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半機の少女 ラフィス ―古の少女と導きの少年の物語―  作者: 久良 楠葉
第一章 山村の少年と異空の少女
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ウィラの村 3

 階段を上がってすぐの小さな部屋がコルトの寝室だ。出入口には扉が無くて風通しがいい。村の広場に面する窓もついていて、板戸を開放すればきっちり日が差し込み明るくなる。そんな自分の部屋のことを、コルトはとても気に入っていた。


 部屋の片隅にはベッドがあり、反対側には机がある。机の隣には背の低い棚があり、さらにその隣にはクローゼットがある。家具はこれだけで、なおかつこれ以上大きな物を増やすスペースもない。


 コルトはベルトで腰につけていた道具入れとマチェットとを外すと、机の上へ適当に置いた。それから椅子を引きながら、後ろできょろきょろと部屋を見回しているラフィスへと向き直る。


「ラフィス、とりあえずここへ座ってよ。これは、椅子」


 椅子、と言いながらぽんと背もたれを叩いて示す。するとラフィスが「イス」と復唱する。まるで幼子に物の名前を教えているような光景だ。ただ無知な幼子と違うのは、家具の使い方までは教えなくてよかったことか。


 ラフィスはコルトに促されるまま、椅子に腰かけた。背中の翼が邪魔をしてあまり深くは座れないようだ。しかしそのおかげで背筋が伸び、姿勢が良く見える。ぴしっと伸びた背格好を見た時、コルトは初めてラフィスに力強さを感じた。女の子にかける言葉として適切なのかはわからないけれど、かっこいいな、と。


 それから、これは机だ、あれはベッドだ、それは窓だ、と、部屋にあるものを指し示し名前を教えることに注力した。ラフィスはその度、コルトの言葉を復唱していたから、きっと理解してくれたに違いない。


 その中で棚を指さした時、ラフィスがきゅっと眉目をあげて反応を示した。どうしたのだろう。コルトが首をかしげていると、ラフィスはおもむろに椅子から立ち上がり、棚の前へと向かった。


 木を削って作った人形や、山で集めた綺麗な石など、色々なものが並べられている棚から、ラフィスは一冊だけある分厚い本を手に取った。


 これは教会の聖典である。ウィラの村では子供が生まれると、教会からの誕生祝として一人一冊聖典が支給されるのだ。この聖典を使って、司祭は子供達に文字の読み書きも教えてくれる。あまり豊かな村ではないので、個人で書物を所持することは滅多になく、ことの次第では、聖典が人生で唯一親しむ本となる。


 ――そうか、喋る言葉は通じなくても、文字ならひょっとして!


 ラフィスは本を机に置き、表紙をめくる。コルトはうきうきとした気持ちで一緒に覗きこんだ。


 開いたページをしばらく眺めて、それからパラパラとページをめくり、また眺める。そんなことを何度か繰り返した後、ラフィスはコルトの方へ向いて、苦笑しながら首を横に振った。わからない、と言っているようだ。残念だがしょうがない。コルトは特に落胆を表に出すことをしなかった。


 字を読めずとも、ラフィスはページをめくる手を止めない。ところどころに入れられている絵図を見ている。木版で刷られた図は、時に宗教上の紋章を描いていたり、あるいは神話の一幕を描いていたり。そうしたものが出てくるたびに一つ一つ眺め、何かを確かめている。


 やがて聖典を中頃までめくった時、現れた絵を見てラフィスが息を飲んだ。


 神ルクノールの前にひざまずき、頭を垂れ、剣を奉戴している騎士の姿が描かれている。騎士は厳めしい甲冑を纏っているが、体つきは女性のものだ。下を向いた顔もはっきり描かれている。目つきは鋭く、どことなく邪悪に笑んでいる。神の祝福を受けながら、しかし神を嘲笑するかのように。


「シー、エスドア。アルア、トゥイ、ミナス……」


 版画の騎士を見つめながら、ラフィスが独り言をつぶやいた。寂しそうであり、同時に崇敬の念も含んだ目つきをしていた。


 コルトは聖典を必要最小限しか開いたことがないし、神について積極的に学ぼうという姿勢も持っていない。それでも、この版画が神話のいかなるシーン、いかなる人物を描いたものであるかは知っていた。


 騎士の名はエスドア。神に選ばれし第九の使徒であり、神に叛いた反逆の徒であり、神を殺し世界を破滅に導いた大いなる罪人である。


 コルトの顔が硬くなった。視線が絵の隣のページ、エスドアについて記述された部分へ移動する。自分の記憶が間違いでないか確かめるために。ラフィスがページをめくってしまわないよう、本の角に手も添えた。


 エスドアはもともと精霊を奉る民に生まれた一人間であった。精霊は自然の調和を保つ存在であり、その声を聞き崇める民もまた自然の調和を保つ役を果たしていた。エスドアはその中でも一際精霊との結びつきが強く、また人を指導する才覚にあふれた人間だったらしい。それをルクノールが見いだし、この世界イオニアンの平和を守る神の騎士に任命した。同時に神はエスドアに自分の力の一部と永遠の命とを与え、九番目の神の使徒となった。


 ところが。エスドアはルクノールの意に反し、与えられた力を世界を脅かす暴威として奮った。人々の間に絶え間のない戦争を起こし、自らも精霊の加護を受けた八色の武器を持ち戦いに興じ、多くの人命を摘み取った。エスドアの手により、イオニアンは瞬く間に怨嗟と悲嘆に満ちた世界へと変貌したのだった。


 もちろんルクノールは黙って見ていたわけではなかった。反逆の徒となり果てたエスドアに裁きを下し、蹂躙された哀れな人々を救うべく、神は地上に降り立ち自ら暴威の討滅に向かった。


 しかし、虐げられる人間たちを身を挺して守ろうとする慈愛の深さを利用され、神ルクノールはエスドアによって殺害された。


 神を失った世界は滅びの運命をたどることになる。大地は裂け、海は荒れ、風は暴れ、陽は消えた。時も狂い、ことわりも歪み、異形の生命体が溢れかえった。


 滅びゆく中で、善良な人間たちは希望を胸に祈り続けた。神が復活し、世界に救いを与えん、と。


 彼らの深き信仰は奇跡を起こし、神ルクノールはイオニアンに再臨した。創世の力を使い世界を元のように再生し、終焉の運命を変えた。


 そしてエスドアは、神の復活と同時に力を取り戻した他の使徒によって討ち果たされ、邪悪なる魂が輪廻しないよう封印を施されたのだった。


「……コルト?」


 しかめ面で本を見たまま固まっている姿を怪訝に思ったか、ラフィスが不思議そうに呼びかけてきた。


 コルトは我に返りぱっと顔をあげると、ふるふると首を横に振ってほほ笑んだ。


「ううん、なんでもない。なんでもないよ、大丈夫」


 そして自然に興味が湧いた風を装って、絵の中の騎士を指さした。


「これが、エスドア?」

「シー、エスドア」


 ラフィスは嬉しそうに頷いた。


 たったそれだけのことだ。だからどうしたというのだ。ラフィスは異世界からやってきた。異世界は過去の世界を切り取ったものである可能性が高い。神話の時代に世界を滅ぼした反逆の使徒がいた。ラフィスはその人の名前を聞くと反応を見せる。こうした断片的な事実があるだけ。それ以上のことは全部憶測になってしまって、真相を確かめる術もない。だから考えるだけ無駄だと思う。


 そもそもコルトにはラフィスが恐ろしい存在――例えば自分みたいな弱い人間を駆逐して回るような――だとは思えなかった。初めて見た時から今までずっとそうだ。怖いというなら、山に棲む獣や蛇なんかの方がよっぽど怖い。表情が無くてなにを考えているのかわからないし、人間には無い力や毒を持っているから。だからまさかラフィスが――。


 ――やめよう、やめやめ。


 コルトは小さく顔を横に振り、本から手を離した。


 ラフィスは再びページをめくり始めた。なんとなくさっきよりも楽しそうだ。宝石の目も一層強くキラキラと輝いている。絵図によってコルトとコミュニケーションが取れることがわかったからだろうか。


 コルトもこの空気が嫌じゃなかった。とびきり仲のいい友だちができた気分だ。村には子供が少ないし、みんな家の手伝いやなんやがあるから、長い時間一緒に遊ぶということはほとんどなかった。このままラフィスと一緒に暮らせるのなら、この上なく楽しい毎日になるだろう。


 ――僕が大人だったらよかったのになぁ。なんでも自分で決められたのに。


 そんな風に思ってもどうしようもない。無駄なことにばっかり頭働かせてるなあと、コルトは密かに自嘲すると、山へ入っている父が帰って来た時に説得をする方法へと頭を使う先を切り替えた。

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