銀の灯燭 3
「だめ、全然わかってない」
「わかってないって、なにがだよう!」
「あなたはアイルを雇ったの、だったら最大限うまく使いなさい。彼に指示をすることも依頼主の責任よ」
「そんなこと急に言われたって……アイルさんの方が歳上だし、しかもギルドのリーダーだって言うし。僕が偉そうに指示するなんて……」
「そういうのを気にしないための雇用関係、主と従の関係よ。やると言ったからには責任を果たしなさい」
相変わらず厳しい物言いでコルトは辟易する。しかし今回は割と正論だ。さっき頭の中に描いた図では自分一人が忍び込んで、ラフィスと二人で脱出していた。これではギルドに来た意味がなく、こうして会話をしている時間も無駄だとなってしまう。
コルトは改めて姿勢を正し、アイルの事を正面から見た。
「あの。アイルさんも異能者なんですよね。何ができるんですか?」
「ん、そうだなー―」
アイルがおもむろに右腕を持ち上げた。その手の中に光が閃いた、と思った次の瞬間、銀の槍がコルトに向けられていた。顔面間近に現れキラリと光る槍の穂先を注視し、ひゅっと息を飲んだ。
直後、槍が消えた。そう思ったら、今度は対面に座る人の形そのものが膨張するように変形する。あっという間に肌も服も白い毛に覆われ、形は、四つ足の獣のそれになっていく。
そして巨大な獣がコルトに向かって飛びかかってきた。
「うゥぎゃっ!」
叫び声はコルトのものだ。反射的にソファへ仰向けに崩れた、その上を獣は飛び越して、背もたれの裏へと着地した。
そして背もたれに前足をかけ、黒いたてがみを持った獣の頭がひょっこりと現れた。一番近いのは狼だ、鼻筋は長く耳は三角で立っている。金色の瞳は理知的で、じっとコルトを見下ろしている。長めで白い毛はまるで雪のよう、キラキラと輝いている風に見える。
コルトが唖然と見ている中で、獣は元の人型に戻った。
「あんまり器用なことはできないが、多少の無茶なら効かせられる」
「ハ、ハハ……はい」
コルトの心臓はまだけたたましく騒いでいる。大型の動物に飛びかかられる本能的な恐怖だ、正体が理性ある人間とわかっていても体が反応してしまう。
ともあれアイルの能力はわかった。かなり戦闘寄りのタイプで、人知れず潜入することが目的の作戦では正直なところ不要、むしろ目立ってしまって逆効果だ。しかしその単純な力こそコルトに一番無いものであり、必要であるものだ。それがあれば不測の際に運を天に任せなくても済むし、無理を押し通すことができるからして。
そうすると、アイルに頼む役割も決まる。コルトはソファの上で正座し、後ろ側に居る青年へ膝を向けた。
「僕と一緒にフォウトの家へ侵入してください。ラフィスが気絶していたりしたら、僕一人じゃ支えきれないから。それと脱出までの護衛役も。ばれたら戦わなきゃいけないと思いますし、僕じゃどんな逃げ道がいいかもわからないし、案内してもらえると嬉しいです」
「わかった、任せろ」
二つ返事が実に頼もしかった。
やることは決まった、それならすぐにでも。そんな気持ちがはやってコルトはソファからはね降りた。――さあ、行こう! そう宣言する、つもりだった。
だが先にシェリからのきつい口調で制止がかかった。まるで心を見透かされたようだった。
「あのね、着の身着のままで飛び出して行ってどうするつもり?」
「やり方は決めたんだ、後はやるだけだろ」
「それを無謀と言うのよ。あなたは口だけが達者で行動が伴わない」
「だからこれから行動するんだって! いちいちうっとうしいな!」
つい本音が漏れたこと、さすがに失言だったと後悔した。しかしシェリ自身はまったく気にしておらず、涼しい表情を保っている。
「コルト君、あなた、お芝居は好き?」
「お、おしばい?」
「芝居を知らないならお祭りでもいいわ。それもだめなら料理でも、農耕でも、食肉解体でも、なんなら戦争だっていい」
コルトは少しドキリとした。戦争、その言葉で先ほども思い起こしたばかりのラフィスの記憶がフラッシュバックする。まさか知っているはずがないし、偶然の言葉選びなのだろう。だがコルトの胸中にはもう、シェリに対する警戒心が満ちあふれていた。
「それで、何が言いたいんですか」
「口だけで『こういう風にしたいです』と取り決めただけじゃ準備とは言わないの。作戦会議をしたところで意味がない。描いたシナリオを完成させるのに必要な道具を揃えること、流れを頭に叩きこみ必要なら練習する時間を作ること、後片付けの段取りをつけておくこと。少なくともそこまでやって初めて『しっかり準備をしました』と胸を張って言えるのよ」
コルトはむっとしつつも言い返せなかった。芝居はともかく、お祭りなら村にもあったからわかる。大人たちは何日も前から準備だと、倉庫に片づけてある道具を掃除したり修理したりしていた。確かに役割分担をしていた。楽器演奏の役に当たった者たちは、彼らだけで集まって練習をしていた。お祭りお祭りだと騒いでいるだけで準備期間を過ごせたのは、小さな子供だけだった。
コルトが過去を振り返っている間に、シェリがさっと立ち上がった。
「私に一日だけ時間をちょうだい。できる限りの準備をしてみせるから」
「い、一日!? そんな、すぐにでも行かないとラフィスが……!」
それに加えてシェリ個人に対する不信感もある。一日の空白を与えてしまったら、裏で何をしているのかわからない。そもそも彼女の素性がはっきりとしないのだし。
しかしシェリは有無を言わせず部屋を出て行く。コルトは彼女の歩みに合わせてソファの上で身を回転させ、ドアを開けるギリギリで呼び止めた。
「あなたは一体、何を企んでいるんですか。なんのつもりなんですか!」
「さっきも言ったでしょう、私は私自身と、ノスカリアと、ラフィスのためにあなたを支援する」
「信用できない」
「そう。別に構わないわ。それじゃあ、また明日。もし自分で来られなかったら人を寄越します」
そして軽く手を振って去って行った。呆気なく閉じたドアを、コルトはソファにかじりつくようにしながらじいっと睨んでいた。
そんなコルトを見下ろす影がぬっと差す。アイルだ。
「それで、どうするよ。今から出るか? 明日まであいつのことを待つか?」
「……待つ」
「いいのか」
「だって、無視して失敗したりしたらラフィスが危ないし。それに、またあの人に馬鹿にされるし」
ふて腐れた物言いのコルトを、しかしアイルは笑わず、代わりに頭の上に手を置いて髪をわしゃわしゃとやった。
「なあコルト、おまえ、ちゃんと飯食ってるか」
「え、ええ? 急になんですか?」
「飢えはよくない、頭が鈍るし心は狭くなる。おまえ何歳だ?」
「十二歳ですけど……」
「なおだめだ。今が一番体が大きくなる時だ、飯食ってないとでっかくなれないぞ」
アイルは指を曲げて「来い」とジェスチャーを出してから、ドアの方へと歩いていく。コルトは首をかしげながらも、素直に後ろへついて行った。
しばらく後、コルトは酒場のカウンターにて口をあんぐりと開けていた。目の前に並ぶいくつもの皿、ふかっとしたパンケーキに、大きなオムレツに、鮮やかな青菜の炒め物に、カリッと焼いたベーコンに、ホカホカのタマネギスープまで。すべてコルトのために調理され、しかも全部がたっぷりと形容できるだけの量がある。アイルの一言二言で、カウンターに居た女性が腕をふるってくれたのだ。
「これ……こんなに食べていいの!? 僕、お金ないよ!」
「まとめてあいつに請求するからいい。それじゃ嫌ってなら、まあ、俺のおごりだ」
でも、とコルトは申し訳なく思った。しかしお腹は正直に鳴るし、目の前で湯気と共に立つ匂いを嫌でも吸うからよだれも出るし。だって今日は一切飲まず食わずだから。
「……いただきます」
コルトはまずパンケーキに手を付けた。フォークで小さく切り取って一口、優しく柔らかく温かく甘く、口に入れたとたんに体の中で明かりが灯ったような気持ちになった。
一度口にしてしまったら後はもう止まらない、最近まともな食事をしていなかった反動もあって、欲望に忠実に料理を次々口に放り込む。品もなにも知った事かと言わんばかりだ。
そんなコルトの様を、アイルは右隣の椅子でカウンターに頬杖をつき見守っている。嫌味なくほほ笑んで、満足気でもあった。
そのアイルに向かってカウンターの中に居る女が、少し身を乗り出した上で声も小さめにしてたずねた。
「ねえ、あの子と喧嘩でもしたの」
「いつも通りの感じだ。別にたいした事じゃないさ」
「そうならいいけど。ちょこちょこ喧嘩しているみたいな声が聞こえて来たから」
壁が特別薄いってわけじゃないのにね、と彼女は失笑した。アイルは単に肩をすくめて答えた。
いくら声を小さくしたってすぐ隣の会話だ、食べることに集中していても音としては聞こえてくるし、特に今のコルトは「笑われる」事へやや過敏になっているから、話の内容までしかと聞いていた。あの子、というのは、この場に居ないシェリのことだろう。
彼女についてはこちらからも聞きたいことがある。コルトは皿から直にスープを飲み干すと、アイルに向きなおった。
「ねえ、シェリさんは結局何者なんですか」
「何者ってのは」
「どういう立場の人なんですか。別のギルドの人? すんごい偉そうだけど、どういう関係なんですか?」
「本人が言わなかったのなら、俺からは何も言えない。守秘義務ってやつだ」
「しゅひぎむ……?」
「雇い主の情報を勝手に他人へ漏らさないこと、だいたいどこのギルドもそうしている」
「暗黙の掟ってやつですか」
「わかってるじゃないか。ただ、あいつについては、おまえが考えているほど悪いやつじゃない、ってことは言いたい」
アイルははっきりと言い切った。遠慮も裏も無い様相だった。
コルトは口を尖らせた。仮にいい人であったとしても、思い出される態度と物言いは、終始上からの目線でこちらをあざけるようだったし、その癖こちらの質問は煙に巻くし、で。
「でも、むかつく人だった。……嫌いだよ」
「信用できないか?」
「うん。どうしてアイルさんは大人しくいう事を聞けるの。お金をもらうにしたって、あんな人と関わるのは嫌じゃないの」
コルトが食らいついても、アイルは表情を変えなかった。もし嘘でも「そうだな、嫌なやつだよな」と同調してくれれば、自分は間違っていないと救われた気分になるのに、そうしてくれもしない。カウンターの内にいる女も会話に割り入らず、むしろ急に少し離れて調理道具の片づけを始める。
コルトはいらだち混じりにベーコンをフォークで突き、口へ詰め込んだ。頬を膨らませたところで、ようやくアイルが口を開いた。とても落ち着いた声色だった。
「じゃあ、俺のことはどうだ。信用できそうか」
コルトは頬張ったままでアイルの顔を見た。当然目が合う。まっすぐな金色の目だ。強くて澄んでいて、先ほど見た白き獣の姿も相まって、畏敬を抱くべき大きな存在の瞳にすら感じられる。
コルトはふるふると首を縦に振った。そして口の中のものを飲みこんでから答える。
「アイルさんのことは信用できる」
「どうしてだ。まだ会ったばかりだろう」
「だって、親切にしてくれるから。僕の話を聞いてくれるし、ご飯も食べさせてくれるし、助けてくれるって言ってくれたし」
「全部おまえを騙すための作戦かもしれんぞ」
まだ新しい心の傷を突かれ、コルトは顔を暗く曇らせた。そんなコルトにアイルは懇々と説く。
「人は一面じゃ決まらん。おまえの知ってるシェリはほんの一部だし、おまえの知ってる俺も同じ。おまえが知らないシェリを俺は知っている。だから、俺はあいつのことが好きだし、信用しているし、頼み事は聞いてやりたい。ま、あんまり無茶苦茶な話なら別だがな」
軽快な笑い声が響いた。
――僕の話も、だいぶ無茶苦茶だと思うけど。
コルトは内心に呟いた。いくら好きな人からの頼み事とはいえ、他の人たちが正面切って関わりたくないと言った話なのに。実際にやること、人の家に嘘の身分で侵入することだって不法行為だのに、どうしてアイルは却下しなかったのか。なんとも思っていないのだろうか。
「なあ、コルト」
「あ、はい」
「別に嫌いでもいいんだ、難しく考えるな。大事なのは、おまえの友だちを助け出すことだ。そこに協力するって言ってるんだから、素直に利用させてもらえ」
それだけ言うと、アイルは不意に席を立った。
「じゃあ食ったら明日に備えて休めよ。ここに居れば商会のやつらももう来ない。さっきの部屋も自由に使っていいし、困ったらジル――ああ、そこの『お姉さん』のことだ、ジルに相談しろ」
「アイルさんは?」
「ちょっと出かけてくる。心配するな、日が暮れる頃には戻る」
そして悠々と外へ出て行ってしまった。
困惑しているコルトのもとへ、くし切りのオレンジが盛られた皿がカウンターより差し出された。良い食べっぷりだからサービスだ、と。お姉さんはとても優しい顔で笑っている。
コルトは素直にオレンジを一切れ取ってかぶりついた。みずみずしくて存外甘いが、軽く爽やかな味だった。




