悪意の渦 1
昔、鍛冶工房では大勢の職人が働いていた。特に独り身の若い職人や見習いの子供は、工房に住みこむかたちで働いていた。彼らが過ごしていたのは工房に併設された小さな寄宿舎だ。コルトたちもそこを宿とすることとなった。二段のベッドがいくつも並ぶ部屋で、見た目だけには窮屈だが、他に人が居ないから全部自由に使える、気持ち上は逆に広くて快適だった。少々ほこりっぽいのはしかたがない、ずっと使っていなかった部屋なのだから。背景も知っているから苦に思わなかった。
そして翌朝、まだ世界が夜風に冷えたままの頃。ぐっすり眠って気持ちよく目覚めたコルトは、同じく調子のよい表情をしたラフィスと一緒に青年のもとへ出向いた。工房の一家と朝食をとり、そして仕事の話をするために。エルツ銀復活のために、次は一体何をすればよいのだろうか。
「まあ、そんなにガツガツしなくたっていいよ。俺たちも本業の方が優先だしね。今日はいくつか大きいのも打たなきゃいけないから、あのカラクリいじれるとしても昼からかな」
「じゃあ、鍛冶やってるところ見学しててもいいですか?」
「もちろん。何か手入れするものあったら持って来なよ。隙を見て一緒にやってあげるから」
「ほんと!? じゃあマチェットと、あとナイフも!」
「よし。じゃあ、飯食ったら工房な」
というわけで、この日は鍛冶場見学を行うことに決まった。
工房にて一番始めにすることは火を起こすこと。鍛冶は火の力で道具を作りだす、火が無くては話にならない。二基あるうち、地下室の入り口じゃない方の炉に種火をつけ、炭を入れ、風を送り、火を起こす。青年は慣れた手つきで進めていく。コルトが手伝う隙はない。
とはいえ、火が大きくなり炉の温度が適正まで上がるには、どうしたって時間がかかる。そんな火の世話をする片手間に、青年はコルトの持って来たマチェットとナイフを見てくれた。旅の道すがらあれこれ切ったり刈ったりで摩耗し汚れている。しかし、刃が無くなるまではいっていないし、欠けてもいない。元の造りもちゃんとしているし、少し研げばよく切れるようになるとの診断だった。手が空いた時に研いでくれるそうだ。
マチェットは鞘にしまい、青年の邪魔にならないよう自分で持っておく。ナイフは腰の小物入れに戻した。そこでコルトはふと気づいた。珍しくラフィスの影が隣に無い。
ラフィスは興味深げに工房を見てまわっている。しゃがみこんでハンマーの頭をコンコン叩いてみたり、原料になる鉄鉱石を眺めてみたり。何か重要な物があったわけではなく、かといって悪戯しようとしているわけでもなさそうだ。目は純粋な好奇心に輝いている。
そうこうしている間に、火がいい感じに温まった。青年はあらかじめ持って来ておいた細く短い鉄棒を火ばさみでつかみ、炉の中へ差し入れた。この鉄棒が原料だ。これから作るのはペーパーナイフだから、塊の鉄鉱石やインゴットではなく既に近い形になっている棒から作り始める。
鉄が火にあてられ、徐々に赤熱していく。重い鉄色から暗い赤へ、暗い赤から鮮やかな赤へ。移ろいゆく色をじっと見守りながら、青年がぼんやりと言った。
「なあコルト君。あれからラフィスちゃんは、エルツ銀について何か話したかい?」
昨日はどたばたのまま地下へ連れ込みカラクリに触らせた。緊張していただろうし、不審に思って口をつぐんでいたのかもしれない。コルトと二人っきりになって気が抜けたところで、ようやく打ち明けられた事実があったのではないか。そんな意図での質問だった。
コルトは首を横に振った。
「別に何も。僕も別にラフィスの言ってることわかるわけじゃないですし」
「そっかー」
「あっ、でも……」
昨夜、ラフィスはベッドの上で膝を抱き、神妙な顔をしていた。いつもそうやって考えごとをしているようだが、昨日はあんまり思いつめた風だったから心配になり、「どうしたの」と尋ねた。するとラフィスは二、三度まばたきした後、切なげにはにかんで言った。
『リュシーラ、ウィダ、エルトナス、メイエン、シーエスドア、ジャミュナ』
「なんだかエスドアがどうこう訴えていたけれど……詳しいことはわかりません。タイミングからして、エルツ銀と無関係じゃないと思うんですけど」
「エスドアねぇ……。その名前は、下手に口にしない方がいいんじゃないかなぁ」
「あっ、すいません」
「いやぁ、俺としちゃ別に、世の中今より良くなるなら誰が神でもいいんだけど。最近は世間様、っていうかルクノラムの教会がピリピリしてるからね。気を付けた方がいいよー」
軽い世間話のように語られた内容に、コルトは悪い予兆めいたものを感じた。青年の言う最近がどれくらいの範囲を示すのか。広めの意味合いであるなら、エスドアと神とする教団が世界各地で問題を起こしていることが原因であるだろうが。十数日とか、ここ二、三日とかのレベルで起きていることならば、ピリピリの原因は十中八九自分たちだ。ウィラの村はオムレードの教区の一部であるから、経緯が届けられていてもなんらおかしくない。
ここに居ても大丈夫だろうか。そう思い、コルトはふっと真面目な顔になった。それを青年はちらと見て、別の意味にとらえたらしい。にぃっと笑いながら、炉へと視線を戻した。鉄棒はもはや赤ではなくオレンジ、さらにそれを通り越し黄色味を帯びて輝いている。
「いい読みだ、これぐらいの熱で打つんだよ。じゃ、行こうかな」
青年は鉄棒を金床に置き、すぐさま金づちで打ち始めた。キンキン、コンコンと騒がしくも澄んだ音が工房に響き渡る。
音を聞いて、ラフィスが走って戻って来た。金床から一歩引いたところから、青年の手元をじぃっと見つめている。楽しそうだ。
始めはただの棒だったものが、徐々に薄く延ばされて先細りの両刃になった。柄になる部分には少し装飾性を取り入れる。器用に棒をねじってらせん状にして、お尻の部分は丸く巻いて仕上げる。青年は額に汗滲ませながら、終始真剣な面持ちで作業に没頭していた。
形ができあがったら、後は冷やして固める。傍らに用意しておいたバケツの水につっこめば、シュウと勢いのある音が鳴る。次にはもう鉄の赤らみは消えていた。
「まだ刃をちょっと磨かないといけないけど、ひとまずこれで完成。どう?」
「早いですね」
「今日中にあと九本は作らないといけないからね、あんまり一本に時間かけていられない。親父だったらもっと細かい装飾入れるけど、俺にはとてもとても。まだまだヒヨッコなもので」
謙遜して言うが、素人から見れば手を叩きたくなる仕上がりだ。全体がすっと直線的で均整がとれている。シンプルな装飾も鉄の剛とした風合いに似つかわしく、金や銀の麗しさとはまた別の美を持っている。
このペーパーナイフは行商人に託され、オムレード産の鉄器として他所の土地で売られることになる。青年はそんな説明をはさんでから、早々に次の製作にとりかかった。
二本目のペーパーナイフが仕上がった時。コルトはふと思いついたことを青年に尋ねた。
「あの、ラフィスの翼もどうにかできないですか? なんだか錆ついているみたいで」
ナイフの材料にしている鉄棒を見ると、ポツポツと赤錆が出ているものが混じっている。二本目のナイフにしたものもそうだった。しかし打ち終わったあとには、一様に黒鉄となっていた。だから鍛冶の技術をもってすれば、ラフィスの翼をきれいにしてあげられるのではないかと思った次第である。
相談事を聞いたとたん、青年は思い切り難色を示した。
「確かにえらく錆びてるなとは思ってたけど……でも、炉の中につっこむわけにはいかないでしょ。めちゃくちゃ熱いんだ、いくら亜人でも火傷するって」
「磨くとか、それだけでもだめですか」
「んー……骨とは違うの? それ。痛いと思うよ」
正直なところ翼がラフィスにとってどういう位置づけなのかよくわからない。うっかり壁にぶつけた時や人の手に掴まれた時なんかは相応の反応をするから、神経が通っているように思えるが、背中から生えているのだから当前の反応とも感じられる。人間だって背負った鞄を叩かれれば、それなりに背中に振動を感じる。現に翼に木の葉が掠れたり虫がとまったりした程度の刺激には反応しないから、純粋な肉体の一部と考えるのは違うような。
渋っている青年ではあるが、見るだけは見てくれた。ラフィスの背中側に近づき、ぬっと顔を近づけて。ラフィスは戸惑っていたが、これはコルトが身振りでなだめて向きを変えないようにした。
そしてその結果はと言えば、青年の眉間の皺がますます深くなるだけで終わった。
「こりゃ無理だよ。ただ板やパイプをつなぎ合わせたわけじゃなない。変に複雑だし細かいし、わけのわかんない穴もあるし。これ地下のカラクリと一緒で、なんか仕掛けがあるんじゃない。空を飛ぶためのさ」
「っ! やっぱり錆が治れば飛べるの!?」
「知らないよ。でも、翼って飛ぶためのものだろう? 他に使い道あるかい?」
常識的にはない。しかしこの骨だけの翼からどうやって飛べるようになるのか、想像がつかない。あるとしたら、膜をはって蝙蝠のようにパタパタ飛ぶことくらいか。
しかし、仮にそうだとしても望みは薄い。翼の構造について一番わかっているだろうラフィス自身が、積極的に錆を取ろう、治そう、動かそうという素振りを見せない。四つ手の亜人のカラクリと同じく失われた技術が結集したものであったとしたら、現代の人間に何ができようか。そもそも人間にとっての骨や内臓に値するなら、一度壊れきった時点で二度と治らない可能性もあるのだ。
むうとコルトはうなった。
「カラクリのこと詳しい人、いないですかね」
「オムレードには居ないよ。そんな人が居たら、とっくに俺たちが仲間に引き入れてるさ」
「あはは、そうですよね」
「カラクリを扱うっていうので有名なのは、西の――」
青年の喋り声は、工房の入り口ドアが開くけたたましい音にかき消された。なんだ、と三対の目が一斉に入り口へ向く。
入って来たのは、揃いの黒い制服を纏った政府の治安局員たち。人数にして七名、揃いも揃って無遠慮な足取りで駆けこんできて、人の壁で入り口を封鎖するように並び立つ。一人だけ一歩前に出たのが隊長か、他と違って胸に勲章をつけている。
隊長が戸惑っている三人を鋭い眼光で射抜き、威圧的に叫んだ。
「ここで未承認の異能者が能力を使ったと通報があった。これより加害者の拘束、および聴取のため全員を連行する。全員手を挙げ、大人しくしろ!」




