秘密のお仕事 1
オムレードに滞在するにあたり、問題が一つ発生した。それは、所持金が残りわずかであること。もともと大金を持ち歩いていたわけではないが、ここに来て食事をとり宿をとりで底を尽きた。
誤算だったのは、都市の物価が今までの町に比べて高めであったことである。特に宿代だ。ここまでの道中でも二、三度宿をとったが、代金が倍以上違う。確かにこれまでの宿では子供の旅だからと値引いてくれていたが、それを差し引いても段違いである。聞かされた時にはびっくりして声が出なかった。
『一時滞在のアビリスタさんは、一律この値段なのよ。オムレードの規則で決まっているの。まけてあげたいけど、ごめんなさいね、お役人さんに怒られちゃうから』
とは宿のおかみの談。心の底から申し訳なさそうだったから、嘘で暴利を貪ろうとしたわけではなく、本当にそういう法令があるのだろう。なお、異能ないし亜人と同行する人間も同等の存在と見なされるため、コルト一人分の宿代なら安くなるということもない。
「ギルドが助けてくれるとばっかり思ってたからなぁ」
安っぽいベッドが二つある、小さく古びた個室。ベッドの上に並べた所持品を見つめて、コルトは深々と溜息を吐いた。どれだけ探しても新たに金目のものが出てくることはないし、いくら眺めていても硬貨は増殖しない。目の前にある銀銅混ざった数枚きりだ。
このざまでは、イネスに考えが甘いと言われたのに反論ができない。完全にギルドの存在に甘えて、オムレードへ着きさえすればどうにかなると思っていたのはその通りだ。
しかし本当に困っている。なんとかギリギリでもう一人が一泊する分の宿代は捻出できる。だがそう、一人分だけなのである。
コルトはもう一つのベッドに目を向けた。そこにはラフィスが居る。ベッドの上に両膝を立てて座り、その格好のまま背中を丸めてうずくまるように眠っている。なにぞいじけていてそのまま寝落ちした、というわけじゃない。ラフィスが眠るときは、いつもこのように座ったまま寝ている。背中の翼が邪魔なのだ。中途半端に開いて体より幅があるせいで横になれないし、厚みもかなりあるから、普通のベッドで仰向けになると逆に寝苦しいようだ。
今はコルトが多少物音を立てても起きないから、かなり深く眠っているようだ。これも宿屋の一室という安心できる場所だからこそ。旅の途中で野宿をすることも何度かあったが、その時はほとんど眠らず、あるいは寝ていてもちょっとのこと――薪が大きな音で弾けたとか、ちょっと強めの風が吹いたとか――でも飛び起きて、辺りを警戒する有様だった。隣で見ていて少々異常に感じるほどである。もっとも本人は、特別辛そうにしているわけでなかったが。
そんなわけで、ラフィスに安眠できる環境を与える意味で、ちゃんとした宿をとることが必要なのだが。しかし宿代は一人分しかない。ラフィス一人で泊まってもらいコルトは適当に野宿する、それはできない相談だ。コルト自身は野宿に抵抗ないのだが、その場合、ラフィスが絶対についてくるだろう。本末転倒、つまり、現状詰んでいる。
一般的に困った時の最終手段は、教会か政府に助けてくれと泣きつくこと。教会では弱者の救済を善行としているし、政府は民の生活を守ることが仕事である。なにかしらの支援を得られる可能性は高い。が、あいにく、どちらも頼りづらい身の上だ。教会はもはや言わずもがな。政府だって本来的に異能亜人には厳しい。「人ならざる力を持つ者は人にあらず。人の世にて守られるべきにあらず」が、統一政府の基本的な考え方である。
それに、イネスの影も気になるところだ。あまり弱っていることを知られたくない。評価が落ちてギルド加入が遠のくのも理由の一つだが、単に、なんとなく気に入らない。余裕たっぷりの嘲笑じみた笑い声が今にも聞こえてくる気がして、むかつく。
結論、自力で身銭を稼ぐしかない。そのためにはどうするか。当然、労働だ。
「実際に働いて見せれば、ギルドに置いても役に立つって思ってもらえるかもなぁ」
甘ったれでないことをイネスに示すことができれば、きっと。直に見てもらえなくても、町で評判になれば自然と耳に入るだろう。誰かに推薦してもらえるところまでいけば最良だ。
まだなにも解決していなくとも、次の方針が決まっただけで気分がだいぶ楽になった。
――よーし、明日からは頑張って働くぞ!
ラフィスを起こさないよう心の中で意気込みを叫ぶと、コルトは広げていた荷物をささっと片し、ベッド脇にある明かりを吹き消した。
翌日。コルトたちは宿のおかみに教えてもらった、集会所に併設される斡旋所にやってきた。ここでは日雇いも含めた色々な仕事を紹介している。また、政府の認可を受けた上で運営されているため、犯罪まがいの求人にかかることもまず起こらない。まさにコルトたちのようなお上りさんのためにある施設だ。
が。
「なぁんでダメなんですかっ!」
斡旋所の窓口にコルトの叫び声が轟いた。平穏を破る声に、周囲に居た人々の視線が、なんだなんだと一斉に集まる。すぐ背後に居たラフィスですら、ちょっと驚いた風に目を丸くしていた。
窓口に立っていた髭の親父は、めんどくさそうに表情を曇らせ、喚く子供にきっぱりと告げた。
「うちは力仕事か汚れ仕事しかない、女子供につとまりゃしないよ」
「大丈夫だって、一生懸命やるから! 女の子が駄目なら、僕一人で二人分働くから!」
「あのなあ坊主、大人の仕事と子供の遊びは違うんだ。ほれ、さっさと帰りな」
「でも、お金がいるんです! なんだってしますから、どうか」
「ダメなもんはダメだって。第一、ここは普通の人間のための斡旋所だ。その枠で亜人を雇ってくれるわけないだろう」
窓口の親父が顔を歪めてラフィスを指した。指された方はエッ、とも、アッ、ともつかない声をあげ、身を隠すようにコルトの影に入った。
コルトはぎゅっと唇を噛んだ。亜人だから、異能だから、そればかりだ。だから何かしたということもないのに、挙句の果てにはただ一緒に居るだけの自分も同じ扱いをされて。理不尽だ。そうやって言い訳されているだけとしか思えない。
「子供の遊びなんかじゃない、こっちだって真剣なんだよ!」
と、下ろした拳を握りしめて反論してみるものの、髭の親父は呆れたように吐息を漏らすだけ。これだから子供は、と思っているのが顔に出ている。
「だったらなおさらここじゃダメだね。亜人なら、異能者ギルドの方へ行きな。そっちの方が給料もいいしよ。ほら、わかったら退いた退いた。次のお客が来てるからな、仕事の邪魔だ」
窓口の親父はしっしとコルトたちのことを追いやり、代わりに後ろに居た旅人風の男性を手招きする。そちらにはにこやかに話しかけ、今日の求人をリストアップした塗板を掲げて見せている。もはや取りつく島もない。
「……行こう、ラフィス」
大人たちの笑い声に背を向けて、コルトは早足でその場を去った。ラフィスは静かに後ろをついてくる。横に並ぼうとも、前にまわろうともしない。それが幸いして、悔しさと腹立たしさで歪んでいる顔を見られずに済んだ。はっきりコルトの顔を見たのは、外へ出たところに座っていた黒猫だけであった。
オムレードの町は、統治上いくつかの街区に分けられ、斡旋所もそれごとに設置されている。では別の斡旋所に行けば、仕事をもらえるのではないだろうか。はじめこそそう考えたが、しかしすぐに現実は厳しいものだと思い知らされた。二つ目として訪ねたところでも、やれ子供だやれ亜人だと、ほとんど同じ文句で門前払いされた。結局、物事を捉える基準は都市まるごと同じなのだということ。コルトは早々に理解し、諦めた。
「どうしよっかなぁ、ほんと」
今はあてもなく大きな水路沿いを歩いていた。ふと水の中に目をやると、濁りの中を大きな魚影が横切っていく光景が飛び込んできた。
あれを獲って売れば。そう考えたのは一度や二度じゃない。しかし実行に移さなかったのは、都市内の公共の物を勝手に採集したり、無許可で販売行為をしたりすると罰せられるから。その旨、道すがらにあった掲示板にて知った。都市の法律で決まっているそうだ。だから、街路樹の実をとって食べるとか、蔓を編んで道具を作るとか、そういうこともできない。コルトが山で当たり前にしてきたことが、すべて禁止されている。
都市の痛烈な洗礼を受け、出てくるのはため息ばかり。本当に面倒だし、困ったものだ。なにをするにも結局お金がいるから、この問題を解決しない限り、ラフィスの正体や使徒エスドアの居場所について情報を集めるという本来の課題に取り組めない。衣食住が足りてようやく他のことを考えられる、人間はそういうものであるからして。
暗雲を心に水路際を歩いていると、ふと、後ろを歩いていたラフィスが足を止めた。背中側での出来事でも、ラフィスの足音はよく響くから見たようにわかる。
「どうしたの、ラフィス」
コルトが振り返ってみれば、ラフィスもまた背後を振り向いているではないか。その視線を追う。
なんでもない街並みだ。年季の入った建物の間を石畳が抜ける風景。物陰は多数あるが、とりあえずと見える範囲で動くものと言えば、頭上遥かを流れる雲や、二階の窓を開けて洗濯物を干す人、急ぎ足の通行人やのんびりと歩くさび色の猫くらい。この中でラフィスが注目しているのは――
「……猫」
この町は猫が多い、とはオムレードを歩いていて思うこと。斡旋所を出た時にも見かけたし、ついさっきは足元にすり寄ってくる人懐っこい猫にも会った。昨日ギルドから引き上げて宿を探している時にも、黒猫白猫いろいろと出会った。水路に魚がたくさんいて、そのおこぼれにあずかれるからとか、古い町だから鼠が一杯いるせいだとか、原因は色々と予想できる。ただ、あいにく正しい答えはわからない。
どうやらラフィスは動物が好きなようである。ゼム爺さんの家に匿ってもらっていた時は、暇があれば山羊を構っていた。さっき猫が寄って来た時には、猫の方が嫌になって逃げだすまで、撫でまわして抱っこして構い倒してだった。
今回出会ったさび猫は、残念ながら逆方向に歩いていく。
「ラフィスー、行くよー」
ラフィスが猫を追っかけはじめる前に一声かけて、それから自分は先に歩みを再開した。猫とじゃれあう時間、そんなささやかなゆとりすらも持てないほどにコルトは閉塞していた。だから判断力や観察力に至っては、もはや言うまでもない状態であった。
もしも普段の元気な状態であれば、ずっと自分たちについて来ている存在に気づいたかもしれなかったのだが。
刻一刻と太陽の位置が移ろいゆくことに焦燥感を煽られながら、コルトはオムレードの町をあてもなく歩きまわっていた。
成果はまったくない。街頭の掲示板を眺めてみたり、店や倉庫で作業をしている人に直接聞きこみしたり、色々と努力はしてみたが、結局金銭を得る手は見つからなかった。やはりと言うべきか、求人があったら普通斡旋所を通すからそちらで聞け、と苦笑いされるばかりだった。まったく堂々巡りである。
いっそ城壁の外へ出てしまおうか。都市の中だからつけられる難癖も、そのルールの外側に出てしまえば無効だ。現に渡し場の宿に泊まった時には、高額の代金をふっかけられることはなかった。近辺には畑もたくさんあった、農家なら自信を持って手伝える。他にも川での漁や荷卸しなど、城外の方ができることが多くあるように思える。
――そうだ、そうしよう。近くだから、町の中にはいつでも戻って来られるし。
心が決まれば、あとは行動するだけ。コルトは目的地を城門に定めた。
そして狭い十字路にさしかかったところで足を止め、周囲を見渡した。――城門へ行くには、どっち?
「コルト!」
「ん?」
ラフィスに声をかけられて初めて、背中の側に意識が向いた。すると同時に、背後から駆け寄ってくる何者かの足音に気づいた。
振り返るよりも先に、肩をがしっと掴まれた。
「わあっ!?」
驚いて振り向きざまにのけぞったら、背中の荷物に引っ張られ、そのまま尻餅をつくはめに。石畳に激突するなり、コルトの二度目の悲鳴があがった。
「ご、ごめん! 大丈夫? そんなつもりはなかったんだけど」
声をかけてきたのは、二十代半ばの青年であった。至極申し訳なさそうに眉を下げているためでもあるが、人のよさそうな雰囲気である。煤で汚れた上着を羽織っていたり、工具の入った小物入れを腰につけていたり、職人の類であろうか。少なくとも異能者ギルドの人間という風ではない。オーラが違う。
コルトは青年の顔を凝視しながら、オムレードの来てからの記憶を一生懸命たどった。そして知り合いじゃない、一度も会ったことが無い、と確認して立ち上がった。
すると。ラフィスが左手でコルトの腕をつかみ、右手の人差し指で青年を指し示し、言う。
「コルト。コレ、ヴィーリン、エルナス、アユラ、ルー、ナウ」
「へ?」
あたり前だが何を言っているのかわからない。しかしそれはラフィス自身が承知しているはず。それなのにあえて声をあげるということは、どうしても伝えたい内容があるということだ。そしてそれは、どうやらあまり良くないこと。ギルドでイネスと敵対した時ほどではないが、ラフィスは渋い顔をしている。
どうにかして意図をくみ取ってやりたい。コルトはラフィスの顔と、ぽかんとしている青年の顔を交互に見ながら頭を回転させた。
すると、不意にラフィスが手を離し、今来た道の方へ走って行った。ゆるくカーブしていて道の先が見えなくなる手前まで行き、そこの家と家の間に入り込んで姿を消す。
「あっ、ラフィス! 待って!」
コルトは後を追って駆け出そうとした。だが、その必要はなかった。同じ場所からラフィスの顔がひょこっと覗いたからだ。こちらをじっと見ている。
そしてまた道の方に飛び出してくる。こちらの方に近寄りつつ、石畳を横切って、はす向かいにある家と家の間にもぐりこむ。見ていると、またすぐにラフィスが顔を覗かせた。
それからまた道を横切るように走り出し、同じ行動を繰り返しながら、徐々にこちらへ寄ってくる。
物陰に隠れながら進む、その行動が示す意味は。ピンときたコルトは、しかめ面で青年を見あげた。見れば彼は、苦い顔で頬をかいている。
「ずっと後ろをつけていたってことですか?」
「ああ、うん、まあ、そうだよ」
ちぇっ、ばれてたんだ。そんな心の声が聞こえたような気がする。コルトは警戒して、二歩分だけ青年と距離をあけた。