S085 スーパードクターJ
人知れず闇に生きる医者が居た。表向きは普通の医者だがその医者には秘密があった。
ヤビンは今日も一通り診察を終えた。今日も上々だ。しかしここ数年売り上げが落ちていて以前の様な暮らしは難しくなった。新たな細工が必要だがこの地域に住む人口の減少からか新たな細工先を見つけるのが難しく、先日産まれたミリの子供をどうやろうかと考えるだけでその他の有望な対象を見つける事が出来ていない。
医者は患者を治療してこそ報酬が貰える。その地方で患者が少ないなら医者は生活出来ずに廃業になるだろう。ただでさえ、医者の数が増えているのだ。患者の取り合いになり生き残るのも一苦労だ。だからヤビンは支配する民族の同じ仲間と結託してある計画を実施している。
患者が居なければ作れば良いのだ。家畜が少々困ろうが気にする事はない。むしろ私達の役に立って喜びでむせび泣くだろう。だがしかし時折何を勘違いしたのか騒ぎだす者も居て、そうなると他の仲間に迷惑がかかるから静かに実行するのだ。騒ぐ家畜の対処には苦慮しコストだけが膨らむ。
さて、ミリの子供をどうしようか。濃い料理を幼い頃から食べさせるのを推奨させれば成長すれば腎臓に障害が出てそれ以降ずっと生きている限り治療を受ける必要がでるだろうからこちらの将来の報酬も確保出来る。"美味しい"料理を食べさせていれば良いのだからこれは楽だろう。後は気づかれない様に情報統制だがこれも仲間がしてくれるから心配しないで良いだろう。次はミュータンス菌か。免疫系が発達する前に菌に感染させてしまえば免疫系はそれが自然な状態だと判断して免疫系が発達してからもその菌を排除しない。だから幼少期に感染させてしまえば真性の状態に出来、そうなれば定期的に治療を受ける必要が出来る。腎臓もそうだが虫歯もどちらも痛みが大きいから治療を拒む事も出来ずに治療に来るだろう。ミュータンス菌に幼少時に感染したら虫歯になりやすくもろい歯になる。そうすると事ある毎に歯の治療が必要で、生え変わった後はとりあえずすぐには抜かず削った後に金属を被せたり補強したりして時間を稼ぐ。その後は定期的な診察と称して少額を稼ぎ、そうして時間が経過するとジワジワと悪化を続けてやがて抜歯の必要が出てこれでも儲ける事が出来る。歯がなくなればそこに差し歯、それで補完出来なければ入れ歯になり、差し歯のケア、入れ歯のケアで金は稼げる。だがやはり歯そのものをいじるのが一番金になる。白癬菌も都合が良い。頭に感染させればフケと共に落下して全身に付着し感染箇所を増やす。これも真性になっていれば定期的な診察と処方が必要で、良い小遣い稼ぎになる。
だがなぜか既に処置済みの人間ばかりになって未処置の者の数が少ない。早く処置済みの家畜は廃棄して新品に入れ替えたいがやはり家畜に騒がれると面倒だから穏便にだ。他の仲間が上手くやるだろう。弱らせれば事故しやすく、また、弱れば競争に勝つために無理をしなければならない。そうするとやはり事故しやすく、怪我をすれば「いらっしゃいませ」だ。事故死しても代わりの新品を補充するスペースが出来て万々歳。私達の懐は肥えるだけで少しも痛まない。確定した定期収入があれば安泰で、その原資は家畜が自ら命を賭けてでも稼いできてくれる。こんな楽な方法をしないなんて馬鹿のする事だ。
そういえば最近はどこも患者の数が少なくなっているから別の手法を取り入れたらしい。合法臓器売買だ。対象者が自分が死んだ時に臓器売買されるのを承諾するかどうかのサインをする様になっていて、どうも家畜というのはバカばかりで自分から望んでサインするらしい。死んだ者から臓器を取り出して売る家業で仲間の雇用確保も出来て良い商売だと思う。それに、仲間の誰かがもしどこか臓器が悪くなったなら、拒絶反応の少ない家畜がいるかを探して該当すれば事故死に見せかけて殺しそれで交換材料は手に入り仲間の延命が出来る。なんとも素晴らしい事だ。まあ大抵は爺婆が少しでも生き永らえようと交換しているみたいだが。そうやって見て見れば家畜とは呼べず、金の実の成る木と言うべきか。
ああ、もっと楽で快適な暮らしがしたい。こう、ポンポンと家畜が子を産まないだろうか。そうすればそれだけ患者が増えて商売繁盛でうれしい悲鳴を上げる事が出来る。そうすれば旨い酒も飲め肉もたらふく食べれる。ああ、家畜増えないかなぁ。
そしてヤビンはミリの子供が来た時に使う診療記録を予め用意しながら端に暗号を書き加えて施す処理を決め棚に入れた。
「というような事は起きるのじゃろうか?」
「なるほど。医者や葬儀屋などの職業の者がモラルを失えばどうなるかと言う話ですね。」
「概ねそう。」
「医者や葬儀屋の様に誰かの不幸で収入を得る職業はその収入源が誰かの不幸に起因するわけで、世の中が平和になり安定すればする程に彼らの収入は減少傾向を示し、彼らがその職で多くの利益を出し、生活に余裕を得るには災害、病気の流行などの出来事が必要であり、彼らが裕福な暮らしを夢想する時に、「ああ、お貴族様の葬式でもないかな。そうすればご祝儀一杯貰えるのに。」と考える様になります。利益の求め方が誰かの損失により得られる利益に固定される様になり、思考はその傾向を示すようになります。自身のその考えがどう間違っているかは自身の生活環境を抜け出さないと分からず、その為に長い間、場合によっては一生そのままで過ごします。
人は日常の一つ一つに一喜一憂する事はありません。それが基準であり、起こるのも悲しむのもそこからの差があるからです。そして何も考えずとも日常として慣習として従っているのなら、何が良くて何が悪いのかすら分からないままに、死ぬ危険がないから、罰せられないから、誰かに後ろ指さされないから、そのままで良いのだと思って生活をするでしょう。
それでも彼らが利益を求めたとしましょう。そうすればどうなるか。彼らの考え方は誰かの損失により利益を得る思考に固定されたままです。より利益の出やすい状況へと誘導する様になるでしょう。罰せられないものというのはルール違反していないものとルール違反しても気づかれにくいものがあり、どちらも罰せられないという点では同じであり、軽微であるから罰せられないものなどは、それでも小さい影響は与えられるために何度も行う事で差を作り出す事が出来ます。そもそもが軽微だから罰せられないものはそれほど頻度が高くない為に罰せられないのであり、その頻度を増やせば影響が出て悪用出来るようになります。その為、その悪用が発覚すれば厳しい基準で取り締まる事になります。
そうするとしばらくは抑制できますが、やがて発生する頻度が低い状態になりその状態が長く続くと厳しい基準で取り締まっていた根拠を忘れてしまい、そうなると悪用したい側はそれほど厳しい基準でなくとも良いのではないか、と言い出し、集団が根拠を忘れているとその言葉に従ってしまいます。なぜ従うかと言えば厳しい基準程維持が難しく労力もコストもかかる為に基準を維持しなくて済むなら効率的だからです。そうしてまた基準が緩められ、基準を緩めるのを待っていた者が悪用して利益を稼ぐ様になります。
このやり取りの一形態が規制緩和であり、だからこそ規制緩和を行う根拠にされる場合があります。
そもそも彼らは今までより利益を得たいと思うならどうすべきだったでしょうか。それは分不相応な対価を求めたのですからそれだけのリスクを得る行動をする必要があり、職自体を変えるなど、望む利益を得る為に必要な条件を整えるのがまず先です。そうした行動もせずに、保身したまま利益だけを得ようとするのが間違いであり、誰かに守られて与えられた定型作業をしているのだからせめてその誰かがその状態を維持している行動の邪魔をしない様にしなければなりません。自身は従っているだけで利益の分配を受けるのです。その利益を得る為の根拠を作り出している者の邪魔をすれば当然全体の利益が下がり、分配も下がり、生活の質は低下します。これも不況の原因です。
社会を大きなマトリクスと見立てて、その中で行動する事は小さなサブマトリクスだとします。明文化出来ない些細なものは本来の完全なマトリクスから見てブラックボックスのままに残り、私達の持つマトリクスは荒いマトリクスになっているとします。その中で行動して自分から見た世界では問題ない行動も大きなマトリクスとの間に整合性があるかどうかはその行動が"問題ない"と評価されてもそれだけでは不明です。緊急避難的措置などは現状に対処するために、充分な条件を削り、必要な条件を削り、最低限の基準で目的を達成します。つまりは大きなマトリクスとの整合性が取れていないわけです。その境界に不整合が生じ、差を補填する必要が生じます。私達の場合は小さな損失を個別対応したり、時間経過で誤差になるまで放置する事になります。場合により、問題があっても解決できない為に放置したり、解決しない事を悪用したりします。
さて、社会で行動する者は一人でしょうか。社会の中の構成員は全て同時に行動しています。すると大きなマトリクスの中をその行動の規模で埋めようとするわけです。互いの行動が干渉し合い、行動に支障が生じ、互いに交渉し、お互いが行動出来る様に調整します。その結果として予測と違う結果が生じます。交渉したから予測と違う結果が生じる、のは既定の範囲であり、ここではそれぞれの結果が影響を与えた後のマトリクスが違う形になっている為に、予測する段階の条件と変わっている部分を考えます。予測前のマトリクスで計算して予測した結果を見て行動し影響を与える時に、他者が同じ様に影響を与えて変化させたマトリクスに影響を与える事になります。結果として予測と違う結果になり問題を生じさせます。
簡単に例えるなら資源が10個あり、自分が7個使う予定で行動した時に、他者が8個使おうとして互いに失敗する場合があります。事前に交渉していれば良いのですがしていなければ互いに失敗します。また、資源を5個使い、残りが5個と予測したから実行したが他者が3個使い、結果として2個しか残らなかった。この後に計画でまだ使う予定があったが計画が狂う事になったという事もあるでしょう。
そういった事例の中で、解決しにくい問題はその差が微差であり、明文化、定量化、定数化出来ない差です。計算された予測からは省かれるが頻度が高くなればその微差は累積し影響を与え、また、互いの行動の結果から積み重ねられ問題にしなければならない量を生み出します。人物Bの行動の誤差がプラスマイナス5として人物Bはプラスマイナス3、人物Cはプラスマイナス4とした場合に、仮に合計が+6を超えたら問題として表面化するなら、個人の考えでは問題は表面化しないと判断出来、しかし集団で行う事で問題としては表面化しやすくなり、大抵は表面化します。
個々はそれぞれ問題のない行動を取っているつもりであり、問題を発生させたのは誰かだ、と思い互いを批判しあい、そして問題を解決するにはその費用を出さなければならず、それは損失であり、競争に負ける要因であり、また、他者がした失敗の補填を自身がする必要もないという理由で誰も費用を出さないでしょう。つまり、お互いの行動を表すマトリクスが与えた結果としてそのマトリクスの境界に不整合の差が生じているという状況です。
例えると連結出来る積み木を使って大きな一つの形を作る状況で皆が個別に作っていたがいざ繋ぎ合わせようとしたら位置がずれており誰の責任だ、と言い合う状況です。皆が漠然としか分からない状況で誰が悪いかを判断しようとしても結論が出ず、しかし自分がその損失を埋め合わせる事は損するので誰もせず、状況は放置される、という結果になります。こういった時、どのような対処がなされるかと言えば、立場の弱い者にその埋め合わせをさせるのが一般的になってしまっています。自分はしたくないが誰かがしなければならない、なら反論しない、反抗しない者に押し付ければ良い、と考え、そして自分は関係ない、悪くない、と思い込む様にして逃げるのです。
では権力者同士が行動したとしてその境界に出来る差は誰に押し付けられるかとなれば当然民衆でありその中の弱者になります。明文化されていない量、または計画的には問題のない行動の結果として予測に使用した情報と違う状態へ干渉した結果で生じる差は、誰も補填しようとせず、その問題が表面化した時に被害する人物や集団に押し付けられる事になります。互いの利益に干渉し、損失を出させるものは調整しますが、互いの利益に関係なく自身が損失を被らないものについては誰も調整しようとはしません。その冗長な行動が競争に負ける要因になるからです。
こうして定量化されたものだけを、"数字だけを"見て行動する為に本来の世界を自身で分析して確認してからする通常の行動よりも余波が大きくなり、その影響は表面化しやすくなります。定量化されていないからこそ利益を得るものもあり、罪刑法定主義の様な罪として定義されない限りは罰する事が出来ない場合の欠点とも言えます。世界は確かにそこにあり、定量化出来ていないものもそこに確かにありますが、定量化されたものだけを見て判断して良いなら計画において考慮されない定量化出来ていないものとの差を用いて利益を得る事も可能なのです。
簡単な例えでは、廃棄物処理費用などを削減すればそれだけ利益は増します。もし仮に廃棄費用を定量化出来ていないから考慮しなくて良いとするなら当然利益は増えます。そうして公害、ごみ問題は発生します。また、廃棄費用を誰かに、弱者に押し付ける事が出来ればどうでしょう。そうして利益を確保出来ます。利益を必ず出さなければならないから他者に権力を用いてでも押し付けて利益を出して良い、と考える者もいます。
こうした状況を回避するには、やはり知性が必要になり、自制が必要になります。欲望に流されれば、利己益だけを考える為に周囲の状況が行動の結果から狂いが生じても気にしない様になります。個人の行動は繰り返され、一生も繰り返されます。個人の行動から生じる結果に問題がなければその行動の繰り返しは現在の環境において安定し、その集合である個人の一生の行動も安定するでしょう。そうすれば社会は安定し継続的な維持と発展が期待出来る様になります。その基点となる状況がなければ常に不安定でリスクを生み出し確実な成果は期待出来ません。自身の行動の繰り返しのサイクルが安定するにはその結果から生じる問題が誤差の範囲で、自然消滅出来るか問題が発生しても対処出来る様にする必要があります。それは自分から見た世界の出来事だけでなく、実際の客観的な視点で見た世界での出来事として成立させる必要があります。誰かに押し付けて自分が解決しなくて良い問題にした時点で制御を放棄し自身の行動を包括する因果律を考えず放棄し予測不可能にし行動のサイクルを成立させない様にします。行動のサイクルが成立しないのであれば行為のサイクルは当然成立しません。
行為行動において、明文化されたものだけを遵守していれば罰せられないと思い、思考を放棄すると問題が発生します。誰もその人物の為に世界の全ての情報を定義して与えてあげる必要もなく、そしてそれをリアルタイムに、新たな技術、新たな知識が解明される度に更新し、かつローカライゼーションやタイムリーな変化を含めて懇切丁寧に教えてあげる義務はないのです。しかし、明文化されたものだけを見るという事は、その考えを大なり小なり否定し、誰かが自分の為に用意してくれると思い込むという事になります。つまりは、世界を見て問題に対処するという本来の行動を放棄する事になり、誰かが世界を作ってくれる、誰かが社会を維持してくれる、誰かが自分の為に全てを用意してくれる、誰かが自分が行動して利益を得る根拠を作ってくれる、から、自分の行動は、その社会の中でルール違反ではないから正しい、間違っていないではなく正しい、と思い込み行動し、効率を求めて明文化されていない部分を考慮せずに本来全ての情報と結果を知り得た状態から生じる行動とは違う行動を取る様になります。
その行動の結果、発生する問題は他者に押し付ける様に行動し、常に周囲と軋轢を生む結果になり、相手を屈服させる事で自身の行動を認めさせて正しいと思わせる事になります。それではまるで知性と呼べる知性を得る前の獣と行動の本質的な部分が変わっていないことになります。世界が、環境が、周囲が良く分からないが、自身の身を守る為に牙で噛み付き、爪で引っ搔いて餌を奪い自分の物だと主張し縄張りを主張しているのと大差ありません。牙で、爪で行っていた行動を誰かが与えてくれたそれ以外の知識や技術で行っているだけになります。そしてだからこそ深刻な問題を引き起こしています。爪や牙だけで済ませていれば公害も、汚染も、世界を滅ぼすような、その結果として後遺症を残す様な損失を生み出しはしないのです。ここに知性を持たずに知識を扱う功罪が発生します。しかしだからと言って止める事が出来ません。牙や爪では得られない程の快楽が得られ、その誘惑に勝つ事が出来ないからです。
例えば、ゴミ処理をせずにゴミをゴミ箱にため込んだまま、ゴミを生み出す作業を繰り返した後に、ゴミ箱が満杯ならゴミを捨てないとゴミ箱を使う事が出来ません。ゴミをそこらに放置出来るならともかく出来ないのであれば処理が必要になり、ゴミ処理を自分が行う事を嫌って誰かに押し付けたとしてその誰かがしなければゴミ箱はいつまでも満杯のままです。そこでその誰かを強引に従わせたとしてしばらくはうまく行くかも知れませんが、やがてその誰かは自分に何の利益も齎さない行動に不満を募らせ、処理しなくなるか強引に従わせる者に反抗するでしょう。
こういった強引に従わせる者は従わせた者が反抗して使い物にならなくなると別の者を代わりにしようとします。そうすればまたしばらくはゴミ処理をさせる事が出来ます。反抗されればまた次の、という様に繰り返します。そしていつか失敗します。同じ様に効率を求めて他の作業などにも同じ手法を用いる為に多数の作業において反抗を阻止出来なくなり制御不能になります。
また、悪人はゴミ処理したくないなら他人のゴミ箱にゴミを捨てれば良いと考えます。気づかれない様に捨てれば誰か他人がゴミ処理してくれるのです。
知識とは与えられた時点でその知識がどのような状況から抽出されたものであるかを失う事になります。世界を対象とそれ以外に分け、世界というマトリクスからサブマトリクスを切り出すのです。そのサブマトリクスだけを見ればその定義は分かるかも知れませんがそのサブマトリクスで問題ないとされた世界の情報がないのです。その境界情報を正しく知る事がない、つまりは明文化されないもしくは定量化されない情報を知らない為に、それを別の世界、つまりは別の状態になったマトリクスに適用出来るかが、元のマトリクスを知らなければ知らないだけ不明確になります。その為、知識は与えるのではなく気づかせる必要があり、暗記で詰め込むのではなく、導く様にして閃かせる必要があります。例え閃いた時点でそのサブマトリクスとそれを含むマトリクスを表す世界が荒いものだとしてもそこには境界の内と外の情報が存在し、境界を知る情報があるのです。マトリクスの境界がその外とどのようにつながっているかの情報にこそ、定量化されていない情報との整合性が存在し、その情報を正しく扱う事で世界の中で行動する為の整合性が得られます。そして、その情報を持つからこそ、そのサブマトリクスの行動を詳細に突き詰めて、定量化されていない情報、定義されていない情報を得る事が出来、世界の中で問題のない行動を続けていく事が出来ます。
それが無ければ無い程に、効率を求めて最適化した時に、境界の内と外とで差を生じさせ整合性を失い、だが知識として与えられたものを実行しているから問題ないと強引に思い込み、自分は間違っていない、正しいと主張して発生した問題を誰かの責任だとあえて思い込んで押し付ける様になります。
チャレンジアンドレスポンスなどと言って行動して良いのはその結果が取返しのつかない事態にならない場合のみです。しかし社会の規模が大きくなり高度な社会になるにつれ、物事は複雑化し結果に遅延がかかります。ですからとりあえずやってみるといった考えでは軽率な行動になり、偶然問題のない行動になるのを期待するしかない博打をしている事になりかねません。だからこそルールを順守する必要が生じますが、競争により追い詰められて死のリスクを抱えた者はルールを守っている限りやがて破滅する様になります。そうなるとルール違反をする必要性が生じ、自分の行動が間違っていない事にするにはルールが間違っているとするしかなくなります。そして誰かに与えられたルールの根拠がそもそも分かっていない為にルールに従わなくとも良い理由をその主張に無理があっても見つけ出し、ルール違反をします。最悪は、自身が生き残る為にはルールが間違っていなければならないからルール自体を作り変えてしまいます。
簡単な例えでは、遺伝子上に蓄積された自身の負の歴史を指摘されるのが都合が悪い為に、自分とはその一代限りの存在で、父母や祖父母のした事は自分には関係ないのだ、と主張する様になるのと同じ事です。その逃避行動こそが遺伝子に積み重ねられた自身の性質である事すら現実逃避してしまう様になります。自身に都合が悪いから、自身とは一世代前から遺伝子を受け継ぎ、次の世代に遺伝子を受け継がせる存在である事を否定するのです。一世代前に間違いをしたのなら今世代でその間違いを修正してより品質を高める、自己の能力を高める事が求められますが、自身に都合が悪いからと否定した時点でその行動はもう期待出来なくなります。
そうしてルール違反をする事で条件を減らし、小さな次元のマトリクスを考えれば良い、その条件も少なくて良いと思い込む様になり、効率を上げ他者に勝ちます。
ここでの問題点は、かつて殺し合いをし、それが不毛であるから互いに受け入れたルールを自身が不利になったという理由で違反している事です。自分を無条件に生きてよい、と甘い幻想を持てば、交渉も、取引も、何も成り立ちません。自分が利益を得られないなら取引ではない、だから途中で約束を破っても良い、と行動する者とは誰も取引が出来ません。しかしここでの問題は生死に関わる問題です。それでも、ルール違反をする事で自身の死のリスクを回避してもそれは同時に他者に死のリスクを押し付ける結果になってしまいます。それが許されれば誰もルールを守らない様になり、初めの状態、殺し合いをする状態に近づいていきます。こうした行動をする者の姿は他者から見れば、自身の利益や保身の為にルールを破り、ルールを受け入れる事で集団に参加したはずが容易く約束を反故にし集団を破滅へと追い込む様に見えます。しかし、またここで問題が発生し、追い詰められてルールを破った者が果たして悪かったのか、という問題に発展します。こうして、先ほど言いましたマトリクスで話した問題に行き着きます。
ルールを悪用した者、ルールを破った者、社会の中での整合性を考えずに効率的に行動した者が社会に問題を押し付けながら利益を得て、その結果、ルールを順守していた者が不利になり破滅するかルールを破るかの選択肢を迫られたとして、誰が悪いのか、という問題になります。
こういった時に社会は追い詰められた者を保護する仕組みを作り、状況を緩和しますが、その仕組みもまた悪用される為に機能不全を起こします。本来助けられるべき者が助けられず、権力者のいいなりになる者や縁故や利害が一致する者がその恩恵を受けるのです。
こうした行動のどのようなものも、自分から見た世界では行動を繰り返し出来る様に見え、実行しますが実際には制限があります。ただし、それが社会の規模が大きければ大きいほどに回数制限そのものが大きくなり個人に対してほぼ無限に近い場合があります。しかし、その個人1人が生きているわけではなく、勝手に行使して良いわけではありません。1人が行う事は他者も行う事が出来、そうして皆が皆に依存して問題を発生させる行動を繰り返し、行為そのものは成立して問題ないと思う様になります。
例えば大きなプールにたくさんの資金を溜めこんでいたとし、それを皆で少しずつ使用するとして、効率よく厳密に行動すれば無駄のない運用が出来ますが、楽をしようとしたり勝手に質を変えたりしようとすれば当然余分なコストがかかります。そこで「ちょっとくらい」、「今回だけ」と行動したとして、それはその個人だけが思う事でしょうか。皆が同じ様に行動するようになれば、実際の予測された消費量と現実の量が代わり、また、ほんの微差だとしても総量は無視出来ない量になります。プールされた資金を再計算した結果、その問題が発覚し誰が悪いのかとなります。もしそれが定量化出来ないもので、そして個々の行動では良くはないが直接影響を与える程ではない量と呼べるだけの量として処理されても総量にはその差は明確に生じ、しかし定量化出来ていなければ足りていないにしてもどれだけ足りていないのか分からず、そして、全ての構成員の行動を監視出来ないのであれば止める方法もありません。自己申告と自制で成り立つものの限界が生じます。
悪人はその環境を利用して利益を得ますので明確に管理出来ないものには常にリスクが伴います。しかし、世界とは未だ解き明かされていないものであり、それを解明して私達の社会を豊かにしようとはせずに悪用して利益を得る行為は裏切りと呼べるものです。その悪用を行う悪人がその悪用出来る物事をどの様に悪用出来るかを話し、それが解明されたのなら一つ社会は良い方向へと進みます。言ってしまえば、そこに悪人が居る事自体も問題だと言えます。悪人の代わりに問題を解決する努力をする者がそこに居てその悪用される物事を解決しようとするならその違いが生じます。この様にプレースホルダーの存在は使い方にもよりますが深刻な問題を引き起こします。
雑草が生い茂った田畑では作物を充分に育てる事が出来ません。まず雑草を排除してから作物を作るという行動になります。作る作物の横に雑草が生えているなら雑草が多くの栄養を摂取して生い茂るようになります。作物などは必要とされる効能や栄養を保持しようとする分、雑草よりも繁殖力で劣ります。雑草は野生化する事で育てて摂取しようとする目的となる効能や栄養を失い、それと引き換えに生命力を手に入れます。その為、雑草は排除しなければそこに作物は育たず、同じ様に悪人が居場所を占拠している状態ではそこにまともな構成員は居る事が出来ません。」
エールトヘンが締めくくる。
「知性がなくとも知識がある状態になる事は可能です。その状態は悪人程作りやすく、善人は不利になります。知識を隠す事で差を作る事が出来、そこから生まれる利益は通常の生活をしていても手に入らない程に甘美で旨く楽なものでしょう。その誘惑に負ける者はいまだ性質に問題があり、精神の成長も未熟と言わざると得ません。お嬢様は貴族です。領内でこの様な者を蔓延らせてしまえば善良な領民が居場所を失くし雑草の生い茂る庭園の如き状況に陥るでしょう。ですので善人と悪人を見分ける事が出来る様に知性を磨きましょう。モドキと本物の違いを見分けるのは難しいですが、さあ、頑張りましょう。」
白癬菌に感染していると|鱗屑[フケ」が出ます。ですがその治療薬の宣伝はなぜか、足のを宣伝します。頭に感染している場合、重力でフケは体に付着します。フケには白癬菌が住んでおり、新たな感染を引き起こします。常に感染する可能性がある状態で、風邪をひいたり病気になったりすると弱っている為に感染してしまいます。免疫不全による合併症というやつです。栄養バランスの悪い場合も同様ですので、この社会の嘘に気をつけてください。
科学が「私達には早すぎた」と言われる所以の一つを書いてみました。知識の使い方をまるで分からないが真似をすれば出来るから自分の欲しいままに行動する、知性のない獣として行動すればこういった事は可能です。そして利益を出すには効率が良い。いつ来るか分からない予測の立たない患者より、来る事が期待出来予測し計算出来る環境を作り上げる科学的手法の負の産物です。
「持たざる者の錬金術」の一つであり、他者に損失を与える事で利益を生み出す手法です。
アニメ「ギルディクラ〇ン」でレジスタンスの名前が「葬儀屋」で、それを見た「葬儀屋すごい」とか「葬儀屋は良いよね」とか口にするとそれを悪用され、その為にアニメで錯覚出来る様に仕組まれます。そういったものをきっちり見分ける必要がありますが、見分けていますか?かつてあったリザルトで都合の良いものをリザルトセットの中から抽出してつなぎ合わせ錯覚出来る台詞やシーンを付け足して騙そうとするのは既に常套手段です。まあこのアニメ自体が錯覚させるための、深層意識に錯覚を受け付ける為にあるようなものなので、一度見てみるのも良いかも知れませんが、間違っているものをあえて見る必要もないとも言えます。
-->こういった強引に従わせる者は従わせた者が反抗して使い物にならなくなると別の者を代わりにしようとします。そうすればまたしばらくはゴミ処理をさせる事が出来ます。反抗されればまた次の、という様に繰り返します。そしていつか失敗します。同じ様に効率を求めて他の作業などにも同じ手法を用いる為に多数の作業において反抗を阻止出来なくなり制御不能になります。
<--だから外国人受け入れ法案なんてものが必要になります。しばらくはありがたがって従順に従うはずだから、です。自分が生きている間だけなんとかしのげれば楽してハッピーな生活を送って死んでいけて、死んでしまえば後の事など気にしないからです。
-->その悪用を行う悪人がその悪用出来る物事をどの様に悪用出来るかを話し、それが解明されたのなら一つ社会は良い方向へと進みます。言ってしまえば、そこに悪人が居る事自体も問題だと言えます。悪人の代わりに問題を解決する努力をする者がそこに居てその悪用される物事を解決しようとするならその違いが生じます。この様にプレースホルダーの存在は使い方にもよりますが深刻な問題を引き起こします。
<--だからこう言う人が出てきて、また、こう言われる人が居る様になります。「存在自体が邪魔だ」と。皆に平等な権利を与えたとして平等に物事を扱わせると失敗する可能性が高い人物が居たとします。するとその失敗する可能性のある物事は、「皆平等に」するのなら、皆がするわけにはいきません。そうすると使用禁止になって制限がかかります。その制限が生活に支障が出る、生活が快適でなくなる、といった状況になると、常に該当する本人以外の皆が、その事実に意識を向けます。そしてその該当する人物が何の努力もしないと「あいつ居なくならないかな」と思う様になるわけです。
そして「存在自体が邪魔だ」と言い出しますが、ここからはお涙頂戴話で、その一言を言う者が酷い悪人だという話にすり替えられます。それはそう吹聴したい者達がかつてそういった状況であり、自分達は間違っていない、無条件に正しいのだ、間違っているのはあいつらだったんだ、と逆恨みして襲い掛かった後に、自分達を肯定するための言い訳をするために必要な事後に整える都合の良い捏造した事実です。そしてその悪人に虐げられた自分達は可哀想な者達であいつらをやっつけたのだ、と妄想して現実逃避するのです。そこに、そう言われない為の努力はなく、そして努力せず楽して権利を得る事が出来るからそう妄想したがるのです。見たいものを見る、ただそれだけの事です。
そして集団心理で自分達は正しいと錯覚して襲いかかる、というのが弱者の卑しい性質です。そしてこう言われるのです。「そんな性根だからそんな状態になるのだ」と。そしてそれを逆恨みしてまた集団心理で正しいと錯覚して襲い掛かり、認めてしまえば自身が惨めな存在だと気づいてしまうから認める事も出来ずにそれが間違いだとするには相手が間違っているのだと無条件に思い込む事で自身を肯定する、何も考えない行動こそが弱者の弱者足る所以です。それが一度でも成功してしまえばそのラッキーな状況から生じた旨味を忘れる事が出来ずに同じ事を繰り返そうとして努力を怠り、また同じ様に罵られ、逆恨みを始める、というのが弱者のネバーエンディングストーリーです。襲い掛かって得た利益を貪りそれが無くなればまた同じ事が起きないかなと妄想するのです。襲い掛かられた側は堪ったものではありません。努力して追いついてくるのを待っていると逆恨みして襲い掛かってくるのです。それこそ「居させる事自体に問題がある」という状況になります。




