古城の都市 2
長らく突っ立っていたのを不思議に思われたのだろう、後ろからラフィスにつんつんと肩をつつかれた。コルトは振り向きざまに、遠目に見える古城を指し示した。
「ラフィス、あれだ」
「アレダ?」
「あれが、僕たちが行く都市、オムレードだ。お城だよ。城」
「シロ」
「うん、城だ」
まごうことなき城だと、遠景からでも言い切れる。明るい昼の光に映し出されるのは、灰色の石積みでできた城壁。旗がはためくとんがり屋根の塔や、大きな門を備えているのも見て取れる。なおかつ城壁は、低めの外側と高い内側の二重になっているようだ。二つの城壁の間にはちらほら建物の屋根が見えるし、高い城壁内にも一際大きな館の頭が飛び出している。
ラフィスもシロ、シロ、とコルトの発した音を反復しながら同じものを見て、そして、はぁと感嘆した雰囲気の息を漏らした。そのままコルトのことを追い越して、草地の道を進んでいく。
ラフィスは道が川べりで二手に分かれるところまで行くと、そこで足を止めた。一度コルトを誘うように振り返ったあと、まずは悠然と流れる川を見渡し、それからオムレードの城を眺めている。そよ風に吹かれ、金色の髪と白いスカートがふわりと舞った。
そんなラフィスの後姿を見て、コルトは思った。城の古くさい感じがなんてよく似合うのだろう、と。無機的な翼や手足を持つ少女、長い時間を刻み今日に至る城郭都市、そのどちらもがコルトにとって非日常的なもの。両者が共に持つ幻想性が調和している。
なおかつラフィスが背中で醸す雰囲気にも、どこかじんわりと心にくるものがある。単に感動に打ち震えているというよりは、しみじみと物思いにふけっているような。
「……懐かしいとか、思ってるのかな」
オムレードは古城であるが、ラフィスが本来生きただろう時代、すなわち神の時代からあったわけではない。だが、城という物自体はあったはずだ。現代ではほぼなくなってしまったが、昔は大陸のあちこちに国があり、城があり、王がいた。教会でそう教わった。
ラフィスが信奉する使徒エスドアは、神話の中で神の騎士として描かれる。そして騎士とは通常城に居るもの。それらのことから短絡的に考えると、ラフィスも城に居たのではないかと思えてくる。だから、懐かしいのだと。
真相はわからない。ただ、連れてこられた城郭都市に対して、嫌な風に思っていないことは確かである。
川沿いに歩いて渡し場へ向かう。城郭のちょうど反対側にある小さな集落のようなもの、そこが渡し場だ。行商から聞いた時には、渡し場とはどういったものか知らなかったから、川にかかる橋と関門みたいなものがある場所だと想像していた。だが実際には違った。船だ。対岸を繋ぐように船が行き来している。そんな風景もコルトには新鮮極まりなかった。
しかし人が操縦する船が移動の手段だというなら、夜になってしまったら渡してもらえなくなるかもしれない。暗いから視界が悪くなって危ないし、こんな大きな川には夜行性の人食い巨大魚みたいなものが潜んでいそうだ。日没前に間に合わないと川を渡れず、ウキウキした気分に水をさされたじれったい夜を過ごすことになる、たまらない。そんな気持ちにつられて歩く足は自然と早く、ほとんど走りだしそうなほどになった。
早足が功を奏して、空の色が変わり始める前に渡し場に到着することができた。小さな集落をつっきって、何隻もの船が停泊している川べりへ。船頭たちが集まっていたから、その輪に入って行って頼みこんだところ、ちょうど荷物を積んでオムレードに戻る船が出るから、一緒に乗せてくれるという話になった。料金は一人銀貨一枚が言い値で、いわく「おおまけにまけてだぜ」ということだ。本当に安いのかどうかはわからないが、コルトは素直に銀貨二枚を船頭に渡した。とりあえずオムレードに行ければなんでもいい。
案内された船は、岸に並んでいる船の中では中くらいの大きさだった。かなり年季が入った木造の船だが、割ったばかりの薪を荷として大量に積んでも、問題なく浮いている。船尾にスペースが残っていて、コルトとラフィスはそこに乗ることになった。荷運びのついでに間借りした形とはいえ、二人で並んで座っても肩が触れあうことなく、なおかつ背中の荷物を降ろして置けて、川を渡る間だけなら十分快適に過ごせるだけのゆとりがあった。
船頭が大きなオールを水に立て漕ぎ出せば、船はすーっと進みだす。そこそこ揺れるが危険を感じるほどではなく、砂利道を進む馬車よりは心地よく思える。
穏やかな川の流れを横切って、ゆっくりと静かにそびえる城壁へと近づいていく。目線が変わったことにより気づいたのだが、オムレードの城は川から流れを引きこんで水堀としているようだ。川を進んできた船がそのまま乗り入れられる広さがある堀が、外側の城壁のまわりをぐるりと囲っている。また川に面する側の城壁には水上に門があり、城の中にも水路が続いているのが見える。
「このまま船でお城に入るんですか?」
「おう、そうだ。普段ならそうする。だが、おまえたち通行手形を持っていないだろう」
「通行手形? なにそれ」
「城の中に入っていいという許可をもらった証だ。水門から船を乗り入れるならそいつが必要だ」
「でも僕たち初めてオムレードに来て、そんなのがいるって知らなかったし。なんとかならないの?」
「ならない、ならない。そんな甘い話はないさ、諦めな」
なんてこった、とコルトは思った。ここまで来て門前払いを食らうなんて、時間もお金も無駄にした。というか、船に乗る前に教えてくれればよかったのに。ぶすっと頬を膨らます。
そんな不満は、ずっと前を向いている船頭にも空気で伝わったらしい。失笑しながら、
「おいおい勘違いするな。水門から入れないだけで、城に入れないわけじゃない」
と、教えてくれた。常識的に考えたらわかるだろう、と小馬鹿にした言葉もおまけについてきたが。
オムレードを陸路から出入りする正門では、コルトたちのように初めて訪れた旅人の入城管理をしているとのことだ。政府の役人が行う簡単なチェックのあと、名前や年齢、滞在日数などを城門で記録するのと引き換えに、入城の許可をもらえる。よほど不審な点がない限り許可は出るし、手続きもすぐに終わる。だから入れないという心配はいらない。ただし。
「正門はちょうど水門の反対側だ。夜は受付が閉まるから、子供の足じゃ今日はもう無理だろうよ」
「ええっ、そんな」
「だから上流の渡し場で降ろしてやる。旅人向けの安い宿があるから、そこで一晩越しな。城門の方に行ったら、客の足元を見て宿代が跳ね上がるからよ」
「でも……ギリギリ間に合うかもしれないし」
「間に合わなかったら踏んだり蹴ったりだぞ。大人の忠告は聞いとくもんだ。それともなんだ、城の真上を飛び越していけるってなら話は別だが」
「できないよ。空が飛べたら、最初からそうしてます」
ラフィスの骨組みだけの翼は空を飛ぶためのものではないのか、これまで一度もそうした素振りを見せたことがない。今も船の縁に腕を乗せのんびりと景色を眺めており、すっかり遊覧船にでも乗った気分でいるようだ。時々空を見上げるが、それも風に乗って飛ぼうと考えてる風ではなく、流れる雲や空が少しずつ黄昏色に変わっていくのを楽しんでいる様子である。
なんにせよ、無いものをねだってもしかたがない。コルトは渋々と船頭のアドバイスにうなずいた。
それにしても、町に入るだけなのに審査されるとか許可証がいるとか、なんと面倒なことなのか。ウィラの村はもちろんのこと、今まで通過してきた町や村ではどこにもそんな規則はなかった。大きな都市ではもしかしたら当たり前なのかもしれないが、見識の狭いコルトには、変で窮屈な話だとしか思えなかった。
ため息をつくコルト。すると、船頭が再び話しかけてきた。
「そうだ、ついでにもう一つ、大人からの忠告だよ」
「なんですか」
「城壁の中に入ったら、まずは『輝石の女王』って人のところへ挨拶に行っておけ」
「それなら大丈夫です。だって僕たち、その人に会いに来たんだから」
「そうかい。じゃあ別にいいけどさ」
「なんでわざわざそんなこと言うの?」
「いわゆる世渡り上手ってやつだ。子供にゃわからないかもしれないけれどな、挨拶ひとつで余計なトラブルが避けられたりするのさ」
船頭は言葉を切るようにオールで大きく水をかいた。船首はすでに水門ではなく、やや上流へ向いている。ゆるやかながら流れに逆らう方向だし、日没が刻々と迫っている状況、さっきまでより一層強く頻繁に腕を動かす姿からは、もう余計なお喋りをしている暇はないとの気迫が伝わってくる。
さて、船頭の二つ目のアドバイスだが、大人じゃなくてもなんとなくわかる気がする、とコルトは思った。仮に自分がお気に入りの遊び場にしている場所があったとして、もし知らない誰かが挨拶もなしに入り込んできて、あげく勝手に物を持って行ったりゴミを捨てて汚したりしたら、そりゃ不快な気持ちになるだろう。腹立たしいあまり、その人と大喧嘩をしてしまうかもしれない。でも最初にちゃんと挨拶をしていれば、そこでルールをお互い確認するとか、場合によっては譲り合うとか、仲良く過ごせるように工夫することができる。船頭が言いたいのはそういうことだろう。
ただ、わざわざそんなことを忠告しなければならないなんて。ここでもやっぱり思う。
「大きな都市って、なんだか色々と面倒だなぁ。嫌になりそう」
ついつい漏れた独り言だったが、そんなに広くない船の上、船頭の耳にもしっかりと届く。船頭はある種の失言をいさめることも、逆に同調することもせず、ただ苦々しい笑い声を小さくこぼすだけだった。