悪役令嬢、家が欲しい
「家がほしいですわ」
それは、覇王勇者の唐突な一言だった。
いつもどおりの魔法学園の授業風景、いつもどおりの日常の中で起きた非日常。覇王勇者という非日常の代表的な存在が、授業中にいきなり言い出したのだ。
そう言い出したのにも理由がある。イーリス・エル・カッツェは、バハームド王国でも五指に入る大貴族の娘である。実家も、王都にある屋敷も、避暑地にある別荘も、全て贅を尽くした豪勢なものだ。
まさしく豪華絢爛。訪れる客は、まるで天上の楽園に迷い込んだような錯覚を受けることだろう。
だが、イーリスは貴族の令嬢の前に悪役令嬢であり、至高の悪役を目指して迷走する身だ。悪の組織にも顔の効くイーリスが、自分自身の家を持っていないというのは沽券に関わる。
そう、悪役であるならば、自らの家や基地を持つべきなのだ。世界最高の悪役がホームレスなど、拍子抜けにも程があるだろう。
そのため、イーリスは自らの家を欲する。秘密基地を欲しがる。その気持ちが我慢出来ずに、ついつい声に出してしまったのだ。
だが、それを言い出すにはタイミングが悪すぎる。イーリスは悪役とは言え学生であり、そして今は授業中だ。授業中に大声を出した生徒には、当然のように教師が注意をする。
「イーリス嬢。今が授業中だとわかっているかね?」
「あら、そうでしたわね。これは失礼しましたわ。家がほしいですわ」
「ええ、わかってくれたならそれでいいよ」
「先生家の授が業をほ中断ししてい申しで訳あすりまわせんわ」
「混ざってて何言ってるかわからんよ」
頭痛を追い払うように頭を振り、教師はイーリスに注意をする。
「とにかく! 家がほしいと思うのは構わんが、それを言うのは授業が終わった後にしてくれたまえ」
「わかりましたわ」
「どうやって発音したんだね!?」
結局、教師はそれ以上授業を進めることはなく、自習を宣言して教室を後にした。
◆
王都の中央広場に、若い少女の声が響き渡る。
「ワタクシの家を作ってくださる方を募集しますわー! 援助は惜しみません! 報酬も思いのまま! 我こそはと思う人は、是非お集まりになってくださいましー!」
神気を使って建築家募集と書かれた旗を大量に振りながら、イーリスは大声で人々に呼びかける。注目を集めるその姿に好奇心を刺激された人々が集まるが、相手がイーリスだと知ると微妙な表情をして立ち去っていく。
イーリスの評価は、正直言って高くない。覇王勇者として世界を守るために戦っているが、それにしては奇行が目立つ。勇者としての強さは確かだが、それ以上によくわからない存在。イーリスは、そんな評価を人々から受けているのだ。
もちろん、イーリスはそんなこと気にしない。人の評価を気にして悪役をやることは出来ないのだ。
「大きく、頑丈で、要塞のような家でしたら最高ですわー! 地下要塞なんてもっと素敵ですわー! ロマン溢れる建築家の方、そのロマンを叶えるチャンスですわよー!」
大声を張り上げるも、チラリと見るだけで誰も興味を示さない。また変なことをはじめたと思う程度で、本気にしないのだ。
人々は、イーリスが本気で地下要塞を作ろうとしているとは思わない。思えない。そもそも現実味がない。どうすれば地下要塞を作れるというのか。
そう思う人がほとんどだからこそ、大多数の人々はイーリスを無視して歩き去っていく。一部の物好きはその場に立ち止まり、様子を見たりしている。どうせどうにもならないと高を括っている者がほとんどだが、やはり好奇心には勝てない。後で話の種にしようと考え、意地悪げにイーリスを観察している。
そうして叫び続けて何分経っただろうか。おそらくは四、五分程度だが、イーリスの叫びは功を奏したらしい。
イーリスのもとに、一人の女性が近づいてきたのだ。ボサボサの長い髪に牛乳瓶の底のような大きな眼鏡をした、白衣を着た女性だ。サイズが合っていないのか、女性に比べて白衣が二回りほど大きく見える。女性の後ろで小太り気味の半裸の男が恍惚とした表情で倒れているが、きっと立ちくらみでもしたのだろう。
数秒ほどイーリスと女性が見つめ合う。そして、女性はニヤリと笑い、どこか聞き覚えのある声でイーリスに話しかけてきた。
「ドーモドーモ、私の名前はアリース博士デース。何でも好きなものを報酬としてもらえると聞いてやってきまシター。私に任せれば問題ないデスネー。だからイーリスさん、あなたをくださいネー」
「アリスさん、愛していますわ」
「イーリス様、私もですー!」
その瞬間、女性――アリース博士は正体を表した。
ウィッグを取り、通行人から奪った白衣を脱ぐ。そして白衣をイーリスに投げつけて、目くらましの代わりとした。
その一連の動作の何と素早いことか。予想外の行動にイーリスの対応が遅れる。一瞬虚を突かれたイーリスが内心舌打ちをして白衣を弾き飛ばした時には、見覚えのある少女は既に次の行動に移っていた。
天を舞う少女の影。飛びかかってきた少女を見て、イーリスは自らの考えがあっていたことを理解した。何ということだろう。アリース博士とは、アリスが変装した姿だったのだ!
既にそれほど距離はない。アリスは今にもイーリスへと飛びかかり、彼女の肢体を味わおうとしている。哀れイーリスは、ついにアリスの毒牙にかかってしまうのか。
勝利を確信するアリス。ついにイーリスと念願のひと時を過ごせることに喜びをあらわにし、人には見せられないほど欲望を顕にした笑顔を浮かべている。
だが、残念ながらアリスの予想は当たらない。アリスの小癪な小細工など、イーリスは既に読み切っている。そして、イーリスはアリスの一連の動きの全ても読み切っていた。
今度嘲笑ったのはイーリスであった。アリスのタイミングを完全に把握し、アリスが飛びかかる軌道を完全に読み、イーリスは完璧なタイミングでカウンターを決める!
「これが日頃の鍛錬の成果! 悪役令嬢超奥義! 麗しき餓狼蹴撃!」
彼女の美しい脚が天を裂く。飛びかかってきたアリス目掛けて突き出された脚は、餓狼の波動を伴ってアリスを貫いた。更に、天狼の誇り高き声が響き、人々はアリスの四肢を天狼が蹂躙したのを幻視した。そして、幻影の天狼はアリスの胴体を貫き、遠吠え一つを残して消え去った。
シノビマスターに技を習ったイーリスは、日々の研鑽を怠っていなかった。時間は短くとも、その研鑽の密度は常人の十倍も百倍も濃いものだった。長い時間を必要とする修行を密度で補った結果、イーリスは既にシノビマスターと並ぶほどの技量を手に入れていた。
そう、イーリスは既にシノビマスターの技術を完全とは言わずとも自らのものとしていたのだ。
そして、これこそがイーリスの生み出した悪役令嬢必殺奥義。神剣に頼らないイーリスの絶技の一つである。
これを食らってしまえば、如何に神をも超えた耐久力を誇るアリスといえど一溜まりもない。天狼に蹂躙されたアリスは天高く吹き飛び、断末魔の叫びを残して倒れ伏した。
「ありがとうございます!」
「悪は滅びましたわ」
自称悪役令嬢の言葉である。
アリスという化物を倒し、イーリスは引き続き声をかけ続ける。先程の騒ぎで好奇心が刺激されたのか、チラホラと建築家らしき人達がイーリスの周りに集い始めたが、イーリス自身はどうにも惹かれるものを感じなかった。
平々凡々、ありきたり、どいつもこいつも似たような雰囲気を感じる。市井の人間が家を建てるのならば集っている建築家の誰かに頼めばそれでいいのだろうが、イーリス・エル・カッツェは悪役令嬢だ。
悪役であるならば、豪華に、豪勢に、無駄な機能が盛りだくさんのロマンに満ち溢れた秘密基地でなければならない。
それを知っているのは、悪役以外にいないだろう。悪役のロマンを理解出来るのは、悪役以外にいないだろう。
そう、悪役以外に、イーリスの求める秘密基地を作ることは出来ないと、イーリスは考えていた。
そして、イーリスはそんな都合のいい悪役を近場で一人知っている。派手好きである彼は、こんな騒動を起こしていたらきっと出てくるだろうということも、イーリスは知っている。
集った誰かがイーリスの目に適うならばそれで良し。駄目ならばいずれ彼が現れる。そうした計算のもとに、イーリスは王都で騒ぎを起こしていたのだ。
「クックックックック……フハハハハハ……ハーッハッハッハッハ!」
その予想は当然のように大当たり。周囲によく響く声で、高笑いが響き始めた。
周囲には音を吸収するものが無数にある。人、建物、木々、様々だ。だが、そんな妨害など物ともせず、その高笑いは大きく響き続ける。まるで天下に轟く名劇場で有名歌手が歌うオペラのように、その声は人々に届き続ける。
イーリスが知る中でも、これほどの声を持つ者はそれほどいない。そして、王都でこれほどの声を持つ者で、このような状況に顔を突っ込む人物を、イーリスは一人しか知らなかった。
「見事なり、悪役令嬢。我々に並ぶ素晴らしき悪役よ」
「あ、あなたは……やはり総裁! お久しぶりですわね」
「お久しぶりだ、悪役令嬢」
イーリスが総裁と呼んだ男しか、イーリスは知らなかった。
紅の鎧を身にまとった如何にも怪しい大男。どこか重みのある声を響かせ、謎のオーラを揺らめかせながらイーリスの元へと歩いてくる。
その周囲では、黒装束に目元を隠す白い仮面という印象的な衣装で統一した下級戦闘員が野次馬たちを牽制している。近づかないで、離れて、危険です。そんなことを叫びながら、戦闘員達は見事な連携プレーで野次馬たちを退かせていく。
そう、彼らこそ秘密結社リボルバー。下部組織も含めれば千人以上の構成員数を誇る巨大組織である。
そして、紅の鎧で身を包んでいる彼の名前はデスゲート総裁。秘密結社リボルバーの総裁であり、彼のカリスマがあってこそ、秘密結社リボルバーは組織として成り立っているのだ。
逆に言えば、彼がいなければ組織は成り立たない。彼のカリスマがあってこそ、秘密結社リボルバーは組織として成り立っているのだ。彼の後継者育成が、秘密結社リボルバーの早急な課題となっている。
「聞けば秘密基地を手に入れたい様子。どうだね、我らとともに歩むというのは? 我らの秘密基地の素晴らしさは、君もよく知っているだろう?」
「ええ、存じていますわ。リボルバー劇場の素晴らしさは、ワタクシはおろか国王も認めるところですわ」
「そうだろう、そうだろう! 君であれば我輩の後継者としても相応しい! どうだね、我らとともに歩まないか?」
「申し訳ありませんが、お断りしますわ。ワタクシは唯一にして至高の悪役令嬢ですから」
「そうか、それは残念だ」
リボルバー劇場とは王都に存在する巨大劇場であり、王都で演劇を見るならばここと言われるほど有名な劇場である。また、国王の誕生日には国王のポケットマネーでこの劇場が貸し切りになり、人々は無料で素晴らしい演劇を鑑賞することも可能となる。
館長の名前はリボルバー・エル・デスゲート。代々リボルバー劇場を管理しているデスゲート一族の若き当主だ。当主は代々リボルバーの名を継承することでも知られている。
なお、彼と秘密結社リボルバーの関連は定かではない。きっと、おそらく、たぶん、関係ないと思いたい。そう思い込みたい。
「総裁、少し耳に挟んだのですが、新たな人員を引き入れたというのは本当ですの?」
「耳が早いな、悪役令嬢よ。そして、その問いには是と答えよう!」
ご機嫌なのか総統の高笑いが響く。聞いているだけで心地の良い魔性の声だが、あいにくイーリスにとってはうるさいだけだ。はじめは少し聞き入ってしまったこともあったが、慣れてしまった今ではいい声だとしか思わない。
それにしても、とイーリスは思う。いや、総統を見ているといつも思う。悪として、イーリスと総統は違う道を歩んでいると。
イーリスは唯一にして至高の悪役令嬢を目指している。それはつまり孤高の悪役であり、そのためイーリスは仲間を求めていない。
だが、総統には多くの仲間がいる。悪の組織に相応しい規模と質の仲間を集めている。総統の組織に自分が負けるとイーリスは思わないが、仲間がいるというのも悪くはないのかもしれないと、たまに思う。
イーリスに仲間はいらない。だが、手下というのは持ってもいいかもしれない。
アリス? あれは考えないようにしている。
「確か腕のいい職人だとか。羨ましいですわね」
「悪党どもに騙された哀れな職人達を雇い入れたのだ。まともに仕事が出来れば文句の言わない連中故、こき使っておるぞ」
「総統のこき使うは王都の一般的な労働時間と同じですわよ。給金は少し抑えめ。本当にいい人材を手に入れましたわね」
「おっと、住居はこちら持ちだぞ。一概に給金が安いと言わないでくれたまえ」
楽しげな総統の様子に苦笑しか出てこない。様々なものを受け入れる懐の深さが、総統の魅力である。
そして、それこそが総統のカリスマである。彼の豪快な性格に惹かれて、様々な仲間が集うのだ。
自分には無いものだと認め、イーリスは再び苦笑した。自分は自分の道を行けばいい。自分の求める至高の悪役令嬢の道を邁進すればいい。
そのためにはまず秘密基地。そのためにはまずロマンの塊。王都地下に広がる完全無欠の要塞を、手に入れることから始めよう。
自分と同じ、しかし別の悪の道を歩む総統の力を借りて。
「総統。地下基地の建造はあなたにお任せしますわ」
「了解した、悪役令嬢よ。ならば我らに任せてもらおう。我らの力を持って、王都全域に広がる素晴らしき地下要塞を貴様に送ろうではないか!」
「素敵ですわ!」
「費用の方はこの程度で……」
「高いですわね……」
「いや、王都の地下に作るので、色々と問題も……」
「アリスさん! 地盤強化ですわ!」
「ヨロコンデー!」
「素晴らしい。これなら余裕で作れよう! 悪役令嬢よ、首を洗って待っているがいい! フハハハハ!」
「楽しみにしてますわ!」
「イーリス様、ご褒美をください!」
「悪役令嬢超奥義! 麗しき餓狼蹴撃!」
「ありがとうございます!」
一週間後、王都全域の地下に蜘蛛の巣のように広がる謎の建築物が出来たらしい。入ろうとした者もいたようだが、扉は固く閉ざされ、入ることが出来なかったようだ。
また、扉の前にいると、奥から「ですわああああぁぁぁぁ!」という聞き覚えのある謎の声がするようだが、誰の者かは不明である。
そして、魔法学園で地下要塞を手に入れたと覇王勇者が高らかに宣言していたらしいが、関連性は定かではない。




