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半機の少女 ラフィス ―古の少女と導きの少年の物語―  作者: 久良 楠葉
第一章 山村の少年と異空の少女
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決意の夜 2

「どうし……ムグッ」


 ラフィスの手で口が塞がれた。柔らかく温かい左手だ。無機質な逆側の手は、人差し指を立てた状態でラフィス自身の口元に添えられている。静かにしろ、ということらしい。


 ――どうしたんだ?


 わけがわからないが、なんらかの異常事態が起こっているのは察せられた。夜闇の中でぱちくりと瞬きを繰り返している内に、寝起きの霧も頭からすっかり失せて、脳がばっちり回り始めた。


 ラフィスがコルトの口から手を放し、すっと別の方向を指さす。その先にあるのは窓だ。


 口元に立てた人差し指はそのままに、ラフィスは付いてこいと言わんばかりに窓辺に向かった。そして、あれを見て、と隙間の向こう、村の風景を指さす。


 コルトは言われるがままにそっと隙間を覗いた。


 紅い月の位置からするに、真夜中と言っていい時間帯だ。しかし村の広場にはかがり火が焚かれていて、人影もちらほら見える。大人の男ばかりだ。彼らの手には斧や鍬やマチェットといった、農林作業用具が握られている。が、今は本来の目的ではなく、武器として携えているようだ。


 このところ村の近くに熊が出る。村に侵入されて事故が起こったらいけないから、村人一丸となって対策に乗り出した。昼間にコルトの父親らが仕掛けに行った罠もそうだし、夜には火を焚き交代で番をすることになった。だから男たちが身を守る武器を持って真夜中の村をうろついていても、別におかしくないことである。


 ただ。その警戒が村の外ではなく、明らかにコルトの家に向けられているとあっては訳が違ってくる。暇そうにしている男たちが、しきりにこちらを見あげてくるのだ。おそらく向こうは気づいていないだろうが、何度か視線もかち合っている。


 コルトは心臓に水を浴びせられた心地になった。強張った面持でラフィスを見る。


 ラフィスも同じことを考えているようだ。肩を落として萎縮しながら自分のことを指さし、それから心臓を突き刺す動きをして見せた。


「ひどいや」 


 外に響かないよう小声でこぼした。父は何も言っていなかったが、これも寄合で決めたことなのだろう。いくらなんでもひどすぎる、ただ他人と見た目が少し違うだけなのに危険な化け物扱いだ。本当にそんなものであったら、まず自分がとっくに生きていないだろうに。コルトはとめどなく溢れるむかつきを歯で噛み殺した。


 ラフィスのことがなくたって、監視されていると思うと不愉快だ。文句の一つくらい言ってもいいだろう。コルトはベッドの下に入れておいた靴を履き、外へ出ようと部屋の入り口に向かった。


 と、その時。階段を降りた先にまだ明かりが灯っていることに気が付いた。


 おかしいな、と思った。今は真夜中、両親とて就寝している時間だ。父は先に話した時に「もう休む」と言っていたのだし、外の連中に混じって夜警をしていることもなかろう。


 ただの消し忘れ? 両親に何かあった? 泥棒が入った? それとも――嫌な汗をかきながら、足音を殺して階段の縁まで忍び寄る。そこで全神経を尖らせて階下の様子を伺った。


 話し声が聞こえる。声が低くかつ遠くて、内容まではさすがにわからない。場所は多分さっき家族で話したのと同じテーブルだろうが、今いる位置からは見えない。


 コルトの背後に影が差す。振り向けば、ラフィスが不安そうに胸に両手を当て立っていた。


「ちょっと調べてくる。ここに居て」


 囁くように言いながら両手を胸の前で立て、待て、とジェスチャーで示す。するとラフィスはこくりと頷いた。


 コルトは静かにゆっくりと階段を降り、忍び足で会話の主が見えるところまで移動した。具体的には、台所に面した部屋の入り口近くまで。


 蝋燭の灯りに照らされる薄暗い空間で、テーブルに向かい合って座る二人の人間。さっきコルトが座っていたところに居るのが父で、対面に居るのはイズ司祭であった。なにやら深刻な面持ちである。母の姿はない。眠っているのか、それとも聞かせられない話だと遠ざけたのか。


 真夜中の秘密の会談、ろくなものではない気がする。コルトは息を詰まらせながら、死角にこもって耳をそばだてた。


「うちの息子はただ優しすぎるんです。優しさに罪は無い、そこはわかってくださいお願いします」

「大丈夫です、コルト君を咎めるつもりはありませんよ。コルト君を『時忘れの箱庭』へ導いたのは、紛れもなくルクノール様の意志です。あの忌々しきものを早く暴いてくれ、と。神の御心に従っただけですから、行為そのものはなんの罪にもあたりません」

「でしたら、司祭、もう少し様子を見ることはできませんか」

「いけません、それだけはなりません。見ましたでしょう、あの異形の姿。この世のものではありません。かつて神が失せ狂った世で生まれた、世界に破滅をもたらすエスドアの手先そのものです。今すぐに滅しておかねば」

「しかし……子供なのだぞ」

「それも我々を陥れるための罠。女子供の姿であれば油断すると。卑劣な手を辞さぬのがエスドアです。動かれる前に、こちらが動かなければなりません」


 しめやかに繰り広げられる会話を耳にして、コルトは呆然自失となっていた。


 ――父さんたちは、何を言ってるの?


 罪、何が? 忌々しきもの、誰が? 滅する、誰を? 答えは、深々と考えなくともわかること。


 全身の血が凍りついた心地だ。それなのに、あちこちから汗が吹き出してくる。息が苦しくなり、じっとしてられなくなって、だからコルトは隠れていた場所からふらりと現れた。


「……どういうことなの?」

「コルト!」


 大人たちもコルトが見せたと同じくらいの驚き顔になった。特に父がここまでうろたえた姿を息子に見せたのは、これが初めてだった。


 父が慌てて椅子から立ち上がり、コルトのもとへ小走りにやってくる。


「司祭と大事な話をしているんだ。大人同士の話だ。おまえは部屋に戻りなさい」

「やだ!」


 父に掴まれた肩を振りほどく。両親へ明確に反抗したのはこれが初めてだった。父は渋い顔をしながら、再度息子を場外へ押しやろうと腕をつかむ。今度は込められた力も強くなっていた。


「コルト! お願いだから言うことを――」

「待ってくださいバークさん」


 親子の小競り合いにイズ司祭が制止をかけた。テーブルに両肘をつき、口の前で両手を組んだ格好で、相手を諭すような優しい笑みを浮かべている。しかしどことなく困った風であり、また諦めの感情も滲んでいる。


「コルト君にはきちんと教えましょう。心にささくれを持ったまま過ごすのは望ましくありません。私の方から話します。コルト君、こちらへいらっしゃい」


 コルトはしかめ面のまま、招かれるのに従った。ただし椅子には座らず、立ったまま司祭の隣につけた。こうする方が目線の高さが少しだけ近くなる。


 司祭も特別立つ座るを強制せず、コルトの目をまっすぐに見たまま、真面目な顔つきで口を開いた。


「コルト君。黙示録の終末の章はわかりますよね?」

「え? いいえ」

「なんと。お勉強が足りませんよ。お渡ししている聖典にもきちんと収録されています。聖ミラルゴが受けた啓示を書き記したうち、この世の終末に関する預言の章です」

「預言、ですか」

「ええ。その預言された終末の時がまさに今の時代、世界は既に崩壊へ向かって動き始めてしまっているのです」

「まさか!」


 信じられないと目を丸くし首を横に振る。いくら司祭の言うことでも、さすがに冗談が過ぎると思う。それにラフィスとの関係もまるでわからない。ラフィスが現れたから世界が滅ぶ、とでも言うつもりなのか。そんなめちゃくちゃな理屈、子供でも主張しない。


 不信に揺らぐコルトの心中を測ってか、司祭は何を言われるより先に説明を続けた。


「黙示録の一節にはこうあります。『黄昏を告げる道化が舞い踊り 封じられた災厄が目を覚ます』と。さて、コルト君。封じられた災厄とは一体なんであるか、さすがにそれはわかりますよね」

「……エスドア。反逆の使徒、エスドア」

「その通り。我らが神に叛き世界を滅ぼした恐ろしき災厄、神により封じられた悪逆の使徒、エスドア。この村では未だ影響のないことなのですが……実はそのエスドアが今、再び地上に現れ暴虐を働いているのです」

「えっ、エスドアは地上に居るの!?」


 コルトは先ほどとは別の意味で目を丸くしていた。てっきり雲の上の存在だと思っていた。それが地上に居るのなら、会いに行くことも可能かもしれない。一筋の光明だ、希望ができた。


 にわかに心浮くコルトであったが、司祭は彼の反応を表面通りの驚愕と取ったらしい。深刻な顔で頷き、重苦しく言葉を重ねる。


「そうです、そうなのです。黙示録に示された終末の時は既に始まった、このままでは世界は滅びます。神のしもべたる我らは、破滅を防がなければなりません。それが神の意志であるからこそ、黙示録というかたちで我々に警鐘が鳴らされたのです」

「だからって、それがラフィスとどんなの関係があるんだよ」

「あれはエスドアのしもべです。かつてエスドアがこの世を蹂躙した時、翼を携えた異形の怪物がエスドアと共にあった。それがあの娘でしょう。コルト君、あのものはきみを利用して自らを蘇らせ、エスドアと共に世界を滅ぼすつもりなのです。だから急ぎ対処しなければなりません。そうして世界を守ることが、神より我々に与えられた使命です」


 司祭は大真面目に言い切った。テーブルに置かれた蝋燭の火によって落とされる陰影が、いっそ冷徹な悪魔が居座っているかのように見せる。


 コルトの頭に熱いものが昇った。ぎゅっと握った拳が震えている。子供では我慢しきれない感情の激流を、そのまま口から吐いてぶつけた。


「ふざけるな! なんでだよ、なんでそんなひどいことが言えるんだ! 全部司祭の想像じゃないか、ラフィスは何も悪いことしていない! それなのに!」


 勢いのまま拳を振り上げる。が、それは降ろされる前に父によって後ろから掴まれた。そのまま引きずられて、司祭から離される。


「父さんも! なんで、どうして……」


 ショックだ。味方になってくれなかった、それどころか、隠し事をされていた。黙示録云々の話は、寄合の時にはもう大人たちの間に吹きこまれていたはずだ。でなければ、あんな風に夜通しの監視に賛同してくれやしないだろう。知っていたのに教えてくれなかった、裏切られた気分である。


 コルトは唇を噛んで父を睨み見上げた。目はひどく潤んでいて、蝋燭の光をよく反射していた。


 父は父で渋い顔をしてコルトを見ていた。


「そんなの、おまえが大事に決まっているからだ」

「そのためならラフィスを殺せるって? そんなのおかしい! そんなことなら、僕のこと大事にしてくれなくたっていいよ!」

「コルト……」


 父は悩まし気に目を閉ざし、どこか傷ついたような表情を見せた。しかし今のコルトにはさっぱり意味のないことで、吠えたてるのを止めはしない。


「ラフィスは僕の大事な友だちだ! 友だちと仲良くしたいって言って何が悪いの!? 守ろうとする僕がおかしいって言うの!?」

「コルト君、落ち着きなさい! ご両親に迷惑をかけない、そういう約束だったでしょう!?」

「だけど!」


 ――どうしたらいい!?


 このままでは平行線、コルトは折れる気がないし、司祭たちもそれは同じだろう。大人と子供の埋めがたい差、多勢に無勢の状況、力ずくでラフィスを連れ去られてしまう結末になることは見えている。なんとかしなければ、どうにかしなければ。コルトは悩んだ。


『汝、勇気あるものか』


 ふと、神殿で聞いた男の問いが呼び起こされた。勇気? 無いこともない。勇気を出して一歩踏み出せば、状況を変えることができるのだろうか。――ああそうだ、できる。やりようはある。思いついた。


『ラフィスを託す、導いてくれ』


 コルトは心の中で、わかったよ、と答えた。決意はできた。


 コルトは一気に身を反転して、部屋の外へ駆け出した。全速力だ。大人たちは突然のことに呆気にとられて動けないでいる。その隙に階段を駆け上がった。


 ラフィスはきちんと階段の上で待ってくれていた。身を乗り出して階下の様子を伺っていたようだが、コルトが並ならぬ気迫を湛えて戻ってきたのを確認したところで、さっと立ち上がった。


 暗闇の中でラフィスの目が不安げな光を湛えている。その目を真っ直ぐに見ながら手を取り、真剣な顔で告げた。


「ラフィス、一緒に逃げるよ。ここに居たら殺される。行こう、村の外へ!」


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