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半機の少女 ラフィス ―古の少女と導きの少年の物語―  作者: 久良 楠葉
第三章 悪党の町と記憶見の魔女
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ラフィスの記憶 1

 滋味あふれるハーブティをすすりながら、静かに時を刻む針の音を聞いていた。


 オブシディアが言った「少し」が具体的にどれだけの時間のつもりかわからないが、コルトには全然「少し」には感じられなかった。長く続くただ待つだけの間、どんどん眠たくなってきた。意識が落ちる前に茶をすすると、スースーと涼しい味がして眠気覚ましの代わりになる。


 ではオブシディアが何をしているかといえば、ロッキングチェアに深々と背を預けじっと目を閉じている。それこそ眠っているように見えるが、違う。これからの行為に向けて瞑想し、精神を研いでいるのだ。何者も近寄れないようなオーラが、彼女の周りに満ちている。


 カチリ、と何度目かわからない時計の音が響いた。そして、オブシディアがゆっくりと目を開けた。


「始めようか」


 穏やかであるが引き締まった声だった。オブシディアはスッと立ち上がり、壁際に置かれたコロ付きの鏡のもとへ行き、覆いの布を外した。


 現れたのは大きな姿見だ。それをラフィスの前へと引っ張って来た。


「それに記憶を映すってこと?」


 オブシディアは一つ頷いて答えた。


 コルトは口を半開きにして感心していた。自分の背より大きなサイズのことはともかく、どこからどう見ても普通の鏡で、今は家の中をありのままに映すのみだ。これが記憶を投影するキャンバスに変質するなんて。異能とは総じて不思議なものであるが、オブシディアのそれは不思議さが段違いだとコルトは思った。


 鏡を前にして、ラフィスは落ち着かない様子でいる。鏡の中の自分から目を逸らし、あげく体ごと向きを変えてしまう。椅子から立って逃げ出すまではしないが、負の感情に波立っていることは明らかだ。


 オブシディアが短く鼻を鳴らした。


「やめるか?」


 いいや、とコルトは返事した。椅子から立ち上がり、ラフィスの隣に寄り添いつつ、膝に置かれた手を両方とも包み込むようにして握り取った。


「大丈夫、僕がついてる。だから、こっち向いてよ」


 背中に手をやり、ぐっと押して鏡の方を向くよう促すと、仕方なしといった風にラフィスは着席したまま鏡の方へ向いた。少し顎を引いてうつむき気味で、上目遣いに鏡の隣の魔女を見上げている。怯えと言うよりは、不信感に満ちている。


 だがオブシディアは遠慮しない。威圧感すら覚える毅然とした佇まいでラフィスの隣、コルトの反対側へ立つと、骨ばった左手をラフィスの頭へのせた。


 そして右手は鏡へ伸ばし、真鍮のフレームとピカピカの鏡面の境界をまたぐように置いた。爪先が鏡を弾き、カツンとかそけき音が鳴った。


 一呼吸の間があった。その後、ザワっと空気が震え、鏡面がさざ波立った。同時にラフィスが総毛立ったように背を伸ばし、強く肩をすくめた。


 そうしている最中にも、銀色の波紋の向こうでは映像が変わっている。薄暗くくすんだ家の中の色合いから、深くも目が覚めるように鮮やかな緑へ。そして、波が落ち着いた時に現れたのは――


「僕だ!」


 青々としげる森を背景にして、赤みの強い茶髪の少年がこちらを見ている。着ているシャツもベストもズボンも、全部コルトがよく知るもの、間違いなく自分のものだ。


 鏡の中の少年は、手についた汚れをはたいて落としながら立ち上がり、煽りの角度でこちらを向いて右手を差し出してきた。眉を下げて困惑気味の表情をしている。また口をパクパクさせて喋っているが、何を言ってるかは聞こえなかった。だが、コルトははっきりと復唱できたし、鏡の中の自分の唇の動きも一言一句一致した。


『でも、こんなところで座っていてもしかたがないよ。女の子一人でおいていくわけにもいかないし。ほら、行こう』


 ――僕も覚えてるよ、ちゃんと。


 そう、これは紛れもなく、ラフィスとの始まりの日の光景だ。彼女の目を通した、あの日の情景なのだ。


 鏡を見ていたラフィスはひどく驚いたようで、ビクンと跳ねて身をのけぞらせた。しかしオブシディアの手は、彼女の頭をとらえて離さないままだった。


 鏡の中はずっと過去の映像を流し続けている。手を差し出しているコルトのもとへ、画面手前から金色の右手が伸びてきた。だが手が手を掴む前に、映像が乱れてしまった。


 ざあっと砂嵐が通り、それが収まった後には、もう森に居なかった。


「僕の村……」


 中央にあるのはコルトの背中だ。そよ風に髪をなでられながら、手前側に居る人の手を引いて山村の中を進んでいく。前方にあるのは大きな――あの頃のコルトは大きいと思っていた教会である。


 再び砂嵐が起こる。そうして次々と短い場面が再生されては書き換えられていく。教会の祭壇とイズ司祭が。コルトの家と母と父が。夜の山道と巨大な熊が。そしてゼム爺さんが。ただ移り変わるシーンのすべての中心にコルトが居た。


 そしてゼム爺さんと手を振りあうコルト姿を最後に、また最初のような波紋が起こって、それが収まると元の魔女の家へと帰って来た。鏡の中には口を半開きにしているコルトとラフィス、そして少し高い位置で不敵に笑む魔女が居るだけだ。


 ラフィスの拍動が強く速くなっている。口と両目を見開いたまま、ゆっくりとオブシディアを見あげた。


「だいたい雰囲気は伝わったかい? 何が起こっているのか」


 不敵な笑みはそのままにラフィスの目を直接見て問いかける、が、返事はない。代わりにコルトが頷いた。


「おまえには聞いていないよ」


 オブシディアは笑った。そして続けて示唆してくれた。


「記憶を引き出すにはフックが必要だ。今はおまえの事をフックにした」

「だから僕の居る場面ばかりが見えたんだ」

「そういうことさ。つまり、おまえの知りたいことが決まっているなら、それに応じた適切なフックが必要ってわけだ。普段ならこっちで色々質問しながらきっかけを探していくが、この子の場合はそれができない」


 オブシディアがみなまで説明する前に、コルトは自分に求められていることを察した。要はラフィスのより古い過去へ繋がる手がかりをなんでもいいから示せ、と。察するに、実物がなくとも言葉だけでよいはず。


 ならば簡単だ、たった一つにしてすべてに繋がるかもしれない鍵を握っている。コルトは跳ねる心臓を唾を飲みこんで押さえつつ、ラフィスの目をしかと覗き込んだ。


「ねえラフィス。エスドアだ。エスドアのことについて、知ってることを教えて」


 それは世界の怨敵と忌まれる名であり、同時に現世の人には遠い次元にある畏れ多き存在の名だ。オブシディアは引きつったように目を見開かせた。その一瞬、ラフィスの頭に添えられていた手が浮いて離れもした。が、ぐっとこらえるように押し戻された。


 すると鏡面が先ほどよりも激しく波だった。大雨の水たまりを覗いているようで、向こうの様子をなかなか伺わせない。ドクン、ドクンと各人の心臓の音が互いに聞こえてきそうだった。


 たっぷりと時間をかけた後、さざめきは落ち着く。鏡はもう魔女の家を映していなかった。


 かすみの中に見知らぬ風景が浮かびあがる。冷たい石の廃墟だ。城の王座か、神殿の祭壇かわからないが、とかく荘厳な広間だった一室だ。廃されたものとわかる理由は、ボロボロのタペストリーが落ちていたり、半分崩れた柱が見えていたり、そして瓦礫が山積みになる上部から外光が差し込んでいたりなど、いくらでも状況証拠があるから。


 崩れた壁を背景にして、視界の中央に人影が存在している。まだ遠いが、まばゆい白銀の甲冑を着た騎士の後ろ姿であることは間違いない。背中には半透明で実体のない、光を編んだようなマントが揺らめいている。兜はかぶっておらず、いかめしい鎧甲冑のイメージとは違う細身の女性であることが頭の形からわかる。ダークブロンドの髪は短めで首筋が隠れるかどうかで、ざっくり切り揃えられたそれが凛々しさに繋がっていた。


「シー、エスドア……」


 ラフィスが震える声で呟き、鏡へ向かって手を浮かせた。呼応するように、映像でもその人へとせまって行く。


 接近しきる前に、行く手に居る人が振り向いた。見えた顔は、存外に若い女性のものだった。二十歳を少し過ぎたくらいだろうか。ただ顔つきは見た目の年齢に不相応な険しさに満ちていて、いっそ冷たさすら感じるほど研ぎ澄まされている。同時にどこか達観した、見た目以上の歳月を重ねていると思わさせられる雰囲気が漂っている。少なくとも普通の人間ではないと。


 白銀の甲冑の主はまっすぐにこちらを見ると、眉目をあげてわずかに表情を緩めた。


 そして唇で紡いだ。


 「ラフィス」


 と。声は無いが、確かにこちらへ呼びかけた。


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