銀の灯燭 1
シェリに付き従って時計塔を中心とした時の南西区域へとやって来た。このあたりは東側のように商店街として賑わっているわけでなく、また北の高台のような洗練された雰囲気もない、ごくごく普通の町だという風に家屋が並び道が交わっている。おもしろみには欠けるものの、逆に落ち着く。
いま歩いている石畳の道は、この区域では比較的広い方にあたる。遠くに見える時計塔を起点とするなら、西南西の方向へ通り抜けている。
通りの途中、角地に外階段がある木骨づくりの建物が現れた。少し先行するシェリはその前で立ち止まり、はじめてコルトを振り返った。
路上を歩く人の目に入りやすい角度で黒地の吊看板が出ている。
『銀の灯燭』
金属の板を打ち抜き、記号的にデザイン化された字で書かれている。一階部分に小さな窓があるもののレースのカーテンがかかっており中は見えず、果たしてなんの店であるか一見ではわからない。
シェリに並んで玄関の前に立ち、扉の上にかけられたプレートを見てようやく理解が及ぶ。こちらには「銀の灯燭」と並べて「シルバライツ」と併記されている。屋号を二種の言葉で表すこうしたやり方は、異能者ギルド特有なのだ。
「ここがシェリさんのギルドですか」
「私のではないけど」
「ええっ、じゃあだめだ、僕、お金持ってない……ああっ、ちょっとぉ!」
シェリはコルトの弁など聞かずに入って行ってしまう。しかも勝手に一人で、というわけでなく、中から玄関の扉を手で押さえてコルトが付いて来るのを待っている。今までそんな優しく待つなんてしてくれなかったのに。これでは帰りようがない。コルトは口を渋く絞りながらギルドへ入った。
内装は、十席も無い小さな酒場といったものであった。ただし裏通りで見たそれとは違い、全体的におしゃれで居心地が良く感じられる。それにも関わらず、客はおろかギルド員もうろついていない。ただ一人、ウェーブのかかった銀髪の女性が向かって右隅のカウンターの中で物憂げに頬杖をついており、シェリの顔を見ると手を振って愛想よく笑った。
「今日はどうしたの? その子は?」
「依頼人、割と緊急。アイルは居る?」
「奥に。寝てると思うけど、叩き起こしていいわよ」
「じゃあお言葉に甘えて」
シェリはいたずらっぽく笑って、さらに奥へと進んで行く。玄関から見て正面の壁、カウンターの脇にある別の部屋へ続く扉が目標だ。
コルトはわけもわからぬまま少し身を縮めて付いて行く。一応カウンターに居る女の人にも会釈をした。きれいで大人で、穏やかな貫禄が感じられる。コルトに対しても優しそうにほほえんで手を振ってくれた。
一つ奥の部屋は応接室ないしギルドメンバーの談話室といった場所だった。面積は店の部分と同じか少し狭いくらい、中央には二人がゆったり座れるソファが二脚、ローテーブルを挟んで鎮座している。壁沿いには衣装かけやキャビネット、小さな書棚など様々な家具が置かれ、どことなく生活臭が漂う様相を示している。
そして奥手のソファで寝ている男の人が居た。背もたれ側へ背を向けて横になり、頭はクッションの上に乗せ、座面に収まりきらない足はソファの肘かけに膝を引っかけ外にはみ出させている。上掛けなどは無くシャツ一枚の格好で、彼の物らしき厚手のジャケットがソファの背もたれにかけて置いてある。その彼がシェリに「アイルは」と探されていた人物だ。
コルトは少し拍子抜けした。異能者ギルドの人という割に、普通に町を歩いていそうな普通のお兄さんという感じがしたからだ。体格にしても、雰囲気にしても。黒髪で二十歳くらいの若い人で、とても穏やかな寝顔をさらしている。相当深く眠っているようで、扉を遠慮なく開け閉めしても、シェリが足音を殺さず歩いても、ソファに近づいても、身じろぎ一つしない。
「あなたはこちらへ」
手前側のソファに座れと、シェリが指示してきた。あなたのギルドじゃないのに勝手にいいのか、と若干の疑問を抱きつつも、コルトはソファへ浅く腰かけた。心地よい反発が返ってくる、なるほど横になれば気持ちよく眠れるだろう。
ところで現在進行形で眠っている人についてだが、シェリは本当に言葉通り叩き起こすつもりなのではないか、とコルトはハラハラしていた。短い付き合いだが、そんな無礼な真似もやりかねない人と感じている。
が、さすがにやらないようだった。背もたれ側へ回り込み、そちらから手を伸ばして軽く肩を叩いた。それで眠れる青年はハッと目を覚ました。金色の瞳が寝起きの雲でかすみつつも、まず第一にコルトを捉えた。
「だれ……」
「あ、あの、僕はその、シェリさんに連れて来られて――」
「シェリ? ああ、居たのか。仕事の話か?」
「私じゃない。彼の話を聞いてあげて」
シェリはソファにかけてあったジャケットを広げ、起きあがったアイルの肩にかけた。立ち位置はそのまま変えず、ジェスチャーでコルトに話しをしろとうながす。
話を振られた後の無音の間がコルトの緊張を誘う。不安だ、これまで通り関わりたくないと一蹴されるならまだしも、なんて話を持ち込んだんだと怒られるんじゃないか。自分が望んだ状況でもないのにそれはあんまりだ、せめてシェリの方から説明してほしかった。
アイルはコルトが話し始めるのを急かさず待っている。ジャケットの袖に手を通した後、前髪を逆なでて髪型を簡単に整える。目には力があって寝起きだからって呆けていないし、不機嫌にもなっていない。真剣に相手の言葉を聞こうという姿勢である。
馬鹿にせず聞いてくれるなら、とコルトは乾いた口で喋り始めた。内容は町中で散々騒いできたのとほぼ同じで、親友の亜人の女の子が悪い人に騙されて売られてしまった、もちろん僕には寝耳に水で実質誘拐だった、そして彼女を買った犯人がラスバーナ商会の会長の子供たちの誰かで、どうにかして彼らに接触しラフィスを取り返そうとしている、と一連の事情を、もう少し具体性と感情を持たせて懇々と説いた。
てっきり異能者ギルドの間では完全に噂が広まっているものだと考えていたが、アイルは初耳であったらしく、コルトの話を中断しなかった。ただ表情の変化は大多数と似たようなもので、友が人身売買の憂き目にあったとの段階では哀れみと憤りを混ぜて眉をひそめていたが、犯人がラスバーナ商会だというくだりになると、困惑と呆れに大口を開けて固まってしまった。だからコルトの声は、終盤にかけて小さくしぼんでいってしまった。
事情説明が終わると、はじめとは違う質の沈黙がやってきた。今度はコルトがアイルの答えを待っている。膝の上に握った拳を置いて、おずおずと上目遣いに。
そしてアイルは、まずは背後にすまし顔で立っているシェリのことをかえりみた。
「なあシェリ、おまえ、知ってて連れて来たのか?」
「ええもちろん」
「正気か?」
「正気か狂気かはともかく、本気よ。決して遊びで連れて来たんじゃない」
「そんなこと言っておまえなあ……」
アイルは深々としたため息と共に、ローテーブルへ肘をついて額を抱えた。
――やっぱりこうなる。
コルトはあまりショックを受けなかった、むしろ思っていたよりずっと穏やかな反応だ。だから割と冷静なままでソファから尻を浮かせた。
「ごめんなさい、僕、帰ります。聞かなかったことにしてください」
「待て、ここまで聞かされて放っておけるわけないだろう」
「止められても僕は諦める気ありません、どんな手を使ってでも、ラフィスを商会から取り戻すんだ」
「いやそうじゃない。だいたい、おまえは助けを求めてここに来たんじゃなかったのか」
「だって、無理なんでしょう。ラスバーナ商会は敵にできないって」
「誰がそんなこと言った」
「えっ……」
コルトは一瞬、言葉の意味が理解できなかった。正確には思った通りに受け取っていいのかわからなかった。だがニッと口角をあげたアイルの表情を見て、疑念は期待へ変わった。糸が切れたようにコルトの身体が再びソファへ落ち、ポフンと間の抜けた音を響かせた。
次いでアイルはシェリのことを見やった。
「手伝ってくれるんだろうな」
「もちろん、でき得る限りね」
コルトにとって願ってもいない最高の展開だが、そもそもの問題が一つあり素直に喜べない。
「でも、僕、お金が無くて。依頼料とか払えないんですけど……」
アイルが不思議そうに顔を曇らせた。
「シェリがスポンサーってわけじゃなかったのか」
「え?」
「……なんにも説明せずに連れて来たってことかい」
「そうね。興奮していて、話なんて聞いてくれなさそうだったから」
シェリは小さく笑った。そして二人が対面するソファの側面に回り込みながら、コルトに向かって語りかける。
「私があなたのスポンサー、つまり資金提供者になります。ギルドへの依頼料その他経費について、あなたが支払う必要はない」
「ほんと!?」
「ただし」
ローテーブルの横に立ったシェリは毅然と続けた。
「あくまでも依頼人はあなた。アイルは雇われた者としてあなたの指示に従うだけであり、ラフィスを救出するための事について、主体になるのはあなたでなければならない」
「……もっとわかりやすく言ってよ」
「つまり、どうやってラフィスを助けるかはあなたが決めなければいけない。あなたのやり方によっては法律破りで治安局に逮捕されるかもしれないし、怪我人死人が出るかもしれない。それを踏まえて、あなたには依頼主として責任を果たす覚悟はあるかしら。あるなら、この商談は成立よ」
試すような視線がコルトに向けられた。当然だ、どんな相手でも構わず資金を提供するはずない。コルトもそれは理解している。
責任、覚悟、そんな言葉だけは仰々しいが、その実求められている内容は自分が叫んできたこととそう変わらない。つまり、どんな手を使ってもラフィスを取り返す、その方法は自分が考える、と。コルトはそう解釈した。だからキリリと表情を正してシェリに答えた。
「大丈夫だよ。僕、どんなことだってやる。自分の頭でちゃんと考えて色々決められるよ。今までそうやって来たんだ」
「……そう。アイル、あなたは? 彼に使われることでリスクを一身に受けることになるのだけれど」
「問題ないさ。じゃあ、商談は成立だな」
アイルはローテーブルの上に身を乗り出しつつ、右手をコルトに差し出した。
「改めて。俺は『銀の灯燭』のリーダー、アイルだ。よろしくな」
「アイルさんがリーダーなんですか!?」
「驚くところか?」
「だって、若いお兄さんなのに……あっ、僕はコルトです。よろしくお願いします」
コルトは慌てて求められている握手をした。握りしめた相手の手は暖かくてなじみやすく、かつ強く頼もしかった。




