エピローグ
太陽石の明るい光に照らし出されるラザト国首都の大通りを、地上へのエレベーターから王城の方面に向かって、少年が全速力で駆けていく。つぎはぎだらけのつなぎ服を着た姿は、鉄や油の匂いがくすぶるカラクリ王国の町並に溶け込んでいる。よく見ると目鼻立ちが生粋のラザト人とは違うが、それを気にする人は誰も居ない。
通りの脇で自走式掃除機のメンテナンスをしていた中年の男が走って来る少年の姿に気づき、目を見張った。口元を緩めながら、工具を持ったまま手を振り、通りすがりに声をかける。
「おおい、坊! そんな風に走れるようになったか!」
「うん、完全に治った!」
「よかったな!」
へへっと少年、コルトは笑った。そして挨拶をして、また走り始めた。
今の男は元国王の近衛隊長だ。半年前の革命団の蜂起と国王の崩御を機に、軍を退官したのである。同じような身の振り方をした将官は他にも大勢いて、各々町で第二の人生を始めている。そんな彼らの中では、コルトはちょっとした有名人だった。
治ったと言うのは足の事である。エスドアの治癒である程度は治っていたものの、元々が深い傷だった――後で経緯を聞かされた医師いわく、失血で死んでいても不思議でなかった――ゆえに、しばらくは滲む痛みに苛まされ歩くのにも補助杖を使っていた程で、半年近くたってようやく完治したのだ。
有り余るエネルギーのまま通りを走り抜け、ゴールへたどり着いた。入り口に機械の蝙蝠がぶら下がった工房。遠慮なくドアを開けて飛び込んだ。
入った先では各種の機械がそれぞれ音と光で呼吸をしているだけで、人は誰も居なかった。しかし、隣の部屋からけたたましいグラインダーの音が響いていた。家主たちはそちらの工作室に居る。コルトはドア向かって、機械に負けない大声を張り上げた。
「カラクロームさぁん! 入隊試験、通ったよ!」
「おっ、おめでと!」
「オメデトー!」
女性二人分の返事が届き、グラインダーの音が消えた。ややしてゴーグルをつけたまま、カラクロームとラフィスが出て来た。二人ともワークウェアを着ている。ラフィスのものは背中の翼が外に出せる構造の、特注のものだ。
後に王政が倒れた大革命としてラザトの歴史に語られる事件から、半年が経過していた。未だ政治的に不安定な部分があるものの、国民の生活は依然と変わらぬ穏やかな日常に戻っていた。
廃棄炉で国王が死んだ後、王城の混乱の中で革命団派の大臣が実権を握った。その結果、一応は国賓として迎えられていたコルトとラフィスについては、なんら罪に問われずに終わった。むしろサイロスの暴走を防いだ英雄として扱われるべきとの意見も出ていたが、コルトがこれを固辞した。
一方のカラクロームは、複数の騒動を引き起こした革命団の首謀者たる以上、完全無罪とはいかなかった。彼女の処遇に対する議論はかなり紛糾した。あらゆる角度から検討された結果、国が認定した特別資格をすべて剥奪し、国政から永久的に追放する事が決められた。カラクローム自身は「甘い処分だ」と嘯き、政治から切り離される事はむしろ清々とした風に受け止めていた。
そして、コルトとラフィスは今現在カラクロームの工房に居候している。コルトの足の怪我が治っても、ラザトに留まる事を選んだ。ラフィスの体のカラクリ部分のメンテナンスをできるのはカラクロームだけ、その現実がある以上、これが一番良いと思ったからだ。カラクロームの方も自宅に人が居るのはまんざらではないらしく、いつかは自立しろと口では言いつつ、期限もで置いてくれている。もちろん、彼女の技師の仕事を手伝う上での話だが。
仕事中だったカラクロームは、休憩に入るようだ。冷蔵庫から瓶のドリンクを取り出す。ついでにコルトとラフィスも冷蔵庫に行き、各自で好きな味のものを取り出した。テーブルを囲う椅子に各々適当に腰をおろす、その中でカラクロームがコルトに言う。
「それにしても、本当に受かるとは思わなかった。確かに飛空機乗りのセンスはあるけど、君の場合、言葉の壁があるからさ」
「実技でなんとか。あと、カラクロームさんの試験対策勉強が完璧だったおかげです」
「おだてても何も出せないよー。でもまあ、よかった。君が航空部隊に入隊したいって言い出した時には正気かと思ったけど、なんでもやってみるもんだね」
コルトは得意満面に頷いた。
そう。飛空機乗りになると決めたのだ。ラザトで合法的に飛空機に乗るには、国の認定資格が要る。資格を得るにはいくつかのパターンがあるものの、コルトの場合は、国軍の航空部隊に入隊して実務を積むのが唯一に近いルートだった。入隊試験には通り、まずは第一歩を踏み出せた。
「そう言えば、どうして飛空機乗りになりたかったの? 聞いてないや」
「だって、空が飛べたらどこへでも行けるでしょ。ラフィスと一緒に飛んで行ける。ね」
テーブルごしにラフィスと向き合う。ラフィス頷いてにこにこと笑っていた。
一方のカラクロームは少し呆れたように頬杖をついて首を傾げた。
「飛んでどこへ行きたいの? ラザトは砂しかないよ。それともなに、空が飛べれば異次元にでも行けるって?」
「ううん、そんなんじゃない。色々あるけど……最初に行きたいのはウィラの村、僕の生まれ育った村だよ」
カラクロームはぽかんと口を開けて絶句した。
「僕が確かめた答えをもって、父さんたちに会いに行く。怒られるかもしれないし、嫌がられるかもしれないけれど、でも、そんなの行ってみないとわからないから」
「ちょっと、ちょっと待って!」
「大丈夫、ラフィスも一緒だから。また追い出されたら、ちゃんと逃げ帰って来るよ」
「イッショー」
「そうじゃなくって! 飛空機乗りの資格を得ても、飛べるのはラザトの国内だけなの! 昔からの掟で決まってるって、何回も言ってるでしょ! って言うか、試験でも誓約させられたでしょ!?」
それはコルトも理解していた。けれど、と、少し悩んで、改めてカラクロームにまっすぐに答えた。
「じゃあ僕が偉くなって、決まりそのものを変えてみせる」
「はあ……?」
「そもそも、ラザトのカラクリを外に出すなって大昔に決めたのはカサージュなんだろ? だったら、今はもう事情が全然違うじゃないか。僕は、外に出ても平和的に交流する方法があると思う。大体、ラフィスが外の世界で怪しまれたのも、カラクリを見慣れないからだし。ラザトが引きこもっていなければ、もっと違った結果だったと思う。いい解決方法はあるよ、絶対」
カラクロームは信じられないと言う風に首を振った。しかし、最後は困ったように笑う。
「ま、じゃあ、精々頑張りなよ。そんだけ強い気持ちがあるなら、世界を変えられるかもね」
コルトは強く頷いた。絶対にやってみせる、と。一人じゃない、背中を押してくれる人も、道を踏み外しそうな時に引き戻してくれる人も居るから、必ず成し遂げられるはずだ。
瓶の中身を飲み干して、コルトは小休憩を終わりにした。今日はまだ走り回る元気に満ち溢れている。椅子から立って、瓶をごみ入れに放り捨てる。
「地上の町へ行ってきます」
「みんなにも試験の結果報告?」
「うん。それで夜まで戻らない、オアシスで月を見て来るよ。今日は天気がいいから、二つの月が綺麗に映るだろうし」
「わかった。夜用のコート持って行きなよ、気を付けてね」
コルトは玄関横の壁に引っかけてある三人分のコートから一つ手に取った。砂漠の夜は冷える、地上への外出には欠かせない。それに加えて、隣にある真新しいベルト付きの鞘に入った愛用のマチェットも手にした。ラザトで活躍する場面はないが、これはおまもりとして外に出る時は必ず身に着けている。万が一、何かの間違いで危険な異世界に放り込まれるような事があっても、再び道を切り開く力になってくれると信じて。
そんなコルトの隣へ、ラフィスがぱたぱたと走って来た。彼女もコートを取りつつ、コルトの顔を覗き込んだ。
「イッショ、イコー?」
「うん。行こうか」
連なって外に出る。カラクロームに手を振って、それから、ラフィスがコルトの手を握った。
明るい人工太陽に照らされた通りを、足並みをそろえてゆっくりと歩いて行く。そんな若い二人の様子は、ラザトの日常風景としてすっかり馴染んでいた。
半機の少女 ラフィス ―古の少女と導きの少年の物語―
完




