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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

目を覚ますと記憶喪失で“獣の加護”だけ持っていた。

作者: 森田ラッシー

必殺思いつき。

さらさらと吹く風が、優しく頬を撫でる。目を開けると、そこには青空が広がっていて、背中にゴツゴツした感触があった。

「おーい、生きてるかぁ?」

目の前に突然、見知らぬ男が現れた。

「お、生きてるな?よかったよかった」

そう言うと男は、手を上げて誰かを呼んだ。

僕は身体を起こして辺りを見回す。僕以外にも、あちこちに倒れている人がいる。そして、その人たちを担いで運んでいる人もいた。

「君、所属と名前は?」

男が話しかけてきた。所属?名前は…。

「僕は…僕は、誰…?」

僕は、僕の事が分からなかった。


「行く宛が無いのなら、私の所で働くといい」

僕を助けてくれた男は、名をピエール・サンジェルマンというらしく、金で伯爵の位を買った商人だそうだ。

なんでも彼は、今の僕のように行く宛の無い者を雇い集め、傭兵団を組織しているらしい。

自分が何者なのかさっぱり分からない僕は、彼の誘いに応じて傭兵団に入ることにした。

「入団にあたって、君の“加護ギフト”を調べさせてもらう」

加護ギフト”とは、偉大なる創造神がこの世界の生き物に与える“力”のことだ。

この国では誰もが、11才になった年の冬に、教会で加護ギフトを授かる事になっている。らしい。

らしい。というのは、これらの話が全て伯爵の受け売りだからだ。

どうやら僕は、自分の名前どころか、自分が生きる世界の基本的な事柄まで忘れてしまっているようだったのだ。

「“加護ギフト”を調べるって、一体どうやって?」

通常、誰がどのような“加護ギフト”を持っているか知る術は無い。しかし…

「紹介しよう。私の秘書で、“看破の加護”所有者のイリス・ノワールだ」

サンジェルマン伯爵の背後から、小柄な女性が姿を現す。見た目の年は14~15才ほど、背の高さは僕の方がだいぶ高い。

「イリス・ノワールです。よろしくお願いします」

表情の無い無機質な顔で、イリス・ノワールという女の子は簡素な自己紹介をした。

“看破の加護”の所有者は、“加護ギフト”の“力”によって他人の“加護ギフト”を知ることができる。

他人の“加護ギフト”を知るのに“加護ギフト”を使う。なんだかややこしい話だ。

後から聞いた話だが、“看破の加護”所有者は、教会にスカウトされて司祭になるのが世の常だそうだ。教会に所属しない“看破の加護”所有者は、権力者らに重宝され、その身を狙われるのだとか。イリス・ノワールさんもなんやかんやあった所を、伯爵に保護されたらしい。


「では早速、貴方の“加護ギフト”を拝見させていただきます」

そう言いながらイリス・ノワールは、おもむろに僕に近付いてきた。

「あの、ちょっと、近い…」

僕の目の前に、彼女の顔がある。

「目を瞑って下さい」

「ああ、はい!」

彼女に促されるまま、僕はグッと瞼を閉じた。

「もういいですよ」

「えっ」

目を開けると、彼女の顔はもう離れていて、サンジェルマン伯爵に何か耳打ちしていた。

何度か頷いた後、サンジェルマン伯爵が僕の方に寄ってきた。

「どうやら君の“加護ギフト”は非常に珍しい物の様だ。」

伯爵は目を伏せながら、気まずそうに言った。

「一体どんな“加護ギフト”なんですか?」

変に気を遣われると、こっちが困ってしまいます。どうか遠慮せず教えてください伯爵!

そう言わんばかりに、僕は伯爵に熱い視線を向けた。

「まぁ、教えないわけにもいかないし…。いいか、君の“加護ギフト”は“獣の加護”だ」

「“獣の加護”…?」

なんじゃりゃ。


それから伯爵が色々と調べてくれたが、“獣の加護”なんて“加護ギフト”は前例がないそうだ。

結局僕は、 自分の“加護ギフト”が何に使えるのか、どんな事ができるのか、全く分からないまま傭兵団に入ることになった。

初日は傭兵団の宿舎を案内された。

案内人はイリス・ノワールさんだった。

「この扉はなんですか?」

僕は目に留まった大きな鉄の扉を指差す。

「地下室の入り口です。拷問器具などを置いており危険なので、近付かないようにしてください」

淡々とした説明が、少し怖かった。



宿舎の案内の次は隊員の紹介だった。

傭兵団の団長は“つるぎの加護”を待っており、剣の扱いにおいては超一流とのこと。

副団長は“槍の加護”を持っており、こちらもまた槍の扱いにおいては超一流とのこと。

そんな超一流の人がなぜ傭兵団に?と、疑問を抱きつつ、僕はこれから、彼らと寝食を共にすることになるのだ。


傭兵団の朝は早い。

日が昇るより前に起きて、朝食前の訓練をこなす。

「うぇっぷ…」

「新入り、吐くなよ~。」

「出さずに飲み込め。ランチまで持たねえぞ」

疲れすぎて胃が物を受け付けない。

「う、うーうー!」

口の中いっぱいに逆流してきた物を溜め込みながら、抗議の目を先輩方に向ける。

朝から死ぬほど走らされて、その後に朝食なんて食べられるはずがない!

「飯食ったら武器の練習だぞ。しっかり食べておけ」

筋肉質な団長が、似合わない爽やかな笑みを浮かべている。

「団長、ガリヒョロの新入り君にはちょ~っと無理なんじゃないんすかね?」

へへへ、と馬鹿にしたような笑いを浮かべながら副団長が言った。僕、なんだかこの人のこと嫌いだな。


それから午前の訓練、午後の訓練を終えて、フラフラになりながら宿舎に戻る。

夕食まで時間があるので、部屋で少し横になることにした。

(…げて、逃げて…!ここから、早く逃げて!)

「ん、ん~?」

いつの間にか眠ってしまったらしい、窓の外はすっかり日が暮れていた。

そういえば、誰か何か言っていたような…。でもここは一人部屋だし…。

考えながら食堂に向かうと、みんなもう夕食を終えたのか誰もいなかった。

「あれ~遅かったね、新入り君。もう夕食の時間は終わっちゃったよ」

どこから現れたのか副団長が耳元で囁いていった。声だけでニヤニヤしているのが分かった。

やっぱりこの人のこと、嫌いかもしれない。

(…逃げて!お願い!ここにいてはダメ!)

さっき部屋で聞いた声がして、ハッと後ろを振り替える。

副団長ももう立ち去っていて、そこには古びた鉄の扉があるだけだった。

おもむろに扉に近付き、ノブに手を掛けようとした時…

「何をしているのですか?そこには近付かないよう言っておいたはずですよ」

イリス・ノワールさんに止められた。

「ちょうどよかった。伯爵が呼んでいます」


伯爵の部屋はいつも不思議な匂いがする。外国のお香とかいうのを焚いているのだそうだ。

「いや~、そういえば君の名前を決めてなかったなと思ってね」

「名前?」

そう言えば、僕は自分の名前を覚えていない。ってことは、名前がないのか。

「悪いが、こちらで考えさせてもらったよ。君の名前はネロ。どうかな?」

ネロ…、僕の名前はネロ…。

「はい!ありがとうございます!」


それからの日々は目まぐるしいものだった。

訓練に次ぐ毎日と、時々任務。

任務といっても危険なことはなく、人里を脅かす危険な獣を狩ったり、貴族の護衛をしたりといった事がほとんどだった。

ちなみに僕が発見された時は、戦の後片付けをしていたんだそうだ。戦の片付けというのも、変な任務だなと思った。

あの不思議な声も、夜になると時々聞こえてきた。

相変わらず、逃げて逃げてと言っており、声の主をどうしても確かめたくなった僕は、ある夜にこっそりと例の鉄の扉の前までやって来た。

扉に鍵はなく、意外とあっさり開いた。

地下に続く階段が延びており、ランプを片手にそこを降りていった。

湿気とよく分からない臭いがとても不快だったが、進むにつれてだんだん慣れてきた。

階段を降りきると、また鉄の扉があった。

その扉には鍵が施されており、どうやっても開きそうになかった。

「おーい!誰かいるんですか!おーい!」

ここまで来て諦められるかとばかりに、僕は鉄の扉を叩き、向こう側にいるはずの誰かを呼び続けた。

「…誰?誰かいるの?」

あの声だ!

「僕はネロっていいます!あなたは誰ですか?なぜこんなところに?」

「ネロ…ネロなの?お願い!今すぐここから逃げて!あなたはここにいてはいけないの!」

「なっ!?」

あまりの剣幕におされて、僕は尻餅をついてしまった。

「な、なぜ僕の名前を知っているんですか?それに、なんでそんなことを言うんですか!」

僕も必死になっていた。顔も分からない声の主に、ここから逃げろと言われて、少し頭にきていた。

「お願い!ここにいたら、またあなたは酷い目にあう!だから、お願い!ここから逃げて…お願い…」

“また”って、どういうことだ?

「わ、わけがわからない!なんなんだ君は!」

気が付くと、僕は階段を登り、自分の部屋に戻って布団を被っていた。

“また酷い目にあう”って、どういうことなんだ。それに…

「どうして僕の名前を知っているんだ…」


悶々としながら、僕は次の機会を窺っていた。もう一度あの声の主と、落ち着いて話がしたい。そう思ったのだ。

「これからしばらく留守にするから。その間、イリスが僕の代理人だ」

伯爵が長期出張に行くらしい。以前からよく2、3日空けることがあったけど、今回は数ヶ月戻らないらしい。先輩方から聞いた噂話では、伯爵は隣の国のスパイで、傭兵団は謀反を起こす時の為に組織しているとかなんとか。

ともかく、これでしばらくイリスさんが忙しくなるはずだ。当然、地下への扉の警戒も緩くなる。

僕は再び、地下へと足を運んだ。


「こんばんわ。僕はネロ。君と話がしたいんだ」

「ネロ!?ネロなの!?」

「落ち着いて!頼むから落ち着いてくれ!君とゆっくり話がしたいんだ」

「……ごめんなさい。私…」

なんとか落ち着いてくれたみたいだ。

「君の名前を、教えてくれないか」

僕は彼女に名前を尋ねた。

「私は…クラウディア…」

少しだけ躊躇うような間があってから、彼女は名前を言った。クラウディア…彼女の名前はクラウディア。

「いい名前だね」

「…!ありがとう…」


それから僕は、クラウディアと色々な話をした。

彼女は貴族の家の生まれだったが、父親が国王への謀反を企てたとし、罪人として捕らえられたのだそうだ。

父親は最後まで謀反の企てが無実だと訴えながら斬首され、母親も心を病んで自刃したそうだ。

一人残った彼女は、珍しい“加護ギフト”を持っていることから伯爵が引き取り、この地下牢に収容されることになった。

彼女のことを知っているのは、伯爵、イリスさん、団長、副団長の4人だけ。

僕の名前を知っていたのは、その4人から聞いたからだそうだ。

彼女の声が僕に届いた理由は、結局分からなかった。

だけど、彼女と話をするのはなんだか楽しかった。

僕は彼女に、伯爵に見つけられてからのこれまでの事を話した。クラウディアは時々寂しそうな顔をしながら僕の話を聞いてくれた。

「しまった!僕ばかり話してごめん!」

「いいえ。あなたのお話、とても楽しかった。あの、できれば時々…こうしてお話できるかしら…」

「……も、もちろんだよ!」

思いがけない彼女からの申し出に、僕は柄にもなく大喜びした。


その日から僕は、イリスさんの目を盗んではクラウディアに会いに地下牢へ通っていた。

クラウディアと話すとその日の疲れが全部吹っ飛んだ。

顔の知らない相手に、僕は仄かな恋心を抱いてしまったのかもしれない。

そんなことを考えるくらい、僕は有頂天だった。


だけど、そんな受かれた気分をぶち壊すような事が起きた。

僕たちの国と隣の国の国境付近で、両国が軍事演習を行い、一触即発の事態に陥っているのだそうだ。

元々僕たちの国と隣の国は仲が悪かったのだが、隣の国に“聖女の加護”を持つ者が現れたという噂が流れはじめてから、以前よりも緊張した状態になっているのだそうだ。

“聖女の加護”というのは100年に一度現れるかどうかの非常に希少な“加護ギフト”で、僕も宿舎に置いてある本を読んで知った。

クラウディアに“聖女の加護”の事を聞いた時は、「この世界を変えるかもしれない。それだけ大きな影響を持つ“加護ギフト”なの」と言っていた。

で、僕たち傭兵団は一触即発の緊張状態を保っている国境付近に赴き、国境を越えてくる隣国の兵士を始末するという任務を賜った。

サンジェルマン伯爵はまだ長期の出張から戻らないが、代理人のイリスさんの判断で任務を受けることにしたそうだ。

「今回の任務は王国から直々の以来がありました。なので、どうしても断るわけにはいきませんでした。ですが、活躍すれば間違いなく大きな報酬が期待できる仕事です。みなさん、よろしくお願いします」

いつものように淡々と説明するイリスさんだったが、いつもより3割増しで熱が込もっていたような気がする。

「ハハハ、久々に骨のある任務だな」

「また命懸けの任務か~」

腕を振り回しながら張りきる団長と、背中を丸めてため息をつく副団長という対照的な二人であった。


2日後に出発するということなので、その日の夜に早速荷造りを済ませた。

出発前夜の明日の晩に、クラウディアに会いに行こうと思ったのだ。

荷造りを終えてベッドに入った僕の耳に、誰かの叫び声が届いた。

(いや!やめて!痛いっ!痛いっ!いやっ!)

明らかにクラウディアの声だ!

ベッドから飛び起きた僕は、壁にかけた剣(相棒)を手に取り、地下牢へ向かった。

地下への階段を降りると、今までずっと閉じられていた扉が開いていた。

勢いよく扉を蹴り開けると、両腕に鎖を巻かれて宙吊りにされた少女と、その少女の脇腹に槍を突き立てる副団長がいた。

「何を、何をしてるんですか!!」

後先考えずに副団長に向かって剣を向けたが、簡単に槍で弾かれてしまう。

「お~いおい、ネロ!?なんでネロ!?なんでお前がここに?まさか、またこの子にお熱なのか…?嘘だろオイ?笑えねえよ。執念怖すぎるわ」

副団長は笑っているのか怖がっているのか分からない顔で、声を震わせながら言った。

「クラウディアを下ろしてください!なんで、こんなことを!!」

副団長を睨みながら、僕は拳を構えた。

「まてまて、勘違いするな。コイツは罪人なんだぞ?本来なら殺されて然るべき女なんだぞ?それをこの程度で済ませてやってるんだから、むしろ感ジャッ!?」

話の途中だったが、副団長の顔を思い切り殴った。

「お、おおおお前…人が気を使ってやりぁ調子に乗りやがって…」

赤く腫れた頬をさすりながら、副団長が槍で突いてくる。

あっという間に傷だらけになり、僕は地面に片膝をついてしまった。

「お前がなぁ、俺に勝とうなんざ…100年早いんだよ!」

副団長の槍が僕の胸目掛けて突き出される。

これまでかと思ったその時…

「何をしているのですか!!」

イリスさんが現れた。

槍を構えた副団長、そして僕を一瞥して、イリスさんは宙吊りのクラウディアを下ろした。

「副団長、またですか」

クラウディアの腕に巻かれた鎖を外しながら、イリスさんが言った。

「へ、へへ。仕方ねぇだろイリス?こんな上玉が近くにいりゃ、仕方ねぇだろ?」

「あなたの言い分けは聞き飽きました。彼女はサンジェルマン伯爵の所有物ですよ。伯爵の許可なく触れることは許されません!分かったら、さっさとここから消えなさい!」

「は、はひぃっ!」

副団長はバタバタと階段を上がっていってしまった。

「ネロさん、あなたも部屋に戻ってください」

「で、でもクラウディアの怪我の手当てを…」

「彼女の治療は私がします。それに、傷もあまり深く無いようですし」

そう言いながらイリスさんは、クラウディアの服を捲って槍で刺されていた脇腹を見せた。確かにイリスさんの言う通り、傷はそこまで酷いものでも無さそうだった。

「分かりました。クラウディアをお願いします。…クラウディア、力になれなくてごめん」

階段に足を掛けた時、クラウディアが言った。

「いいえ、あなたが来てくれて…とても嬉しかった…」

僕は振り返らず、そのまま部屋へと戻った。彼女を助けようとして、返り討ちにあった自分の情けなさが身に染みた。


翌朝、イリスさんが部屋を訪ねてきた。

クラウディアの無事と、副団長に減給処分を下してきたと言った。地下牢の扉の鍵も取り替えるとの事。どうやら副団長は地道に合鍵を作っていたらしい。

「副団長は王国の騎士だったのですが、加虐的な性質を持っており、スラムの子どもを拐ってきては昨夜の様な事をして、追放処分を受けたんです」

イリスさんがいつもの淡々とした口調で話す。騎士団を追放された副団長を、サンジェルマン伯爵が拾って、かの傭兵団に加えたそうだ。

「ここにいる人たちはみな、何かしらの問題を抱えている為に、まともな生活が送れない人ばかりなのです。だから、あなたも、あまり気を許しすぎないように」

それは、イリスさんに対してもですか?

口をつきそうになった言葉を飲み込み、僕は静かに頷いた。

「クラウディア嬢との事は、以前から気付いていました。あなたの為になるならばと、伯爵から黙認するように指示が出ていました」

「えぇっ!?ばれてたんですか」

「ばればれです」

“看破の加護”をなめないでくださいと言いながら、イリスさんは部屋から出ていった。

それにしても、まさか既にばれていたとは。

それに、じゃあ気の良さそうな団長やイリスさんも、何か問題があるってこと?

それって、じゃあ…僕も?


任務前夜、クラウディアに会いに行くのは控えた。帰ってきたら彼女に会いに行こうと、そう決めた。


任務当日。

副団長は気まずそうな顔をして、僕をチラチラと盗み見ている。

イリスさんは「気にする必要はありません」といってくれたが、やはり気になる。

移動の馬車が別々だったのが救いか。

任務地である国境付近の森まで赴き、隣国の兵士に見つからないギリギリの所に天幕を張り、陣地を作成した。

少し離れた所には、疲弊しきった軍の兵士達が滞在していた。隣国の兵士が国境を越えてきた瞬間、武力衝突が始まるという張りつめた緊張感の中で軍事演習を行っているのたからすごい。

僕たち傭兵団もその空気に触発され、俄然張り切った。

とはいえ、演習に加わったり、軍の兵士と交代で国境の見張りをしたりと、特に事件も起こらず時間は流れていった。


滞在4日目の夜、見張りの兵士が国境間近を散策している隣国兵士数人を発見した。

僕たち傭兵団のにもすぐに伝令が来て、副団長と数人の仲間達が軍の兵士と一緒に警戒にあたることになった。

隣国兵士がすぐに引き返すのなら放置、国境を越えてきたなら、その瞬間に攻撃。

もし攻撃することになった場合、隣国からの報復は免れない。

陣地に残った団員も落ち着かない様子で、各々の武器を手にしていた。

団長は鎧も身に付けており、いつでも出撃できる用意をしていた。

僕も剣を持ち、いつ何が起こってもいいように覚悟を決めた。するとー。

「国境を越えたぞー!!!」

天幕の外から、軍の伝令役の声が響いた。

僕たちが一斉に天幕から飛び出ると、夜空に赤々と燃える星が無数に打ち上がっているのが見えた。

「なんだ…あれ?」

あまりの美しさに見とれていると、団長に肩を掴まれた。

「走れ!火矢がくるぞー!」

団長に掴まれて、僕は全力で走った。

後ろを振り向く余裕はなかった。ただ、ゴゥゴゥと音をたてながら、何かが落ちてくる音が背後から迫っているのが分かった。


「奴ら、先に攻撃してきやがった」

無数の火矢から逃れ、副団長たちと合流することができた。

副団長によると、隣国の兵士が国境を越える前に、先にあちらの歩兵隊が矢を放ったとのことだった。

「だが、こうなってはもう、どちらが先かなど関係ないだろう」

団長が静かに言った。

事実、既に両軍の衝突が起きていた。

隣国の歩兵隊は国境を越えて、僕らの国の領土に入り、森に火を放ったのだ。

軍も傭兵団も火に押されて後退し、今は陣形の建て直しを図っていた。

ここまで逃げてくるだけで、既に団員数名が命を落としている。

伯爵の代理人のイリスさんは、軍の指揮官と話し込んでいる。

「軍の伝令が援軍の要請に走ってるが、おそらく間に合わないだろう」

「援軍が来る頃には、この戦線は崩壊してるでしょうね」

団長と副団長の会話を聞きながら、団員たちはゴクリと唾を飲んだ。

暗い雰囲気が漂い始め、士気の低下も感じられた。


「おーい!みんな!いたいたぁっ!」

間の抜けた声が突然聞こえてきた。

「まさかもう始まってる?参ったな~」

馬に乗ったその人は、サンジェルマン伯爵だった。

「伯爵!お戻りになられたのですか!」

伯爵に気付いたイリスさんが駆けてきた。

「ああ、酷い目にあったよ。やはり“聖女”暗殺なんてろくでもないことは考えちゃいかんな。おかげで、向こうの基盤を全て失ったよ」

早口で語る伯爵とウンウンと頷きながら聞くイリスさん。

何気なく伯爵の乗ってきた馬を見ると、伯爵の後ろにもう1人乗っているのに気付いた。

僕の視線に気がついたのか、伯爵と目があった。

「ここに来る前に国王に謁見してきてね。今後の方針が決まったんだ。だから…」

この戦はすぐに終わらせる必要がある。

伯爵はそう言いながら、後ろにいる人物に馬から降りるよう促す。

自分の目を疑った。

馬から降りたのはクラウディアだった。


クラウディアは口に布をあてがわれていた。

「なんで、君が…」

「彼女には大切な役割があるんだ」

いつの間にか口をついた言葉に、伯爵が答える。

「役割?」

自然、伯爵と目が合う。

「ああ、君にも関係する大切な役目だ」

伯爵が優しく微笑みながら、馬から降りた。

そしてクラウディアの背後に立ち、彼女の首筋に、小刀を立てた。

「!?伯爵!!何をしているんですか!」

伯爵の行動に、動揺を隠せなかった。

「何って。彼女を殺すんだよ?」

はぁ?何を言っているんだ!?彼女を殺す??

「どうしてそんな事を!!」

「だから、言ってるじゃないか。大切な役割だって」

少しイライラした様子で言いながら、伯爵は小刀を持つ手に力を込めてー

「クラウディア!!」

「ーーーー!!!」

クラウディアの声にならない声が響いた。

月明かりに照らされて、彼女の体がどんどん赤く染まっていくのがわかった。

伯爵に飛びかかろうとする僕を、副団長が取り押さえている。

「団長、切断しといて」

伯爵がクラウディアを手放すと、彼女はグシャッと地面に倒れた。

「分かりました」

団長が剣を抜き、地に伏した彼女の体に刃を立てた。

「南無三!」

ゴリッと音がして、クラウディアの頭と胴体が分かれた。

「あ、あ、あ、あ、あ…」

涙と鼻水が口に入ってくる。

「うわー!何回見ても気持ち悪りぃ!」

副団長の声も聞こえなかった。

いつの間にか食い縛っていた口の中に、血の味が広がった。

「なんで、また…こんな事を……」

また?

僕は今、「また」って言ったのか?

コロコロと転がるクラウディアの顔が動きを止め、彼女と目があった。翡翠色の綺麗な瞳だ。でもその顔は、恐怖で歪んでいた。


ああ、また、なのか……


意識が途切れた。











さらさらと吹く風が、優しく頬を撫でる。目を開けると、そこには青空が広がっていて、背中にゴツゴツした感触があった。

「おーい、生きてるかぁ?」

目の前に突然、見知らぬ男が現れた。

「お、生きてるな?よかったよかった」

そう言うと男は、手を上げて誰かを呼んだ。

僕は身体を起こして辺りを見回す。僕以外にも、あちこちに倒れている人がいる。そして、その人たちを担いで運んでいる人もいた。

「君、所属と名前は?」

男が話しかけてきた。所属?名前は…。

「僕は…僕は、誰…?」

僕は、僕の事が分からなかった。











目を覚ますといつもの地下牢にいた。首がヒリヒリして痛い。そういえば、また首を切られたんだっけ。首をさすりながら思い出す。

キィーっと音を立てながら、牢の扉が開かれた。伯爵の秘書のイリス・ノワールが入ってきた。

「クラウディア嬢、お目覚めでしたか。朝食をお持ちしました」

「あれから何日立ったの?」

「3日です。“再生”は昨日の時点で完了していました」

「……彼は?」

「いつもと同じです」

「……そう」

私の質問に答えながら、イリス・ノワールが朝食のプレートを並べる。麦粥、ゆで卵、トマト、山羊の乳。

それらに目を落としながら、私は自分の過ちを悔いた。

「クラウディア嬢、ご自分を責めるのはお辞めください」

イリス・ノワールはどちらかと言うと私を気遣ってくれる方だ。

だけどー。

「これは彼自身の選択によって繰り返されているのですから」

だけど、やはり彼女も、対岸の人なのだと思い知る。

彼には選択肢などない。あるのは差し伸ばされた手と、記憶を失った彼自身だけだ。

「クラウディア嬢。伯爵が今後の方針についてお話があるとの事です。午後からまたお伺いします」

そう言い残して、イリス・ノワールは牢から出ていった。

私は牢の壁に印を刻んだ。

ここに来てから、ずっと繰り返される彼の悲劇を数えている。

これで12回目。

私が殺されたのも12回目。

そしてまた、これからもー。






こちらの短編と同じ世界の話です。

https://ncode.syosetu.com/n1806eo/

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