亜人の遺産 3
けっ、と吐き捨てたのは舟運の男だった。
「誰があんな奴らに。あいつらこそ害悪そのものじゃねぇかよ」
「ちょっとマロイさん、それは……」
「いいじゃねぇか、ほんとのことだし、ここのメンバーはみんなそう思ってんだ。ジュラ、おまえさんだってそうだろうが」
う、と青年は言葉を詰まらせた。
害悪とはどういうことだろうか。確かにあのギルドには迫力じみたものがあったし、怖い思いもさせられた。しかしそれはきっと誇りや責任がそうさせるもので、悪という風には感じなかった。リーダーであるイネスは責任ゆえに厳しい態度をとらざるを得ないだけで、人並みに笑顔も見せるし、話もできる人だった。好きか嫌いかと言えばちょっと嫌い、でも悪人ではない、とコルトは思った。
まさか異能者だから法の規定通り害悪だ、などと短絡的に言っているわけでもないだろう。それならラフィスに力を借りるはいいのか、ということになってしまうから。
コルトは腑に落ちない顔で職人たちを見回す。すると今度も舟運の男が、今まで溜まっていた鬱憤ごと事情をぶちまけ始めた。
「あのクソったれの女王に支配されてんだよ、この町は。連中は政府のやつらともズブズブだ。気に入らないものは全部排除して、押さえつける。物売り買いするにも、水路に舟ひとつ浮かべるにも、なんもかも連中の顔色うかがって、ご機嫌とりに余計な金ださなきゃなんねぇ。だからこのザマだ。寂れて衰えて、そのうち誰も居なくならぁよ。あいつらさっさと死んでくれって、みぃんな願ってる」
苛烈な物言いだったが、止める者は誰もいなかった。ここに居る皆同じ思いだというのは嘘ではないようだ。
オムレードには王が居ないとは、帳面上での形式だけのこと。実態は輝石の女王が率いる異能軍団による恐怖政治が敷かれている。民衆は表だって虐げられることこそないが、決して高く飛翔することもできない。統制され搾取され抑圧され、女王たちのいわば家畜に過ぎないのだ。
そして統制は都市の住民にだけ向くものではない。最たる例は、外から来る異能者に対する施策だ。まず城門での入場管理、その時に得られた情報は直ちに女王にも共有される仕組みになっており、時には難癖をつけて門前払いに処すこともある。異常に高い宿代が法のもとで請求されるのも、斡旋所での仕事の仲介が受けにくいのも、真の目的はアビリスタを町に滞在させないため。間違っても新しいギルドなぞ作られては、既得権益を独占する「王国」としてはおもしろくないから。
しかし外から人が入ってこないということは、新しい技術や知識も入ってこないことになる。特にアビリスタの能力は、普通の人では不可能なことを可能にする。たとえば橋のかからない谷川を飛び越え迅速に鋼材を輸送するとか、建築に必要な石材をパンでも切るかのように楽々と自在に切り出すとか。こうした恩恵がひどく制限される現状は、オムレードの一般住人にとって単なる不便どころか、町の発展を妨げる障害になっている。
声が大きな者に人は流される。鼻息荒くする舟運に続いて、鍛冶職人たちも嘆きの声をあげはじめた。
「昔、四つ手の亜人を滅ぼした時とまるで同じだ。爺さんが現状を見てたら、絶対そういうだろうな」
「なんで支配者層ってのは過去を振り返らないものかね。名産のエルツ銀を失って一気に沈んだってのに」
「オムレードだって、ノスカリアやフェルルナクのようになれたはず。だが……」
青年だけはコルトに向けて話しかけてくる。頬をかきながら、どこか気遣うように苦笑いをしている。
「なんだか、ごめんな。君たちにこんな話をしてもしょうがないんだけど……。でもまあ、なんで俺が君たちのことつけまわしてたのか、なんとなくでもわかってくれるだろ? ほんとに、希望の光だったんだ。それだけわかってくれればいいよ」
その言葉を聞いて、コルトは少し嫌な気持ちになった。子供だから難しい話なんてわからないだろうとか、どうせよそ者なんだし関係ないだろうとか、暗にそう言われているよう。その一方で、自分たちに都合よく言い聞かせ、利用しようとしている。無意識なのかもしれないが、言葉の裏が見え見えだ。
大人の言うことを黙って聞いているだけの子供じゃない。自分で考えて、自分の意見を持てる。だから子供扱いするんじゃない。それを主張するべく、コルトは胸を張り、注目を集める大きな声で言った。
「おかしいよ。ギルドの人たちもだけど、政府の人も変だよ。町のことを一番に考えないといけない人たちでしょ? それなのに、どうして何もしないんだよ。女王の力が怖いから? でも、それをなんとかするのが政府の人たちの仕事だろ」
はきはきと物を言う少年の姿を見て、職人たちは明らかに見る目を変えた。単なる愚痴吐き相手から、仲間意識のある内輪の者へ。特に舟運の男は、ニヤァと笑って見るからに上機嫌だ。
「いいこというなあ、まったくその通りなんだ! 別に難しいことじゃない。他のでっかい都市にはな、悪いアビリスタをとっちめる専門の部隊が居るんだ。そいつら応援にもらって、迷惑ギルドを潰しちまえばいいだけ。なのに、オムレードの役人連中は誰もやらねえ。なんでかわかるか、坊主」
「女王たちがめちゃくちゃ強いから?」
「いんや、先代の長に比べりゃイネスは全然武闘派じゃねぇ。取り巻きはちょっとアレだが、まあ、よそのギルドと同じくらいだろ」
「じゃあ……」
「単に役人たちにやる気がないのさ。誰だって仕事は楽な方がいいもんな。下手に楯突けば自分が食いっぱぐれるかもしれないから、なおさら動かない」
輝石の女王に政治を握られているということは、裏を返せば、彼女の言う通りにしておけば都市の政治が回るということでもある。政策を考えることはもちろん、都市の治安維持やインフラ整備の実務も、ギルドのことを適当におだてて、あるいは便宜を利かせるふりをして丸投げしてしまえば終わり。最低限の仕事をしているポーズだけして思考停止させていれば生活できるのだから、わざわざその安穏を壊す真似はしない。仮に一人でそんなことをしようとすれば、同じく甘い蜜を吸っている身内から袋叩きにされる。
とんでもない役人たちがいたもんだ、とコルトは唖然とした。町の発展と平和を第一に考え、尽くす。それが政治に関わる大人たちで、だから一般市民から尊敬されるものだと思ってきた。それなのに。ウィラの村のイズ司祭すらも聖人に思えてくる。あの人は一応にも村人や世界の平和を思ってラフィスを迫害することを決めたのだから。
信じられないという顔をしていると、鍛冶職人の一人がしみじみと言った。
「やっぱりよそから見ると異常だって思うんだなぁ。こんな子供でもわかることなんだなぁ」
「そうだよ。おかしいって言う人、今まで居なかったの?」
「居るには居た。何年か前には結構な大事になった。たまたま立ち寄った政府の軍人さん、名前は忘れちゃったが、転任になって中央へ行く途中の男の人でね」
「おまえさん、まだあんな若造に期待してるのか」
「全然していない。あれだけ大騒ぎになったのは最初で最後だから、印象深いだけだ」
その人は一人オムレードよりずっと南の地域から来て、ずっと北の海の向こうにある統一政府の中枢へ向かっている途中だったそうだ。ここに集まった職人たちのようにギルドや政府のことを憎んでいる人たちの一部が、藁にもすがる思いでその人にオムレードの歪な現状を訴え、なんとかしてくれと頼んだ。その人は若くも真っ当な軍人で、正義感の強い人だった。話を聞くなりその足で政務所にいるオムレード元首のもとへ乗り込み、これを激しく叱責した。民を守る立場の者が異端と結託して民を苦しめるのはなんたることか、と。
糾弾された元首は、すべてをイネスのせいにした。脅されて仕方なく、危険だから逆らえない、それこそ民の命が危ない、などと言い訳した。だから軍人は次にイネスのところへ行った。政務所とギルドの本拠地は非常に近距離、騒ぎを聞きつけて出てきたイネスとは広場で対峙することになった。そして衆目の中で、軍人はイネスを厳しく責めた。政に口を出すな、法に反する異能の横暴だ、行動を悔い改めないのならこの場で処刑する、などと。
だが結局は無駄であった。しょせんはよそ者の言うこと、オムレードの中では自分たちの方が強いと役人もギルドも高をくくり、改心したふりをしてその場を適当に流しただけ。いくらその道の軍人でも、人間一人で異能者ギルドの十数人を相手にすることは難しく、口で言う以上の強硬手段にも出られない。結局最後は助けを求めてきた市民たちに対し、大陸統都や政府中枢でも問題提起し援助を求めると約束して去っていった。が、その後の音沙汰はない。彼が約束を果たさなかったのか、それとも田舎の都市のことだからと中央の関心を引く対象にならなかったのか、真相は不明だが既に見捨てられたのだろう。
希望の糸どころか、逆にこれでとどめを刺された、と嘆くのは、工房の親父だった。
「あの時中心になった連中は、政府からもギルドからも嫌がらせを受けた。一族揃ってオムレードを追い出されたり、死ぬまで追い詰められた奴も居た。優秀な鍛冶職人だったんだがな……」
「表だってたやつらどころか中立気取ってたやつらも、この一、二年で次々出ていったじゃないか。残ってるのは、色々諦めた奴か、女王の忠犬か、考えなしの馬鹿くらいだ」
「おいおい俺たちが馬鹿だってか。まあ、違いねぇ」
ハハッと職人たちは自嘲した。
「でもなぁ、いくら馬鹿にされようが、俺たちゃ結局この古くさい町が好きなんだよな」
「好き嫌いというよりは……この町で生まれ育った鍛冶師である誇りからだな」
工房の親父が凛と言った。そして彼の息子である青年も、ああ、と希望に満ちた相槌を打つ。目線の先にあるものは、高潔に佇む古きカラクリ。
「四つ手の亜人は、どれだけ石を投げられてもこの町に残って自分の業に殉じたんだ。古き良きオムレードを愛し、物づくりに魂を注ぎ込んだ。俺たち鍛冶師の誇りだ。だから俺はその誇りにかけて、そして亜人のエルツ銀の力を借りて、もう一度オムレードの栄光を取り戻したいと思うんだ」
真の狙いは失伝技術を蘇らせるそれ自身でなく、「青の王国」の支配体制を崩すこと。エルツ銀はその名知れたる伝説の品だ、ここに復活させればギルドの妨害をも跳ね除ける勢いでエルツ銀を求める人々、特に異能者たちを呼び寄せることが可能だろう。大きな人の流れは、堅牢な城壁を打ち崩す破城槌となる。金儲けのにおいがするのだから、利と易に流れる政府はたやすく手のひらを返すだろう。
オムレードの職人たちは溢れる夢を語る。それは正味なところ、今来たばかりのよそ者には立ち入れない世界観で、コルトは口をはさむ隙を失っていた。
期待されている、必要とされている。そんなにも、と痛いくらいのプレッシャーだ。しかし同時に胸が躍る。自分たちが一つの歴史を動かすかもしれないのだ。こんなちっぽけなただの人間の子供の自分が。出自のわからない不思議な少女が。未来を思い、閉じた唇がわなわな震える。
ラフィスもはっと何かに気づいたような顔をして、二歩三歩と前に出る。そして職人たちの方へ歩いていく。もちろん彼らは大歓迎の様相、なんならハグや胴上げまでするぞと構えている。
「そう、そう! あんたが希望だ、ひとつ力貸してくれ! ……お? 無視かよ、なんだよ。どした?」
ラフィスは職人たちには一瞥もくれずその間を通り過ぎ、早足で、最後は走りながら階段をあがっていく。
その先の暗がりで何かが動いた。シュッと上階へ駆け逃げていく影のかたちは、一瞬だがしかと見えた。
「おっ、黒猫だ」
「おーい入口あけっぱなしにしたの誰だ! 勘弁してくれよ。前みたいに、上の道具めちゃくちゃにされてたらどうすんだ」
ラフィスは猫を追っかけたが、結局逃げられた。はあ、と溜息を吐いて、階段を戻ってくる。降りきったところで、入れ替わりに工房の親父が駆けあがっていった。上階で大事な仕事道具にイタズラされていないか、気になって仕方ないのだろう。
今日はこれでお開き。地下室はそんな空気に包まれた。
「おう嬢ちゃん、猫好きならうちに来いよ。かわいいチビも居るぞ」
「いいや、このままうちに泊まってもらうさ。報酬はきちんと払うって約束したもんな。な?」
「はい、そうですね」
「コルト……」
「ラフィス、大丈夫だよ。この人たちが家に泊めてくれるって。心配しなくても大丈夫」
「ああ、なにも心配いらないさ。もちろん食事つき! 良い待遇だろ? 猫は、居ないけど。まあ、ちょっと歩けばいっぱいいるしいいだろ、猫なんて」
「ネコ?」
「猫。あれだ、ニャーニャー」
「ニャ、ニャー……?」
「アハハ、かわいいなあ。よっし、じゃあ上いこうか。陽のあるうちに寝床を掃除しないといけないし」
青年はとにかく上機嫌だ。この調子なら、当面は工房で世話になることができるだろう。職人たちからの依頼にしても、ラフィスに関する情報集めにしても、自分たちの身の振り方にしても、課題は山積み。しかし、しばらくの生活が確保された安心感は半端でない。
――それにしても、ギルドが悪者だったなんて。口が裂けても、ギルドに入るためにやって来たなんて言えないや。気を付けないと。
この安寧をみすみす逃すものか。コルトは心に固く誓った。
しかし、一方ではこうも思う。――本当に女王は悪人で間違いないの?
もしかしたら、職人たちが事実に尾ひれ背びれつけているのかもしれない。異能者は異能者であるというだけで、一般の人間にマイナスの評価をされる。自分たちに都合が悪いから、ちょっとのことを拡大してボロボロに悪口を言っているだけなのでは。そう、ラフィスのことを破滅の徒と決めつけたウィラの村人と似たように。
人間の職人たちか、異能者のギルドか。自分たちの味方になるのはどちらか、普通に考えれば後者になる。
噂の真相も含め、イネスとはきちんと話さなければならない。だが、まともに会ってくれるかどうか。イネスとちゃんと話すためには、彼女に一目置かれる存在になるべきだ。その手っ取り早い手段は、職人たちとエルツ銀を復活されることだが、しかしそれはギルドにとって都合の悪いことで……。
――ああ、もう、わけわかんない!
古城の都市の複雑な事情、小さな頭と体ひとつでは解決どころか理解するのがやっと。今はただ心地よい流れに乗って、大人しく青年の後についていくだけである。