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半機の少女 ラフィス ―古の少女と導きの少年の物語―  作者: 久良 楠葉
第一章 山村の少年と異空の少女
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ウィラの村 1

 コルトが生まれ育ったウィラの村。山の中にある、人口百人にも満たない小さな村である。山林の恵みを利用して、ほとんど自給自足に近い生活をしている。あまり豊かではないが、平和で穏やかな村だ。


 村社会の中心となっているのは教会である。村人は司祭の指導のもと、神の教えに従い暮らし、常日ごろから神への感謝と祈りを捧げる。生活の中で困ったことがあれば司祭に相談するし、司祭もまた親身になって解決策を考えてくれる。


 そんなわけで、ラフィスを連れて村に帰ったコルトはすぐさま教会へ向かった。神ルクノールの紋章が刻まれた岩のこともあって、ここで頼るべきはまず司祭だと思ったのだ。


 教会の建物へ入ってすぐ右手にある小さな部屋が司祭の執務室だ。一声かけて入室すると、中年の司祭は朗らかな顔でコルトのことを迎えてくれた。が、続けておずおず入ってきたラフィスの姿を見るなり、その表情を驚愕に染め上げた。


「コルト君……その子は、一体、どういう方なのだね? ああ、いや。すまないお嬢さん、失礼した。はじめまして、司祭のイズと申します」

「司祭、だめなんです。言葉が通じなくて」

「なんと」


 ラフィスは口を閉ざしたまま困り顔で、助けを求めるようにコルトの背中へすがりつく。身長は同じくらい。耳のすぐ後ろから、ラフィスが小声で呟く音が聞こえた。意味はわからない。


 道中でもこうだった。コルトが何かを言っても、「わからない」という風に首を振るばかり。逆にラフィスからあれこれ話そうとしてくれたが、こちらも彼女の言うことを理解することができなかった。つまり、不安は予想通りだったというわけだ。


「事情は僕が話します。聞いてくれますか? その、できれば、怒らないで……」

「怒らなければいけないかどうかは、話を聞いてみないとわかりませんね。とりあえず聖堂の方へ移り、神の御前で聞くとしましょう」


 イズ司祭はさっと椅子から立ち上がり、二人の子供達を聖堂へと導いた。


 小さな村の教会だ、堂もさほど大きくない。それでも村人たちの集会場としての役割を果たすに十分な広さがあるし、立派な祭壇やいくつもの宗教画も備えていて、寒村の教会としてはむしろ上質すぎるくらいである。清掃も行き届いていて、聖堂の空気はいつも澄んでいる。


 礼拝の客は誰も居なかった。開放されている入り口には好奇の目をした野次馬たちが集っているものの、中へ入ってこようとはしない。未知の異形に対する警戒心と、よくわからないけれど司祭が打ち出した方策に従えば大丈夫だという信頼が作り上げる距離だ。


 聖堂にずらりと並ぶ椅子たち。その最前列を動かして、コルトとラフィスが横に並び司祭と対面するかたちにする。


 着席すると、コルトは神像のある祭壇を背にする司祭へ、ラフィスと出会うまでの経緯を打ち明けた。神前である、嘘や隠し事はなしだ。司祭が聖堂に場所を移した理由もそこにある。


 山菜を取りに一人で森へ入り、少し疲れたところで見つけた岩に座って休憩を取った。その最中に、自分が尻をすえた岩にルクノールの紋章が刻印してあることに気づき――このくだりでは、イズ司祭は明らかに眉をひそめた。しかし叱責の声を上げることはしなかった。怒らなければいけないかどうかは聞いてみないとわからない、先の宣言通り、最後まで話を聞くことを優先したのだ。


 気づいたら異世界に立っていて、目の前にあった神殿の中で、ラフィスと謎の男に出会った。神殿が崩れて外に飛び出したら、ラフィスと共に元の世界に戻っていた。どうしたものか困り果て、急ぎ村へ戻ってきた。以上、ここまでの流れ。コルト自身、記憶を一つ一つ丁寧に思い出し、再確認の意味を込めながら司祭に語り聞かせた。


 コルトが話している間、ラフィスは隣に座ったまま、きょろきょろと周りを見渡してみたり、じっとコルトの口元を見て話を聞いている素振りを見せたり、司祭に目線をやって反応をうかがったり、彼女なりに状況を理解しようと努力しているようだった。


 コルトが口を閉ざすと、聖堂はしんと静まり返った。聞かされた司祭は、信じられないと言わんばかりに首を振り、そして目をつむって色々と考えている。


「司祭、信じてくれないのですか」

「いいや。きみが嘘をつくような子ではないのはよく知っているし、こうして現実に彼女が目の前に居るのだから、疑う余地はありません。ただ……あまりにも驚きが過ぎました」


 イズ司祭は困ったような笑顔を見せた。


「コルト君。きみが出会ったのは、間違いなく『神隠し』と呼ばれる現象です」

「神隠し?」

「ええ。神に選ばれし者が、神の管理する異界に招かれることがあるのです。こちらの世から見れば、神によって忽然と人の姿が消されたように見えるので、神隠しと呼ばれるようになりました」


 司祭は粛々と説明した。


 コルトのようになんでもない日常生活を送っている中で、予兆なく異世界へ迷い込んでしまった、そういう目にあった人間の記録は古くから残っており、また現代でも度々起こっていると教会の中枢に報告があがっている。迷い込む先の世界がどんなものであるかは人によりけり。既に滅び破壊されたはずの王城の中に居たという話があれば、神話の中でしか確認されない建造物を目の当たりにする例もあった。おおむね過去の世界を切り取った空間に招かれることが多いため、神隠しによる転移先の空間は、「時忘れの箱庭」と総称されている。


「じゃあ、こんな目に遭うのは僕だけじゃなくて、よくあることなんですね」

「『よくある』というのは違います。実際に神隠しから戻ってきた人に会うのは私も初めてです。それに……」

「なんですか」

「私の知る限り、時忘れの箱庭にて神と面会した、そうでなくとも生きている人にあった、そういった事例は教会のいかなる記録にも残っておらず、世間の噂にも聞いたことがありません。おそらくは、きみが世界で初めてです」

「えっ」


 コルトは思わずラフィスの方を振り返った。急なことに驚いたのだろう、ラフィスはびくっと肩を震わせた。宝石の目の中にある光もきゅっと小さく絞られ、感情をありありと語っている。


「コルト……?」


 どうしたの、という風にラフィスが呼んだ。お互いの名前、それが今のところ通じる唯一の言葉である。村に帰りつくまでに、コルトは自分のことを指さしながら名乗るを繰り返し、どうにかラフィスに「自分はコルトという者だ」と伝えることに成功していた。


「ううん、なんでもないよラフィス」


 いたずらに不安がらせないよう、ニッと笑って首を横に振ってみせる。意図はどうにか伝わったらしい。ラフィスも控えめに口角をあげて、コクリと頷いた。


 ラフィスに色々聞いてもしかたがない。コルトは再びイズ司祭へ向きなおった。わかったことは、やはり自分がとんでもない事態の当事者になっているということだけ。詳しいことも説明してくれたようで、実はよく考えてみると何もわからないままである。あの異界がどういった意味合いの場所かよりも、知りたいのはラフィスのこと。それがまったく抜けている。


「ねえ司祭、結局ラフィスは、ルクノール様の使者か何かなんですか」

「わかりません。ですが、神がなんらかの意図をもってこちらの世界に送り込んだのは確実です」


 むう、とコルトは小さくうなった。要するに司祭もわからないのだ。神、すなわち不可視の者の意志がかかっていると説いているが、そんなことくらいコルトにもわかっている。ラフィスは封印されていたようなもの、それが理由なくして解き放たれることはあるまい。


 ――じゃあ、封印を解いたあの人は?


「出会った男の人、たぶんカサージュという名前なんですけど、あれは誰なんですか。あの人とは普通に言葉が通じたんです」

「さあ……。少なくとも教典の中にそのような名は出てきません。あるいは、本当はカサージュという名前ではないかもしれない。コルト君が名前だと思っただけで、実際は、彼女が言った音を拾っただけなのでしょう?」

「……そうです」

「そうすると状況からして可能性が高いのは、神の使徒のうちの一人。男性であることからするに……あっ、お嬢さん。どうしたのですか?」


 ラフィスがふらりと立ち上がり、祭壇の前へと向かう。


 浮彫で飾られた木造の祭壇だ。花が飾られ、蝋燭が灯され、聖人を模した像が並ぶ。最上部には、神ルクノールをかたどった大型の石像がある。ゆったりとしたローブを纏っていて、目を伏せてほほえむ表情も柔らかく、慈愛の溢れる女神を思わせる彫像だ。


 ラフィスは祭壇の真ん前に立ち、神像をじっと見据えている。どこか険しい顔つきだ。体の横に下ろした手指に力がこもり、今にも祭壇に飛びかかっていきそうな気配を漂わせていた。


 司祭が警戒の色と共に立ち上がった。するとそこへラフィスが振り向いた。神像を指さし、小首を傾げて質問をするように言う。


「ルク、ノール?」

「その通り。我らが主、イオニアンの神、ルクノール様の御姿である。それがどうかされましたかな?」


 司祭が大げさな表情と身振りとで肯定の意を伝えると、ラフィスは憂いに満ちた顔になり、うつむいてしまった。


「ユル、ツィーミア……シー……エスドア……」


 誰にも理解されない独り言、そのつもりで呟いたのだろう。声は小さく、儚く、そして悲しげであった。そんな声でも教会の中では異様なまでに反響した。


 ラフィスの呟きにイズ司祭が過剰な反応を見せた。正確には、発せられた一単語に。


「エスドア? エスドアだと!?」


 声を荒げ、眉間に深く皺を刻み、怒っている。傍から見ていて、なおかつ司祭をよく知っているコルトですら、気圧されて身を縮めるほどの変貌ぶりだった。


 司祭に面と向かって詰め寄られるラフィスの恐怖ときたら、想像するまでもない。一歩、二歩と後ずさりし、そのまま身を翻すと、一目散に教会の外へと駆けだしていった。


「まっ、待ちなさい!」


 司祭が焦って叫んでも、そもそも言葉は通じないから止められるはずもなく、玄関から覗いていた野次馬たちも、急なことにびっくりして身をのけぞらせるばかり。ラフィスは一度も振り返ることなく走り、建物の影に隠れそのまま行方をくらませた。


「まずい、まずいぞ……あぁコルト君、あの娘を連れ戻しなさい、早く! 絶対に、村の外には出さないように。危険ですからね」


 そんなこと言われなくてもわかっている。村の外は四方とも広大な山林、獣も居れば、道を見失いやすい地点もある。村の人間だから自分の庭のように悠々と歩き回れるだけで、土地勘も無くなんの装備もしていない女の子が一人で歩くなど言語道断だ。ラフィスが教会を飛び出した頃には、既にコルトも立ち上がって後を追い始めていた。


「おぉ、神よ……従順なるしもべたる我らに、正しき道を示したまえ……」


 そう司祭が悩まし気に唱える言の葉を背中で聞きながら、コルトは必死にラフィスの名を呼ばわりながら教会の外へ走り抜けたのだった。


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