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半機の少女 ラフィス ―古の少女と導きの少年の物語―  作者: 久良 楠葉
第三章 悪党の町と記憶見の魔女
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魔女の試練 2

 話し言葉での返事はないが、その代わり、カツン、コツン、と聞きなじみのある足音が、近くの十字路の方から聞こえてきた。距離は少しあるものの、こちらへ向かって来ているようだ。


 居ても立ってもいられず、コルトは十字路へ向かって駆けた。


 そして角を右に曲がったところで、足音の主と鉢合わせになった。暗がりにオレンジ色の光の点が浮かんでいる。錆鉄の翼を負った特徴的なシルエット、わずかな光も反射して輝く金色の手足、間違いない、ラフィス本人だ。


 魔女も隣に居た。どこから持って来たのか、木の蓋つきの広口の壺を平台車に載せて押している。それ以外、別れた時と変わったところはなさそうだ。


 コルトは安堵も忘れ、取りも直さず魔女に詰め寄った。


「どこ行ってたんだよぉ!」


 魔女は涼しい風を吹かせて、平然と言ってのける。


「トイレ」

「トイレぇっ!?」

「あちこちで好き勝手したら汚いでしょ、だからいくつか場所があるんだよ」

「そういうことじゃなくってさぁ!」


 通路にコルトの叫び声が反響した。いくつかの扉が開いて、中から人の顔が伸びてきて様子をうかがっている。それらは子供が集まって騒いでいるのを見て取ると、うっとうしそうな表情をして、しかし順々に引っ込んでいった。


 コルトにはまだ言いたい事が山ほどあった。トイレにしたってなんでこのタイミングだとか、一言くらい声をかけてから行ってよとか。だが、これ以上ギャンギャン騒ぎ立てるのは周りに迷惑だ、と我慢した。抑えた感情は内に向かうことになり、どっと疲労感を呼び起こした。


 そしてため息をして、はっと気づく。なんだか妙にくさい。よく知っている臭いではあるが、はっきりと口に出すのははばかられる、特にご飯を食べながらは嗅ぎたくない。鼻をつまみたくなる異臭の発生源は、魔女が押している壺だった。


 コルトは怪訝に眉をひそめてラフィスに目配せをした。彼女も得も言われぬ複雑な表情をしている。むずむずと気恥ずかしいような、言い辛いことがあるような。


 なんとなく理解したと同時に、コルトはまたもや魔女に対して叱咤の声をあげた。一応、音量はさっきより下げてある。


「それさ、トイレのやつだろ! なんで持って来ちゃってるの!?」

「肥やしになるから」

「それは知ってるけど! そうじゃなくって! なんで今!」

「他に欲しがる人は居ないから平気。いれものも、あとで返すし」


 至極あたり前のことをしている淡々さ。もういい、好きにしてくれ、とコルトは諦めた。


「そんなことより、例のものは交換してもらえたの?」


 壷に手をかけたまま、魔女はじいっとコルトを見つめている。


 コルトはさっと袋を開き、白いどんぐり玉を見せつけた。すると、よし、と魔女が頷いた。


「ごほうびに、ひとつずつなら食べてもいいよ」

「食べる物なの?」

「えっ、知らない? あめ玉」

「あめだま」

「甘いよ」


 コルトは根っからの山の子だ。山で甘い物といえば熟れた果実や草花の蜜などのことで、結晶の砂糖なんて日々の暮らしにある物ではなかった。まして砂糖から加工される、砂糖の塊のような菓子なんて。


 初めての物を口に入れるのはドキドキする。しかも魔女のいう事だ、騙して無味無臭の石ころを食べさせようとしているのかもしれない。コルトは少し汗ばむ指先で白いあめ玉を一つつまみ、そっと舌に乗せた。


 魔女は嘘をついていなかった。本当に甘い、いっそ中毒的な甘さが舌を打つ。ひたすら甘いだけでなく、ミントのスースーした匂いがほんのりと染み出してきて、ぼやけた味覚を引き締めてくれる。歯を立ててみたら石のように硬かったからすぐに止めた、あめ玉とは噛んで食べる物ではないらしい。


 ラフィスにも一粒、手のひらに乗せてやる。手の上で転がしたり、つまんで目の前にかざしてみたり、一通り外観を楽しんでから口に入れた。しばらくもごもごとした後、キラッと目が光った。口元もほころんでいる。かじろうとした音も聞こえてきたが、コルトと同じようにすぐ諦めたようだ。


「おいしい?」

「メルス……ウン。グリーミャ、コルト」


 そんなラフィスの様子を見て、魔女が首を傾げた。


「しゃべれるじゃん、うそついたの?」

「ちょっとだけだよ。本当に会話になってるのか、僕だってわかんないし」


 なにげなく事実を説明した。しかし口にした直後、コルトの中ににわかにして不安の雲がさした。それだ、ラフィスと正しいコミュニケーションが本当に取れているのだろうか? 雰囲気とか表情で彼女の意志を察して、ちゃんとくみ取っているつもりだが、それは自分の思い込みではないのか。本当は、彼女の望むこととは違う方にばかり進んでいるのではないのか。迷いはあるが、結局ラフィスの本音を確かめる術がない、それが辛い。


 魔女は、ふーんと意味深長に視線を突き刺してくる。仮面の下ではどんな顔をしているのか。呆れか、あざけりか。コルトはチクチク痛む心を、あめ玉を舌で転がすことで紛らわせた。


「じゃあ、とりあえず一回おうちに戻ろう。つぼ、重いし」


 そう言って、魔女は台車に乗った壺を押しながら、もと来た遺跡の道を歩き始めた。床は平らに磨かれた石が敷かれているものの、しょせんは過去の遺物、あちこちの石板が浮いたり沈んだり、割れたり擦り減ったりしている。だから台車は上下に揺れるし、くぼみに車輪を取られて動けなくなることまである。ローブを引きずっているせいで元々遅い魔女の歩みが、さらに遅くなる。


 しばらく経っても、まだ回廊にすら出られない。それどころか、振り返れば出発地点がまだ見える。そこでとうとう魔女が完全に足を止めた。踵を返してコルトを見あげる。


「交代」


 有無は言わせてくれない。魔女はさっさと場所を空けた。


 歩き始めて早々にコルトはこうなる気がしていた。げんなりとしながらも指示に従う。これもまた魔女の与える試練なのだと考えれば、文句を言う時間が無駄である。壺には蓋がされているとはいえ、密封とはほど遠いから、近づくほどに隙間から立つ便所のにおいがプンと鼻を刺す。飴玉のミントの香りでは太刀打ちできない、気分は最悪だ。


 と、ラフィスが隣にやってきて、壺に手を添えた。手伝うよと言わんばかりにコルトのことを見て、うん、と大きく頷く。


 コルトは首を横に振って、彼女の手を離させた。


「いいよ、こういうのなら僕でもできるから」

「そうそう。力仕事は男の子にまかせればいいんだよ」

「……実際は、ラフィスの方が強いんだけどさ」

「へえ」


 魔女の目が仮面の下でキラリと光った気がした。小間使い、という酒場の爺さんの言葉がコルトの頭に浮かぶ。下手に強いなんて言わない方がよかった、だったら小間使い兼用心棒にして一生こき使ってやろう、そう言い出されては困る。


 会話が続けられないよう、コルトは黙って歩き出した。台車がいい仕事をしているから、壺の重さはそれほど感じない、だから魔女より何倍も早く、みるみるうちに前へ進んでいく。早いうちにこの臭気からも解放されるだろう。あとは、振動で壺を倒して中身をぶちまけないよう気を付けるだけだ。



 コルトが先頭でひたすら台車を押して、今は吹き抜けの回廊をまっすぐに進んでいる。しばらく前にはパンを抱えて歩いた道だ。そういえば、結局あのパンは食べていない。思い出したらお腹が空いた、帰ったら食事休憩をもらえないだろうか。


「ねえ――」


 左後方へ首をひねって魔女へ話しかけようとした。しかし、向いた先の魔女はこちらを見ていなかった。


 魔女は左にある吹き抜けの底、一つ下の階層を見下ろしている。そこはかつて庭園だった広場、今はあばら家やテントがぽつぽつと並ぶ雑居区といった場所だ。ところどころに焚かれているかがり火が、下層を動き回る人の姿を照らしている。まさに夜のスラム街といった雰囲気だ。


 魔女が注目しているのは、ほぼ真下に居る男の三人組だった。中央の一人が闇には場違いなくらい派手派手しい服を着てふんぞり返っており、両脇を子分たちが固めている。三人ともが腕や首元に同じ紋章のタトゥーを入れているあたり、同じ派閥に属する者たちだろう。中心の派手野郎は、眼前にある古びた小屋の住人へ嫌な感じに詰め寄り、胸倉をつかんでゆさぶっている。どうにもろくでもない事をしていそうだ。


「どうしたんだよ、知り合いなの?」


 コルトは足を止めて魔女へ問いかけた。返事はないが、魔女はいそいそと台車のもとへ歩み寄ってくる。


「ちょっとかして」

「え?」


 ひどく嫌な予感がした。しかしコルトが止めるより先に、魔女は例の壺を奪って抱えると、また回廊の縁まで走って行った。そんなに早く動けたのかと思わせるすばやさだっだ。


 そしてコルトの思った通りに、魔女は壺の中身を蓋ごと下層へ、派手で偉そうな男の頭の上へとぶちまけたのだった。予報も不可能なにわか雨、当然逃げることなんてできない。狙われた男はもろに頭から被害を受け、周りに飛んだしぶきがビシャァと濁った音を響かせた瞬間も、汚い茶色の液をしたたらせ呆然と立ち尽くしていた。


 しばらくの静寂の間。魔女の周りも、下層に居た人々も固まっている。そして。


「なにやってんだよぉ!?」


 コルトが目を尖らせて叫ぶと同時に、下からも激しい悲鳴と怒号と少しの笑い声が湧き上がって一気に襲い来た。そしてラフィスも声なくして怒っている。きゅっと口が固く結ばれ、左目の光は刺々しい火花を散らさんかの荒ぶりよう。


 涼しい顔をしているのは、やらかした魔女本人のみだ。張り付いた仮面の表情は、いっそ冷静沈着すぎて威圧感すらあった。


「あんな『性悪七光りクソヤロー』なんて、クソでもかぶってればいいんだよ」

「はぁっ!?」

「これはしかえしでもあるんだよ。あいつらは、このまえ、『記憶見の魔女』に嫌がらせをしてきた。だから、こっちもあいつらの嫌がることしてやった。これでお互いさまってやつだね」


 今までとは全然違う早口な口調で、内心かなり興奮していると明らかだった。それから魔女はうわついた風を吹かせながら、もう一度下層を覗き込んだ。犯人が姿を現したせいで、下層からはまた複数種の感情を包括したざわめきが巻き起こった。


「うん、よしっ! じゃあサヨナラ!」


 魔女は回れ右して走り出した。空になった壷は、もう用事がないとばかりに回廊に放り捨てた。コルトとラフィスのことも置き去りにして、宣言通り退散の態勢だ。


 が、たいして早くない。さっき見せたすばやさは一瞬の輝き、今はずるずるぶかぶかのローブを引きずって、台車を押していた時とそう変わらない。


 本人は真剣なのだろうが、傍目には遊んでいるようにしか見えなかった。コルトたちが唖然としていると、不意に吹き抜けから人影が飛び上がって来た。肥やしをぶっかけられた男の子分の片割れだ。翼があるわけではないが、風を操り宙に浮かんでいる。


 血気盛んな追手として現れた男だったものの、魔女の後ろ姿を見るなり明らかに怯んだ。


 そして代わりの標的として、台車のすぐ近くに立っていたコルトに目をつける。ギロリと穏やかでない視線を突き刺してくる。この目を、この感覚を、コルトは以前にも知っていた。忘れもしない、オムレードで。

 

「ひどい! とばっちりだぁ!」


 釈明の声をあげながら、コルトは魔女の後を追って転げるように走り出した。当然、ラフィスも後をついてくる。


 魔女に追いつくのに時間はかからなかった。


「どーすんだよ!? めっちゃ怒ってるって!」

「だい、じょうぶ。家には、来ない、から。たぶん」


 そう答える声はかすれ、息きれぎれとなっている。元々遅い足も、時間と共にさらに動きを鈍らせている。家には来ないと言ったところで、まずそこまで逃げ切れるかどうか。


 それに相手は異能者だ、正攻法の追いかけっこなんてしなくとも、捕まえる手はいくらでも持っているのだ。


 逃亡者たちの足をすくうように、背後から強風が吹きつけた。一番小さな体の魔女は軽々と吹き飛ばされ、回廊の冷たい床に正面からペチンと叩きつけられた。コルトも風にあおられバランスを崩し、その場で転倒した。唯一ラフィスだけは、金属の重量がその身を支えたことで無事に居られた。


 ラフィスは風に髪をなびかせながら、身を反転して風使いの男を睨みつけた。すでに臨戦態勢だ、軽く開いた手の中で電気が弾けている。


 対する男も回廊に立っている。さっきまでコルトたちが居た吹き抜けの縁に居る、距離は十歩あまり。


 男は下層に顔を向け、親分に呼びかけた。やってよいか、よくないか、と。


「構わん、やれ、やっちまえ! 落とし前つけさせろ!」


 下層から怒気に満ちた声が吹き上がった。その瞬間、風使いの男は凶暴に目を剥いて、獲物に襲い掛からんと踏み込んだ。

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