意志の灯火
やがて街道沿いの林にて足が止まった。伐採が行われた跡で、視界はかなり開けている。来た方角の先にミヤノスカが小さな灯火として見える。
コルトたちが降りるやいなや、アイルが人型に戻った。片膝をつき、息は切れぎれだ。左上腕の矢傷も開いてしまったらしく、シャツが見ているそばから赤く染まっていく。他にも戦闘のダメージが蓄積されているわけであり、見るからに教会の時より辛そうだ。しかしあの時みたいに倒れ込まず、気も張ったままである。
「こんなところで悪いな。陽があるうちに、寝床を作って、寝る準備をするんだ」
「アイルさん……」
「俺は大丈夫だ。こんなものは、ちょっと休めば治る」
言いながら、右手で布袋をコルトへ放ってきた。しっかりとキャッチする。どっしりと重い。改めて認識した。
アイルは姿勢を低くしたまま二、三歩前へ出て、コルトたちに背を向けて地べたに腰をすえた。そして矢傷へ右手をやり――そこで、コルトは目を背けた。何をどうする気でどうなるか、想像しただけで血の気が引いたから。
コルトは気を紛らわせるべく袋の中身を確かめることにした。袋自体は紐を両肩で掛けられる、いわゆるナップサックの形であった。
まず一番上に入っていたのが、ギルドに置いてきていた自前の服だった。その濃いグレーのジャケットに包まれるようにして、旅立ちから手放さないでいる小物入れとマチェットもあった。
見知ったものの塊の下から、見覚えのない布地が出て来た。落ち着いた亜麻色で柔らかく、端はきちんと縫ってほつれないようにしてある。広げたら大きな長方形でショールだと判定した。でないとしても、ラフィスの寒そうな肩に巻くのにちょうどいいサイズだ。
畳まれていたショールの下からも色々な道具や小さな袋などがお目見えした。と、ラフィスが急に横から手を突っ込んできた。そして柔らかい布をロール状に巻いた包帯と、刃の部分にカバーがかけられた小さめのハサミを取り出した。
ラフィスはコルトには何も告げることなく、二つの道具を持ってアイルのもとへ走った。彼の左隣で膝をつき、ごく自然に傷の手当てを始めた。アイルも黙ってされるがままにしている。少しだけ緩んだ横顔がコルトから見えた。その途端、コルトは変な気持ちになった。怪我人に対して抱くのはおかしいが、ずるい、と。
喉にひかかるモヤモヤを咳払いし、気を取り直して袋をあらためる。ラフィスが持ち出した道具以外には、小さなケースに入った裁縫道具のセットと、木製の椀が三つ、革の水筒、それから丈夫な麻紐だ。他に複数の小袋がある。
小袋は一つには数枚の銀貨が入っていて、他はすべて食料であった。ビスケットとか、ドライフルーツとか、干し肉とか、岩塩とか、色々な物が少しずつ。道中でまったく食料が得られなくても、二、三日は確実に食いつなげる。
最後に走り書きのメッセージカードが現れた。
『もし一つの安息を求めるなら、街道を西へ。果ての先へ』
西へ向かえ、それは直接言われたことと同じだ。しかし安息とはなんだろうか。まったく心当たりがないし、要領を得ない指示だ。もしかしたらと思ってカードの裏面も見てみたが、白紙だった。
コルトは口をとがらせて、しかたなくアイルに質問した。
「西へ行けって言われてるけど、なにかあるんですか?」
「ラザト。砂漠に閉ざされた、カラクリ技術を持つ国だ」
「カラクリって! ラフィスと関係が!?」
「そういうことだ。たぶんあいつは、ラザトへ行けって言いたいんだろう。どう入ればいいのかわからんが……なんとかするさ」
現代は統一政府によって同じ法制度のもと世界が統べられているものの、一方で政治的な独立を保ち「国」としての体裁を保っている地域もいくつか存在する。ラザト国はその最たるものだ。この大陸の西にある広大な砂漠を領土とし、完全な鎖国状態にある。国外不出の高度なカラクリ技術を持つ国であるということ以外、国内の情報は外へ出てこない。
ラフィスとの関係もはっきりとは言えないが、まったく無関係でもないと思われる。彼女の背の翼が高度なカラクリじかけであるとオムレードで示唆された。もしかするとそれがラザト国の技術であるかもしれない。最低でも翼を治すことはできそうだし、ともすれば同じ種族の仲間に出会えないかと期待できる。
ちょうどラフィスがアイルの手当てを終えた。シャツの袖は切り取って、素肌に直接、傷を締め付けつつ完全に覆い隠すよう包帯がきつく巻いてある。丁寧な仕事だった。
その後、たたっと走ってコルトの首の傷も見にやって来た。とは言えこちらは浅いし、とっくにかさぶたになっている。放っておいた方がいいくらいだ。
「僕は平気だよ」
「ムー……」
ラフィスは迷いながら、軽く当てるくらいで包帯を巻いてくれた。傷の防護もあるが、どちらかといえば人の目から隠すことに意味があるだろう。首の怪我なんて、会う人会う人に余計な不安を与える材料だ。
そう、トラブルを避けるなら目立たなくする事が一番だ。ラフィスが平和に暮らせることを望むなら、まず彼女が居ても目立たない場所であることが第一条件。それがなかなか難しいが。
しかし、カラクリにあふれる場所なら叶うかもしれない。オムレードの地下で見たようなカラクリ装置が当たり前のように転がっている風景の中なら、ラフィスの半人半機の姿もさほど浮かないだろうから。
西へ。始めはなんの事かと思っていたが、言葉の裏に込められていた意図が次第に察せられ、納得に繋がる。さらに他の言動についても同様に。
「――シェリさんは、ちゃんと僕たちのこと考えてくれてたんだ」
メッセージカードを見て、袋の中身を見て、ひしひしと痛感する。明らかに先へ進む旅支度である。最初から見捨てるつもりなどなかった、ラフィスの救出劇よりさらに先のことまで見すえて裏で動いてくれていた。それを自分はどう思っていたか。今では謝りたい気持ちで一杯だ。
思わずため息をつくコルトの隣で、ラフィスが小首を傾げた。
「シェリ……?」
「さっきの、僕たちを助けてくれた人だよ。……サシャさんって言うべきなのかもしれないけど」
アイルの方をうかがう。彼もコルトのことを見ていた。話の流れから、聞かれると思っていたのだろう。すぐさま頷いてみせた。
「別に呼び名はシェリのままでいい、俺もいつもそう呼んでいる。悪いな、騙すつもりじゃなかったが、本当のことを言えばこじれると思って言わなかった」
「うん。僕、怒ってたから。商会の人だって知ってたら、話もしなかったと思う」
ノスカリアの裏通りでの初対面を思い出す。うまく手がかりを得られずピリピリしていた所に高飛車な態度で来られたものだから、実際に怒って暴言を吐きかけた。あの時もし商会の縁者だと知れたら、果たして何をしていたか。その場で怒りに任せてマチェット片手に殴りかかっていただろう。
もちろん、シェリの側にも何ぞ打算はあったに違いない。しかし、そもそもラスバーナ商会およびフォウトの屋敷の内情を知る身内の手引きでもなければ救出作戦が成立しない。あの時彼女が言った「助けられるのは自分だけ」というのは、別に偉そうに話を盛ったわけでなく事実だったのだ。それがわかるから、シェリの本心が別であっても、余程ひどい裏事情でなければもう怒る気になれない。
むしろ、打算混じりでも助けてもらった結果がこれだ。自分だけがのうのうと逃げのびてしまった。心が痛い。
無意識のうちにうつむいてしまう。日没間近だ、ただでさえ暗く見える顔がさらに暗くなる。そこへアイルが声をかけてきた。
「二人とも今日はもう寝ろ。きっと追ってこないが、番はしておく」
「アイルさんは……」
「俺は平気だ。全部うけおった役目のうちさ」
答えは妙に淡々としている。怪我のせいとか、疲れのせいとか、原因は身体的な辛さにある風ではない。心境だ、他のことで気が気でない様子なのだ。
アイルとシェリの関係は明言されていない。だがコルトは、きっと恋人同士なんだろうな、と思った。互い信頼しあって、かつどちらがどちらへ遠慮することもなく物を言う感じから。だからなおさら申し訳なさで一杯だった。
「ごめんなさい、アイルさん」
「何を謝ることがある」
「だって、まず僕のせいで大怪我させたし」
「おまえのせいじゃないさ。俺自身が油断していた。第一、怪我をさせたのは撃ったやつだ」
「シェリさんのことだって……」
「あいつはいつもああいう風なんだ、気にするな。死にはしない、そこまで馬鹿じゃない」
最後は言い切る前にコルトから目をそらし、東へと向いてしまった。拳が握られているのは無意識のうちだろう。
立場が変わってしまったのである。大切な人の命がかかっている、なのになにもできない。さっきまではコルトがそうだったのに。
なにかしてあげられることはないのだろうか。そう感じた後、ろくに考える間もなくコルトは口にしていた。
「アイルさん、シェリさんのところへ戻ってあげて。僕たちはもう大丈夫、自分たちの力で西へ行きます」
「だめだ、俺はおまえを守らにゃならん。雇い主の命令だ」
「その雇い主が僕の命令に従えって言いました!」
アイルは少し面食らった風にコルトのことを振り返った。
「アイルさん。僕は命令します。シェリさんを助けてあげて、お願いだから」
もともとラフィスを助け出すことが契約内容だった。こうして無事にノスカリアを脱出した以上、もう契約に縛られる必要はないはず。アイルがラザトまで付き添うつもりなのは、彼の善意と、シェリが気を利かせてくれたからに過ぎない。それなら。なおもコルトは懇願する。
「本当は、僕がシェリさんに謝ってお礼を言って助けてあげないといけない。でも僕が行っても逆効果だ。僕は弱いから。また捕まって、みんなの邪魔をする。だから僕の代わりに。頼れるのはアイルさんだけなんだ。お願いします」
誰かを守るために自分ができることをする。今できるのは、信頼して託すこと。
「了解。……偉いな、おまえは」
アイルが腰をあげた。体力面はひとまず問題ないようだ、しかと両足で立っている。そして深呼吸を一つ。
「コルト、約束だ。好きな子の事はしっかり守ってやれ。もう二度と、あんな目に遭わせるな」
「うん。アイルさんもね」
「もちろん。じゃあな、気をつけて行けよ」
ぴっと手をあげた、それは別れのあいさつだ。
するとラフィスが急に立ちあがった。
「シー、アイル! ウェロス、アダ……」
言葉を詰まらせて唇を噛み、代わりに頭をばっと下げる。それで通じるものがあったか、アイルはふっと笑うと、変身して東へ向かった。
白銀の獣が薄明に照らされる街道に消えた。それを見送ってから、コルトは気持ちを区切るために自分の頬を叩いた。
自分にできること、やるべきことをやる。具体的には休む準備だ。知っての通り木々があるだけの場所、久しぶりの野宿となる。
シェリが仕込んでくれた道具がさっそく役に立つ。コルトはまずラフィスの肩にショールをかけた。陽が落ちて急に涼しくなってきた、体調を崩してしまっては大変だ。
それから手近な木の枝を集め、火打ち石で焚き火を起こす。この辺りは手慣れたもの。すぐに明かりと暖を取るのに十分な大きさにできた。夜行性の獣もそう寄って来なくなるだろう。
これでもうほとんど一日が終わったようなものだが、その前に。コルトは真顔でラフィスに正面向きあって腰をすえた。ラフィスも少しおどおどとしながら、かしこまった姿勢で座った。
火の中でぱちんと枝が弾ける。そんな音を聞きながら、コルトの大反省と決意表明が始まった。
「ラフィス、ごめんなさい。今回は僕が甘えてたせいで、すごく怖い目にあわせちゃった。助けようにも僕が弱いからたいしたことができなくて、いろんな人を巻き込んでしまったよ」
「コルト……」
「今回はだめだった。でも、僕、これから強くなるから。約束する。僕もあんな風に、アイルさんみたいに、ヒーローみたいになるから。僕はラフィスがずっと笑顔で居られるように頑張るよ。だからお願い、僕が強くなるまでの間もずっと、隣についていることを許して」
言葉にしたところで通じない、事実ラフィスは困ったように笑っているだけ。しかし、困ったあげくでラフィスはコルトの手を握ってくれた。両手で包み込み、幼子をあやすように。それだけで多大な安心感に満たされ、許された気がした。
商会のこと、ノスカリアのことは、もはやコルトの心配の中に入っていなかった。あちらは信頼できる人たちがなんとかしてくれる、絶対に大丈夫だ。託された言葉に従って先へ、西へ到達ことこそが彼らに対する最大の礼にもなる。
本来は東の大陸へ向かうつもりだった。西へ進路を切ることで、エスドアに会うにはかなりの遠回りになるかもしれない。しかしそれでいい、コルトはそう考えていた。なにより優先すべきはラフィスの平穏であるから。
――僕は居るかもわからない神様じゃなくて、ラフィスのことを守りたい。別に旅の距離が長くなってもいいよ、一緒に過ごす時間が好きだもの。
「よしラフィス、また二人での旅が始まるから、今日はもう休もう」
へへっと笑いかけると、ラフィスもうなずいた。久方の野宿といい、まるで旅立ったばかりの頃に戻ったような雰囲気だった。
交易都市の明かりはもう見えない。数多の人と物が行きかう、世界を見渡しても他にないような先進都市を通過しておきながら、思ったような恩恵にあずかることはほとんどできなかった。
だがコルトが失ったものはなく、目には見えないが得たものがある。人の縁と、心の変化と。コルトの心に点いた強い意志の灯火は、未来を明るく導くだろう。無月の夜にきらめく星々のように。
(第四章 交易都市と商会の嫡子 終)
 




