尋ね人の居所 2
話を終わらせて、コルトはトボトボと治安局を出た。無言でしばらく歩き、振り返っても治安局の玄関が見えなくなったところで、横で歩調を合わせていた女が呟いた。
「連中をあてにしない方がいいよ」
「……でも、一応は動いてくれるって言ってた」
「あーあー、純粋ねぇ」
露骨な呆れ声がコルトの心に刺さった。
「そんなの、あんたをごまかすために言っただけ、信じちゃダメよ。亜人が被害者で物証も無いんじゃ動かない。ノスカリアの市街地で起こった事ならまだしも、外だし」
「無駄足だったってこと?」
「そういうこと。だから先に言ってよ、って。探してるのが亜人だってんなら、最初から治安局になんか来なかったのに」
女はげんなりと言い放ち、コルトのことを追いて歩いていく。ただ、彼女が足を速めたわけではない。無駄、との言葉がコルトにのしかかっておもりになったのだ。
「だったら、どうすれば良かったんですか。犯罪にあって、それでも治安局がだめなら、どうやって問題を解決しろって言うんですか」
「自己責任。つまり、自分の力でなんとかしろってこと」
「一人で? 無茶だ」
「それでギルドがあるわけよ。困ったことが起こったら、同じギルドの仲間で助け合ったり、他のギルドに依頼したり、異能の仲間同士でどうにかするの」
「だったら、僕のこと助けてくれますか?」
「うちでは無理。興業専門ってことでやってるからね。あんたは知らないでしょうが、政府のきまりとか同業の縄張りとか、色々あんのよ。それにさ、あんたお金あるの?」
女が胡乱な目をして振り向いた。だからコルトは首を横に振って見せた。すると女はわかっていた風に鼻で笑った。
「じゃあダメよ。異能者ギルドって、報酬が第一の世界だから」
「お金は無くても、雑用でもなんでもする。どんなことでもやるよ」
「あのねぇ……」
女はいらだちまじりに溜息をつき、立ち止まった。威圧的に腕を組み、コルトの方へ振り向く。
「はっきり言わせてもらうけど、もうすっぱり諦めた方がいいと思う」
「えっ……」
「この世の中じゃね、亜人一人と人間一人の命は釣り合わないの。言ってしまうなら、あんたは幸運よ。馬車一つ簡単に奪っちゃうような連中に襲われて、無傷で生き残れたわけなんだから。もっとそれを喜んだら?」
「そっ、そんなの!」
反論の余地は与えてもらえなかった。女は一方的に言い切ると、さっさと前へ向いてしまったのだ。
「ま、今日はうちのギルドに泊まりなよ。話はあたしがつけてやるからさ。宿代がわりに雑用はやってもらうかもしれないけど」
頭の横でヒラリと手を振って、そのまま早足で進み始める。コルトは唇を噛んでその背中を見つめて立っていたが、しばしの後、闇の中に消えてしまう前に追いかけた。人工的な灯りだけが頼りの夜だ、心構えすらできていない身一つで一人外に放り出されるのは好ましくない。決して喜ぶことはできないが、しかし善意で伸ばされた手をはなから拒否するのも難だろう。
翌朝。ギルド「虹色の太陽」にて少し豪華な一宿一飯の恩を受けたコルトだったが、早々にギルドを離れる事にした。馬車の時と同じく、居心地はよかった。ギルドの者たちは基本的に親切にしてくれたし、憐れんでもくれた。身の振り方が決まるまでずっと居て構わないとまで言われた。それでも、たとえ仮宿にしても、ギルドに留まる気は湧いてこなかった。
わずかな荷物を持って出て行こうとすると、次々と心配そうに声を掛けられる。筆頭であったのが、昨日の女だ。
「行くって、あんたこれからどうするのさ、お金もない伝手も無いのに」
「だって、ここに居たって協力してくれるわけじゃないんでしょ」
「したくてもできないの。諦めなさい」
「諦められないから出て行くんだよ!」
強気な物言いを直接かけられた女は面食らって静止した。声が届いた他のギルドメンバーも目を丸くしていたり、逆に小馬鹿にするよう笑い声をあげたり、様々な反応が返ってきた。しかし、コルトを引き止める言葉はもう出てこなかった。
かくしてコルトは、後ろ髪を引かれることなくギルドを去ることができたのである。
涼しい朝の空気にあてられながら歩き行く。目指しているのは、昨夜見た大きな時計塔がある広場である。聞き込みをしようにも、誰かの助力を得るにも、とにかく新たな出会いが必要だ。町のシンボルがある場所なら、不特定多数の人が集まるだろうと期待できる。
道に迷うこともない。昨日の今日だし、大通りに出てしまえば広場まで一直線だ。そしてなにより、大通りにおいては時計塔を正面の風景に納めることができるのだから、これで道を見失えという方が無理である。水路に阻まれて思うように進めなかったオムレードがいっそ懐かしい。あの時は、苦労はしても一人でなかったから心細さは無かった。今はもう――。
――だめだ、僕が弱気になってちゃ。ラフィスはまだ生きてる、ジャスパさんと一緒に助けを待ってる。絶対にまた会えるはずだ。
コルトは広場へ向かう足を速めた。前方の高みに見える時計は、ちょうど色々な人が活動を始める朝の時を示していた。
時計塔の広場は案の定、大勢の人でごった返していた。なおかつ広場の周縁にある大きな建物たちは、昨夜も見えた飲食店だけでなく、雑貨店や美術画廊、教会や異能者ギルドなど、ざっと見ただけでも極めて多様な機能を持っていることがわかった。ゆえに広場に居る人も千差万別、店屋の軒先で立ち話をしている店員たち、教会へ礼拝に来た信仰の徒、異能者ギルドの扉から出てきた歴戦の戦士然とした老人、時計塔の影でじっと客を待つみすぼらしい身なりの靴磨き、カートを引いて広場を練り歩くパン売り、「ラスバーナ商会」と屋号が書かれた商店へ入って行く召使いを連れたお嬢様――他にも他にも。
コルトはあいにく普通の人間だ。だから情報収集の手段としてできる事は、地道な聞きこみぐらいしかない。亜人の女の子を見なかったか、幽霊馬車を動かす男を知らないか、南の街道で盗賊が出たという話を聞いたことがないか。そんなことを手当たり次第の人にたずねて回った。
コルトが子供であったことも影響しているのだろう、皆きちんと話を聞いてくれた。しかし、聞けども聞けども有益な情報は得られなかった。
『知らないねぇ。こんなとこで聞くより、治安局に通報しなさいよ。頼りにならない? そりゃ残念』
『さらわれた? 自分で離れたんじゃなくて? 亜人が人間とうまくやれるはずないんだから、居なくなってもしょうがないさ』
『盗賊とか、そういうのは異能者ギルドに頼んだ方がいいよ。お金が無い……じゃあ諦めるしかない。まあ元気出して、このパンやるから』
『かわいそうだが、ギルドは慈善事業じゃないんだ、協力できん。まあ、物好きが居るかもしれんし、同業に情報は回しておいてやる。期待はするなよ』
『幽霊馬車だって。さすがにラスバーナの商会でも扱ってないだろ。もし見つかったら、買い取ってもらえばいい金に……ハハ、冗談だ、怒るなって』
『体が金でできた亜人の女の子……名前は? ラフィス、そう……いえ、ノスカリアでは見たことないわ』
『誘拐とは不幸な。教会で神に救いを求めると良いでしょう、神は我々の事を常に見守っておりますから』
藁にもすがる思いで教会へも入ってみた。ここも主神ルクノールを奉るごく普通の教会で、どうしても村を追い出された時のことが頭によぎる。が、教会の情報網は独特なものであるから、一般の人が知らない話があるかもしれない、と今はいい方に考えた。
だが結果は無駄足であった。神ルクノールとその使徒のうち六名の彫像――エスドアと思しき物は無い――が祭られる祭壇の前に居た司祭も、コルトの求めるような答えを持ち得ていなかった。
『こちらで祈りをささげなさい。神はすべてを見ておられる、君が善行を重ねれてゆけば、いずれ悪には天罰をくだしてくださるでしょうとも』
馬鹿馬鹿しい、とコルトは思った。思っただけで、口には出さなかったが。欲しい手助けは「いずれ」のものではなく、今すぐに伸ばされるものだ。神はすぐに助けてくれないのか、と司祭に問うと、司祭は『神は遠い所におられますから、なかなか難しいのですよ』と控えめに笑みを浮かべ、色々ごまかすようにコルトの頭を撫でた。
コルトは冷めた心で教会を後にした。司祭にすすめられた祈りも行わなかった。
『黙って突っ立ってたって、誰も助けてくれやしない。いいね?』
エグロンを去る前に魔女から受け取った言葉が、どんな神の言葉よりコルトにとっては絶対だった。とにかく行動あるのみだ。
――でも、これだけ聞いてみんな空振りなら、ここじゃ意味ないのかもしれない。
よく日の当たる時計塔の広場を見渡して思う。
ならばここに出てこないような層、日陰者たちが隠れている区域ならどうだ。それこそエグロンのような。普通じゃないことを知っている人、普通じゃない伝手を持っている人が居るかもしれない。あわよくば、馬車をさらった犯人そのものが隠れていないか。
ノスカリアの広さを思うに、必ず影になる場所があるはずだ、探そう。方針を変えたコルトは、ちょうと時計塔の中から響いた正午の鐘に背中を押されつつ、広場を去ったのである。
エグロンと同じにおいがする場所を探し歩き、コルトは広場から東にある通称「裏通り」へ流れ着いた。時計塔の広場からは方角として北東、東の街道へ続く商店街を兼ねた大通りから北へ一つ入った通りである。
表の商店街には間口が広く取られた開放的な店が並び、色々な商人たちの明るい声が絶えず響いていた。しかしこの裏通りは、やや奥まった入り口の店屋やドアも窓も閉ざした建物が多く、通り全体が淀んだ静けさをたたえている。広場も商店街も気持ちが悪くなるくらい人が居たのに、裏通りはおなじ町の中と思えないほどガランとしている。数少ない歩行者も明らかに柄が悪いものが多く、昼間から泥酔して道の真ん中に座り込んでいる人や、建物の間で寝ている人まで見受けられた。
エグロンを通過していなかったら、向こう見ずなコルトでも色々と察して回れ右し商店街へ脱出していただろう。だが、今はこういう治安が悪そうな場所にこそ用がある。臆す事なく通りの真ん中を歩き、いざ聞き込みを開始する。
しかし、今度は話すら聞いてもらえない。明らかに面倒臭そうなあいづちだけで立ち去られるか、近寄っただけで避けられるか、ひどければギロリと睨まれ拳を振りかざす真似で追い払われるか。
道行く人だからよくないのかと、適当な店屋に入ってみても同じ。酒場では子供の来るところじゃないと怒られて追い出され、何やら踊り子みたいなお姉さんたちが集っていたところでは「ぼくちゃん、かわいいねぇ、チューしてあげよっか」などとからかわれるばかりで話にならない。
なかなかどうしてうまくいかない、どうしてもムスっとしてしまう。それでもコルトは諦めずに歩を進める。悪党の町と名高いエグロンでも、皆がみな悪者ではなかった、だからここでも同じはずだ、と。
やや前方に、やたら肌の露出が多いドレスを着た美女を両脇に抱え、両手に花の男が酒場へ入って行く光景が見えた。どんな顔をしているかは手前の女の影で見えなかったが、ああいう男女が居る場所には近寄らない方がいい。短い時間で学習したコルトはその酒場を無視して通り過ぎようとする。
酒場の前を通りかかった時。風通しのために開けられていた入り口ドアの隙間から、男の下卑た笑い声が漏れ聞こえてきた。その声に、コルトは頭を殴られた。たたらを踏んで立ち止まる。
「今の……ジャスパさん!?」




