闇の中に潜む者 03
魔法学園で起きた婚約破棄騒ぎから二日後。カイルと二人で優雅なティータイムを楽しんでいたその時に、それは唐突に訪れた。
(イーリス様、目標が消えました)
(どんな風に消えたんですの?)
(いきなり消えました。動き一つなく、煙一つなく、本当に急に消えたとしか言えません。何の痕跡も残さずに、本当にいきなり……)
(そうですか。アリスさん、ご苦労さまですわ。これで概ね予想がつきましたわ)
愛の力でリアルタイムでの脳内会話を行えるイーリスとアリス。イーリスはリアルタイムで連絡を取り合えるということに着目して、アリスに一つの頼み事をしていたのだ。
その頼み事とは、二日前に婚約破棄された令嬢であるサリナ・イル・ベターライドが投獄されている地下牢の監視である。
アリス曰く、投獄されてからも、サリナは動きを見せなかったそうだ。身じろぎ一つせず、じっと地面を見つめたままだったそうだ。
そんな状態のサリナが、今、この瞬間、唐突に消えたのだ。何の前兆もなく、監視されているのにも気づかず、パッといきなり消えたのだ。
魔力で作られた人形? いや、ありえない。魔法学園にいたサリナは、確実に人間だった。
神などの強力な力を持つ者が消した? それであれば神が動いたという形跡が残るはずだ。神気の残滓があるはずだ。だが、アリスは何の痕跡も残さずに消えたと報告してきた。
アリスがイーリスに虚偽の報告をするのはありえない。そして、何らかの前兆があればアリスが気がつく。
ならば、本当にサリナは煙か幻のように消え去ったのだろう。サリナのすぐ後ろから姿を消して監視していたアリスの目の前から、サリナは消えてしまったのだろう。
こんな事をしそうなのは誰かと考えて、一人の人物が思い浮かんだ。だが、彼は動かないだろう。彼ならばこんな回りくどいことをせず、相手を直接殺しに行く。
ならば、やはりその関係者だ。そう考えて、思い当たる人物がもう一人。確か、例の機関に所属していると彼から聞いている。そろそろ抜けそうとのことだが、もしかしたら既に抜けているのかも知れない。
「抜けているとしたら、どこにいるか不明ですわね」
それは、彼の全てを受け継いた人物だ。彼が直々に教え込んだ、たった一人の直弟子。ただ一人だけ、シノビマスターの持つ全ての技を受け継いだ一人の少女がいるのだ。
彼女ならば、ありえる。
「アリス嬢からの報告かな?」
「その通りですわ」
答えて、イーリスは優雅に麦茶を飲む。何故麦茶なのか。それはイーリスの気分としか言えない。
「おそらく、一連の婚約破棄騒ぎを引き起こしているのは、たった一人。そして、彼女は分身を使って各地で婚約破棄を引き起こしていたのですわ」
「分身?」
「そうですわ。シノビの技の一つに、実体を持ち、意識を分けることの出来る分身がありますわ。それを使うことで、誰にもバレることなく、そして危険を犯すこともなく、婚約破棄騒ぎを引き起こすことが出来たのですわ」
「魔力で自分のコピーを作る魔法があるが、同じようなものかな?」
「そうですわね。もう一人の自分を作り出すと言うところは同じですわ。でも、シノビは魔力を使いませんから、婚約した少女が本物なのか偽物なのか、誰にもわからなかったのでしょう」
「恐ろしい話だ」
同意するようにイーリスも頷く。魔力を使わないシノビの分身。魔力に慣れきったイーリスやカイルがはたして見分けられるのか。
まあ、現時点では危険はない。シノビマスターも、その弟子も、イーリス達を狙うことはない。シノビマスターから技を習ったイーリスが分身を覚えれば、対策を考えることも出来るだろう。
「彼女の名前は、ダイアナ・イル・レストール。おそらく、彼女こそが一連の婚約破棄騒ぎの犯人ですわ」
「何だって!? 彼女が!?」
考えてもいなかったとばかりにカイルが驚く。だが、カイルの反応は大袈裟でも何でもない。彼女――ダイアナとは、それほど有名な少女なのだ。
美の結晶。人型の宝石。世界最大の華。全てダイアナの美を称える異名である。ダイアナという少女はそれほど美しく、そしてそれほど高みにいる少女なのだ。
表では世界最大の華として社交界の、そして人々の華として活躍しているダイアナだが、裏ではシノビマスターの全てを受け継いだ女シノビとして、日夜外道を裁いているのだ。
そんなダイアナの最も得意としている術は分身と幻術だ。どこかに潜入する、あるいは身分を隠して行動するにはうってつけの術である。おそらく、分身でもう一人の自分を作り出し、幻術で分身の姿を変えることで、犯人だとバレることなくダイアナは婚約破棄され続けたのだろう。
では、何故ダイアナはこんな騒ぎを引き起こし続けたのか? イーリスと同様に、シノビマスターは悪を持って悪を裁く。そのシノビマスターの教えを受けたダイアナが、まともな家を狙うことはありえない。ならば、ダイアナが狙った家そのものに問題があると考えるのは必然であった。
「今回婚約破棄騒ぎを起こしたアルフレッド・イル・フェーリンウルフですけど、フェーリンウルフ家が天上薬の密売に関わっているのはご存知ですの?」
「ああ、知っているよ」
天上薬とは、麻薬の一種である。天上まで昇るほどの快楽を得られるということで、つけられた名前が天上薬。依存症が強く、一度手を出せば抜け出すのは不可能と言われるほど強力な麻薬である。
それほど強力なものであるため、全世界で所持や栽培、また天上薬に関わる一切が禁止となっている。国によっては所持しているだけで極刑に処されることもあるということからも、どれだけ危険視されている代物なのかが伺えるだろう。
「なら、婚約破棄騒ぎを起こした家の全てが、その麻薬に関わっているのは?」
「いや、それは知らなかった」
「ワタクシも調査をしてはじめて知りましたわ」
天上薬に関わっている家をターゲットとして潜り込み、当主やその息子の恋人、あるいは愛人として家の財産を使い込む。そして、その家の財産をほぼ使い込んだところで婚約破棄をされ、監獄から姿を消す。
計画的な行動である。天上薬の資金源を断ち、また天上薬に関わる外道を抹殺するという一石二鳥の動きにもなっている。イーリスも惚れ惚れするほどの手際の良さだ。
これを知った時、イーリスは思わず拍手喝采をしてダイアナを褒め称えた。お手本のような素晴らしい悪役ぶりだと称賛した。これこそが目指すべき姿であると、再度認識した。
「王族として不甲斐なさを感じるよ。国だけではそこまで掴むことが出来たかどうか……」
「蛇の道は蛇ですわ。カイル様は、カイル様の出来ることをなさってくださいませ」
「そうだね、とりあえず君達の動きをサポートさせてもらうとするよ。民家に入って盗みを働いても罪には問われないよ」
「それはやりすぎですわ」
イーリスは悪役令嬢になりたいのであって、泥棒になるつもりはない。ダイアナも必要とあれば情報を盗み出すこともあるだろうが、民家に入って金を盗もうなどとは思わないだろう。
そもそも、ダイアナもイーリスも、根幹的な目的は一致しているのだ。ならば、ダイアナがそのようなことをするのはありえない。
「ダイアナさんは、今はコーラル機関にいるはずですわ。もう抜けているかも知れませんが」
「コーラル機関か、噂には聞いたことがあるが……」
「あら、実在している組織ですわ」
コーラル機関。
それは、世界を股にかけて活動している秘密結社の名前である。
規模は不明、構成員も不明、本拠地も不明、何もかも不明であるその機関は、千年以上前から活動していると言われている。
悪を持って悪を誅す。その言葉に従い活動しているコーラル機関は、あらゆる手をつくして悪を誅す。
悪役を目指すイーリスも、以前機関にコンタクトを試みたが梨の礫。構成員に話しかけても拒否をされ、機関の首領にダイレクトアタックを仕掛けても命からがら逃げられた。
至高の悪役令嬢であるワタクシに、何故声をかけないのか。そんな八つ当たりが含まれていなくもない。
「今でも後悔していますわ。あそこでフライングニールキックではなく、タックルを仕掛けるべきだったと。そうすればパン屋のジョゼフに逃げられることもなかったはずですわ」
「そのジョゼフがコーラル機関の長だったのかい?」
「ええ。何故ここが! バレるはずが! コーラルを滅ぼす訳にはいかない! 全て、ワタクシが襲撃した時の彼の言葉ですわ」
「なんとお手本のような自白だろう」
「その時のイーリス様は素敵でした。目を爛々と輝かせ、裂けるのではないかと思われるくらいに素敵な笑みを浮かべていました。まるで鬼の如き形相でげふ……」
「余計なことは言わないでよろしいですわ」
「見事な抜手だ。心臓を確実に貫いている」
いつの間にか帰ってきていたアリス。そして、余計な一言を口走ったせいで、イーリスにいつものように制裁を受けてしまった。確実に致命の一撃のはずだが、愛によりアリスの耐久力は天井知らずに上がっている。多少の痛みはあれど、この程度では傷一つ残らない。
「それでイーリス。これからの予定はどうするんだい?」
「コーラル機関を手に入れますわ」
堂々たる宣言に、カイルとアリスの動きが止まる。イーリスの言葉を理解するのに一瞬という時間を必要として、そして困ったとばかりに苦笑し、二人はイーリスを見つめる。
「ダイアナさんも、コーラル機関も、ワタクシが目指す悪と一致するものがありますわ。仲間として迎え入れるつもりはありませんが、配下として手に入れるのには最適な組織ですわ」
ニコニコと柔らかな、しかしどこか冷たいものが混じった笑みを見せるイーリス。こういう顔を見せた時のイーリスは、手段を選ばない。目的を達成するために、あらゆる手を尽くす。
この顔を見せられたらおしまいだ。コーラル機関はイーリスの手に落ちる。この大迷惑な悪役令嬢に組織を乗っ取られ、面白おかしく様々な外道を裁くことになるだろう。
カイルとアリスはそう思っていた。イーリスも、コーラル機関を手に入れる未来を見ていた。
だが、それは叶わぬ夢となる。イーリスの目論見は失敗に終わり、これ以降コーラル機関の情報を手に入れることは出来なくなる。
コーラル機関は消えてしまったのだ。闇の中の更に奥底へと、沈没し、浮上することをやめたのだ。
全ては、闇の中に姿を消した一人の巨悪が、コーラルの全てを手に入れたがために。
◆
「ワタクシともあろうものが、後手に回っていたようですわね」
「経験の差じゃないかな? 彼は時に拙速が必要だということを知っているんだろう」
イーリスがコーラル機関を手に入れると決めてから数日後、イーリスは歯を噛み砕かんばかりに後悔していた。
もう少し早く、いや、シノビマスターと話をした段階で動いていれば、間に合っていたかもしれない。そうすれば、イーリスは目的を達成出来ていたかもしれない。
だが、全てはイフの話だ。イーリスは後手に回り、そのため敗れてしまったのだ。完膚なきまでに、イーリスは敗北してしまったのだ。
「ミスター・ブラックか。手の早いことだ。そんな男を見失うなんて、世界の危機ではないか?」
「世界の危機なんてそこら中に転がっていますわ。最も、その中でも最大級の厄介事であることは確かですわね」
はぁ、と大きくため息をつき、イーリスは続ける。
「コーラル機関は、既にミスター・ブラックの手に落ちていることでしょう。その証拠に、コーラル機関は世界のあらゆる場所から姿を消し、闇の奥底から誰にも知られず悪を誅す隠れた組織となってしまいましたわ。ミスター・ブラックは、今までの自分の足跡を全て消してきた人物。彼にかかれば、コーラル機関を闇の中に潜ませるのも朝飯前なのでしょう」
「見事という他ない手腕だ。表の世界でその腕を振るってくれれば、世界の繁栄に繋がっただろうに」
「全くもってその通りですわ」
世界を一人で動かせる男。世界を相手に渡り合える男。誇張でも何でもなく、ミスター・ブラックという男はそれほどの能力を持っている。
ずば抜けた政治的センス。砂漠に吸い込まれる水のように、あっという間に人の心に入り込む巧みな話術。そして、それらを可能とする圧倒的な頭脳。
狡猾な詐欺師のように、ミスター・ブラックは人を自由自在に動かすことが出来る。ミスター・ブラックが望めば、数年もせずに一つの国を手に入れることも可能だろう。
その代わり、ミスター・ブラックは直接的な戦闘能力を持たない。しかし、それ以上に厄介な戦い方をする。自分は動かずに、相手を世界の敵に仕立て上げて、自分以外の誰かに戦わせるのだ。
そんなミスター・ブラックが、コーラル機関という私兵を手に入れてしまった。では、ミスター・ブラックが私兵を手に入れて、それで何をしようとしているのか。それは、今のミスター・ブラックの動きから見えてくる。
「ミスター・ブラックは既に動き始めていますわ。ここ数日、様々な組織で構成員が秘密裏に消される事態が発生していますの」
「秘密裏に?」
「ええ、既に気づいている人はいるでしょう。誰がやったのか、証拠は全く残っていませんわ。でも、まず間違いなく全てコーラル機関の仕業。今のコーラル機関は、悪を消すだけの機械になってしまいましたわ。元々あった目的など忘れ去ったかのように、ワタクシが認めた悪役も含んだ、全ての悪を消し去るだけの一つの装置になってしまいましたわ」
そして、それこそがおそらくミスター・ブラックの目的なのだ。あらゆる悪を根絶することが目的なのだ。
その後、自分が唯一の悪として君臨するのか、それとも自らも含めて悪を根絶するのか、それはわからない。
ただ一つ言えることは、このままミスター・ブラックを放置していては世界のバランスが崩れるということだけだ。裏には裏の、悪には悪の秩序がある。それを崩してしまえば、裏のバランスが崩れ、その影響は表にも出てくるだろう。
悪役令嬢を目指すイーリスだが、世界の均衡を崩し、混沌に陥れることは望んでいない。世界の破壊者となることは望まない。
故に、ミスター・ブラックの野望は阻止しなければならない。覇王勇者としても、至高の悪役を目指す身としても、それは何としても止めなければならない。
覇王勇者イーリス・エル・カッツェは、ミスター・ブラックを明確に世界の敵と定めたのだった。




