S077 ダグラスは今日も憑いている
ダグラスは今日、張り切っていた。
いつもの賭場に向かうのだが興味を持った、というよりダグラスが熱心に面白さ半分、旨味半分で語った事で3人程ついてきた。
ダグラスは先輩風を吹かせて気取った態度で案内をする。
賭場といっても大きなカジノと言える程ではなく、少しこじんまりとした場所だ。それでもルーレット、カードと何種類かある。その中でもダグラスはカードを皆に勧めた。カードは駆け引きがあるから慣れるまで時間がかかるがブラックジャックなら運の要素が強いからディーラーがプロでも充分に勝負出来るはずだと説明し、皆もそれに従った。
連れがいくつかあるテーブルの空いた場所に散らばったのを確認した後にダグラスは顔馴染みのエディと隣り合ってポーカーの台に座った。
「ヒャア、ついてる!」
今日のダグラスはツイていた。いつもはショボくれた手札捌きでディーラー相手に駆け引きなんてして見せているのだが今日は違うとエディは思った。やっと俺にも波がやってきた、乗るなら今しかないと強気に攻めているようにも思え、ブラフを張ってもディーラーが降りてくれ、微妙な勝負もダグラスが勝ちを拾っていた。そんないつもと違うダグラスを見ながらエディは『今日はツイてないな』と自分の不幸に溜息を漏らした。
そんなダグラスの相手をしているディーラーは客の相手をしながらも思いに耽る。
この客はカードは下手な癖にのめり込むから扱いやすい。そして他の客を連れてくるから上得意なわけで、およそ賭博師がやるような巧妙な駆け引きもないからこちらが流れを作っても疑う事なく乗ってきて勝たせやすいのだ。新たな客を連れて来ればこちらがサービスするのを知っているから勝ちたい時には何とか誰かを連れてきて勝負する。今日の勝負も先日かなり負け越して懐具合が悪いからどうにか取り戻そうとしている様でいつも以上に強気に勝負を挑んでくる。こちらも偶には客に勝たせないと商売にならないから構わないし今日は新規の客も連れてきた。その分はサービスしてやっても良いだろう。新規の客には多少でも勝たせて成功体験を植え付けてまた来て貰わないとダメだし、この客が今日は大勝すればそれを見て欲が出て通ってくれるかも知れない。先行投資と思えば安いものだ。そういえば、この客も誰かが同じ様に連れてきたんだったな。誰だったかは忘れたが。
そうして時間はあっと言う間に過ぎ去り、ダグラスはエディのやっかみを受けながらも誘った皆と合流して帰る事になった。皆も一番ツイてない者でも少額だが勝てていて、それでも勝ちは勝ちだ、とダグラスも含めて少し興奮気味に騒いで仲間内で一番の勝ちになったダグラスが酒を奢る流れになりそのまま酒場へ乗り込んだ。
「というような事は起きるのじゃろうか?」
「なるほど。店と客がグルで他の客を騙す手法ですか。店側が客と話したわけではないが言葉を交わさずとも態度で示して意思疎通しお互いの利害関係を一致させるという事ですね。賭博において客が勝っていてもそれは運だと思い、また、ディーラーが負ける理由が他の客には分からないので客が幸運に恵まれているように見せかける事で周囲には気づかれずに勝たせ、また、客の方は利己益の為に店に利益が出るようにすれば自身にも還元があるから店の利益になるような行動を取る、いわば準店員のような存在になるという事です。ステルスマーケティングと呼ばれる類のものです。モラルやマナーが低下すれば頻繁に起きる事です。」
「そうなの?」
「ええ。行動を混同させて行為を錯覚させる方法としては良く使われる手法です。社会が安定し、外敵の存在を気にしないで済むようになった時に、それまでの外敵と戦っていた時と同じような習慣を続けていると、以前までは外敵という存在があるためにお互いの存在が必要であり、相手との友好関係を悪化させるような行為は慎んでいたが、外敵が居なくなることでその理由がなくなり、相手を加害する行為を徐々にでも行うようになっていくようになります。そして内乱と同じような状態になり、外敵への防御が疎かになり弱体化し自滅する集団というのは良く発生します。その際に、社会とは相手と争わず協力する事で効率を向上させるシステムですので相手と争わない様にルールが決められます。その為、外敵に対して行っていた直接的な行為は犯罪などに該当し刑罰の対象になるために同じような効果を得るには罰せられない行動が必要になります。そのため、通常の行為とは別の、悪意を持ち相手を加害する為の行為を、行動を混同させ相手を錯覚させて行うという手法です。相手を攻撃しない為の根拠が少なくなり加害しても問題ない環境が作り出され、そしてモラルやマナーがない、つまりはある種の行動を取れば関係が悪化し、人為的な環境変化しやがて問題が起こった時に大きな影響を与え損失を出す事になるという発想を考えない為に失っていると言えます。
しかし、私達は日々の生活の中で弱者と呼ばれる側は言うなれば常に崖の淵に立たされていると言えるような状況になる事があります。現在においてモラルやマナーを守って破滅する瞬間を刻一刻とカウントダウンしながら待つか、モラルやマナーを低下させる事で未来に問題が発生した時に対処出来ない状況を受け入れるかならどちらを選択するかとなり大抵はモラルやマナーを切り捨てます。起こりうる問題は未来に起こる可能性があるものでまだ発生していません。起こらないかも知れないし起こるかも知れない。そして長い年月を見れば確実に起こるが自身が生きている間に起こるとは限らない。また、とりあえず現在の問題に対処して余裕が出れば元に戻してもう一度対処出来るようにすれば良いと考えます。そのため、モラルやマナーを低下させる行為を行う為の閾値は低下して容易く選択する事が出来ます。起きた時には「まさか自分が生きている間に起こるとは思わなかった」と考える事になりますが。そして後で元に戻せば良いと思ってもその状況に陥った問題自体を解決する事が出来ないのだから元に戻す事も出来ないのが常です。
また、その選択が容易になる原因の一つとして無自覚の悪意が存在します。誰もが行動をしますが完璧と言えるだけの社会の基準を満たした行為行動を行うものは極僅かです。大多数は現実問題に対して受動的に行動し解決できない為にその場しのぎをします。また、行為そのものが基準を満たしていないという事はどこかに瑕疵があるがその個人が目の前に起きている状況には対処出来ているような行動になっているという事です。権力者は権力により押し付ける事が出来るので自由度は高いですが、一般人、とりわけ弱者と呼ばれる層は権力者とその配下となり自身より権力や能力を持つ者の行動に対して受動的になり、その行動は本来そういった他者の干渉がない状態とは異なった行動をする事になります。そこに他者の悪意があれば互いの友好関係は悪化し相手の事を考えるような事はしなくなっていきます。
そうして他者を加害する行動を行う為の禁止事項により生じた基準の閾値が低下し選択をするようになります。相手がするのだからこちらもしても問題はない、と思う様になります。ここに本人と周囲の知性の高低が関係し、行動を正しく理解出来ているかが問題になります。本人においては知性が低ければその行動の根拠となる行為を錯覚し、周囲にいる他者の知性が低ければ、その行動が基準に満たない為に無自覚に他者を加害している事に気づきません。無自覚の悪意が他者を傷つけていても自身は正しい行動をしていると罰せられない為に錯覚出来るのです。そして、悪意があると思われる事を知っていてもその弱い立場からそういった行動を取るしかなく、自身の属する社会の基本的なルールとの矛盾を考えない事により否定して目を背けて行動します。そして更にそこから悪化して、罪悪感も薄れる事により、自身の経験やリザルトセットを見て罰せられない事が分かると容易く加害する様になります。また、本来は相手が他者を加害する目的で行ったのではない行動を、リザルトセットにその行動を行う悪人が行動を混同させ相手を錯覚させて騙そうとした事例があるために、相手を悪人に仕立て上げる為にあえて相手がリザルトセットと同じ事をしたのだと曲解し、自身の行動をリザルトセットにあったような相手が加害しようとした前提の行動を行う事で既成事実として捏造しようとする場合がありますがここでは割愛します。
ステルスマーケティングの基本は「錯覚」です。私達は集団行動をし、その行動において生死に関わるリスクに近ければ近いほど速やかにリスクを低下させるか排除する為に効率の良い、言い換えれば手順などで直接関係するもの以外を省いた行動を取ります。それはつまり、集団の仲間を信用して行動し、疑う為の検証などを問題が解決するまで行わない、という事でもあります。火事においてバケツリレーをして水をかける際にその水が油だったら、何かに汚染された水だったら、などと考える事はまずないでしょう。そしてそうやって何もかも疑って行動すればするだけ効率は低下し鎮火に時間がかかるようになり、被害は拡大するためにそのような検証は省くのです。そうやって物事のおいて、ある物事をお互いを加害する事なく安定維持させるにはどのようなモラルやマナーが必要かを経験として積み上げて日常を送ります。しかし先ほども言いましたように環境が変わり生存のための条件が変わる事で必要なモラルやマナーの基準が変わり、以前までのルールを適用しなくなります。
これは新たな外敵要因により集団の持つリソースが減るか対処のためにリソースを消費する事で自由に使えるリソースが減り、不自由を被る時に、誰かがその不自由を被る事になります。この場合の原点は、皆が利己益を考えずに問題に対処するために最善の配分をする、というものになります。それは皆平等などという甘い単純なものではなく、問題から生じる影響に対処するにはどうすれば良いかで配分が決定されます。ある特定の役割の者にリソースを集中して打開策を考えさせたり、対処するための道具を作らせたりするなど問題からの影響を最小限にするために偏らせて配分されます。しかし、それを見た者がその根拠を正しく理解するかどうかにまた問題が生じます。例えそれが客観的に正しい配分に見えても主観としては別です。自身には配分が少ないが、隣の者には配分が多い、同じような役割なのになぜそうなるのか、贔屓だ、となるのです。そしてそのリザルトセットを同じように錯覚して、リソースを配分する立場である権力者になれば自身の利己益などを理由にして自由にリソースの配分を決める事が出来ると思う様になります。そしてこのような人物が権力を握った時に実際に社会におけるリソースの配分においてその個人から見た世界が現実のものとなります。
この様に誰かが錯覚し実行した結果を更に誰かが見て模倣し常態化するというプロセスが劣化の典型的なプロセスだと認識する必要があります。その数が増えれば増える程にその行動は多数の人物が見る事になり、それだけ錯覚する可能性、そしてリザルトセットを見て罰せられないと思えばそれを模倣し常態化し実際に劣化するのです。
ステルスマーケティングもその原型はステルスマーケティングをするために行なわれたものではありません。集団の中で権威を持つ若しくは信用出来る誰かが「あれは良いものだ」と言った結果としてその品物が人気になり売れたという結果があり、それを見た者があのようにすれば効果的に売る事が出来るのだと思い、そこにあるモラルやマナーを考慮する事なくその手法を真似るようになります。そしてそれを行う者が増えるにつれ皆が真似るようになり常態化し、その手法を行う事が当然だという風潮が出来上がります。そうなると全体のモラルやマナーは劣化したと言えます。しかしそれが長く続く事もありません。ステルスマーケティングの優位性は他の誰もそれをしない事で、行動を混同させ行為を錯覚させて行われるものです。皆が同じ行為目的で同じ行動を取るのならそれは元々の効果を失う事になります。錯覚させる事が出来ないからです。
この場合の元々、原型、最初にあったものは、個人が実際に物を使ってみて良いものだから皆の生活が豊かになるだろうから周りに勧めた、というものであり、そして結果として皆がその恩恵を受けた、というものです。この結果がある状況で、自身の利益につながる商品を「良いものだ」と仲間意識を悪用し周囲にアピールして商品を売り、その成果でリベートを受け取り利益とします。それが常態化すれば、周囲はまたステルスマーケティングかと思う様になり誰も錯覚しなくなり、一部の気づいていない人物だけが騙されるようになり、その数もやがて減り効果を失います。そして、お互いが良い品物を探す効率が落ちている現状、つまり他者の発言が実際に良いものかどうかの判断材料に出来ず信用出来ない為に自身で事ある毎に確かめながら探す現状を皆が問題にし始め、ステルスマーケティングをしないようにルールを決めてモラルやマナーを回復させようとします。結果として、皆が他者の言葉を信用出来る事で効率を上げる事が出来、恩恵を受けそのルールが良いものだという実績を作ります。しかし、また同じようにルールを破る事で差を作り利益を得ようとする者が現れその繰り返しとなります。
この繰り返しを止めるには知性が必要になります。繰り返しの原因は『考えないから』です。それがどのような事を実際に行なっている事になるのかを考えずに、自分から見た世界の出来事だけで判断するから出来る行動です。それは本来の行動基準からすれば条件反射的な行動であり、誉められたものではありません。知性を示し、先に結果を考えどのような状況を作り出すのかを考える事で、先ほど言いました結果に陥りその欠点だけが残る状況になる、という事を推論して事前に知る事が出来るようになる必要があり、その積み重ねが自身が無自覚の悪意で他者を傷つけないようになるための行為だと言えます。そのためには知識を集め、より客観的な情報を手に入れ、行う行動の結果を自分へのフィードバックだけでなくその行動が周囲に与える影響からのフィードバックも推測するようになる必要があります。そこまで出来てようやく社会を維持する側に、担う側になれたと言えます。
しかしそれでもこういったステルスマーケティングなどの行為を行う者は存在します。そこにある利益の誘惑に抗しきれない者達です。一部は生活の為に仕方なく、という選択をした者達でしょう。しかしそれ以外はそこにある利益に目が眩んで行う様になった者達であり、社会における誰かの権利を侵害しながら行い、環境を劣化させても気にしない者もいるという事です。こういった者達は享楽主義者などと言われ、快楽を得るためには環境など自身に直接影響のないものを壊しながらでも目に見える財産を集めそれを使ってより良い暮らしを得ようとします。
以前から何度も言っていますが自身が死ぬまでに問題が表面化しなければ逃げ切れ、また、多様な問題の中に隠れグロスとして扱われ問題が表面化してもその原因が特定出来ないなら他者より多く実行する事で利益を得て競争に勝とうとします。結果として生存競争の為に皆が同じ行動をする必要に迫られ確実に劣化します。そうして皆が品物を決める際に必要な情報は個人で集め周囲を信用出来ないという状況になり不便になります。このような状況になれば誰かが品物の欠陥に気づいても他者と共有しづらく連携出来ずに分断された状況になっていると言えます。そうして権力を持つ側が知識を持たない弱者を搾取出来る環境が作られます。
ステルスマーケティングを行う者を"サクラ"と表現する事があります。鑑賞用の桜は主に綺麗な花を咲かせる品種のクローンを作る事が多い為に、他の品種の桜の台木を用意してその上部を切りそこに花を咲かせる品種の桜を接ぎ木し接合して育てる事になります。上部と下部が違う事を比喩として使い、客や仲間の振りをして物の良さを語り購買意欲を煽るが、その根本的な部分で物を売る店側とつながっているという表現になります。このサクラという表現で行われる行為は違うものがありますがそれはまた別の機会にしましょう。
では行動を混同させて行為を錯覚させる手法としてどの様なものがあるかを考えてみます。
まず、ハンカチ落としが簡単で良い習慣のように受け取られる稀な例でしょう。原型は、女性が物を落としたがそれに気づかず立ち去ろうとしている所を男性がそれを拾い女性に声をかけて渡したり声をかけるだけになります。これは女性の側から男性に声をかけるという行動が好ましくないが女性が相手の男性と知り合いになりたい時に行なわれます。その映像として記録を考えると外部からは『(女性が落し物をしている事を教える為に)男性が女性に声をかけた』という結果に見えます。
次に料理を考えましょう。私達は食べる事で生命維持します。使い方を変えると生命維持に支障が出るようにする事もあります。普通通りに料理をしそれを他者が食べる光景が記録として残っているとしましょう。しかし、それは何を目的に行なわれているのか、という部分に問題が生じます。別段毒や薬を混入せずとも味の濃い食事を長い年月食べさせる事でそれを処理する腎臓に重い負荷をかけ腎臓疾患や腎臓病にする事が出来ます。もちろんそれ以外も考えられます。加熱不充分な食事で感染を狙う事も出来、ピロリ菌による胃潰瘍などもありますし肝炎なども考えられます。食べる食事の内容も影響するでしょう。発酵パンや発酵食品、多量の牛乳、キノコ、遺伝子組み換え食品の多食、糖分過多など様々な手法を取るでしょう。そういった食事をとるものと良質なたんぱく質などを取るものの差で優劣をつける手法もあります。偏った栄養バランスで病気になりやすくし、また、偏った食品選別により特定の食品の多食によるアレルギーの誘発もあります。
また、あえて寄生虫に感染させる手法もあり、故意に付着させるのも方法になりますが、寄生虫が付着する可能性のある食品を選び他者より多く機会を発生させる方法もあります。寄生虫は時期により付着するものがあり安全な時と危険な時があります。セリは新春の頃は安全な食べ物ですがそれを過ぎると寄生虫が付着しやすくそれを知らずに食べると問題になり、それを知らないからあえて野生のセリを採取してきて食事として提供する、という手法も考えられるでしょう(注1)。
集中力を要する作業をしている者の隣で大きな音を立てたりくしゃみをして妨害する方法もあるでしょう。そうして集中力をかき乱し精度が出ずに成績を落として、その妨害をした者と利害関係を一致する者が良い成績を相対的に残す事になり利益が還元される事もあります。場合により怨恨も考えられます。
警官などの治安維持活動をする人物の前では善人振りながら陰で悪事を働く事もあるでしょう。善人振るのはその人物が悪事を行うなど考えにくいと思わせる為であり、そしてそれは善人がしてきた行動を模倣したものとなり、本来の行為とは目的が違います。その為良く見れば行動が違う場合が存在します。目的が達成されていなくとも、精度が低くとも時間がくれば終えるなどの中途半端な行動をしても出来ているつもりで行動する事があります。
屋台などで露店販売をしている振りをして動向を監視する方法があるでしょう。目的は露店で販売している商品を売って利益を得る事ではなく、販売している時に見る事が出来る、聞く事が出来る情報を得て利益を得る事です。場合により、、別の商品を取引するために偽装として行われるでしょう。
被害者の振りをして加害する事があります。例えば販売者の知識が足りない為に欠陥に気づかない状況で、欠陥に気づいているからこそ購入し、その欠陥により損害を被ったとして損害賠償や補填を求める方法があります。これは監視特権を持つ権力者の一族とその縁故が良く行う場合があります。情報をより有効に活用する方法としては効率の良いものです。情報統制して必要な情報を与えず、その情報が足りないために起こる瑕疵を利用して加害し弱みを握り逆らう事が出来なくする方法はその方法が長期的に効率が良いかは別として当然あります。錯覚による恨みでも長期にわたり、それが故意であればなおさらに長引くでしょう。信用というものは長い年月による積み重ねでしか手に入れられません。
以前に言いました歌手になるよう勧めるなどの方法も同じです。その理由が別だからです。
こうした行為にはモラルやマナーとしてまだ許される行為とそうでない行為がある事が分かったと思います。しかしそれを他者がどう思うかは別になるので注意が必要です。例えばハンカチ落としをして男性の注意を惹こうとしたのなら、その人物を加害したい者が「ハンカチ落としをしたのだから同じような行動を混同させて行為を錯覚させる手法を受け入れたからあなたにして良いよね」と都合良く解釈したがります。また、その解釈で加害したいからこそそういった行動を混同して行為を錯覚させるものでよさそうなものを慣習として広めようとし、実際に行なったらさきほどの言い掛かりをつけるのです。これも強い立場の者が良くやる手法です。そうして自身の知らない内に他者に襲い掛かられる口実を与える事になる場合があるので行動は周囲の環境を良く調べて行う必要があります。」
そしてエールトヘンは締めくくる。
「お嬢様は貴族ですので、民衆が行う行動がどのような目的でなされるのか判別する必要があるでしょう。また、同じように他の貴族の行動もどのような意図があって行うのかを判別する必要があるでしょう。行動から推測出来る行為を判別するには情報が必要になり、ある情報がないために間違った判別をしてしまう可能性があります。ですので私達という存在がどういった目的で行動しどのような偽装を行うかを知っておく必要があります。心理を知りリソースの状態や環境の状態を知れば相手の目的を知る事が出来、損害を受ける事も、そして安易に間違ったものを周囲に広める事もなくなるでしょう。その為にも、さあ、今日も頑張りましょう。」
他の方のなろう作品だからここで紹介しても良いですよね?
「きゃっち・あんど・いーと」という作品で寄生虫や病原体について書いてます。少し前向きで私の否定的な書き方とは違うので両方の意見を聞いてみる、つもりで読んでみるのも良いかも知れません。
(注1)-->セリなどは冬から新春までは安全な食べ物ですがそれを過ぎると寄生虫が付着しやすくそれを知らずに食べると問題になり、
<--春の七草として、非常食として覚えておきましょうという話も時期がずれると危険なものになります。ただ、これのソースがすいません、井伏鱒二著作「黒い雨」という小説です。軽く調べてもセリに付着する寄生虫の時期が分かりませんでした。ちなみに少し古いですが「黒い雨」という映画があり、この作品の名称に被せて「黒い雨」と言えば〇〇、というように上書きして隠すためだと思われます。この小説の主人公である男性の行動をどう捉える事が出来るか、が読解力を確かめる一つの材料でしょう。
-->ある情報がないために間違った判別をしてしまう可能性があります。
<--良く推理小説で見られるアレです。




