悪意の渦 4
ギルドや政務所の城館が面する広場に到着した。そこには輝石の女王をはじめ、多くの人が待ち受けていた。中央でふんぞり返るイネス、その脇にウルフェンがついている他、ギャラリーのほとんどはギルドの関係者だ。彼らから一歩引いたところで、広報の記者や物好きな一般人が成り行きを見守っている。政府の役人たちはさらに外側から遠巻きに、あるいは役所の窓からこっそりと覗いている。都市人口からすると集まった絶対数は少ないが、層が厚い。この目撃者たちにより、これから起こることは瞬く間に都市中に広められるだろう。
「女王様、連れてきましたよー」
猫に化けていた女がほがらかに言いながら、抱えていたラフィスを乱暴にイネスの前に放り出した。石畳に叩きつけられ、体の金属がガンと痛々しい音を立てる。
ショックで意識を取り戻したか、ラフィスが少し身じろぎした。コルトはたまらず駆け寄った。勝手に動いたものの、後ろから弓矢が飛んでくることはなかった。
「ラフィス、しっかり……!」
頭を大きく揺らさないように抱きかかえながら、軽く肩や手を叩く。そうするとラフィスがゆっくりと目を開けた。まだ夢半分現半分でぼーっとしている。
その最中、いつの間にか周りを囲んでいたギルドの者たちが、一斉に得物の切っ先を向けた。イネスも威圧的に見くだす格好で、鉄扇の先をラフィスの額へ間接的に突きつけた。
ようやく周囲の映像がはっきりしてきて状況がつかめたのだろう、ラフィスがはっと顔色を変えた。自分の力で身を起こし、立ち上がろうとする。が、四方八方から刃が向けられているのだ、下手に動けば誰に刺されるかしれない。片膝をついてしゃがんだ姿勢で固まった。恐怖しているというよりは、焦っている表情だった。
コルトはイネスの目を真っ直ぐに見ながら叫んだ。
「なんでこんなことをするんですか!」
「坊やたちがオムレードの平和を脅かす危険分子だからだ。わたくしは女王、ゆえに皆を守る義務がある」
「でも、僕たちは何も悪いことしてません」
「何を言うか。ギルドに属さぬアビリスタが人間に対して能力を使えば、それだけで重罪だ。政府が定めた世界共通の掟よ。仮にもギルドに加入しようとしたのだから、知らぬはずはあるまい」
「人に怪我させたわけでもないし、物を壊したわけでもない。それでもダメなんですか」
「もちろん、法律で決められておるゆえ。しかし、そう言うということは、アビラを使ったことは認めるのだな。まあ、目撃者もいるから、どう足掻いても言い逃れはできまいが。フフフ」
イネスは勝ち誇った笑みを見せている。
コルトはギリリと歯噛みした。
「そのためにずっと尾行させてたんだ。僕たちの粗探しをして、罪を着せるために。なんでだよ、この卑怯者――グワッ!」
イネスの隣から跳びかかって来たウルフェンに上体を蹴られ、コルトはその場で後ろに倒れ込んだ。胸と背中との二段構えの打撃に息が詰まって、一瞬頭の中が白くなった。
「女王への侮辱は許さん」
静かな怒りに満ちた顔で放たれた一言も、倒れたまま悶え咳きこむコルトの耳にはろくに届かなかった。痛い、めちゃくちゃ痛い、苦しい、死にそう。苦痛を受容するだけでいっぱいいっぱいだ。こんなに痛い思いをするのは、九歳の時に村の祭りで羽目を外し登った農具小屋の屋根ごと落ちた事故以来。あの時は痛くて泣きわめくのを父母を始め大人たちが助けてくれて、馬鹿をするなと叱りつつも、優しく心配してくれた。
今は。助けてくれるのも心配してくれるのもラフィスだけ。周りの人々は見ているだけ。イネスの嘲笑が耳障りに響く。
「わたくしを卑怯者呼ばわりとは片腹痛いわ。わたくしは女王、町を守るためならどんな手を使うのも当然だろう。亜人はとりわけ危険だからな。昨今は過激な宗教思想に染まっているというし、いつどこでなにをするかわかったものじゃない。そうしたら案の定だ。そして……他にも隠していることがあるだろう? ねえ?」
イネスはそう問いかけておきながら、答えを一切待たずに話を進行する。ピシャリと手で扇を打ち鳴らし、注目を集める仰々しい身振りをつけて言う。
「今朝方教会から情報が入ったわ。教会がある人物を追っている。東の山村に現れた神殺しの使徒エスドアの従僕、翼のある異形の容貌をした女、世界を焼き尽くさんとする破壊の使者。まさしくそやつのことだろう!?」
この話は役人や一般市民はもちろんのこと、ギルドの者ですら知らなかった人が多かったようだ。広場一面にどよめきを生むインパクトを残した。同時に、好奇心やあざけりなど様々だった目の色が、畏怖の一色に塗り替えられていく。
ラフィスはラフィスで、エスドアという言葉に反応し、ピクリと肩を揺らした。具体的な内容は通じなかったとしても、話し方や表情から、良い話なのか悪い話なのかは判断できる。ラフィスは明確な怒りを湛えた目でイネスを睨んだ。
イネスがあからさまな嫌悪に顔を歪めた。爪で扇を弾く苛立った音が不定律に響く。
「なんだその目は。エスドアは神殺しの大罪人、それを信奉するおまえたちも同じ罪人よ。世界を滅ぼす悪魔だ、そう断じてなにがおかしい。人語もまともに話せぬ亜人以下の畜生めが、何をもってこのわたくしに刃向かうか」
皆まで話を聞く前に、ラフィスは目を伏せうつむいた。傍から見れば、弱者が強者に怯え震える哀れな光景だ。それでもイネスは言葉尻を緩めるどころか、逆に責め煽る手を強める。
「あぁ、まこと忌々しい存在よ。だが、この状況。神はおまえたちを見放したのだ。どうだ? 輝石の女王の前にひざまづく気分は。アハハハ……今さらそう祈ったところで、神はもはやおまえたちを救わぬわ」
イネスが指摘した通り、ラフィスは囁くような小声で、祈りのような響きを持つ言葉を延々唱えている。ようやく苦痛から解放されたコルトもラフィスのその姿から、やっぱり神頼みしかないと思わせられた。
しかし。なにかがふっと心に触れた。あれっ、この感じは、と思わせられるものだった。だが、どうしてそんなことを思ったのか、第一何を感じたのか、それは濃霧の中で見る人影のごとく、明確につかむことはできなかった。
一方のイネスは表面通りのこと以外は何も感じなかったようだ。いっそ狂気に囚われたのではないかというほどに、自分に酔った仰々しい語り草を続けている。
「だが感謝するがいい。世界にとって害でしかないおまえたちを、このわたくしが役に立つものにやろう。そう、見せしめになり死ぬことで、おまえたちがオムレードの秩序を守るのだ。考えようによっては英雄であるぞ、良いだろう? ねえ、坊や。男子は皆そういうものに憧れるのだろう? ウフフフフ」
「……頭おかしい」
「それはおまえたちの方だ。もう良い、これ以上話すことも無い。さあ公開処刑だ! 治安局の幹部連中を呼びなさい、教会にも召集を。ああ……昔のようにここに断頭台が無いのが悔やまれる。しかたない、ここはわたくし自ら醜い半機の亜人に天誅を下してくれよう!」
意気盛んに呼びかけると、ギルドの者を中心として広場に歓声があがった。女王、輝石の女王とイネスを讃える声も響き渡る。
お祭り騒ぎのごとく湧いた空気だった。だが、突如としてイネスが凍り付いた。ぎょっとした面持ちで一点を、ラフィスの顔を凝視している。
ラフィスがいつの間にか祈りを止め顔をあげていた。そこに諦念の色はなく、強き意志を秘めている。目はかっと見開かれ、宝石の目が太陽に負けない眩き光を湛えている。
次の瞬間、快晴の空から幾本もの雷が広場に降り注いだ。岩を割り地をえぐる強靭な稲妻が次々とラフィスの周りに、特に正面に居るイネスの近くに襲い来る。まさに天誅という光景だった。
コルトは信じられないという面持ちで座り込んでいた。そして、ようやくさっき感じた引っ掛かりの正体を掴んだ。囁き祈り不思議な現象を起こすラフィスの姿は、彼女と出会ったあの日あの異界で見た謎の男、カサージュのそれにうっすら重なる。あの時、自分はなんと感じたか。
――魔法使い、だ。
「コルト……ッ!」
落雷と悲鳴の合間にラフィスの叫び声が届いた。立ち上がり、コルトの方に手を差し出している。ハァハァと息を切らしてもいる。疲労の滲む顔で歯を食いしばり、額には汗をにじませ、かなり辛そうだ。
コルトとて殴られた痛みは残っているし、体力的にも精神的にもかなりしんどいところまで追い詰められている。だが、ここで力を振り絞らなければどうするのだ。ラフィスが作ってくれた起死回生のチャンス、逃げるなら今しかない。自分に喝を入れるために吼え声をあげながら、コルトは立ち上がった。
「うん、大丈夫、行こう!」
もはや包囲は包囲の体をなしていない。雷がすべてを蹴散らした。あれだけ居丈高にしていたイネスですら、苦々しい顔で落雷の中心地から後退している。恐慌に陥っている人々の間を抜けて逃げるのは簡単だ。コルトは後ろに目もくれず走り出した。
そして広場を抜けられると思った時だった。足下で地鳴りが起こった。と思った瞬間、足が空中を踏んだ。
「うわあぁっ!」
「ヒヤァッ!?」
地面ごと下に落ちていく。およそ一階建ての高さ分落ち、そして石畳だった瓦礫の上に投げ出された。ラフィスも一緒だ。
「いった……今度はなんだよ、これ……」
落とし穴、というわけではないだろう。ギルドの誰かがしかけた異能の罠ならば、今頃上にしたり顔が覗いていてもいいはずだ。これは偶然の出来事、たまたま地下に空洞があり、超自然の落雷による衝撃が崩落の引き金を引いたものであろう。
空洞のほとんどは瓦礫と土で埋まっているが、全体のかたちとしては四角だ。鍛冶工房と同じくらいの広さである。崩れていない部分の土壁は当て木や石で補強されているものの、同時にかなり老朽化していることを如実に示す材料になっている。そして、コルトの前方に通路が続いている。その先は真っ暗で何も見えないし、通路の入り口自体が半分土に埋もれていて、体をねじ込まないと通れないほど狭くなっている。
『いざとなったら城の外に脱出できるような隠し通路も、昔はたくさんあったらしいよ』
工房で青年が語っていたことを思い出す。特に今いる広場周辺は、オムレードでも身分の高い者たちが暮らしていた。ならば、この地下通路が非常時のための脱出経路である可能性も高い。しめたものだ。神はあわれな子供たちを見放さなかったのだ。
コルトが何という前に、ラフィスも自分で通路の存在に気づいた。宝物を見つけたような表情で横穴を指さし、コルトの名を呼ぶ。これに頷いて答えた。
いざ、脱出へ。まずはラフィスが、続いてコルトが通路へともぐりこんだ。




