亜人の遺産 1
工房の入り口を閉めた後、青年が島状に置かれた炉の傍らで手招きをする。
「ちょっと場所を移動するから、こっちに来てくれよ」
はて、とコルトは首をひねった。こっちと示す所に、移動先なんて何ひとつないではないか。天井から縄梯子が下がっているわけでもないし、炉に穴が開いているわけでもない。疑問符を浮かべたままとりあえず指示に従い、ラフィスに声をかけた後、青年のもとに向かう。
「よーし、じゃあ、いくぞっ」
そう言って、青年は炉を押した。大型の炉は床に固定されていなかった。ザリザリと砂を噛む音をたてながら、ゆっくりと、ゆっくりと動き始めた。コルトが反射的に助っ人に入ると、少しだけ動くスピードがあがった。
炉が動くことで、ちょうど真下に隠れていた古い板戸が姿を見せた。把手の代わりに丸い穴が開いており、上に開けるようになっている。
青年がしゃがみこんで板戸を開けた。その下は暗闇だ。人ひとりが通れる幅の穴、自然光で辛うじて見えるのは階段が続いていることだけ。
「地下室?」
「そうだよ。隠し部屋、って言ったほうが近いかもしれないけど」
大したものじゃない、と青年は笑った。オムレードの古い家には、たいてい秘密の地下室があるものである。元々のなりたちが城、戦に供えた要塞だったからして、戦火に見舞われた際の備えのために造られた。
「いざとなったら城の外に脱出できるような隠し通路も、昔はたくさんあったらしいよ。まあ、防犯的に問題だし、そもそも古くて崩れたら危ないしで、今はもう塞がれちゃったみたいだけど」
「隠されているのなら、まだ見つかっていないやつとかあるんじゃないですか?」
「どうかな、ある方がロマンあるけどね。ま、そんなことはどうでもいいとして、行こうか」
青年は作業台に置いてあったランタンに火を灯して持ってくると、先導して地下への階段を降りていく。真っ暗闇の中では、蝋燭の火でもずいぶん明るく感じられる。足場の階段をしっかりと目で確認しながら、コルトたちは青年の影を追った。
地下は入り口の部分が特別に狭くなっていただけで、階段を降りきった先は、上の工房の半分ほどの広さがある空間であった。天井も十分に高さがとられていて、閉塞感は感じられない。壁はしかと石で固められていて、風が通り抜けている様子もない。ひんやりとしてかび臭い空気だ。
青年が部屋にある燭台に火を分けてまわる。始めは階段の横、次は中央に置かれた机の上、そして一番奥の隅。明かりが灯ったことにより、眠っていた地下室が息を吹き返した。
言うなれば、上の工房をもっと簡略にしたような部屋であった。ハンマーなどの道具が置かれていて、工具で傷がついた作業用机があり、そして色々の材料が入っているのだろう箱や樽が置かれている。
ただ、鍛冶に肝心の炉はない。その代わり、炉以上に存在感のあるものが奥にあった。
「なんだあれ……」
それは形容のしがたい物だった。全体の雰囲気を見てコルトが一番近いと思ったのは、鉄でできた足踏みの機織り機。だが、それそのものでないことは明らか、造りが全然違う。どこにも糸が通っていないし、通せるような部分もない。上部にはラッパの口みたいな構造がいくつも生えていて、そこから続くパイプは複雑に絡み合い、手元の高さにある水平な金属板の上に導かれている。歯車やレバーもたくさんある他、ところどころ水晶のようなものでできたパーツが組み合わせられている。そんな複雑な、わけのわからないカラクリだ。
あれは、と青年が説明しかけた。しかしそれより先にラフィスが、はっとした声音で小さく呟いた。
「スィーミィ」
「うわっ! やっぱ知ってるんだ! いいぞぉーっ!」
またも青年はわけのわからないテンションに変じた。その勢いのまま、ラフィスの腕を掴んでカラクリの所へ引っ張って行こうとする。
あんまり急なことに、ラフィスも驚いたのだろう。キャッと悲鳴をあげて腕を振りほどき、慌ててコルトにすがりついてきた。そして拒否感をあらわにしたまなざしで、青年を睨んでいる。
「あっ……ごめんごめん。そんなつもりじゃなかったんだ」
「どんなつもりか知らないですけど、ちゃんと説明してください。じゃなかったら、僕たち帰ります」
「わかってる、わかってるって。嬉しくって、つい」
はは、と青年は気の抜けた笑い声をあげてから、一つ深呼吸した。
「よし。じゃあ話すよ。あれはね、昔、亜人が鍛冶……特別な鍛冶をするのに使っていたカラクリなんだ」
青年は静かかつ凛と佇むカラクリを遠い目で見やりながら、落ち着いた口調で経緯を語り始めた。
さかのぼること百年を越える昔、今のかたちの統一政府ができる少し前まで、オムレードの近隣地域には異形の亜人が暮らしていた。人間たちが「四つ手の亜人」と呼ぶ彼らは、地につくほど長い四本の腕と非常に器用な指先をもっていた。それを活かした、人間には不可能な工作技術も持っていた。彼らの技術は、難攻不落のオムレード城の建造や、人間の技術の発展にも寄与したものと伝えられている。
だが、世界が一つの政府に統合されていき、旧来の統治方針からガラリと変わっていく歴史の流れの中で、オムレードでは四つ手の亜人に対する激しい排除運動が起こった。最たる原因は、他所から来た者が町を闊歩する異形に恐怖感を覚えたことと言われている。無実の罪を着せて処刑したり、財産をすべて取りあげて社会的に殺したり、そうしたことが官民共同で行われた。
「――そんな中で、ここの鍛冶長だった俺のひい爺さんは、この地下室で付き合いの長かった四つ手の亜人を匿った。その亜人は、カラクリも含めた道具一式も持ち込んで、ここで物づくりを続けたそうだよ」
「最後はどうなったんですか」
「ある日ひい爺さんが食べ物を差し入れに来たら、カラクリで一振りの剣を完成させた状態で亡くなっていたそうだ。四つ手全体としても、その人が最後の一人だったって話さ」
しんとした空気が身を刺す。闇の中、蝋燭の明かりに浮かぶ大きなカラクリ。目を凝らせば、死期を悟った四つ手の亜人が黙々と作業をしている過去の風景が見える気がした。
青年がゆっくりとカラクリの隣に歩み寄る。慈しむような手つきで側面に伸びる鉄の管を撫で、穏やかな口調で話を再開した。
「このカラクリを使って創り出されるのは、特別な銀の道具だった。エルツ銀って名前だ。普通の銀より遥かに頑丈で、それなのに軽くて、いつまで経ってもピカピカ。四つ手の亜人は器用で、作られる道具にも細かい装飾が施してあった。刃物を始めとして装飾品や食器、色々な形でエルツ銀の道具は、特に各地の王侯貴族に珍重された。ちなみに今じゃ、当時よりさらに貴重で高価だよ」
青年は皮肉めいた笑みを浮かべた。
「あと、今で言うアビリスタの連中もエルツ銀を持て囃す。なんでも銀自体が魔力を帯びる性質があって、ああいう連中が使うととても手に馴染むんだとか。普通のナイフより圧倒的によく切れる、らしいよ」
「……はあ。すごいんですね」
コルトはちらとラフィスの方を見た。彼女の体は金だから、エルツ銀製ということはないだろう。だが、近いものではあるんじゃないだろうかと思う。生まれつき体の一部だったのか、後天的に取りつけた物なのか、どちらにせよラフィスの体の一部として意志に従いしなやかに動く、これが普通の金であるはずがない。
きっと青年もラフィスの姿を見かけて、同じことを思ったのだ。コルトは青年が頼みたい事の内容をなんとなく察した。
それを確認しようとしたら、先に階段の上から、「おーい」という男の声が降って来た。工房に入った時に奥の部屋から響いてきた「親父」の声だ。階段の方を見れば、青年をそのまま老けさせた顔をした親父が、さらに別の男たちを率いて地下に降りてくるところだった。
やって来たのは計四人。青年の紹介によると、彼の父親と奥の部屋で祭事に向けた打ち合わせをしていた職人仲間が二人と、たまたま木炭の配達に来た舟運が一人。いずれも顔なじみで、親しい仲だという。
「ジュラ、もう終わっちまったか? みんなも見たいってよ」
「いや、まだ始めてもない。今、いきさつを説明してたとこ」
「おっ、その嬢ちゃんか! すっげえな、ほんとに亜人だわ!」
「これが亜人……はぁー初めて見た……」
にわかに大勢の男たちに囲まれジロジロ見られるかたちとなり、さすがのラフィスも少し身を固くしている。敵意がないことはわかっているのか、攻撃に出る様子はない。逆にコルトの背中に隠れるようにする。コルトのシャツをきゅっと掴む手も、いつになく怯えが浮かんでいた。
「あのっ、ラフィスがちょっと怖がってるので、ちょっと、その……」
「おー悪い悪い、あんまり見ちゃいけなかったなぁ。だが、わしらにとっての救世主になるかもってんだから、ちょっと許してくれよう、な!」
ガハハと笑うのは舟運の男。一同の中で最年長で、声も一番大きい。おまけによく喋る人らしい。聞いてもいないのに、なにが救世主なのかを昔話を交えて朗々と語り始めようとしている。青年が遠慮がちに「話の続きをしたいから」とたしなめることで、ようやく口を閉じた。
「えっと、前置きはもういいとして。君たちに頼みたいことの本題なんだけど――」
「このカラクリをラフィスに動かしてもらいたい。ってことですか?」
「あっ、わかってくれた? そうだ、その通りだよ」
青年はにいっと笑った。彼の父親、そして同志の男たちも、各々しみじみとした面持ちで頷く。
「俺たちはもう一度エルツ銀を復活させたい。そしてオムレードに、この町の鍛冶の世界に、かつての繁栄を取り戻したい。俺たちの夢だ。それが君たちのおかげで叶うかもしれない。だから!」
青年が息を荒くしてコルトに迫る。相変わらず気持ち悪いくらいの興奮っぷりだ。しかし、もうたじろがない。そうしたくなる気持ちが、理由が、よくわかったから。
コルトは赤茶の髪を跳ねさせ、大きく頷いた。
「ラフィスができるかどうかはわからないけれど……できる限り力になりたいと思います。僕も見てみたいです、亜人のエルツ銀」
コルトにはオムレードの繁栄どうこうについてはわからないし、正直どうでもいいと思っている。しかし、不当に弾圧された亜人の心中を思うと、なにかしら名誉を挽回する力になってやりたいと思う。どうにも他人事と感じられないのだ。
もしラフィスがカラクリを動かし、エルツ銀を復活させることができたなら、それはオムレードの歴史に刻まれる大事件になるだろう。栄誉なことだ。ラフィス個人だけでなく、亜人がそれを成し遂げたとして、亜人というものに対する意識が変わるだろう。エルツ銀自体のすばらしさが現代の人々に広く知られれば、自然と四つ手の亜人に対する哀悼の念も生まれてくるに違いない。
――それに、そうなれば、輝石の女王だってラフィスのことを認めてくれると思うし。
そんな私的な打算もちょっぴり胸に抱きながら、コルトは古城の職人たちの歓声を心地よく聞いていた。