはどちらでも同じであるが。


 目を見開いて固まったコルトの代わりに、ラフィスがツルを撃ち落とした。電撃が横からツルを貫けば、実際に切り落とされたようにあっけなく勢いを失い、泥水は激しい音と共に泉へと戻った。


 ただしツルは他にもあった。上から来たものに気を取られた隙に、岸辺から地面をはって別の蔓が迫っていた。そしてそれはラフィスの脚に絡みつき、彼女を勢いよく転ばせた。倒れたまま泉の方へ引きずっていく。


「ラフィス! このォっ!」


 今度はコルトがツルを攻撃した。マチェットで断ち切り、残った水塊も何度もぐちゃぐちゃに。ただの水よりも重い手ごたえではあったものの、叩きつぶしてしまえば水として地面に吸い込まれていった。ラフィスもツルが離れたと同時に逆方向へ自力で這って難を逃れた。


 しかしそうこうしている内に、がら空きだったコルトの背中へ宙からツルが迫り思い切り叩き伏せた。幻ではない水の鞭だ、並ならぬ衝撃が全身を走り、一瞬息も止まった。そのままべったりと地面に伏せて、痺れるような痛みをやり過ごすので精一杯、立ち上がることができなかった。


 二人共が倒れた、その間に数本のツルの束がマオの方へ向かっていった。曲を奏でるのを止めないで避けるには、相手のスピードがありすぎた。マオはみぞおちへもろにツルを受け、思い切り突き飛ばされた。背中から投げ出された際に笛が口から離れ、曲が止まった。


 マオはうめき声をあげている。意識はあるようだ、仰向けだった体を重たげに横転させた。笛もしっかりと手には掴んでいる。ただ、なかなか立ち上がれないでいる。


 その間に水上の霧がひとところへ凝集し、やがて巨大なドクロの形に収束した。大風のごとき咆哮と共に人間を丸のみできる口を開き、そのまま、陸に居る三人のもとへ突き進んで来る。


 一足先に立ち上がったラフィスが先頭に立ち、腕を前に突き出し、手のひらから網状に広がる電気の壁を作り出すと、ドクロを正面から受け止めた。すると衝突した場所からドクロは霧として散った。しかし、崩れた霧は電気の網をすり抜けて来て、ラフィスはもろに霧を浴びることとなった。


 濃い霧がまとわりつくと、ラフィスの力がみるみる弱まっていく。苦しそうに頭を振り乱したり、肩で息をしてよろよろと後退したり、押されているのは明らかだ。それでも歯を食いしばって壁を保とうとしているが、気持ちとは裏腹に、電気の網は狭く薄くなっていくばかり。


 ――まずい、だめだ、僕がなんとかしないと!


 コルトはラフィスの作るバリアの横をすり抜け、さらに前へ出た。ドクロの成れの果てとして漂う濃い霧の中へ自ら飛び込むかたちだ。そうした途端にコルトの耳を不快な声がつんざいた。あまりに多くの声が重なりすぎて、まるで意味のない言葉となっている。ただその金属を引っかくような声によって頭の中をめちゃくちゃにかき乱されて、変な汗が噴き出してくるし、謎の恐怖と不安感が溢れてくるし、胸がつかえて息がしにくいし、とにかく非常に不愉快だ。


「うるさいんだよ!」


 コルトは名も姿も知れない声の主たちへ向かって叫んだ。


「黙れよ! 僕たちだって死んでたまるか! 絶対に食われてなんかやらないぞ、この死にぞこないの化け物め! 消えろ! あっち行けっ!」


 本音を強がりで仕着せて思い切り吐き出す。同時にマチェットをやたらめったらに振り回す。考えがあっての行動ではなかったが、これが効いた。周りに濃く凝集していた霧が散って、離れていく。あれだけやかましかった声も嘘のように引いた。


 これでいいのだと自信を得たコルトは、そのまま霧を押し返そうと泉の方へ歩みを進めた。もちろんマチェットでの攻撃はやめないし、威嚇するような吼え声もあげながら。


「マオさぁん! 早く曲を!」


 前を向いたまま叫ぶ。今のうちだ、敵が怯んでいる今しかない。激しく妨害してくるということは、間違いなく効いているのだ、今のうちにとどめを刺してやれ。


 しかしマオは演奏を再開するどころか、返事すらしてくれなかった。代わりに獣の息遣いのような音が耳に届く。コルトは首の後ろに冷たいものを感じ、慌てて後ろを振り向いた。


 マオは地面にうずくまっていた。目を固く閉じ肩で大きく息をしながら、自分の右手を口につけ親指を強く噛んでいる。手の甲から一番下の小指の先へ伝った血がポタポタと地面へしたたり落ち、口の隙間から荒く速い呼吸音が漏れ出ている。そんな彼女の背中をラフィスがかき抱いている。さっき錯乱したコルトをなだめようとした時と同じ格好だ。


「マオさん!」


 緊急事態を察したコルトは、視界を閉ざそうとした霧を振り払って、二人のもとへ走った。


「マオさん、しっかり! 大丈夫だよ、僕たちは幽霊なんかに負けない! 負けちゃだめだ!」


 心の底から叫んだ声は、追い詰められた身に届いただろうか。コルトはそのままマオの前にしゃがみ、笛を掴んだままだった彼女の左手に自分の手を添えた。そして、上から強く握る。


「大丈夫だよ、どんな化け物が出て来たって、僕たちは一緒に戦うから! だからお願い、もう少しだけ踏ん張って!」


 マオの呼吸が少しずつ平常の強さへ戻って行く。やがて彼女は目を開け、手を口から離し、眉を下げてわずかに笑いながらコルトのことを正視した。


「ありがとう、あなたの強さには勇気づけられます。ラフィスさんも、ありがとう」


 取り囲む二人の手を解きながら、マオは再び立ちあがる。


「申し訳ありません、滞る思念が想定以上に強すぎました。術師の本体を切り離したのに、まさかここまで仕掛けてくるとは……異能も大勢喰われているのでしょうか」

「どうすればいい!? 僕になにができる?」

「今はそのままで。少し、わたしの方で手を変えます」


 笛を持ち上げながら、真剣な顔で言った。血を流す指もそのままにして、演奏を始める構えを取った後、口をつける前に目を閉じ小さな声で呟いた。


「お師様、先代、始祖様……若輩のわたしに、どうか力と勇気をお貸しください……」


 そして硬い表情のまま笛を吹きはじめた。さっきとまったく違う曲だ、不安定なテンポで揺さぶるような曲調、あまりきれいなメロディとは思えない。しかしなぜか、聞いている者にぞくりと鳥肌を立たせた。


 曲が進むと同時に、マオの周りから陽炎のような気が立ち昇りはじめた。それは白い霧を泉の方へ押し返した。


 また泉の上でも変化が起こっていた。霧へ映像が投射されるように、たくさんの人影が霧の中にゆらりと現れた。あれは亡霊の群、ほとんどが幽明の民だ。性別も年ごろも違うが、皆そろって痩せ細っている。彼らにはコルトたちがどう見えているのか、何かを求めるように腕を伸ばしてくる。そんな亡者たちが、泉の上を埋め尽くすように揺らめいていた。


 コルトもラフィスも言葉を失い泉を見ていた。もしも突撃して来たら一瞬で押しつぶされるだろう、恐ろしい光景だ。幸い、すぐに向かってくる様子は無い。やらないのか、できないのか――


『聞こえますかコルト君、ラフィスさん』


 マオの声が聞こえた。えっ、と息を詰まらせてコルトは振り向いた。しかし彼女は笛を吹いたまま、実際に曲も途切れずに続いているのだ、喋れるはずがなかった。じゃあ聞き間違いだろうか。いや、ラフィスも目を丸くしてマオを見つめている。


『聞こえますね。音に乗せて、あなた方の頭へ直接念を飛ばしています』

「そっ、そんなのあり!?」

「イザス、クーレル、ヴェイ……」


 マオがふふっと小さく笑った。


『これから、あなた方の強い思念を亡者たちへぶつけます。向こうと同じ次元、質量を持つ思念体として叩きつけて痛い目にあってもらいましょう』

「よくわからないけど……とにかく、どうすればいいの!?」

『あなた方の思う最も強い存在の姿をイメージしてください。そして、その者が亡者たちを倒す姿も。術に大事なのはイメージ、思念ですから』

「強い存在……」


 もっとも強い存在。心の中で復唱し、想像する。自然と旅路を順に振り返り、出会って来た人々を思い出す。敵として立ちはだかった人も、味方になってくれた人も、全部いきいきとした姿を思い出せる。


 そして同時に立ち昇る陽炎が、透明な人の形に収束していく。揺らめきの中に濃淡が生まれ、それが思い出に合わせて形を変えているのだと知る。しかし輪郭がぼやけ、固まらない。様々な人がいくつも重なって、みんなてんで勝手な身動きをしている。そこにはコルトが知っている人たちの影もあったし、まったく知らない人の姿もちらついていた。


 ――そうか、僕だけじゃないんだ。


 知らない人は、きっとラフィスが思い描いたもの。彼女とイメージを合わせないと、向こうの亡者に対抗できるような力の象徴とはならないのだ。


 コルトが思うに、ラフィスも最強の存在だと言うに値する。でも彼女自身は自分を最強とは認めないだろう。主と従として、ずっと慕っている相手がいることをコルトも知っている。なおかつそれが、本当に強大な存在であるということも理解している。だから今の状況に正解があるのなら――きっとこれだ。


 コルトが知っているエスドアの姿は、ラフィスの記憶から引き出したものだけ。それが逆に功を奏したのか、ぼやけていた像がみるみるうちに固まっていく。光を編んだマントをたなびかせた、白銀の甲冑姿の女の人が、ゆらめく陽炎に投射されて現れた。手には白くまばゆい剣を携えている。


 コルトはこのエスドアが亡者の群を蹴散らす姿を想像する。実際がどんな風だったかは知らない、でもそれでいい、イメージこそ大事だとマオが言っていたから。だからひたすら自分の思念を送り込む。叫びと共に。


「僕たちは! 死なない! おまえたちの方には行かない!」


 拒絶の意を込めて、エスドアが剣を縦に振り下ろした。軌跡に沿って生まれた衝撃波が目にもとまらぬ速さで泉へ飛び、水面ごと直線上に居た亡者たちを叩き割った。


「死んだおまえたちが、生きている人の命を奪う権利はないぞ!」


 エスドアが剣を横に薙ぐ。一度目より勢いを増した衝撃波が風圧と共に亡者へ襲い掛かり、霧もろともに蹴散らした。


「おまえたちの信仰に外の人を巻き込むなよ! 消えろ!」


 最後は万感を込めて両手で剣を握り、全霊の力を込めて剣を振り払う。そして生まれた衝撃波は泉を叩き高波を引き起こし、立ち昇った泥水がうごめいていた亡者たちを霧もろともにのみ込んだ。水柱が静まった後には、泉の向こう岸にある木々の風景がはっきりと見えた。


 そしてエスドアも役目を終えて霧散した。直接の原因は、マオが曲を変えたためである。最初に吹いていたあの静かで重い雰囲気の曲になっている。


 演奏される曲が変わった途端、また悲鳴が聞こえはじめた。しかし今度は明確な恨み節は聞こえてこないし、なにより遠い。死者の悲鳴だと思わなければ、遠くで吹き荒れる風の音にしか聞こえない。


「ああっ、霧が……!」


 泉の岸辺から外側、果てには崖下の集落に漂っていた霧が、泉へ集まって来た。再び視界が霧に閉ざされるが、今度は少し様子が違い、明らかに方向性を持って流れていた。集まって来た霧は泉の中央を芯とした渦を描くようにゆるやかに流れ、泉の中へ吸い込まれるように消えていく。


 どこへ通じているのだろう、とコルトは思った。霧が亡者の思念であるなら、彼らの望むように泉の精霊と一体になるのだろうか。でもそれでは、現状とほとんど変わらない。マオは生命の循環を正常化させると言っていた、ならば吸い込まれた先にこそ、彼らの新しい人生が待っているのだろうか。


「ま、て。やめ、ろ」


 背後から聞こえて来た実体のある声にコルトは、ハッとさせられた。トパゾだ。


 幽明の民の長はいつの間にか階段をのぼって来て居た。目に見える姿かたちは結界に閉じ込めていた時と変わらないが、明らかに満身創痍という雰囲気だった。目は虚ろで、縋る様に片手を前へ伸ばしながら、濡れた草むらをよたよたと歩んで来る。


「嫌だ、死ぬのは、いやだ――」


 歩きながら、泉へ吸い込まれる霧へ溶けるようにトパゾの姿が崩れかかった。長く薄く引き伸ばされ、そのまま一気に流れへ飲みこまれようとする。絶望に染まった顔をして。


「トパゾ!」


 コルトは反射的に動いていた。一瞬でも友好的に会話を交わした相手であるがゆえ、ただの化け物として見送ることができなかった。


 トパゾの流されゆく正面に飛び出して、消えかかった体をつかまえようと手を広げる。だが相手はもはや亡霊の残りかすだ、実体は無く、伸ばされた手からコルトの体を空しくすり抜けた。


 しかし、同時に何かが起こった。トパゾの体が重なった瞬間、コルトの視界が目の痛みと共にぐるりと暗転し、急に息ができなくなった。

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