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不測の障壁 2

 フォウトは残り三歩というところで、なぜか足を止め、剣も降ろして先を下へ向けた。そしてキザに笑った。


「いいだろう、おまえの言い分を聞いてやる」

「は……?」

「だが、頭を冷やして考えてみることだ。おまえと私、どちらがその娘のためになるかを」


 フォウトは嫌味に口角をつりあげた。


「私には見ての通り財力も権力もある。おまえなぞよりも、遥かに良い暮らしを与えてやることが可能だ。望む物はなんでも与えてやれるし、いかなる災禍からも保護できよう。何も持たないおまえが無意味に連れまわすより、私のもとに居る方が幸福だ」

「勝手に決めるなよ! ラフィスのこと何も知らないくせに!」


 コルトは即座に反論した。どこかで既に聞いたことがある理論だったから、言い返す言葉もすんなりと出て来た。


「こんなとこに連れて来られて幸せなはずないだろう! だってそれなら、ラフィスが泣くはずないじゃないか!」


 直接の言葉にされずとも、彼女の気持ちはわかっている。真っ赤にはらした目も、助けに行ったときの悲痛な声も、弱々しく縋り付いてきた行動も、全部が心痛みの表れだ。


 その傷を作ったこの男を許さない。たとえ何を言われても、たとえどれだけ追い詰められても。コルトには覚悟の火が燃えていた。


「もういいよ、泥棒でも強盗でもなんとでも呼べよ。僕は、僕が正しいと思うことをするだけだ! ラフィスはおまえなんかに渡さない、絶対に! 死んでも!」


 フォウトが再び剣を構え直し歩みを再開した。一気に飛びかかって来ないのは、威圧して心を折ろうとしているのだろう。だが、最後は本気で切るだろうとは、冷酷さを帯びた目が語っていた。


 コルトは顎を引いて睨み返した。決して負けるものか、背中を向けたら最後、ラフィスを危険に晒すことになる。それにまだ諦めてはいない。剣で切りつけてくる瞬間に、姿勢を低くして頭突きするつもりだ。危険な賭けではあるが、うまく決まれば逆転することができる。床の状況もしかと確認して足を出す位置を決め、後はタイミングを待つだけ。


 一歩、二歩――今だ!


 だが、同時に予想だにしていないことが起こった。ずっと静かにしていたラフィスが、急に大暴れしたのだ。


「ちょ、うぉァッ!」


 重心が後ろに傾いたせいで、その場で仰向けに転倒した。下にラフィスが居たから身体的ダメージこそ少ないが、逆に心が痛い。


 顔をしかめるコルトの下から間髪入れずにラフィスが這い出て、逆にコルトの上へと覆いかぶさる。完全に胴の上へのしかかり、顔に顔をぴったりとくっつけて。まるで雛を懐へ隠す母鳥のようだ。


 まさに凶刃が振り下ろされようとするタイミングの出来事だった。ラフィスの背中に向かいかけた剣は、舌打ちと共に途中で止められた。


 そして宙で静止した剣を、反対側から伸びてきた槍が弾いた。飛ばすことこそできなかったものの、若干ながら持ち主ごと退けることには成功した。


「コルト、伏せて頭の方へ進め!」

 

 アイルが早口で指示して、自分は逆方向へと大きくジャンプした。ちょうどコルトが居る上の氷壁に槍を突き刺しぶら下がり、それを軸にした振り子の要領で反動をつけ、フォウトの胸を勢いよく蹴り、後ろへ転がした。そのまま着地して、二人の間へ割って入る。


 フォウトは蹴られた箇所を片手で押さえてふらつきながらも、すぐに立ち上がった。


「この、異能が……人間に、手を……」


 普通の人間に危害を加えた異能者など死罪だ、そう宣告したかったのだろう。だが、言い切る前にフォウトは表情を焦りに変えて黙りこくった。


 アイルが再び氷の側壁へ槍を深々と突き刺していた。今度はてこの原理で、とんでもなく分厚い氷を本来の壁から引きはがそうとしている。そんな無茶な、と思いきや、実際にピシピシとひび割れる音が聞こえてくるではないか。


 そして人を押しつぶすのに十分な大きさの氷塊が壁からはがれ、フォウトのもとへと倒れ落ちる。それに触発され大小の氷も崩れ、狭い通路を塞ぐ完全に塞ぐ障害物となった。


 音につられて、コルトは首だけで振り向いた。アイルの背中と、その向こうにある氷の山が見える。フォウトがどうなったか見た目ではわからないが、氷の向こうで使用人たちに「応接間から回り込め!」と指示する声がするから、下敷きにはならなかったようだ。だが分断はされた。


 よく見ると、反対側の廊下を塞いでいた氷にも突き崩された穴が空いている。戦っていた護衛は、その脇で完全にノックダウンされていた。


「すごい……!」

「雪国生まれだって言ったろ、氷の相手は慣れてるんだ」


 アイルは涼しい顔をしている。しかし、上着の腹のあたりが切り裂かれているなど激闘の跡がうかがえる。幸い怪我はひっかき傷で済んだが、ひょっとしたら致命傷をもらっていたかもしれない。


 ちぎれた上着をアイルは脱ぎ捨てた。シャツ一枚の軽装になる。


「立てるか? 二階に行くぞ。バルコニーから脱出する」

「うん。さあ、ラフィスもう一回」


 コルトは立ち上がりざまに、さきほどと同じようにラフィスのことをすくい上げておぶろうとした。だが、ラフィスが明確に拒否を示した。そしてそのまま枷がついたままの足で歩き始めた。動きが制限されているせいで、少しでも足を早めるとふらつくが、それでもなおコルトに頼ろうとしない。


 見かねたアイルが足枷の鎖を槍で切った。


「コルト、先導してくれ。後ろは俺が守る」


 コルトは頷いて、ラフィスの前へまわり手を引いた。そして廊下を駆け階段へ向かう。なお、廊下と応接間を繋ぐ扉は氷づけになっていて、追手を妨害していた。


 階段まではよかった。しかし上り階段をペースを維持して駆けあげる体力は、コルトにもラフィスにも無かった。必死で足を動かしても亀の歩みだ。


 ここで執事と二人の使用人が追いついて来た。執事は鍵の束を手にさげている、応接間からテーブルのあった広間を経由して来たのだろう。彼の指示で使用人二人が階段をのぼって来る。


 もう一歩二歩で追跡者の手が届く、それくらいギリギリでコルトは階段をのぼりきった。そのまま一息もつかず、ラフィスのことも引っ張り上げる。最後にアイルがのぼりきる直前で不意に身を反転させ、虚をつかれた追手二人を薙ぎ払った。うろたえ混じりの悲鳴をあげながら、使用人たちはまとめて階段を転がり落ちたのだった。


 二階は階段から廊下をはさんだすぐ向かい側が、外からも見えたバルコニーになっていた。扉は正面にあり鍵もかかっておらず、外へ出るのに苦労はいらなかった。だが。


「こっからどうすんの!?」


 バルコニーは全面が手すりに縁どられていて、外へ繋がる道も階段も無かった。もちろんハシゴの類や、飛び移れる木なんかも無い。ここからはどこへも行けない。普通は。


 アイルは即答した。


「下へ跳ぶ! 嬢ちゃんをしっかり背中に掴まらせろ、もちろんお前自身もな」

「跳ぶって……二人も乗せて!? できるの、大丈夫なの!?」

「できるできないじゃなくて、やるしかないさ!」


 アイルは獣の形態に変化した。確かに大きさは人の時より質量を増しているため、子供二人ならなんとかまたがれないこともない。しかし力の面ではどうだ、二階から飛び降りて重量に耐えられるのだろうか。


 コルトにはためらいがあった。だが、急いで乗れ、とアイルは目線で促してくる。


 先にラフィスが動いた。不思議と色々わかっているようで、昨日コルトがしたように身を引くくしてアイルの背にまたがる。そして彼女も視線でコルトを急かした。


 コルトも意を決して続いた。体勢を安定させようと思うと、どうしてもラフィスの背中に抱きつくかたちになってしまう。ギュッとしっかり掴まえ、振り落とされないように身を伏せた。


 直後、アイルが走り出した。ぐんぐん加速してバルコニーの縁へ。力強く踏み切り、手すりを飛び越え、宙へ。乗っている者たちを、気が遠くなりそうな浮遊感が襲った。


 その後、庭先の芝生へ着地した。衝撃が重い、アイルも倒れ伏さず踏ん張っているが、しかしすぐには動けないでいる。ぎりりと牙を食いしばる音が聞こえた。乗っているだけの身にも足のしびれが伝わってくるようだった。


 使用人がざわめきながら玄関から出て来る。先頭は頬傷の男だ、並ならぬ脚力で向かってくる。


 追いつかれるより先に、アイルが再び走り始めた。閉ざされている門ではなく、屋敷を取り囲むレンガの塀へ向かっていく。助走をつけて飛びあがり、塀の上に前足をかけて無理矢理よじ登り、また跳んで塀の外へ跳びおりた。激しい上下の揺さぶりに、コルトたちは落ちないよう必死でしがみつき、無事、一緒に屋敷の外へ脱出することができた。


 塀の向こうから悔しそうな怒鳴り声が聞こえる。それを無視して、一行はそのまま町中へ走り去った。


 ミヤノスカの街路を縫うように駆けていく。ノスカリアの中心部同様、石畳で整備された平坦で走りやすい道だ。もちろん二人も背負っているため昨夕ほどスピードがあがらない。それでも、普通の人が走るよりずっと速い。

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