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闇の中に潜む者 06

 武山。

 武の総本山。武の聖地。武の真髄の集う場所。そんな様々な名で呼ばれるその山には、武神と呼ばれる一柱の神がいる。

 かつて一人の武術家だったその男は、武を極めんと山に登り、厳しい修行の果てに神となった。

 雨の日も、風の日も、吹雪の日も、男は休むことなく修行を続けた。時間を忘れ、寝食を忘れ、そして名前すら忘れ果てるほどに修行に没頭し続けた彼は、気がついたら神と成っていた。

 称号や二つ名ではなく、文字通りの神。創世神などと同じような、神という存在に男は成ったのだ。

 故に武神。彼は疑いようもなく世界一の武術家であり、また世界最強の座に着く一人なのだ。

 そんな彼のもとには、自らも武を極めんとする武術家が集う。いつの日か武神に追いつき、そして追い抜かんとするために、武術家たちは厳しい修行の日々を過ごしている。

 全てを武に捧げた者達の集う場所。故に、そこは武山と呼ばれているのだ。

 そんな武の聖地に、部とは無縁にも見える一人の少女が泊まり込んでいた。

「お師匠様の言っていた方々はいつ来るのでしょうか~、でしょうか~」

 空の果てを見つめながら歌うように呟く少女。間延びした特徴的な喋り方のその少女は、一週間前から武山で寝泊まりしている。

 理由は簡単だ。全ては師匠の言いつけを守るために。全ては待ち人を待つために。

 師匠の知人であるとある少女を待つために、少女は一週間前から武山に泊まり込んでいるのだ。

 だが、後も待ちぼうけを食らってしまえば、如何に師匠の言いつけと言えど不満も出てくるというものだ。

「昨日も来ません~。今日も来ません~。アチシはいつまで待てばいいのでしょうか~、でしょうか~」

 そうして不満を漏らす少女だが、間延びした口調と甘い声のせいで少女の苛立ちが伝わってくることはない。むしろ待っている時間も楽しんでいるのではないかと思えてくるほどだ。

 まあ、それも間違っていない。シノビというのは忍耐力も要求される。相手を何日も何ヶ月も観察し続けて、隙を見せた瞬間に悪事の証拠を奪取、あるいは殺害をするというのもよくあることだ。

 よって、不満を漏らす少女であるが、それはあくまでも口だけの話。少女の内心は凪のように穏やかであり、待ち人が来ないことによる心の乱れは一切ない。

 少女はいつも平常心。見た目の上では鼻歌でも歌いそうなほど機嫌の良い彼女を、修行中の未熟な武術家達は鼻を伸ばして見つめている。

 師匠に言われて武山にやってきた少女――ダイアナ・イル・レストールは、世界最大の華と呼ばれるほどに美しい少女だ。様々なパーティに参加しては、その場の話題を掻っ攫う美の結晶だ。故にその美しさに見惚れてしまうのも無理はない。

 ただし、それはあくまでも未熟者に限られる。精神的に、そして心に隙があるから、ダイアナという美に心奪われるのだ。鍛錬に鍛錬を重ね、自然と、空と一体化した達人達は、ダイアナに視線を向けることなく、自らの武を高め続けているのがその証拠だ。

 さて、そんな達人達に動きがあった。何を感じたのか、一斉にとある方向に視線を向けたのだ。

 その先にあるのは空のみ。未確認飛行物体が飛んでいるわけでもない。何故何もない空を、先達たちは見つめているのか。ダイアナに見惚れていた未熟者たちは頭に疑問符を浮かべている。

 そして、そのダイアナは――。

「来ましたね~、来ましたね~」

 心底嬉しそうに微笑んでいる。

 鼻歌でも歌いそうだった先程までよりも遥かに高く、それこそ今は踊りだしそうなくらいに天井知らずに機嫌が良くなっている。

 何がそんなに楽しいのか。何がそんなに面白いのか。それは本人にしかわからない。だが、達人たちが見た方向にその答えが存在するのは間違いない。

 ダイアナも、その何かを感じ取っていたのだから。

 そうしてダイアナが上機嫌に待つこと三十秒。空を蹴った振動を撒き散らしながら、それはやってきた。

「到着ですわ!」

「見事な空の……旅だったね……。でも、少しウップ……揺れすぎウップ……」

「空を跳ぶイーリス様も素敵です! 今度は二人きりでお願いします!」

「五百年後だったらいいですわよ」

「頑張って長生きしますね!」

 到着するなりそんな間抜けな会話をする凸凹トリオ。怪しいものを見るような周囲の視線などお構いなしに、自分のペースを貫き続けている馬鹿どもである。

 彼女達たちの名前はそれぞれイーリス・エル・カッツェ、カイル・エル・バハームド、アリス・イル・ワンド。覇王勇者と愉快な下僕共のご一行様だ。

 最初こそ訝しげに見ていた武術家たちだが、アリスの発したイーリスという言葉を聞き、彼女達の正体を察した。

 即ち、覇王勇者イーリス・エル・カッツェであると。

 イーリスの正体を知った武術家たちの反応は様々だ。

 

 感嘆する者。

 義憤に駆られる者。

 恐怖に怯える者。

 熱狂的な歓声を上げる者。

 目の前の光景が信じられずに呆ける者。

 

 概ね感嘆する者と、義憤に駆られた者がほとんどだ。

 当然といえば当然と言えるかもしれない。何せイーリスは、かつて武神を倒しているのだ。

 武山に来た武術家たちは、その全てが武神に憧れ、敬愛し、そして最高の目標として武神より強くなることを目指しているのだ。そんな彼らにしてみれば、イーリス・エル・カッツェという存在を前にして、穏やかではいられないだろう。

 イーリスを見て血気立つのも仕方ないというものだ。

 とはいえ、ここで意気揚々と飛びかかるようでは三流だ。それこそチンピラと変わらない。それは武ではなく暴。猛獣のように敵を見て噛み付いているだけである。

 ここの基準では未熟者とされる武術家も、世間一般では達人と呼べるほどの腕前を誇る。ダイアナという華に心を乱されようとも、自らの部の道から外れるような愚かなことをするわけがない。

 心は熱く燃え盛ろうとも、頭は氷のように冷たく冴え渡る。闘志を秘めながら、どこか冷徹なほどの光を見せる武術家たちの瞳を見て、イーリスは楽しそうに笑った。

「素晴らしいですわ。さすが武山ということですわね」

 拍手とともに賞賛の言葉。武術家という存在には疎いイーリスだが、それでも彼らの練度の高さはわかる。彼らの瞳、構え、向けられる闘気、全てが一級品であることを、イーリスは即座に見抜いていた。

 覇王勇者という世界最強の一角に褒められて悪い気はしないのだろう。数人の武術家の頬が緩む。それでも隙一つ見せず、気一つ乱さないのは流石と言うほかない。

「そんな皆様に聞きたいのですが、ここに最近やってきた部外者はいませんかしら? ワタクシ、その人に用があって来ましたの」

 そう尋ねられて思い浮かぶ人物は、武術家たちには一人しかいなかった。常に機嫌の良い華のある少女。イーリスの言うことに該当する人物は、彼女一人しかいない。

「ああ、彼女のことかい? それならそこに……あれ?」

 若い武術家の一人がそう言ってダイアナのいた方向を見る。だが、どうしたことだろうか。先程までは確かにそこにいたはずだった。嬉しそうに鼻歌を歌いながら、何かを待っていたはずだった。

 だが、今はどうだ?

 武術家が見た方向には誰もいないではないか。人がいたなど嘘のように、そこには何もないではないか。

 それこそ影も形もないという言葉がふさわしい。まるで煙のように、ダイアナはその場から姿を消していた。

 

 そう、煙のように。

 

「上に注意ですよ~、ですよ~」

 これほど鮮やかに消えてみせたのだ。誰にも気づかれずに姿を現すことも朝飯前だろう。

 音もなくイーリスの頭上に現れたダイアナ。いつ着替えたのか忍び装束に身を包み、間延びした口調に似合わない酷薄な笑みを浮かべている。

 その両手に握られた二本の短刀は呪刀・月影。暗殺、奇襲、騙し討ちを得意とするダイアナの唯一無二の相棒であり、影縛りという相手の動きを封じる術が込められている武器である。

 一度斬れば相手の動きを封じ、二度斬れば相手の心臓の動きを封じる呪いの刀だ。分身や幻術を駆使して戦うダイアナには似合いの武器と言えるだろう。

 気配なく現れたダイアナに、イーリスは反応出来ていない。ダイアナに気がついたアリスが動こうとした時には、既にダイアナの凶刃がイーリスを斬り刻もうとしているところだった。

 行動するには明らかに遅すぎる。当然防御も回避も間に合わず、このままでは無様に斬られるしかない。

 このままイーリスはやられるしかないのか? 否、その程度では覇王勇者は名乗れない。この程度防げないようでは、勇者も悪役も名乗れない。

「甘いですわ!」

 防御も回避も間に合わない。ならば、自らの覇気で妨害する。世界すら覆うほどの膨大な覇気を全開にし、その圧力で持ってダイアナの二刀を防ぐ。

 拮抗したのは一瞬。上空から全体重をかけたダイアナの必殺の一撃は、イーリスの覇気により弾かれてしまった。

「あ~れ~」

 と、のんきな悲鳴を上げながらも、ダイアナは空中で消える。またも煙のように消えた一瞬後にはイーリスの背後に再び出現。無邪気な笑みのまま持っている二刀をイーリスの喉目掛けて突き出そうとし――それよりも速くイーリスの手刀がダイアナの喉元に突きつけられていた。

「降参です~、です~」

 パタパタと白旗を振りながら微笑みを一つ。そして二刀を腰の鞘に収めると、ダイアナは片膝を付き頭を垂れた。

「その見事な覇気、感服しました~。流石覇王勇者様ですね~、ですね~」

「当然ですわ。いずれは世界唯一の悪役となるワタクシを舐めないでくださいませ」

「イーリス様ペロペロ」

「くだらないことは不要ですわ! 悪役令嬢奥義! 美しき白鳥乱舞!」

「ありがとうございます!」

 寸劇をはさみつつ、イーリスは跪いているダイアナを見る。

 ダイアナから感じる印象は……何もない。社交界の華と呼ばれている女性たちは、ほぼ全てが特徴とも呼べる印象を持つ。

 太陽のようであったり、夜の月のようであったり、あるいは宝石のようであったりなどだ。

 つまりその美貌や立ち振舞から生じるオーラのようなものなのだが、ダイアナからはそういったものをまるで感じない。路傍の石と言われても納得しそうなほどの薄い存在感だ。

 ダイアナを直視しているから、イーリスはダイアナの存在を認識出来るのだ。もしもイーリスが何も知らない状況であれば、ダイアナが道の端に立っていたとしても、イーリスは気づかなかっただろう。

 なるほど、とイーリスは納得する。これがシノビとしてのダイアナの姿なのだ。存在感のない影。世界からも消える女シノビ。これほどの使い手であれば、どのような場所に忍び込むのもお手の物だろう。流石シノビマスター唯一の弟子である。

「では、改めて自己紹介いたします~。ダイアナ・イル・レストール。お師匠様であるダンゾウの命を受けまして~、覇王勇者様をサポートすべく参上しました~、ました~」

「それは心強いですわ。よろしくお願いしますわ、ダイアナさん」

「はい~、どうぞ使い倒してくださいませ~、ませ~」

 そう言って、ダイアナはイーリスに向けてフワリとゆるい笑みを見せた。

 しかし、ダイアナの美しい瞳から、イーリスはその感情を伺うことが出来なかった。

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