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半機の少女 ラフィス ―古の少女と導きの少年の物語―  作者: 久良 楠葉
最終章 砂漠の王国と黙示録の刻(とき)
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灼熱の廃棄炉 4

 コルトは息も止まった状態で床を滑り落ちていた。しかし、足と背中が何かに引っかかって止まった。打ち付けた部分に激痛が走るも、コルトは耐え、その場所に必死でしがみついた。それが炉の蓋を囲っていた柵だと気づいたのは、抱きこむように手すりを握ってからだ。


 止まりはしたが、助かったとはとても言えない。足場は柵の数本のパイプだけ、歩くことなどできないし、壁と化した床以外のどことも接していないから伝って上に向かう事も不可能。しかも塔の崩壊は続いている。振動で上から鋭いガラスの破片が降って来て、手に突き刺さった。コルトは痛みに苦悶の息を漏らし、絶望的な状況だと確信しつつ、しかし必死で生命線にしがみついていた。


 その時、竪穴に男の野太い叫び声が響き渡った。上から下へ移動するその悲鳴は、国王のものだ。コルトの視界の端の空中を、包帯まみれの人影がひとつ廃棄炉の底へ真っ逆さまに落ちて行く。気づいて、コルトは思わず目を瞑って顔を伏せた。長く尾を引く絶叫が耳に届いていたが、どぼんと液体に落ちる音が立つと、直後にその声は一切聞こえなくなった。おぞましい不死の怪物のように思わせた人物も、最期はあまりにも呆気なかった。


 落ちる人影は一つだけだった。それを脳内で何度も確かめてから、コルトは恐る恐る上方へ顔をあげた。空飛ぶ車椅子はまだ宙に浮かんでいた。ただ、ほとんど横倒しにまで傾いている。そしてカラクロームは上面にある手すりに体を引っかけるようにして乗っていた。ぐったりとしていて、意識があるのか遠目ではわからない。車椅子の方も故障しているようで、落ちこそしないが上昇もせずぐるぐると円で飛んでいる。


 王国軍も覗き込んで炉の様子をうかがっていた。国王が廃棄炉に消えたことで、軍は明確に動揺していた。命令者が居なくなったため、執拗だった攻撃も一時的に止まっていた。


 その隙にラフィスがカラクロームを救助した。肩を掬って正面から抱え、車椅子を足蹴にして上へ飛びあがる。王国軍に警戒の目を向けながら、彼らと反対側の岸へ向かう。そして先に行ったコルトと合流する……はずだったのだ。


 しかし、そこにコルトが居ない。気づいたラフィスの悲鳴混じりに息を吸った音が、静かな竪穴に鋭く響いた。そしてカラクロームを岸に降ろすと、間髪入れずに再び飛んだ。荒々しく銀の翼をはためかせながら、竪穴の深みへ自ら降りて来る。


「コルト、コルト!」

「ラフィス、僕はここだ!」


 叫んで居場所を知らせる。しかしその途端、塔の下方が大きく崩れ、コルトの居る柵にも激しい衝撃が伝わって来た。更に悪いことに、この時折れて崩れたのは、岩壁に接して支えとなっていた部分だった。振り子の要領で、コルトが乗っていた階層が岩壁に叩きつけられる。加えて橋に接続する部分に凄まじい負荷がかかったため、それに鉄骨が耐えきれず、軋んだ金切り声をあげながらは橋と塔がちぎれた。


 鼓膜を叩き割るような激しい音と、とんでもない圧の浮遊感がコルトを襲った。自分のいた足場は崖にぶつかって大破し、上からは鉄骨の残骸が降って来る。柵を掴んでいた手なんて、とっくに滑って離れていた。いよいよ炉に落ちた、そう思っていた。


 だが、今度もコルトは落ち切らなかった。塔丸ごとは廃棄炉でも一瞬では溶かしきれず、その結果、マグマの上に瓦礫の島ができており、そこにコルトはうつ伏せに倒れていた。


――助かった。


 肩から足から全身のあちこちが痛むが、なんとか死なずに済んだ、と。そうして安堵しながら、立ち上がってラフィスに呼びかけようとした。


 しかし。コルトは動けなかった。瓦礫に足が埋まっていた。もがくと尻の上に乗っていた鉄板が滑り落ち、自分で状況が目視できる。単に折り重なる瓦礫に乗られているだけでなく、膝の下にひしゃげた柵ががっちりと食い込んでいる。左足周りは多少の隙間があるが、右足は完全に挟まれていた。道理で足が痛むわけだ。


 コルトは絶望のまま、汗だくの体を投げ出した。うつ伏せだから瓦礫の山にじわじわと熱が周り、少しずつ溶鉱炉へ飲まれていく様がありありと見える。最悪だ、嬲り殺しだ。いつ灼熱の海に沈むか煽られながら、しかしその前に瓦礫伝いの高温の熱で焼かれる恐怖も伴っている。


「コルト!」


 ラフィスがコルトの目の前に降りて来た。コルトが投げ出した腕を掴み、引っ張り出そうとする。だが、ラフィスの腕力ではとても抜けない。カラクリの翼で飛び立つ力を加えても、吹き出す汗で肌が濡れているせいで手が滑ってしまう。


――今回はさすがに、無理、かな。


 コルトは腹をくくって顔を上げた。憔悴しきったラフィスの顔が映った。そんな彼女に力を振り絞って弱々しく笑いかけてから、手を動かし、上へと指示した。


「ラフィス、君は逃げて。このままだと巻き添えになるから。お願い、上に行って、カラクロームさんと一緒に逃げて。僕を置いて、逃げるんだ、ラフィス」


 ラフィスは首を横に振った。そして、無理だというのが明らかでもなお、コルトの事を救出しようと尽力していた。巨大な鉄骨や鉄板を動かすにはあまりにも細すぎる腕、そこに尖った破片がいくつも傷をつける。金属を溶かす高熱に巻かれ、大量の汗が吹き出しては見る見る内に乾き果てる。ラフィスの目からこぼれ落ちた涙も同様に。


「やめてよ、ラフィス。もういい、このままじゃ君も死んじゃう」

「コルト、メェ!」

「いいんだよ。ごめん……約束、守れなくて。一緒に居たいって言ったのは、僕の方なのに」


 またラフィスを泣かせてしまった、最後まで情けない姿ばかりだった。もう二度と、と何度も誓って来たのに結局悲しい思いをさせてしまう、またラフィスを独りぼっちにさせてしまう――


『すべての因縁を壊してくれ』


 それは頭の中に針が刺されたような感覚だった。すっと眼がさえ、心が動く――そうだ、だめだ、繰り返してはいけない。


 かつて尊く慕ったエスドアが目の前で自刃した時、ラフィスはどんな気持ちでその光景を見つめていたのだろうか。きっと今と同じだ。ラフィスから見れば、あの時が今繰り返されようとしているのだ。大切な人が、己の目の前で自ら死を受け入れる、その悲劇を。


 足掻かなければ、最後の最後まで。コルトは今一度、瓦礫の中から抜け出そうと手足に力を込めた。だが、自由になるには至らない。歪んだ柵に噛みつかれた右足が、どう足掻いても動かない。


 逆に考えれば、右足さえ瓦礫にくれてやれば、他の部分は解放される。


 その事実に思い至って、コルトはほんの少しだけ寒く震えた。しかし、悩んでいる暇は無かった。歯を食いしばりながら、腰のツールケースを手で探る。ナイフはすぐにつかめた。落下と衝突を繰り返す中で失われていなかった幸運を、コルトは神に感謝した。鞘を捨てて柄を両手で強く握り、体をねじるように丸めて目標を見定める。


 そして深呼吸の後、振りかざしたナイフを自分の右膝に思い切り突き立てた。


「ぐ……あぁぁァッ!」


 膝を中心に体中の血管が燃えるように脈打つ。全身が痺れる心地だ、とぎれとぎれの息を漏らしたまま動けない。生理的な涙がぽろぽろと溢れて来る。


 ――でも……ラフィスは、両方の足を失くして、もっと痛くて、それでも、諦めなかったんだ。僕が死んだら、ラフィスも死ぬぞ。やるんだ、僕。傷だらけになっても、生きるんだ。


 震えて固まる手に力を込めて、もう一度。深々と刺さったナイフを抜くと、跡から真っ赤な血が吹き出した。頭に電撃が走った上で氷を詰め込まれた気分だ、ずきんずきんと痛みが脳に突き抜ける。歯を強く強く噛み、そしてコルトは再び灼熱の痛みの根源を狙ってナイフで突いた。


 深い傷を刃はさらにえぐった。だが骨を砕くには小さなナイフでは力不足で先端が横に滑り、さらにはショックで緩んだコルトの手からもこぼれ落ちた。血に濡れたナイフは瓦礫の上を滑り落ち、コルトが手を伸ばしても届かない所に行ってしまった。


 唖然としたコルトをラフィスが抱きしめた。何も言わず、血の気の引いていく顔を胸に埋めさせ、強く強くかき抱いた。コルトの赤茶色の頭に顔を寄せ、そのままじっと動かなかった。静かに瓦礫の山の底が熱に沈み、がらがらと崩壊が進んでも、微動だにしなかった。


 温かな闇に閉ざされた中で、コルトは唇を噛んでいた。一緒に生きられないのなら、一緒に死ぬと? ふざけるな、そんなひどいことしないでくれ。そう憤慨する一方で、しかし、少しだけ嬉しく、救われていた。いつまでも一緒だと、ラフィスの方も思ってくれていたのだ、と。


 人が死ぬ時、死んだ人を送る時。人は祈りを捧げる。魂が安らかにあれと、死の先の世界で救いあれと。誰からも祈りの詩がもたらされない中で、自分たちは共に正しく死ねるだろうか。亡霊となってこの世を彷徨う羽目になるのかもしれない、コルトはそんな事をぼんやり考えていた。ラフィスと一緒なら、それもいいかもしれない、などと。もはや半分夢の中に居た。


 だがそんな折、その女性の声が頭の上からすべてを切り伏せた。


「ラフィス! エクナ、トゥラ、コルト!」


 声は現実に耳を震わせた。調子はラフィスの言語によく似ていた、だがラフィスの声ではない。もちろんカラクロームのものでもない。しかしその叫びは、確かにコルトの名を呼んだのだ。


 まずラフィスがはっと顔を上げた。瞬時の内に緊張の糸が張り詰める。真顔でコルトの肩をすくいあげ、翼を大きく広げ、力の限りコルトの体を引っ張りあげる。そんな事をしても瓦礫から抜け出せないのはとうにわかっているのに、ラフィスは全力を尽くしていた。


 二人が居る瓦礫の島に向かって、上から人影が降りて来ていた。時代錯誤な鎧姿の女性が、山の深緑を思わせる光をたたえた両手剣を振りかざし、重力で加速しながら落ちて来る。


 彼女は瓦礫に着地する寸前に宙で前に一回転した。そうして勢いをつけた大剣を、瓦礫の山のコルトの足が埋まっている近くへ振り下ろした。衝突の瞬間、剣が纏っているのと同じ魔力の光が瓦礫に広く細かく走った。その様はあたかも植物が瞬時に根を張り巡らせるようだった。そして、光が爆発するままに瓦礫が粉々に砕け散った。コルトの足枷も、消えて無くなった。


 自由になったコルトの体をラフィスが抱えあげ、上へ上へと飛んで行く。迷いなく一点に、カラクロームが待っている岸へと。


 落ちた橋の向こう、岩肌を平らに整えた地面の上にコルトは優しく降ろされた。異様に空気が冷たく感じられ、コルトはくしゃみを一つ。それで急に力が抜けて、その場に横たわった。固く平らな岩の感触がいつになく心地よかった。


 投げ出されたコルトの右足からはまだ出血が続いていた。ラフィスがドレスの裾を細く破き止血帯を作って応急処置をする。強く縛られると傷口もひどく痛み、コルトは反射的にうめき声を漏らした。痛く苦しい。だが生きている事自体が奇跡に等しいのだ、それを思えば殊更に苦痛をわめく気にはなれない。切れ切れの呼吸音を漏らすだけである。


 コルトの元へカラクロームがすり寄って来た。彼女も疲労困憊で地面にへたり込んでいる。横座りでコルトの顔を覗き込んだ。


「コルト、よかった、生きてた……」

「うん」

「ところで、あれは何? 急に、空中に湧いて来たんだけど……」

「わからないよ。いや、わかってるけど、全然わからない」

「えぇ?」


 その話題の人物が、崩れた橋の先端に降り立った。コルトとカラクロームは共に困惑した顔のまま、そちらへ視線を向けた。


 コルトの止血を終えたラフィスは、一目散にその人の所へ走って行く。立ち上がる時には、彼女はもう涙ぐんでいた。そして声をあげて泣きながら、その人に抱きついた。その人も、武器を持っていない側の手でラフィスの背をかき抱いた。泣きじゃくるラフィスの言葉を一つ一つ頷いて聞いて、時々彼女に言葉を返している。


 その人は実体があるのに幻影のよう。確かにそこに居る、確かにラフィスが触れているのに、姿がぼんやりと透けている。まるで朧月だ。


 その人の名は――コルトは非常な戸惑いの中、ぽつりと呟いた。


「エスドア……」


 コルトの隣でカラクロームも目を見張ったまま腰を抜かし、ごくりと生唾を飲みこんだ。


次回は明日4/30の朝に投稿します。

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