古城の都市 3
船頭に紹介してもらった渡し場の宿で一泊し、翌朝。城壁を取り囲む水堀沿いに歩き、川の反対側にある正門へと向かった。
なるほど大人の忠告、聞いてよかったと思う。遠目で見た時は、頑張ればすぐに回り込めるくらいの大きさに見えたのだが、実際に歩いてみると、町が正方形や正円のかたちをしていないためだろうか、川側から見た印象よりもはるかに長い距離だった。昨日だったら確実に日没には間に合わなかった。市街地に入り込むだけでも一苦労。なぜオムレード城が歴史の中で戦火による破滅を逃れて来られたのか、コルトはその一端を身をもって思い知った。
「やっと着いたぁ……」
城壁に大きく開いたアーチ型の門と手前の堀にかかる跳ね橋、それらを目前にした時、コルトは思わずぐったりとした吐息を漏らした。照り付ける太陽の下だ、額には玉の汗が浮かび、シャツもじっとり湿気った感じがする。
ラフィスもきっと疲れただろう、そう思って、半歩後ろについてきていた彼女を振り返る。が、ラフィスは実に涼しい顔をしていた。それどころか、陽の光にきらきらとする宝石の目が、どうして立ち止まっているの? 早く行こうよ、と主張しているように見える。立ち姿にも疲れた雰囲気はなく、しゃきっとしている。
――ラフィスはなんだかいつも元気だなあ。いいなぁ。
そんなことを思いながら、コルトは歩みを再開し、跳ね橋を渡った。
石積みの城壁は、間近で見るほどに頑強で威圧的に感じられる。開口部の両サイドには円筒形の塔もそびえていて、政府の旗がはためくてっぺんを見あげれば、堂々主張してくる荘厳さに圧倒される。古めかしい城の空気に飲みこまれ、コルトはにわかに緊張を覚えた。
城壁そのものだけでなく、城門の脇にて入城者を見張っている役人が存在することにも身を引き締めさせられる。黒い折襟の衣装と政府の章が入った帽子と革の半長靴を揃いの制服として着用した彼らは、政府の治安維持局の役人だ。言うなれば、オムレードの城を守る兵隊である。腰には剣を帯びている。厳しく光らせた目が不審者を見つければ、刃は容赦なく抜かれるであろう。
政府の治安局自体はサムディのような片田舎の町にもあり、同じ黒い制服を着た役人たちが警察仕事を担っている。しかし雰囲気はまったく違って、町で見かけても特に緊張させられることはない。治安局もそれほどピリピリしなくて居られる、平和な町だったということなのだろうか。それとも逆にオムレードの厳かな城郭が、役人たちの気持ちにも伝染しているのだろうか。
とりあえず悪いことはなにもしていないし、企んでもいないぞ。コルトはそれを示すようにピシッと姿勢を正し、逆にこちらから堂々と門横の治安局員に近づいていった。
「すみません。お城の中に入りたいんですけど、通行手形を持っていないんです。どうしたらいいですか?」
話しかけた相手の男は、まずコルトのことをさっと見て、それから少し遅れた歩調で近寄って来たラフィスのこと眉をひそめてじろじろと見た。なんだか嫌な感じだ、そう思ったのはコルトだけでなく、ラフィス自身も同じだった。軽く首をひねって治安局員から目を逸らし、自分の身を守るように左手を胸の前にそっと持っていく。金の右腕はさりげなく隠すように背中の後ろへ回された。
長らく胡散臭げに眺め渡されはしたが、結局お咎めはなにもなかった。付いてこいと城門の下へ通される。石積みのアーチのひんやりとした空気を肌に感じながら、まずは一安心。
コルトたちが案内されたのは、城門の中にある、治安局員の詰所の入り口横に設えられたカウンターだった。ここで事務手続きをする、カウンターの中には帳簿をめくる役人が二名待機している。案内の男は彼らにコルトたちの身柄を託すと、最後にまたラフィスのことをじろりと一瞥してから、挨拶もなく城門外の警備へと戻っていった。
さて、入城の手続きである。渡し船の上で役人による審査があると聞いていたから、コルトはあらかじめ想定される質問と答えを考えておいた。そのおかげもあって、入城管理員のつんとした態度に心かき乱されることなく、落ち着いて自分のことを話すことができた。といっても、ただ聞かれたことに対して嘘をつかずに答えただけである。ウィラでの一件がすでに伝わっていて、名乗った瞬間に問答無用で治安局に逮捕される、そんな心配も少しあったが、下手な嘘をついた場合、不審に思われたあげく入城の許可が下りない方が不安だった。
問題はラフィスのことである。外見からして普通の人ではない、その上で彼女は言葉を話せない旨を伝えたら、もうその時点で入城管理員たちは警戒の色を見せた。そして案の定、コルトに対する面談よりも厳しく、根掘り葉掘り聞かれるはめになった。もちろん答えるのはコルトである。
自分はいいけどラフィスはだめ、この展開も予想していたこと。だからそれほど慌てるでもなくいられた。話すのは、自分の時と違って虚実を入りまぜたもっともらしいストーリー。ラフィスは村の近くに昔から住んでいた半機の亜人の女の子で、小さいころから一緒に遊ぶ仲だった。歳は自分の三つ上でいま十五歳、その歳になると彼女の種族では独り立ちをすることになっている。普通は山の中で暮らすのだが、ラフィスは外の世界を見たがった。しかし言葉も通じない未知の土地に一人で送り出すわけにはいかないということで、村でも特に仲が良かったコルトが旅に同行することになった。その道中で、亜人は都市のギルドに加入した方がよいとアドバイスを受けた。だからまずはギルドがどんなものかを知るために、ここオムレードへやってきた。
――本当にこの通りだったらよかったのに。
コルトは自分で話しながらそう思った。もちろん口には出していない。
入城管理員たちは一通りの質問を終えたところで、二人黙って顔を見合わせた。そしてなにやらアイコンタクトを交わした後、「少し待っていなさい」と言って片方が詰所の中へと急ぎ足で入っていった。詰所の入口はすぐ隣で開放されたままだから、中で誰かと話しているのまではわかった。ただ、詳しい内容を聞き取れるほどの音量はない。
そのまましばらく待たされる。ラフィスは城門の先が気になってしかたがない様子であったが、状況はなんとなくわかっているのだろう、勝手に先に進んでしまうことはしなかった。
そして馬車が一台城門をくぐっていったのを見送ったところで、詰所の中に行った管理員が戻って来た。
「一時滞在者として入城を許可する。これより手形を発券するから、滞在中は常に携行するように」
「はいっ!」
嬉しさあまり両手を挙げて叫びたい気分だったが、険しい顔つきの役人が見ている手前、万感の思いを返事の声に込めるだけで我慢した。
手形はこの場で入城管理員が手書きする紙一枚だ。正式な入城手続きを踏んだ証明、来訪の目的、滞在許可期間などが書かれている。書面上では五日間の許可となっているが、用事が済まない場合は延長することができる。もちろん役所で手続きをして、期間を改めた手形を再発行しなければならないが。
また手形を常に携行することは念入りに言い含められた。買い物の時、宿泊の時、あるいは治安局の巡察隊に呼び止められた時など、提示を求められた際に不携行だった場合、不法入城者として処罰されることがあるそうだ。紙一枚のあるなしで大げさな話に聞こえたが、これもオムレードの掟、発言した役人も至って真剣だ。これは絶対になくさないようにしなければ。コルトは重々承知し、小さく折りたたんだ手形をラフィスの分とあわせて腰の小物入れにしまった。
「ありがとうございました、じゃあいってきます!」
役人たちは流れ作業のように手ぶりだけで「どうぞ」と示すだけ。そんなそっけない対応ももう気にならない。コルトはラフィスを誘って、颯爽と城内めがけて駆けていった。
ようやく見られた城内の景色は、初めて城壁を見た時に負けず劣らずの感動を与えてくれた。オムレードの街並みは、今まで通り過ぎてきたどの町ともまるで違っていたのだ。居並ぶ建物はどれも古めかしく、自然に煤けた外壁や、風雨にさらされ角の取れた石材やレンガなどが、町が長い時間ここにあり続けてきたことを物語っている。道に敷き詰められた石畳もすっかりすり減っていて、目地が苔むしている場所も散見される。道幅は一番広いところで馬車がやっとすれ違えるくらいで、ほとんどのところはより狭い。その代わりと言っていいのか、広い水路が通っている。ところにより道と並行したり、高いアーチの橋で交差したり、かなり入り組んでいる。そして水際に立つ家の多くが、水路側の出入口と小さな船を備えているようだ。もしかしたら水の上が町の人にとってメインの生活道路なのかもしれない、そう思わせるほどに、実際に水路を行き来している小舟が多く見受けられる。
コルトとラフィスは揃って、はあぁと感嘆の息を漏らした。
「イルディーラ」
「うん、すごいね。普通の町と全然違うや」
風景もそうだし、店屋もしかり。とても大きな食堂や金物屋、城内巡回船乗り場など、気になる看板がたくさんあって、まだ城門をくぐってすぐだというに、この付近だけで一日楽しく過ごせそうだと思ってしまう。
だが単なる観光客になるその前に、オムレードに来た一番の目的を果たさなければ。
「ギルドはどこにあるんだろう。もっと奥の方かなあ」
「コルト、コルト! アヌラ、サカナ!」
「え? ああ、ほんとだ、魚釣ってるね」
ラフィスがはしゃぎながら指さす先には、水路にかかる橋の上から魚釣りをしている老人がいた。川と直接つながっている水路だから、水棲生物もたくさん泳いでいるらしい。仮に城郭内に閉じ込められたとしても、食べるものには困らなさそうだ。
ラフィスはなぜか魚釣りにいたく感動していて、放っておけばずっと見ていそうな雰囲気をかもしている。そんなを引っ張っていくのは後ろ髪引かれる思いだったが、しかしこのままではちっとも前に進めない。コルトは心の中で謝り、一人で歩きはじめながらラフィスに声をかけた。
「ラフィス、行くよ! 女王さまに挨拶しないと。ギルドの場所は誰かに聞いてみよう」
距離をあけられて、本当に置いて行かれると思ったのだろう。ラフィスは焦った顔でコルトの方に走って来た。金製のブーツに等しい両足が石畳を力強く打つと、キン、カン、コン、といつもより楽しい足音が周りに響いた。