エピローグ・イン・オムレード
ある夜。古城都市の一角にある鍛冶工房に強い酒の香りが漂っていた。工房の主人を中心にくたびれた仲間たちが集まって、日ごろの鬱憤を晴らすべく飲んで騒いでいる。酒気にやられて滑らかに回る舌が喋る内容は、もっぱらこの十日足らずの内に起こったことばかり。職人たちにとって、そしてオムレードという町にとって、大きく流れが変わるような事件がありすぎた。
「いやー、しかしまあ、めでたいねぇ。とうとうあのクソったれの女王が失墜するかもしれんと思えば、わくわくしてくるわ」
「あんまり大声で言うんじゃないぜ。無闇に言うと運気が逃げるってよ」
「半分確定したようなもんだろ。あの坊主たちにやられてからはちぃとも人前に出て来やしないし、手下の連中も大人しくしてるし。おまけに、政府もはしごを外しやがったと」
「政府の連中は連中で気に食わんがな。結局金に目がくらんだんじゃないか」
「でも、あれだけのお宝をギルドのやつらに独占されるよりいいだろ。エルツ銀だぞ? うまくいけば、どっかの富豪が開発資金を回してくれるかもしれん」
「そうなりゃウチの一人勝ちだ。なんたって、カラクリ自前で持ってるんだからな」
「いいねぇ、夢があるねぇ。じゃあほら、祝賀会だ! ほら飲め!」
はははは、と年配の男たちの品がない笑い声が響いた。
このような密やかな祝勝会が、実はオムレードの各所で開かれていた。町人たちを駆り立てるのは何か。その根幹はずっと町を支配してきた輝石の女王が他所から来た亜人娘に倒された、という噂だ。
あくまで噂なのは、女王が敗北する決定的瞬間を見た人が居ないからである。輝石の女王ことイネスが二人の子供たちを自ら追って、広場の崩落した穴へ飛び込んでいったところまではいろんな人が見ていた。その後、地下通路でなにが起こったのかは当事者たちのみぞ知ること。間違いなくある事実は、地下から気絶したイネスとその腹心の男が運び出されたことと、追われていた側の亜人娘とその連れの少年が行方知れずになっていることだけ。
たったそれだけの事実で、色々なことを想像する余地がある。しかしイネスを良く思わない人たちにとっては、明らかになっている事実だけでも、晴れ晴れとした気持ちで拳を天に突き上げるに足る代物であった。
彼らは女王の性格をよく知っている。高飛車でプライド高く見栄っ張り。もし地下でイネスが例の子供たちを始末したのならば、今頃それを自分の功績だと言い広めているはずだ。世を滅ぼす危険な亜人を始末した英雄だ、我を讃えよ、と。だが、そんなことは一切ない。それどころか、人目を忍ぶかのごとくギルドの本拠に篭って沈黙を貫いている。これまでを思えば異常事態だ。ということは、地下で初めての敗北を味わったのに違いない。誰も堂々とは口にしないが皆そう察した。そして裏では清々した気分で「ざまあみろや」と言っているのである。
そしてもう一つ大きな朗報があった。例の地下通路から、大量のエルツ銀が発見されたことだ。これは特に鍛冶に携わる者たちを感動に打ち震えさせた。
さらに、財宝発見による単純な歓喜以上の、誰も予想しなかった作用をもたらした。政府とギルドの蜜月の関係を壊したのである。
製法の失伝した伝説の銀細工だ、コレクター気質の好事家や、実用武器を求める異能者など、大枚をはたいてでも欲しがる人がたくさんいる。そんな利権のにおいを嗅ぎつけたオムレード元首が、地下通路は個人の所有する土地でなく公共に属するものだ、だから地下にあったエルツ銀もすべて政府が接収する、と布告した。当然ギルドは自分たちが発見者だ、自分たちに所有する権利があると楯突いた。が、政府は断固として拒否した。ギルドに媚びて得られる以上の利潤をエルツ銀がもたらしてくれる、そう判断したのである。
政府がギルドを切り捨てたのには、イネスが打ち負かされたことも大いに影響している。誰も逆らえない最強の女王であったからこそ、好き勝手を許す価値があったし、政府人も逆らうことができなかった。その根底が崩れたのだから、使えない駒は捨てるとばかりに手のひら返すし、強気に出られるようになる。器の大小はさておき、至極当然な心理変化だ。
ギルド側も自分たちの立場が危うくなっていることを承知している。だからエルツ銀の所有権について、いつものように強権を働かせることができなかった。法律上で元来異能者は存在自体が罪のレベルに置かれているのだ、政府のさじ加減一つで支配者層から死刑囚まで転落しかねない。騒動から数日たった今でも、ギルド丸ごと沈黙して大人しくしている。
反女王派の職人たちにとっては、すべてが順風満帆だった。独裁体制が崩れて、寂れた古城にまばゆい光が指す。そんな未来を想像したら、これがお祭り騒ぎをせずに居られようか。
工房に集まり現を抜かす職人たち。扉をあけっぱなしにした部屋の前を、工房の旦那の一人息子が通りかかった。
おっ、と父親が声をかけた。
「おいジュラ、おまえもこっち来て飲んだらどうだ」
「いいよ。そんな気分じゃない。……地下に居るから」
「おう。熱心なのはいいが、ほどほどにしろよ。他にも仕事があるんだ、根つめるところじゃない」
「わかってる。でもせっかくだし、試してみたいから」
愛想笑いを浮かべ、宴会が行われている部屋の前を通り過ぎていく青年。誰からも見えないところに来ると、ふっと表情を浮かないものに変えた。
手放しで変革を喜ぶ気分じゃない。イネスに狙われたあの子たちは本当に無事でいるのだろうか、気になって気になってしかたがないのだ。そもそもの原因を作ってしまったのは自分だ、青年は責任を感じていた。しかも自分はお咎めどころか、嫌味や謗りの一つすら受けなかったものだから余計に。
かといって、うじうじ悩んでいてもどうしようもない。彼らの働きを無駄にしないこと、それが唯一自分にできることだ。エルツ銀、復活へ。青年は手燭を持って夜闇に包まれた鍛冶場に入り、地下室への入り口を開いた。
なにも闇雲にカラクリをいじろうというわけでなく、一応の目算をつけて挑戦しようとしている。今宵の鍵にするのは、例の地下通路で発見された銀細工だ。青年の手のひらには、古い王家の紋章がレリーフされたエルツ銀のアミュレットが握られている。これは、友人の知人である政府の重役から公式に譲られたものだ。この工房で亜人のカラクリを保存しているとはかつてより知られていた――あくまでも骨董家具としてで、まさか稼働させようとしているとは誰も思っていなかったが。今回の事件を機に、政府をあげてエルツ銀復活に取り組む気になった。そこでまずはカラクリを所有しているこの工房へ協力要請が来て、参考材料として本物のエルツ銀が贈られたわけである。
青年はエルツ銀を手にしてすぐにひらめいた。亜人の彼女、ラフィスは異能の雷でカラクリを動かそうとしていた。そして実際に動き出す片鱗を見せていた。ここで鍵になったのが魔力のはたらきだったとすれば。エルツ銀を精製した際に銀が吸着した四つ手の亜人の魔力が、カラクリの眠りを完全に解く呼び水になるかもしれない。
思いついたらすぐに試すべし。青年は少し緊張した気持ちで、真っ暗な地下の階段に足音を響かせた。
しかしその途中で、青年は信じられないものを見つけてしまった。
「……あぁ? え? は? ちょ、ちょっと……えぇ!?」
階段から転げそうになったが、壁に倒れ込む形でなんとかこらえた。その場にへたりこんだ格好のまま目をこすり、何度も瞬きし、しまいには自分の頭を叩いてみもした。しかし、どうしたって見ている光景が――地下室に人が居るという光景が嘘でないと示すだけ。
しかもただの人ではない。真っ暗闇の空間に、ぼんやり白く発光するように浮かんでいる人影だ。教会の修道士が着るようなゆったりとした焦げ茶色のローブを着て、頭は毛皮のフードですっぽり覆った大柄な後姿が、服の色や皺まではっきり見て取れる。一方で半分透き通っていて、まるで煙を見ているかのような実体のなさ。そう、これはきっと――幽霊だ。青年は思った。
幽霊の人はカラクリに向いていた。鈍色の籠手をつけた左手でカラクリに触れていた。だが、腰を抜かした青年が凝視していると、その手をするすると引っ込めた。
そして、背中を向けたまま話しかけてきた。低く渋い男の声は、地の底から湧き上がるように小さな空間でよく響いた。
「ここに居た彼女は、無事に逃げたか?」
「いやっ………わ、わからない……たぶん、きっと、生きてると思う、思いますです」
「思いたい。世界を変える、希望の一つだ」
「そうですね、いや、その前に、あ、あのっ。あなたは! もしかして、このカラクリの!」
幽霊の男はなにも答えなかった。それどころか振り向きすらせず、ふっと蝋燭の火を吹いたように消えてしまった。
青年は転げるように立ち上がり、慌ててカラクリの前に行った。男が立っていた付近を手燭で照らしてみるが、何ひとつ変わったものは残されていなかった。カラクリになにかされたということもなく、見慣れた姿のまま鎮座している。
だが。なぜだろうか、闇に佇むカラクリに生気が宿ったように感じられた。パーツが欠けたとか増えたとか、そういうことは何も無いし、この前のように触ったらビリっとくるということも無いのだが、こうして明かりで照らしてやると、いつも以上に光り輝いているような気がする。確かに今日の昼間、布で拭いたり細部の埃を掃き出したり、掃除をしてやった。だが、それだけでこここまで変わるだろうか? それとも気のせいか。
はぁぁと青年は色々な感情の織り交ざった嘆息を漏らした。
結局今の幽霊はなんだったのか。カラクリの持ち主だった四つ手の亜人か、それとも。わからないが、ただ、彼の言った言葉が妙に心に刺さった。彼女は、ラフィスは世界を変える希望の一つだと。
確かにそうだ、コルトとラフィス、あの二人組がオムレードの在り様を大きく動かした。これから目覚ましく変わっていくだろう、その芽を吹かせたのだ。本人たちも気づいていないようなことかもしれないが、確かにやってくれた。
では、その芽を育てるのは誰か。古城の淀みを洗い流すのは誰か。それはオムレードに住まう人が自らやるべきだ。
「よぉぉぉぉしっ、俺もやったる!」
銀のアミュレットを握った拳を突き上げる。決意のこもった青年の雄たけびが、闇を裂いて工房に響き渡った。




