秘物の目覚め 2
やがて歌が終わった。静まり返った会場の中、コルトは国王に促され、広場の側へ向きを転じた。すると王が楽隊の方へ手を掲げ、一、二、と指を折って合図を送る。そして王の指揮のもと、また音楽が始まった。今度は勇敢なマーチだ。ひたすら明るくどこかおどけた感じで、これまでとはまったく空気が違う。招待客も戸惑っている。
曲のリズムに合わせて、ご機嫌な王が手拍子を打ち始めた。そうしながら肩をすくめてコルトを見やった。
「堅苦しいばかりの儀式にはしたくなくてね。次は王国一の芸達者によるちょっとした余興さ、君も肩の力を抜いてくれたまえ」
そうコルトに告げた後、招待客にも声を張り上げて同じことを伝えた。すると招待客を包んでいた戸惑いは一気に晴れ、王に対する歓声と口笛が鳴らされた。
リズムに合わせて舞っていた踊り子たちがスキップで陣形を変え、広場の中心を開ける。そこへ楽隊とは別のラッパの音と共に、七色の衣装をまとった道化師がひょうきんなステップで躍り出て来た。国内では有名人のようで、彼の姿が見えるなり招待客から爆発的な歓声と拍手が沸き起こった。
道化師は中央で一礼すると、腰に帯びていた四本の曲刀を抜き、ジャグリングを中心とした演舞を始めた。彼が操る曲刀は、まるで意志を持った生き物であるかのように空中を泳ぎ、演者の腕や体を傷つけることなく這い回る。過剰な演出が無くとも目を惹き付ける光景だった。
最後は四本の曲刀を同時に天高く投げ上げる。刃が宙を昇っていく合間に、道化師は黒衣が持って来た白金のステッキを受け取った。道化師は手袋の手でキューブ上になった頭の部分を掴み、先端を空に向ける。そして空中でわずかに時間差をつけて落ちて来た四本の曲刀をステッキのまわりを沿わせるように受け止めて、手の中におさめた。もちろん白金のステッキには傷ひとつできなかった。
道化師がポーズを決めて、音楽が結ばれる。それから道化師は招待客たちに対して丁寧に礼をした。
続けて道化師はステッキを手にしたまま、国王の方へ身を翻した。王の前まで進み出てひざまずき、ステッキを献上するように両手で掲げた。国王は一言、道化師に対して褒める言葉を述べた後、ステッキを受け取った。
王が手にするステッキを近くで見たコルトはぴんと来た。
――これ、魔法の杖だ……。
遠目では磨かれた白金の光でわからなかったが、ステッキの表面には浅い溝で複雑な模様が刻まれていた。無軌道な直線のように見えて、しかし不思議と全体では均整がとれたように感じられる、まるで魔法陣のような模様だ。気づいた途端に胸騒ぎを覚える。
王がステッキを手に神殿の入り口へと歩いて行く。居合わせる誰もが固唾を飲んでその背中を見守っていた。余興は終わり、厳かな儀式が戻って来た。いつもなら傍に付き従う近衛すらも今は付いて行かない。ラフィスもだ、祭壇の前で王の後姿を見送っている。だからコルトも動かなかった。いや、空気に飲まれて動けなかった。
王は神殿を閉ざす石扉に向き合った。白金のステッキを観衆にわかりやすく掲げた後、細い先端でそっと扉に触れた。その瞬間、神殿全体に白い光が波打った。招待客から大きなどよめきが上がる。
王は周囲の反応には構わず、ステッキをさらに強く押し付けた。するとステッキは光の塵をはらはらと振りまきながら、石の中に吸い込まれるように消えていく。ステッキが短くなればなるほど、扉は光で満たされて、最後には真っ白になった。そして頭のキューブの部分が触れると、辺りに澄んだ鐘のような音が響き渡り、神殿を中心とした円状に風が吹いた。
正面から吹きつける風に多くの者が顔を覆った。何人かは驚きに悲鳴を上げ、数人は「扉が!」と叫んだ。この数人にコルトも含まれていた。あれだけ重厚だった扉は、粉雪の塊が崩れたように地面に吸い込まれ、完全に消えてしまった。ステッキの先も消失し、なれの果てであるキューブが静かな光を湛えて王の手の中にあった。
ぽっかりと開いた空間の内側は真っ暗で、石扉があった所には目に見えないカーテンのようなものがもやもやと揺らめいている。国王がゆっくりと触れると、かすかな光の波紋が幕の表面に立ち、次いでうっすらと王家の紋章が半透明の像として浮かび上がった。
コルトは口を半開きにして目を見張っていた。あの揺らめく陽炎のカーテン、知っている。あれから先へは進めない、手も足も鼻先も、前へ行こうとすると同じだけの力で押し留められてしまう、それを身をもって知っている。王家の秘所を秘所たらしめる二重の封印だ。
――王様、どうする気だ? カサージュ……いや、タルティアの人じゃあないと、この封印は解けないんじゃないか?
コルトの傍で誰かが息を飲む音が聞こえた。ラフィスだ。どこか不安げに目を泳がせながら、胸の前に持ち上げた手をきゅっと握っている。
「ねえ、ラフィス……」
声をかけようとして、途中で止めた。ちょうど国王が振り向いたのである。
王は封印を前にしても焦らず堂々たる佇まいで、観衆の注目を集めるように大きく手を広げあたりを見渡す。そしておもむろに首から掛けた金のチェーンを掴み、繋いで胸のポケットに入れ込んでいた物を引っ張り出し、チェーンから外して掲げて見せた。
それは金の指輪の印章であった。アクセサリーとして見るとかなり大振りで主張が強く、また自ら発光しているのかと錯覚するほど眩い黄金である。台座に刻まれているのは、当然ラザト王家の紋章だ。
王は印章を右手の中指にはめると、神殿に浮かび上がる紋章と印章とを合わせるように拳を握って突き出した。
紋章同士が触れ合うと、神殿の方の印がふわりとぼやけ、そのまま光として指輪へと吸収されていった。
「おお……おお!」
王が感嘆の声をあげ、逆の手にあった白金のキューブを掲げた。いつの間にかそれは真っ白の光の塊になっていた。いっそ傾きかけの太陽よりも眩しく感じられる。
そして、それを手にする王自身が、真っ黒の神殿内部を背景に神々しい光を纏っていた。さらには強い風も無いというのに、王の髪や服が重力に逆らって揺れていた。
招待客たちは畏敬の混じる歓声をあげた。中には腰を抜かしている者もいたが、王は咎めず、威勢の良い宣誓の言葉を述べた。それでまたどっと聴衆が湧いた。
そして国王はコルトへ向き直った。目が合った瞬間、コルトはざわりと鳥肌を立てた。さっきまでの王様とはまるで違う、見ているだけで気圧される。
「さあ、目覚めの時だよ。ついて来たまえ」
それから他の観衆にも何かを伝えた。招待客に、楽隊と踊り子たちに、警備にあたる将兵に、近衛隊に、順々に。みな姿勢を正し、将官たちは敬礼をして答えた。近衛も即座に動き出す。
そして王はラフィスに向かって頷いた後、神殿の中へと進んで行く。そうするとラフィスも静かな早足で後を追った。
神殿へ入る直前に、ラフィスは浅くコルトの方へ振り向いた。その横顔が、コルトにはひどく悲しそうな表情に見えた。しかし結局ちらりと見ただけで、ラフィスはあっという間に神殿へ消えてしまった。
王の四人の近衛隊も武装した状態で、二人の後を追って神殿へ入って行く。しかしその直前、一番後ろに居た一人が呆然としているコルトに気づいた。そして祭壇のところまで戻って来る。
「君も来るんだ、急いで。陛下をお待たせしてはならない」
そう言って、有無を言わせずコルトの腕を引っ張った。
――僕だけ? もう他の人は来ないの?
見回しても招待客の中から抜き出て来る人は居らず、他の将兵たちは順次警備の持ち場につくところだった。王家の秘所の内部に入れるのは王が認めたものだけ、もし無理について来ようとする不届きな客が現れたら、警備兵たちが即座に取り押さえる。そんな段取りが透ける、厳重な布陣である。
コルトは神殿に入る前に、遠く、カラクロームの方を見やった。彼女は儀式を経ても何も変わらず……いや、少し眉間の皺を増やした状態で腕を組んで立っている。コルトと目が合うと、カラクロームは小さく頷いた。
――頼んだよ、なんて言われたって……。僕は、どうすれば……。
相反する国王にカラクロームに。カサージュとタルティアまで絡んでいる。極めつけは、様子のおかしいラフィスだ。色んな人の渦巻く思惑に飲まれ、コルトは溺れそうになっていた。
「おい! 君! 早く!」
「はっ、はい!」
近衛のいらだつ声に反射で返事をし、神殿の闇へ向けて足を動かす。今はもう、一人で流されるままにしかなれなかった。




