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半機の少女 ラフィス ―古の少女と導きの少年の物語―  作者: 久良 楠葉
第三章 悪党の町と記憶見の魔女
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日陰者の掟 1

 ジャスパの幌馬車は一晩中続いた大嵐でも破損しない、非常に頑丈な造りをしていた。荷台も車輪も総じて太く分厚い材木でできており、要の部分は金属板でしっかり補強されている。幌は油を塗って防水加工をした分厚い布を三層に重ねてあり、前後左右をぴったり閉じれるようにもなっていて、積み荷が雨のダメージを受けるのを防いでいる。巷の幌馬車とはかけ離れた重装備だが、これは異能で引く馬車で、重さと馬力の兼ね合いを考えなくてもいいから可能なことだ。


 さて、馬は。ジャスパが御者席に座り、手綱の先を適当に前方へ放り投げると、闇からぼうっと浮かび上がってくる。半透明でぼんやりとした、幽霊の馬だと説明したら誰もが頷く外観だ。一応実体があって、手を伸ばせば触った感覚はあるものの、生き物の馬とは全然違う温度がなくて得体のしれないブニャンとした触感だ。馬自身は触られても反応を見せず、虚ろな目で前を向いたままである。


 世にも奇妙な幽霊馬車だが、いざ手綱を引いて走り出すと、とにかく速い。一般の馬車なんてあっという間に置いて行かれる速度で、徒歩なら最低三日はかかる距離をジャスパの馬車はわずか一晩で走破する。果たしてどんな動きでこのスピードを出しているのかとらえようとしても、馬の足は煙のようにぼやけていて、いっそ浮遊滑空しているようにしか見えない。いっそ幽霊馬は飾りで車輪自体がものすごい速さで回転しているのか、とすら思わされる。細かい原理は――使い手のジャスパすらも――わからないが、とかく非常識な推進力を持っていた。世界最速とうそぶくのは伊達じゃない。


 なお、御者席には粗削りな木彫りの馬が、落っこちないようロープで括り付けられて鎮座している。これは別に能力アビラの発動には関わっていない。作った設定に説得力を持たせるためのアイテムだ。


 そんな馬車の荷台に乗って、コルトたちは運ばれていく。最初こそ激しい揺れで酔うわ転ぶわの大騒ぎだったが、移動二日目にして少し慣れ、今では大きな揺れには飛び上がるものの居眠りをできるほどになった。むしろ夜で幌の中は真っ暗だから、寝るぐらいしかやることがないのが本音だ。自分たちは夜の移動中に眠り、昼間ジャスパが休んでいる時に散歩がてら食料探しに行くなど活動をする、ごく普通の生活サイクルに収まった。


 疾走中の風景が見てみたくて、一度だけ無理を言って御者席に乗せてもらった。


「やめといた方がいいぜ、小便ちびんぞ。知らねぇぞ」


 そんなジャスパの警告は、どうせまた大げさなことを言っていると聞き流した。


 が、話半分にしたことをコルトはすぐに後悔した。確かに、他で経験できないほど超速で景色が流れていくのは見物だ。しかし、道のカーブで馬車の外に投げ出されそうになったり、段差で車体が弾んで尻が浮いたり、揺れが幌の中と違って即転落に直結する状況で、とにかく怖くてしかたがなかった。うっかり落ちたら笑い話じゃすまない、位置によっては最悪車輪に轢かれることになる。


 結局早く止めてくれとジャスパにしがみついて、散々笑われながら幌の中に戻った。青ざめた顔を見て事情を察したラフィスにもクスクスと笑われたが、恥ずかしいともなんとも思わなかった。一時の羞恥心よりも命の方がはるかに大切だ。


 そんな一幕があったものの、旅路は順調極まりない。三日目の明け方に街道近くの村に寄って、ジャスパが元々依頼されていた荷物の引き渡しを行った以外では、交通を妨げられることがなかった。自分の足で歩かなくても寝ていれば勝手に目的地に到着する、こんな気楽で幸せなことがあるだろうか。


 それに、大人が一緒に居るということが非常に心強かった。困った時に頼れるから気を張らないで居られる。これはラフィスも同じ思いのようで、昼間の停車中はご機嫌に鼻歌を歌っていたりするし、じっとコルトの顔色を伺うことも少なくなっていた。


 コルトにとって一番大きいのは、やはり普通に会話をできる相手ができたという点だった。休憩中や食事時に、今日見たあれがどうとか、さっき拾ったそれがなんだとか、くだらない話をできること。これがどれほど幸せなことか、ラフィスと旅に出てからとことん身に染みている。



 こうして快適な旅路が続き、もう今日を含めた二、三日以内にエグロンへ到着するとなった夜のこと。風のごとく突き進んでいた馬車が不意に止まった。


 これまでもジャスパは度々馬車を止めて小休憩を挟んできた。長時間能力を使いっぱなしでいるのは集中力と根気が必要で、精神的にとても消耗するためである。


 ただ、今回はいつもの休憩とは様子が違った。まず、かなりの急停止であった。加えて、ジャスパが誰かと話している声がする。


「どうしたんだろう……」


 まどろんでいたコルトだったが、荷台が大きく揺れた弾みですっかり目を覚ましていた。ラフィスも同じだ。幌はぴったりと閉じられていて、外の状況は一切わからない。暗闇の中で顔を見合わせ、様子を見に行った方がいいかもとの気配を互いに醸す。


 ところが、心配をよそにジャスパの方からやって来て、馬車の後部が開かれた。沈みかけのあかい月がちょうど背景の真ん中に来る方角だった。ずっと暗闇の中に居たから、月明かりでも眩しく感じられた。


 逆光の中、ジャスパと一緒に別の人物が立っている。真っ黒いロングコートを着て、肩にずた袋を引っかけた男だ。歳頃合いはジャスパと同じか、ほんの少し若いくらいの印象だ。暗がりで顔がはっきり見えないから、正確なことはわからないが。


「よぉ、悪いな。おまえらと同じエグロン行きのお客だ、一緒に乗せてやってくれ。お互い仕事の邪魔はしないって約束だ、おまえらもその辺よろしく頼むぜぇい」


 ジャスパは事もなげに軽妙な笑い声をあげている。むしろ普段より機嫌がよいくらいだ。


 しかし、同じように軽く流して受け入れるには、黒コートの男は少し異質が過ぎた。外見が問題なのではなく、彼の周りだけどんよりと空気が滞っているような、得体のしれないオーラがあるのだ。姿を見るだけでザワッと鳥肌が立って、後ずさりをさせられるような。


 黒コートの男は気だるげな足取りで荷台に乗ると、そのまま入ってすぐのところで座り、壁に背を預けた。ずた袋は脇に置き、足は大きく投げ出して、両腕を頭の後ろへ回して枕とし、そのまま眠る格好だ。


「よし、じゃあ、再出発と行きますかねぇ」


 ジャスパはニシシと笑うと、幌を元通りぴったり閉じて御者席へ戻って行った。


 空間が閉ざされたことで顕著になったのだが、乗って来たこの男、やけに臭い。汗とか泥とか、その他諸々の汚れをまぜこぜにして熟成させたような臭いがある。ぼさっとした髪型も相まって、とんでもなく不潔な印象だ。


 またそれだけでなく、直接鼻をつく臭気と少し違う、本能的に嫌悪感をもよおす臭いもある。これはどこかで嗅いだことがある、知っているタイプの臭いなのだが、はっきりと正体はつかめない。とにかく嫌な感じだ。


 荷台の前部にて膝を抱いた格好でコルトは固くなっていた。そこへラフィスもぴたっと身を寄せて来る。闇の中でも輝く目が、不信感をありありとさせて男の方を見ている。トクントクンと心臓が緊張した音を立てているのも聞こえる。


 馬車は何事もなく動き始めた。ぐんぐん加速して、いつも通りガッタンゴットンと激しく揺れだした。コートの男は特に驚かず、最初に決めた姿勢のまま動かないでいる。つい先ほどの出来事だ、深い眠りに入っているとは思いがたい。おそらくだが、ジャスパの馬車に慣れているのだ。


 幌の中にはしばらく車輪の音だけが響いていた。その中でラフィスがふとコルトの名を呼んだ。顔と顔の距離が遠かったら、外からの騒音に紛れて聞き逃してしまっただろう小声だった。視線はじっと男の方を向いたままだ。


「ユジェナ、ルシェ、テムナ、ルクノール……?」

「うーん……。違うと思うよ」


 ルクノールを神と信奉する教会の者ではないのか、と、聞かれていると推測したうえで、コルトは首を横に振って否定の意を示した。教会の修道士も黒の長衣を着用している。この暗がりでは細かい意匠や型を見ることは叶わないから、色合いと丈で教会関係者と思って警戒していたというのは納得できる。


 だが、あの男は教会の人ではない。生まれ育った村は教会を中心に社会が成り立っていた、修道士の衣装も司祭の衣装も飽きるくらい見たことがあるから、同じ黒でも別の質だとは自信を持って断言できる。


 そんな風にこそこそ話していたら、コートの男が身じろぎをした。体をひねって姿勢を変え、コルトたちへ背を向ける格好になる。偶然にしてはタイミングが良すぎる、つまり。


 ――聞こえてたんだ。


 聞こえないように音を絞っていたつもりだし、馬車の疾走に伴う音が大きく響いているこの状況、聞こえたならよほどの地獄耳ということ。だからといって感心するわけでなく、むしろ不審感がひた募るばかり。


 態度で示されるとラフィスにもはっきり伝わる。彼女はまだ何か言いたそうにしていたが、これっきりで口をつぐんだ。ただし相変わらず男へ視線を突き刺したまま、緊張は保っている。呼吸に合わせて微妙に目の光が明滅している。


 お気楽な旅路が一変した。コルトとラフィスはじっと横たわる不審な男を前にして、眠れない夜を一言も発しないまま過ごしたのだった。

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