輝石の女王 1
異能者ギルド「青き王国」。その屋号を掲げる館は、オムレードの都市内で一、二を争う豪邸であった。装飾が多く華美ながらも、凛とした威風を湛えている外観。二重の城郭内で一番の高所であり、庭園風に整備された広場に面する立地からしても、昔この地域を治めた王侯貴族が住んでいた城館だと見てよいだろう。
周囲には他にも大きな館がある。だがその多くには統一政府の紋章が描かれた旗が立っている。また外観もギルドの建物に比べると、もう少し質実剛健に寄っている。出入りするのも、みな同じ型で揃った制服の政務官だ。色も治安局員以外は暗い紺色で統一されている。
案内役について広場を通り抜けながら、コルトは周りを見回しゴクリと唾を飲みこんだ。なんだか場違いなところに来てしまった気がする。輝石の女王は、本物の女王というわけでないと言われたが、しかし、これは。血筋がどうであれ、オムレードきっての偉い人であるのだろう。
異能をもつ者――アビリスタや、異形の姿の亜人は、政府の法規上で人間と区別され、普通は抑圧される。異能者ギルドにしても、あくまで特例的に営利活動が認められているだけで、政府長官が方針を変えれば、すぐにでも解体されかねない。時に異能者に人権無しと言われる統治の下、政府の施設が集まる真っただ中に異能者ギルドが居を構えているなど、滅多なことだ。この辺りの事情にさほど明るくないコルトでも、ただならぬことだとは理解していた。感激半分萎縮半分に、体のあちこちが自然と震える。
「おーいー、早く来いよ。じゃないと、入れてやんないぞ」
気が付いたらコルトの歩みは亀のようになっていて、先に玄関先にたどり着いた引率二人の、やたらと明るい方に叱られた。もう一人はとっくに館の中に入ってしまったようだ。ラフィスにすら先を越され、最初はコルトが手を引いていたのに、いつの間にか逆に引かれる立場になっている。
ごめんなさい、すぐに行きます。そう言うよりも先にコルトは小走りになった。
花と鳥の精緻な彫刻が施された玄関をくぐったところで、コルトは思わず声をあげた。
「すっごい!」
「ハハ、そんなにびっくりもんかい、オレたちん家がよ」
「うん! こんなお屋敷、初めてで」
「そりゃよかったなぁ」
外観だけの見かけ倒しではなく、内部も実に立派なものだった。天井高く広々とした玄関ホールには、精緻な紋様のタペストリーが複数飾られている他、彫刻や装飾性の強い騎士甲冑、巨大な獣のはく製など、色々なものが飾り置かれていて、来訪者を壮大に出迎えてくれる。これだけの物を揃えるのには相当な財貨が必要だとは明らかで、間接的にギルドの威容を示すことになっている。
向かって右手には、扉の開け放たれた談話室がある。玄関入ってすぐの位置から見える範囲でも、ゼム爺さんの小屋が丸ごと収まって余りある広さだとわかった。そちらにも美術品として刀剣が壁にかけられていたり、変に凝った意匠の柱時計が置かれていたりするし、ソファーやテーブルなどの調度品からも高級な雰囲気がありありと醸されている。
正面や左手にも扉があるし、二階へ続く階段もある。許されるなら館中を駆け回って、すごいかっこいいきれい、などとはしゃぎ回りたいところ。が、子供であることを盾にしても許されまい。ここはギルドのメンバーにとって仕事場であり、居住でもある。勝手にあちこち入り込んで騒げば、常識的に、つまみだされてしかるべき。
もうすでに、玄関ホールや談話室に居た人々からものすごい注目を浴びている。老若男女色々で、コルトよりも幼い子まで居る。その誰もがただものではない雰囲気を醸していた。見た目は普通の人間なのだが、目が合うと、なんとなくザワッとしたものを感じる。そうした感覚に陥っているのは、コルトだけではないようだ。ラフィスもあたりを見渡しながら、緊張で表情や動作を硬くしている。
さて、ここまで連れて来てくれたテンションの高い男は、もう一人の男と少し話すと、そのまま談話室にたむろしている仲間の方へ駆けていった。
――ついていけばいいかな。
コルトがそう思ったのには、願望もおおいにこもっている。あちらの明るいお兄さんなら話しやすいし、多少馬鹿なことをやっても笑って流してくれそうだ、と。
でもたぶんきっと、そういうことじゃない。それも十分わかっていた。だから、
「おまえたちはこっちだ」
と、怖い雰囲気の男から低調に言われても、がっかりしたのを顔に出さずに済んだ。静かにうなずいて、渋々と歩き出す。
男は二階へあがっていく。何も考えずついていこうとして、しかしコルトは階段の様相にくらくらした。階段には赤い絨毯が敷かれていて、手すりは金銀や宝石のあしらわれた非常にゴージャスなもの。途中にある明かり取りの窓には、まっ平らに磨かれた不純物のない板ガラスが用いられている。それはコルトが知っているどんなガラスより透明感が強く、外の景色がほとんど歪まずに見える。
まるで身の丈に合わない、ずっと野山を歩いてきた靴で踏み汚すがはばかられる。だからコルトは、絨毯のかかっていない端っこの狭いスペースに、おっかなびっくり足を乗せて進んでいく。手すりにも絶対に触らない、もしも掴んだ拍子に宝石がこぼれ落ちでもしたらと思うと、自分が階段から転げ落ちる方が気が楽だ。
階段の中頃でコルトは後ろを振り向いた。ラフィスはどうしているのかと。とても落ち着いた一定律の足音しか聞こえないから予想できていたことだが、やはり彼女は普通に階段を歩いていた。豪奢な絨毯を踏みつけることに抵抗もなく、自らの素の左手で金の手すりを掴むことに遠慮もない。キョロキョロとして装飾品を鑑賞しているが、コルトのように雰囲気に飲みこまれて圧倒されてはいない。
――僕、ラフィスには敵わないや。
本当に肝が据わっている。あるいは、こういう状況に慣れているということなのだろうか。ラフィス自身が立派な城館に住む高貴な人であったか、それとも尊い人の宮殿に仕える身であったか。たとえば古の王様や、それか、神とか神の使徒とかいった存在に。
いずれにせよ、自分なんかが導き手であっていいのだろうか。卑屈な考えを頭によぎらせざるをえない。このギルドに受け入れてもらえるとしても、ラフィスはいいとして、自分はどうする、どうなる――
「コルト?」
「……ううん、なんでもないよ」
ぷるぷると頭を振って、コルトは再び前を向いた。すると階段の上で立ち止まっている案内役が、苛立ちをにじませたきつい目でこちらを睨んでいることに気づいた。だから残りの段は絨毯を踏まないよう気をつけながら、一気に駆けあがった。
階段をのぼってすぐ正面に、これまた金の把手がついた一際立派な両開きの扉があった。案内役の男はその部屋にコルトとラフィスを連れて入った。
そこは応接間……というよりは、もはや謁見の間とでもいうべき場所であった。部屋の入り口から奥へ向かって、シルクの糸で刺繍が施されたきらびやかな絨毯が敷かれている。その先には、さながら玉座に等しい皮張りの椅子がある。座面は厚みと柔らかさを備えていて、非常に座り心地がよさそうだ。天井を見れば、きらきらしたシャンデリアがぶら下がっている。壁に絵画やなんかが飾られているのは、もはやあえて触れるべきことではない。
この部屋の広さ自体は、特段驚くほどのことはない。だが奥の両角にそれぞれ扉があって、ここからさらに二つの別の部屋へと通じているのは特徴的だ。その向かって右側にある扉の前には、まるで門番のように立っている青年が居る。
案内役の陰気な男が、「ここで待て」とコルトたちを部屋に入ってすぐで留め、自分だけ青年のもとへ歩み寄っていった。すると青年が暇そうに崩していた姿勢を正し、きりっとした面持ちで声を発した。
「ウルフェンさん、お疲れさまです。そいつらは?」
「女王への謁見を所望だ。……噂の子供たちだ」
「了解」
青年は回れ右して扉をノックした後、その中へと入って行った。
会話はコルトたちにも聞こえていた。少しだけ声がひそめられていた、噂の、という言葉にコルトはドキリとした。
もしや、ウィラの村での騒動のことが伝わっているのではないか? そう、イズ司祭はサムディのギルドを頼っていた。町から都市へ人が行き来すると共に同業者同士の情報交換があって、オムレードのギルドまで事件のあらましと警戒の依頼が届いていても不思議でない。イズ司祭による一方的な糾弾を、ギルドの人たちは正しいものだと信じてしまったのではないか。もしそうだとしたら、危険だ、自分で網にかかりに来た魚だ。今のうちに逃げた方がいいかもしれない。
コルトが妄想で顔を青くして、なおかつ何のアクションを取る間もないわずかな時間の後に、再び扉が開かれた。中から現れた人影は二つ。一人はさっき入っていった青年で、もう一人がすらりと背の高い女の人。
一目でわかった。この女の人こそ、ギルド「青き王国」の主長、輝石の女王だ。