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半機の少女 ラフィス ―古の少女と導きの少年の物語―  作者: 久良 楠葉
第一章 山村の少年と異空の少女
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導きの少年 1

 気がついたら別世界に居た。くしゃみをして一瞬目を閉じた、その前後で風景が変わっていた。まるでわけがわからない。少年コルトは唖然として四方を見渡した。


 先ほどまでは確かに森の中に居た。一年の中で一番気温が高く、緑が深まる季節。あたりには藪が勢いよく繁り、空は青々とした木の葉に隠されている、そんな風景の中に居た。それなのに。


 今はどうだ。色あせた草がはびこる野原に立っている。時折、霜雪を運ぶような冷たい風が頬を撫でる。遠くの景気はなにがなんだかわからない。なぜかグニャりと歪んでいるから。空を仰げばどんよりとした雲が延々と広がっている。そして前方には、乾いた蔦が這う石造りの建物がある。大きさは普通の民家とそう変わらないが、外観からするに神殿だ。屋根も柱もだいぶ角が取れて丸くなっていて、造られてから長い時間が経っているとわかる。


「どういうこと……どこここ……僕、どうなったんだ、これ……えぇっ!?」


 コルトは半ばパニックになりながら、赤みの強い茶髪をかき乱した。


 ひとまず落ち着こう。そしてこれまでの経緯をおさらいしてみよう。


 小さな山村に暮らす少年コルトは、今日、一人で木の実や野草を採りに来ていた。村の規則で、十二歳になるまでは、一人で村の外に出てはいけないことになっている。コルトは数日前に十二歳になったばかりで、これが初めての単独活動だった。だから、少しだけ浮かれていたのには違いない。


 父からもらったマチェットを手に、枝を払い、藪をかきわけ、気が付いたら林道からもかなり外れた奥地に来ていた。ちょっとだけしまったなぁと思ったが、それでもまだ大人と一緒に来たことがあるエリアだから、村への帰り方はわかっていた。そのため、不安に思うことは全然なかった。


 藪が切れて少し開けた場所に出たところで、ちょうど座り心地がよさそうな岩を見つけた。ここで少し休憩をすることにした。上面がほぼ平らなその岩に腰かけ、ズボンに貼りついた植物の種をはがしていた。


 すると、急に冷たい風が吹き抜けて、その拍子にくしゃみを一つ。すると、世界が変異していたのである。


 なんとか気持ちを落ち着かせながら振り返ってみた。が、やっぱりわけがわからない展開だ。コルトはむしゃくしゃしたうめき声を漏らした。


 一体どうしてこんなことに。心当たりがあるとすれば、一つだけ。コルトはさっきまで腰かけにしていた岩を難しい顔で眺めた。


 岩の表面には紋章が彫刻されている。この世界の神、ルクノールの紋章だ。つまり、コルトは神の象徴を尻の下に敷いてしまったのである。


 故意にしたことではないと神に誓う。しかし結果的には神への冒涜行為をしたのだ。実際、腰を下ろした直後に紋章の存在に気づいていた。しかし「しまったなあ」とは思いながら、結局そのまま座り続けたのである。これは減点対象になって当然だと思う。


 紋章を踏みつけたことが原因なら、つまりこの場所は、あの神殿は、神ルクノールが待つ裁きの場ということなのか。コルトはそう思い、ぷるりと身を震わせた。村で悪戯をして大人に叱られる、その程度で済むとは思えない。神は世界で一番偉い絶対の権力者だ、虫の居所が悪ければ問答無用で死刑に処されてしまうかも。


 しかし、恐いから逃げるという選択肢はなかった。周りの景色がどの方角も歪んでいて、どうやったって安心して逃げられそうにないというのが理由の一つ。そして、悪いことをした自覚があるのだから、ここはきちんと謝らなければいけない、というのがもう一つの理由だ。


 コルトはごくりと生唾を飲みこみ、神殿を真っすぐに見た。大きな扉は閉ざされたままで、待っていても誰かが出てくる気配はない。


「自分から来い、ってこと?」


 弱気にううと唸った後、しかし意を決した。気合いを入れるために一度意味のない大声を出してから、神殿に向かってずんずんと進んだ。



 少年の接近にも石の神殿は何の反応も見せなかった。動いたものといったら、涼風にがさがさと身を震わせる蔦の葉くらいのもの。


 中に入る前に、まずは外周を見てまわる。入口は正面の一か所しかないようだ。禍々しい紋様が彫られた、建物のサイズに対してかなり大きい、天井まで届きそうな両開きの扉である。遠目から見ていた通り、今は隙間なくピタリと閉じている。ここ以外に内と外を繋ぐものは、窓一つすら存在しなかった。だから当然、外から中の様子を探ることもできなかった。


「せめて、ルクノール様どんな感じかわかればなぁ……」


 村の教会で宗教画に見た神ルクノールは、男とも女ともつかぬ中性的な雰囲気で、慈母のごとき優しい笑顔をしていることもあれば、強健な父を体現するように厳めしく凄みのある顔をしていることもあった。今コルトを待っているのがどちらの顔であるのか確認できれば、これから自分の身にふりかかることへの心構えができたのだが。


 できないものは仕方がない。コルトは改めて正面玄関の前に立った。目の前に立ちはだかるのは把手も鍵穴も無い巨大な石の扉だ、果たして子供の力で押し開けられるだろうか。そんな疑念を抱きつつも、右側の扉に体を密着させ、そのまま全身の力を叩きつけるようにして押した。


 すると意外にもあっさりと、重い扉はズズズと動き始めた。ただし、押した力の向きと逆、手前側へだったが。


「わ、わわ!? なんでぇ!?」


 動く扉に巻き込まれないよう慌てて逃げだす。転げるように五歩ほど引いた場所で立ち尽くし、扉の動くさまを呆然と見守っていた。


 両開きの扉は、壁と垂直になる角度に達すると、ゴォンと重厚な響きを立てて動きを止めた。


 しかし、誰かが入口から出て来るわけではなかった。少し待ってみても同じこと。出て来るどころか、中は暗くて人が居る雰囲気すら感じられない。神ルクノールは漆黒のローブを纏っているとされるが、だからといって、自分が居る神殿の中まで真っ暗にしておくだろうか。多分予想が外れで、ルクノール様はここに居ないんじゃないか、とコルトは考えた。少しだけ安心したが、神に会う機会にはならなかったと思うと、ほんのちょっぴり残念な気がする。


 では。怒れる主神が待っているのでないなら、この空間は、この神殿は、一体なんなのか。疑問は振り出しに戻ってしまった。


 村の近くにこんな建物や遺跡があるなんて聞いたこともない。隣の集落までももっと遠い。父や、その仲間の狩人に連れられて山の中を深く進んだ時にも、なんの変哲もない森林風景しか見たことがなかった。山で遭遇する危険だとして大人から教えられたのは、町から逃げてきた悪党、山賊に類する輩や、大型の魔獣などがうろついている場合があるとのことぐらい。突然異世界に放り込まれることがあるから気をつけろ、なんて誰も警告してくれなかった。


 もし前向きに考えるなら、ここは未知の宝物が眠る場所だ。誰も踏み入ったことがない遺跡から金銀宝石を手に入れて帰る、そうすれば一躍ヒーローだ。誰しも一度は憧れる夢物語、もちろんコルトも例外でない。


 そして、財宝発見と考えられるだけの根拠もすでに見つけた。暗闇の中で何かが光っているのである。床に置かれていて、四角くて、結構な大きさの白い光の塊。どういう物であるかはまったく見当がつかないものの、自ら発光するものが無価値であるはずがないだろう。


「……おじゃまします」


 申し訳程度に小声の挨拶をしながら神殿の中に踏み入れる。はじめの二、三歩はそろりそろりと進んで、何者も暗闇から飛び出して来そうもないと再確認すると、それからは一気に光のところまで走った。


 四角い塊はコルトの身長でも十分見下ろせる高さであった。だからそうやって見下ろして、光の塊の正体を確かめた瞬間、コルトはドキッとして息を詰まらせた。


 光を放っているものは、綺麗な直方体に磨き上げられた水晶かガラスかといったもの。触っても冷たくないから、同じ透明な物体でも氷は候補に入らない。


 そして、その透明な直方体の中で、一人の少女が眠っていた。


 しかもただの人間ではない。体の半身が金でできている。白い袖なしのワンピースを着ているから両腕が見えるのだが、左腕は普通の腕であるのに対し、右側は肩のあたりから、金のパイプに金の装甲を組み合わせた、甲冑を想起させる無機質な物となっている。太さや肩との繋がり方からして、甲冑をつけているわけでなく、元よりそういう腕なのだ。足もそう、右はすべて、左は膝下から、ぴかぴかの金で形成されている。膝の部分は関節を模した構造となっていて、その下は、金のブーツを履いている風に見える。


 そして極めつけは、背から生えた謎の物体だ。生えているというか、刺さっているというべきなのかもしれない。というのも、彼女の体を構成している金とはまるで様子が違う、錆びた金属でできているからだ。形状としてはコウモリの翼から骨組みだけを残し、きゅっと小さく折り畳んだ風。仮に翼であったとしても、こんなものではとても飛べやしないだろうし、鳥やコウモリのようにぴったりきっちり畳まれているわけでもないから、邪魔な異物感が強い。


 異形の容貌を持つ存在が、水晶の中で光に抱かれ眠っている。その光景はどこか神々しいものだった。畏敬の念が心に湧き上がる。


 だが同時にコルトは思った。――かわいそうだ。と。


 コルトより二つ三つ歳上でしかない、どことなく幼らしさが残る外見。顔はどのパーツも金属に置き換えられていないから、余計にそれが伝わってくる。それなのに、まだ子供なのに、閉じられた目は開くことがなく、金色の長い髪もふわりと広がったまま固まって微動だにしない。呼吸もなさそうだが、結晶の中だから考えるまでもなく当然だ。


「お墓……だったのかな」


 遺体を収容した棺を壮麗な建造物に収めて墳墓とする。今でこそ一つの政府が世界を統一して風習が廃れてしまったが、昔この地域にあった国々の中には、王侯貴族に対してそういった葬送を行うところもあったそうだ。この少女も見た目からして特別な存在に違いあるまい。このように光の棺と神殿を与えられ安らかな眠りについているのだとしても、特に変ではない。


 だから、かわいそうなのだ。自分と同じ子供のうちに死んでしまうなんて、本当に。


 しくしくと痛む心を胸に、コルトは棺の前にしゃがみこんだ。村の司祭に習って、死者に対する弔いの捧げ方はちゃんと知っている。むしろ、これくらいしか今できることはない。いいや、あるいは、自分がここに招かれたのはこのためだったのでは。


 眠る少女を前に、コルトはそっと目を閉じ、祈りの言葉を唱えようとした。


「汝、勇気ある者か」


 コルトのものではない男の声が響いた。しかもすぐ背後、頭の上から放たれたように。


 心臓がわしづかみにされた心地だ。肩を大きく跳ねさせ前へ崩れこみ、少女が眠る棺にすがりつくようにして、恐る恐る背後を仰ぐ。


 知らないうちに人が立っていた。大人の男の人だ。肉の少ない頬で、疲れ萎びたような印象の顔つきだ。実際に年齢は高めなのだろう、銀灰色の長い髪には結構な割合で白髪が混じっている。纏っている茶色のローブもかなり着古してあり、すっかりくたびれてしまっている。


 そう、男の姿は細かい所までくっきりと見てとれたのである。棺から放たれる淡い光だけではとても足りないはずなのに。まるで男自身が光り、暗闇の中に浮かんでいるような、そんな不思議な光景だった。

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