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魔界騎士覚醒!

 歩き続けた。

 殺し続けた。

 罪を犯し続けた。

 

 生き続けた。

 

 生き恥を、晒し続けた。

 

 生きる意味など既にないはずなのに。

 世界に居場所はないはずなのに。

 それでも、彼は生き続けた。

 

(何故僕は生きようとするのだろう……)

 生き恥を晒す男の名前はキース。ただのキース。かつて、セイヴァー・キース・ロードレッドという名前で聖騎士をしていた男だ。

 その身を守っていた白銀の鎧は既にない。キースが魔界に堕ちると同時に、キース自身が泥河の底に投げ捨てた。

 彼が持つのは一本の木の棒である。鋼鉄の刃と打ち合える強度を持つその棒を、キースは聖剣の代わりに振るっていた。

 聖騎士として活動していた時は聖剣ユートピアを武器として使っていたが、既に聖剣ユートピアは失われている。その代わりに拾った棒を武器としているキースだったが、これがなかなか手に馴染んだ。

 異常とも言える強度を持つが、所詮はただの木の棒だ。ただの木の棒一本だけで、何故強者蔓延る魔界で生き残れているのか。

 なるほど、常人であれば聖剣を持っていても生き残ることは出来ないだろう。達人といえど、祝福された武器なしには生き残ることは難しいだろう。人間と魔族の差はそれほどまでに大きい。大人と子供以上の差が、両者の間には横たわっている。

 だが、勇者や聖人であるならば、生き残る可能性は十分にある。特に、キースのように多くの魔と戦ってきた勇者ならば、魔界で生き残ることも十分出来る。

 キースは、数多くの魔族や魔物と戦ってきた勇者である。聖剣を失っても、実戦で磨かれた剣技は失われていない。また、魔を屠り続けたキースの剣技は、剣技そのものが退魔の技として完成されている。強力な魔物や魔族が蔓延る魔界でキースが生き残ることが出来ているのも、この剣技によるところが大きい。

 当然聖剣を持っていた時と比べると、キースの戦力は大幅にダウンしている。自慢の剣技も、魔族相手にはかつての半分どころか十分の一ほどの効果しかない。

 しかし、キースの剣技は錆びついておらず、むしろ魔界に来たことで洗練され続けている。キース自身の強さだけで言えば、昔よりも大きく上がっているのである。

 キースは魔界を放浪し続けた。その中で魔を倒し、魔を殺し、魔を屠り、殺し、殺し、殺し、殺し、殺し続け、キースは魔界で生き続けた。生き続けることが出来た。生き延び続けてしまった。

 何故、キースは生きようとするのか。既に世界にキースの居場所はなく、いつ死のうと構わない死人同然の身なのだ。

 だが、キースは降りかかる火の粉を払い続け、目的もなく生き続けている。その理由を、キースはわからない。

(本能かな? でも、何となくそうじゃない気がする)

 生きる意味はもはやない。しかし、何かに導かれていることだけは、キースにはわかった。そのため、キースは今も生き恥を晒し続けているのだ。

 何がキースを導くのか。何がキースを誘うのか。その正体をキースは理解していない。だが、それを確かめるまでは死ねないと、キースは自分自身が気づかない程の奥の奥、意識の深層の領域で、そう思っていた。

 魔を殺し、襲ってきた魔族の持っていた物を奪い、よくわからない不味い食料を食べ、色のおかしな水を飲み、紫色の空の下、ひたすら北へ進み続ける。明確な根拠はないが、何かが北にあるとキースは確信していた。

 その何かがどこにあるのか、どこまで歩けば見えるのか、それはわからない。進み続けるしかないとキースは考えているし、実際にそうするつもりである。

 一ヶ月歩いても、先は見えない。二ヶ月歩いても、目的地は見えてこない。終わりのない道なき道。目的のないキースは歩き続けることしか出来ない。

 とはいえ、いつもまっすぐ進んでいるわけではない。フラフラと寄り道をしながらひたすら北へ。虐げられている魔族の少年を助け、犯されそうになっている魔族の姫を助け、魔帝と名乗っていた男を粉砕し、何も考えずにひたすら北へ、北へ、北へ。

 そして、キース本人の意思とは無関係に、気がつけば二人、三人と旅のお供は増えていた。姫、少年、魔帝。よくわからない組み合わせだ。キース自身が許可したわけではない。何故か勝手についてきた。

 理由は何か。少し気になった時もあったが、キースは尋ねることはしなかった。ついてきたければついてくればいいし、飽きたら離れていくだろう。それを咎めるつもりはキースにはないし、咎める理由もない。

 いずれ離れていくだろうと確信しながら、キースは謎の三人組がついてくるのを黙認するのだった。

 

 ◆

 

 魔界といえど夜は来る。世界が違っても、朝と夜は巡り続ける。夜になれば焚き火を囲み、一日の疲れを感じながら腹を満たす。

 その間、キースは姫――キースは彼女の名前を忘れた――に世話をされる。世話をするのではなく、世話をされる立場だった姫だ。最初はひたすら覚束ない手つきだったが、慣れた今ではもう立派なものだ。座るキースの世話をする姿が板についている。

 それを感情なく見つめるのが、最近のキースの夜の過ごし方だ。眺めていれば、いつか朝がやってくる。気が付かない内に意識を落とし、眠りについている。

 キースに残ったわずかな人間性が、心の底の底で彼女に感謝を抱かせる。しかし、キースはそれに気づかない、気づこうとしない。全てはキースを生きさせようとするものの原因を探るために。

 そしてキース達は進み続ける。飽きることもなく、景色を楽しみながら、名のある魔族を蹴散らしながら、ひたすら北へ。

 そうして辿り着くのは北の果て。雪の降る極寒の地、ではない。雪は降らない。降ることが出来ない。

 既に空気が凍っているのだ。漂う空気が、極寒を遥かに下回る煉獄の如き極低温により、全て凍りついてしまった北の果て。凍った空気そのものが入るものを拒む結界となり、何者も足を踏み入れることが叶わぬ未踏の地。

 姫曰く簡易な結界――姫基準であり、名のある魔族にとっても極めて高度な結界である――により周囲と自分達を遮断せねば、到底入ることは出来なかっただろう。姫が魔法に長けていたため、キースはこの地に入ることが出来たのだった。

 言葉は出なかったが、キースは姫に頭を下げた。少しだけ取り戻した人間性が、キースに行動させた。その姿を見て、姫が歓喜の涙を見せたのは余談である。

 残りのお供は魔帝と少年。キースはやはり、どちらの名前も知らない。それを後悔出来る程度には、キースも周りが見えるようになってきた。

 なお、魔帝はキースを従えているという体を取っているが、ただついてきているだけなのは見ていればすぐわかることである。魔帝は長く生きすぎたため、常に暇つぶしを探しているのだ。

「この地は儂も魔王の奴めも入ることの叶わなかった幻の地。ティティア姫よ、魔神の血を引くのは伊達ではないということか」

「ティティはそれを誇りに思っていません。ティティが思うのは、キース様のお役に立てて嬉しいということだけ」

「ねーちゃんは変わんねーな。じーちゃんは役に立たねーな、脳筋だから」

「抜かせ小童」

 雑談をする三人を従えながら、キースは奥へ奥へと歩いて行く。不思議なことに、キースには目指すべき場所がわかっていた。知らない地のはずなのに、まるでよく知っている庭のようにキースは歩くことが出来た。

 奥へ、奥へ。進む度に景色が変わる。進む度に天候が変わる。吹雪いたと思ったら晴天になり、豪雨に見舞われたと思ったらまた晴れる。変わらないのは空気すら凍らせる極低温だけだ。

 歩き、歩き、ひたすら歩く。時間の感覚さえも忘れるほどに歩き続ける。どのくらい歩いたのか。一時間か、二時間か。それとも半日は経ったのか。やはり時間の感覚が曖昧だ。一瞬だったような気もするし、永遠だったような気もする。キースの薄れた思考でさえも疲れを感じているのだ。他の三人は疲労困憊だろう。

 だが、その甲斐はあったようだ。

 混ぜている最中の絵の具ように変わり続けた天気模様は安定し、雲一つない快晴が広がった。透き通るような紫色の空。人間界と違う魔界の空の色だが、何故か今だけは清々しく感じる。

 キースが振り返ると、すぐ後ろでは空気が凍っているようだった。まるで壁で分断されているかのように、あちらとこちらで空気が全く違うのだ。

 結界のようだった凍った空気は、事実その通り結界だったようだ。よく見るとわかるが、他にも時間や方向の感覚を狂わせる術式が広範囲に渡って刻まれている。歩いた時間が曖昧なのも、この術式によるせいだろう。真っ直ぐ歩いてこれたのは、キースを導く何かのおかげにほかならない。

 結界が遮断していたのか、凍りついていた空気を抜けた瞬間、キースはそれに導かれている感覚を強く感じた。今までもそれらを感じていたが、今までの比ではないほど強く惹かれている。

 場所は近い。方角も、このまま北に真っ直ぐだ。やはり、それはキースを導いていたらしい。キースだけを導いていたらしい。

 何故、という疑問は残るがキースは進む。進み続けるしかないし、進む以外の選択肢はない。

 呼ばれているなら応えてやろう。生き恥を晒し続けた意味が、きっとそこにあるに違いない。

 決意を新たに更に二日歩き続け、長い旅の終着点も見えてきた。

 四人の前に現れたのは、地の底へと繋がる大穴だ。地面にポッカリと空いたその穴は、ブラックホールの如く全てを飲み込み、逃さないだろう。

「ティティはわかります。対魔法用の結界がこの穴の内部に張られています。この中で魔法は使えません」

「儂の出番だな。儂であれば、たとえ地の底に繋がっていようと脱出は可能よ。跳躍一つで抜け出すことが出来るぞ」

「ねーちゃんお疲れ様。じーちゃんはこんな場所でしか役に立たねーな、脳筋だから」

「抜かせ小童」

 入るか否か。キース自身は、既にこの中に入ることを決めている。たとえ底のない永遠に落ちるだけの大穴だとしても、キースは入ると決めていた。

 だが、とキースは逡巡する。勝手についてきた、否、ついてきてくれた三人の魔族を巻き込んでいいものかどうか。

 そう考え三人の顔を見て――キースは杞憂であったことを知った。三人の顔に恐怖はない。むしろ何が待ち受けているのかを楽しみにしているようにも見える。目には生き生きとした光が浮かび、恐怖など欠片も感じていないようだ。

 自分よりも度胸がありそうだと、キースは認めた。ならば、迷うまでもない。キースは小さく苦笑し、ついてきてくれた仲間達に内心で感謝した。

 導かれていたのはキース一人だ。しかし、仲間と共に行ってはいけないと言われているわけではない。そこに何が待ち構えているのか。仲間達と共に確認しようと、ここに来てようやくキースは思い始めていた。

「……行こう、みんな」

 だから、その言葉が出てきたのだ。

 気の利いたことでも言えれば良かったのだが、そこは残念ながらキースである。そんなことを言える性格ではないし、今までも言うような機会はなかった。だからこそ、キースらしいといえばキースらしい言葉でもある。

 キースのことを知っている人物ならばキースらしい言葉だと言うだろうが、キースは魔界で誰かと喋ることが一度もなかった。少しだけ反応を返すことはあったが、基本的に何も考えずに魔界を放浪するだけであり、いつ死んでも構わないと捨て鉢になって行動していた。

 だから、三人が呆けるのも当然の反応であった。しかし、それも数秒であり、三人はそれぞれキースに言葉を返す。

「ティティはどこまでもついていきます!」

 喜びを返すのは姫――ティエラティール・グランドハイド。魔法を極めし美しき魔界の姫は、感謝と愛のためについていく。

「にーちゃん喋れたのか!」

 驚愕を返すのは少年――マクベス。虐げられていた普通の少年は、好奇心のためについていく。

「言われるまでもないわ、小僧」

 そして、不機嫌そうに鼻を鳴らすのは魔帝――かつての名前はD・D・D。既に名前を失った魔帝は、自らを倒したキースの末を見るためについていく。

 三者三様、思い思いの反応を返してきた。その感情は喜びであり、あるいは驚きであるが、否と答える者は誰もいない。何を今更。問うのが遅すぎる。三人共、そんな心境だろう。

 何となく予想していた結果だったが、それでもキースは笑みをこぼす程度には喜びを感じていた。何の価値もない堕ちた勇者についてきてくれている酔狂者。勇者などという酔狂なことをやっていた自分のことを棚に上げ、キースは変な人達だと苦笑した。

「わかった。ありがとう」

 頷き、キースは散歩にでも行くような気楽さで大穴へと飛び込んだ。次いでティティが飛び込み、魔帝も高笑いしながら落ちていく。一瞬躊躇したのはマクベスだったが、二秒後には覚悟を決めて飛び込んだ。

 

 ◆

 

 風がない。

 大穴に飛び込んでどれだけ時間が経っただろうか。光の届かぬ漆黒の領域。闇しか存在しない発狂しそうな空間を、四人は落ち続けていた。

 一時間? 二時間? 否、もっとだ。どこまでも闇しか広がらない場所であるため時間の感覚が曖昧だが、確実に四時間以上は落ち続けている。

 常人であればどれほどの恐怖を味わっているだろうか。それとも、恐怖のあまり発狂するか、失神しているかもしれない。様々な修羅場をくぐり抜けてきたキースであっても、倦怠を感じざるを得ないほどの暗黒世界。

 一体どこまで落ちればいいのか。そもそも、この大穴は本当にどこかに繋がっているのだろうか。実はキース達は元の場所で眠っていて、この暗闇は集団で見せられている悪夢ではないだろうか。

 嫌な想像ばかりが浮かんでくる。この暗闇が見せているに違いないと、キースは無理やり思考を打ち切った。

 ため息を一つして、他の三人の様子を見る。魔帝はまだまだ平気そうだ。ティティはキースを見て微笑んでいる。マクベスは、なんとこの状況下で眠っていた。落ち続けて暇なのはわかるが、何とも豪胆なものである。

 何はともあれ、一番疲労しているのはキースらしい。元勇者ともあろうものが情けない。気を入れ直し、キースは暗闇の先を貫くように見つめた。

 すると、どうだろうか。見えたのか、見えなかったのか。一瞬の錯覚かもしれない。キースの作り出した幻影かもしれない。

 だが、キースの目には見えた。一瞬の光。キラリと、薄く、小さな光が見えたような気がした。

 魔帝を見る。同じものを見ていたのか、魔帝も頷き、キースに答えた。

「小僧、儂は永遠の闇の中で生まれた。それ故、光には敏感でな。確かに見えたぞ。この先には、確かに何かがいるようだ」

「わかった、ありがとう」

「礼には及ばん」

 鼻を鳴らし、魔帝はそれきり前を向いたまま動かなくなった。キースも同様に前だけを見つめ、いずれ来る時を待つ。

 落ちる。

 落ちる。

 落ちる。

 近づいているのがわかる。キースを呼ぶ何かに、どんどん近づいている。

 気がつけば、マクベスも起きていた。この先に何かを感じたのだろうか。見れば、ティティも魔帝も険しい表情で光の先を見つめている。

 感じたのだ。この先にあるものを。何かがあると、何かがいると、とてつもない何かが眠っていると、四人は理解したのだ。

 キースを呼ぶ何か。それは破壊の波動。全てを砕かんとする絶望の破壊神の鼓動だ。

 ここまで来いと。操ってみせろと。主に相応しいのなら、見事我を扱ってみろと、それはキースに話しかけているのだ。

 ならば良し。その挑戦、受けようじゃないか。

 キースの顔に凄惨な笑みが浮かぶ。呼び寄せておいて、更に使ってみろと挑発までしてきたのだ。ならば使ってやるしか無いだろう。見事に使いこなし、屈服させてやる以外に道は無いだろう。

「だから待っててくれ。今すぐ行くから」

 ポツリと語りかけるように呟くキース。その瞬間、キース達は強烈な光に包まれた。

 

 ◆

 

 光りに包まれたのは一瞬だった。気がついたら、キース達は四方を石の壁に囲まれた祭壇のような場所にいた。

「ティティ達は……召喚されたのでしょうか?」

 いち早く状況を把握したのは、やはり魔法に長けたティティであった。空間転移ではなく、召喚されたのだと自らに干渉した術式から判断した。

「うーむ、儂らを召喚するとは見上げた度胸の持ち主よ。顔を見てみたいものだな」

「じーちゃん絶対殴る気だろ」

 口々に好きなことを言いはじめた三人の言葉に耳を傾けながら、しかしキースは目の前の存在から目を離せなかった。

 何故、三人は気づいていないのか。これほどまでに強烈な存在感を放っているというのに。

 いや、違う。キースには見えた。よく見ればわかる。その台座には封印がかけられているのだ。おそらく、封印対象のそれが選んだ主以外を阻むような封印だ。

 如何に簡易な封印といえど、いつまでも維持し続けることはできない。台座にかけられている封印は、持ち主以外を阻むという極めてシンプルなであり、それ故に強力な封印となっている。

 大気中の魔力を吸収して封印を維持し続けるといった機能を組み込んだ封印もあるが、これにはそういった機能は付けられていない。一から十まで、全機能をそれの封印に使っている。

 つまり、この封印は時間経過とともに込められている魔力が減少し、いずれ消え去ってしまうということだ。

 では、誰がこの封印を維持しているのか?

 そして、その誰かとは一体、誰なのか。何の目的で、封印対象のそれ――聖剣にも匹敵する膨大な魔の波動を纏った、魔剣を封印しているのか。

「……」

 考えるも、わからないのでキースは思考を打ち切った。用があるならばいずれ現れるはずだ。おそらく、すぐにでも。

 もしくは、既にここにいるのかもしれない。これほどの封印をかけ続けていた人物が、キースが来たことをわからないわけがない。

 どれだけ封印し続けていたのかはわからないが、律儀に封印を守っていた人物が、いないわけがない。

「そなたが選ばれし者カネ?」

 そう、この魔剣を守っていた者が、この場にいないわけがない。

「何? 儂が気づかなかっただと?」

「いやいや、ワタシはここにずっといたヨ。姿や気配を誤魔化していたのは確かだけドネ、ワタシはずっとここにいたヨ」

 そう言って封印を続けていた人物――骨と皮だけになった魔族の老人は、愉快そうに笑った。

 魔剣から強烈な魔力が発せられていたせいで、この場の空気もおかしくなっていたのだろう。普段ならばすぐに気がつくであろう簡単な隠蔽も、見破ることができなかった。

 老人に敵意がないから良かったものの、魔界というのは力こそ正義の弱肉強食の世界である。キース達を狙う敵がいつ現れてもおかしくない。もし、この場にそういった敵がいた場合、キース達はやられていたかもしれない。

「死に損ないのジジイではないか。それほど強そうには見えんな。儂の感覚を欺くほどの何かがここにあるということか?」

「その通りだよ。ここにあるものがあなたには見えないか?」

「うむ、小僧。儂には何も見えん」

 どうやら封印は魔剣の主以外を近づけないだけでなく、そもそも認識できなくするようだ。キースと老人以外は、ここに何があるのかすらわからないのだ。

「これを封印していたのはあなたということでいいのかな?」

「そうダヨ。ワタシがそれを封印していたのダヨ。かの神は、ワタシにその役目を命じてくださったのだ」

「待て、貴様らは何を言っている? この場の空気をおかしくしている何かがそこにあるのか?」

「それを手に取るとイイ。そなたが選ばれし者ならば、きっと魔剣も応えてくれるヨ」

「……わかった」

「ティティにはよくわかりませんが……ここに何かあるのですか? 如何にもといった部屋ですが、何もないように思えます」

 キースと老人以外には、魔剣はおろか台座すら見えていない。老人の封印がそれほど強力だということだ。それに加え、魔剣の圧倒的な魔力のせいでこの場の気配も狂っている。この状態では、相当集中しない限り封印を看破するのも無理だろう。

 一つ息を吐き、キースは無言で手を伸ばす。一瞬だけキースの手を阻む何かがあったが、すぐにキースは受け入れられた。

 しかし、違和感は残る。粘度の高い液体の中に手を突っ込んでいるような気分だった。どことなく不快なその感触に顔をしかめつつ、キースはしっかりと魔剣の柄を握った。

 魔剣自体も強い魔力を発してキースを拒絶するも、それも一瞬だった。すぐに魔力は霧散し、キースの手には温かな、しかしどこまでも呑み込まれそうな魔力だけが感じられるようになる。

 かつて持っていた聖剣と同等か、それ以上の力を感じる。今までの旅で感じていた魔力からもわかっていたことだが、改めて理解させられると、やはり驚くものだった。

 そして、ついにキースは魔剣を封印の中から取り出す。何百年、何千年封印されていたのだろう。とうとう魔剣はこの世界に再誕の産声を上げたのだ。

 ぞわりと、魂さえも凍りつきそうな破壊的な魔力が魔界を奔る。キース以外の四人が初めて感じた魔剣の魔力。圧倒的な破壊の波動に身構え、全力で魔剣を警戒する。

 長く生きていた魔帝も、この魔剣を見たことはなかったようだ。キースと戦った時でさえ見せなかったほどの鋭い眼光で、魔剣を睨みつけている。

 だが、そこはさすがの魔帝。長く生きているだけあって、その知識は豊富である。見たことはなくとも、それに合致する物の名前をあっという間に思い出したようだ。

「まさか……これは魔剣トールフェイカーか? 何とここに眠っておったのか……」

 マジマジと魔剣を見る魔帝。興味にかられて剣先に触れると、それだけで魔帝の右手が粉々に砕けてしまった。

 魔剣トールフェイカーは破壊の魔剣。たとえ魔帝といえど、魔剣の破壊から逃れることはできない。

「儂を破壊するほどの魔剣か。凄まじいわい」

 破壊された右手を見つめること数秒。まるで時間が巻き戻るかのように、魔帝の右手が再生した。魔剣が破壊したのは魔帝の肉体のみ。一部の極めて強大な力を持つ魔族は魂こそが本体であり、魂を破壊されない限り肉体もほぼ不滅。この程度の再生は朝飯前なのだ。

 邪神なども同様であり、肉体をいくら傷つけても殺し尽くすことは出来ない。かの覇王勇者が邪神の魂を粉砕したのは、そうしなければ邪神を滅ぼせないからなのだ。

「これが僕を……」

 と、何かを言おうとしたキースは口を噤んだ。聖剣を失い、新たに魔剣を手に入れたキース。それは、今までの勇者としての立場との明確な決別を意味している。

 勇者として生き、勇者としての生き方しか知らなかったキース。だが、キースはもはや勇者ではない。勇者となる資格は失われ、新たな生き方を模索しなければならない。

 ならば、変わらなければならない。今までのセイヴァー・キース・ロードレッドを捨て、新たなキースという人間を作り上げなければならない。

「いや、私を呼んでいたのか」

 とりあえずは形から。新たな自分を作り上げるために、まずはそれなりの言葉遣いをすることに決めた。

 人々に尽くす勇者という名の偽善者を捨てるのだ。今、ここにいるのは全てを失い、ただただ空虚な抜け殻のみ。

 ならば、その空虚な器に入れるのは破壊の衝動。弱肉強食という魔界の理。

「そうか……魔剣よ、貴様は私に生きろと言っていたのだな。自分を使い、誇りを取り戻せと言っているのだな」

 そして、自らを完膚なきまでに打ち負かしたあの女への復讐心。

 キースの言葉に頷くように、魔剣が禍々しい光を発する。魔剣を見守っていた老人が嗤い、新たな魔剣の支配者を祝福する。

「聖剣ユートピアへの私の信仰。信仰とは狂気と似ている。ならば、それは私の狂気だったのだろう。我が狂気、今度は貴様に預けよう」

 聖剣を使うために必要なのは、正しき心。正しき信仰。それこそが聖剣の力の源となる。

 ならば、魔剣を使うために必要なのは、狂いし心。悪しき信仰。それこそが魔剣の力の源となる。

「どこまでも狂気に呑み込まれよう。ならば私は高みに至るだろう。遥か彼方、天の果てに私は至ることだろう」

 魔剣の魔力が高まり、キースの魔力も高まる。清浄だった魔力は汚染され、禍々しい闇を彷彿とさせるそれへと変貌していく。

 今こそキースの再誕の時である。勇者は失われ、新たな闇の住人が現れた。世界はその悲劇に慟哭し、同時にその喜劇に狂喜する。

「今こそ私の再誕の時。私の名はキース! イヴィル・キース・ブラッドブルー! 魔を照らす漆黒の光なり!」

 そして漆黒の魔力はその形を変え、キースを覆う暗黒の鎧と化す。破壊と力を信仰する闇の聖騎士が、今ここに誕生したのだ。

 その様子をティティは涙を流して祝福し、魔帝は呵々大笑しながら大いに祝う。

「そして、待っていろ、アリス・イル・ワンド!」

 破壊の魔力が暴れ狂い、魔界全体を大きく揺らす。ビシリと人間界と魔界の間に裂け目が生まれ、全てを呑み込む

 これこそが破壊の魔剣。これこそが破壊の本質。世界すらも破壊せんと、魔剣は狂気のままに、狂喜のままに暴れ狂う。

 魔剣の再臨に、魔界は震え戦く。新たなる騎士の誕生に、魔族は怯え、歓喜する。

「貴様が持つ狂った愛! それを私の狂気が上回る時が、貴様の最期だ!」

 それは魔界と人間界への宣言だ。私はここにいると、全ての存在に知らしめているのだ。

 世界を揺るがすことになる魔界騎士イヴィル・キース・ブラッドブルーは、こうして誕生したのだった。

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