黙示の刻 1
地上では地鳴りが長く続き、それだけで集った人々は激しい不安に駆られていた。そして命からがら神殿から脱出して来た近衛隊によって有事が報せられると同時に、混乱が爆発的に広がった。近衛隊長が中心になって軍が招待客を退避させようとしたが、それよりも早く人々はてんで勝手に逃げ出しており、統率は失われていた。
混乱の最中、立っていられない程の地震が起こった。あちこちで上がった悲鳴は、秘所の神殿が崩壊する轟音にかき消された。その後、間髪入れず、地底から砂埃をあげて真っ黒の物体が浮かび上がって来た。
始めは真っ黒の円柱だった。神殿の跡地から現れたそれは、風圧で大量の砂やがれきや人間を吹き飛ばしながら垂直に空高く昇り、天空にて花が開くように円盤状に変じた。その姿になれば、ラザト民は察しがつく。伝説に語られる対神兵器サイロス。認知されるやいなや群衆の混乱は極まり、逆に静寂をもたらした。
コルトも砂にまみれて這いつくばったまま、人形のように無表情で黒い塊を見上げていた。サイロスの上から弾き飛ばされた神殿の残骸が近くに振って来ても、まるで無反応で空を見ていた。
――僕は、どうしたらいい……。
このままがれきと砂に埋もれてしまっても、誰も気に留めやしないだろう。ラザトの人々はコルトの事など元から大して興味がない、ましてこの状況、外来人の一人に構っている暇など無いのだ。
そして。黙示録に予言された通りに世界が滅ぶのなら、今ここで死のうが、どこへ行こうが、些細な事である。
日没にはまだ遠いはずなのに、目に映る世界は暗かった。コルトが最初に砂漠へ降り立った時とよく似ていた。だからなんとなく、コルトは立ち上がって歩き始めた。あの時と同じようにあてもなく彷徨って、しかし、どこかにあるはずの光を探して。
サイロス浮上の衝撃波は外壁も崩した。それでできた石山の隣を通り抜けて砂漠へ出て行こうとした、その時、コルトの視界の端できらりと小さな光が反射した。
足を止めて見る。そこにはカラクロームが居た。光ったのは彼女の持っている通信機だ。地面に置いた箱型の機械からコードで繋がれたマイクと、自分の胸ポケットから出した小型の機械を左手でまとめて持って、必死に話しかけている。顔はいつにも増して怖く、ピアスのついた右耳をぐっと手で押さえている。
向こうはコルトに気づいていない。だが、彼女の姿は唯一に近い光だった。だからコルトはわらにもすがる思いで駆けた。
「カラクロームさん!」
「うわッ!?」
カラクロームは度肝を抜かれたようで目を丸くし固まっていた。そんな彼女には構わず、コルトは縋りついて一方的にまくしたてた。
「ねえ僕はどうしたらいい? このままじゃあ大変なことになる。でもラフィスは、そうすることが正しい風にしている。僕はずっとラフィスを信じて来たのに、だけど、そのせいで世界が滅んだりしたら……僕は、どうしたら……」
途中からカラクロームは苦虫を噛んだように顔を歪めていた。通信機からは今も誰かの険しい声が響いていて、カラクロームはコルトの事を無視し、そちらへ返事をした。こちらも厳しい声だった。
「お願いカラクロームさん、聞いて!」
コルトが懇願しても無駄だった。聞こえないふりどころか、鬱陶しそうに背中を向けてしまう。
と、その時、強い風圧が地上を襲った。天空の円盤に地上の物を吸い込もうとした、そんな空気の動きだった。しかし生身の人間には実際に吹いた風の力よりも、魂が引っこ抜かれるような奇妙で不快な力の感覚がより強く感じられた。
人が自然と空を見る。真っ黒な円盤がカッと光り、北の方角へ雷鳴を纏った光の柱を放った。極太の光線は遥かの砂の大地を貫き凄まじい地震を引き起こし、天高く砂の柱を打ち上げた。神を焼き払う力の試し撃ちだ。ビームが通ったのはかなり上空だったと言うのに、砂の上に衝撃波の跡が延々と残っている。
周囲は異様に静かであった。驚愕と畏怖に支配され、誰も声が出せないのだ。コルトもそうだった。町一つが一瞬で簡単に吹き飛ばされ、後に残るは死に満ちた荒野のみ。実際に見たわけではないのに脳にその光景が焼き付き、消えない。わなわなと体が震える。
示威行為の後、サイロスはしばらく静止していた。あたかも運動後に呼吸を整えるような間を置き、やがて、再びゆっくりと動き出した。音も立てず水平に滑るように、北へ、自らが砂のキャンバスにつけた跡に沿うように不気味な影を落としつつ進んで行く。北へ行けば何があるか。遠く海の向こうの島々に、世界を支配する統一政府の中枢がある。
世界が再び騒然とし始めた。カラクロームも再びマイクに大声をあげるが、すぐに眉をひそめた。そして慌てて足下にある通信機の本体をがちゃがちゃといじり、叩き、蹴飛ばして、最後は悪態をつきながらマイクを投げ捨て、走り出した。
彼女はコルトに一瞥もくれず横を駆け抜けて行こうとした。だが、コルトがジャケットを掴んだ。カラクロームは思い切り前につんのめった。その背中にコルトは悲愴に叫んだ。
「待ってよ! 置いて行かないで! 僕は、どうしたらいい?」
「そんなの自分で考えてよ!」
カラクロームは感情的に声を荒げ、怒りの形相を隠さず振り向いた。コルトが怯えてたじろいだのを見て、彼女は少しだけ後悔するように表情を動かしたものの、しかしすぐにまた怖い顔に戻った。
「君だって、目的があってラザトまで来たんでしょ? だったら君がどうしたいかでしょ?」
「でも僕は、ただラフィスに――」
「あの子と一緒に向こうに付くって言うなら今は止めないよ、そんな暇もないから。ここで立ちふさがる気なら容赦しない。じゃあね」
カラクロームはつんとコルトの事を突き放し、走って行った。ただ息も切れない内に、今度は王国軍の将校がやって来て彼女の足を止めた。深刻な顔で話し合っている。カラクロームは警戒しておらず、裏を知って居れば革命団の仲間である事が見て取れる。
コルトは乾いた風を受け、一人で立ち尽くしていた。自分で考えろ、カラクロームのその言葉が心に大きな波紋を作っていた。自分で考えろ、自分で決めろ、同じ事をこれまで何度も言われて来た。そうやって、これまでやって来たのだ。これまでずっと、ラフィスのためを思って。
『だったらおまえはどうしたいんだ。この先一人で、一体どうするんだ』
懐かしい父親の声が記憶の彼方から聞こえた。――僕自身はどうしたい? あの時はなんて答えた?
『今は一人ぼっちのラフィスの力になりたいんだ。一緒に本当のことを確かめに行く。その後で、ラフィスも含めたみんなが幸せになれる方法を探すよ』
そうやって、本当のことを確かめに突き進んで来た結果がこれだ。ラフィスはラザト王に同調し、世界を滅ぼそうと動き始めてしまった。こうなるだろうと警告してくれる人は何人も居たのに、全部聞かずにやって来た。
別の問いかけが心に浮かぶ。
『それで世界が滅んでもいいのか。おまえの未来も消えるんだぞ?』
『誰かを生贄にしないと未来が手に入らないなんて、そんな世界、僕は要らない』
あの時は、正直な気持ちでそう答えた。嘘ではないし、今も気持ち自体は変わらない。だけど、それはラフィスが幸せであるのが大前提だった。
目覚めた巨大兵器は食らいつく敵を求めて北上し続けている。ラフィスが自ら望んで選んだ道だ。ラザトの王と共に外の世界を焼き尽くす、と。――だけど、そんな願いが叶って、本当にラフィスは幸せなのか?
『使命が彼女自身を不幸にするものだったとしたら、そしてラフィス自身もそれに気づいていないのだとしたら、あなたは一体どうする?』
すべてを予見していたかのような問いかけが脳裏に蘇った。さあどうする? ラフィスが今の世界を破滅に導く、大いなる罪人となってしまうとしたら。ノスカリアで問われた時のように答えを保留にしている暇は無い、黙示の刻は今なのだ。
――……嫌だ! 僕は、ラフィスにそんなものになってほしくない!
「……ごめん、ラフィス。僕が君を止める。僕が止めなきゃいけないんだ」
強い意志は自然と言葉となって口をつき、それが魔法の呪文のごとく更に意志を強固にする。己を押し潰しそうになっていた罪悪感すらも糧にして、再び活力が湧いて来る。
――僕がラフィスを幸せにしてやるんだ。もう戦わなくたっていいし、何も滅ぼさなくていい。そんな事をしなくても、この時代では生きていけるんだから!
それは単なるわがままなのかもしれない。だが、誰にそう言われても、譲るつもりは微塵もない。己が信じたこの道にラフィスを導いてやる事、それが自分の使命だとコルトは確信していた。
「カラクロームさん!」
軍の将校と話し終えて、足早に去ろうとしたカラクロームを呼び止めた。カラクロームは大きな舌打ちをして、露骨に嫌そうな顔をして振り向いた。が、コルトの目を見るなり、表情を失い目を見張った。胸を張って自分の所に迫って来る少年が、さっきとはまるで別人に見えたのだ。
「カラクロームさん。僕はラフィスを止めたい。だから、僕も革命団として一緒に連れて行って欲しい。僕も一緒に王様と戦う」
「……あたし達は最悪、国王とあの子を殺すことになる。それでもいいの?」
「そうなる前に止めて見せる。でも、そうするしかないのなら……その時は、僕も一緒に、お願い」
カラクロームは固く結んだ唇をわずかに震わせた。しかし何も言わずに、歩き出しざまにコルトを半身で手招いた。
「急いで軍の飛行場へ行くよ。あれは中へ乗り込んで壊すしかない。幸いスピードは遅い、まだ追いつける」
毅然と言ってから進む速さを上げて行くカラクロームに従って、コルトは黙って併走した。




