仇の懐 3
「……殺したの?」
「いや、死なせちゃいない。ちょっと気絶しているだけだ、すぐ起きるさ」
アイルは胸ポケットにあったハンカチーフで執事の腕を縛り、床に横たわらせる。その作業をしながらコルトへたずねた。
「茶に混ぜ物がされているって、どうやって気づいた?」
「はっきりわかったわけじゃないけど、でも、なんかタイミングが変だと思ったから。フォウトが遅くなるのは最初からわかってたのに、なんで今ごろになってお茶を出すことにしたのかなって。それと、さっき僕が出歩いていた理由を聞いてこないのも変だよ。執事なら誰かから知らされていそうなのに、のんきにお茶だ軟んて」
煙だ針だと薬を盛られるのもこれで三回目、となれば、さすがに学習して警戒できるようになる。
一方でナイフの件はまったく気づかなかったが。これはアイルいわく、執事の服の袖口の形状に違和感があった点と、給仕後に重ねた手指が、明らかに袖の中を意識して妙なかたちになっていた点が決め手だったと。もっとも、最初から危害を加えようとしている可能性を頭に置いておかなければ、どちらも見過ごしてしまう程度の異常であった。
アイルは執事を処理すると立ち上がった。
「さてコルト、次はどうする」
問いかけへ対し、考えるより先に口が動いた。
「僕たちの事はもうばれてるんだから、この人が起きて騒ぎ出す前にラフィスのことを見つけ出す。むりやりでも階段の向こうを調べないと。アイルさん、一緒に来て!」
第二陣が扉の向こうで待ち構えているかもしれない、それを可能性として考えつつ、コルトは応接間の扉を勢いよく開けた。扉の向こうに張り付いていたら倒してやる、それくらいのつもりで。
しかし意外にも、扉の裏どころか見える範囲に誰一人として居なかった。それならばチャンスだ。コルトたちは一直線に階段へと走った。
上か下か、二択はさっきと変わらない。メイドと男の使用人は姿を消していて、今ならどちらも進めそうである。コルトが選んだのは――下だ。アイルの意見を信じた。
階段を降りきった先は、一直線の通路になっていた。一番奥の天井付近に小さな明かり取りの窓があるが、とても人が通れる大きさではなく、実質袋小路の構造になっている。この廊下の両側に部屋が設置されている。手前の二つには扉が無いが、奥は木質の扉が立てられていて、それが等間隔に計八枚あるのが見える。
地下の入り口には、ギルドにあったのと似たようなハンドライトが用意されていた。埃もついておらず普通に使えそうだったが、コルトはあえて手に取らなかった。なにがあってもいいように両手はなるべく開けておきたい、それに暗いだけなら割と慣れているから平気だ。
まず手前の扉が無い二部屋、ここは酒の保管庫と古く使われていないキッチンだった。どちらも空気がほこりっぽい、特にキッチンの方は息をしたらクシャミが出るほどだ。これは最近は誰も出入りしていない証だろう。
少し奥へ進んで、向かい合わせになっている扉の前に来た。一つずつ中を調べようとしたが、鍵がかかっていた。押しても引いても開かないし、ノブに触れた手には、ざらりとした埃がくっついて来た。思い切ってノックしても反応は返ってこない、ぴったりと耳をつけて聞いたから聞き逃しでもない。反対側にある部屋は同じようにアイルが調べて、やはり何も無いと首を振っている。
さらに隣の部屋の調査へ移る。が、こちらも同じく施錠されていて、聞き耳を立てても室内からは物音ひとつせず、ただ自分の心臓の音が聞こえるだけだった。
コルトは焦燥感にかられて地下の奥をみやった。残り四部屋あるが、どれも似たように寂れた雰囲気が漂っている。こんな場所に人が居るなんて想像ができない。
「やっぱり上なのかも……」
「一応、全部調べてみた方がいいんじゃないか」
「うん。その方が後悔しないよね」
背中を押された感覚と共に、コルトは残り四部屋の探索へ動く。まずは手前側の二つだ。向かって左をコルトが調べる。やはり鍵がかかっていて開かない。室内に誰かが居る可能性もあるから、ガチャガチャと派手に揺すったり、ドンドン叩いたりしてみる。そして反応を待つ。
「――こっちはだめだ。コルト、どうだ?」
「待って……物音がした、気がする」
しんと通路が静まった。コルトは扉にぴったりと耳をつけて待った。気のせいだったのだろうか、願望からの聞き間違いだったのかもしれない、そんな風に半信半疑で。
しかし、気のせいなどではなかった。確かに、中からかすかに物音がする。それがなんの音かはわからないが。
コルトは息を吸いこんだ。腹にありったけの力を込めて、叫ぶ。
「ラフィス! ラフィスなの!?」
自分の声が狭い通路に反響する。地下どころか、階上にまで届いたかもしれない強い響きだ。コルトはその中に耳を澄ませて、間違いなく聞き取った。ずっと聞きたかった彼女の声が、自分の名を呼ぶのを。この扉の向こうからだ。
瞬間、コルトの心臓が勢いよく跳ねあがった。
「アイルさん!」
「壊すか?」
「体当たりしたらなんとかならないかな!?」
アイルは返事するより速く、コルトと一緒に扉の前へ並んだ。そしてコルトの声かけでタイミングを合わせ、閉ざされた扉へ体当たりをする。幅の狭い通路だ、二、三歩分しか助走はつけることができず、なかなか勢いが乗らない。
だが扉自体も比較的古い物、何度も繰り返し衝撃を与えてやれば、蝶番はみるみる傷み、乾いた木材も悲鳴をあげはじめる。
「せーのっ!」
ぶつかる体もジンジンと痛み始めたが、人の先に扉が負けを認めた。体当たりを食らわせたと同時に蝶番の部分が派手に割れ、コルトたちは扉ごと中へ倒れ込むこととなった。板同士が衝突するけたたましい音とともに、体がしたたかに床へ打ちつけられ、思わずうめき声を漏らした。
だが。
「コルト、コルトッ!」
ラフィスの声が、何物も妨げない澄んだ声が、自分の名を呼んでいる。それを知覚しただけで、痛みはどこかへ飛んでいった。
――ラフィス、無事でよかった。
コルトは笑顔と共に起き上がろうとした。
その瞬間、ラフィスが鋭い叫び声をあげた。彼女に何かあったのか、違う、自分の上に不自然な影が差している。
はいつくばったまま顔をあげると、さっき見た頬に傷のある使用人の男がそこに居た。高くかかげた両腕をコルトに向かって振り下ろそうとしている。その手には、首を落とすのにうってつけな幅広の片刃剣が握られている。無表情で、単なる薪割りでもするかのように、人の頭の上へ振り下ろそうとしている。
コルトは体を冷やしながら、反射的に顔を伏せて腕で頭をかばった。そんなことで切れ味の良い刃が止められるわけなくとも、体は勝手に動いた。
しかしコルトの頭上を通り過ぎたのは、敵の刃ではなく、白銀の影が先だった。頭の上を横切ったそれは、そのまま男を床へ押し倒した。剣は床の上にあられもなく落ち、ゴトリと重い音を立てた。
「アイルさん!」
返事は無い。彼は牙で男の腕に食らいついている。
が、直後にアイルは腹を蹴られ、後ろへ飛ばされた。そのままコルトの居る真横の壁に激突した。床に着地する間際に人型へ戻り、苦しそうにゲホゲホと咳きこんでいる。
「アイルさん! 大丈夫ですか!?」
「俺のことはいい、その剣であの子の鎖を切れ!」
「鎖……?」
突拍子もない単語をきっかけに、コルトはようやく物事を俯瞰できるようになった。
ここは小さく埃っぽい部屋だ。入り口側の壁に接してベッドが置いてあり、その上の頭側にラフィスが座っている。だいぶやつれているし、目を泣きはらしている。いつもはきらきら光っている宝石の瞳も、暗く小さくまったく元気がない。そんな彼女の手首足首にはそれぞれ枷が付いて自由を奪っている。さらに黒く重い首輪までつけられて、それがベッドのフレームに頑丈な鎖と錠を使ってくくり付けられている。
なぜフォウトは女の子を買ったのか、それは宝石を買い集める感覚なのか、コルトはそう理解していた。だが、大間違いだった。宝石なんて聞こえがいいものじゃない。こんなの、まるで、家畜の扱いではないか。
コルトは頭に血をのぼらせて剣を拾いベッドへ飛び乗った。そのまま無我夢中でラフィスのもとへ行き、ベッドの上に流れている鎖へ剣を振り下ろした。何度も、何度も、薪割りよりも力を込めて。金属が傷む耳障りな音が響き、刀は徐々に刃こぼれしていく。それと共に鎖も少しずつ歪んで開いていく。
最中、敵の男のことはアイルが制していた。銀の槍を突き出し牽制している。もっとも最初の噛みつきが相当効いたらしく、頬傷の男は右腕を穴の開いた袖の上から押さえてろくに動かず、ただ苦い表情を晒している。
「『銀燭』のアイル=ノーザニクス……貴様は確か……」
「今はただの雇われボディーガードで、雇い主の便利な道具さ。変に遠慮はいらんぜ」
指を曲げて挑発すると、頬傷の男はますます渋い顔をした。アイルのこととコルトのことを交互に見て、両方との距離をはかっている。
そして男は結局、挑発には乗らなかった。なおかつコルトのことも諦め、部屋から脱出すべく走った。どうやら脚力が人の基準を大きく外れて強いらしい、並みならぬ瞬発力で発進した上に急な方向転換で、アイルもとっさには追えなかった。
その頃、コルトの方は仕事を終えかけていた。鎖の一か所が大きく開きかけたところで剣を放り捨て、後はむりやり引きちぎる。頑丈な鉄の鎖だが、怒りと根性とでねじ伏せた。これで拘束の第一段階は解けたことになる。
「コルト……!」
「ラフィス――わあっ!」
ラフィスに飛びつかれた。手足の自由が狭いせいで、縋りつかれるかっこうだ。力はかなり弱々しいが、虚をつかれたことでベッドに押し倒された。
コルトの胸に顔をうずめ、ラフィスはすすり泣いている。それをコルトは抱きしめた。やせた体に宿る温もりをしかと確かめた。それから、伝えなければいけないことがある。
「ラフィス、ごめんね、僕が弱くて馬鹿だったから、こんなに怖い目にあわせちゃって。本当にごめん。もう少し待ってて、今、こっちの鎖も切るから」
そこへアイルが近寄って来た。妙に緊迫した面持ちだ。
「すまん、逃がした」
「もういいよ、ラフィスは助け出したんだから」
「まだ助けてないだろう。屋敷から出ないと」
コルトはハッとさせられた。彼の言う通りだ、ラフィスを見つけたことですっかり安心していたが、ここはまだ仇の懐の中である。いつどうやって状況が逆転するかもわからない危険な場所なのだ。現に頬傷の男を逃がしてしまったのはマイナスだ、地下は一本道かつ袋小路、先回りされて出口を塞がれたら閉じ込められてしまう。
急いでここから逃げ出そう。コルトはアイルに向かって強く頷いた。
「僕がラフィスのことを背負うよ。だからアイルさん、脱出の道を切り開くのは全面的にお願いしていいですか」
「任せろ」
ラフィスには悪いが、枷を開放するのは後まわし、とにかく安全な場所に着いてからだ。コルトはラフィスのことを掬い上げるようにして身を起こし、背負った。何をしようとしているのかラフィスも察したのだろう、一切のためらいなく身を委ね、落ちないように肩を掴んでくれた。
コルトとラフィスの間にはそれほど体格差があるわけではない。しかも半分が金属でできている体はコルトの想像以上に重かった。しかしコルトは歯を食いしばって立ち上がった。この身で彼女を守ると言った以上、背負わなければいけない重みだから、と。




