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半機の少女 ラフィス ―古の少女と導きの少年の物語―  作者: 久良 楠葉
第一章 山村の少年と異空の少女
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ウィラの村 2

 結論から述べるなら、コルトが心配したような事柄は起こっていなかった。ラフィスは村の中で見つかった。村の一番はずれで、あと少し進めば森の中という地点ではあったが。


 祭りの道具や大型の農具などが保管されている、村の公用倉庫の裏手で見つけた。壁際にうずくまっている。膝を抱き、顔を伏せ、しゃくりあげるように肩を震わせている。誰にも知られない場所で、声を殺して泣いている。


「ラフィス……大丈夫?」


 コルトが声をかけると、ラフィスはハッとして顔をあげた。


「コルト……」


 ラフィスは柔らかい左手で目を擦り、涙を拭い、濡れてぐしゃぐしゃになった顔をほほえみに作り替え、歩み寄ってくるコルトを迎えた。が、すぐにまた涙が頬を伝う。琥珀の瞳の目からも、宝石の目からも、どちらからも同じように雫が溢れてくる。


 ラフィスがどうして泣いているのか、正しい理由を知ることができない。だからどう慰めていいのかもわからない。もしかしたら、気が済むまで一人で泣かせてあげた方がいいのかもしれない。しかしコルトにはそれができなかった。辛い思いをしているのを知っておきながら、そのまま放置しておくなんてそんなこと。


 コルトはとりあえず隣に両膝を立てて座った。なるべくラフィスの近くに、しかし体と体が直接は触れない、そんな距離を保った。


 コルトは人生経験の浅い子供だ。泣いている人をなだめる手段として、優しい言葉をかける以外のことはほとんど知らない。


 どうしたものかと少し考えてみる。そうすると、思い浮かぶのは母親の姿だ。自分がべそべそ泣きながら家に帰った時、母はどう迎えてくれたっけ。「あらあら、どうしたの」なんて笑いながら、ひょいとしゃがんで目線を合わせ、そして――。


 コルトは母に習って、ラフィスの頭へ手を伸ばした。置いた手のひらをぎこちなく動かして、うつむき気味に下げられた金色の頭を撫でまわす。


「大丈夫だよ、ラフィス。いろんなこと不安だと思うけど、でも、きっとみんな助けてくれるから。もちろん僕だって一緒だからさ」


 たとえ内容が伝わらなくとも、優しい声で語りかければ気持ちは届くはず。だからコルトは、ラフィスがすすり泣いている間ずっと声をかけ続けた。


 ふとラフィスの背中に目が行く。翼のような構造物は、肩甲骨の付近から突き出している。それが邪魔になるからだろう、着ているワンピースは背中が大きく開いていた。露わになっている部分は、金属の翼が生えている以外、人間の肌とまったく同じ。その肌にところどころ傷痕がある。いずれもかなり古いものだが、深く切った痕や、火傷をした痕がいくつも。


 一体ラフィスはどんな世界で生きてきたのだろうか。傷の痕跡から、あまり穏やかな過去でないことは察せられる。無機質な身体もだ。なんらかの事情で生まれつきこんな姿だったのか、本人が望んでこういう異形の人間になったのか、それとも怪我や病気でこうならざるを得なかったのか、わからない。わからないが、肉体的にも精神的にも苦しい思いをしてきたに違いない。あげく、あんな寂しい場所に封印されていたのだ。


 想いを馳せればそうするほどに、喉の奥がぎゅっと締め付けられる。すすり泣く声に半ばつられるかたちで、目頭の奥も熱くなってきた。溢れそうになってきた水を、ラフィスにそれと悟られぬよう、そっと服の袖で押さえて吸わせた。


 そんな時だった。何人かの大人の足音がこちらへ近づいてきた。


「あっ、居た! よかったよかった」

「イズ司祭、見つかりました! こっちに居ました!」


 最後に司祭がバタバタバタと走って来て、コルトたちのいる倉庫の裏手に姿を現した。黒くて肩幅の広い祭服を着た司祭が大人の男二人を従えて物陰に立った様子には、やたらと威圧感があった。コルトは思わず唾を飲みこんで姿勢を正した。


「ああコルト君、無事でよかったです。お嬢さんの方も……」

「はい。僕もラフィスも特に怪我とかないです」

「うんうん、それはよかった。じゃあ戻りましょうか」


 司祭はにっこりと笑いながらコルトたちの目の前に歩いてくる。それに怯えるように、ラフィスがコルトの腕に縋り付いた。肩に顔を寄せ隠れるように、ぴったりとくっついてくる。


「あっ、いえ、司祭。ラフィスが教会を嫌がっているので。理由はわかんないですけど……。だから、とりあえず僕の家に連れて行こうと思います」

「そういうわけにもいかないでしょう。コルト君、きみのお母さんのお腹には赤ちゃんが居るでしょう。そういう時は、余計な心配や不安を与えてはいけません」

「でも……」

「そのお嬢さんと、お母さん。きみはどっちが大事なのですか、コルト君?」


 コルトはぐっと唇を噛んだ。子供心にもひどく意地の悪い質問だとわかる。どちらかなんて選べるはずがないのに。


 いや、違う。教会の教えには、「子は父母を敬え、親は子を愛せ」とある。だから司祭の中では母を選択するのが正解で、コルトにもそれを期待しているのだ。苦悩させようという悪意の問いではなく、この村で生まれ育った子としての常識を確かめるための問いかけだ。


 しかし。コルトは首を横に振った。


「どっちも大事で、選べません。母さんにはちゃんと事情を説明して、ラフィスのことは僕が面倒を見るって言います。だから落ち着くまでは、ラフィスの居たいところに居させてあげてください」

「ですがコルト君……いえ、そこまで言うならもう良いです。とりあえずはコルト君の家に居てもらいなさい。ただし、くれぐれもご両親には迷惑をかけないように」

「わかりました! よしっ、行こう、ラフィス」


 コルトはラフィスの手を握って立ち上がり、ジェスチャーで一緒に行こうと促した。ちょっと強引気味に手を引っ張ったのは、一刻でも早くこの場、いや、この大人たちの前から去りたかったから。司祭はやれやれとばかりにため息をついているだけだし、他に至っては「意地っ張りになったな」「コルトも色気づいてきたか」などと茶化すように笑ってすらいるが、なんとなく嫌な感じがしたのだ。特に司祭に対しては。


「大丈夫だよラフィス。母さんなら絶対、優しく迎えてくれるから。僕の母さんだもん、大丈夫大丈夫」


 そんなことを唱えながら、困惑しているラフィスを引きずるように早足で自宅へと向かった。




「まあまあ、うちに連れてきちゃったの。教会で保護してくれるって話にならなかったの? 困ったねえ……」


 家に入って顔を合わせるなり、コルトの母は目を丸くしてそう言った。息子が奇妙な少女を連れて帰ってきた、その情報は既に耳へ入っていたようで、ラフィスの姿そのものに驚く様子はない。椅子に座って編み物をしていた手を止めて、息を弾ませて隣に駆け寄ってきたコルトに対し、落ち着いた雰囲気で向きなおった。


「母さんお願い、ラフィスは教会に行くのが嫌みたいなんだ。だからうちに居させてあげてよ。僕がちゃんと面倒見るから、お願い」

「ウサギやリスの子を拾って来たみたいに言うけどねぇ……」


 母は弱ったように眉を下げた。コルトの影に隠れて立っているラフィスにちらと目線をやる。親目線になると、急に子供が一人増えると言われたようなもの。無意識のうちに新たなる命が宿るお腹に手をやり、そして思い悩む。


「ねえ。コルトにとって、その子はどういう子なの」

「どういうこと?」

「たまたま出会った通りすがりの人なのか、それとも友だちなのか、とかさ」

「友だち……うん、友だちだよ」

「そっか。コルトのお友だちなら、大切にしないといけないね。せっかく来てもらったんだ、ゆっくりしていってもらいなさい」

「ほんと! ありがとう、母さん」


 コルトはぱあっと顔を輝かせてラフィスを振り返った。きょとんとしていたラフィスだったが、コルトの笑顔につられるようにニコリと笑った。


「でもね、コルト。父さんが帰って来たら、これから先のことはちゃんと決めるよ。いくら困っているお友だちでも、いつまでも居候させておくわけにはいかないからね」

「うん、わかってる。ラフィスが落ち着くまでの間だけだよ」

「そう。ならいいんだけど」


 母は苦笑した。


 その時、ラフィスがコルトのことを呼んだ。


「コルト。アユル、イグ、リーミア?」


 首を傾げながらコルトの母の腹を指さし、次いで両手を動かして、小さな人の形を宙に描いて見せる。ラフィスが言わんとすることは、コルトよりも母が先に理解した。ははっと笑って、それから大きく頷いた。


「赤ん坊が居るんだよ」

「アカンボ……」

「そうだよ。コルトの弟か妹。今度はきっと元気で生まれてくるさ。ね? 待ってるよー」


 母は大きく張り出したお腹をさすりながら、中にいる赤子に呼びかけた。


 今度は元気で。そう言うのには理由がある。実はコルトとこの赤子の間にもう一人子供が居たのだ。コルトが四歳の時に産まれた、女の子だった。ただ生まれつき虚弱で、生後十日の内に息を引き取った。


 コルトにとっては、それが人間の死に直面する初めての経験であった。さっきまで動いていたものが、今は冷たくなって動かない、その得も言われぬ恐怖と悲哀。昨日居た妹が今日はどこにも居ない、明日も、その次もずっと居ない、それをはっきり認めた時の寒気がする感覚。あれらを深く思い出すと、今でも胸が苦しくなってがむしゃらに叫びたくなる。家族に見られないところで密かに泣いていた父の姿も、「かわいい子だったから、神様が気に入って連れて行ってしまったんだよ。しょうがない」とボロボロ泣きながら強がっていた母の姿も、脳裏に焼き付いて消えない。


 ふと、今の母の表情が気になった。慈母の笑みを浮かべて赤子をあやすようにお腹をさすっている。しかし、その笑顔はかなり固かった。目ではちらちらとラフィスの方を伺っていて、床についた足にも妙に力が込められている。これはどうやら――ラフィスのことを警戒している。


 コルトは慌てて部屋の出口へ走った。身重の母に不安を抱かせてはいけない、司祭にもきつく言われたことだし、コルト自身もそうしたくないと思っている。もう家族から笑顔が消えるのはまっぴらだ。だから、とりあえずラフィスを別の部屋に連れていこう。直接手が届かないところに居るならば、何かされるかもと心配しなくていいはず。


「ラフィス、僕の部屋に行こう! おいで!」


 部屋の出口で手招きすると、ラフィスはうんと頷いて応えた。それから母に向かってペコリとお辞儀をしてから、コルトのもとへ走ってきた。


「僕の部屋は、上にあるんだ。ほら、そこの階段を登って」


 早口でまくしたてながら、いそいそと母の居る部屋を去る。最後に死角へ入る寸前、母が長い溜息を吐いて机に突っ伏す姿がコルトの目に入った。 


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