革命の一手 4
コルトはあてがわれた客室へ戻った。城内は緊迫していて、ただ歩き回るだけでも邪魔者として見られる。すっきりしない気持ちを抱えながら、ベッドに身をうずめてぼんやりと天井を眺めていた。そうしている内に、いつの間にかまどろんでいた。
荒唐無稽な夢を見ていた。
青々としげる森の中にラザト城のテラスがあって、三人の人物が居る。背中を向けたラフィスと、彼女の頭をあやすように撫でまわすラザト王と、その彼の傍らに侍る白銀の鎧騎士、エスドアと。みんな笑っている、仲睦まじい一家のように。ラフィスはテラスの縁に現れた猫を見ると、錆びた翼をものともせず軽やかに走り、逃げ回る猫を楽しげに追い回していた。ひらめく白いワンピースに、きらめく黄金の手足が眩しく目に映る。
その光景をコルトはテラスの入り口から直立不動で眺めていた。王の命令だ、邪魔をしてくれるなと言われていた。国王の言う事だから聞くしかない。
そんなコルトの事をエスドアが見た。歳に似合わない鋭さをはらんだまなざしに、コルトはぞくりと背筋を伸ばした。
身構えているコルトの所へエスドアが一人でやって来た。正面に立ちふさがり、彼女は意味ありげな笑みを浮かべた。コルトは不信感を抱いて、彼女に対峙した。
「君には感謝するよ、ラフィスを連れて帰って来てくれて」
「はい。色々と苦労しました。騙されてさらわれたり、何もしていないのに逆恨みで殺されそうになったり」
「よく頑張ったね。だけど、もういい。君は立派に役目を果たした」
「エスドア、様。どうしてあなたまでそんな事を言うんですか」
「ラフィスのため。ラフィスがあんなに楽しそうにしているんだもの、君になんか守ってもらわなくっても大丈夫だよ」
「違う! なんで、なんでみんな僕の気持ちは聞いてくれないんだ! ラフィスの事ばっかりで! 僕だってラフィスの事がこんなに好きなのに――」
そこで視界の外に人の気配を感じた。機械のロックが外されて、ドアが開けられる音も。だからコルトは夢の世界を閉じ、自分のまぶたを開いた。
天井から吊り下げられたライトが白く眩しく目に刺さり、コルトの夢の残り香は一気に吹き消された。
――誰が入って来たんだ……?
ベッドの上で身をよじって起こしながら、ドアの方を確認する。
「えっ、お、王様!?」
「起こしてしまって悪かったね。ああ、そんな慌てなくていい。短い話だ、そのまま聞いてくれ」
王は親衛隊二人を伴って、勝手に部屋へ入って来ていた。慌ててベッドから降りようとしていたコルトを、両手を立てて制止する。中途半端な格好で固まったコルトは、少し迷いながら、ベッドの縁に腰かけて話を聞くことにした。
「どうしたんですか。わざわざ」
「明日の夕刻になるが、私たちは王家の秘所にて儀式を執り行う。そこへ君も共に来てほしい」
「儀式? なんのですか?」
「それは秘密だ。……ああ、婚礼の儀などではないから心配しないでおくれ。ラフィスは愛らしいが、残念ながら私のタイプではなくてね」
王はとぼけた顔で肩をすくめながら言った。本人は冗談のつもりだったのだろうが、誰も笑わなかったどころか、コルトは一気にうさんくさいものを見る目となった。王様はわざとらしく咳払いをすると、自分の表情と空気とを作りなおした。
「まあ、先ほど言った通りだ。私はラザトを変える、古の繁栄を取り戻すためにすべての力を尽くすつもりだ。儀式はその第一手だよ。王家の伝説を紐解くための、な」
「伝説、ですか」
「本当はもう少し落ち着いて準備をしたかったのだが……革命団が許してくれないようだからね」
「僕は何をすればいいですか?」
「いや、何もしなくていい」
コルトの中に不快な電流が駆け巡った。思わず目を伏せて、足の上で拳を握る。
見かねた王が眉を下げた。
「ああ、別に君が役立たずなんて言うつもりはない。考えてもみたまえよ、客人に仕事をさせる王の方がおかしいと思わないかな」
「それはそうですけど……」
「君はラフィスと一緒に来たいのだろう? だからおいでと誘っているだけさ。もちろん、嫌なら――」
「行きます!」
「ハッハッハ。それでいい。君もラフィスと共に私の救世主となってくれ。じゃあ、明日は迎えを寄越すからよろしく頼むよ」
王はかっこつけた笑顔を見せると、顔の横に挙手しフランクな挨拶をした後、マントを翻した。
コルトはじっと背中を見つめていた。救世主、悪くはない響きだ。必要とされるの嬉しいし、気持ちを汲んでくれた王には感謝しかない。それなのに、言いようのない煙たさが胸の中に渦巻いており、素直に喜べないでいた。
「王様、待ってください!」
ドアの二歩手前で声をかけられた王が立ち止まり、不思議そうにコルトの方を振り返った。
「どうした?」
「王様は、エスドアの事を知っていますか?」
既に夢の詳細は思い出せなくなりつつあった。しかし、誰が居たかはまだ覚えている。だから胸中のもやの原因がそこにあるのではないかと思ったのだ。
唐突な質問に王は困り顔で眉をひそめた。
「もちろん知識としては知っているが……もはや現ラザトでは伝説の人だ。知人になれるならなってみたいものだ」
「そうですか……そうですよね」
「むしろ私が君に聞きたい事だよ。君はエスドアを知っているのかね?」
「僕も実際には会ったことが無いんです。僕だって会ってみたいんです」
「ふむ、そうか。と言うことは、君やラフィスと同じように、エスドアもこの時代に来ているということだな」
コルトはしまった、と目を見開いた。慌てて平静を取り繕うも、既に遅し。王は意味深な笑みを浮かべている。目は興奮に見開かれ、しかし熱を抑え込むように体のあちこちを震わせている。
「ああ、だめだ。今は儀式が先決だ。だが少年、私は必ずエスドアも我が国の守護神として招き入れよう!」
「そ、そうですか……」
「後で詳しく聞かせてくれ。エスドアとはどのような容姿か、性格や声音、何が好きか何が嫌いか、なんでもいい。今度は奇跡ではなく、私の方から彼女を迎えに行こうとも。じゃあ少年、また!」
王は機嫌よく去って行った。ドアが完全に閉まってから、コルトは頭を抱えた。
「もーっ、僕だって会ったこと無いって言っただろ……」
夢と幻でしか知らない相手の事を説明しろと言われても困るし、そんなので見つかるならこれまでの苦労はなんだったのか。
「……声を聞いたのも、さっき初めてだ」
知らない人の声を認識するのも不思議な話であるが。しかし、具体的にどんな声をしていたのか、思い出そうとすればするほど捉えどころがなく、正体をつかめないまま幻に消えてしまった。
王様が何の気を起こして戻って来るかわからない、知りもしない古の事を問い詰められたら厄介だ。一時しのぎの手で、コルトは客室から逃げ出し王宮内をさまよった。
気づいたら一階の工房へ続く通路まで来ていた。三日前にラフィスと再会した小部屋が奥にあるが、ロックされたドアに阻まれて進めない。
――ここで待ってたら、ラフィス、出て来るかな。
特にすることもないのだし、と、コルトは通路の壁にもたれてしばらく粘ってみた。
やがて、ドアのロックが短い音と共に中から解除された。コルトははっとして壁から背を離し、いつでも飛び出せるように身構えた。
残念ながら開いた通路の向こうからやって来たのは、ラフィスではなかった。だが、知っている顔だった。
――カラクロームさんだ。
一人で出て来た彼女はひどく暗い顔をしていた。眉間に皺を寄せて、口元に手を添え、何かを思いつめているような。コルトが居ることにも気づいておらず、前を向いたまま通り過ぎようとしていた。
コルトの頭に嫌な予想が駆け巡り、ほとんど無意識にカラクロームを呼んでいた。突然大声で呼び止められた彼女は跳びあがるほどに驚いて、逆の壁に張り付くように後ずさった。そんなカラクロームに駆けよりながら、コルトは焦燥と共に問い詰めた。
「ラフィスは!? ラフィスに何かあったの!?」
「え、え? ええ? それ、あたしが聞きたいんだけど」
「ラフィスがどうかしたから、ここに居たんじゃないんですか」
「そうだよ、呼び出されたから来たんだ。だってのに、着いたらもう不要だってあのバ……国王が言い張ってるって追い出さた。どんな調子か気になるんだけど、会わせてすらくれない」
コルトは深く息をついた。安堵と落胆が半々だった。
その様子から色々と察したらしい。カラクロームは少しだけ表情を和らげて、コルトを元気づけるように話を続けた。
「まあ、あたしが追い返されるって事は、元気にしてるって事だ。あんな目にあった後だから、大事な物は手元に置いて管理する。危機対応としては間違っていない。その辺はちゃんとしているんだ、昔からね」
「だけど、狙われているのは王様の方だと思うんですけど。ラフィスの方が強かったし。誰にも会わせないように閉じ込めるなんて、それはおかしい」
カラクロームは短い茶髪をかきながら、ため息をついた。
「別に一生会えなくなったわけじゃないんでしょ。機会はまだある」
「はい。たぶん儀式が終われば、ラフィスも解放してもらえるはず……そう思いたいです」
「ん? 儀式って?」
「明日の夕方にラフィスと何かやるって、王様が。王家の伝説とかなんとか。詳しいことは教えてもらえませんでした」
カラクロームは胡散臭げに目を細めた。少しだけ視線を落とし、何ぞ考え込んでいる。通路は妙な緊張感に静まり返っていた。
「それで君は、何もしなくていいの?」
「別に。一緒に来てくれとは言われましたけど、それだけです」
「ふうん。……じゃあ、暇してこんな所に居るわけだ」
「まあ」
するとカラクロームが快活に笑った。初めて笑うところを見た気がする、とコルトは思った。
「だったらさ、今からあたしの工房へ来ない?」
「だめです。僕は城の外へ出られないから。出ようとすると音が鳴って、すぐ兵隊が飛んでくるんです」
「大丈夫、あたしは顔パスだから、一緒に来たら出られる」
「出るなって、王様の命令なんですけど」
「あたしが連れてったって言い訳すればいいよ。なんならあたしから説明するし、単独行動だったらともかく、そう悪い風には言われないって」
そう肩を押されても、コルトにはまだ不安があった。強気でおっかない女性にあまり良い思い出がないのと、いくら国の偉い技術者と言え、王様の言いつけに逆らうのはまずいのではと思うのと。
煮え切らないコルトを見て、カラクロームは呆れた息をつきながら腕を組んだ。
「ま、無理に来いとは言わないけど。でも、今来ないと、きっと君は後悔する」
「どうして、ですか」
「だって君はラザトの事を何も知らないから」
突然、突き放すような冷めた声になった。コルトははっ息を飲んだ。目が覚めた心地だった。
カラクロームは遺跡の時と同じように、苦々しく咎めるまなざしでコルトの事を見据えていた。
「何も知らないくせに、わかったような顔で適当なこと言うから。君がそれでいいならいいけど、あたしは、そういうの腹が立つ」
それだけ言うと、カラクロームは一人で歩いて行ってしまう。厚い靴底の音が重苦しく遠ざかっていく。
――僕だって、知らないまま流されるのは嫌だよ。
何も知らない、胸に引っかかるもやの正体だ。自分の知らない所で色々な事が起こり、知らない内に話が大きく進んでいる。関わりたいのに関わらせてくれない疎外感、自分の身のふり方も自分で決められない不自由さ。ラフィスが無事ならと自分に言い訳していたが、やはり、嫌なものは嫌なのだ。
、それに、表面だけなぞるとすべて順風満帆に進んでいるようだが、本当にそうなのだろうか。この国で再会してからラフィスの様子はどうもおかしい。王様だって、コルトが接している限りは、少し感情の振れ幅は大きいものの良い人柄で、政治においても有能だ。民にも慕われている。この王がなぜ革命団なんてものを組織されるのか、疑問に思うほどだ。だが反逆されるからには何か理由があるのだろう。コルトが知らない裏が。
「待って、カラクロームさん! 一緒に連れてって!」
コルトはカラクロームの背中に追いすがり、横に並んでついて行く。彼女なら教えてくれるだろう、ラフィスを治した彼女なら全部知っているはずだ。コルトが知りたい空白を。




