魔女の試練 1
魔女が率いる一行は、第一層の大広間、入り口扉の上に天使の像がある「天使の足下区」にやって来た。ここはシンプルに言うなら市場である。食べ物や日用品や武具まで、色々な物を売買するブースが並んでいる。商品は外界から仕入れた物で、時には外から来た行商が店を開いていることもある。閉鎖的な特殊空間エグロンにおいて、最も外に開かれた、いわば玄関口のような場所だ。それゆえ、法に抵触するような怪しい物品は見られない。
時間帯のせいだろう、営業中のブースは数少なく、よって広さの割に人が少ない。だが買い物客は居るには居る。彼らは総じて魔女の一行が近くを通りかかると、ギョッとして道を開けた。驚き顔は、魔女を見て、ラフィスを見て、の二段構えだ。
魔女自身は怪訝な見方をされるのもなんのその、といった風に歩いて行く。
そして魔女は壁際にあるブースの前で足を止めた。周りに比べても少し大きなブースで、なおかつかなり古い。店番をしているのは男一人だ。扱っているものはビスケットや塩漬け肉といった保存の効く食料や、日用雑貨に救急セットなど、旅の備えとなる物品が多い。
店を開けた直後だったのか、番の男は壁側へ向いて商品の在庫出しをしている最中だった。それが店頭に近づく人の気配を察し、のっそりと振り向いた。
「いら……げえっ、『魔女』の……!」
店の男は目を白黒させている。しかし魔女は構わずカウンターの際まで進み出る。見えない何かに押し出されるように男がたじろぎ、のけ反った。
双方の間にはカウンターがある。子供相手は考慮されていないようで、魔女の背丈では背伸びをしてなんとか届く高さだった。だから魔女はほとんどへばりつくようにして、ポシェットから取り出した、液体の入った薬瓶をカウンターに置いた。
「いつものお薬。きょうは食べるものと交換して」
さらりと言ってのける魔女と違って、店の男は困惑顔だ。にょっとカウンターから伸びる無表情な仮面を見て、一歩引いたところに居る少年少女を見て、ずうっと眉間に皺を寄せている。特にラフィスのことは念入りに眺めている。
「おいおい、そのガキどもは……」
「いいから早くして!」
ちょっと早口できつく、しかし地が女の子だからあまり怖くはない。それでも店主は気圧されたか、あるいは人目が刺さるのを避けたか、まるでネジを巻かれたように素早く行動を開始した。カウンターの内に置いてある布袋に小分けをした食糧を数種類掴み入れると、魔女へ向かって投げるようによこした。
「ほら、行けっ。とっととどっかへ行ってくれ!」
あげく、しっしと手で追い払う。
邪険にされたにも関わらず、魔女はにんまりと笑った。仮面で表情は隠れているが、小さく揺れた肩が笑顔の気配を立ち昇らせていた。
魔女はそそっと踵を返し、来た道を戻り始める。コルトとラフィスも、店主へ一礼してから後に付いていく。進むスピードは遅い、置いて行かれる心配はない。
天使の足下区を出たところで、魔女は入口の横、壁にぴったりと背をつけて立ち止まった。往来の邪魔にならないようにしつつ、今しがたもらったものを確認する。件の店で貰った袋は三つ。中身はそれぞれ、小さな堅パンが三個、カラカラに乾燥した腸詰肉、同じく干したイモ、と、すべて保存食だ。
「よし。次」
「次、って?」
魔女からの返事は無い。堅パンと干しイモの袋をポシェットに押し込み、またフラリと歩き始めた。次と言ったら次、異論を差しこむ余地はないようだ。
――なんだかなぁ。
もやもやしたものがコルトの胸中に募る。顔を渋くしたままじっとしていると、ラフィスが先に歩き出した。二、三歩進んでコルトの方を振り返る。魔女を指さし、小首を傾げ、「ついていかないの?」と。
まったく、あの魔女は。直接言葉を交わせないラフィスよりもコミュニケーションがやりづらいのはどうしたことか、いっそ腹立たしい。かといって、目的を果たすためには魔女の機嫌を損ねるわけにいかないから、今は大人しくついていくしかない。
重い足を引きずってコルトは歩みを再開する。無意識のうちに漏れたため息が、地下遺跡の暗い通路に響いた。
広間の隣にある階段から二層へ降りた。そしてジャスパと出会った方面へと向かう。ただしあの時ほど奥へは行かず、その手前の、やや狭い通路で四角く区切られたエリアが目的地のようだ。この辺りはいくつもの部屋が整然と並んでいて、しかも似たような風景が続いているから、土地勘なく歩き回ると迷いかねない。
何回か角をまがって、手前から二つ目の部屋。古くもきっちりとした造りの戸が立てられた一室があった。玄関灯や表札の類は無く、薄闇に紛れて怪しい雰囲気を漂わせている。そんな部屋の前で、魔女が「ここ」と立ち止まった。
魔女は改めてコルトの方へ向きなおる。と、腸詰肉の袋をぐいっと押し付けてきた。
「な、なんだよぉ」
「行ってきて。お店の人に、魔女から、いつものやつ、って言えばわかるから」
「なんで僕が」
「おかねがないなら仕事する、あたりまえでしょ」
ぐうの音も出ない。コルトは観念して袋を受け取った。
自分の手が空いたところで、魔女はラフィスの右手首を掴まえた。だぼだぼのローブはそのままで、分厚い布越しとなるから、さほど力は入っていないだろう。その代わり、両手でしがみつくように掴んでいる。ラフィスはびっくりしたようだが、しかし振り払おうとはしない。
そして魔女は一歩退いた。自然とラフィスも後退することになった。
「え? 僕、一人で行くの?」
「もちろん」
コルトは苦い顔を隠そうともしなかった。絶対に何か裏がある。このドアの向こうに居る人がとても陰湿な性格をしているとか、中に入った途端に罠の嵐に襲われるとか、そういうろくでもないことが。
嫌だ、と言いたい。しかし。
「コルト……」
コルトが不安な顔をすれば、ラフィスも不安にとらわれる。コルトが魔女と喧嘩をしようものなら、ラフィスを更に戸惑わせることになる。わけがわからないが、とりあえず友を救おうと、魔女に手をあげる事態にもなりかねない。
ラフィスに悲しい顔をして欲しくない。それに、彼女のことをもっと知りたい。だからコルトはぐっと感情をこらえた。
「行ってくる。ラフィスは、待ってて」
ジェスチャーで示してから、ドアの方へ向きなおる。深呼吸を一つしてから、古めかしいドアをそっと開いて、中から槍が飛び出して来ないことを確かめてから入室した。
扉の向こうは小さな酒場のような場所であった。ような、と言うのは、普通の町にある開けた酒場と違い、やたら暗くどんよりとした空気が漂っているからだ。料理の匂いもないし、酒の匂いよりむしろ煙草の臭いの方が強いのも異次元さを強めている。
その唐突な煙臭さに、コルトは思わずむせ込んだ。すると、片隅のテーブルに居た男女がじろりとこちらを睨んだ。彼らの手には喫煙具が握られている。
客たちとは目を合わせないようにして、コルトは正面にあるカウンターへ向かった。中に居るやせた爺さんが店主だろう、と目をつけたのだ。しかしコルトが声をかけるより先に、爺さんがしわがれ声でピシャリと言った。
「ここは、ガキが来るとこじゃないよ」
「すいません。魔女さんにどうしてもって頼まれて、代わりに来ました」
「なに、まーたあいつはガキを拾ったんか。例のが使い物にならんからって、おまえを小間使いにして世話させようってか。え?」
「小間使いじゃないです、ちょっと訳があって一緒にいるだけで」
「拾ったガキが使いもんになるかどうか、試練を与えて様子見してるってこったろ。ええ?」
「違います、魔女さんには僕の方から用事があって……」
「ああいう賢しい女はなあ、ほんと恐ろしいものよなあ。いつの間にかだーれも逆らえんようになっとる。えええ?」
「はあ……」
「思えば始めからそうだったわ――」
爺さんはかすれた声で昔語りを始めた。そもそもこっちの話をまるで聞いていなかったのだから、いかな子供でも察しが付く。あっ、これ、めちゃくちゃ長くなるダメなやつだ、と。
――だから自分で行きたくなかったんだなぁ。
もっと直接的な恐怖を懸念していたから、少し拍子抜けではある。老人の長話を聞くくらいなら別に抵抗はない。が、環境が悪すぎた、刺々しい煙の香が立っているだけでも気にさわる。あまり長いこと居たら、喉がおかしくなってしまいそう。
とにかくさっさと切り上げたいコルトは、爺さんが「ええええ?」と相槌を求めてきたところで容赦なく話を中断し、魔女から渡された袋を爺さんの手へ押し付けた。無論、間の話はまともに脳みそへ留まらなかった。
「すいません、それで魔女さんの頼みごとなんですけど。これで、いつもの奴をお願いします、って言ってました」
「ふうむ?」
爺さんは袋の口を開いて確認する。それから、ふむふむと言いながら奥にある戸棚を開け、適当な空き瓶に腸詰肉を移し替えた。
その次は隣の戸棚から、どんぐりサイズの丸くて白い玉が詰まった瓶を取りだし、中身を適当量掴み出して空いた袋へ入れた。これが魔女の言う「いつもの」だろう。交換前と比して、体積は少し減った。
「ほれ」
「ありがとうございます」
一体何を渡されたのか、手元で見てもよくわからない。石のように固いけれど、ただの石にしては色も形も揃い過ぎている、どちらかと言えば人工物の雰囲気がある。かといって宝石玉とも違う。あんなにキラキラツヤツヤしていない、表面が少しザラザラしている。
貰った物の正体は魔女に聞くとして、お使いはこれで終わりだ。爺さんの話が再開しない内に戻らなければと、コルトは早足で店を横切った。
しかしドアに手をかける直前、呼び止められた。爺さんではなく、最初にこちらを睨みつけてきた男女の、男の方だ。
「なあおまえ、さっきもその辺うろついてただろ」
おそらく魔女を探して走り回っていた時のことだ。それなりに大勢の人とすれ違ったこともあってコルトの方はこの男を覚えていないが、ひとまず頷いておいた。
「連れの亜人はどーしたんだ」
「外で待ってもらってます。魔女さんが、一人で行けって言ったから」
「はあ!? で、女だけで置いて来たのか。そりゃおまえ、さらってくれって言ってるようなもんだぞ、バカめ」
ドキンと心臓が跳ね、冷たいものが背中を一直線に走った。男がせせら笑う音も、どこか遠くのものに聞こえる。
「ここ、悪党の町だぜ? あんなカネになりそうなモン、俺でも――」
無駄話を聞いている場合じゃない! コルトは我に返って、そのまま店の外へ飛び出す。
「……居ない!」
ラフィスも、魔女も。左右を見渡しても薄闇の廊下が続いているだけで、人っ子一人いなかった。
裏がある、そこまでは勘付いたのに。もっと慎重になるべきだった、相手は得体の知れない魔女なのだ、ラフィスを一人にさせてはいけなかった。後悔ばかりが募る。
「ラフィスぅー! どこだぁーっ!」
心の底から沸き上がる叫びを、そのまま闇の中へ投じる。しかし返しの言葉は聞こえず、ただ自分の発したそのままが冷たい石壁に跳ね返ってくるだけだった。