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闇の中に潜む者 01

 強いアルコールの匂いと、美女達を飾り立てている強い香水の匂い。その二つが混じり合った強い臭いに、思わずイーリスは顔をしかめてしまった。

 自らの予想が正しければ、おそらくここに彼はいる。そう思い、店内をぐるりと見回して、イーリスは目的の人物を発見した。

 目的の人物へとまっすぐ、優雅に店内を歩くその姿はまるで女王。その店には傾国と呼ばれてもおかしくない美女が数多くいたが、既に彼女達を見ている者はいない。覇王としてのイーリスの覇気の前では、彼女達でさえ置物同然であった。

「お久しぶりですわ、ダンゾウ様。相も変わらずお盛んですのね」

「ほう、君か。これは久しぶりだね」

 イーリスの問いかけに好々爺のように笑う老人。その傍らには酒を手に持ち、引きつった表情で動きを止めている二人の女性。再会を喜ぶには、些か不似合いと言わざるを得ない。

 そもそも、老人のいる場所が悪いのだ。イーリスが老人――ダンゾウがいるだろうと考え訪れたのは、妖艶な女性の肢体を触りながら食事や酒を楽しむことの出来る、とてもいかがわしいお店である。

 決して少女と老人がにこやかに会話をするような場所ではないし、年若い少女が入るような店でもない。

 そんな店にイーリスが入ってこれたのは、イーリスが阻止しようとした店員に覇気をぶつけたからである。屈強な黒服の男性は、哀れなことに世界を覆うと言われるイーリスの覇気を真正面から受けてしまったのだ。

 物理的な圧力さえ伴うイーリスの覇気を受けたのだ。意識を保っていられるわけがない。

「お弟子さんはどうしたんですの? 一緒にいる姿を見ないと聞きましたが」

「やることがあるってことで今は離れてるよ。何たらっていう組織にいるらしいが、近々抜けるだろうさ」

「……例の機関ですの?」

「そうさ、例の機関だ。だが、こわーいおじさんが狙っているって話だ」

「そうですか、急ぐ必要があるかもしれませんわね」

「さぁて、間に合うかな?」

「……どういう意味ですの?」

「さあね」

 言って、いたずら小僧のように笑うダンゾウ。何が楽しいのか疑問に思ったイーリスだったが、目的は既に済ませたのだ。長居する意味はない。

「さて、ワタクシはそろそろ御暇しますわ。近くにいると聞いて顔を見せに来ただけですので」

「おや、そうなのかい? 少し話していかないかい?」

「……ワタクシは貴族ですわよ? 立場というものがありますわ」

「こんな場所にはいられないって? 大丈夫だよ。信頼のおける店だ」

 なぁ、とダンゾウが侍らせている女性達に笑いかけると、ようやく復活した女性達はにこやかに頷いた。

 こんな店だ。色々と話が聞こえてくることもある。聞きたくないものも聞こえてしまうものである。闇の世界に生きる人間が、聞かせてはならない密談をしているのもよくあることだ。

 そんな時は、女性達は聞かなかったことにしてやり過ごす。何も聞かず、何も話さず、何も見なかった。君子危うきに近寄らず。危ないものには近づかないのがベストなのだ。

 ダンゾウの言葉に納得したのか、イーリスはダンゾウの対面の席に座った。それから五分ほど、二人は他愛のない雑談をする。

 話しているのは珍しくもない世界情勢の話だ。どこが危険で、どこが安全で、世界はどんな動きをしているのか。二人で盛り上がっているのを見た周囲の女性達は聞き役に徹し始めたが、時間が経つにつれ徐々にその表情は引きつっていった。

 どこの貴族が国外と人身売買を。例の麻薬の流通が広がっている。コーラル機関が暴走をはじめている。異世界からの漂流者が増えている。数々の裏組織の支配者であるミスター・ブラックが姿を消した。

 出てくるのは超一級の厄ネタばかり。その話がはたして嘘か誠か、真実か虚言か。女性達にはわからないが、真実だと思わせる雰囲気が二人にはあった。

 この店に勤めて長い女性達だが、今まで聞いてきたどんな話とも比べ物にならないものであるのは確かだった。国を超えて、世界が動くレベルの情報を聞いている。女性達はそう確信していた。

 たまにダンゾウが女性達をチラリと見ているのが、女性達の恐怖を煽る。話したければ話してもいい。しかし、どうなるかわかっているな。言葉には出していないが、そう言っているのだ。

 もちろん、女性達には話すつもりなど欠片もなかった。

 女性達にとって生きた心地のしない五分間が過ぎ、ようやく二人の会話が終わった。

 話を聞いただけで、女性達は体を動かすことが出来なくなった。ダンゾウの手が女性達を忙しなく触っても、反応することも出来なかった。

「それではさようなら、シノビマスター様。また会いましょう」

「さようならだ、覇王勇者。元気でな」

 一礼をしたイーリスに、ダンゾウは手をひらひらと振って答える。ニコニコとした笑みを浮かべ、まるで孫を見送るようではないか。

 だが、イーリスは見逃さない。そんな様子を見せながらも、ダンゾウは全く油断していない。イーリスだけは、ダンゾウの本性を見逃さない。

 瞳の中にギラリと見えた冷酷な光を、イーリスは見逃さなかった。

 

 ◆

 

 聖アーラス王国。創世神アーラスを主神として信仰している王国である。

 覇王勇者やその仲間(?)達の住むバハームド王国とは一部国境が接しており、昔から交易が盛んである。

 王の名はヴィクター・エル・アーラス。聖アーラス王国は、遥か太古には大陸を統一するのではないかと言われたほど勢いのある大国であったが、創世神以外の神も信仰されるようになったことで信仰が差別化したこと、また諸侯の反乱などにより国が分裂。大小様々な国に分かれた。

 とは言え、元は一つの国だったもの。言語や文化などは共通するものが多い。周辺国家で王族、または公爵がエルを名乗るのは、その名残の一つといえるだろう。ちなみに、それ以外の貴族はイルを名乗ることが多い。

 さて、様々な魔物や、魔界からの侵略者に対抗するための重要な手段の一つとして、魔法があげられる。もちろん他の手段もあるが、魔法の重要度の高さは昔から変わらない。

 そのため、魔法技術を発展させることは国の重要な施策の一つであり、あらゆる国が多額の費用を投じて魔法の研究をしている。

 そんな現状であるため、国としては一人でも多く、優秀な魔法使いを求めている。そのために魔法使いを育成するのは当然であり、ならばあらゆる国家に必ず一つは魔法学園があるのも当然であった。

 そして、もちろん聖アーラス王国にも魔法学園は存在している。王都にある聖アーラス王国の魔法学園は、かつての宗主国としての意地からか、周辺国家と比較しても遥かに大きく、荘厳であり、その門も広く開かれている。

 国内外問わず多くの生徒を受け入れている懐の広さが特徴の魔法学園だが、そんな学園で一つの出来事が起きていた。

 学園の正面玄関前で、一人の女生徒を無数の生徒達が取り囲んで凶弾しているのだ。

 少女の前に立つのは、少女の恋人のリヒター・エル・ラーラスだ。公爵家の息子の一人であり、いずれ家を継ぐ者として期待されていた少年である。

 まるで女に見紛いそうなほど綺麗な少年であるが、その表情は怒りに歪みきっている。恋人である少女に対して、何故これほどまでの憎悪を抱いているのか。

 それが今、リヒターの口から話される。

「我が家の財産の使い込み。それがバレると隠蔽、恐喝、賄賂。挙句我が父の殺害に関与。よくもこれだけの罪を重ねたものだな、淫売め。おかげで我が家の資産は底をついているぞ」

 リヒターの口から出てくるのは、少女が重ねた罪の数々である。リヒターと少女が恋仲となったのは二ヶ月ほど前であるが、その間にこれだけの罪を重ねてきたのだ。

 リヒターにしてみれば、父が殺され、財産を失い、貴族としての面目は地に落ちたのだ。全ては少女を恋人にした己の責任である。家が取り潰されることはなさそうだが、リヒターが次の当主となる可能性は潰えたと言ってもいい。

 恋人に全てを奪われたこと。それがリヒターが少女を憎悪する原因だった。

「これだけじゃないな。その体で数々の家の当主を誑かしたそうじゃないか。どれだけの金を毟り取ったんだ? 貴様が使った金だけで、国の予算に匹敵するんじゃないか? どこもかしこも火の車だ」

 皮肉げに嗤うリヒター。怒りを微笑みの仮面で隠し、ひたすら少女を嘲笑う。

 何と恐るべきことに、少女はリヒターの家以外に対しても同様のことを行い、その財産を使い込んでいたのだ。派手に動きすぎたため少女の仕業だと直ぐにバレてしまったが、しかしいくつもの家を追い込んだその手腕は感嘆する他ない。

 憎悪の表情を見せるリヒターに対して、少女は無言を貫いている。表情一つ動かさず、感情の伺えない瞳で真っ直ぐリヒターを見つめている。それがリヒターには気に入らない。そのため、更に言葉を重ねて少女を追い詰めようとする。

「何とか言ったらどうだ? それとも何も言えぬか? まあ、どちらでもいい。貴様は私との婚約を望んでいたな。そんなものは願い下げだ。貴様はカスター牢獄に行ってもらう。そこで洗いざらい吐いた後、王都の広場で処刑だ。喜べ、死んだほうがマシな目にあうことだろう。だが私は同情しない。貴様はそれだけのことをしたのだからな」

 カスター牢獄という言葉を聞いて、周囲の生徒達に動揺が走るが、その場所を知っている者であれば当然の反応である。

 カスター牢獄。それは、聖アーラス王国で最も厳重な牢獄であり、並ぶものなき大罪人を尋問、拷問するためだけに存在する監獄だ。過酷な拷問訓練を耐え抜いた経験豊富なスパイや屈強な兵士でさえ、入って三日目には全てを白状すると言われている。

 そんな牢獄に、リヒターは恋人だった少女を入れようとしているのだ。正気を疑われてもおかしくない所業である。

 だが、それほどまでにリヒターの、そして被害にあった貴族達の怒りは凄まじいということでもある。むしろ少女の罪を考えれば当然とも言えるだろう。

「もはや貴様への慈悲はない。民も貴様を許さないだろう。死ね。苦痛に満ちた死で償うがいい。そうすれば少しは民も溜飲を下げるだろうよ」

 リヒターは狂ってなどいない。リヒターは至って正気のまま、冷酷な判断でもって、少女を牢獄に入れようとしている。

 リヒターの判断が覆ることはないだろう。やはり彼はそれだけの怒りを、憎悪を、屈辱を抱いているのだ。それを晴らすことが出来るのは、少女の屈辱的な死のみである。

「連れて行け」

 いつの間にか後ろに待機していた兵士に対して、リヒターが命令をする。兵士はリヒターの命令を忠実に実行するために、未だ動きを見せない少女の両腕を掴んで立ち上がらせた。

 そのまま兵士達に引きずられていく少女。そんな少女に対して、リヒターは言葉を投げた。

「そうそう、ナタリア・イル・トワーローズ。貴様の家族も同じように処刑してやろう。どれだけ年月が経とうとも、必ず貴様の一族郎党地獄に送ってやる。楽しみにしていることだな」

 トワーローズ侯爵家の娘。リヒターは、少女――ナタリア自身からそう聞いていた。

 この国の貴族には聞かない名前だ。ならば、留学生なのだろうとリヒターは考えていた。

 留学生を処刑して問題にならないのか。それをリヒターは考えなかった。どのような手段を用いても、どれだけの金額を積んでも、必ずトワーローズ一族を処刑してやると決意していた。

 だが、リヒターは最後まで知らなかった。その美貌で学園を虜にしたナタリア・イル・トワーローズが何者なのかを。

 ナタリアの言葉を信じ、ナタリアのことを調べようともしなかった。それが間違いなのかどうかはわからない。ナタリアのことを少しでも調べれば、わかったかもしれないし、わからなかったかもしれない。

 しかし、機会は永遠に失われた。リヒターは、ナタリアの真実を知ることが出来なくなったのだ。

 ナタリア・イル・トワーローズという人間が、この世に存在しない人間であることを、リヒターは永遠に知ることが出来なくなったのだ。

 

 監獄からナタリア・イル・トワーローズの姿が消えたと報告されるのは、この二日後のことだった。

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