闇の中に潜む者 08
人は、遠くを見ている時は近くのものが見えにくくなるものである。
たとえば、空を飛ぶ鳥を眺めている時に、足元の石に気づかないように。
たとえば、向こうから歩いてくる友人に気を取られて、後ろから近づいている恋人に気づかないように。
灯台下暗しという言葉の通り、近くにあるものにはなかなか気づきにくいものである。本人が知識として知っていても、咄嗟に思い出しにくいものである。
つまり、何が言いたいのかというと……。
「まさかここにいたとは思いませんでしたわ」
「ミスター・ブラックはイーリス様の動きを読み切っています~。なので、ここにいればまず見つかることはないだろという判断ですよ~、ですよ~」
「悔しいですが、それは正解ですわ。言われるまでワタクシもここに隠れているとは思いませんでしたもの」
ミスター・ブラックは、完全にイーリスの裏を突いていたのだ。
自分の間抜けさにため息を漏らしたくなる。そして、ミスター・ブラックの手際に感嘆の息を漏らしたくなる。
ミスター・ブラックが自分の情報を集めているだろうということは、イーリスも考えていた。自分がどのように相手を探すのか、分析されているだろうと理解していた。
理解していただけで、イーリスはミスター・ブラックの分析能力を甘く見ていた。いや、ミスター・ブラックの能力を高く見積もっていたつもりだったのだが、それは所詮つもりでしかなかったのだ。
ミスター・ブラックのこれまでの経歴はイーリスも知っている。様々な裏組織に入り込み、入り込んだ全ての組織を破滅へと追い込んだ知性の怪物。然るべきところに仕えれば、宰相として国を動かしていたであろう策士。
自分自身でさえ気づかなかった癖。自分では動くことなく、自らのコネを用いてあらゆる情報を集めるその手段。ミスター・ブラックは、イーリスのその癖を巧みに利用して、自らの存在を完全に隠してみせたのだ。
表に裏にと広範囲に広がるイーリスのネットワークを駆使すれば、知りたい情報を手に入れることは容易にできた。イーリス自身そうするつもりでその情報網を構築してきたし、現にその目的はたち成された。
だが、それは言い換えれば知っている情報しか出てこないということだ。イーリスのネットワークを構成するのは所詮は人間である。忘れていたり、知らないことであれば答えることなど不可能だし、間違った情報を真実として思い込んでしまうこともある。
ミスター・ブラックは、誰にも知られることなく世界の闇の更にその奥へと潜行した。当然ミスター・ブラックの行き先を誰も知ることなどできず、誰も発見することができなかった。同時に自身に関する偽の情報を真実としてばら撒き、あらゆる情報網を撹乱した。
その結果、ミスター・ブラックに関する情報の信頼度は地に落ちた。自らは隠れ、全く関係のない情報をデコイとしてばら撒くというシンプルだが効果的な手段。それにより、容易に見つけられるかもしれなかったミスター・ブラックの居場所は、砂漠から砂を一粒だけ見つけるが如きものとなってしまった。
それでも、時間をかければ誰かが発見しただろう。世界には優れた探偵、予知能力者や透視能力者もいる。時間をかければ、そんな彼らがミスター・ブラックの居所を突き止めることもできただろう。
ただし、それはミスター・ブラックが彼らの行動や能力の範囲内にいた場合の話だ。
彼らの能力の範囲外にいた場合、たとえ千年先を見通す予知能力者でも、ミスター・ブラックを発見するのは不可能だ。そのため、ミスター・ブラックは彼らに発見されないように、彼らの行動や能力の範囲外にその身を潜めていた。
更にミスター・ブラックは狡猾に動く。
ミスター・ブラックの警戒する覇王勇者。ミスター・ブラックが警戒するということは、それだけの危険度を誇ると同時に、信頼度も高いということだ。言い換えれば、それは世界中から大きな信頼を受けているという証明でもある。
バハームド王国において、イーリスは覇王勇者としてよりも自らを悪役令嬢と名乗る愚か者として有名だ。そのため、王国民はイーリスを懐疑的に、あるいを蔑むような視線を向ける者が多い。
しかし、国外においては評価は一変する。悪役令嬢としてのイーリスを知る者は少ないため、覇王勇者としてイーリスは絶大な信頼を受けているのだ。
信頼するのは結構だ。だが、時としてそういった信頼は盲目的となる。
覇王勇者ならば大丈夫だ。覇王勇者がいるから安全だ。覇王勇者が守ってくれる。そう、知らず知らず考え、頼ってしまう。
つまり、人々は思うのだ。
覇王勇者のいる魔法学園は安全であると。
そして、その考えこそがミスター・ブラックの狙いであった。人々がイーリスに向ける信頼は、裏を返せばイーリスのいる場所に目を向けることが少ないということだ。
イーリスがいるから大丈夫だと、探偵や能力者が目を向けることがないということだ。
イーリスの思考を読み切り、人々の心理さえも読み尽くしたミスター・ブラックの策。灯台下暗し。近場こそ見えにくい。
王立魔法学園。イーリスの通う学園こそが、ミスター・ブラックの選んだ隠れ場所であったのだ。
そして、それをダイアナから聞いたイーリスたちは、魔法学園の正門前に集まっていた。
「ミスター・ブラックは間違いなくここにいます~。でも、潜伏先がわかっても、ミスター・ブラックを見つけるのは時間との勝負です~、です~」
「どういうことですの?」
潜伏先さえわかれば、後は見つけるだけではないのか。そう思っていたイーリスの考えは、ダイアナの言葉で裏切られた。
「ミスター・ブラックは、ブラック・ボックスを拠点としています~、ます~」
「ブラック・ボックス?」
「はい~、そうです~、です~」
曰く、ブラック・ボックスとは中に別世界が広がっている黒い小さな箱のことらしい。
片手で持てるほど小さなその箱は、外からは正しい手順を踏まねば入ることができず、中からは外にいくらでも干渉できるという、言うなれば要塞や結界に近いもののようだ。
ミスター・ブラックがいつそれを手に入れたのかは不明だが、昔からブラック・ボックスを拠点としているのは確実だろう。手のひら大の小さな箱。一目見てそれがミスター・ブラックの拠点だと判断できる人間はまずいない。
ミスター・ブラックは逃げも隠れもしていない。人々の目の前で、堂々と拠点を晒していたのだ。ミスター・ブラックを探している人間が、勝手にミスター・ブラックのことを見逃していただけなのだ。
「ですから~、ミスター・ブラックにこちらの動きを悟られる前に~、ブラック・ボックスを見つける必要があるのです~。悟られたら最後、ブラック・ボックスはミスター・ブラックの協力者に持ち去られて~、どこかへ消えてしまうでしょう~」
ニコニコと微笑みながら告げられた衝撃の事実。だが、何故だろうか。そんな状況になっているというのに、ダイアナの表情には焦りの色は見られない。
シノビとして表情を消しているのか、それとも、別な理由があるためか。
それを考えていても仕方がない。イーリスは余計な思考を打ち切った。
「詳細な説明、ありがとうございます。おかげでよくわかりましたわ」
感謝を述べたイーリスは、次いでアリスを見る。
だが……。
「頼みますわよ?」
「わかりました! イーリス様!」
そう告げたのみで、それ以上の指示はない。念話で伝えたのかもしれないが、それをダイアナは判断できない。自分にはわからない繋がりがあるのだろうと、ダイアナは理解した。
実際その通りだ。愛という名の何かにより、イーリスとアリスの間には特別な繋がりがある。
アリスに一言告げた後、イーリスは正門を潜った。その後にカイルとダイアナが続き、アリスはその場で待機する。
何故アリスが待機しているのか。一瞬ダイアナは疑問に思ったが、きっとイーリスからの指示だろうと一人で納得する。
「万が一の対策はこれで大丈夫ですわね。ミスター・ブラックがワタクシの思考を読んでいたとしても、既に手遅れですわ」
「流石だね、イーリス」
「ワタクシ一人ではきっとできませんわ。アリスさんがいてくれてこそですわ」
言って、イーリスはまだまだ自分は未熟だと自嘲する。
「唯一至高の悪役令嬢になるためには、まだまだ精進が必要ですわ」
「やれやれ、恐ろしいね。どこまで強くなるつもりなんだい? そこも素敵だけどね」
背中から決意の炎を燃え上がらせてズンズンと学園内へと歩いていくイーリスの後を、カイルとダイアナがついていく。
そして、三人の姿を見つめながら、アリスはイーリスからの指示を忠実に実行し始めた。
◆
日も高く登り始める時間帯。きっと生徒たちは授業中だろう。
学園内に入った三人だったが、肝心のブラック・ボックスがどこにあるかは……はっきり言って見当もついていなかった。
イーリスとカイルはブラック・ボックスが学園にあると知ったばかりだから当然だ。そして、肝心のダイアナも……。
「ミスター・ブラックのそばには、ミスター・ブラックが唯一信頼している協力者がいます~。その人が毎日ブラック・ボックスを移動させていますから~、詳細な場所はわかりません~、ません~」
この始末である。魔法学園にミスター・ブラックがいることは知っているが、詳細な場所は知らないそうだ。そして、問題の協力者と姿を表すことがないらしく、協力者がいるという情報以外、ダイアナは全く知らないらしい。
協力者という謎の存在。そのことに一抹の不安を覚えるイーリスだったが、今は気にしていても仕方がない。まずはミスター・ブラックを捕まえることが先決だ。協力者の存在については、その後でも大丈夫だろう。
場所がわからないのならば、虱潰しに調べるしかない。広大な魔法学園だが、仕方がない。三人で手分けして探すのが一番だろう。
幸いにもここにいる三人は、世界でも有数な強さを誇る三人だ。覇王勇者に武神の弟子、そしてシノビマスター唯一の弟子。戦闘においてコーラル機関の面々に遅れを取ることはない。
もっとも、ミスター・ブラックを探す上で重要となるのは戦闘能力ではなく探知能力だ。シノビであるダイアナは何らかの手段を持っているだろうが、イーリスもカイルもレーダーのような便利な魔法は使えないし、そういった魔道具も持っていない。目視、あるいは覚えのない気配を探し出すなど、地道にミスター・ブラックを見つけるしかないのだ。
仮にどこぞのニート神が動けば一発で見つかるだろうが、動かないからこそニート神。アーラスは相変わらず神剣の中で惰眠を貪っている。よって、アーラスに期待をすることもできない。
やはり、強さだけに固執しすぎたようだ。弱点の補うためにネットワーク作りも、完全なものではなかった。
今までの方法が間違っていたわけではない。だが、もっと信頼の置ける、完璧な仕組みを作り上げる必要があるのは確かだ。今回のように裏をかかれないように、悪役令嬢として完璧であるために、イーリスはさらなる精進が必要なのだ。
「もっと研鑽を積む必要がありますわね」
さらなる高みを目指すことを決めたイーリスの背後に、轟々と灼熱の炎が燃えているのをカイルとダイアナは幻視した。イーリスは一体どこまで高く登るのかと、カイルは楽しそうに、ダイアナは辟易しながら、思っていた。
「イーリスがより強くなるのは望ましいことだね。でも、その前に今どうするかを決める必要があるだろう? 今からでもアリス嬢を連れてくるかい?」
遠く離れた場所にいるイーリスのことを見つけられるアリスのずば抜けた探知能力。それを思い出したカイルは、物は試しと提案する。
「いえ、アリスさんの探知は愛に起因するもの。つまり、アリスさんが見つけられるのはワタクシだけですわ」
残念ながら、アリスの探知はイーリス専用である。アリスの愛がイーリスに向けられている限り、アリスのあらゆる全てはイーリスのために存在する。
「早々うまい話はないということだね。となると、地道に探すしかないわけだね」
「そうですね~、見つけられるように頑張りましょう~、ましょう~」
「ええ、早くミスター・ブラックを見つけて、引導を渡してあげますわ!」
そして、正門付近で響くイーリスの高笑い。イーリスの笑い声は、宣戦布告をするかの如く魔法学園へと響き渡った。




