背反の事情 2
カラクロームは物憂げな顔でしばらく資料を見つめた後、ゆっくりと顔をあげてコルトを真正面にとらえた。真面目なまなざしだ。
「今から何百年も昔のこと。旧ラザト国は、異邦より現れた怪物の軍勢に襲われて滅亡した。その異邦の軍勢の頭が――」
「ルクノール、僕たち……ラザトの外側の世界の神様だ。そう言うんでしょ。正確には、ルクノールの使徒、なのかもしれないけれど」
カラクロームが目を見張った。視線が交錯する。それでお互いが道筋こそ違えど、同じ真実にたどり着いた身である事を相互に理解した。
「そう。ルクノール。ラザトにとっては破壊神で、侵略者で、永遠の敵。その弟子だか使徒だかって奴らも、ルクノールを神だって崇める外側の人間も、怪物も、全部まとめて異邦の敵なの」
「だけど例外がある。ルクノールを殺した反逆の使徒、名前はエスドア」
「……うん。その名前は、あたしも知っているよ」
二本の指が逆側からほぼ同時に図上に向かった。そして示した先は一致した。指を置いた場所には輪郭しかないが、本物の壁画ではここに浮遊する騎士が居た。
言葉を続けたのはカラクロームの方だった。
「エスドアも異邦の人だった。だけど襲撃されるラザト国を守るため、先頭に立って戦った。彼女は破壊神に対抗しうる圧倒的な力の持ち主で、盾でも剣でもあった。ラザトの伝承ではそう言われている」
「そのエスドアにずっと付き従っていたのがラフィスなんだ。ラザトが戦争になるよりずっと昔から、ラフィスはエスドアと一緒に戦って来た。この時も一緒だった」
「……そっか。やっぱりそこは覆らないかぁ」
カラクロームは得も言われぬ感情の詰まった声をあげ、頭をむしゃくしゃとかき乱す。
その時、またパネルが音と光で手紙の到来を叫んだ。カラクロームは苛立たし気に立ち上がり、走って乱暴にボタンを叩いて手紙を読む。すると元々強張っていた顔がますます怖くなり、舌打ちまで飛び出した。
パネルの表示を消さないまま、カラクロームは大きな足音を立てて部屋を縦断し、奥のたくさんボタンがついた機械に向かって何やら打ち込む。バチバチと響く音は、火を起こせそうなけたたましいものだった。
――僕がそんなにまずいことを言ったかな。
たぶん違う、手紙のせいだと思いつつも、コルトは気まずい気持ちで口を閉ざし縮こまっていた。
やがてカラクロームが深呼吸をする音が聞こえた。それで、話の続き、と戻って来る。幾分落ち着いてはいるものの、相変わらず笑顔はない。
「とにかく。せっかく戦ってもらったけれど、ラザトは負けたの。負けて、滅亡したの」
「はい……」
「勘違いしないで欲しいのは、ラザトだって黙ってやられていたわけじゃない。異邦のものに守られるだけじゃなくて、自分たちの力で戦った」
カラクロームはそう言いながら、図上のラザト上空に描かれた黒い円盤を指し示した。
「これは、当時の技術を結集させて建造した、破壊神に対抗するための最終兵器。空飛ぶ要塞のような物と伝えられている。……これについては何か知ってる?」
コルトは申し訳なさげに首を横に振った。カラクロームはさして気にした様子もなく、話を続けた。
「詳細は不明だけど、これで一度は攻め寄せた怪物の大群を倒し切ったって伝承がある。それでも、結局最後は負け。世界はルクノールのものになって、旧ラザトは砂の下で永遠の眠りにつかされた」
「じゃあ、今のラザトは一から作り直したの?」
「そうなるね。辛うじて大戦を生き延びた人々が、砂漠の地下に深くに隠れて国を復興させることにした。それがこの王都だよ。外側の世界のあり方は数百年の間に色々と変わったみたいだけど、ラザトは今も砂漠の地下でひっそりと自分たちの文化を守り続けている」
話を聞きながら、コルトは腑に落ちない顔をしていた。王から聞いた印象とかなり異なるから。国王の口ぶりでは技術を誇り好きで地下に住んでいるようだったが、カラクロームが言うのを素直に受け取るなら、怯えて隠れ住んでいるのではないか。
表情に出せば、当然カラクロームに見咎められる。それでコルトは正直に疑問を白状した。するとカラクロームは軽く肩をすくめた。
「確かに、技術流出を防ぐって側面もあるよ。向こうに無い機械技術をもち出せば、それを標的に再び戦争となるかもしれない。だから国難が訪れない限り、ラザトの人も物も砂漠より外へ出してはいけない事になっている。この地下ラザトを興した人たちで取り決めて、今のラザトでも国法の第一、子供でも知ってるお約束として守られている。……今はまだ、ね」
妙に含みがある言い方だった。コルトが眉を寄せて黙っていると、カラクロームは明後日の方角へと顔を向け、冷めた目で遠くを見た。そちらは王宮がある方向だ。
「……王様に何かあるんですか?」
「国王は考えが違う。外側の世界は勝者がゆえに堕落し、怪物も魔法使いも居なくなって、今やラザトの方が地力を持っている。だから世界で存在感を示していくべきだ、そう考えている。さっきも語っていたね」
「でも、国が発展するのはいいことじゃあないの?」
「それだけならね。けど、外の政府が黙って見ているはずがないし、国王も国王で……生機械を始め、禁忌とされる分野に手を出して、とてつもなく危ない方法を取ろうとしている。だから、あのバカにあんまり適当なこと言わないで欲しい、ってわけ」
最後はコルトに対する戒めだった。何度も言われている、しかし、と、コルトは眉を下げて視線をテーブルへ逸らした。一体なにがタブーで、どんな話が王を暴走させる火種になるか、込み入った事情を教えてもらえないのに文句だけつけられるのは不愉快だ。第一に相手は国王、話せと言われたら断れない。それに王はラフィスをあんなに歓迎してくれている、それなのに――いや、もしかしたら。
「もしかして、カラクロームさんとしては、ラフィスが問題だって言いたいんですか」
カラクロームはあえて肯定も否定もしなかった。王宮の方へ頬杖をついたまま、目だけをコルトに向ける。それからぼんやりと、生機械は、と語りだした。
「その、生機械? ラフィスの翼、あれがダメなんですか?」
「ずっと昔に禁忌にされた技術で、一度ほとんど途絶えていたような代物だからね。彼女の時代の考え方は知らないけど、現代じゃよくない。国の法律でも制限されている」
「どうしてそんなに。一体なんなんですか、生機械って」
「一言で言うなら、生き物と機械の融合。彼女みたいに人間には無い器官を取り付けたり、無くした体の部位を補ったり。究極は、体のすべてを機械に置き換える」
「えっ!? そ、それって……つまり、不死身になることも――」
「理論上はできる。しかも手足の数を変えたり翼や水かきを生やしたり、究極、人間ですらない好きな形になれる。あくまでも理論上は」
「彼女の翼を造り上げている機械技術のことね。生機械は、ずっと昔に禁忌とされた分野で、一度はその技術は失伝に近い状態だった。彼女の時代がどうだったかは知らないけれど、現代じゃ完全に王国が管理する物となって、学ぶ事すら厳しく規制されている」
「そんなに重大な事なんですか」
「生機械とは、一言で言うなら、生き物と機械の融合だ。彼女みたいに人間には無い器官を取り付けたり、無くした体の部位を補ったり。究極は、体のすべてを機械に置き換える事も可能」
「えっ!? そ、それって……つまり、不死身になることも――」
「理論上はできるね。しかも、手足の数を変えたり翼や水かきを生やしたり、人間がベースですらない好きな形になれる。例えば、あの王城に精神を移して自らが動く要塞となる、なんてことも理論上ならね」
コルトは口を開いたまま、信じられないと首を横に振ってみせた。しかし、内心では冷静に理解していた、本当にできてしまうのだ、と。機械に精神を移して動き回るのと、泥人形に亡霊が宿って動き回るのは何が違う、同じことだ。がらんどうのガントレットを強い意志だけで自分の腕として動かすのと何が違う、同じことでしかない。
もし誰も傷つけずにできるのなら、それは素敵な事である。事故や病気で失くした体を取り戻し、なりたい通りの理想の自分になり、人の体では成せない夢を叶えて、みんなが平等に不死身になる幸福な世界。しかし、そうならないからこそ、禁忌として封じられるのだ。
「理論だけじゃない、裏があるんですね」
「まず単純に危険なんだ、施術する技師に求められる技量が並じゃないし、医術の知識も求められる。ちょっとでも手元を狂わせたら取り返しがつかない事になって、最悪は命を奪う。施術が無事に終わったとしても、機械だって使っていれば故障する物なんだから。精神が機械の方へ入り込んでいる以上、少しの破損で人格が崩壊して植物人間になる可能性がある」
「それじゃ、人間の体より不便のような……」
「使い方次第だけどね。だけど言った通り、誰でも簡単に手を出していい技術じゃあない。研究が盛んな頃でも五人に一人は施術中に死ぬか発狂していたそう。他にも倫理的な問題もあるし、悪用しようとすればなんでもできてしまう。禁忌にして管理しようとした昔の人はとても正しい、あたしは知る者としてそう思う」
そしてカラクロームは深いため息をついた。
「国王は大げさに言うけど、あたしだって、先祖代々の知識を絶やさない程度でしかないんだ。彼女の翼にしたって、もし一から同じ物を作れって言われたら無理、いくら国王の命令でもお断り。錆取りとちょっとした修理くらいだから手を出せたけど……そんなものだから。変に期待させていたらごめんね」
コルトは首を横に振った。ラフィスが元気になったならそれだけで構わない、それ以上望むことはあるものか。むしろそんな大それたことをよく成し遂げてくれたと感謝するばかり。
その感謝の心を言葉にして伝えようとしたところで、三度となる手紙の電子音がピーピーと騒いだ。カラクロームが苛立たしげに立って走り、乱暴にボタンを叩いて手紙を表示させて、しかし今度はその瞬間に真顔になって固まった。コルトから見ても、明らかに先の二回とテイストが違った。パネルの周囲が赤と金で縁どられ、文字も細かく、装飾も施されている。
カラクロームはじっとパネルを見つめていた。徐々にしかめ面となり、小さく独り言を漏らしている。どこか薄暗い気配が漂っている。
コルトはわざとらしく咳払いをして、椅子から立ち上がった。そして大声でカラクロームを呼ばわった。
「あの! 僕、お仕事の邪魔なら城へ帰りますけど」
「いいや、待って、本題がまだ終わっていない。君に頼みたいことがあるんだ」
「頼みたいこと?」
カラクロームは半身で振り返り、真面目な顔で頷いた。




