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半機の少女 ラフィス ―古の少女と導きの少年の物語―  作者: 久良 楠葉
第六章 狭間の館と超越者の系譜
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黒羽根の導き 3

 大人の大股で十歩くらいの距離を開けたまま、コルトたちは男の後を追っていた。するとトルルの町の南端へ着いてしまった。相手はまだ進み、道のない荒地へと出て行ってしまう。男は軽装で所持品も無い、とても乾いた土地へ繰り出せる装備ではないのだが、ためらいはないようだった。


 熱い日が体に刺さる中で、コルトは少し戸惑って足を止めていた。背負い鞄の帯を握る手に力がこもる。付いて来いと言ってまさか町の外へ出るとは思わなかった、不十分な装備で出発するのは不安だ。


 そんなコルトの肩をラフィスが叩いた。顔を見合わせると頷いて、先に走りだした。


「ちょっと、ラフィス!」


 コルトも迷いを投げ捨て走って追いかける。ラフィスにはすぐ追いついた。それでもラフィスは走ることをやめなかった。


 だが、先を歩いている男との距離はどれだけ走っても詰まらないのである。いくら歩幅が違うと言ってもこれはおかしい。逆に息を切らせてスピードを落としても、男との距離は開かなかった。常に最初と同じ間隔を保って進み続けている。


――なんなんだよあいつ、普通の人間じゃない。


 異能使いか魔法使いか、それとも幽霊だか術師だか、とにかくそういう輩だ。普通の人間である身には、どれにしたって脅威になりうる。コルトは一層気を引き締めた。


 やがてトルルの町が遠景にも見えなくなったころ。丈の短い草がはびこり陽炎がゆらめくだだっ広い土地の真っただ中に、レンガづくりのボロ小屋が現れた。その小屋の入り口で男が足を止め、初めてコルトたちの方へ振り向いた。


 男が立ち止まると、今まで一切縮まらなかった距離が一気に詰まった。コルトには言いたいことがたくさんあった。だが、長時間の追いかけっこで息が切れ、口を開けてもあえぐだけしかできなかった。


 そしてコルトが息を整える間もなく、相手の男は小屋の扉を開けて中へ入って行った。


 小屋の中は真っ暗闇だ。だがおかしい、中に入った男の姿は絵を切り抜いて張り付けたかのように、真っ暗の中でも外に居るのと変わらずくっきり浮かんでいるではないか。しかも、男はそのままどこまでもどこまでも遠くへ歩いて行く。もうとっくに小屋の広さを超えているのに、さらにその先へと。


 暗闇を見つめて唖然としているコルトの手を、ラフィスが握って来た。ぎゅっと握って軽く持ち上げる、そんな彼女は優しく笑っていた。そしてそのまま引っ張られて、コルトは暗闇の空間へ足を踏み出した。


 道があるのか壁があるのかも全然わからない、地面を踏んでいる感触はあるが、土なのか板間なのか絨毯の上なのか、なんとも言えない感触だ。勇気を奮い立たせても足がすくむ。そんな中でもラフィスは迷いなく前へ進んで行く。彼女が手を引いてくれているから、コルトはこの謎の世界を先に進むことができた。


 やがて、延々と続く黒の中で何かがぐにゃぐにゃと渦を巻いているのが感じられた。そして徐々に徐々に辺りが明るく変わっていき、最後は灰色の雲の中にいるような景色となった。やはり地面も壁も見当たらないが、確かに何かが足下に存在して立っていられる、コルトにはとても気味が悪く思えた。


 そんな中で、先行していた男が足を止めた。ラフィスはコルトの手を引いたまま、遠慮なく男に迫る。


 二人が近づくのを待ってから、男が手を正面にかざした。すると手を中心に不可視の壁に光が走って、それから、重い扉が開くような音が響いた。同時に灰色の空間が裂け、巨大な本が開かれるようになりながら、一気に周囲の景色が変貌した。


 コルトたちはどこかの城館の中に立っていた。三階まで吹き抜けた円形のホールだ。中心に翼の生えた黒い馬の彫像が据えられている。それ以外には、きらびやかな装飾は無い。大理石の床は擦り減って光沢を失っているし、上階へ続く木の階段もくすんで使いこなされた風合いで、建物自体が古い時代からあるものと感じられる。


 コルトの背後でシャンシャンと鈴が鳴った。振り向くと、重たい門扉の二つの把手それぞれに、鈴のついた靴をはいた小さな人がぶら下がっていた。子供ではない、確かに背丈は二、三歳の幼児と同じくらいだが、身体のつくりは大人と同じだ。いわゆる小人である。二人は男女の差はあるもののそっくりで、双子だと思われる。


 コルトたちを先導してきた男は、吹き抜けの上階に跳びあがるようにして消えた。そして代わりに、小人たちがコルトとラフィスが並ぶ前にまわりこんできて、両手を合わせて挨拶をした。


「ようこそタルティアの聖地へ」

「おかえりなさい我らが同胞よ」


 若干イントネーションに癖があるものの、通じる言葉で挨拶をされたのはコルトにとって少し意外であった。それを顔に出してしまったが、小人たちは気にせずコルトの目をじっと見て話しかけてくる。


「主がお待ちだ」

「上階にあがられよ」


 主。その言葉が引っかかった。それが誰であるのか、心当たりがないこともない。標となった黒き羽根をくれたのは誰だったか、考えればすぐに思いあたる相手だ。しかし考えると、少し腹の中にもやが湧く。


「ねえ。ここは、マオさんとどんな関係があるの? 主というのは――」

「きみに語るは我らの役ではない」

「きみに語るは主の許しがいる」

「主がお待ちだ」

「上階にあがられよ」


 言葉は通じる、でも話はできない。小人たちはそんな気配を立ち昇らせていた。


 そしてラフィスが、コルトのことを置いて先へ進んで行ってしまった。天馬の像を珍しがることもせず横を通り抜け、ホールを囲む階段をも通り過ぎて、勝手に一階の奥へ続く廊下へと行ってしまう。それは急いではいないが、真に迫るような強い足取りだった。


 しまった、とコルトは思った。目の前の小人たちとラフィスの背中とを交互に見る。小人は二人同じ含蓄のある表情でコルトのことを見あげていた。


――ラフィスと離れちゃだめだ。


 コルトは走ってラフィスを追いかける。階段の手前で、一度だけ小人たちのことを顧みた。すると指示に従ったかどうかの興味はないのか、もうコルトのことを見ておらず、玄関の両脇に置かれたスツールの上で正座し瞑想をしていた。微動だにしない姿は、まるで人形であるかのようだ。


 そしてラフィスは、正面の廊下の奥にあった扉の前でコルトのことを待っていた。いやに緊張した面持ちだ。コルトが追いつくなり、ラフィスは力を込めて両開きの扉を押し開けた。


 その先は広間だった。どこにも照明は無いのに室内は真昼の野外と同じくらい明るい。石の床には複雑怪奇な曲線と紋様が入り乱れる円形の魔法陣が、部屋の広さを最大限に使って刻まれている。その上に古びた武器や書物、アクセサリーや服など、雑多な物が散らかっている。そして奥の壁に大きな額が三枚、うち左から二枚は誰かの全身画が飾られている。一番右は空っぽの額だ。


 そんな広間をラフィスは扉を開けたままの格好で見つめ、しばらく固まっていた。それから不意に消沈したため息をはき、扉の把手からだらりと手を下ろした。


「……どうしたの、ラフィス」


 ラフィスは首を軽くひねって左目でコルトを見た。横顔はいつになく真剣で、瞳の光は寂し気にしぼんでいた。


 そして、ついてこいと言うようにラフィスは真正面へ歩き始めた。床にある物を踏まないようにしながら、肖像画の前へ行く。


 コルトは黙ってラフィスについていき、中央の額を近くで見た。そして、思わず小さな驚嘆の声を漏らした。肖像画に描かれた人物、それをコルトは知っていた。茶色のローブを着た痩せ身の男性で、白髪混じりの銀灰色の長い髪、肉の少ない顔と達観した雰囲気のまなざし。コルトが実際に会ったその人は、もっと老けた印象だったが――


「……カサージュ、だね」


 コルトは生唾を飲み込み、ラフィスを見やった。ラフィスは伏し目がちに頷いた。なにやらショックを受けているようだ、左目の光が震えている。


 少しずつ、少しずつ点だった情報がつながり始める。ラフィスはこの場所を知っている、そしてここはカサージュにも縁がある。異常な来し方を思えば、初めて彼女たちに出会った神殿のような異世界に存在する場所だ。トルルの宿で聞いた時空を超えて駆ける黒き天馬、その像がホールに堂々据え置かれていて、かつ玄関の小人たちはここを「タルティアの聖地」と呼んだ。


 まだうまく繋がらないのは、話に聞いたタルティアとは古の遊牧部族の名であった点。コルトは思考を巡らせながらもう一人の肖像を見た。そちらに描かれている人物は、カサージュと違ってがっちりとした体格で、ごつい顔に無精髭も蓄えた、エネルギーに満ちた雰囲気のおじさんだ。ただ着ているものは白地に銀の刺繍が入った司祭服のような長衣である。この人物が遊牧民の長だったのか、なくはないが――


「始まりは一人の魔術師でした。その魔術師は三人の人の弟子を取りました。弟子たちは皆、師を超える魔術師となりました」


 柔らかい女の声が広間に響いた。コルトはこの声の主を知っていた。最後に残っていた点も――おぼろげには想像できていたが――繋がっていく。破裂しそうになる感情を、ぐっと拳を握ってこらえた。


 声は語り続け、どんどん近づいてくる。


「弟子の一人は誰も届かぬ天にある孤高の存在と崇拝を受けました。もう一人は人に寄り添い人を導き人の世に魔法を広めました。そして最後の一人は、地の続く先どこまでも我の道を行き、流れる時をあるがまま見守り続けました」


 コルトはゆっくりと振り向いた。感情的に震える呼吸をむりやり鎮めた。そして、こちらは目を尖らせて、あちらは笑顔で、顔を合わせる。


「お久しぶりですコルト君。また会えましたね。また少したくましくなっていますね」

「マオさん、あなたは、意地悪な人ですね」


 マオは件の山で別れた時と変わりない姿だ。精霊を信仰する遊牧部族の民族衣装だと言った、あの長衣とターバンの格好だ。ただ指の怪我は治っている。そしてコルトに嫌味を言われても、変わらずにこやかに笑んでいる。


「申し訳ありません。真相は話してならないと、お師様に口止めされていましたので」


 またそれだ、とコルトは歯噛みした。玄関の小人たちと変わらない。そして同じように両手を合わせて挨拶をしながら、マオは丁寧に述べあげた。


「わたしたちタルティアの民が集う『狭間の館』へ、ようこそおいでくださいました。僭越ながらこのマオが、館の主に代わり案内役を務めさせていただきます」


 マオが軽く会釈をすると、ターバンに挿した黒い羽根飾りがそっと揺れた。

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