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S086 マッチ売りの老男老女(前編)

今回も魔導学は適宜何か自分の読みやすい言葉で置き換えてください。これ一応ファンタジー小説なんで。

長いですので適宜休憩を・・・。

文字数制限により086~088でセットです。


イアンソンは今日もテンション上がりまくっていた。そうしなければならない。そうしなければならないからだ。何が何でもそうしなければならないのだ。


イアンソンは儲け話を思いつき、それを周囲に勧めていた。しかし周囲の反応は芳しくなくイアンソンが何度勧めても断りの返事が返ってくる。イアンソンは上手くいくと思ってかなりの額を投資して準備を整えた。しかしこのままでは原資の回収すら出来ない。


だから。


儲け話で儲かっている様に見せなくてはならない。そうすれば誰かが『あの儲け話は本当だったのかも』、『へえ、羽振りが良いな。なんか旨い話でもあるのかな』と興味を持ってくれる。実際儲かるのだ。この話さえ上手くいけば。


だから今日もイアンソンは上機嫌に振舞う。



ケビンは今日もテンションが上がりまくっていた。そうしなければならない。そうしなければならないのだ。


ケビンは儲け話に飛びついた。この超高級香水は売れると言われて実際使ってみたらそこそこ良い様に思えたからケビンは大量に購入して皆に売りさばこうとしたのだが、思ったより反応は薄く、ほとんど売れなかった。そうなると困るのはケビンである。貯金のほとんどをはたいて購入したのだ。売れてくれないとすぐに貯蓄が底を尽き生活にも困るだろう。


だからケビンは皆に熱心に勧めたのだ。最近では皆がケビンの顔を見ると嫌な顔をするがそんな事を気にしてはいられないケビンは今日も香水を付けながら機会があれば事ある毎に香水の宣伝をする。話の中で。場合によっては話していなくとも独り言を聞こえる様に。


「ああ、今日もこの香水は良いな。すごく良い匂いがする。ああ、こんな良いものを知らない人が居るなんてなんて不幸なんだろう。」


そう言うケビンを通りすがりに見る者が居る中で、ケビンを知る者は『またか』と思いながら通り過ぎ、ケビンを知らない者は首を傾げたり、何をしているのかと様子を見たりとするが、当然ながら誰も話し掛けようとしない。しかしそれでもケビンは止めない。


「ああ、今ならすぐに手に入るのに皆、惜しい事をしているなぁ。こんな香水滅多に見つけられないのに。」


そうしてケビンは今日も香水を自分で使いながら香水が飛ぶように売れる夢を見る。



ロージーは成績が悪かった。商品を売りさばく為に努力はしているのだがそれでも到底ノルマに届かず毎月上司から怒られた。この調子だとクビになりそうだと不安になりながらもようやくノルマに届きそうな月があった。それが良くなかったのかもしれない。その時に素直に諦めていれば良かったと今ではそう思うロージーが居た。

その後少しの成績が欲しくて、もう怒られたくなくて、クビになりたくなくて、ついロージーは自分で商品を購入した。するとどうだろう。ノルマを達成した事を喜ぶ上司が居た。若干の負い目を感じつつロージーは上司に怒られなくとも済んで安堵したのだが、それ以降、上司は『がんばって前の様にノルマを達成してくれよ』と言ってくる様になった。その度にロージーの良心は苛まれ、また、ノルマに届かない成績にも苦しめられた。

そうしてまた選択の時がやってきた。今月もノルマに届かなかった。そしてそろそろこのままではクビになりそうだ。でも、そんなに使わないものをまた購入してどうするのかと言われても自分でも答えられないが、買わなければ恐らくクビになる。ノルマに足りない分なんて、いつまでも自分で購入して補填などしていられない。使う使わないの話ではなく、そもそもが売って利益を得る商売なのだ。利益を得るには大量に売らないといけない。そんなものそこから得られる利益の一部を収入にしているのに賄いきれるはずがない。それでも、買わないとクビだ。でも買うと収入の大半が消える。でもクビになるとその収入すら入らない。でも買うと生活費も残らない。でも買わないと・・・。


ロージーは独り佇む。



ロージーは成績が悪かった。商品を売りさばく為に努力はしているのだがそれでも到底ノルマに届かず毎月上司から怒られた。ある時、どうにかノルマを達成出来た時に上司に『やればできるじゃないか』、『次もこの調子で頼む』などと言われ、それからというもの『頑張って前の様にノルマを達成してくれよ』と言われる様になり辛い日々を送っていた。そうして今月も悩む。成績を水増しする為に商品を自分で購入していたのだがそれも難しくなり、でもクビになるともうどうしようもないので仕方なく購入していたが今月は不況の影響かとんでもなく成績が悪くこの調子だとクビだと言われるだろうと考える。だから、ローンをしてでも多めに購入しなければ恐らくクビで、でも生活費すら苦しいのにローンなんて払えない。でもそうしないとクビになって収入がなくなる。でももう使いきれないだけの商品が部屋に積まれているし生活費すら苦しいのにローンなんて・・・。でもローンしてでも買わないとクビに・・・。でもローンが・・・。


ロージーは独り佇む。



ロージーは成績が悪かった。商品を・・・。



帝国の都市サスキアで深刻な問題が発生した。


サスキアでは珍しく都民を対象に保険証を配布していた。サスキアの民は苦しい環境に長年あり、怪我も病気も絶えなかった。怪我して働けなくなると生活すらままならなくなり元の生活に戻る事すら難しくなる。そうなるとサスキアにとっても損失となり、同胞の脱落はそれだけ他の勢力を強める事になる。そうならない為に優秀なサスキアの民を支援する為にせめて治療費だけでも肩代わりして、サスキアが栄えた利益で賄おうと思い始めた制度だったのだが・・・。


保険担当のギディオンは頭を抱えた。まさかこんな事になるなんて、と思わずに居られなかった。保険証制度は初めはうまくいくと思われた。怪我をした時に治療費の大部分をサスキアが負担するのだ。生活も苦しい状態では治療費も払いにくい為に怪我や病気をした者からは喜ばれ、完治すればまた元の作業場へと戻って行ったのだが、中には仲間意識が薄く自分の事しか考えない者が居て、悪用しはじめたのだ。

保険証を使えば銀行から預金が引き出せるかの様に、都市の財源から金銭を引き出せると思い、保険証を使う者が出始めたのだ。保険にかかる費用の実に9割を負担する制度になっていて、つまりは1割の投資でそれが10倍になると錯覚した者達が居て、ちょっとした事で保険証を使い治療費を都市から引き出して、自分の属する集団の医者に収入として得させる。そうなると少ない投資で多くの利益をもたらしたちょっとしたヒーローだと思う様になり、偉そうに保険証を使うのだ。医者からバックマージンを貰い、周囲からは褒められる。彼らは都市の財源が無限にあるとでも思っているのだろうか。医者にかかるというのは損失を生み出す事であり、利益はどこからも発生していない。内部で流動する中で相対的に利益や損失と呼ぶだけだ。外部から利益を持って来ずに内部の分配を掠め取るに等しく、悪用すれば制度自体が崩壊して誰もその恩恵を受ける事が出来なくなる。

だが彼らはそれが分からない様で、確かに自分の前には自分の行いで利益が舞い込むのだ。それも楽な方法で、誰でも出来る方法で、いつもの様な労働も無しで。医者と患者がグルになり都市から金を巻き上げる、とんだ強盗団だ、とギディオンは思う。

それに歳を取ればどこかに異常が出てくる。そうして医者にかかる老人達が多くなり、普段は周囲からチヤホヤされないのに、保険証を使うと周りがチヤホヤしてくれるから浮かれて打ち出の小槌を振る様に、無限に金が出てくるかの様に保険証を使いたがる。確かに病気なのだろう。確かに古傷が痛むのだろう。だが、それを理由にかからなくて良いはずの医者にかかって都市に負担をかければどうなるかも分からないのだろうか。そんな事を考えるよりも相手して貰えて嬉しいとか偉くなった気分がするだとかの方が優先するのだろうか。自分達がそうやって快楽を貪ればそのツケが子供達に押し付けられるという事も分からないのだろうか。そのくせ、自分の子や孫の世代に自分達が頑張って働いて来たから今のこの都市があるんだぞ、と言っているのを見かける。彼らは一体何をしたいんだろう。


ギディオンはこのままいけば保険制度自体がなくなる事は分かりきっており、そのきっかけになるこの収支報告書を議会に提出すると考えるだけで胃が痛くなるがどうしようもないと割り切り報告書を上司の元に運んだ。



ゲンゼリオンは大型テーマパークを建設する予算をもぎ取った。媚び、接待、イメージの粉飾、費用対効果の水増し、承認を得るための賄賂、なんでもやった。そしてついにもぎ取ったのだ。さて、この利権をどう使えるか精査しなければならない。使った金を回収し更に利益を生み出すのが目的だ。利権を得られなければやる価値がない。国からもぎ取った予算を"誰に"委託するかで利権が発生する。丁度、ゲンゼリオンがしたように。

そして国から貰った予算を使って需要を発生させ、仲間に、賄賂を渡した者に、金を供給する。勿論賄賂を多く渡した者が優先であり多少のコスト増は何か理由をつけて承諾する。コスト増でも構わず、自身の懐から出る金ではないからむしろコスト増になる事で賄賂の額が増えるなら望むところであったりする。多少比率の悪い換金システムだ。国の予算という公金を個人の財産という私金に換金するシステムであり、私金の比率が上がる重要性に対して公金が上がる重要性など無きに等しく罰せられなければ気にする事でもなく、受け取る側からすれば私金が多くなるレートは効率が良くなり受け入れやすく、渡す側からすれば多少の賄賂の増加は必要経費でしかない。公金の量と私金の量では公金の方が遥かに多く公金が多少上昇した所で私金が上昇した時の影響程に倍率に影響を与えない。公金10000に対して私金100がレートとして私金を100上乗せされるが公金が1000上乗せされたとしても公金はそれほどの影響はない。しかし私金はどうだ。実に2倍だ。そこまで上昇しなくとも20でも30でも増えれば増えただけ換金率は上昇するのだ。

仲間ではない者から仲間へ、賄賂を渡さない者から賄賂を渡す者へ、偏らせる事で利益を生み出し、そしてその利益で他者との差を作り出し、その差で更に譲歩を引き出す。賄賂を嫌う者は微差でも競り負けてしまえば良く、賄賂を渡す意思がある者にどうにか理由をつけて勝たせる事で、賄賂を嫌う者を不利な状況へと追い込み退場させて、その後でどれだけ賄賂を渡すかを競わせれば良く最初から欲を出そうとするから気づかれる事になる。まずは場を整える事が肝心で、誰も密告しない状況にしてしまえば後はどれだけの利益が得られるかだけを考えれば良くなる。勿論、そうやって長年続いた状況の中でもぎ取った利権なのだとゲンゼリオンはほくそ笑む。


誰しも楽がしたいから、賄賂を贈ってでも受注しようとする。受注出来ない事で逃す利益と賄賂の額を比べて、想定されている利益から賄賂の額を引いたものが利益になるのだ。たったそれだけで利益が確定するなら安いものだ。同じ技術力の同業他社に奪われる事もなく確実に受注できる権利を対価を払って取得するのだ。何の問題もない。勿論、1集団だけがするのではないとしても、そこには賄賂を贈る側と贈らない側の差が出来、その時点で篩にかけられ残る者がより受注しやすくなるのだ。いわゆる特権だ。賄賂を贈るという素晴らしい慣習を受け入れた者だけが選ばれる権利を得るのだ。全く素晴らしい。

そして後で追及されないように媚びて従う者を次のポストに据えれば完成だ。自分もグルだからそれが問題になっても追及出来ず、同じ様に利益を得る事しか考えずに行動するからわざわざ追及しない。そもそもが『私の後(で同じ様に利益を得るの)はお前だ』と言って後任になる者を選んでいるのだからわざわざ自分が同じ様に利益を得る状況を自分の前任者を追及して台無しにするはずもない。

出来たテーマパークの後の事など知った事ではなく、既に利権を使い尽くした搾りカスなのだからありがたがって媚びるなり賄賂を渡すなりした者共で運営してどうにかすればよい。私の用はその時には済んでいるのだから。



ヘンリックは議会の皆に名案を出した。いずれこの街は賑やかになるから今の内に道や下水道を整備しよう、と。

ヘンリックの案は皆に好意的に受け入れられたが一部それを良しとしない連中がヘンリックの言葉に難癖を付けた。


「どこからそんな予算を?それに維持費はどうするんだ。ちゃんと考えているのか」


それにヘンリックはこう答えた。


「道が整備され人の行き交いが増えれば自然と賑やかになり収入も増える。そうなれば維持費などそこから出るさ。現に隣の街を見れば良い。あれだけ道を整備してもちゃんと運営出来ているだろう?」


ヘンリックの答えに問いを投げた議員は更に問いを返す。


「しかしこの街がそれでうまく行く保証はない。そもそもなぜそこまで急ぐのだ。」


するとヘンリックはこう言った。


「あなたがたも隣街の反映を羨ましく思っているはずだ。あちらだけにずっと良い思いをさせておくのか?それはいささか思慮が足りないのではないのか?私達も同じ様に良い夢を見るべきだろう?」


そのヘンリックの一言に元々賛同していた議員は拍手をして応援し、その鳴りやまぬ拍手に少数である反対派議員は黙る事になる。こうなった以上は"うまくいかない"証拠を突き付ける以外に阻止する方法はなく、その証拠となる具体的な事例を知らないから突き付ける事も出来ない。そして悪い事に成功した結果だけは隣街にあるのだ。だからと言って同じ様にこの街が成功するとは限らず、もし失敗したら最悪は破滅だ。現状でそこまでしなければならない程に困窮しているわけでもない状態で彼らが何かと理由をつけてでも行おうとするのは利権が手に入るからだ。何もしなければそこに予算は動かず利権は発生しない。なら利権が発生する様に動かし続ければ良いのだ。都合の良い実績をどこかから持ち出してきてさも同じ様になると錯覚させて予算を引き出せばそれで利権を手に入れる事が出来る。その後は複雑な条件によって結果が生まれるのだから、上手くいかなかった時はどこかに都合の良い原因を見つけて自分の発案や計画に問題があったのではなく不幸な出来事や誰かの妨害や失敗があったからだと主張すればよいと考える。同じ利権を貪った仲間同士で庇い合えばそれで大抵はどうにかなると思い込んでいる。そうやって予算を食いつぶし必要なものへの投資は出来ずに原資をすり減らし、かつ無駄な維持費に利権を見出し縁故採用し予算を圧迫させ実際に問題が発生した時に対応に必要なリソースを失わせる。それが分かっていても、利権を得る為、欲望を満たす為に止める事はなく、それが得られるからこそ彼らは議員になっている。

議員として何か行動を起こす時には権力が必要であるしその基盤となる財力は必要だ。議員として街を良くするために多少の融通は許されているが彼らはその自由を私利私欲のために使い街の発展には使わない。見た目確かに街は発展しているかも知れない。しかし継続出来るかどうか採算が見込めるかどうかは関係なく、利権により私腹を肥やす事しか考えていない。雇用を増やせば人を選ぶ利権が、設備を増やせば作る者を選ぶ利権と維持の為の物資と要員を選ぶ利権が手に入る。そして見た目発展している事が問題で、そこには本来実施すべき政策がなく負債を抱えてでも利権を生み出す選択がされ続けるから財政基盤がより脆弱になっていく。街を使い捨ての濾過器に見立て利権で食い漁った後は別の場所へ、と考えているのが透けて見える。合法だから許されると考えているがそもそもが街の発展に寄与する気もない者が議員をやっている事に問題がある。


そう思う反対派議員達を余所にヘンリックと賛同者はお互いに計画を褒め称え合いまだ採決もしていないのにどう実行するか、つまりは誰がどの様に利権を得るかを話し出すのだった。



スティーブは『もう少し、もう少しだ』と思いながらもう数年はやってきた。本当にもう少しなのだ。職務を務めあげるまであと数年。そこまで来たのだ。務めあげれば恩給が出て老後の暮らしは安泰だ。それまでに辞めると大幅な減額か最悪は貰えない。だからなんとしても最後まで勤め上げるのが最低条件で、ただでさえ世の中世知辛いのだ。恩給も受けれずに仕事が失くなれば途方に暮れるしかない。この歳で他の仕事などどこも受け入れてくれるはずがない。


だから仕方ない、とスティーブは行動する。若い時はこんな事をしなくても何とかなったが歳を取るとどうにも厳しくその焦りと後少しで恩給が貰えるというもどかしさがスティーブにラインを越えた一歩先の行動を取らせた。上司に、場合によっては将来有望な若者に媚び、おこぼれを与かる様に簡単で楽な仕事を貰う様になった。他の者より優先して仕事を回してもらえるようにサービスは勿論の事、便宜を図ったりもした。そういったほんの小さな事で恩給を貰える様になるのだと思うとスティーブはこれも仕方ない事だと思うしかなかった。年若い同僚はそんなスティーブに顔を顰めるなり露骨に避けるなどし、スティーブよりゴールに近い同僚は同情的な目線でスティーブの行動を見ていた。スティーブからしてみれば彼より上のまだゴールしていない同僚は元々能力があったし、スティーブと同じ事をしないのも頷けた。そもそもがスティーブもこうなるまでは自分より下の既に辞めた同僚が今のスティーブと同じ様な行動をしているのを見てプライドはあるのかだとかそうまでして残りたいかなどと思って来たのだ。見下す半分同情半分だったのだが今のスティーブならその心境が理解出来た。

あいつらも『後少し、後少し』だと思いながらだったんだろうなとスティーブは思いながらも帰所した上司のごますりに伺い、コートを受け取り鞄を持って後ろを歩くのだった。



ミルトンは思う。世の中生き残った者が勝ちだ、と。いつだって生き残りをかけた競争なのだ、弱肉強食で何が悪い。


最後まで勤め上げれば退職金を貰い年金に与かれる。そうなれば勝ち組だ。ゴールまで走り抜けたのだから当然賞品は貰えなければおかしい。その為に何をしようが構いやしない。条件は"40年勤め上げる"、それだけだ。採算が合おうが合うまいがとりあえず仕事を作り続ける。そうすれば働いているのだから利益は当然得てよい。その結果が損失にしかならなくとも良い。なぜなら俺たちは働いたんだ。その対価は貰ってよいのだ。新しい奴が来れば誰かが出て行かなくならなくなるから罠に嵌めて評価を下げて追い出すし、追い出すまでは失敗につけこんで良い様に使い回す。仕事は皆でなあなあでやって皆が40年勤め上げれる様に責任はうやむやにしてしまえばだれでも40年は勤め上げれる。損失どうこうと他人の揚げ足取る様に騒ぎ立てない者だけでやれば大抵はうまくいくのだ。仲良くやる奴だけで教え合って、『どうやって採算を取るんだ』だとか『先の事を考えているのか』などと皆がうまくいっている時にグダグダと輪を乱そうとする奴を追い出せばそれで万事解決だ。今、俺たちに仕事が必要だからやるのだ。それ以外に必要ない。旨い飯を食うために今仕事が必要なのだ。そうやって40年勤め上げればゴール出来てその後は年金で優雅に暮らす。年金さえ貰える様になれば後の事などどうでも良い。ゴールしたのだ。その賞品は当然貰わなければ40年務めた甲斐がない。その年金の金だって後の奴らがなんとかする。なぜなら俺はゴールして年金を貰って当然なのだからあいつらがどうにかするのが筋だ。だから俺は今日も負けない。新しい奴が来れば追い出すし、グダグダとケチを付ける奴も追い出す。そうすりゃ俺の身は安泰だ。上に媚びて仕事にありつく。邪魔する奴は排除する。そうすりゃ上が仕事を作ってくれる。何の問題もない。このまま40年経てば良いだけだ。



ペリーは今日も国債を発行する採決をした。高度経済成長など過去の話で、また、その時にも今後成長し続ける事が出来るからと安易に国債を発行しつづけた結果、国の予算はそもそもが赤字、そして発行した国債の償還の為に赤字は更に増え、国債に払う金の為に新たに国債を発行する現状にまでなった。しかし、ペリーの任期はあと少しであり、それさえ過ぎれば責任から逃れる事が出来、後の事は後の奴らでどうにかするだろうとペリーは考える。そうやってペリーも引き継いだのだ。皆が皆、どうにもならない現状を『誰かがなんとかしてくれないかなぁ』と夢想し、『戦争でも起これば戦争を仕掛けた国が原因に出来るのに』とも夢想している。だから弱みを見せた国をとことん追い詰め戦争を仕掛けさせればほら無罪放免の私達が出来上がる。なぜならそうなればこれから戦費を得る為に更に国債を発行するのだ。戦争に勝つためなのだから止むを得ず採算が取れなくとも仕方がない。そうなると財政赤字は一気に加速し破綻するだろう。しかしそうなったのは全て戦争の所為であり私達の所為ではないと悪びれる事なく言い張れるのだ。そこにも戦争利権が発生するからそのタイミングだけは逃さない様にしつつものらりくらりと先輩から押し付けられた時限爆弾と言えるこの国家財政をどうにかそっと刺激を与えずに次の引継ぎ者へと渡さなければならない。ペリーのする事と言えばそれだけだ。利権を失くすわけにはいかないから何かの事業には予算を付けもっともらしい口実を付け足し、どうしてもしなければいけない事だからと口実をつけてその予算が必要だから国債を発行する。ツケにツケ倒してそのツケは国民全体に、そして利権は私達に、これが今までの慣習であり変えてはならないルールであるとペリーは教えられそして自身にも利益があるから従って来た。しかしペリーは最近どうにも困る事があり、このままでは可能性はまだ低いがこの国が弱みに付け込まれて叩かれて戦争を始める国に成りかねない。だからこそ、ペリーは穏便に今日を過ごし利権を作りながら任期を終えなければならない。もうすぐペリーも年金暮らしが出来るのだ。波風立てずに誰からも批判されない様に付け込まれない様にしてもう決まっている次の担当に渡すまでの辛抱だとペリーは考え議会を後にした。



ニール達はチラチラと周囲の様子を伺いながら世間話をしていた。ここには観光客がそこそこ訪れ買い物をしていくのだ。そういった層をターゲットに自分達の役割を果たすのが彼らの役目でありそこそこ上手くいっていたのだ。初めは。

ニール達がグダグダと世間話をしていると久しぶりの客が通りかかった。

そうするとニール達の出番だ。それとなくニール達は同じ観光客を装って話し始める。


「なあ、ここ来るの初めてなんだけどおすすめの店ってあるのかよ。」


「ああ、なんかガイドブックに載ってたけどこの店が良いんだってよ。」


そう言いながらニール達は店に入る。

気づかれない様に後ろをチラリと見ると先程の観光客もどうやらニール達の会話を聞いたからか様子見しながら店に入って来た。

ならここぞとばかりにニールの連れのデズがセオリー通りに話す。


「おお、これ、これ。このアクセサリーがなんか人気なんだってよ。チョイ、おじさん、これ一つくれ。」


「はい。25ギリルです。」


「え、これが25ギリル!?俺はてっきり40ギリルくらいかと思ったよ?いいの?」


「ええ、もちろん。良心的な商売を心掛けていますから。」


「ありがとうな。いやあいい買い物した。」


そう言ってデズが違う商品を見る為に別の場所に移動すると先程の観光客もデズが買った商品の陳列棚へと移動した。観光客を横目でチラチラと気づかれない様に見ながらデズやニール達は他の商品を見て褒めながら話す。


「おお、これもいいな。お前の彼女に似合うんじゃないか?」


「そうだな。じゃあ俺はこれを貰おうかな。」


そんな会話をしていると観光客はあまり欲しいと思わなかったのか店を一瞥した後に出て行ってしまった。


その後ろ姿を見ながらニール達は不満そうにボヤク。


「くそ!ちっとは買えよ!俺たちの行動が無駄じゃねぇかよ!それにこれどうすんだよ。おい、おっさん。返すわ、これ。」


「ああ。お前らもうちょっと上手くやってくれよ。そんなじゃ幾らも払えないからな?」


「分かってるよ!畜生。ちょっと前はもっとジャンジャン買ってたのに最近の奴と来たら払いの悪い。俺らの生活がかかってんだよ。もっと使えよな。」


そう言いながらニール達はまた店の外でグダグダと話を始めた。



エミールはチラチラと周囲の様子を伺っていた。ここには観光客がそこそこ訪れ買い物をしていくのだ。そういった層をターゲットに自分達の役割を果たすのが彼の役目なのだが。

エミールが何気に空を眺めていると久しぶりの客が通りかかった。

そうするとエミールの出番だ。それとなくエミールは同じ観光客を装って話し始める。


「ああ、ガイドブックに載ってた店ってここかぁー」


そう言いながらエミールは店に入る。

気づかれない様に後ろをチラリと見ると先程の観光客もどうやらエミールの独り言を聞いたからか様子見しながら店に入って来た。

ならここぞとばかりにエミールはセオリー通りに話す。


「おお、これか。このアクセサリーが人気とか言ってたっけ。おじさん、これください。」


「はい。25ギリルです。」


「25ギリル!?もっと高いと思ってました。」


「良心的な商売を心掛けていますから。」


「ありがとう。」


そう言ってエミールが違う商品を見る為に別の場所に移動すると先程の観光客もエミールが買った商品の陳列棚へと移動した。観光客を横目でチラチラと気づかれない様に見ながらエミール達は他の商品を物色する。


そうしていると観光客はあまり欲しいと思わなかったのか店を一瞥した後に出て行ってしまった。


その後ろ姿を見ながらエミールは不満そうにボヤク。


「ああ、また何も買わなかった。これ、返し・・・、いえ、いいです・・・」


エミールは店員にものを返して返金して貰おうとしたが店員は凄い睨みを効かせてエミールの行動を遮った。


「お前らが上手くやらないからだぞ。それで何を返すって?代わりにお前が買っとけよ。」


「・・・」


エミールはまた店の外でぼんやりと空を眺めた。



ダグラスはチラチラと周囲の様子を伺いながら世間話をしていた。ここには観光客がそこそこ訪れ買い物をしていくのだ。そういった層をターゲットにちょっとした販売支援をダグラスはしている。これでもそこそこ上手くいっていたのだ。初めは。

ダグラスは作業場で働いていてそこで作られるアクセサリーが目の前の店で陳列されており、最近どうやらあまり売れなくなっているらしくダグラスの作業場では雇い止めの噂も上がっており、その中でもダグラスのような補助要員として雇われている者を何人か辞めさせる事になると皆で当たりをつけた。そうなっては堪らないとダグラスは一計を案じる事にしたのだ。

ブラブラと観光客を装ったダグラスをいつもの奴の冷やかしかと冷めた目で見る店員を余所にどこを見るともなく暇つぶしをしていると観光客がやって来た。

観光客からすれば自分がいつもここにいる常連と言っても良い人間だとは思いもしないだろうから、ダグラスは観光客か暇つぶしに来た客かそのあたりに見える様に行動し始める。

あえて体は半身だが手元は見える様にしてガイドブックを見ている振りをアピールする。チラリと見ていた事も気づかれない様にしながらガイドブックとガイドブックに載ってあるであろう店を照合して確かめている様に見せる為、首を何度も下に向けたり上に向けたりした後に頷いて話す。


「ああ、ここか。ここに良いアクセサリーが売ってるらしいな。」


誰に話すともなく、だが周囲に聞こえる様に少し大きめに話しながらダグラスは店に入る。


気づかれない様に後ろをチラリと見ると先程の観光客もどうやらダグラスの会話を聞いたからか様子見しながら店に入って来た。


「このアクセサリー、何か良いな。これ、一つくれ。」


「はい。25ギリルです。」


「へぇ、安いね。これ結構売れてるんじゃないのか?」


「ええ、もちろん。店のお勧めですよ。」


「じゃあこれ、25ギリル。いやあ、良い物買った。」


店の店員にしてみれば時折こう話し掛けられて応対はするもなぜこの男は同じ物をしばしば買っていくのだろうとは思うが、店からすればとりあえず売れてくれればそれで良いので深くは考えない様にしている。

ダグラスが他の物を物色していると先程の観光客もダグラスが買ったアクセサリーに目を止めたのだが、一瞥しただけで出て言った。

ダグラスはその後ろ姿を見て渋面になる。せめて一個くらいは買っていってもいいんじゃないかと思い、土産なんだからポンポン2個や3個或いはそれ以上でも良いじゃないかと思いながらも、自分が買った『コレ』どうしようかとまた頭を悩ませる。元々自分の働いている作業場で作っている物だ。もう知り合いにも親にも配ったし自分は何個も持っている。仕方ないから部屋に飾ろうとダグラスは思いながら帰るのだった。



ヴィニーは買い物に来た。弱味を握られた相手に『買い物に行って来い。どうやるか分かってるだろうな』と言われたから来た。その元金は?と思いながらもそんなものを渡す相手じゃない。弱い立場だから逆らう事も出来ずにこうして色々な事をやらされる。従わないとクビだ。どうやらこの界隈の町会長と昵懇の仲らしく、最近他に客を取られがちであまり金を落としてくれないらしい。だからヴィニーをけしかけるようだ。

ヴィニーは町会長と知り合いではないから周りからサクラと疑われる事もないと考えたらしく、ヴィニーが払う金と釣られて買い物をする客の金を当てにして懐を温めるらしい。ヴィニーが上手く出来なければ恐らくはヴィニーに多くの金を使わせる気だ。だからヴィニーは必至に演技をしなければならない。


「ああ、このアクセサリー欲しかったのよね!ここに来て良かったわ!」


ヴィニーは少し大声で話をしながら買い物を続ける。さすがに周りの視線を感じるがだからこそ聞こえる様に話す必要があり、良い調子だと独りごちる。


「あ、こっちのも良いわね。あの服に合いそう。あ、こっちも。」


などとこの店は良い店だと言わんばかりに動き回り回りの視線を陳列台へと惹き付ける。そうしながらも心の中では『上手くいって』と願いそして多少は釣られる人は居るものの芳しくない。それでもヴィニーはやらなければならない。


「あ、これも良いわね。あっちの通りじゃ高かったのに。なんか得した気分だわ。」


ヴィニーの一人芝居は続く。



イゴールは祭りの指示をした。別段表立って祭りを開催するのではない。ちょっとしたサバトだ。イゴールの地区の成績は悪い。だから表面上は物流が起きている様に見せかけないとイゴールの首が飛ぶ。普段から配下の住民はイゴールの言う事を良く聞く。だからこそイゴールは今も何とか首がつながっている。

イゴールのやる事は簡単だ。報告書に記載して問題ないだけの数字を出させる事。住民にノルマを課して物を買わせるのだ。数字さえ出せば安泰だ。そうやって成績を良くすれば周囲からの見た目も変わる。すると周りは騙されてこちらが良い取引相手だと思いやすくなり取引をもちかけてくる。そこから生まれる利益で外部から収益を得て足りない資産を補填すれば良い。それに優秀な見た目になればそれだけ何かあれば話を持ち掛けられ利権に与かれる。共同体の中で施設の誘致や企画の主導など、能力が問われその手腕を期待されるがその時に少しでも成績が良いように見せておけばリーダーに選ばれ利権を得る事が出来る。そうすれば傾いた財政も持ち直せる。だからこそイゴールは今日も住民を操ってサバトを続ける。


住民達がノルマを達成する為に買い物をしているが自分達の懐から金は出ていく。そしてノルマが達成されたらほぼ平等に利益は還元される。元々少ない資産でやり繰りするにはどうすれば良いか。支出を減らし収入を増やす。収入は簡単に増えず自分ではどうにもならない要因で変動し操作も出来ないから支出を減らす。

ではどうするか。丁度住民たちはサバトに参加している。買い物は支出でありこれを減らせれば還元される利益は相対的に増える事になる。ならノルマを達成しつつ買い物を減らせば良い。

ならどうするか。


「おい、デニス。確かお前んとこに貸しがあったよな?」


「・・・ああ、そうだな。」


「じゃあ、分かってるよな?俺からは何も言わねぇ。」


「・・・」


そうしてデニスは不満を募らせながらも買い物をした。


「サンドラ。お前分かってるよな?あー、後で不幸な出来事が起こるかもなー。」


「そうそう、サンドラ。やっぱり|日頃の行い[・・・・・]って大事よねー。」


「・・・」


そうしてサンドラは笑顔を装ったまま買い物をした。


そうしてサバトは繰り広げられる。生贄を火炙りにしながら。生贄の血を啜りながら。



ニール達はチラチラと周囲の様子を伺いながら世間話をしていた。ここには観光客がそこそこ訪れ買い物をしていくのだ。そういった層をターゲットに自分達の役割を果たすのが彼らの役目でありそこそこ上手くいっていたのだ。初めは。

ニール達がグダグダと世間話をしていると久しぶりの客が通りかかった。

そうするとニール達の出番だ。それとなくニール達は同じ観光客を装って話し始める。


「なあ、ここ来るの初めてなんだけどおすすめの店ってあるのかよ。」


「ああ、なんかガイドブックに載ってたけどこの店が良いんだってよ。」


そう言いながらニール達は店に入る。

気づかれない様に後ろをチラリと見ると先程の観光客もどうやらニール達の会話を聞いたからか様子見しながら店に入って来た。

ならここぞとばかりにニールの連れのデズがセオリー通りに話す。


「おお、これ、これ。このアクセサリーがなんか人気なんだってよ。チョイ、おじさん、これ一つくれ。」


「はい。25ギリルです。」


「え、これが25ギリル!?俺はてっきり40ギリルくらいかと思ったよ?いいの?」


「ええ、もちろん。良心的な商売を心掛けていますから。」


「ありがとうな。いやあいい買い物した。」


そう言ってデズが違う商品を見る為に別の場所に移動すると先程の観光客もデズが買った商品の陳列棚へと移動した。観光客を横目でチラチラと気づかれない様に見ながらデズやニール達は他の商品を見て褒めながら話す。


「おお、これもいいな。お前の彼女に似合うんじゃないか?」


「そうだな。じゃあ俺はこれを貰おうかな。」


そんな会話をしていると観光客はニール達の期待する程には物を買わずに出て行った。買ったのは安いアクセサリーだけだ。


その後ろ姿を見ながらニール達は不満そうにボヤク。


「くそ!もっと買えよ!俺たちの行動が無駄じゃねぇかよ!それにこれどうすんだよ。おい、おっさん。返すわ、これ。」


「ああ。お前らもうちょっと上手くやってくれよ。そんなじゃ幾らも払えないからな?」


「分かってるよ!畜生。ちょっと前はもっとジャンジャン買ってたのに最近の奴と来たら払いの悪い。俺らの生活がかかってんだよ。もっと使えよな。」


「まあいいじゃねぇか。少しは買っていった。次に期待しようぜ。」


そう言いながらニール達はまた店の外でグダグダと話を始めた。

そんなニール達の事を噂する観光客が居た。


「ねぇ。面白かったでしょ?あそこ結構有名なスポットなのよ。」


「ええ、本当に居るのね、サクラって。あんなあからさまにサクラしてるの私初めて見た。ちょっと感動ー。」


「ええ、私もそうよ!裏ガイドブックに載ってるの見た時は本当びっくりしたわ。『ある意味伝統芸能』って書いてるのウケる!」


「ねぇ、でもアクセサリーは買わなくても良かったんじゃない?」


「何言ってるの。誰も買わないと店も潰れるしサクラも居なくなっちゃうじゃない。ほんの少しおひねり出したってだけよ。」


「でもそれじゃ調子に乗らない?サクラが。」


「なら尚更良いんじゃない?自分達は上手くやっていると思って更に増長すれば尚の事、芸に磨きがかかるかもよ?続けられるかどうかギリギリの収入で反省するまで続ければ良い薬になるんじゃないかしら。あまり儲かってないみたいだし。」


「じゃあ、多くおひねり上げない様にしなきゃ。」


「そうね。と言ってももう来ないと思うけどね。」


「確かに。一度見たらもう充分ね。何度も見たい芸じゃないし。」


そう話しながら観光客は立ち去った。



アーロンは仕事を与えた。縁故採用と言うやつだ。縁故のつながりでとやかく言う事も少なく、こちらが失敗しても強く批判される事もない。同時に相手へも強く批判は出来ない。だが立場的に強いからどうしても駄目ならその失敗で辞めて貰えば良く、あまり回数が多いならさすがに周囲も文句は言わない。そうしてアーロンの立場は安泰だ。皆で庇い合って責任はうやむやにする。仕事など内容はどうでも良いのだ。それが実を伴わなくともさも実があるかの様に見せかければ良い。不況だからアクセサリーやグッズが売れなくとも作れば良いのだ。そもそも子供向けの商品や芸術重視の商品などは実がない。それでも構わないのだ。必要なのは『働いています』と言うアピールだ。そうすれば『自分達はちゃんとやっている』、『自分達は悪くない』、『自分達は間違っていない』と言いながら予算は取れる。グッズやアクセサリーが売れない事を批判する外部の連中はいるが、そう言わせない為に身内で買わせるのが暗黙の了解だ。そうすれば数字が結果として出て、売れている実績があるのだから|ニーズがある[・・・・・・]と評価出来、批判する連中も黙るしかない。要はバレなければ良いのだ。無関係の第三者を装って利害関係者が大量に買う事で実績を水増しする。しかし報告書には数字しか見えてこない。たったそれだけの魔法だ。

その原資は集めた税金だ。税金で仕事を与えてその実績作りに税金で買い取る。するとどうだ。そこに実がなくともさも実があるか如く商売が回っている様に、儲かっている様に見える。これで私達は安泰だ、とアーロンはほくそ笑む。全員から集めた税金を予算に仕事を作って一部に流通させて利益を得る。実績が必要なら実用に必要なくとも買わせて実績を作ればその仕事が必要だと主張出来る。

自分達で作って自分達で買うのだから儲けがない、と考えるかも知れないが、そもそもが見ている視点が違う。税金として集めた金を自分達に流通させているのだ。仕事自体も税金で作られているし買い支えしている分もコストとして乗せれば何の問題もない。私達以外にはバレない程度に流通させるだけで良く、結局は自分達で作って自分達で買うから儲けがないと言われる不都合分になる利益を身内ではない彼らがどこからか都合をつけて持って来れば良いだけだ。彼らは私達の為に更に外部から利益を持ってきて税金として納めてくれ、私達はその税金を多く自分達に還元させる。それだけで別段難しい事をせずとも利益が得られて安泰なのだ。これ以上に楽な事はない。一番難しいのは利益を得られる根拠を作る事であり、集団の外部から利益を得られる根拠を作るのはとても難しいが身内ではない彼らがしてくれるのだ。私達は都合の良い仕事をしながら『自分達はちゃんとやっている』、『自分達は役割を果たしている』と言い続ければ良い。そうすれば免罪符は出来て他の連中がどこかから利益をどうにかして持ってきてくれる。そう、それだけで良いのだ。彼らがそれをどうするのかは彼らの考える事で|ちゃんと[・・・・]仕事をしている私達には関係ない。



キースは声高らかに道行く人々に向かって話し掛けた。


「おお!我らミザル人は世界に誇る民族だ。それがどうだ。巷では他の民族が幅を効かせ我らを見下す。そんなものは間違っている!我らが劣る彼らを支配して物事を教えてやらねばならない。それこそが我々には相応しい!諸君!、手を取り合って団結しようではないか!今こそ我らの力を結集してこの地に平和を齎すのだ!」


そう言うキースの言葉を『またか』と思いながら道行く人々は通り過ぎた。皆も知っている事なのだがキースは没落貴族でどうにか元の立場に戻りたがっており功績が欲しいのだと知っている。どうにか周囲を味方に付けて権力を手に入れ利権で稼いで足掛かりとなる勢力を作りたいのだろう。キース自身は自分の民族が誇らしいなどとは思っていないだろうし単なる方便だと皆は知っている。ただ、追い詰められた者程何かに自分が助かる理由を求める。そういった者にとって、自分達が偉い存在だという発想は耳に心地よく、まさしく『自分達に|相応しい[マッチしている]』と言えるだろう。そんな連中を集めて一旗揚げようとするキースに常識ある人間は誰も耳を貸そうとはしなかった。



ある所にマッチ売りの老女がおりました。老女は皆に必死にマッチを売りました。


「ああ、お前さん方。世の中はもっと老人に優しくするべきじゃろう?そう思わんか?お前たちも歳を取った時にひどい扱いを受けたくないじゃろう?」


そういった老女を皆は冷たい目で見て通り過ぎました。老女の言い分は詰まる所『自分を大切にしろ』だったからです。自分にとって都合の良いだけのルールをそうでなければならないと押し付けようとするその姿を見て誰も老女に同情などしません。しかし老女にもしなければならない理由があります。

誰かに助けて貰わないと年も越せない程に貧乏なのです。だから老女は『この考えしかない。この考えで合っている』と思うしかないのです。

だから通りかかる人々に、老女の言葉に耳を貸す人たちに『この考えは私達に|相応しい[マッチしている]だろう?』と言い続けるのです。根拠などなくて良いのです。必要なのは老女が生き残れるかどうかだけ。

そうして老女は同じ言葉を繰り返し人々に話し掛け続けましたが誰も老女の言葉を聞こうともしませんでした。




「というような事は起きるのじゃろうか?」


「なるほど。自身のしている事がまるで真綿で首を絞めるかの様に自身を追い詰めている状況に気づいていない、もしくは気づいていてもどうする事も出来ないという話ですね。」


「概ねそう。」


「そして実際には問題を解決していないが自身の能力では解決出来ない為に目を逸らし誰かが解決してくれると思いながらも自分はきっちり役割を果たしているから責任はないと思い込もうとする状況に追い込まれる、という所までの話ですか。」


「やっぱりこうなるのじゃろうか。」


「残念ながら大局的にはそうなるでしょう。その状況自体が受動的な状況に追い込まれているから発生しているのであり、その根本的な原因を解決出来なければ行なっているその場しのぎの方法はやがて破綻します。この様な状況になってしまうのは人口の制限を緩和し、かつ過当競争にまで発展した自由競争が必要にはなります。役割不足で食料を手に入れる方法がなくても食べなければ飢える事になり、どの様な手段でも食べていく方法が必要になり、それがルール違反であろうと犯罪であろうと、そうしなければならないからそうするだけです。生きる事を選ぶか死ぬ事を選ぶかの選択になっている事こそが問題です。そして自殺という手段は元々難しく、死ねない為にその選択をする者も居るでしょう。

他に選択肢らしい選択肢はなく、それを受け入れなければ死ぬしかない、という状況において、私達は自身を肯定する為に、自分が間違っているのではない、ルールが間違っているのだ、世間が間違っているのだ、と思い込む事で破滅する状況を形作る条件を否定しようとします。元々が自分より知性の高い誰かが決めたルールであり完全には分かっていないからこそ自分の持つ知識の根拠部分には不明瞭な部分や脱落している部分があり、そこに活路を見出すのです。勿論、場合により社会の側が間違っている可能性はあります。ですが個人の知識量と社会の知識量を比較し、社会の知識量から判断されたルールが間違っている可能性はどれだけあるのかという問題になりますが、その固定観念を悪用して悪事を働く事もあるので一概にも個人の側が間違っているとは限りません。

ですが大抵において追い込まれた状況で考えている時点で思考の上で視野狭窄に陥り、万全の準備をして条件を調べ上げてから行うわけではありませんので個人の持つ知識の足りない部分が打開策の根拠になり、それは社会の持つ知識と照らし合わせると間違いと言える状況がほとんどになります。そしてその根拠が正当かどうかは関係なく、自身が死なずに済む為の方法に根拠を与えてくれるなら何でも良いがそれとなく正しそうで相手も錯覚させる事が出来るものを選びます。罰せられず、誰からも否定されない根拠なら自身の行動を止める権利を相手が有さない、つまりは正しいと考えるのです。そしてその根拠さえ否定されたなら、他に方法がないとすると自身が破滅するしかない状況に陥り、根拠を強引に用意した方法を実行するしかない為に、批判する相手を排除する事で"誰からも否定や批判されない"状況を作り出そうとします。そうした所で根本的な問題の解決は出来ておらずその場しのぎでしかないのですが、あたかも問題が解決して誰からも否定や批判をされない状況と同じだと錯覚しようとします。自分が否定されて破滅しない為にはその方法しかないからです。


そしてそれは主観に起因する錯覚でもあります。自身が行動して成功しようとする時には生活の維持は基本になります。規則正しい生活、ルールやマナーの遵守、与えられた役割の履行といったものはそこに何の疑問もなく正しいものになります。しかし、自身の属する集団について考える規模ではそれが無条件に正しいとは言えません。

例えば盗賊団に入り、規則正しい生活をし、盗賊団のルールやマナーを遵守し、与えられた役割を履行したとして、盗賊行為が正しい行ないになったでしょうか。個人で行動している時には考えなくて済んだものも集団を成す事でそこに求められる条件が変わります。つまり、自身の属している集団が正しいか、という判断が必要になり、集団の中で自らの行動が正しいと判断するには属する集団も正しくなければならなくなります。この部分でリーダーがどうにかしてくれる、誰かがなんとかしてくれる、から自分は今まで通り行動しているだけで良い、と思考放棄する事が実際には間違っていると言える行動を正しいと錯覚し、また、錯覚しようと思い込む癖を付けさせます。

基本的に誰もが自分自身の主人であり、意思を持ち自由を主張するなら自身の行動に責任が生じます。誰かの指示に従ったから自身は無責任だと主張する事は可能ですが、それよりもまず、その誰かに従うという判断をした事に責任が生じます。従うという事は意思決定を委任する事に等しく、委任する事を選んだのだからそこにある責任から逃れる事は出来ません。この責任から唯一逃れる事が出来る場合というのは被害している状況で無理やり従わされている時だけでしょう。したくもない事をさせられていて拒絶出来ない状況というのは極僅かです。

従う事を決めたのならその指示で行った結果として悪事であったのなら当然責任が生じます。

例えばある人物の頭が考えて行動した結果として悪事であったならその人物の頭だけが裁かれてそれ以外の部分が裁かれないというのは不自然です。手は考えて指示していないから無罪だ、というのはおかしい主張になります。手がなければ出来ない行動をしたのなら手も同罪です。そして私達が役割分担したからと言って判断能力を放棄して良い事にはなりません。


同様に、私達が集団を成しリーダーを決めその指示に従った結果、悪事であったなら集団として責任を取らなければなりません。リーダーの指示に従うと決め、思考する役割を相手に委任したのですから、自分は主犯ではない、自分は知らなかった、では済まされません。ですが同時に、そうやって悪事を成せば利益だけは自分が優先して得ながら損失を皆に均等に分配してその差で楽をしようとする者もいるので無条件に一律の対処を決める事は出来ません。

例えば国の上層部が安易に政策を実施して利権を食い漁り、その失敗の結果を国の負担として国民全員に押し付ける事が多々あります。そこで国の上層部はこう考えるのです。『あなたがたが選んだ人物がしているのだから国民であるあなたがたにも責任がある』と。しかしそこにはその考えを悪用した状況があり、前提条件となる考えは悪用しなかった場合に適用出来るものです。しかし今まで言いましたように、多くの行為行動の結果として生じたグロスの結果に対する明確な原因というものは追求しにくく、先程の弁解をする余地を与えてしまいます。この場合の一番の問題はそういった人物達を国の上層部に居座らせた事、そのような社会情勢を作り出させてしまった事になります。そう言った意味では『あなたがたが選んだ人物がしているのだから国民であるあなたがたにも責任がある』という言葉には真実はあります。しかしその時点で焦点をずらされています。

採算の合わない箱物事業、周囲が好景気ならいざ知らず過去の好景気の時の計算で誘致した大型テーマパーク、強引に状況を作り出した結果として必要だからと根拠を付けて行うインフラ整備など利権ありきで行うものは最終的にはその様に言い訳されます。


では『あなたがたが選んだ人物がしているのだから国民であるあなたがたにも責任がある』という弁解が通用する様になればどうなるかと言えば一段階下の対応がなされる様になります。元々、成功させる為に計画していたものと言うのはその目標達成の為に高い基準や条件を持ちます。しかし、問題自体を明確に追求されずにその責任を追及されないのであれば、失敗した時に責任を追及される様な計画よりも失敗した時に責任を追及されない様な計画が優先される様になります。所謂保身というものが優先される様になります。結果として達成出来ずとも良く、また、効果が低いものでも周囲を納得させる事の出来る計画であれば良くなってしまいます。

そうして一段階下の計画が実行される様になりリーダーが連帯責任により自身の失敗や行動の責任を曖昧に出来てしまうと更に状況は悪化します。今度は『あなたがたが選んだ人物がしているのだから国民であるあなたがたにも責任がある』と言える状況があるからそれを利用して利益を得ようとする事が出来、その弁解が通用する状況になる前よりも制限が緩くなっている為に以前よりも多くの方法が行われます。解決せずとも良いのなら利権目的で計画を実行し、根本的には解決していないから何度も対策を行う事で更に利権を得る事が出来ます。その弁解は勿論『あなたがたが選んだ人物がしているのだから国民であるあなたがたにも責任がある』であり、『あなたがたも賛成しましたよね。』という言い逃れをすれば良いと考える様になります。


『あなたがたも賛成しましたよね。』という弁解で責任回避出来るのなら後は簡単になります。議会であれば時間の問題から採決は過半数で採決される事が大半でしょう。ならその過半数を利権に巻き込んで利害関係を一致させる事で、その計画が正しかろうと悪かろうと賛成で採決させてしまう事が出来ます。そうなるとその運営方法自体の欠陥を悪用して権力者の望む様な結果だけを得る事が出来ます。

元々議会などが過半数一致で採決されるのは、時間の問題で必要に迫られるからです。時間の問題がなければ過半数一致で採決する必要がなく計画の実現性により採決されるべき話になります。しかしその実現性の判断と常に変化する現実への対処の為に、採決する者達には臨機応変に対処する為の自由が与えられています。そこにはその採決に参加する者が客観的な判断が出来る事を前提に資格を与えているという根拠があります。しかし、その自由度は選択出来る権利であり、そこに利権が生まれ、採決に参加する権利を有する者の精神が未熟であれば欲望に負けて客観的な判断をしない様になり悪用される結果になります。そうなれば実際に時間の問題がなくとも過半数一致で採決してしまい、その計画が一部もしくは大多数の側の利益にしかならないとしても実行される様になってしまいます。

もし時間の問題という大義名分が必要であるなら、今まで言いました通りに人口増加を悪用すれば良く、椅子取りゲームの様に生死を賭けた競争をさせ、対立で不安を煽り、悠長に時間をかけて計画する余裕を失くさせれば良く、その状況を作り出せばあえて正解とも言えない間違っていないだけの計画を"必要に迫られて"実行する事が出来、その荒い計画により更に多くの利権を得る事が出来る様になります。急ぎであれば急ぎであるだけ物事は綿密に考えられずに瑕疵を含みやすくあえてその瑕疵が出来る様な計画を建てればそこに利権が生まれます。


結局どこに問題があったかと言えばやはり『あなたがたが選んだ人物がしているのだから国民であるあなたがたにも責任がある』と言う事になりますが、元々この言葉で責任回避出来る者がいるとすれば問題を解決しようとした者が目標を達成出来ずに失敗した時になり、その状況と『あなたがたが選んだ人物がしているのだから国民であるあなたがたにも責任がある』と言えば責任回避が出来るという結果を知った為に客観的に見て最も良いと思われる計画とは違う方法だが利権を生み出す計画を実行した際に生じる結果との差が分からない事がこの問題の本質的な部分です。全てを解明し、どの様な問題にはどういった対処法が確立されている、と言える様な状況でない限りその間違いを指摘出来ず、本来あっただろう結果は"実行されておらず"その結果がありません。ですので、セオリーが確立されていない場合にはその結果を比較する事が出来ず、その結果が失敗であったとしても明確に追及出来ないのであれば『結果論に過ぎない』と弁解されるだけになります。途中の状況からも結果からも二つの状況の違いは分からず、それ以前に他の計画が明確に正しいとして示されてなお実行された結果が失敗であった時かその計画はほぼ間違いなく失敗するだろうとある程度信用出来る証拠を用いて予測された時にしか違いは表面化しません。故に事前に他の明確な計画を示さずに実行された計画の結果が失敗した時には『あなたがたが選んだ人物がしているのだから国民であるあなたがたにも責任がある』や『あなたがたも賛成しましたよね。』という弁解が可能になり、だからこそそこに利権を生み出す余地が発生し、その利権目的で計画は実行される様になります。


この様な悪用を阻止できないのであれば、やがてその方法自体が信用を失い、実行出来なくなります。他に代替え案をする若しくは制限を厳しくする事で対処されますが、制限を厳しくする方法は規制緩和の例の様に早々に排除されて元の悪用出来る状態へと戻ります。代替え案ですが、概念とは対象とそれ以外に分けるものであり情報を定義する事で抽出しますがこれも世界の全てが解明出来ていないと完全な状態でまたは瑕疵のない状態で抽出する事が出来ず悪用される結果になり、代替え案として成立するのは同じ様に最初だけです。私達が不完全である為にどの様なものにも瑕疵は必ずつきまとい、そして私達が不完全である為に欲望に負けてその瑕疵を悪用して利益を得ようとします。概念そのものを定義した時に瑕疵のない状態を作る事は出来ます。しかしその状態は他の概念定義と一体となって初めて出来上がる状態になります。そして完全とはいいがたい定義には定量化や明文化されていない部分があり、知識として与えられた者はその部分を理解する事が出来ず、他者に改変されても気づけない場合が多く、それぞれの概念定義の整合性を徐々に失わされ、僅かな矛盾から大きな矛盾へと広げられ瑕疵を作られ概念そのものを定義自体を変える事で変えられます。そうして有名無実または形骸化と言われる状態へと移行しどの様な案もその効力を失くす事になります。

ある概念やルールを守りたければ社会全体のルールを見てまとめる事の出来る人物が必要になり、逆に言えばそういった人物を排除出来ればルールを改変して悪用出来るようになります。その為に成果主義や能力主義と言った、あえて殊更強調する必要もない主義をさもそれが正しいかの様に思わせて、過度な煽りで競争させ、考えない様にさせながら、より厳密にルールを守って社会が維持運用出来る根拠や利益を作り出す根拠を守ろうとする者を排除する事で出来た瑕疵を使い利益を貪ろうとします。

そうした競争で勝った者は大抵その報酬を正当なものだと主張しますが大抵は錯覚です。本来守るべきルールを守らずどのように他の概念とつながり概念同士の整合性が保たれていたかなどを考えないからです。つまり初めから分不相応な事が多く、それを錯覚する事であたかも多くの報酬が貰えて当然と思う様になります。


社会の中で報酬を貰う時は結果が完全に出る前に予測で報酬を貰う事が出来るという状況がこの結果を生み出します。社会の中で役割分担をしてもそれで責任がなくなるわけではありません。言うなれば委任しているのですから。

例えばある村で村長と農民、そして刈り取った作物を管理する倉庫番で農産物を管理しているとしましょう。収穫になり例年通りの収穫があって倉庫に管理したとして、盗難もしくは虫害に会い損失したとします。誰に責任があるのかという話になり、まず倉庫番が責任を問われます。次に倉庫番を任命したのは誰だという話になり村長が責任を問われます。では農民として農産物を育成し収穫した者達に責任はないのかとなり、農民は無責任を主張しますが実際には責任はあります。村長を任命した事、村長に従う事を決めた事で自身の役割における権限を委譲して委任しているからです。倉庫番や村長が怠慢したから発生したとして責任は問われますがそれでも農民にも責任はあります。その村長や倉庫番を任命若しくは従った事に責任が生じます。その責任を取りたくないというのならば一人で生きて自分自身で指示、育成、収穫、管理をすれば良いのであり、そこから怠慢して村長に指示する権利を与え、自身の能力を村長と同じレベルに向上させて同じ思考能力で物事を判断する事を諦め、管理の手間を省きたいがために倉庫番を任命する事を了承し、そして一番の問題は自身はそのどちらも希望しておらずまたその問題を指摘しなかった事です。

自身は自身の怠慢を認めずに何か事があればそれを批判する事に問題があります。自身は農民として役割を果たした、と言いますがそれは村として機能して初めて主張出来る事であり、村として機能出来るかという判断を他者に委任しただけで無責任にはなれません。その損失で村の収益が悪化して利益の分配が下がったのならそれを受け入れるのが本来の姿でしょう。しかし、その根本的な在り方を"忘れる"とどうなるでしょう。集団の維持など自身には関係ないと考え、村長に農民になる様に指示され農民になり働いて収穫し村長に渡した。その後に問題が発生し収穫したものを損失し収益が悪化し分配が低下した。その時その農民は"自分の責任ではないから例年通りの報酬を要求する"でしょう。自分は何の責任もないと主張し同じ様に良く分かっていない者達がそれに賛同して暴動を起こす可能性があります。その村に参加した事実や村長の指示に従うという自身の考えで行動する事を放棄した事実を何も考慮していません。

それがもし村長の怠慢や倉庫番の怠慢であるなら内部資産による補填で本来受け取るべき報酬を貰うのが正しいとも言えるかも知れません。しかし状況を詳しく判断したのかという点は大抵無視されます。


こういった事態はその農民が村の生成過程に参加していないから役割にはどういったものが付随しているかを知らない為に起こり、また、生成過程に参加していても"忘れる"事で同じ状況に陥ります。こうして個人の主観と言うべき価値観で行動する様になります。

そして『本来ならこれだけの報酬がもらえたはずだ』と過去の事例から貰える報酬額を算定します。

ここでは損失を出した結果に合わせた報酬ではなく本来貰えるはずの報酬を貰っている事に注意してください。先ほどの事例で言いました明確な計画を示さない為に後で追求出来ず責任を取らせる事が出来ない状況とほぼ逆になります。こうして私達は都合の良い理由を選んで自身は責任を回避しながら他者に責任を押し付ける事を習慣付けてしまいます。

しかし判断能力で結果が左右されるという事は表面的には何を基準にしたか分からず、そして知性の低い者から見ればどの様な選択も利己益により選ばれたと思いがちになります。私達は思いつかない事は出来ない様に、思いつかない根拠を理由に判断は出来ないのです。そして知性の低い者であればある程にその根拠は個人の主観から見たものや利己益になり相手の過失や故意を口実に自身の正当性を主張し、それが間違っていようがいまいが、成功した時に貰えるはずの報酬を要求するのです。

この様に知性の低い者程、着せ替え人形の様に身にまとう理論を取り替えて、自身の状況に合った根拠を並べ立てます。客観的に正しいか正しくないかではなく、自身に利益があるかどうかに基準があり、他の者から見ればその場しのぎや保身に見える様な行動もその目的に合致する為に許容されます。

この場合は自身が村長であれば『あなたがたが選んだ人物がしているのだから村民であるあなたがたにも責任がある』と主張して責任回避し、農民であれば『自分は悪くない』と主張して責任回避する事になりその根本的な性質は似た様なものですが、村長の役割をしている者が農民の立場なら農民としての主張をしただろうし、農民の役割をしている者が村長の立場なら利権を得つつも村長としての主張で『自分は悪くない』と言うでしょう。農民の性質のまま権力を持ち村長になればこう言った間違いをしたままに行動して失敗し、何に失敗したかに気づくまで同じ行動を取るでしょう。しかし、ここで言いました様な話に気づくには高い知性が必要になり、恐らくは失敗を繰り返してどうにもならなくなるまで同じ事を繰り返し最後には『なぜうまく行かないのだ』と言いながら破滅するでしょう。

前者の主張は明確に正しい計画を示されない事で実行した計画が間違った結果を生じさせた後に責任を追及されても責任を取らなくて良い状況にする為の弁解であり、後者の主張は本来あるべき行動を明確に示されない為に自身の行動が正しいと錯覚したまま計画が実行され間違った結果を生じさせても自身は無責任だという弁解です。前者の主張を行った者は後者の状況においては後者の主張を行わずにその損失を受け入れなければなりませんし、後者の主張を行った者は前者の状況になれば結果として間違いであったのだから間違った結果の責任を取らなければなりません。しかし保身を優先する場合は主義思想に一貫性がない行動を取りそれが保身としては最も優れた行動になります。その場しのぎの行動で目の前の問題を片付けてしまえば責任回避出来、その都度責任回避し続ければ何の問題もないと考えます。最終的には責任回避したそれぞれの弁解に整合性がない為に追い詰められる事がありますが、周囲が自身と同じ程度の知性の者ばかりであるなら相手も同様に矛盾に気づかない為に責任回避し続ける事が出来ます。また、極稀に他の事情で自然消滅するか曖昧になり責任追及されない事がある為にその状況を待ち望むのです。

本来自身の行動とは自らの意思の元に、方向性として重み付けされた意思を持ち主義思想を基準にして行為し行動として表現します。しかしその人格となる核の部分が曖昧な者は基準が曖昧なままであり、誰かの指示に従ったり、ルールを遵守する事で生きていけるからそれだけで済ませてきた為に自らの外に行動の基準を持ってしまっており、何が間違いで何が正しいかを判断する能力が低いままになります。そのため、誰かの真似をして問題無い行動をしている内は良いのですが一度イレギュラーな状況になると基準を失い、自らの未熟な精神で判断する必要が生じますが未熟である為に正しいとされる行動が分からず、見た形に自身の目的の達成の根拠を求めます。つまりはリザルトセットの中にある自身の現在の危機的状況を乗り越える事が出来る結果を探し出しそれを真似ようとします。

その過去の結果を見て状況を真似る時にも判断能力が必要でありそれを養うには知性が必要ですが、その知性を育てる事を疎かにした時点で判断能力にはあまり期待出来ません。ですので客観的な判断で情報を抽出しているつもりがその知性の程度により主観で情報を抽出して真似る事になります。


例えばある女性がある男性の弱みに付け込んで脅す為に一目につきにくい場所で交渉していたとします。相手側との交渉が上手くいかず交渉の内容が不利になったとしてその交渉自体をどうにか無かった事にしたい。そこでその女性が打開策を考えた結果、その取った行動が突然自身の衣服を破り悲鳴を上げて助けを呼ぶという行動だったとして彼女はどの様に考えたのか。その場に居るのは当事者だけであり第三者が見ていない為にその状況を判断するには情報が足りません。状況証拠では衣服が破れた女性とその女性の訴えが存在しますが同時に相手側の男性も『自分は無罪である』と主張するでしょう。望んで衣服が破られた状態を受け入れる者は居らずその状況だけを見るなら男性が女性に襲い掛かったという状況に見えます。しかしその事実は分からずにその場に駆け付けた第三者は判断に迷う結果になります。

この場合の女性の行動は、まずその様な状況を作れば男性の側が不利な状況に追い込まれ、男性側が悪人若しくは犯罪者であるという既成事実が出来上がります。そうなると男性側が何を言おうと罪を逃れる為の嘘だという事になり、女性側が脅してきたと男性が話しても周囲は信用しないでしょう。そして未遂であっても男性が女性を襲った事実もしくはその可能性があると判断された場合、この交渉において男性側が女性を脅し返すもしくは周囲にその女性が悪人であると周知しても聞き入れられず、また、男性がその女性の悪事を暴こうとしたり悪事をさせない為に監視したりしようとすれば女性に近づかないと出来ないですがその状況証拠がある為に周囲がその男性を女性に近づかせない様に行動します。そうして悪人である女性は無実の被害者を装って守ってもらう状況を手に入れます。

これを男性の側から見るとどうなるかと言えば、女性が利益目的で脅しをかけてきたにもかかわらず、不利だと知ればいきなり服を破り悲鳴を上げるのです。行動に一貫性がなく狂人でも見ている気持ちになるでしょう。そして自分が被害者だと主張しはじめるのですが、男性がこれに抗議しても状況証拠から言えばさも男性が女性に襲い掛かった様に見える為に周囲の者は男性の話をある程度疑います。

ではこの状況の原型はどういったものであるかと言えば、男性が女性に話があると呼び出し人気のない所で襲い掛かるが途中で悲鳴を上げられ周囲の者が駆けつけて未遂に終わる結果がこれに該当します。その後の状況を考えてみると先ほど言いましたように、どちらが呼び出したかは当事者しか知らず、また、襲われたかどうかも当事者しか知りません。周囲は女性が自ら服を破いて悲鳴を上げるメリットを思いつかないなら男性が襲ったと思い込むでしょう。どの様な話をしていたかは知らないがそれがもし女性が不利になる話だとすればそれは男性が襲った事実をうやむやにして罪から逃れたいからだと思うかもしれません。そうして周囲が男性を悪人だと断定すればその男性が女性に恨みを持ち後日襲い掛かるかも知れないので女性の近くには近寄らせない様な処置をするでしょう。そしてこの結果を見るなり知識として得るなりして、自身の陥った状況から逃れる為に利用出来ると思い行動する様になります。

その状況で男性の主張が真実であったとしても周囲には分からないので、男性が嘘をついている可能性を考慮する事になり、そして更なる犯罪に女性が巻き込まれない様にするために男性との距離を取らせる処置をするでしょう。女性は脅そうとした男性から追及される事なく保護され、また男性がその悪事を暴こうとしたり女性の悪事を周囲に注意を促そうとしても、それは場合により罪を犯した側が自身が正しく相手が悪いのだと強引に事実を作ってしまおうとする状況と混同され違いがほとんど無く、後はその女性がしばらくは再犯をしない様に注意していれば明確な証拠もない為に立証する事も出来ずに本当にうやむやになってしまいます。男性の側はその件に執拗にこだわっても利益が出るわけではなく生活する為もしくは効率の良い行動をする為にいつまでも関わってはいられず、女性の側からすれば時間が解決してくれる事になります。


本来であるならこの原型、過去の事例は女性に人気のない所で男性と2人きりもしくは1人で相手側の集団と同じ場所にいると襲われる危険があるから注意するべきだという教訓を与えてくれるものです。しかしこの様に悪用する事も出来るのです。


そしてこの話で分かる様に問題点は状況を混同させる事で何が行われてたのか分からなくしている部分です。一方の展開は女性が男性を脅す為に呼び出して交渉したが不利になると突然に男性に襲われたと言い出し、もう一方は男性が女性を呼び出し話をする様にみせかけて襲い掛かったという展開です。しかしその場にかけつけた第三者から見ればその違いを見分ける事は難しく、状況証拠を起点として動機やそれ以前の状況を推測するしかなく明確な罪を判別出来ません。だからこそこの様な悪用がなされ、悪人であればある程に罪から逃れる方法、相手を貶める方法、相手を罠にかける方法を普段から考えて実行します。言うなれば善人が社会をどうやって良くしていこうかと考えている間にその善人が築いた利益をどうやって奪ってやろうかと考えている事になります。社会にとって何も建設的ではなくむしろ妨害している事になりますが、成功してしまえば自身の能力では誠実に行動してもでは手に入れる事が出来ないものも手に入れる事が出来たりします。また、ほんのわずかな時間で長い時間をかけて得られた利益を奪えるなら効率的である為にこの様な悪事は中々無くなりません。この様に気づかれても或いはバレてもうやむやにして逃げる方法は事前に用意しておくのが狡賢い悪人です。


こうした混同を避ける為に私達はルールを厳しくして行為に対して行動が一意になるように取り決めるのですが、厳しいルール程実際の行動としては効率が悪くなりルール違反をすればするほどに効率が良くなる結果を生み出し競争に負ける要因になる為ルールはやがて形骸化して守られなくなります。

簡単な例では信号無視があるでしょう。信号が赤信号の時に同じ場所に止まっている者と同じ目的地だとして信号無視をすればその者よりも先に目的地へと到達出来ます。しかしそこには同時にリスクが伴いますが気づかないならリスクは主観においては無いも同じであり、注意不足で事故に遭う確率が生じますが事故に遭わなければそれだけ効率が良くなります。

そしてそのルールを外す事で生じる悪影響は社会が高度であればある程に遅延がかかって蓄積した後に表面化し、信号無視をして本人が車に轢かれる様な自業自得の事態を起こすのではなく、蓄積した問題が表面化した状況に居る他者に被害をもたらします。

この部分の簡単な例えとしてルールを緩くしてゴミをまともに片付けずにいる人物がガラスの破片を気づかずに放置してそれを誰かが踏みつけて怪我をする、と言う様な例えが出来るでしょう。行為は目に見えず全てを定義も出来ていないので、定義も出来ていない部分は分からずその部分を含めた状況と言うのは目隠しをして互いに一定のルールで確かめ合う様なものです。実際にどれだけ不手際があり失敗しているのかは分からないがルール通りに行動してその部分に問題は発生していないから行為出来ていると思い込み、そして信じるのです。

その状況でゴミの片付けをせずにガラスの破片を放置したなら他者はそれに気づかず踏みつけ怪我をしたりそれが何か分からず手で不用意に触り怪我をするという展開になります。目隠しをした状態でガラスの破片を放置した事に気づかず行動した後に気づいたとしても自身も目隠しをしている状況と同じなのでどこに落としたかが分からない為に拾いに戻る事も片付ける事も出来ずに後になってからではどうにもならなくなります。


この定量化出来ていない、明文化出来ていない部分を目隠しした水運搬リレーで考えてみましょう。ここではバケツで考えますが、それぞれがバケツを持っており中身の水を移し替えながら渡していくとします。慎重に、正確に行なえばバケツからバケツへと水を移し替える時に漏らしてしまうリスクは減らせます。しかし粗雑に早く行おうとすればそれだけ漏らしやすくなり繰り返せば繰り返す程に水の量は減っていきます。ではこれを並列でした場合はどうなるでしょうか。20人居たとして10人が水源から汲みそれを次の10人へとバケツの水を移し替えます。そして最初の10人はバケツの水を移し替えたら役割が終わりだとするとどういった行動をするかとなります。10人が10人とも出来る限り水を零さない様にはするでしょうがその差は生じ、また役割を終えた後に何か褒美が貰えると言った状況で、かつ先取特権の様なものがあれば10人ともが焦るかも知れず荒い行動で水を移し替え多く零してしまうかも知れません。しかし目隠しをしておりどれだけ零したかは分かりづらく零した量が分からなければ追及もしづらくなります。そして受け取った側も初めの量が分からない為に零れた量が分からず、目隠しをしている為に重みでしか量を把握出来ません。ですので多少急いで零しても問題が発生するだけの量を零したかも分かりません。また移し替える時に渡し手が粗雑であるから水が零れたのか受け手が粗雑であるから零れたのかが判別しづらく諍いの原因にもなりますので、そこを悪用して粗雑に行い速度を上げつつ相手が悪いのだと言い張る事であたかも自身は無責任だと主張出来、誰よりも早く褒美を貰おうとする事が出来ます。こういった状況で水をなるべく零さない様に時間をかけて行動する者は競争において不利になります。水を零さない様に移し替える方法が確立しているならともかくそれがない状況では誰もが手探りで方法を模索する事になります。ある程度の方法は模索されていてもそれが常に正しいかが分からない状況では水を漏らしていないかどうかを確実に判断出来ません。この場合の水源を自身が行動を起こす前の状況と考え、水を移し替える相手のバケツに水を移し替えた後の状況を自身が行動を起こして役割を終えた後だとすると、決められた方法を自身の考えで変えてしまうとどれだけの水を漏らしているか、つまり定量化、明文化出来ていない部分でどれだけの間違いをしているか分からない様になり誤差と言える範囲から逸脱する可能性があります。

ここでその状況を悪用する事を思いついた悪人が居たとします。その悪人は皆が休憩している時を使って地面に気づかれない程度の穴を空け、そこに管を通し束にして水を集める装置を作ったとします。そして漏れた水がその管から入り、その先につながるタンクへと水を集める様にすれば漏れた水はその細工をした者の所有物になります。

こうした状況になればどうでしょうか。その者はあえて粗雑に行い水を零します。水を零しすぎだと誰かに叱責されても誤魔化すように謝るだけで出来る限り粗雑に役割をこなす様に続けるでしょう。その仕組みがバレていなければそれが集団の利益をあえて搾取する為に行われているとは分からずに、単に能力が低い等の何等かの理由があると考えます。実際にはその何等かの理由というものがあえて水を零してロスを発生させる事で利己益を生み出しているのですが気づかれなければ当然の様に行う事が出来るのです。


この例えで表される現実の行動としては、皆が状況に慣れるまで徐々に適用させていく経過措置の悪用、社会の中でさもその方法や手順が正しいと錯覚させて浪費させる工作、計画時点で瑕疵を作り浪費出来るようにして利権で稼ぐ方法などがあります。そしてその誤魔化しに、明確に何が悪いと指摘されない為に『あなたがたが選んだ人物がしているのだから国民であるあなたがたにも責任がある』という弁解を行ったり、さも努力したが失敗したと装ったり、能力が低い振りをして失敗するのは"仕方がない"と思われる様に装う様になります。

この様な状況になり、社会が安定出来なくなると、構成員である個人の生活は安定しなくなりますが生活出来ない様になれば破滅するしかない為に自身の収益は確保しようとします。そして『自分は悪くない』という発言をして本来貰えるはずだった報酬を要求する様になります。そこから更に『自分は悪くない』という弁解で本来貰えるはずだった報酬が貰えるのであれば、その結果を見てあえて最初の計画段階で成功する可能性がなくとも実行し、そこに取って付けた様な原因を付け足しつつ『自分は悪くない』という事で報酬を得るのが当然だと思う様になります。また、成功の条件が限定されているなら条件の外に不都合となる問題を集めてさも条件は達成して問題は解決したかの様に見せかける事で『自分は悪くない』から報酬を貰うのが当然だと思う様になります。

丁度、甘い収益の見通しで設備投資してその報酬は貰うが実際には収益は成立せずに赤字を出すという状況がこれに当たります。維持運営費も考慮せず採算が出ないが行われる道路整備工事やインフラ整備などが良い例です。そこにはインフラが整えば自然と収益が上がる、という甘い見通しが行われ、その見通しは環境にまだ資源がある場合や成長出来る余地があり、かつ他に競争相手が居ない場合の見通しである場合が多く、それを成功した事例があるからなどと理由を付けても根拠にならないのですが大抵においてそういった取って付けた根拠で押し通して利権で稼ぎ、何か原因をつけて責任を回避する様になります。それは与えられた知識を使っていれば無条件に安定する、もしくは与えられたルールを使っていれば罰せられないなどの甘えから生じ、酷い例えですが『パパやママの言った事を守っていれば叱られない』という程度の認識しかないのと同等になります。そして欲望を満たすためにパパやママの言っていた事の定義を曲解したり、定量化や明文化していない部分を変える事で実質的に定義の内容を変えてしまいますが『パパやママの言っていた事は言いつけ通り守っている』と言い出します。

例えば『18時までに帰って来い』と言われたら18時という時間の定義を変更して深夜まで遊べるようにしたり、時間を表す小さい単位の仕組みを変え、1時間を60分ではなく90分にしてしてしまうと1080分は18時間ではなく12時間になります。すると18時は元の定義の24時なので夜遅くまで遊べる様になります。そして定められたルールの持つ目的は達成されなくなります。


この様な手法の内で相手を錯覚させて誤魔化したり気づかれたりしない様な方法で本来の利益の分配とは違う方法で利益を稼ぎ、それに気づいた者に『お前も同じ様に利益を得ないか』と交渉し仲間にする事で暴露されない様にしながらより大きな方法を実行出来る様にして悪事を行い続け社会を疲弊させて崩壊させます。崩壊した時点でその罪を立証出来る証拠がなくなれば無罪となり、また、その時点で他よりも多くの財産を得ている状況になり、次のスタートラインはより優位な状況から始める事が出来る結果になります。


この優位なスタートラインというものは意図的に作り上げる事が出来、具体的には今の集団を抜けて別の集団に移る事です。これの逆としては何度も一からやり直しをさせるためにあえて集団を移動させ続けて長い間を下働きとして利用し続けるという悪事がありますが、この場合は集団が個人や少数側を搾取しつづけた後に絞り尽くしたから別の集団に追い出すといった方法になり、ここで話すのはその逆で個人や既得権益層が利益を貪って集団から搾り尽くした後に責任を取らずに逃げる展開です。

責任は取らずに逃げ出せばよいという考えと方法が許されると多くのルールを守らなくて良くなり効率的に行動出来利益を稼ぐ事が出来ます。その場所で生活しない様になるのだからゴミを大量に残しても問題なく廃棄費用などを削減出来ます。その場所で生活しない様になるのだから誰かの恨みを買っても直に気にしなくて良くなるので非合法でも詐欺行為でも構いません。その集団に属さなくて良いのなら資源が枯渇しても構いません。国債を発行し続けて経済が破綻し社会が崩壊しても別の国に移動すれば良いだけであり、その国が食料危機になった所で関係ない話になります。そして自身は別の国、集団で、荒稼ぎした財産を使って良いスタートを切るのです。『強くてニューゲーム』というものです。そしてまたその国や集団で同じ様に利益を稼いで同じ様に逃げるという行動を取り続けます。こういった部分を"寄生虫"と表現します。


こうする為には"別の集団"が必要であり、今までの記録が抹消出来る状況、免罪になる状況が必要です。

以前に対立の話をしましたがこういった理由でも対立が必要です。

集団のリーダーが悪事をさせない為にルールを厳しくしますが制限が多いと効率が下がり競争に負ける事になります。すると従う配下は不満を述べ、リーダーを放逐するかリーダーに譲歩を迫ります。配下次第では別の集団に移るでしょう。リーダーは競争に勝つために止むなくルールを緩和しますがそれを『待っていました』とばかりに悪用し利益を貪り社会を疲弊させその集団が競争に負ける要因を更に積み重ねます。悪人は悪事がバレないようにするために仲間を増やしながら行う悪事も大規模なものにしながら社会を混乱させ崩壊させます。そしてその責任追及としてリーダーが無能だからこうなったのだと責任を押し付け、自身は無罪だと主張します。そしてリーダーは放逐されるか生贄にされ、社会は争いながら基盤を潰して記録も抹消され悪事の証拠は消え去ります。またこの時に悪人は安全の為に集団の外に移動して争いを眺めるか別の集団で生活し、場合により争いが終結して平和に暮らせるようになればまた移動して同じ様に悪事を働きます。この姿があたかも寄生虫が感染し卵を産み付け数を増やし、宿主が死ぬ前に卵を他の宿主に寄生させて寄生虫自体は生き残るといった姿に酷似しているために"寄生虫"と呼ばれます。

ではなぜこれらが排除されないのかと言えば、その移動した集団先でも既に"寄生虫"と表現される悪人が居る場合がほとんどだからです。それを罰してしまえば自分達が同じ様にこれまでの罪の証拠を消す為に移動した場合に同じ様に罰せられる為に罰を与えず見逃します。そして自分達も頃合いになれば移動するという繰り返しを行います。移動先の集団からは資産を有した人物が金を社会に流通させてくれると期待するので大抵は受け入れます。そして感染するのです。これもあたかも食料に付着して虫の卵を飲み込み体内で孵化される状況に酷似しています。

この様に崩壊した社会で利益を得て財産を有する者というのは悪事に加担している可能性があり、移動先でも同じ悪事を働く可能性があるので本来ならば受け入れてはなりません。失敗したやり方の一部で利益を稼いだのです。どこかに間違いがあっても不思議ではありません。同時に正しい行動をしたにもかかわらず、周囲が悪事を行った為に止むなく移動した者もいるでしょう。この2つを混同させる事で"寄生虫"と表現される者達は別の集団に移動するのです。

これは本人が気づいていなくとも悪事が行われる点が深刻な問題を引き起こします。合法だからしていた事も、世界の全てが解明されていたなら定量化や明文化されていない事も定義され、行動してはいけないと判断される可能性が生じるからです。ルールを緩くして行う行動は大抵がこれに当たり現状況を主観で見れば合法であるが、それが社会として正しいかと言えば"否"である場合が該当します。

本来あるべき社会とルールを緩くした社会の差により実状に沿う様に劣化する事で社会は機能を失うか低下させ更に混乱する様になります。ルールを緩くした段階で利益が出ると計算できたのは社会がポテンシャルを有しているからですが、行った行動がそのポテンシャルを生み出す根拠を潰すならポテンシャルを維持出来ずに低下させ状況が変わりルールを緩くする事で利益を得る事が出来る根拠を失います。

これは簡単に例えるなら今まで物体にエネルギーを掛けて移動させていたものを突然エネルギーを掛けなくする事に似ています。慣性の法則で動いている状況に対して、エネルギーをかけなくとも動く、と説明すれば確かに動いており、だからエネルギーを掛けなくとも動くと説明するのと同じであり、ルールを緩くしても社会は成り立つ、と説明する事と同じです。その結果は現状況を生み出した作用がなくなってからしか本来の結果を知る事は出来ず、だからこそ悪用されルールを緩和して利益を得る方法が実行されます。掛けたエネルギーが残っている間はルールを緩くしてコストを省いてもその影響が残っているので、エネルギーを掛けて維持していた"利益を生み出す根拠"を用いながら現状のコスト削減した状態を作りだす事が出来、以前に掛けたエネルギーを失うまではその分の利益を生み出します。しかしやがて掛けていたエネルギーの作用は失われ、機能を低下させるか失うかして問題を表面化させそれを元に戻す為にエネルギーを多く掛ける事になります。つまり、ルールを緩くしてエネルギーを掛けなくて済む状況で利益を稼ぎ、ルールを厳しくして以前より多くのエネルギーを掛ける状況になる前に逃げ切ればそれだけ利益は大きい結果になります。逃げ切らなくとも罰せられないなら良く、それが出来ればエネルギーを掛けない事で利益を得て、元に戻す為にエネルギーを掛ける時は省力するか参加せずに居られれば利益を得やすく、そして社会がそれに気づかないならそのエネルギーは悪人以外が社会を元に戻そうとして勝手に注入してくれます。この状態を確立出来れば簡単に利益を生み出す事が出来る様になります。


この様に対立させる事で利益を生み出す悪人が居る為に、その悪人を排除するまでは対立構造が続き、社会ひいては世界は一つになる事はなく混乱させられ続ける結果になります。


先程の水を運搬する例えの続きとして、水が零れる事で最終的な到達点に届けられる水の量は減ります。外部からの流入がなければこの到達点に届いた水が次の水源になります。そして同じ工程を繰り返すのならまた到達する量は減少し、それを繰り返す事になります。こうして、社会を一つの水の運搬するサイクルと考えた場合に"水漏れ"を防げないならどんどん流出し最後には水がなくなります。

これを私達の身体に例えるなら血を循環させて生命を維持しているのと同じで、どこかから血が漏れているならいずれ失血死してしまいます。こう例えた時には先ほどの地面に穴を空けて零れた水を回収して利益を得る、と表現したものは蚊やヒルなどが張り付き吸血するという表現がされます。また、"寄生虫"が内部に巣くい栄養や肉を食べ散らかしていると表現されます。こういった表現の一つとして"金は経済を人間の体に例えると血と同じであり流通させつづけなければならない"というものが使われます。

悪事を働き利益を得るものは正常な労働と同じ様に収益を上げていますがその収益は血のサイクル、水のサイクルからは逸脱し、本来の効果を出す事のない利益となります。そして本来の効果を出すはずだった分が損なわれその差を何らかの方法で補填する必要が生じます。元々余剰があれば良いのですが、人口制限などを含めた規制を施して余剰が生じる様にシステムを組まない限りは余剰は発生せず、誰かがその損失を被る事になります。

これを錯覚させて悪事を働き続けるには高度経済成長などと称して浪費させる事で問題から目を逸らして利益を稼ぐ事が出来ます。

簡単な例えでは、"まだまだあそこに一杯あるのだ。すこしくらい損しても問題ない"というものや"すこし失敗した所でまたすぐに稼げる"というものです。外部から失敗した事で生じる損失よりも多くの量を得られるのなら採算は取れ、失敗した損失より多いのなら効率が上がるので多少の粗雑さで行動しても効率が良い為に粗雑な行動をしてしまうが、それは同時にその損失部分を他者が得ている可能性があるという事です。そして大抵において先ほどの言葉を使う者はそうやって利益を稼ぐ目的である場合が主となります。他者が失敗するのが分かっていても教えずにその失敗から利益を生み出し、その他者が失敗を悔いていると先ほどの様な言葉で励まして他者が行動を改めないようにする事でまた利益を得ようとします。そうしてシステムを高回転させるとそこに生じる瑕疵から得られる不正な利益も増し、その損失は技術力が高くなれば問題も解決してより多くの利益が齎されるから負債にしても構わないと言い、利益を上げ続けようとします。ここでの重要な部分はまだ成功するかも分からないし具体性もない計画から生じる利益で将来補填出来ると唆している部分です。借財で外部から資源を大量に購入してさも景気が良く金回りが良いように錯覚させてそういった言葉でいままでの基準とは違う基準が正しいと錯覚させて間違った行動を取らせ悪事を働き利益を稼ぐのです。


私達の身体における血のサイクルで各部分が機能しているとして、その機能を果たす時の血の使われ方を血のサイクルの効率とは別の基準で自由に決める事が出来ればそこに利権が生じます。各部分は栄養の豊富な血を多く受け取る事が出来ればそれだけ栄養を補給出来、以前より量や質が高い機能になるでしょう。しかし栄養豊富な血の量には限りがあり、ある部分が多く使えば他の部分はそれだけ使えない様になり機能を低下させるでしょう。その一部の機能において部分を構成する細胞の塊に優劣があり、制御する側とされる側があるとします。もしその細胞同士が全体の目的とは合致しない交渉をしたらどうなるでしょう。それぞれの細胞も高い機能を維持しようとすれば多くの栄養を必要とします。栄養が2倍ありそれを処理できるなら処理量は2倍になり機能は高いと言えます。ここでもし細胞同士が交渉し他より優先して血の提供を受ける代わりに一部を利権のお礼として返す契約をしたらどうなるでしょうか。特定の細胞には栄養が行き渡りますがその他の細胞には栄養は行き渡らなくなり機能を低下させます。栄養を豊富に受け取った細胞は栄養をストックする為に脂肪として蓄えるでしょう。しかし栄養が貰えなかった細胞は機能を低下させるか死滅し機能全体の効率を下げる結果になります。機能が低下する事で血のサイクルを循環させている生体は不利になり環境を悪化させて食料の入手も悪くなるでしょう。そうなると血のサイクルで循環させている栄養も減り、各部分は以前よりも少ない栄養で機能を維持する必要が生じます。すると以前と同じだけの栄養を確保する為に以前よりも交渉がますます行なわれ機能を低下させます。そしてまた生体は弱り悪循環を繰り返し最終的には死亡する可能性が生じます。

もしこれが優秀な機能を持っているが故に多くの栄養を貰えたのでしたら優秀な機能を持つ細胞を分裂させて数を増やす事で以前より優秀な機能を持つ部分になる可能性はあります。無駄に脂肪として蓄えなければですが。しかし悪事と言うのは本来の求められる機能ではありません。より多くの栄養を貰ってもそれが優秀な細胞に使われるのではなく、悪事を行わなければ栄養も受け取れない、機能としては劣悪な細胞に使われます。もしこれが数を増せば優秀な細胞を死滅させる事で代わりに増え機能全体を低下させます。しかし細胞にとって栄養が貰えない事は死滅する事に直結し、死滅してしまえば機能が失われようと失われまいと関係がなくなるので、死なない為に栄養を受け取ろうとします。しかし劣悪な細胞は効率が悪く機能を低下させ機能全体へ影響を与える結果、全体である生体へ悪影響を与え生体の活動に悪影響を与え、生体が獲得する収益に悪影響を与え、結果として血のサイクルに供給される栄養を減らす事になります。そして全体の機能低下を引き起こし悪循環する事になります。

これと同様に各機能の瑕疵があったとしてその一部である細胞がその瑕疵を悪用し不当に利益を得る、つまりは栄養を得るのなら機能低下は避けられず、そして過剰に栄養を貰い脂肪として蓄える、つまりは貯蓄するのなら栄養を貰えない他の細胞は死滅する事になり、機能する細胞は数を減らし機能全体の効率を下げます。

この様に、細胞単体とそれを統合した集合体ではその利害が一致しない部分があり、細胞にその自覚がないのなら集合体の側で規制を掛ける必要が生じます。そして集合体の利益に反する行動を取る細胞があればそれを排除する必要性が生じます。排除出来なければ弱体化し死のリスクが高まります。こういった細胞の表現として"変異細胞"や"癌細胞"と表現する事もあります。しかし細胞レベルの問題を集合体の制御機能が全て把握するのは難しくどこかで発生させて制御に失敗したなら増殖されて影響は大きくなります。

媚びなどの悪事とまでは呼べないが避けるべきものや悪事とされるものはこの様な理由で規制されます。そして、個人としては働いていると体感出来てもそれが全体として役に立っていないのであれば意味がなくそれは後の結果として分配される収益には影響しない無駄な行動になります。

例えば土木作業として働いたとして土を掘り、掘った穴をそのまま何かに利用する事もなく埋め戻す作業をしたとします。土木作業員は作業をしたから収入を要求するでしょうがその根拠となる収益はどこにも発生していません。別の何かで発生した収益を充てる事になります。同様に物を転売してもその転売により生じる手数料や利益を生じさせる根拠はどこにもありません。不当な利益を得る方法を認めるわけにはいかず、交渉とは当事者の間で成立出来るなら合法というのは良いのですがそれは悪用をしない場合のみであり悪用されるのならそれ自体を規制する事になります。転売される事で適正価格で買えなくなる事は権利の喪失であり、社会の中で正当な理由により物を売る役割を与えられない者による商売は禁じられるべきです。しかし以前から言いましたように独占や寡占もまた悪用出来るものであり、やはり運用そのものの問題となります。何が転売で何が正規の販売かを定義する必要があり、ルールを厳しくする事で規制は可能ですが競争原理を根拠にしてこの規制を排除し利益を得ようとします。

こうして社会活動には必要だがそこに悪用されるリスクが常にある為に、その活動自体を禁止しなければならないが禁止してしまえば社会活動に悪影響を与えて社会の維持が困難になり活動自体を禁止するわけにはいかない状況にあって、禁止されないからこそ常に利益を稼ぐ手段として有用だと考えて悪用を止めない者の表現としても"寄生虫"という表現を用います。身体の重要な器官に住み着き、排除するにはその器官を停止するなり撤去するなりしなければならないがそうしてしまえば生体維持が出来ない為に撤去する事も停止する事も出来ず、分かっていながらも悪用され続ける状況を受け入れるしかないからです。


内部での収受は外部からエネルギーを得る根拠にはならず、その行為行動がどの様に社会全体の機能として活動し利益の根拠になるのかを証明する必要があり、高度な社会程それが出来る人物は限られ、一般的な民衆には難しい問題です。ですので自身の主観から見た出来事を信じるしかなく、そして信じなければ行動出来ず、更に状況が追い込まれて自身の行動が間違いだとされれば破滅するしかないのなら正しいと思い込む、つまり妄信するしかありません。妄信する事で行動を自己正当化しその結果として成功したならそれが正しかったと思い込み、その方法を加速する事で適用する行動の数を増やし自身の持つ成功体験を根拠に行動して生き残ろうとします。

結果として社会の中で数多くの人間が失敗した事も成功した事も同じ様に繰り返し、私達が今まで積み重ねてきた知識の恩恵を、知識を自身の考えで使いながら無視する事になります。知識を使っているので知識の恩恵は受けているのですが、それはかつての誰かが失敗した過程である可能性が生じ、知性が低い為に考える事も出来ず思いつく事も出来ずに行動しようとし、他者にその行動を咎められても行動出来なければ破滅するしかない為にその指摘は受け入れられず、そして指摘の根拠をその他者も知らない場合や自身が理解出来ない場合は他者の欲望や保身の為にルールを押し付けられているのだと思い込もうとして無視し、失敗すればまたその原因を他者に原因があると思い込み、成功すれば他者や外部である環境に間違いがあったと思い込みます。この場合の成功は自身が生存出来たという結果であり、社会の中で正当な行為を行ったという意味ではありません。そして成功した場合、破滅するしかない根拠になっていた今までのルールなどは他者が欲望や保身を理由に押し付けていたものだと思い込み、なら自身も同じ様にしても良いのだと錯覚します。いままで"相手がしてきたのだから"自分も同じ様にして良い、同じ様に仕返しして良いと錯覚する様になります。元々の根拠部分が、自身が間違っている事になれば破滅するしかないから自身は正しくなければならない、という論理性のない無条件に成立する根拠において行為行動する様になってしまっているのでどの様にも理由を付ける事が出来ます。大元の根拠が正しいと錯覚出来さえすれば何でも良くそれを否定するものこそが間違っていると思うのです。

こうしてその人物の知性の高さに相応した行動が行われます。これはその人物が成熟した社会の中でもう一度かつて社会が成長した過程を個人の偏りで偏向しながらやり直す事と同義です。失敗も成功もかつて行われたが知性の低さからそれに気づかず、そして与えられたルールが間違っていると妄信した為にもう一度かつての社会の中で行われたであろう行動を行うのです。いわばその人物を主人公とした"創世記"を行います。それが本当に未熟な社会であり相応の行動であれば問題ないですがここではそう思い込む事で実行するので問題が生じます。社会の中の誰かにとっては当たり前の行動も他の誰かにとっては当たり前ではない事があり、知性が高く根拠を知っている者にとっては当たり前なものでも知性の低い者にとっては当たり前ではなく、ルールで行動を制限してその差を社会の中では発生しない様に抑制しています。そのルールを破り行動しはじめるのですが、ある程度成熟した社会の中で突然未熟な社会であった頃にはまだ正当性があるとみなされた行動を取ります。周囲は混乱し争いを生みルールを破った側が勝ったなら社会のレベルは破った側が行動する基準の未熟な社会に逆戻りします。

簡単な例なら"暴力"が代表例です。交渉が不利になりそのまま受け入れれば破滅につながる損失を受け入れる事になるからと、交渉よりも退化した暴力行為で資源の獲得を狙います。

媚びや賄賂も同じです。能力を競う状況で能力に劣りそのまま結果が出れば負け、破滅する要因になる為に、動物の集団行動においてボスに腹を見せ服従する様にボスが上で自身は下であると示して生き残ろうとするのと同じであり、ボスに自身が取って来た餌を渡してボスの機嫌を取るのも未熟な社会の証拠です。ボスは自分に服従する者と歯向かう者がいれば能力の優劣ではなくボス自身の快感原則に従い服従する者を優先するでしょうし、餌を貢ぐ者と貢がない者では餌を貢ぐ者を優先するでしょう。


こうして築かれる動物の社会ですがそこには問題があります。その群れの外を何も考えていません。群れの中でボスに従い取って来た餌を渡すだけで安泰であり、ボスもそうする連中を生き残らせるのでそれ以上の発展はなく、ボスの能力が向上する事もなく現状維持のまま状況の流されて生活するでしょう。そうするとボスが弱った時に群れの中のメンバーがボスに勝ってボスが変わった時にボスになる基準とする能力が低下する可能性があります。そしてボスは自分に従わないメンバーを排除して群れの中にはボスより強いメンバーがいなくなります。勿論ボスになった者がたまたま勝っただけならば他のメンバーがボスに成り代わるでしょう。そうしてボスの能力はある程度の範囲を維持しますがそのシステムが与える限界を超える事はありません。

しかしそれはそのシステムがある程度の硬直性を持つ事を表します。対応できる事に限界があると言うべきでしょうか。つまりはそのシステムでは対応できない事態が起こると崩壊します。

こういった動物の社会は周囲も同じ状況ならそのままに存続できる可能性はありますが環境の変化や他の強い群れなどの影響に対して何の対策も出来ません。対応する事自体を放棄しているからです。ボスは配下に脅しをかけて従わせて快適な暮らしをする事を優先し、配下はボスの顔色ばかり窺っておこぼれにあずかる事を優先しそれ以外の事をしないからです。

丁度ワンマンプレーを行う社長を持つ企業の様になります。リーダーが有能であれば安泰ですが低能であれば会社は傾き、配下の従業員はリーダーの顔色を窺うかただ指示に従うだけであり問題が起きても何も解決しようとしませんしそもそも能力基準で選ばれた訳ではないから解決出来ません。そしてその解決はリーダーがするもので従うだけで良いと思っています。


そうして外敵の脅威に晒された群れはリーダーが勢力争いに負ければその場所を追い出されてしまい破滅の危機に晒されます。この時、群れのメンバーが媚びをしたり賄賂を送ったりする事で優先されて生き残っていた場合はそう言った事をしない群れとの差が出来上がっています。生き残る為の基準が変わってしまっており、そういったものも能力と言えば能力と呼べますが求められる能力ではなく、そして実利を持たない為に他の勢力との争いには使用出来ません。そして媚びや賄賂が慣習化した群れと言うものは本来の強さがそれほどなくても生き残る事が出来る為に弱体化していますので、この時既に負ける要因を自分達の手で作り出していると言えます

こうした自然淘汰の末に私達は媚びや賄賂と言ったものが生き残る力をなくす原因になる事を知り、それを忌避する様になります。勢力争いとは居場所を取り合う状況ですので、その賄賂がその居場所を取るよりも利益が得られなければ通用せず、そしてある程度信用出来る者からの賄賂でなければ受け取れません。何を考えているか分からない人物からの賄賂はリスクを伴い、そして勢力争いなどであれば、既にそのポジションには同じ事をする人物が居るのであえて受け取る理由もなく、そして勢力争いが戦争の様なものであるなら勝った側が負けた側の財産を好きにするでしょうから賄賂を貰う必要もありません。媚びや賄賂が慣習化した場合にはこうして同じポテンシャルを持った、例えば同じ種族、同じ民族の違う集団との間に差を作る原因を生み出し負ける要素となりますが、知性が低いとそれに気づけません。行なった行為に対する結果が社会の規模や高度さにより遅延がかかり表面化しづらいからです。馴れ合いで過ごす集団は全体の基準が低下するためにその内部で相対的に能力を競い合ってもその低下に気づきませんが、外部の集団と競う事になった時初めて自分達の能力の低下に気づけます。繁栄した民族、社会、国が崩壊する理由はここにあります。

例えば部屋の内部で椅子や段差を使って高低をつけて争ったとしても部屋そのものの高さが下がってしまうなら絶対的な基準から見た内部の物の高さは下がりますが部屋の中だけを見るなら気づけません。部屋の内部で自分達に都合の良いルールを決めた所で部屋そのものに適用されているルールを変える事が出来なければ都合の良いルールが自分達に本当に都合の良い状況を作り出してはくれないのです。簡単に言ってしまえば、集団の中で"エネルギーは無限だから浪費して良いのだ"と言い合ってもエネルギーは無限になりません。私達は世界の中で受動的な条件を強制的に押し付けられて生きていると言えますので自分達で言い合うだけでその条件が消える事はありません。


話を戻しまして、知性が低くとも自身が実際に経験して体感した結果として成功体験を積み重ねたなら『自分は悪くない』と言う事が矛盾を含むという事にも気づける場合がありますが、知性が低い為に考えず推論する事もしないから本来の役割を理解せずにただ指示に従っていれば良いだけであり指示に従っているから自身は役割を果たしたと妄信する事で『自分は悪くない』と主張する事が出来ます。

結局は村人が村の生成過程に参加しなかった事が主な原因とも言え、その経験があるかないかが体感でしか物事を判断出来ない者には必要になります。しかしその様な貴重な体験は極稀であり、その為に私達は知性を育て、推論する事で同じ効果を得ようとします。実際に体験するという事は資源を浪費する事であり、一方で推論するにはその期間の生体維持を行うだけの資源で済みます。そして村の生成過程などを一から行っていてはとても技術力を高める事は出来ません。全ての者に同じ様に体験させるという事が冗長すぎる上に実現不可能です。個々の役割だけを体験させる事は可能ですが、全ての役割を全ての者に体験させる資源など役割分担する事を選択した時点で不可能になっています。役割分担する内容が高度になればそれだけ専門知識を得る時間や経験が必要になり、役割の数が増せばそれだけ時間がかかります。それでもそうしたければ時間の制限や資源の制限を失くす必要があり、競争を止める事が前提になりますが、私達は自らの快感原則からくる怠慢と欲望や死のリスクを前にした焦燥感に打ち克つだけの知性を育てる事がほとんど出来ません。そうした自らの持つ受動的な条件により私達は競争する事を余儀なくされ、競争に勝つ為に悪事に手を染めるのです。

この様に簡単な役割ならいざ知らず村長になる過程を全員に体験させるなど資源がいくらあっても足りません。村長と同じ知性で物事を判断する者が構成員の全員になれば意思統一も連携もうまく行きますがそれにかかるコストと人選が問題になり、基準に達しない者は村から排除される結果になります。

簡単な例えでは団体競技において皆が各役割を充分に理解すればチーム全体の効率があがり連携もうまくなる、という話になり、監督の意向も理解できるならチームの方針に合わせた行動が出来る、という様なものです。それを一流から三流と呼ばれる全てに対して同様に課せばそこから落ちこぼれる者の方が圧倒的に多いでしょう。逆に誰でも達成できる基準に合わせればそれだけ効率も高度さも低下する事になります。子供が扱っても安全な機能を持った製品と高度な知識がないと扱えない製品の持つ性能の差がわかりやすいものになります。

同じ様に領主、国王、などとしていたら時間も資源も足りません。その為に他の方法で補います。これもここでは割愛します。


では村長は初めにどうやって村長になったでしょうか。初めに村長に任命される事はあるかも知れませんが、村と呼べるものがない状態では他の者とたいして差がありません。畑は耕さなければならないでしょうし、物の管理も他の農民と同じ様にしなければならないでしょう。卵が先か鶏が先かと同じ様な問題です。農民の様な村長の様な存在として始める事になり徐々に豊かになっていく過程において、互いの信用がなければ村も作れずそして命の危機にすら直面するでしょう。そうして信用の大切さやルールの大切さを体験するでしょう。そしてどれだけ頑張ってもダメな時はダメで、能力があろうとなかろうと失敗する時は失敗して損失を出しそれは不可抗力と呼べるものも存在するのを知ります。そこでお互いに責任の擦り付け合いをしても損失がなくなるわけでもない事を体験し、それが故意ならそもそも共に作業をしておらず、過失なら互いの能力の程度を知っていると同時にその役割をさせている者を事前に能力不足だと指摘して役割を担わない様にさせなかった責任を自身で体感します。それが過失である状態で相手を責めても『じゃあどうしてお前がやらなかったんだ』としか言われないからです。そして自身に出来ない事を相手に押し付ける矛盾を知る事になります。

そうした認識を村長も農民である村人も互いに持つ事で先ほど言いました様な主張をする事のない関係が築かれます。そうして助け合いながら大きくして村と呼べる存在を作ったとしてその後に参加した者を考えると、その者は村を大きくする苦労を知りません。ルールの重要性を実際に村の成長とともに体験していないから本人はそう思っていなくとも体験した農民からは軽視している様に見られるかも知れません。ほんの少しの諍いで殺し合いに発展する可能性があるという事を理解していないなどがこれに当たります。次に自分は村人であり農民なのだから村長の指示にさえ従っていれば良いと思うでしょうが、実際は村人が村長の能力の及ばない部分をサポートする必要があります。村長が失敗する時、それは村人のサポートも及ばず、一個の集合体として、村として、目標を達成する能力を有さない事を表します。そこに村長の指示に従ってさえいれば良いという楽観的な考えは存在出来ません。


しかしその錯覚は良く行われます。知性の低い者に自由な行動をする権利を与えればどこかで間違いを起こし想定外の損失を発生させる為に『ルールを必ず遵守しろ』と徹底させると、その者が努力らしい努力をせずに低い知性のままで居る事が楽だからと思えば、村長の決めたルールに従っていればそれ以外何もせずとも村人としての役割を、農民としての役割を果たしたと錯覚する様になります。

また、服従させられている時にも同じ状況になります。命令されている事を実行すれば押し付けている相手の利益になり、それ以上の行動をすれば更に相手の利益になり自虐的な行動になる為、命令以外の状況を改善する行動を取らなくなります。そしてルールを遵守するだけで済ませ、命令された事以外はしない様に努力します。この2つの状況は表面的には同じ行動になります。

更にその2つのパターンを合わせた方法が出来上がります。服従させられていた者がリーダーや集団のの失敗に対して自分達は服従させられて強制的に行動させられていただけでありそもそもが反対していたから無責任であるという主張をした結果を見て、知性の低い者がそれを真似てリーダーの強引な命令を聞いていただけだから『自分達は悪くない』と主張する様になります。

更にその結果を見て、リーダーに媚びへつらい利益のおこぼれを貰っていた者も、リーダーが失敗して不利な状況に立たされると強制的に従わされていただけだから『自分達は悪くない』という主張をして逃げる様になります。

更にその結果を見て、リーダーに全ての責任を押し付けてしまえば良いと考え、本来するべき行動を取らずに楽な生活をして、その後に問題が発生しどうにもならなくなればリーダーを生贄にして『自分達は悪くない』と言えば責任を取らなくて良いと思う様になります。そうする事で自身が与えられた役割だけをしていれば良いと考え、その役割は自分達で都合の良い様に決める事が出来ます。つまりは怠慢を正当化する口実に使え、楽をする為に他者を生贄に差し出す様になります。


自分に都合の良い条件に|適合[マッチ]しているかの様に見えるもので|火[否]をつけて社会を潰そうとする者は多く、知性が低ければその美しい夢を見させてくれるものの誘惑に負けて間違いを犯すでしょう。


そして高度な社会程、その様なその場しのぎや自身にとって"正しい"打開策は、手に入れた知識により深刻な悪影響を与え、以前より増えた知識や高くなった技術力はかつて同じ状況になった時と違う選択肢を与えます。

状況を作り出す原因となった根拠が正しいならば新たに効率の良い方法が選択出来る様になったと言えますが、その根拠が個人の主観から見た正しさであり、その正しさを根拠に行動して生じた状況を、一度はその状況を乗り越えた後に手に入る知識や技術で結果を変え、間違った結果を強引にでも押し通そうとします。

また、自身に原因がなくとも環境の変化で追い詰められてしまった時も同様に行動して間違った結果を強引に押し通そうとします。


通常の商売では利益が求めるだけ出ずにそのままでは破滅するしかない為に水増しや偽装や混ぜ物をして利益を求めるなどは典型になります。

その結果を見て、罰せられない事に気づいたなら利益が出なければ破滅するしかない状況に追いつめられていなくとも水増しや偽装や混ぜ物をする様になります。既に罪悪感やルールを遵守しようとする意志は一度放棄している為に、最初の一回だけですぐに全く罪悪感を感じない様になりませんが成功体験として結果を蓄積した事で利益を出す為の選択肢として常に意識してしまう様になり、すでに一度している為に行動するかどうかの閾値が低くなっており、また、欲望というものは行動を後押しし行動する為の指針から算出された根拠を集めたものを量とするならその量に上乗せされて比較する際に正しい選択が出来ない様にしてしまいます。基準を超えて目的に合致した行動の中からより利益を得るものを選択し、本来なら悪事は最初から選択肢に入れないのですが、既に一度行っている為にその方法も結果も経験として持ち、次の結果を予測出来る為に他の方法と比べてしまいます。

例えとして同じ形の計量カップが並んでいたとします。それぞれが1つの行動を実行するための基準を量る為に用意されているとし、1つの行動には2つの計量カップが用意され、肯定を量るカップと否定を量るカップがあるとします。行動する根拠をその度合いにより量として表して計量カップに注ぎます。その中で肯定のカップが一定の目盛りを越えたものでかつ否定のカップの目盛りが基準に届かなかったものが目的に合致した行動として選択出来るものになりその内のどれかを選択しますが大抵は2つのカップの差が最も大きいものになります。場合により利益率を差の代わりに用い、繰り返し行われる行動で同じ期間に行なわれる回数が違う場合は全体量で選択する事になります。

注ぐ量はその状況変化で重み付けが変わり、一度悪事を犯して罰せられなかった結果を持つ者はルールを遵守する重みを表す量を軽い重み付けで量を決めるでしょう。単純に言えば誰かが係数1を掛ける所を0.9などを掛けるようになるという事です。その量の定義自体は大半の者が慣習や過去の事例から見た結果を用いて推測したものになるでしょう。それが正しいか分からないがとりあえず以前からこの量であれば問題ない、皆がそうしているから問題ない、とされる量を用い、そこに係数を掛ける様になるという事です。その元々が曖昧な為に正確に根拠を表す量を決める事が出来ず、そこにまだ実は許されるものがあって省けるのではないかと考える様になります。そしてその省ける量を余分と考えて省き基準を満たさない様になればその行動を選択出来、利益と損失の差を考慮する段階になります。省いてよかったかどうかは罰せられるか罰せられないかで結果から決め、一度そうしてしまえば、欲望が満たされるまで『次はもう少し、もう少し』と罰せられるまで省き続けます。その考えは他の行動にも適用され、選択出来る行動は増え、それらの行動を押しとどめるのは『罰せられるかも知れない』という考えだけです。


そして欲望というのはそれに加えて、肯定のカップに加えられる利益の重み付けを変えさせます。更に多少の理性が働いて利益を正しく見ようとしてもそれが自身の生存に不利な結果であったり欲望を満たせない結果だとすれば、カップの下に台を置き、上げ底をする事であたかも量が増えたかのように錯覚して選択出来るようにします。或いは丁度水の量を多く見せる為に金属などを入れる様に欲望の塊とも言える物体を入れて量を水増しするでしょう。そして否定のカップが基準値に到達していても何か別の根拠を見つけ出して実行する正当性を自分の中で得るでしょうし、最悪は否定のカップは判断材料にしない、という方法も行われます。

これには利益と損失を比べて利益があまりにも大きいから損失は考慮しないなどの考え方がありますが、大抵こういった時には考え方に主観による利己益につながる考え方があります。たとえばダム開発で下流の住人を別の場所に移住させますが、ダムを造る事で得られる利便性や公共の利益がかなり大きいからダムを造るとそこに住めなくなる者達の利益は考えずに損失を与えるというものがあります。ここでダムを主張する側はその損失を被る事なくそれが分かっているからこそ自身の得る事が出来る利益のみを見て、方便として使っているかも知れません。そう言えば相手も納得するしかなく拒絶しても大義名分で排除出来るために利益が確定出来、その利益は普通に生活していても手に入れるには難しいからこそ行う判断に至ったかも知れません。それが本来あるべき、社会の利便性を理由に計画されたものとの違いはその行動過程には違いが生じません。生じる部分は場所の選定や利害関係者の選定における部分で計画として動き出す前に違いを判別出来る情報があり、計画のみを見てもその意図がどこにあったのかは分からず、この様に因果律は逆にはなりません。情報の不可逆性を利用して悪事を成す者はどこにでも居ます。この場合ではダム工事を行えば利権が得られるから後の事などどうでも良いからダムを造るという考えでその考えを正当化する理由を設けて自分も他者も錯覚させるという方法です。ダム工事に否定的なものにも利権を与えたり、雇用対策だとして利益を分配して黙らせる方法などで自身の考えに否定的な意見を抑圧します。


この場合、否定のカップがあり基準値に達した場合は肯定のカップが基準値に達していてもルールやモラルに違反しているから実行する事が出来ず、その制限を撤廃する方法を探して利益を得ようとしています。しかしそれでは利益の大きい行動ではあるも行動出来ない場合が発生し競争に負けるので否定のカップが基準値に達していようといまいとその利益が必要不可欠なら実行される様になります。

必要に迫られて、時間制限があるから、という理由で、行動出来ない条件ではなく行動してはならない条件を緩和します。

そしてこういった判断を自身に対しての錯覚を用いて行えるようにすれば否定的な条件が積み重なったとしても実行出来る様になり、先ほどの例えでは否定のカップを失くし1つのカップで行動を判断する様になります。否定するかどうかの判断は肯定に属する利益部分と否定に属する損失部分の合算で判断し、否定条件が積み重なってもそれだけでは否定する根拠にならない様に仕組みそのものを変えるのです。

利益に関するものは今まで通りに量を足し、損失やルールに抵触するものは元々の損失やルールを表す量を足した後に更に省けたり考慮しなくて良い根拠が付随するなら量を増して有利な選択である事を明示して差を表し総量で比較します。この場合の錯覚は、本来損失やデメリットというものは減算や失われるものというイメージが付随していますが、扱いを逆転させて加算にする事で損失やデメリットに付随するイメージに対する忌避感を排除します。加算は利益や追加といった好まれるイメージがあるので罪悪感や抵抗感が緩和され行動として選択しやすくなります。勿論負債などの考えもありますが基本的に利益を得るのは加算で損失を被るのは減算のイメージがつきまといます。

そうしてこれまで培っていたルールなどに対する無条件もしくは漠然とした倫理観を緩和して行動を選択出来る様に自身を錯覚させて判断する様になると、2つのカップを用いて判断していた時より多くの選択肢が生じます。本来は否定されるべき条件を満たしたものも総量で判断すれば利益になるかどうかだけで判断出来るからです。


簡単に言えば為政者の論理とも呼べます。大を生かして小を殺すという考え方は相手に勝つために行なわれ、その根本的な原因は対立です。殺し合いに発展する程の競争を行う為にルールを無視した方法も許容され、許容されるが為に利権を得やすくなり、利権を得る為に対立構造が作られます。『仕方がない』、『時間がない』、『他に方法がない』という理由で本来あるべき論理性を無視できるなら容易く行動出来、論理性がない為に瑕疵を生じさせ、その瑕疵を生じさせるために時間や資源の制限で煽り利権を生み出す行動を認めさせます。勿論為政者とはそういった行動を取らない者を言うのですが表面的な行動にはその違いは現れず、それ以前の状況やその後の結果とのつながりでしか違いを判別出来ない難しさが生じます。

政治をまともに行っている振りをして利権を使い利益を得るが、他国の勢力と共同して行い最終的には亡命して利益を確保する売国奴なども表面上はまともな為政者と変わりありません。政策は実行しますし議会にも議題を提出し討論し調整します。ですがその目的が違い表面だけを見ても偽装される為に違いを見分けるのは難しくなります。『あなたがたが選んだ人物がしているのだから国民であるあなたがたにも責任がある』という言葉について説明しましたが明確な違いを示す事が出来なければ計画の途中で違いを指摘するのを、つまりはその犯行を暴くのは至難の業になります。

それは相手の行う行動をマトリクスとして、それを包括する少なくとも一次元上のマトリクスの演算を行い正解を導き出せる能力が必要な事になります。


この売国奴などの行動は計画倒産と同じ論理であり、失敗を救済措置や例外措置がある前提で悪用して利益を稼ぐ方法と言えます。製品を作って利益を得ながら廃棄費用を誰かに肩代わりさせれば大幅な利益増を見込める、という考え方です。


こういった考え方になり再度実行し結果として成功すればまた罪悪感を感じる量が少なくなり以前よりも容易く悪事を犯す様になり、最後には罪悪感を感じず悪事を働く事になります。


話を少し戻しまして、以前より増えた知識や高くなった技術力はかつて同じ状況になった時と違う選択肢を与える事で以前とは違った結果になる為に知識を与える事は危険を伴います。


以前は交渉や競争に不利になっても受容していたものも、劇薬や毒の存在を知り破滅から逃れる為に使用して成功させて生存する。

先程も言いましたが以前は交渉や競争に不利になっても受容していたが、水増しや偽装出来る事を知り実行して競争に勝ち生存する。

不利な状況に追い込まれた者を助けようとして知識や道具を供与して、その知識や道具を用いて襲い掛かられるか権利を奪われる状況になり不利な状況に追い込まれた者は生存し、代わりに助けた者が不利な状況に追い込まれ破滅する。


この様な事が発生します。


以前から言っている様に概念とは対象とそれ以外に分ける方法です。分けた時に私達の不完全さからどうしても瑕疵が生じます。そこには悪用出来る自由度が存在し、その誘惑に勝てないならば容易く悪事を行う様になります。


『暗闇を見つめる者は暗闇からも見つめられている事を忘れてはならない』、『暗闇を見つめるには暗闇を見つめても惑わされないだけの能力が必要だ』という言葉がある様に知識を得る事で選択肢が増えた時に悪用しないだけの知性と能力が必要であり、それがない者に知識を与えてはならないのが基本ですが、弱者であればある程に足りない能力を補う目的で知識を得ようとします。自身では思いつかない事も他者から与えて貰う事が出来、手に入れてしまえば自分のものだからどの様に扱っても構わないと考え、本来はしてはならない行動をしてしまう様になります。

剣を手に入れた時、銃を手に入れた時、それを護身の道具ではなく相手に襲い掛かる為の凶器として扱ってしまい、そしてその凶器はルールを守る約束をしたからこそ与えられた物であるなどは良い例になります。


しかし同時に、相手から不当な虐待を受け、状況を打開する為に劇薬や毒薬を飲ませる事もあるでしょう。また、他者が水増しや偽装を平然とする様になり自らも同じ様にしなければ競争に負け破滅するしかないから同じ様に悪事をするかも知れません。また、不当な虐待をする者を排除する為に武器を使うかも知れません。どれも狭い範囲に区切って抽出した状況だけを見れば先程の状況と混同出来るものであり、形だけを見て罪を決める事の危うさが分かります。

本当の罪の在り処を判別出来ないと間違った判断をし、状況を改善しようとする側を不当に罰する事になりかねません。


また、状況の変化から罰せられない様になる事でルールを守らないで良いと思うか、追い詰められてしまいルールを守れば破滅するしかないからルールを守らないで良いと思い込もうとする事もあります。

これは私達が辿った悲しい事例ですが、食料を供給するシステムの従業員とそのリーダーが居たとします。リーダーは生産現場に居らず離れた場所に居り普段はリーダーの指示に従って行動をしていましたが、社会体制が崩壊してしまい皆が生存の危機に陥った時に、リーダーは食料を確報しようと行動しますが、その様な状況では全員に行き渡るだけの食糧などありません。すると現場の従業員はリーダーが食料を確保すればまず間違いなく自分達は飢えて破滅するしかなくなります。ではどう行動する様になるかと言えば、既に社会は崩壊して権利を与える根拠がなくなっているのだから従わなくて良いと思い、生産現場と食料を保有しているのは自分達であるからその所有権は自分達にあると主張し始め占有します。そうすると反乱という形で食料を奪われる事になったリーダーは破滅しますし、その食料をあてにした計画も潰れ更に社会は混乱します。

そして更にそういった状況では食料を持つ者が圧倒的優位に立て、食料生産に携わってこなかった者達より優位になれます。そこでこう思う様になります。『実は自分達の方が偉かったのだ』と。

自分達が食料を供給して、それ以外の分野の者達はそれを貰う事しか出来ないのだから自分達の方が強い立場にあり、計画を実行したり知識を解明していた偉い連中というのは実は偉くなく、自分達を騙して搾取していたのだと思う様になります。そして、食料で相手の生殺与奪の権利を得て相手に譲歩を促し受け入れがたい要求も受け入れさせながら、相手を奴隷の様に扱う快感を得るのです。また、社会体制が崩壊するまでに崩壊を阻止する為に強引な要求をされた経験があれば、仕返しとばかりに行なうかも知れません。なぜなら立場が逆転したのだから今度は自分達がする番だと思うのです。それが自身の知性の低さに起因する"自分から見た世界の真実"でしかない事は思いつかないのです。

更にこの結果を見て、食料を使って相手の生殺与奪の権利を得ればいいなりに出来ると考える様になります。そして食料を与える代わりに技術や知識を取引する様になります。相手の弱みを握っているのですから言い値で取引出来、相手からすれば捨て値であろうと取引せざるを得ない状況を作り出せば多くの利益を得る事が出来ます。そしてその成功体験が忘れられず同じ様に悪事を繰り返そうとします。


この結果に至るとその原因は知性の低い者を生かした事が原因だという結論に辿り着くしかありません。危機的状況程その人物の本質が見えると言いますがそういった者に役割を分担させた事がまず間違いであるとなり、その傾向を示すのは知性の低い者に多いという結論に至り、一定の水準に到達出来ないものは排除する社会にせざるを得ず、そして極端になれば選民主義とも言える状況に陥ります。


ここで食料生産に携わった者達というのはそれ以外に適性が無かったが為に食料生産をしている可能性が高い事に注意する必要があります。いわば誰でも出来る労働をする以外に可能性を示す事が出来なかった者達です。村という小規模から国という規模になるとしてその成長過程で誰でも出来る事以外の可能性を示す事が出来ずに技術の向上や知識の解明もしくは特殊な専門技術の才能を見せる事のなかった者が単純労働や定型作業を行います。そして役割分担され、社会は高度な発達を見せ、可能性を示す事も無かった者達でもその恩恵に与かりある程度の能力を得る事が出来ます。

ここでは能力のある者も食料生産者には居る、という反論は無視します。なぜなら誰かが解明した知識を学ぶ事で能力を得た者でしかなく、ここで問われるのはその能力を与える知識や技術を解明する段階を問題にしています。良き生産者が超一流の学者であり常に最先端の研究をしている事はまずありません。生産者の大半は誰かが解明した知識や技術を現場で応用するだけだからです。

そして社会が崩壊した時に裏切られる結果になると、誰も食料生産以外の役割を担いたくなくなります。そのリスクを受け入れる事が出来なくなり、受け入れると悪用されるのです。そして自身が解明した知識で以て自身を脅迫する材料にされる事になります。基礎研究や高度な専門分野の研究は直接に実利を生み出すわけではありません。そうなると実利の為の知識を扱う労働者の方が有利になり、また、既存の労働者同士のつながりという強みもあって、研究をしていたが環境の変化から単純労働や定型作業をしなければならなくなった、という時に今まで培ってきた能力や知識は対象となる労働の実利に無関係であるから弱者とみなされて譲歩させられます。そうなれば最初から研究などせずに単純労働や定型作業をしていた方が有利になり誰も難しい研究をしなくなります。リスクが高すぎハイリスクハイリターンの博打を行っているのと変わりなくなってきます。

ここでの問題点は何も努力しない単純労働者や定型作業者が努力らしい努力をせずとも優位に立てる環境になってしまっている事です。そういった者も『努力している』と言うでしょうが努力の質が違います。定型作業を行うだけで役割を果たせる者と定型作業を行えば利益が得られる根拠を作り出す者ではその難しさが違いますが、根拠が作られ恩恵を受けている者はその方法を学び、自身のものだと思う様になり、社会体制が崩壊するなどの大きな環境の変化があれば自身は相手の知識を持っているが相手は自分の持つ知識を持っていないから自身が有利だと思い行動します。そしてそれまでの力関係から自分達に不利益な要求をされる事が多かった事を根拠に『立場が逆転したのだから今度は自分達がする番だ』と錯覚し実際には行われていない根拠を理由を行動します。社会の中で派閥争いや勢力争いをする際に負ければ破滅するしかないという状況で不利になれば、負けない為に全員に今まで以上の労働や努力を課されますが、知的労働者には更なる知的労働が、肉体労働者には更なる肉体労働が課され、しかし肉体労働者から見れば知的労働者の受け持った負担は目に見えず自分達だけが負担を背負わされたと錯覚しやすく、何かのタイミングでその不満が表面化しやすくなります。勿論、知的労働者達の中でも見た目が同じだから怠慢をする者はいるでしょうが、それは肉体労業働者も同じであり形として見えやすいか見えにくいかの違いでしかありません。しかし肉体労働者や定型作業者の側が錯覚しやすい原因は主に実利にあります。自分達は作業をして成果を出しているが知的労働者は成果を出していない、という考え方です。この場合の問題は先ほども言いましたように、利益が得られる根拠を与えられて行動しているのだから利益や成果が出るのは当たり前であり、知的労働者、ここでは研究者ですが、そういった者達は定型作業は出来ず誰かが作ってくれる"利益が得られる根拠"を基盤に作業が出来ません。1時間働いたからそれだけの成果があるという根拠がありません。

先程の例にもありました、肉体労働者が土を掘り、何の用途にも使わずに埋め戻すという作業をして報酬を貰えたなら成果とみなされますがその利益を生み出す根拠がどこにもありません。その利益が得られる根拠が必要であり、ここで労働者側が自身が破滅しない為には雇用から生まれる利益が必要だからと同じ事を実行する様になればそれは全体の損失であり、もし仮に労働者側が相手の弱みを握っている状況の優位さを使って、計画を実行して根拠を作り出す側を脅し、欲しい状況を得るなら社会は損失を出し続ける事になり、誰かがその損失を補填しなければならず責任を押し付け合い争う事になります。押し付けた側は楽に利益が得られる根拠を得ながら単純作業や定型作業を行い『自分達は役割を果たしているから自分達は悪くない』と自己正当化を始め、他者に責任を押し付ける様になります。

こうした状況の単純な例は国債を発行しながら雇用対策を行い、既に適用出来ない過去の事例の結果を基に対策は効果があると主張したり、将来的に財源が確保できるから問題無いと楽観視して主張するなどで現状の利益を確保しようとし利権を得て行動するものがあります。そして自分達は働いているのだから『自分達は悪くない』と主張し、その利権の恩恵を受け取る事が出来ずに不利になった者が破滅から逃れる為に暴動や犯罪をするとその行動が社会を混乱させて失敗させる原因であると主張し、また『だから自分達は悪くない』と主張します。そもそもの根本的な原因や問題の本質から目を逸らさせており、また、自分達の目を逸らさせています。

このような事例としては本来の実用とは関係ない商品の流通などがあります。実績が必要だから取引をするがそこに実質的な利益はなく、単に実績がある事に出来れば付加価値としてどこからから別の利益が手に入るという状況を悪用します。例えば働いている者と働いていない者であれば働いている者の方が偉いという固定観念があります。賄賂を渡すなり媚びるなりで働き口を手に入れてそうしない者との差で相手に強制して譲歩を促し利益を得る方法などがあります。また、システムを稼働させてそこに参加している結果を理由に、参加出来ない者より優位であると錯覚し、その差で譲歩を促す場合もあります。その際には損失であろうともシステムを稼働させてサイクルを維持しながらその損失の補填に、『自分達は働いているから利益を生み出している』と理由をつけて稼働に参加していない者に同様の利益を求め、相手から奪い取る様になります。


例えば嗜好品や装飾品でそれが必要不可欠な分野以外にはそこに実利というものは発生しません。飾り立てて対外的にアピールする必要が必ずある職業ならそれを消費し、そしてその対象に供給して初めて実利が生まれます。では逆に言えば必要である事にして押し付ければ自分達は働いていて役割を果たしているのだから何の責任もなく報酬を貰えると言えるでしょうか。この場合、装飾品などを受ける側は元々何らかの利益を得る方法がありそれに必要不可欠であるから装飾品を手に入れる結果になっています。そして装飾品の対価を装飾品を供給するシステムに属する側は報酬として得ます。では装飾品を供給するシステムに属する側が、自分達には報酬が必要だからと装飾品を作りそれを装飾品を必要としていた側に強引に押し付け対価を要求し報酬として貰ったとして、果たして装飾品を必要な道具の一部として利益を得ていた者がその利益を得る根拠を得られる事になるでしょうか。そうなると押し付けられた側は利益を得られる可能性もないのに装飾品を押し付けられて対価を要求されその損失を補填出来なければ破滅するしかありません。そしてその押し付けられた者も同様に他者に押し付けようとし連鎖します。その連鎖の先で問題ば発生したとして、その原因はどこにあるのかと辿る事になり、本当の問題まで辿り着けなければ何度でも同じ問題を形を変えながら発生させる事になります。

この結果の前例は、装飾品を作るシステムを稼働させる集団とそれを使用する集団がもう一つ大きなシステムの一部で協調関係になり、装飾品を作るシステムが崩壊すればその損失をその周囲も被る事からそのシステムの延命の為に周囲が買い支えようとした結果として存在します。その間にそのシステムが安定できる利益を得られる根拠をもう一度構築しなおせば買い支える必要がなくなり問題は解決します。

その結果を見た側は、その方法でその場しのぎとはいえ買い支える事が出来る事で権力側として配下に命じて実行しようとし、また、同時にそうすれば自分達は生き残れると思いかつ錯覚し、崩壊させない為に買い支えさせて良いのだと思う事で常に供給し続ければ利益を楽に稼げて安定させる事が出来ると思う様になります。そしてその要求をされた側は支払った報酬を損失として計上します。そしてこれが個人であれば当事者間の問題になりますが権力者が行うと話は変わります。売り手と買い手だけの話になれば縁を切るか良い取引先に変えるなどの方法もあるでしょう。しかし権力者がここに利権を見出すとその様な方法は取れなくなり、自由競争と称した世界ではなくなります。先程の話で押し付けられた側もまたその押し付けられた損失を埋め合わせる事が難しく、同様に権力者に処理を任せるでしょう。そうなるとまた他の誰かに押し付けられ、それがまた誰かに押し付けられる状況になり問題は解決しません。最終的にどこに損失が押し付けられるかとなると国家、地方、などの法的人格を有した存在です。或いは権力者に反抗する者、優先順位の低い者として賄賂を渡さない者や媚びない者になります。

"死人に口なし"という様に批判をしない相手は押し付けるにはとても都合の良い存在になります。批判されない為には黙らせればよいと考える事が出来れば実に物事は簡単に解決します。自分から見た世界での話ですが。


そしてその押し付け合いを権力者主導の元で行った結果、参加した者は保身の為に他の誰にも責任を追及しない状況が出来上がり誰も悪くないという主張をし、かつ参加した者は表面上は働いているので『自分達は悪くない』、『自分達は役割を果たしている』と主張します。そしてその作られたサイクルに参加せずに働いていない者が居ればその人物や集団に責任を押し付け、問題から目を逸らします。利益を作り出す根拠がなくサイクルを回転させている為にそこにかかる手数料や資源の消費分の損失も実質的に蓄積しますが誰もその責任は取ろうとしません。そして利益を得られる根拠がない為に利益を確保するには国債などの負債で賄わなければならず、更に権力者はその介入により利権を得て利益を稼ぐので負債は膨れ上がります。


これには権力者の無知と属する集団のなれ合いが原因になります。権力者は以前に買い支えをした結果として状況が持ち直した結果を知る為に同じ事を繰り返してよいと思います。しかしそこには利益を作り出す根拠が必要になっている事に気づかないならその表面的な対処だけで済ませてしまいます。そこで買い支えが成功するには周囲に利益が得られる根拠を生み出せるだけの余力が必要になります。

例えば大型テーマパークを誘致して利益が得られると主張して利益を得ようとしても、その利益は周囲から充分な資産を持った顧客が訪れる前提であり、周囲が好景気でもなければ期待出来ない利益を求める結果になります。自身が見たリザルトセットの中になる結果がどの様な状況で発生した結果なのかを知らない事で起こる間違いであり、かつ、間違いであってもそうすれば利権が得られるから実行されるものです。


先程の話では買い支えを命じたならその対となる方法としてシステムが安定出来る為の利益が得られる根拠を与えなければならずその方法を模索しなければなりません。しかし権力者がそれに気づかず、そして命じられる集団も権力者に任せていれば良いと錯覚すればどこにも利益が得られる根拠は作られず損失を別の場所に移し替えただけになります。その繰り返しにより社会は疲弊しやがて崩壊します。これを"長いさよなら"と表現する事もあります。


そして更に結果を見て悪事を行なう様になります。自分達が生き残る為に買い支えさせて良いと思う様になり、その根拠として『自分達は働いていて報酬を得ても良い』と考える様になれば他者に押し付ける様になります。強引に押し付けるのが合法ではないとするなら、次は従わなければ破滅する相手に押し付ければ良いだけになります。買わなければ破滅するしかなく、買えば更に不利な取引の損失を補てんする必要が生じ、増々不利な状況になっていきます。

有利な条件で相手に押し付ける様に取引すればそれで自身は利益を楽に確保出来その後の事などどうでも良いと思えるなら効率の良い方法になります。その状況に陥ったのが悪いのだ、能力がないからだと思う事も出来ますが、その状況を作り出すのに権力を用い、利権を駆使した後に、賄賂を贈らず媚びもしない者を排除する事で生じる状況が正しい事にはなりません。そうであるがために能力主義などは多用され、また、それに気づけない者程、本来考えるべき事を考えずに専門性を特化させて状況を悪化させる要因になります。

その場しのぎの方法を選択し、賄賂や媚びで延命を図り、能力を向上させないか必要な能力を向上させる事を疎かにして利益を得る為に必要な能力ばかり向上させる者が生き残る結果になります。

結果として、長くその分野に居る事で得られる経験や知識で他者に勝つ事が出来る状況を賄賂や媚びで手に入れ、その優位さを用いて他者に譲歩を迫る集団が出来上がります。こうして利益を得る方法そのものが変化し劣化した社会が出来上がります。

そして生き残った者は、能力があるから生き残った者とは言えますがそれは純粋にそう言えるものではなく、"媚びや賄賂を平然と行い悪事を働く者の中で"能力があるから生き残った者と言えます。その時点で可能性を一部、場合により大半を捨てている事になります。しかし個人の主観から見て自身は生き残っているのだから強いと錯覚出来てしまいます。

媚びや賄賂そして悪事を行う競争に勝った結果は本来の結果とは違い、そこに既に歪められた結果があり、そうして生き残った者がそこにいる事が本来の結果から違ったものになり、私達の種族としては望んだものではない結果になります。競うべき能力を競わずに他の不正手段によって勝ち、能力の劣った者が生き残り、種族としてはその質を下げる結果になったからです。媚びたからと言って知識が解明出来るわけでもなく媚びたからと言って技術が向上するわけでもありません。媚びたからと言って世界が手加減してくれるはずもなく、媚びたからと言ってエネルギーが無限になるはずもありません。

そうやって居座った者が勝てるのは長年の経験と他者を排除する事で同じ経験と知識を持つ者が居ない状況にしただけであり、本当の意味で他者より能力があるからそこに要るわけではないという事を知る必要があります。誰でも長年経験を積めば辿り着ける能力の高さで他者を排除して同じ能力を有させない事で居座っているにすぎません。簡単に例えるなら自身より能力のある者を未熟な段階で排除する者が居るという事です。

そしてその能力がない事実から目を逸らすように他者に責任を押し付けて『自分は役割を果たしている』から『自分は悪くない』と言うのです。本来あるべき状況はその人物が居る事で起こらなかった未来でありそれを比較する事は出来ません。そして媚びや賄賂が励行する社会である限り、媚びや賄賂をする事でしか生き残れない社会となり、媚びや賄賂をせずとも生き残る事が出来る能力を持った者は育ちません。苦境に立たされる、難しい問題に直面する、などの場面においてそれを打開するための方法を模索するのではなく媚びや賄賂で生き延び、能力を向上させ正しい結果を生じさせる機会を逸する者により状況は違う形へと変わり続けるでしょう。しかし世界は常に"した事はしなかった事にならず"、既に起こった事は起こらなかった事にならず、そこから続けるしかありません。だからこそ行なわれ、他者を悪事で排除する結果が間違いだと分かっていても代わりになる人物が居なければ自身は排除されない為に同じ行為を繰り返し、他者を排除し続けようとして保身を続ける様になります。そしてその人物の属する集団は相対的な損失を出し続けて弱体化します。その弱体化が表面化しない場合は他も同様に弱体化している場合かすぐに結果が表面化しない場合のみです。


つづく

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テンション上がる->この言葉は良い意味では使われません。テンションとは「張力」という意味で、張り詰めていた緊張の糸が切れた、などの表現にあるように緊迫した状態を指します。追い詰められた状態などの心情を表すものです。それでも良く『テンション上がって来た』などとTVなどで間違わせようとしているのを見かけます。それはそういった状況に追いつめられた者を見てもそんな状況にはない、と錯覚させるためです。そして、その錯覚をしている者の前で平然と気づかれない様に悪事が行われます。良い意味でつかわれるのは『モチベーションが上がって来た』です。テンションは外的要因で引っ張られる様に、上昇する、もしくは引き延ばされる、という意味であり、モチベーションは自分の中から湧き出るもので、上昇する、もしくは広がる、という意味になります。ある状態を形作るスナップショットを見てもそれがどのような状態遷移で作られたのかはその一枚のスナップショットからは分かりません。

例えば風船を膨らませている写真があったとして、それは本当に膨らませているのでしょうか。しぼませているのではないでしょうか。

例えば密閉された透明な箱の中に風船があったとします。風船を膨らませると箱の中の空気を押して風船は広がります。箱の中の空気を吸って減圧すれば、風船は引っ張られる様に膨らみます。箱の中を見ているだけならその違いに気づけるかどうかわかりません。


-->皆が皆、どうにもならない現状を『誰かがなんとかしてくれないかなぁ』と夢想し、『戦争でも起これば戦争を仕掛けた国の原因に出来るのに』とも夢想している。

<--だから対立を装って利権を発生させていると言えます。強引でも利権を貪り続けた後に、対立している事を口実に戦争を計画的に起こさせ計算が立たなくすれば、全て有耶無耶に出来ます。



-->これを男性の側から見るとどうなるかと言えば、女性が利益目的で脅しをかけてきたにも関わらず、不利だと知ればいきなり服を破り悲鳴を上げるのです。行動に一貫性がなく狂人でも見ている気持ちになるでしょう。そして自分が被害者だと主張しはじめるのですが、男性がこれに抗議しても状況証拠

<--これをビデオに撮っていた方の映像が随分前にTVで放送された事があります。女性が女性自身で自分達を守るための権利を切り売りしているようなものです。こういった事が多くなると誰もそういった状況を信じる事もなく実際に犯罪が行われても真実を突き詰めようとはしなくなります。元々そういった状況は証拠が少ない為に正しい判断がしにくいからです。


-->以前に対立の話をしましたがこういった理由でも対立が必要です。

<--以前書いた対立の所でつながりが悪くなるので書かなかった部分です。対立がなければ荒稼ぎ出来ないからこそ対立する状況が作られる、という事です。そこから目を逸らさせる為に"自由"、"能力主義"、"先取特権"、"競争"などが使われ『能力があるから楽な暮らしは当然だ』と夢を見さされます。実際は不正に利益を得る根拠を作り出すためのデコイでしかなくおこぼれ程度に利益を与えていれば自分の見たいものだけを見て勝手に満足して、自分より能力がない者から奪い取って利益として還元してくれる状況を作り出せます。本来あるべき行動に付随する考えは『そんなものは自分に関係ない』や『自分は悪くない』という主張で拒絶し、考えない事で現状の自分の行動を肯定します。


ハガ〇ンというアニメで国家錬金術師というものがありそれがさもヒーローに様に扱われますが、それは錯覚させたいためです。自身の判断能力の欠如を自覚せずに善悪の判断もせずに他者のいいなりで研究をするという行為はその研究が成功してしまえば悪人に利用される事が多く周囲に多大な迷惑をかけます。だからこのアニメのベースでも言われている様な『国家の犬』だとか蔑まれます。それを、さもヒーローの様に取り扱い、錯覚させて利用したいがためにああいったアニメがあります。聖書を知っている人向けに言えばこの場合のアニメのヒーローは『善きサマリア人』です。悪人がはびこる環境でもわずかながらに悪事を快く思わず出来る限り善行を行おうとする人間も居ますよという話であり、レアケースです。それを用いて誇張しさも『サマリア人全体が善人である』かの様にみせかける、そんなトリックです。子供相手にして良い事ではにないですが、それを平気でするのが現代社会です。悪人の悪人による悪人の為の社会だということです。


-->『暗闇を見つめる者は暗闇からも見つめられている事を忘れてはならない』

『善悪の彼岸』Jenseits von Gut und Bose


怪物と闘う者は、その過程で自らが怪物と化さぬよう心せよ。おまえが長く深淵を覗くならば、深淵もまた等しくおまえを見返すのだ。 --146節


というのが代表的な言葉です。意味は、怪物と呼ばれる化け物のような人間を相手にして悪事に対抗しようとするとその悪事について詳しくなるしかない。悪事に詳しくなるとその利益の出し方を知る事になり、抜け穴や死角を知る事になり容易く利益を上げる方法を知る事になる。そうした時、化け物として見ていた人物が見ていた"深淵に潜む何か"からの誘惑に注意する必要がある、というものです。"何か"は大抵は悪魔だとかで表現されます。ミイラ取りがミイラになるだとかで表現される事もあり、例えば警官が取り締まりをする中で犯行手口に詳しくなってしまいその誘惑に勝てずに同じ様に犯行するなどが良い例でしょう。


良くアニメとかで、善良な英雄が堕落したらどんな魔王よりも強力な魔王になるって話をよく聞くと思いますがこういった理由です。善良な側からすれば魔王とか呼ばれている側の悪事の方法なんてあって当たり前でそれをしないからこそ社会が成り立つと思っているわけです。しかしそれが分からない悪人がやりたい放題して絶望したら同じやり方で相手を加害し始める、というのが裏側事情かと。まあ、だからと言ってそれが正しい行為になるわけでもないですけどね。本来の目標に合致しないわけですから。


昔の良作映画に『スペースバンパイア』というのがあってですね、一定間隔で他者のエネルギーを糧にしないと死んでしまう宇宙人という設定がありまして、余分な量になっているエネルギーを皆で使いまわして生き延びてその間に獲物がテリトリーにきたら襲うという感じで行動しているシーンがあります。いずれエネルギーがなくなり破滅するがその前に外部からエネルギーが入ってきさえすれば万事解決というニュアンスが込められている様に思えます。

こういった映画を見る時、それが実は逆じゃないのかというのを考える必要があります。誰かにとって都合の良い内容を提供している可能性がある、という事を忘れないでください。何が逆かまでは書きません。



-->それでも誘いに乗らなければ子供を浚う、明確に脅迫する、場合により、子供に戻った後に成長する過程で投薬と洗脳教育で都合良く操れ、かつ必要な能力を有する様に調教します。

<--ブードゥーのマシンソルジャーやマヤのジャガー戦士なんてのが良い例です。大抵は兵士を作る時にする事なんですが、精神構造に欠陥があるようにすれば専門知識のみを特化させて操る事は可能でしょう。現に現代社会において科学者の大半は善悪の判断能力など既に(過去の善悪の基準から見れば)捨て去っていますから。なぜそうであったかの根拠を知らず、考えないからそこに付け込まれるという事です。


-->その目に見えない、実際には全ての者に与えられている役割だからこそ自明として明文化されてない役割を、誰かが知識を作ってくれる、整備してくれると錯覚して使う事自体に問題があります。

<--という事で与えられた知識を使う者でその性質が悪質であるものは、揚げ足取りだとか言われる状況を好み不当な利益を得ようとします。結果として善人なら少ない言葉を伝えるだけで済む出来事もその言葉の解釈をあえて間違う事で自信の利益を生み出そうとして期待された結果を変えてしまいます。そうなるとまともに指示や依頼をしても話が通じないという状況になり、『一から十まで言わないとだめなのか』、『一から百まで言わないとだめなのか』という指摘をする事になります。

この一、十、百は数字そのままではなく、『一』は目的を達成する条文のそれぞれを指します。よく、『一つ、・・・、一つ、・・・』という教訓などを読み上げる際に用いられるもので、どれも優先順位を付けられない必要なもの、という意味です。これを番号を増やしてに読みあげてしまえば下位の番号は優先順位が低い為に、状況により上位の番号を達成する為に省いてよいという錯覚を与えてしまいます。また、下位、上位で示したように、『どちらが』が下位でどちらが上位か分からなくなりもし仮に優先順位をつけて番号を増やして明示してもそのルールが基盤として存在しないなら逆にしてしまいます。

『十』は『Jeu』と音を取っても良いと思います。フランス語で賭け事などのゲームらしいですがそれよりもっと遡って、『J』、『ジェイ(ただしくはイェイ)』の意味で考えます。原音主義ではジェイと発音しますが『ジェ』と『イェ』の中間位の音です。フランス語の発音が一番正しいとは思いますが言語の大家ではないので自粛しておきます。『Judas』と書いて『ユダ』と読むのはこの影響です。原音で書くなら『イゥダ』と発音して『ユダ』と聞こえます。

『J』は『I』の反対語でアルファペットの小文字を見れば良く分かります。『I』の意味は悪い意味では浪費、垂れ流しですが良い意味では惜しみなく与える、という意味になります。『J』の意味は逆らう、騙す、裏切る、事で奪い取るもしくは利益を得るという意味になります。良い意味はあまり無く、場合により圧政を敷く側に反逆するなどがあるかと思います。この場合は大抵はレジスタンスなどになります。

『十』はこの場合はルール違反や悪事になります。


『百』は以前にお話しした様に『白ではない』もの、つまりは犯罪とは定義されないがグレーゾーンにあるものなどで証拠がなく罰せられないから罰を与える事が出来ないものなどになります。現行犯などの証拠がないものを指します。簡単に言えば利権です。明確に罰だと言う事が出来ないものでかつ大抵においてはそこまで管理していられないものです。例えば領主がメイドの1人に買い物を命じたとしてそのメイドが利権を使い、自身に都合の良い人物が居る店で買い物をして、本来あるべき買い物との差が生まれて損失を出したとしても領主はこれを一々咎めている余裕などありませんので見逃す事になり罰せられません。その状況が発生したとしてどこに間違いがあったのかとなれば躾けが出来ていないものに買い物をさせた、そしてそれでも改まらない場合はその人物にさせた事が間違いだとなります。既に間違いが生じている段階で時間的にも資源的にも余裕がない状況でその小さな一つを厳しく管理している余裕がないので罰せずに見逃します。そうしてメイドは調子に乗りどんどんと同じ様に与えられた役割が生み出す権力で私利私欲を満たし、それを見た周囲が罰せられないなら同じ様にした方が利益になると思い真似をしてルールやモラルが破綻します。そうなると領主は更に時間的にも資源的にも余裕がなくなり以前にも増して管理をしない状況になり、また配下の者達は不正に利益を得る事に精力を尽くす様になり、結果としてその社会は崩壊します。


こういった事態に陥らない為に躾けてから役割を持たせて行動させるのですが、相手を殺さない様に社会の中で助け合いながら活動すると時折それが分からない者が出てしまい、同じ様に躾けても躾けが行き届かずかと言って殺すわけにもいかないから役割を与えて行動させるがやはりあえて間違いをする。そして『一から百まで言わないとだめなのか』という言葉をその人物に言う事になります。


こうして個人に近い視点で利権を使う間違いを説明するとわかりやすいのですが、これを政治などの個人から遠い大きな視点になるとそれが分からず利権をさも当然の様に扱う者が増えます。その人物はまだその立場、位階に居るだけの資格がない証拠ですが、その資格を示せるだけの能力のない知性の低い者程、『自分から見た世界』の現実でそこに幻想して指示される立場の時の様に利権を使って利益を得る事が出来ると思い込みます。そもそもその行動が間違いであるとは気づかずに。そうして立場の低い時には小さな権限しかないから小さい利益しか得られないが立場が高くなると大きな権限が得られるからより大きな利益を得てよいと思い行動します。


その在り方の問題であり、性質が、考えが、行動が、間違いであり、これを666の獣、知識はあっても知性のない獣と表現します。


余計な事ですが、だから『イェーイ』という掛け声(日本限定)があります。


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