銀の灯燭 4
夕方、コルトは応接室のソファでこっくりこっくりと船を漕いでいた。そこへ誰かが入って来た音がして、はっと目を覚ました。
入って来たのはアイルだった。
「ああ、寝てたか、悪いな」
「ううん、平気……」
「また少し出かけるが、付いてくるか? 町の外の人が居ない場所だ」
「じゃあ行きます」
単なる用事なら一度出かけたついでに済ませればいい、それをわざわざ誘いに戻って来たということは理由があるはずだ。
アイルが応接室の片隅にある棚から、例の光る石がはまったハンドライトを取りコルトに渡した。町の外は真っ暗だから、と。コルトは握り拳に収まるそれをジャケットのポケットにしまい、アイルについて出かけた。
外は日没間際でまだ真っ暗になりきらない。しかし大通りに比べると屋外灯も少なく、人通りも既に引いているため、感覚的には夜更けと同じだ。
アイルはギルドの建物の前、石畳の道の真ん中に立つと、一つ質問をした。馬には乗った事があるかどうか、と。コルトは質問の意図をはかりかねつつ、首を横に振って答えた。
「じゃあ、またがった後は姿勢を低くしてしっかり背中にしがみつけ。首を絞めない程度になら、腕を回してもらって構わない」
一瞬、よその世界の人と会話している気分になった。だが直後に意図に気づいて、コルトは慌てた。
「もっ、もしかして背中に乗れってこと!?」
「慣れておいた方が明日のためじゃないか」
「そうかもしれないですけど……」
ジャスパの馬車の御者席へ乗せてもらった時の恐怖が蘇り、コルトは身震いした。
そんなコルトの前でアイルはさっと変身した。心持ちが変化に影響するのか、室内で見た時より一回り体が大きくなっているような。胴も四肢もがっしりとしていて、背負われるのに不安になる体躯ではない。ではないのだが……
――ええい、やけくそだ!
コルトは思いきってまたがった。言われた通りに身は低くし、手には長い毛を絡めたが、首へは手を回さず肩のあたりにしがみつくにとどめた。本当に怖くなったら、訳も分からない内に絞めてしまいそうだから。
コルトの位置が決まったところでアイルは動いた。勢いをつけて、まずはギルドの建物の外階段を駆け上り、隣家の屋根へと飛び乗った。そこで身を反転させると、今度は道路を挟んだ向かいにある屋根へとアーチをかいて飛び移り、後もひたすら屋根の上を駆け抜ける。図体からは信じられないほどに軽い足取りで、速く、あたかも自然に吹く風のようだった。
揺れは激しい。コルトは身をぺったんこにしてしがみ付く。でも目はしっかりと開けて、自分の置かれた世界を見ていた。点々と灯る街灯の光の道を眼下に置き去りにして宙を進んで行く、普通は体験しえない不思議な感覚だ。空を飛ぶのはこのような感じなのかもしれない。
あっという間に町を南側へ抜けた。建物がまばらになったところで地面に降りたものの、変わらず駆け続ける。
畑地がある地帯を抜けると、そこそこ広い川の近くへ出た。辺りは真っ暗だが水音で川の存在が知れる。流れに飲まれない距離は保った川辺で、アイルはゆっくりと停止した。
コルトは何もしていないのに、ぐったりと疲れていた。半分崩れるように地面に降りる。下は存外斜めで、砂利の音を鳴らしながらたたらを踏んだ。不安になってポケットからハンドライトを出し、試行錯誤でスイッチを見つけて灯した。その光がまず照らしたのは、隣で白銀の獣が人型に戻る光景だった。
「初めてなら上出来だ、叫ばなかったしな」
「叫んでいる暇がなかっただけです……」
アイルは少し川の方へ歩くと、斜面で仰向けに寝そべった。コルトも不審に思いながらも付いて行き、隣に並んで座った。
それから何が起こるのかと思いきや、何も起こらない。しばらく待っても目に見える変化が無いし、無言だ。最初は砂利の間に生える草を無意味にむしって暇をつぶしていたコルトだったが、すぐにしびれを切らしてたずねた。
「結局なんのために来たんですか」
「星を見に来た。こういう場所の方が、気が落ち着く」
コルトも上を見あげてみた。なるほど満天の星だ、月が無いおかげで一際強く輝いているように見える。そう言えば、ゆっくり星を見るのも久しぶりだ。最近はそれこそ気が穏やかでなかったし、ジャスパと行動を共にしていた間は、夜は移動の時間で幌馬車の中だったから。
思わず長いため息を漏らす。するとアイルが体勢をそのままに、ぽつりと話し始めた。
「星は、うちのギルドの名前のゆえんだ。俺じゃなくて、ジルがつけたんだがな」
「……どうしてそうなるのか、よくわからないです」
「ジルは星の光は暖かいものだと言う。あれは人を導く銀色の灯りで、人の魂の火そのものだってな。……正直、俺もよくわからなかった。暖かい光って、赤色かオレンジ色か、要するに炎の色だろう? 白い光なんて冷たい雪の光だ」
「えっ、雪って光るんですか?」
「発光するわけじゃないが、月の明るい夜とか、光っているように見えるだろう?」
「んー……そうかな」
言われてもいまひとつ共感できなかった。雪の夜なんて寒いから固く戸を閉めて家の中だ、まじまじと景色を眺めたことがない。
もやもやとした気配を立ち昇らせていると、アイルが、感覚が少し違うのかもしれない、と、空を仰いだまま語り始めた。
「俺はノスカリアの生まれじゃないんだ。ずっと遠くの、世界の北の果てにある雪国の出身でね。向こうはほぼ一年中雪と氷に覆われていた。よく晴れて月の綺麗な夜は、外一面が白くぼんやりとした光の世界だった。でもそれは暖かい光の真逆で、生物の命を削り取る冷たくて恐ろしい光だ。こんな風に外で寝そべって眺めるなんてとてもできなかった」
コルトは目を見張った。季節に関わらず一面が真っ白の雪に覆われている世界、そんなところがあるなんて。延々と続く氷雪の地で果たしてどのように人は暮らしているのか、それには想像力が及ばない。でも生きる術があるからこそ、アイルは今ここに居るのだ。素直に感心した。
ただわからないのは。
「なんでそんな話を僕にするんですか?」
「どうでもいい話をする方が、気が紛れるだろう」
「じゃあ、どうでもいい話をするために僕を連れ出したんですか」
「ああ。それと、うちの奴らの誰かが帰って来たら、余計なこと言うかもしれんしな」
言わんとすることをコルトはぼんやり悟った。よそと同じく、大商会を敵に回すような危ない話を請け負うことを良しとしない考えの人が居るのだろう。いくらリーダーが決めたことでも、ギルド全体の存亡に影響するならだめだ、むしろリーダーとしての責任を問われかねない。
それならば、と、昼間にも少し浮かんだ疑問がより高く首をもたげた。
「アイルさんは、どうして僕を助けてくれるの? シェリさんに頼まれたから? それでたくさんのお金がもらえるから?」
「まあ、肝はそうだが。じゃないと、タダ働きはすんなって、うちの財布握ってるやつらがうるさいからな……」
「えっ。タダ働きする気があったってこと?」
「あんな話を聞いて放っておけるかって。気分が悪い」
聞いた側でなんだがと思いつつ、コルトは舌を巻いた。本気で言ってるならとんでもないお人好しだ、そして嘘をついている風ではない。ごまかす気があるなら、もっといかにもらしい理由を並べ立てるだろう。
「なんで」
「ハハハ、そればっかりだな」
「うぅ、でも……」
「気にするな。いつか俺もおまえに助けてもらう事があるかもしれない。お互いさまさ」
コルトは恐縮し、膝を抱く手に力を込めた。自分が人を助けるなんて――アイルが冗談半分だとしても――そんなことあり得ない。あれだけ大事にしていたラフィス一人すら守りきれず、一人で取り返すことだってできなかった。それどころか、危険が迫りくる肝心なところではいつだってラフィスに助けられてばかりだった。それなのに。
「僕には、無理だよ。アイルさんは僕よりずっと強いもの。それを僕が助けるなんてできない、そんな偉そうなこと言えない」
「でもおまえは、ラフィスちゃんだっけか、女の子のことをずっと守って来たんだろう」
「ラフィスだって僕より強いんだ。ほんとは僕が守るなんて言える立場じゃない、でも僕しか居ないから頑張ってるだけだ」
「……嫌々やってるのか?」
「そんなことない! けど……」
コルトは言葉を失くした。気持ちと行動が、理想と現実が噛み合っていない自覚はある。何を言っても負け犬の遠吠えにしか聞こえまい。悔しい、だが、無力なのは事実だからどうしようもない。
暗くうつむくコルトの横顔をアイルが静かに見ていた。そして、諭すように言った。
「守るってのは、別に弱い立場の相手を思いやるだけの行為じゃない。強い人がいつまでも強くあれるように守るってのも、十分動機として成立するさ」
「強い人がいつまでも強くあれるように……」
「ああ。苦しい時に支えになったり、単に話を聞いてやったり、強い弱い関係なくできることがある。そういう所で全力で尽くしてやればいいんだ」
それはある意味、今までやってきたこと。それでよいのだと認めてくれるのか。鬱屈とした闇に明かりが灯ったような、そんな気分でコルトは顔をあげ、アイルの事を見た。彼は小気味よい笑みを浮かべていた。
「大丈夫だコルト、おまえなら好きな人を守れるさ。明日は俺も全力でサポートする」
「……うん!」
コルトは晴れ晴れとした星空を見上げた。星は人の魂そのものか、それはわからないが、ラフィスはまだあんな空高く手が届かないところへは行っていないはずだ。どうしているのかはわからないし、心配だ。でも今願うのは、ただ生きて待っていてほしいということ、それだけだ。
――明日必ず助け出すから。今度はちゃんと守るから。お願い、無事で居てよ、ラフィス。




