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不測の障壁 1

 廊下の先に明るく浮かぶ階段が、来た時よりずっと遠くに感じられた。道中の安全はアイルが先行して確認し、誘導をかけてくれる。だからコルトはラフィスを背負って進むことに集中すればよかった。だが、急く心と裏腹に歩くペースはあげられない。


 特に階段は、段ごとに足場を確かめながらのぼっていかざるを得なかった。バランスを崩して転げ落ちたらどうしよう、その場合ラフィスまで巻き込むことになる、そんな二重の恐怖がコルトに魔手を伸ばしていた。ラフィスもまた不安らしく、コルトの肩を掴む手に固く力がこもった。


「大丈夫だよ、だいじょうぶ……」


 小声のそれは自分に対する励ましでもあった。


 時間をかけながらも、どうにか無事に階段をのぼりきった。コルトが息をつくやいなや、先に行って廊下の様子をうかがっていたアイルから、来い、と合図があった。コルトはあわあわと従った。


 てっきり逃げた男が味方を呼んで待ち伏せしているものと思っていたが、階段近辺には意外にも誰一人いなかった。ただ、遠くで誰かがベルを鳴らしているのと、キッチンの方がざわざわとしているのとを耳が掴む。使用人たちが動揺しているのに違いない、もたもたしていると、いよいよ逃げ道を失いそうだ。


 人が集まってくる前に玄関の方向へ急ぐ。ラフィスのことを一身に支えるコルトの手足もかなり疲労して来た、その意味でも急ぐに越したことはない。ここぞとばかりに奮起して、走る。


 すぐ正面に応接間が見えた。この角を曲がったら、すぐ先が玄関ホールに通じている。このまま何事もなく、あるいはちょっとした強行突破ぐらいの困難で外まで逃げ切れるかも、そんな希望をわずかに抱いた。


 だが、コルトが角を曲がりきったところで、先行していたアイルが何かに驚いたように突然足を止め、たじろいだ。彼には玄関ホールの様子が見えている、そこに問題があるのだろうか。


「どうしたの!?」

「だめだ、戻れ、予定が狂った!」


 遠慮ない大声で言いながら、走ってコルトの方へ戻って来る。


 コルトは疑問符を浮かべたまま、すぐには動けなかった。釈然としないのだ。戻れと言われても他に道を知っているわけでもなし、多少の敵が待ち構えているにしたって、アイルの実力なら戦う選択肢も取れるだろうに。


 すると、間髪入れずにホールの方から、


「止まれ!」


 と厳しい声が飛んできて、コルトはビクリと背筋を伸ばした。どちらが原因かはわからないが、ラフィスもぎゅっと身をこわばらせた。


 アイルは止まらなかった。すれ違いざまにコルトの肩を叩いて、来た道を戻る方向へ進んで行く。


「なんなの? 何があったの?」

「玄関は無理だ、固められている。戻るぞ」


 アイルは妙に焦っていた。今までの肝が据わった雰囲気を思うと様子がおかしい、コルトにはそう思えた。玄関に彼の力をしても恐ろしい相手が待ち構えているのか、いや、恐怖している感じではない。どちらかというと、何かを隠そうとしているような。


 コルトが戸惑っていると、玄関ホールから廊下へと早足に人がやって来た。足音にコルトは振り返った。


 現れたのは、ワインレッドのフロックコートに身を包んだ金茶色の髪の男だ。金のネックレスチェーンがシャツの中できらめいていたり、小さくとも鮮やかな色の宝石がついた指輪をはめていたり、一目で上流階級の人間とわかる出で立ちをしている。この姿、まったく同じ服装ではないものの、コルトの記憶に残っている。そう、エグロンでジャスパの後ろに居たあの人物だ。


 男の青い目と視線が合った瞬間、コルトの全身の血が沸騰した。そして炎を吐くように叫んだ。


「おまえがフォウトだなっ!?」

「その通りだよ、この盗人が」


 コルトは怒りを煮えたぎらせ、フォウトを睨みつけた。普通ならここで疑問を抱く、日没まで屋敷に戻らないはずの人物が、なぜ日があるこの時間にもう居るんだ、と。しかし今のコルトに、その発想をする気持ちのゆとりはなかった。


 そんなコルトの後ろでは、アイルが苦虫を噛み潰した顔をしている。焦っていたのは、まさにこの状況を避けたかったから。だがコルトはそれにも気づくはずがなく、フォウトのことだけを視界におさめている。


 間もなく、応接間から人が回りこんで現れた。屋敷の他の使用人と違って革製の防具と剣で武装しており、フォウトの護衛といった様相だ。たった一人だが明らかに強者の風格を漂わせ、剣を構え廊下に立ちふさがる。


 応じるようにアイルが銀槍を出現させ、構えた。コルトとラフィスの背中を守るように位置をとる。


 ただし、戦う気のある敵は玄関ホール側にも居る。フォウトの後ろに、距離をあけつつも人影が次々現れた。こちらは屋敷の使用人たちだ、さきほど一度追い払った執事や頬傷の男も混ざっている。彼らの手をすべてかわして通り抜けるには、いささか人数が多すぎる。


 最後に遅れて、玄関ホールをはさんで反対側の奥から若い女性が走って来た。彼女はフォウトの隣にひざまづくと、宝飾の施された鞘入りの剣を渡した。


 フォウトは剣を取るなり鞘を払い捨てた。外装とは異なり、実用的に刃を研ぎすました片手剣だ。その鋭い切っ先が、威圧感を込めてコルトへと向けられた。


「盗んだ物をそこへ置け。外へ持ち出した時点でおまえたちは強盗だ、罪は重いぞ。今なら、屋敷への侵入は不問にしてやろう」

「盗んだだって? 盗んだのはそっちだろ!」

「なに?」


 フォウトが顔を歪めた。恐ろしく冷たい青い目がコルトを睨んだ。が、コルトは臆さない。ラフィスが顔を伏せたのを感じても、逆に強い気がわいて、真っ向からフォウトを睨みかえす原動力となる。


「おまえがエグロンで人身売買をしたことは知ってるぞ! 金の力で、むりやりラフィスを連れ去ったんだ! 誘拐だ、盗んだのと同じだ、犯罪者はおまえだろ!?」


 それを聞いたフォウトは笑った。最初は鼻で、なおも収まらず徐々に音は大きくなり、最後は口を開けて腹の底から。いっそ狂気すら感じる、ぞっとする姿だった。


 だがやがてロウソクを吹き消したように冷徹な顔に戻り、吐き捨てた。


「さぞ大層な理屈があるかと思えば、馬鹿馬鹿しい、いかにも子供じみた詭弁だ」

「キベン!? どういう意味だっ!」

「おまえが言う通り、私は正式な取引においてそれを購入した。そうだ、きちんと対価は支払ったのだ、これを『盗んだ』とは言うまい」

「僕はそんなの認めてないぞ!」

「おまえの所有物だった、勝手に売り払われたのだ、そう主張するのならば、おまえが責めるべきは、それを私へ売った売人の方だろう。私こそ、それが盗品であることなど知らなかったよ。文句をつけられるのはお門違いだ、それは――」

「ラフィスを物あつかいするなぁっ!」


 コルトは感情を爆発させた。


「ラフィスは物じゃない、人だ、心があるんだ! ラフィスが望んでいないのにむりやり連れ去って、狭いところに閉じ込めて、あんな風に家畜みたいに扱って! それが悪人がすること以外のなんだって言うんだよ、このクソヤローがっ!」


 フォウトは表情をピクリともさせず、黙って歩みを前へ進めた。当然、剣は構えたままだ。


 コルトは相手を睨みつけたまま後ずさりする。が、すぐに背中が――正確にはおぶったラフィスの背中が――何かに当たった。それはアイルの背中であった。彼は動じていないが、決して余裕からそうしているわけではない、背中から立ちのぼる気配からも手に取るようにわかる。ようやくコルトは現状を理解し、少しだけ冷静さを取り戻した。どうにかしないと、かなりよくないことになっている、と。


 フォウトが足を進めながらに、護衛の男へと指で合図を送る。すると戦闘態勢で待機していた護衛が、一気に踏み込んで来た。


 同時に護衛は片手を宙に向かって突き出す。直後、彼が手を向けた方向へ氷壁が出現した。右に、左に、天井へ、あげく前後の進路も塞ぐように。屋敷の廊下は氷窟へと様変わりした。出口はフォウトの真後ろにあるが、左右の壁は手を伸ばせば触れるぐらいにまで迫っており回り込む余地はなく、立ちふさがる者を倒さなければたどり着けない。


 コルトは寒気に身を震わせつつ、しかし堂々と正面を向いてその場に立った。背後にて前後へ上下へのはげしい戦闘が繰り広げられている音も聞こえる、下手にさがるのは危ないし邪魔になる。それに足を固められていないにしても、氷がところどころ床を浸食しているから、うかつに動けば滑って転びかねない。その隙にラフィスを奪われでもしたら最悪だ。彼女は今も弱り切って震えているのに。

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