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S099 ハーメルンの笛吹き男になんて誰もなりたくない

実話とは違います。

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誤字訂正

ルールの表面->ルールの表現

ジミーは上手くいったとほくそ笑む。


町中が迷惑していたのだ。ネズミ共に。見てない所で食料を盗み、見つからない様に誰も見ていない時にくすねる。共同作業を常に監視出来るなら誰も苦労などしない。そんな労力が出せないから共同作業をしているのだ。しかし連中には分からない。

だから今回はジミーがする事になった。いわゆる儲け話だ。普段から隠れてコソコソと自分だけは得したいと思って集団の財産を盗んでいる連中というのは欲深い。

だから簡単に引っかかった。ちょっと離れた場所で争いがあり、傭兵を募集しているのだが既にほとんど勝敗は決まっていて、今なら勝ち戦に楽にのっかれると言えば簡単に食いついた。

連中もまさか負け戦に参加する事になるとは思っていないだろう。かかっているのは自分の命。それが連中を錯覚させる。まさかジミーが自分から負け戦に参加して無駄に命を捨てるとは連中も思っていないはずだ。今頃連中の頭の中では、貰える褒美もさることながら戦いにかこつけて村々で色々やらかす算段をしている所だろう。その夢は恐らく叶う事はない。

ネズミの様な連中を抱え込んで町の経営が立ち行かなくなって皆で露頭に迷うかジミー1人の犠牲で町が助かるか。たったそれだけの話であり、ジミーも心のどこかではわだかまりを感じているが連中を肥え太らせるよりかはマシと考えて実行者に志願した。


そしてジミー率いる急場しのぎの民兵団が町を出発した。恐らく帰ってくる者はいないだろう。そして町の住民の誰もが誰も帰って来ない事を望んでいた。



アルヴィンは国王との話し合いの結果、反乱を起こす事になった。

一部の宮廷貴族や地方貴族が不穏な動きを見せており特に南部のレハネン伯爵がロビー活動に勤しんでおり、伯爵自体は気づかれていないつもりのようだが、長年宮廷に居る貴族達には筒抜けでその情報が王族の元にも伝えられた。

時折あるのだ。長い年月に渡り、初めは忠誠心が勝っていたが年月と共に薄れ、やがて欲望が勝つという状況は。

例え初めは高潔な人物でも世代を重ねるにつれ、その環境に毒を与え続ける者が居れば、それが微量でもやがて毒に侵される。近くにいる商人、そして簡単に堕落した近縁者からの誘惑などが徐々に積み重なりいつの間にか自身もそれに染まり堕落する結果になる。

そうならない為にも貴族には高い自制心と高潔な精神が必要なのだが汚染は常に周囲にあり、どうしても長い年月の間に唆されて悪心を抱き貴族にあるまじき行為を行う者も出てくる。

レハネン伯爵もそうで、裏で非合法な行為に手を染めており、中央としてもそろそろ放置は出来ないと思っていたところに、何を考えたのか伯爵が野心を中央へと向けたのだった。

恐らくは配下に煽てられ今以上に快楽を追求する気になったのだろう。組織の上層というのは配下がほとんどで誰も逆らわず、それを勘違いすると自身が偉くなった気になり何をしても許されると思う様になる。上層に与えられる権限と自由な裁量は管理の為になり、自由な裁量で何をしても良いがその悪影響もカバー出来る能力が要求される。カバー出来ないならするべきではなく、そして貴族の持つ権限で出来る事の多くはカバー仕切れないものがほとんだ。末端と違い、誰も管理してくれず指摘もしてくれない。その中で正しい選択をし続ける必要があり、その為には高い自制心を必要とするが、それをなくしてしまえば大抵の事は実行可能になる。しかしそれが正しい事にはならない。逆らう者が居ない状況はシステムに与えられた環境であり、自身の行為の正当性をもって証明したものではない。概念上のルールが与えるものをそれを表現した行為の実績と錯覚してしまえばもう歯止めはかからない。何をしても誰も逆らわず利益を得られる為に自身は何をしても良いのだと思う様になり、実際には管理権限として制限された枠組みが与えられているのに気づけなくなる。システムが外側から枠組みで制限をかけ、実行する者が中心からその制限の中でより良い選択をする。それが社会の中での行為の在り方だ。


そのレハネンに上手い話を持ち掛けて、予想が出来る範囲で動いてもらい、レハネンに同調する様な輩共々一網打尽にする計画に、アルヴィン第3王子が抜擢された。計画そのものは継承権争いで第1王子と第3皇子が争う雰囲気を見せ、派閥を作ろうとする段階で、レハネン伯爵の後ろ盾を求めてアルヴィンが接触するという流れが考えられた。レハネンの様な者達を集めて、第1王子派閥との争いで不利になる状況を作り出せば必ず何か仕掛けるだろうと予測された。そのためにもレハネンを第3王子派にする必要があるがそこは上手く交渉する予定になっており、仮にももし第3王子が次の王になったら伯爵のレハネンはどうなるかを連想させれば簡単に派閥に属すると思われた。

国の裏でチョロチョロとうろつき回るネズミ共を一掃して憂いを断つ。ただでさえ周辺諸国との軋轢や対処しなければならない問題もあるのに、わざわざ人為的に混乱させる要因を残してなど居られない。

そうしてネズミ共を一妄打尽にする計画は実行された。



時は過ぎ、キアランの番がやって来た。ロナン子爵らの暗躍を暴く為にキアランが囮になる話し合いがなされたのだが、キアランの父である宰相ディアスがケチを付けた。なぜ息子が死ななければならないのだと。最悪死ななくとももう表舞台に立つ事もなく、どこかで幽閉とまではいかずとも蟄居する事になりディアスは溺愛する息子キアランをそんな目に会わせたくはなかった。

しかしである。何代も続けて王族から同じ様なやり方をしてはひっかかるネズミもいなくなる。罠と分かって飛び込む酔狂なネズミならそもそも苦労はしない。

ここでディアスが折れてしまえばキアランはもう死んだも同然で、しかしキアランが役割を受けなければ皆が納得せず、誰もやりたがらない。

ディアスがついに他の者を指名し出して混乱は増し、話はそのまま流れた。

それからというもの、誰も自己犠牲の精神を出す者も居らず、そしてネズミの様な者達は常にどこかで暗躍し続ける事になった。



ある町はネズミ様な者達に悩まされていた。そこに住民とは違う色とりどりの衣装を着た男がやって来てこう言った。


「そのネズミ達を私が言葉巧みに唆して連れ出して行ってあげましょう。巧くいけば報酬を約束してくださいね?」


その提案に町の住民は喜んで受け入れた。


男は早速言葉巧みに欲を煽り、町の外に旨い儲け話があると吹聴し、この町に居るより豊かな大地で新たに村を作った方が楽な生活が出来ると信じ込ませた。

そうして男の心地よい言葉に乗せられてネズミの様な者達は男についていき、そして誰も帰って来なかった。

しばらくして男だけが戻ってきて報酬を要求したが、住民達は報酬を払うのが惜しくなり、知らぬとばかりに要求を突っぱねた。ケチのつけようはいくらでもあった。本人がどうか分からない、証拠はあるのか、そんな約束はしていない。どの様にも言い様があった。

男は心の中でこう思った。


(ああ、こいつらも結局は連れて行った連中と同じでネズミの様な連中なのだ)


男はこれ以上何を言っても無駄だと分かり、そのまま去って行った。住民達は報酬を払わずに済んで大喜びだった。


そして月日が経ったある日、ある男が町に訪れた。男は言葉巧みに町の住民に話し掛けた。


「皆さんはとても素晴らしく尊い者達です。普段から厳しい戒律を守り、真に素晴らしい。しかしです。戒律にこだわり過ぎていませんか?今よりもほんの少し自由に生きて見ませんか?その程度ならきっと神様も許してくれます。なぜなら皆さんは敬虔な信徒なのですから。ほんのちょっとばかりご褒美を貰っても良いのではないですか?」


男はそう吹聴して周り、町の住民たちも初めは何事かと思っていたがやがて男の言う事も少しは聞いてみる価値があると思い、話を聞いている内にだんだんと確かにそうだと思える様になってきた。

普段から戒律を守り、何も問題なかったのだ。ほんのちょっと戒律を緩めた位で何か起こるとは思えない、と住民達は思う様になって男のいう事に従う様になった。


そして月日が経ったある日、旅人が町を訪れた。そこには昼間から酒を飲みろくに働く事もなく自堕落に過ごす者ばかりが居て、かつての様な人々は居なかった。




「というような事は起きるのじゃろうか?」


「なるほど。誰も見ていない所で悪事を成す悪人達を欲を煽って町から追い出すという話ですか。」


「概ねそう。」


「言葉巧みに都合の良い話で他者を操ろうとする事を『笛を吹く』と表現する事があります。『言葉巧みに都合の良い話を話術で』という抽象概念を理解出来ない者にも簡単に分かりやすく伝える為に用いられます。笛の音が心地よく耳に届き、思わず踊ってしまいたくなる若しくは踊ってしまう事に起因します。その笛の音を聞いて踊りたくなる、ここでの『踊る』は音に操られるかの様に『踊りだす』事を意味し、言葉巧みに誘導されて操られるという意味を持ちます。

実際にそんな旨い話はそうありませんが、もしかするとと思わせ、そこに欲を刺激する何かを付け足す事で相手に旨い話があると錯覚させる方法が良く行われます。『あなただけ特別』、『今回限り』、『もうすぐ売り切れ』などの特別だと言われて優越感に浸る場合や今を逃すと後になると相対的に損失を被る可能性をチラつかせて焦燥感を煽る場合などやり方は様々です。


私達は役割分担して社会を形成します。自身がしていた事の一部を他者に委任するやり方で多くの作業を他者へ委任します。しかし社会を継続して形成している状況で、私達は忘れます。やがてなぜルールがそう決められたのか、役割がどんな条件が成立しているから問題なく分担出来るのかを忘れて、形に見える行動のみが役割だと思い込みます。ルールがあってもそれが何の為にあるのか良く分からないが従っているだけなので、ほんの少し破った所で問題ないと思い行動します。些細な欲望を満たす機会はどこにでもあります。役割分担しますが常時監視は出来ない為に、本人の自制に役割をどれだけこなすかは依存します。この『ほんの少し』という考え方に問題があります。ほんの少しとはどれだけの量でしょうか。それは絶対量ではなく相対量であり、現状を僅かに劣化させる量です。

ここではマイナスを劣化や低下させる量だとします。物の見方ではマイナスが1つ目でプラスが2つ目であるため、マイナスを上昇や増加へ、プラスを下降や現象に割り当てます。これらは結局は皆の共通意識での取り決めに過ぎません。しかし、同時に全体との整合性が必要なものでもあります。このプラスマイナスの考え方を錯覚させて逆に思わせる方法は行われますがその問題についてはここでは割愛します。

それが例え|-[マイナス]1だとしてもそれが全体に与える影響を考慮しない場合に問題になる可能性があります。この場合は『ほんの少し』なので10という総量に対して1という値でないでしょう。1000や10000という値と思われるものに対して行われているとは思われます。しかしそれは相対量です。現状から見て『ほんの少し』の量を判断します。そしてそれが問題ないと思うなら実行されます。その問題ないと判断する知性の程度で実行出来るかは変わり、また、どれだけ自制出来るかでも変わります。

それが個人の家にある食料なら貯蓄量も分かりやすく消費により現象する量で未来の予測が出来るのでそれがもし『ほんの少し』でも悪影響があるなら実行しないでしょう。しかしそれが集団の貯蓄になると話が変わります。全体量が分からず、例えそれが食料で目に見える形をしていてもどれだけあれば目的に支障がないかを判断出来なければ全体量が分からないのと変わりありません。そうなると確実に足りないと判断出来る状況でなければ、『ほんのすこしだけ』と気づかれないなら多めに配分を貰おうとするでしょうし、また、確実に足りないなら保身の為に多めに貰おうとするでしょう。

『ほんの少し』という相対量は絶対量において基準を満たせるだけの量が確保出来ているかで影響が変わります。私達は食料を得なければエネルギーを確保出来ずに死ぬ事になります。それが短期間でも死ぬに至るだけの時間であれば問題になります。一時的にその様な状態に陥れば、他の期間でどれだけ多くの食糧を手に入れる事が出来たとしても死ぬ事に変わりなく、継続的に得続ける状態を維持する必要があります。

しかし私達は継続された環境の中に居て、その恩恵を受けながら生活する事で、その生活を基準に考えてしまいます。現状において大した問題なく生活出来ていると、やがてどうやってその状況が作られているのかを忘れ、現状がたいした労力もなく維持出来ると思い込み、多少環境が悪化してもその時に戻せば良い程度に思います。そこには個人から見た自身の行動の影響のみが考慮され、その個人の考えで全体が行動した時の悪影響の総量は考慮されていません。

しかしもし個人が自制したとしても、他の誰かは自制しないとするとそこに差が出来、ルールを守る者が損をします。しかしルールを守る側までルールを破る側と同じ様に行動すれば悪影響は更に拡がりやがて問題は簡単に発生し、大きくもなるでしょう。私達はコントロールできる範囲で、ルールを決めた後に、ルールを守るためのモラルやマナーが低下して基準を満たさなくなると引き締める繰り返しにより、最低限守らなければならないモラルやマナーを身に付けていきます。勿論最初に決めたルールを守れるモラルやマナーを維持出来れば問題ありませんが、それが出来る者は少なく、そしてそういった者は差を付けられ競争に負けて居なくなる傾向を示します。

ルールがなぜ存在するのかの根拠を理解出来ない知性の低い者が含まれる集団は、結果として基準を満たしてはいるが同時に基準を満たす事しか出来ない様なモラルやマナーで行動する下限を維持する状態を作り出します。社会のルールでそれ以上下限に下がる事を防ぎますが、ルールを守る構成員が基準を下回ろうと利己益を求めて行動する状況になります。

本来求められる状況というのは基準を決め、それを達成し更なる高みに到達しようとして社会の品質を出来る限りの上限まで上げていく事です。社会の質を上げる事で収益量は増し、個々への配分も増す、その繰り返しで社会を向上させていき上限へと辿り着かせます。そして上限とはそこに属する構成員の質により決められます。大きな物理的手段を用いて争わない者達なら軍隊は必要なく、物理的手段で物事を解決しようとしなければ警察や衛兵の様な役割も要りません。盗みを働かないのならやはり警察は要らないでしょう。相手の事情を考えずに強引に行動して問題を押し付けようとしなければ裁判所などの調停機関もあえて常時設置する必要もありません。それらの管理コストを省く事が出来れば、省いた分を研究費や設備投資や生産活動に回す事が出来、そしてどの様なものも線形に比例して成果が出るものではありませんので、生産活動をしても基準を満たして問題ない総量が得られればあえてそれ以上を行なう必要がなくなり、1人当たりの負担は減ります。


現状を基準として大した苦労もなく実現している実感があるともう少し位なら構わないだろうと思い込みます。するとその『もう少し』を実行した後の環境が基準になります。そしてまた思うのです。『もう少し』と。

それを止めるには全体を把握する必要があり、それだけ知性が必要になりますし、知性を育む生活をする必要があります。全体が分からないから相対量だけで判断し、その相対量を快感原則に則って徐々にと値を下げていく方向へと繰り返すのを止めるには、実際に問題が発生するか知性でその状況が訪れる事を予測出来る必要があります。予測するには問題なく環境を維持出来る基準を把握する必要があり、その情報を得る必要があります。それをするにはルールの根拠を知って整合性を得て枠組みがどう出来ているかを知り、更にそのルールの根拠が漠然とした基本的なものであるなら更に大きな枠組みを知る必要が出てきます。

そしてその試行はほとんどの場合失敗します。1個人の精神で、それまでに積み重ねられた歴史とそこに生きた者達の経験と知識から生じる結果を全て把握する事は出来ません。しかし、その試行により断片的には整合性が得られたり新たな知識を得たり出来ます。その試行の結果、やがて断片的に集まった小さな整合性を持った知識がある時にまた同じ試行を行った結果、新たな経験や知識を得る事で足りないピースが嵌る様に小さな塊だった知識同士に整合性が作られて今までとは違う、その整合性が得られる前の知識単体では得られなかった1つ上の視点で物事の判断が出来たり、新たな可能性を見出したりします。これを"閃く"と表現します。

整合性の取れない知識同士に繋がりが出来る事でより多くの可能性を選択肢にする事が出来る状況になり、世界が広がる感覚を得ます。

知性を育ませるにはこの感覚を得られる様に教育する必要があります。今まで分からなかった事が分かる様になる、今まで出来なかった事が出来る様になる、その喜びを実感させて、親が指示しなくとも自身で何かを学んで知性を育む様な性質になる様に子供を導くのが教育です。暗記させる事が教育ではなく、教育の一側面として暗記が存在する事を忘れてはいけません。閃く為にはその断片的な部品が必要であり、覚えていないものは部品になりません。ですので暗記させて部品を増やし閃くための要素にします。しかし現状の様な、形に見える評価方法を使うとその評価における答えもカンニングと同じ様に暗記するだけで済み、閃く必要がなくなります。個々の知識を10個覚えなければならないなら10個覚えるだけの容量を持てば良いだけになります。

そうして、整合性も持たず、整合性に割り当てるべき容量も他の知識の暗記に使い、つながりのないままの知識を溜めこんで物事に対処する者達が現れます。整合性が無い為に、矛盾した事も行え、しかしマニュアルの様に実行するので、知性を育み整合性を持とうとする者よりも早く行動出来、競争に勝ててしまいます。それが間違いであると明確に指摘されない状況では、暗記に頼り整合性の少ない者の方がより早く行動出来ます。それは大きなマトリクスと小さなマトリクスの演算量の違いとも言えます。

そして自身の中で明確に分かる程の大きな"閃く"というものを体験した事がない者にとって、"閃き"というのは、ある時、突然何か思いついたものの様に見え、そう思い込みます。これは、解明されていないメカニズムがあるものに起こる錯覚であり、重力を考えれば分かりやすいかも知れません。重力はまだそのメカニズムが解明されておらず『何だか良く分からない』ものです。ですからその目に見えない力が発生した時、その力が突然そこに現れたかの様に思い、また、そう扱うしか出来ず、対症療法の様な対応しか出来ません。誰かにとっては解明した後の感情や概念も誰かにとっては未だ解明されていないものである可能性が常にあります。


そうした者達はルールの根拠を自身の手で解明、つまりは新たに覚える若しくは忘れたなら再認識していない為に『何だか良く分からない』ものを外から眺める事になります。ルールの表現になる他者の行動を見て、その誰かはルールの根拠を知って状況判断して行動していますがその行動だけを真似て同じ事が出来ていると錯覚します。そして、ルールの根拠が知っている者が状況に応じて行動を変化させるのを見て、それ位の変化は自由にして良いのだと思い込みます。そして状況判断もなく自身の欲求を満たす為に行動を変化させ、最低限の行動はしていますが、余計な付け足しを行う事でルールの根拠を満たさない行動を行う様になります。


しかし常時監視出来ない為に、皆が行った結果からしかその行為を推測するしかありません。予想よりも資源の減少が多いなどの状態が残され、その結果を見て原因を探る事になります。既に原因が判明しているものはそれに適した対策を行えますが、原因が判明していないものは対症療法的に対策を行う事になります。食料を一定量持ち出す場合には、その量を越えて持ち出せない様にすれば対応出来ます。

例えば、ある部屋に入り食料を持ち出すとして、その部屋に入る際には大きさの決まった籠しか持って入れないとすれば、余分に持ち出すのを防げます。しかし、この場合もルールを守ろうとしない者がいる為に、次は物を隠せるだけのゆったりとした服を着てくるなどの方法を考えてくるので、次は服装を定義する、という様にルールを追加する事になります。しかし原因が判明していないものについてはこういった対策を取る事が出来ません。

最初は誰かが多く持ち出していると思っていたとして、実は部屋の隅に穴があり、そこから小動物が持ち出していたがその穴が気づきにくい所にあったので、何が原因か分からない場合、可能性のある物事に対策を取って状況を確認するしか手がありません。誰かが誰も居ない時に盗んで持ち出していると思うなら夜番を置いたり、鍵をかけたりするなどで対処します。


その結果としてどうにも役割分担する中で、誰も見ていない時に不正を行う連中が居るという結論に至ったとします。普段はまともに見える様に行動するが、誰も見ていない様になるとネズミの様にコソコソと悪事を働く連中が居ると判断し、その数が多くなった時にこの話の様に対処する事があります。

そういった役割分担における最低限のルールを守る事も出来なくなった者達というのは、最初から集団社会の中に居らず、成立過程を知らないか若しくは忘れたかのどちらかになります。なら、そういった悪事をするとどうなるかを教える為にも、もう一度血の引き締めとして一から作らせて体験させる為にその者達の示す、欲深い性質を利用しておびき出して追い出します。

それをチーズでネズミを誘い出して罠に嵌める様なものとして行う事で、つまりは都合の良い夢を餌にして、欲深い者がそれに釣られて誘い出される様に仕向けます。

この話の方法ではそうやって誘い出された悪人達は、自分達でもう一度村を作る所からやり直し、自分達の悪事が自分達の属する社会にどれだけの悪影響を与えるかを実感し、成功すれば村を作って生活出来る環境を手に入れ、かつての悪事を反省してもう一度やり直す事になりますが、失敗すれば死ぬ事になります。しかし、かつて居た村や街はそもそもそうやって成功した後の結果であり、その結果を維持するためのルールを分かる事もなく、悪用して悪事をしていたのですから、当然の結果を得たと言えます。

しかし同時にその方法を用いる者達の能力も試されていると言えます。単に自分達が自分達を管理出来ずに自堕落に数を増やして食料問題を起こし、足りない食料を解決する為に誰かを追い出すという方法を選択した場合には、既にその場所はかつてのルールを忘れており、いずれその場所でかつて村や町を作る際に生じた争いを再発生させるでしょう。


勿論、こういった方法でない、通常の移民もあります。災害なども含めて受動的な立場で食料危機に陥った時に、誰かが犠牲にならなければならない時の1つの方法として、リスクが高く賭けに近くなりますが、開拓民として旅立つ場合があります。勿論災害などがなくとも現状の環境では役割もなく食料も手に入りにくい環境になっていた場合、その困窮した状態が続けばいずれ死ぬ事になるのが分かっているから開拓民として旅立つ場合もあります。しかし同時に、先程言いました様にそこに居る人物達の性質が卑しく、誰かを追い出す事で問題を解決しようとするなら、誰もあえて損な役割を受け入れる様な行動はしないでしょう。それぞれが耐え切れなくなる寸前まで耐えて誰かが耐え切れなくなり消えていくのを待つ状況になります。


そしてこの方法を行った場合、もし誘い出されたネズミの様な者達が生き残った場合にはその者達が錯覚すると問題が更に発生します。苦労を体験して反省していれば良いですが、そうならない者も存在する可能性があり、そういった人物は、かつての餌で誘い出して追い出すという方法を、その根拠を知らないままに真似て良いのだと思う様になります。また、かつて自身にその方法を行った者達を、自身に労苦を押し付けた相手と思い恨みます。それが逆恨みだとしても、嘘と言える夢に誘い出されなければ受ける事のなかった労苦を受けた事で、仕返しを考える様にもなります。

そうなると行動は同じでも根拠は違う為に、それを判断する必要が生じ、そしてその根拠はその状況からかなり離れた位置や時間にあり、根拠を知る事が困難になり、混乱していきます。」


エールトヘンは締めくくる。


「どの様な問題も発生させてから対処したのでは次善の策と言えます。その原因を追求して解決出来れば発生した問題による混乱を未然に防ぐ事が出来ます。その結果は現実として起こらなかった出来事を含めた結果として存在し、日常がそういった問題を起こさず未然に防ぐルールから成り立っているのを知る必要があります。ルールの根拠を忘れて行動すればルールの効果も薄れ、いずれ未然に防いでいた問題を再発生させる事になるでしょう。自身がその原因とならない為にも、さあ、今日も頑張りましょう。」


実話の方は、残っていた手記は恐らく、誰かに唆されて集団で犯罪行為に加担、もしくは何かの争いに参加して敗者になり処刑された、というものでしょう。


それを上書きするためかどうかは別として、話の方は、ネズミも人間を指し、ネズミの様な性質の者達が町を荒らしていたから飛びつく様なうまい話を用いて追い出した、というのが妥当な解釈でしょう。そしてその後に子供達を連れて行きますが、報酬を払わない卑しい存在に、既に町の住人がネズミの様な性質の者達と同じになっていて、いずれ唆されて居なくなるという解釈が出来ます。


うぃきさんの解釈で読み解くなら、宗教に頼って悪人を排除してもらった時に感謝こそすれ謝礼を払う事もなかった後に、その貸しを持ち出して利己益を満たそうとした宗教家が居て、宗教の信用を使って上手い話の様に見せかけて開拓民として連れて行った、という解釈になるでしょう。


『溺死』のキーワードですが、『世間の荒波にもまれた』という表現もある様に、過酷な環境で誰も生き残れなかった、という意味でしょう。


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