S075 召喚勇者の農業改革は商人の肥やし
何度も言いますが魔導学は適当に置き換えてください。
「民主主義」は出しましたがそういった形態の国家がどこかにあると思ってください。
間違っていると思うところは切り捨て、良いと思った所は受け入れ、疑問がある所は調べるなどしてくださいね?
・内容における曖昧と言える部分を先に挙げておきます。
-->同じようなものに落花生があります。たんぱく質の形が豆類において落花生だけが違います。
<--これあまり自信がありません。ソースがどこだったか忘れました。
-->また、落花生のように長所だけが取り扱われ短所は隠されるのが商売の基本になってしまっています。落花生は残留農薬が多くなりやすく
<--これもあまり確認をせずにソースを見ただけです。
「農業改革というものは扱い方が難しく現状の問題点として食料不足があり解決したいなら増産でも構いません。しかしそもそも食料不足とはどういった原因で発生しているかを考える必要があります。単純に食料の供給量が消費量とバランスが取れていない、では解決しません。なぜバランスが取れていないのかの原因を知る必要があります。それを知らずに増産すれば同じ問題の規模を大きくしただけでまた食料不足の状態を発生させるでしょう。しかし増産しなければ飢えて死ぬという追い詰められた状況、つまり受動的な状況になっているので見捨てない限りは増産する事になるでしょう。そして飢えて死ぬ側になる一般人は増産を要求するでしょう。
それではいつまでも同じやり取り、争いを続ける事になります。末端が飢えて増産し人口増加し末端が増えて増産し、そして増産出来る限界に達しますが人口は増加したままになり奪い合いに発展します。
食料を増産して飢える状況を失くしたとしても問題として人口増加が残ります。無秩序に人口を増加すれば食料はいずれ足りなくなります。人口増加を抑える要因として食料不足が存在していた人口増加が抑制され一定の規模で安定していたのですから。食料の増産に合わせて人口増加の抑制が必要ですが、制限のない競争原理がそれを許しません。
どのような手段でも合法であれば行使して良いなら、家族を、民族を、増加させ大多数の側に出来ればそれだけ強い権力を持ち他者を圧倒出来ます。そして物理的な影響力の増大の為に一度権力を持たせてしまえば止める事が出来ません。結果としてお互いに人数を増加させる方法を選択します。そして食料不足を招き奪い合い争う事になり、個人、家族、一族の滅亡のリスクを避けるためにスペアを用意もしくは数を増やし同じ事を繰り返します。誰かが始めれば皆がそれに応じるしかなくこうして食料不足の原因の一つが生じます。勿論、そういった事とは別に知性を低下させてしまったがために欲望に負け、子供を増やす場合もあり、争いに拍車をかけます。
そしてその原因は自身から見た世界で現時点では深刻な貧困が発生していない事と知性が低い為に資源にも限界があるという事が分からない事にあり、自らの目に見える状況が平和なら世界が平和だと錯覚し、自らの行動が他者を侵害している場合にもそれに気づけない事にあります。。これも無自覚の悪意になります。人数を増やせばそれだけ食料を必要とし占有する事になります。そして食料は生命維持に必要であり、問題が発生した場合に供給を全て停止するという方法を行う事が出来ません。後戻り出来ない状況に陥るという事です。先の事を何も考えずに後戻り出来ない選択を行い、その結果として問題を発生させたとしてもその責任を取る事が出来ない、というのはその軽重はともかく良くある事です。
簡単なものでは木材を加工したが採寸の精度が低い為に加工した後に用途に適さなくなった、天候予測を楽観的に行い天候不順に会い被害する、商売を始めたが見通しが甘く予想外の設備費などがかさみ事業運営がうまくいかなくなる、とりあえずどうにかなるだろうと見切り発車したがどうにもならなくなった、などがあるでしょう。
重い問題としては、経済特区を作ったがその表面的な経済効果の為に他の地方の産業をのきなみ衰退させる、カジノを誘致して表面上の経済効果はあったが治安は悪化し周囲の住民の安全が保障されず、そしてカジノでの浪費を行う者が集まりスラム街を形成する、などがあります。
この場合、経済特区というのは納税の対象を変更しつつ、税の優遇で利害関係の一致をして優秀な企業を集める事が目的であり、それ自体は経済そのものへの影響はマイナスです。単にその恩恵にあずかれる一族や権力者が企業が得る収益の一部を利権として得る事が出来るだけです。例えば地方で育ったベンチャー企業が税の優遇措置の為に大都市に移動し地方はそのベンチャー企業がもたらす利益を得られなくなったという話にある通り、企業も生き残らなければならないので有利な選択はしますが、その納税元の変更という事で、ある地域が持っていた利権を奪うという形で計画が実行され、それは国の税金で行われ、国の権利を使って権力者が自分達の懐は痛めずに収益の元を得る、金の卵を得られるという事になります。勿論、優秀な企業が近くに多々ある事で互いのニーズに応える形で新たな製品、新たなアイデアが生まれる可能性は充分あります。しかし同時に先ほど述べた問題も発生し、国の税金で優秀な企業を集め、その税金を納める地方への還元はない状況になります。税の優遇分の費用は税金で賄うのと同じになります。本来ある量を売った際にかかる税金が優遇されるのです。その本来あるべき税収入がないのは予算に影響し、足りない分を全員が負担する計算になります。本来あるべき税収入がないのに加えて、需要は満たされ必要な供給量は減り同業他社は売る機会を減らし、その利権を受ける者が肥えます。
カジノ誘致も同じです。治安の悪化によるコスト増やリスク増はその地域の住民や自治体に押し付ける形になり、その利権にあずかれる者がその分を利益として変換する仕組みになります。地域は治安の悪化とともにそこに住む近隣住民が博打に手を出しやすくなり、教育にも影響が出て真面目に働いて貯金するより博打で一攫千金だと考える者も増えるでしょう。博打で破産して浮浪者になったり貧困な生活になる事で治安が悪化し、まともな住民は他の地域へと移住するかも知れません。ある視点で見れば強制大執行に近いと言えます。ダム事業をするから立ち退いてほしい、と言われるような状況と同じです。そして移住してもその移住者達の生活が保障されるわけでもなく、『自分達の自由意志で』移住したのだから無責任だと言われるだけです。
利益は自分達に、負担は他者へ、そしてその行為の偽装としてかつて行われた政策を真似するというのが商人らしい商売方法です。
どんなものも一回目と二回目は違う、という良い例です。一回目は誰も経験しておらずそれに対しての予測は出来ても確証は得られずリスクとの兼ね合いで実行されないものも二回目ともなれば予測は精度を増しそこから生じる利権は分かっているのでそれを目的として実行したり参加したり出来ます。1回目の教訓を活かさず悪用する良い例とも言えます。
ここではこういった問題は別問題ですのでこれ以上は割愛します。
話を戻しまして不用意に数を増やす事は意図していなくとも自身の勢力を増す事になります。その結果としてその勢力に利益を奪われる勢力も存在します。例えば権力者の一族が数を増し、それまで他の勢力に担当させていた役割を自身の一族へと割り振ったとしましょう。すると他の勢力はその役割から得られる利益を失い、足りない資源の分だけ数を減らさなければなりません。それを大人しく受け入れるでしょうか。
人の世界、つまりは人の住める世界の広さが分からずに過ごしていた時なら良いでしょう。それは計算できないものとも言えますので。しかしエネルギーは有限であり、世界も有限であり、その限りを知った後も同じではいけません。そしてそれは家族、民族、国、という自身の属する社会でもいえる事です。家計の収支が破綻する程の家族構成をする事はまずないでしょうが、それが民族、国という規模でも同じ事が出来ているかという部分を個人の側が大抵は考慮しないのです。考えの基本を世界はどこまでも広がっていて数を増やしていっても問題ないという発想から世界は有限で限界があるために自身を含む集団の規模で制限をかける必要があるという発想に変える必要があります。
家族計画として構成される人数がその社会の中で他者が行っても許容できる人数に収まっているかを計算する必要が生じるとも言えます。そこに瑕疵が生じると足りない資源の分だけ奪い合いが生じ争いに発展します。これも悪用する方法があり、人余りの状態をあえて作り互いに競わせると言えば聞こえは良いですが権力者側が譲歩を引き出す材料にするという手法が存在します。譲歩した側を採用し、しなかった側を不採用にして本来得る事のない利益を得る方法になりますがここでも別問題なので割愛します。
この様に食料不足により奪い合いが生じる為に食料増産は効果があるように見えますが先程言いましたように実際には問題の先伸ばしに過ぎません。そして大きくなった規模により貧困の割合が同じとすれば絶対数は増すのです。必要なのは人口増加と食料供給のバランスです。食料増産にだけ着手すると、死亡率から逆算する結果としての出産率により維持されている社会において死亡率が低減するためにバランスが崩れ人口増加になります。ではそれは線形で済むかと言えばそうではなく、酷い例えになりますが、鼠算と同じになります。人口が均衡するためには1組の夫婦から2組の夫婦分の配偶者を産む計算になります。つまりは2人で1組ですので、例えば5人生まれて3人が死に2人が結婚して新たに5人生み3人が死んで、という計算になります。不測の事態で足りなくなればあえて産む子供の数を増やすかも知れませんが、これは余剰分として足りない人数の分の食糧は確保できています。しかし増える場合はどうでしょう。5人生まれて2人が死んで3人が結婚してそれぞれが5人産んで2人が死んで、という展開になれば、人口増加は1.5倍になります。わかりやすく4組の夫婦で考えると4組の夫婦は次の世代で6組の夫婦になり、6組の夫婦は9組になり、9は13.5、20.25、30.375、45.56、68、というように増加する速度は増します。ではこれが5人産まれて1人死んだ場合はどうでしょうか。2倍になります。1組が2組に、2が4に、4が8、16、32、64,256、と7世代経過しただけで256倍になります。子供を産む年齢が低下していて20歳で産むとすると140年で256倍になります。その増加に耐える許容量などまず存在しないでしょう。
そしてそれは食料だけに限った話です。増産出来ない資源は人口が増える程に等分されたと考えるとこの場合は256分の1になり、それで生活が維持できるかどうかという問題に発展し、増加の過程で資源の奪い合いは確実に起こります。そしてその限界に達した時、食料不足の問題は解決していないでしょう。
つまり増産をするには、まず現在の状況を分析してバランスはどのように保たれているかを把握する必要があります。子供を産む数が争いにより死ぬ数を計算に入れているとすればまず争いをなくす方法が先に必要で、食料のみを増産しても争いはなくなりません。私達は生存の関わるリスクを回避するためにスペアを作ると言いました。ならスペアは子を成すのか成さないのか、そういった取り決めが必要になります。さて、そのスペアの知性が低ければそれを了承するでしょうか。ここに教育の問題が発生します。知性が高ければ争いを生まない為に受け入れるかも知れません。それでも受け入れるかどうかわかりません。ではどのような基準で運用されるべきか、という問題になり、社会で取り組む問題になります。そして大抵は能力のある者が子供を安定して育てる環境を得てその権利を獲得する、という慣習に落ち着きます。
ここにも悪用する方法があり、つまりは社会に生存権を認めてもらう必要があり、権利を悪用して利益を得る方法が存在しますがここでは割愛します。簡単に言えば選挙などで当選するためにはどのような不正が行われるかと同じ事になります。そして、人口増加をあえて管理しない事で資源不足を招かせ競争を行わせ、より裁定者に利益を差し出した側が残るようなシステムを組み不正に利益を搾取する方法を実行する者もいます。
そして何度も言いますように、増産だけを行った場合、規模が大きくなり問題が解決していないので争いを起します。その何が良くないかと言えば管理が不可能、制御不能に陥るからです。優れた個人が1人居て10人を管理していたとします。物理的に反抗する場合も含めてそれで対処出来ていたとします。では100人になったらどうでしょう、1000人はどうでしょう。そうやって管理出来ない状況へと発展します。例えとしては看守が囚人を管理する場合が分かりやすいかも知れません。看守の管理能力を超えた囚人は管理されていない為に自由になりますので抑えが効かずやりたい様に行動するでしょう。そして徒党を組ませれば物理的に看守は勝てずに管理出来なくなります。看守は訓練を受けているでしょうし装備も持っているでしょうから1、2人やもう少し数が多くてもなんとかなるかも知れませんが限界があるでしょう。それと同じ現象が起きて暴動が起きた時に制御出来ない可能性が増します。
急激に数を増やすという事は品質を保てない結果になります。教育においても1人や2人ならどうにか出来てもそれ以上は質が低下するなどの問題にもなります。また、そうやって質の低下した者達で構成されると治安が悪化します。治安が悪化した分、治安維持の人員が必要になり、そしてその人員が必要になる原因により維持する側の人員も求められる質を確保できずに質を低下させて人員を補充して全体の質を低下させます。低下した質により管理手法も精度を出す事が出来ずに以前よりは劣化した状態になります。
一度低下させた質をもう一度向上させるのは難しく、例えるなら原子が基底状態から励起状態に遷移するためのエネルギーのようなものだと思っても構いません。2つの状態を遷移するためのエネルギーは同じに見えるかも知れませんがそこにかかるコストとしてのエネルギーが存在します。励起状態から基底状態に移る時は本来得られるエネルギーからかかるコスト分のエネルギーを差し引いた分が得られ、基底状態から励起状態に移る時には必要なエネルギーに加えてそのエネルギーをかけるコストとしてのエネルギーを必要とします。エネルギーを得る為に低下させる事とエネルギーを与えて上昇させる事は同じエネルギー量で出来る事ではありません。
そして状態が劣化したという事は、以前と同じ精度を出すためには以前より多くのコストが必要になるという事です。
原子の2つの状態ならその環境自体に変化がないために同じコストで実行出来ても、社会というものは質を下げる事で以前と同じ品質を出すためには多くのコストを必要とするのです。治安が悪化すれば警備員が多く必要になるように、防犯設備を増す必要があるように、元の状態を維持しようとする為にかかるコストは増します。そして全体の、場合により局所的な質の回復があるまで続きます。
質の低下によるコストの増加の簡単な例としては性善説で語られるべき人物で構成される社会と性悪説で語られるべき人物で構成される社会を考えると分かりやすいかも知れません。性善説で語られるべき善良な人物のみで構成出来た社会ではそもそも警備員や防犯設備などのコストは必要ありません。しかし性悪説で語られるべき悪質な人物のみで構成された社会では多くの警備員や質の高い防犯設備は必須です。その間に私達の社会の状態は存在します。
初めは悪事と言ってもささいなものになるでしょう。万引きの類も高価なものは罪悪感が大きい為に避け、せめて安いもので罪悪感を紛らわせようとするかも知れません。そしてその対処も店番が監視の目を行き届かせる程度で済むでしょう。しかし、更に劣化すると万引きだけではなく暴力で物品を奪っていく強盗も発生するでしょう。そうなると店番だけではなく警備員が必要になります。更に劣化すると万引きの数が多すぎて店番だけでは対処できずに防犯設備が必要になるでしょう。更に劣化すると既存の対策の欠点を利用して犯罪行為をしようとし、警備員の数や質、防犯設備の数や質を高める必要が出てきます。もしそれ以上に劣化すれば個人の行動を制限するような店の中でのルールを設ける事になり、それでも対処出来なければ社会の法律として取り決める事になります。
こうしておよそ、民主主義などに見られる自由な風潮は、絶対君主制、集中王権制のように国民の自由を制限する形で行動を取り決める方法へと逆戻りする事になります。元々絶対君主制などが伝統として引き継いできた習慣は、社会モラルが発達する中で起こった悪事に対する形で形成されてきたものであり、民主主義などに見られる自由な風潮の土台はそうやって作られた社会の中で培ったモラルやマナーでありそれを失った結果、かつての状況と同じ事を再現し繰り返す形で同じ制限をかける状況に行きつきます。その原因は対策を取らなかったからとなります。
対策としては警備員、防犯設備という対策を取っている様に見えますが、その劣化の原因となった根本的な問題への対処がされていない為にその対策は受動的なものでありその場しのぎとなります。このように食料だけ増産して人口増加を招いても問題は解決しません。
社会の中では役割があり、数が増えてもそれに比例して役割が出来るわけではありません。互いをけん制しあうために技術を惜しみなく分け与える事もなく技術職はなかなか増えません。今日の食糧が必要なのにまず技術を手に入れるために投資が必要という状況に陥り結果として増えません。そして出来る生存方法として盗みなどの不正と言われる誰にでも出来る行動へと駆り立てます。
また、飢えの原因が社会の中での争い、押し付け合いならまずそれを解決しなければ規模が大きくなっても同じ問題に辿り着きます。食料が足りないから飢えているのではなく、人員過剰により飢えているのです。そしてその問題を解決せずに食料を与えれば能力を向上せずとも食料を得る事が出来、リスクを回避できるために能力を向上させないまま、人員過剰な状況を受け入れて何の問題も解決せずに過ごすでしょう。そしてまた同じ問題が起きます。
また、人口増加により資源が相対的に減少します。その影響で個々の生存のリスクは高まります。なおさら誰も他者に構う余裕はなくなります。奪い合いに発展するなら他者を助ける事で自身が破滅するリスクが向上するために助ける事を躊躇します。
このように無計画な食料増産は慎むべきであり、争いを助長させる結果になり、また、集団の質を劣化させる原因にもなりかねません。そして奪い合いもしくは競争するという状況は商人のような考え方をする、差だけを見て利益を得ようとする人物には好ましい状況になりそこに悪意を潜ませる事が出来ます。」
エールトヘンは一旦区切り、ローレンシアが話に付いてきているかを確認した後に話の焦点を切り替えて話し始めた。
「では農業改革自体の問題です。お嬢様は4輪農業についてお話の中でおっしゃいました。その弊害をご存知でしょうか。」
いきなりの質問にローレンシアは戸惑いながらも答える。
「え、いや、画期的な良い方法だと言われていたからそうなのかなーと思った?」
その答えにエールトヘンはわずかに頷きながら視線を彷徨わせてから話しを続ける。
「4輪農法は増産に向きますがそれは以前まで作っていた食料と同じものでしょうか。それについて考えた事はありますでしょうか。
4輪農法は窒素を増加させて食料の増産を行う方法です。植物は窒素、カリ、リンという主要な3要素が良く挙げられますがそれ以外に銅、モリブデンなどの微量要素も必要になります。では窒素以外はどのように供給されるのか。4輪農法の手法の中にはその方法は存在しません。つまり4輪農法で手に入る増産された食料というものは栄養素が以前とは違う、いわば水増し品になったりします。
元々田畑に向く土壌という事で農耕を行ってきた土地でも4輪農法のような田畑を効率よく高回転させる農法を行った結果、以前には発生した事のない病害が発生したりします。その原因として微量要素の欠乏が存在します。高回転させた結果、自然の循環では微量要素の供給が追い付かなくなって枯渇するという問題が発生する事が稀にあります。
また、主要三要素の中で窒素のみを増やします。カリ、リンという残りの要素を不足する分だけ外部から供給する必要になります。カリは草木灰などで得られます。リンは生物の死骸から還元させる事が出来ます。
元々の休耕地を利用した農法では、休耕地で家畜を放し飼いにするなど自然の成り行きに任せ、動植物の糞尿から栄養素を土壌へ供給するなど栄養素を回復させる期間を作ります。それが出来ていない畑を『痩せている』と表現します。栄養素が充分に回復した土地を『肥沃な』、『肥えた』と表現します。
大洪水が頻繁にある河口で肥沃な大地が多くみられるのは大洪水の度に栄養分を含んだ土が上流から流れて定着するからです。このように何等かの供給方法が元々ありました。
しかし4輪農業はその効率を優先した結果として自然な回復を求めずに実行され、栄養素を欠乏させます。リンは『身肥え』などと呼ばれ果実を美味しく作る為に必要です。カリは植物が酸性化して病害虫に弱くなるのを防ぎます。ここは人体でも同じなので注意してください。酸性化したために元に戻すだけの栄養が必要になり、その栄養を取られた分、病害虫への対処として回す栄養素が低下し、病気になりやすくなります。酸性化する食品を多く摂取しているがために栄養に気をつけているつもりでも欠乏気味になる事がしばしばあります。
植物は根からミネラルや栄養素を吸収し光合成により炭素を手にいれ植物としての形態を維持します。根は動物の口や消化器官と同じと言えます。根から取り込む事が可能などのような物質も取り込む欠点を取り除いたのが動物の口だとも言えますし、同時に地面から直接必要なものを取り込めなくなったのが口だとも言えます。
4輪農法を選択した結果として外部からエネルギー、カリ、リンを供給する必要が生じます。そして、4輪農業を実行して増産された安い食料のために従来の農法を行う者は生き残れなくなり同じ手法を行う事になります。ここにも競争原理や先取特権に見られるような先に始めたものが恩恵を受ける構造が存在します。しかしそれは自身の、そして他者の権利を売り渡す行為で得られた利益とも言えます。
それまでは休耕地に放牧するなどして自然にエネルギーを回復していましたが、それでは供給が間に合わなくなり、"外部から"エネルギーを供給してもらう必要が出ます。つまり、新しいとされた4輪農業をするに当たって、自然に依存していた部分を他者に依存し依存度を高める事になるのです。自身の土地と財産の中だけでほとんど完結していたサイクルに外部の影響が加わってしまいます。
エネルギーが手に入らなければ競争に負け、商売としての農作物の生産は出来なくなります。そしてそれを手に入れてくる商人の出番となります。
これは同時に私達が求める社会において全ての事実を明確にするためのプロセスの一環でもあります。自然のサイクルに任せていた部分というのは悪く言えば曖昧にしたままのものでその部分において受動的になり、もし何かあっても私達の側から干渉して問題を取り除く事が出来ない状況だと言えます。三圃式農業と言われる旧来の農法はこのように曖昧な部分を含んでそのサイクルを組まれており、その曖昧な部分をなくして自然に任せる事を止めたのが4輪農法だと言えます。しかしそれは誰もが得られる恩恵を失くして他者に、もしくは明確に判明する資源に依存する方法を選んだとも言えます。
ではその利点は効率良く生産する事が出来るようになる事ですが、その欠点として外部資源に依存し取引相手との関係が生産に影響するようになり、例えばリンの一大採取地の権力者と関係を悪化させた場合に生産活動に影響を及ぼすでしょうし、自身の居る地方の権力者だけでなく大きな影響力を持つ商人との関係が悪化すれば生産活動に影響が出るようになるでしょう。こうしてうまく取引を行わなければいままで強い権力の基盤となっていた土地や食料を確保するといった条件だけではそれまでと同じ権力を保てなくなります。そして権力者や大商人に依存しなければならない資源を抑えられると逆らえなくなります。
このように、魔導学を中心に世界の仕組みを解き明かす事で自然に依存していた部分を自分達で制御する方法を手に入れる反面、自然からの恩恵という誰もが得られた資源を失い、他者に依存しなければならなくなります。そして依存度が高い為に権力機構が暴走しても逆らう事が出来ずに暴走を止める事が出来ず、最悪はその共犯として行動しなければならなくなります。
材木業においても高回転させた事業を営む事になり植林により木材として使える木を人工的に生育させる様になり自然の依存した営みから離れて行う様になります。これも事業そのものを自然の成り行きに委ねるリスクを排除して予測が出来るように、計算出来るようにする行為です。
漁業においても養殖をする事で事業の予測をし安定を図ります。
まずそこにある問題点として、囲い込みと締め出し、利権の独占が出来てしまいます。条件が追加されればされる程にその事業への参入は難しくなり、他者との競争が起きにくい為に顧客を囲い込みやすくなり、流通システムが確立してしまえば後発の者は参入が難しくなります。資源は常に枯渇する状況であるならば新規参入する者の分は常に無くより高値で買い取るしかないがそうなると売価に反映され商売にならないという状況となり後発の参入はその他の利点がなければ難しくなります。そうなれば先に参入している者達で独占しているような状況を作り出す事が出来ます。それぞれは同業他社ですが連帯感により締め出す事で互いに保身するのです。新規参入されれば椅子取りゲームのように誰かが出て行かなければならなくなり、参入されなければそういった事態にはなりにくいのです。
自然のサイクルに依存していた部分を人工的な手順に置き換える事で他者に依存する度合いを高める事は依存しなければならない相手より立場を下にしてしまうという状況を作り出します。今まで不明だったプロセスを暴き、予測し計算するという事は予測され計算されるという事態を招き、立場が下になり相手側との関係が悪化した場合、依存してしまっている為に自らの権利を守るための有効な手段を取る事が出来なくなります。これが同規模の取引相手で他に取引出来る相手がいるならそれほど影響はないですが、例えば権力者、行政機関や組合などの無視出来ない組織であると大きな悪影響を受ける事になります。事業する側に悪意がなくとも権力者側に悪意があれば従わない限りは干渉され続けるでしょう。そのような事態になって、ここでの話にある4輪農業では問題になり、以前までの3圃式農法ならある程度の独立性を維持出来ます。依存した資源が手に入らなくとも事業を展開出来るからです。こうして自らの持つ権利を競争原理の名の元に失う事になり、それにより利益を得るのはその権利を失う原因を作った、先に4輪農業を始めた者達です。先取特権などと言って誤魔化される事が多いですが、たいして物事を考えずに不用意に他者の権利を侵害したという事実は恐らく気づかないままに行動し、そしてそれがある特定の集団の利益に結び付くので受け入れられたというのが本来の結果でしょう。そしてその特定の集団というのはその事実を知っていた者達です。
独立性を維持出来ずに権力者に逆らう事が出来にくい状況になり、その事業のプロセスは予測し計算しやすくなります。つまりは相手側に状態を把握されやすくなり、どれだけ不当に搾取出来るかも把握出来るようになります。相手に操られない為の事業資金を隠す事も難しくなります。このような状況だと権力機構に逆らえない為に、権力機構が腐敗してもそれを正す為の行動というものを取りにくくなります。結果として媚びや賄賂を使ってでも権力を手に入れるような者達が権力を手にしたとしても関係を切る事も出来ずに、状況に甘んじると一定の収益を与え続ける事になり、更にそういった人物を増加させる要因につながります。
そして4輪農法などの人口的な方法を行い自然に依存していた部分を排除し、予測しやすくなった結果として安定度を増し、社会は壊れにくくなり、壊しにくくなります。農業だけが発展するのではなくその他の分野も発展します。それらの成果物を手に入れる事が出来なければ時代の流れに取り残され、それだけ依存度を増します。自らの生存の為に安定させた個々のシステムは統合され社会を成し壊れにくくなりますが権力の腐敗を取り除く事が出来なければやがて社会は崩壊します。
既存の社会という規模で新たに参入する者達を締め出し、利益を独占するようになり、賄賂や媚びを要求し、受け入れなければ参入させず、賄賂や媚びをする事を受け入れた者を受け入れようとし利己益により選別するようになります。それを要求する側は最初は些細な事から始まり、罰せられないから続き、やがてエスカレートし、罰せられた者は退場するか自粛し、それを見て経験を積み罰せられないままに残った者はどこまでなら罰せられないかを知る為に罰せられない様に要求します。
そして依存度を高めた生活の為に権力に逆らう事が出来ずに、権力を持つ側は計算出来る社会の中で計算して利己益を満たそうとし、利己益を満たそうとする考えは他者との関係を考えない為にその計算の結果が他者に損失を押し付け、最悪は他者を使い捨てる事になってもそれが当然だと思う様になります。
このように技術の発展、新たな知識の解明により社会は数式化され計算されるようになりますが、明文化と同じく全てを計算可能に出来たわけではありません。しかし利益を得るために最低限の事は数式化され定量化される為に効率良く利益を得て競争に勝つためにはその計算通りに行動する事を要求されるようになります。結果として数式化、定量化されていない事は軽視され、計算により最適化した行動はモラルやマナーに反する状況を生み出します。結果としてモラルやマナーが保たれていたからこそ成立していた計算がモラルやマナーが低下する事でズレを生じるか計算式そのものが適用出来なくなります。
元々、昼に働き夜には寝るというサイクルをしていた集団が夜に酒場を開くようになるなど生活のリズムが変化しますが、それも"まだ誰も"やっていない事を試したものが酒場を開くようになり、先取特権として利益を稼ぎますがモラルやマナーは低下します。モラルやマナーを低下させた事でその地区の生産性や教育のレベルは落ちる傾向となり、その地区での収益そのものが下がり、結果として酒場の収益にも影響します。また、酒場を経営する事で儲かると分かれば周囲も同じように酒場を経営しようとし、先取特権としての利点は消えて収益は低下します。
また、争いが起こる為に昼夜交代で見張り番をするようになるとその不規則なリズムの悪影響は個人の負担として押し付けられ、問題として取り上げられるまでは改善される事もないでしょう。
また、能力のある個人に作業を任せた方が効率が良いために集中して作業をさせて過労働させる場合などもあるでしょう。
こういったモラルやマナーにおいては、権力を持ち優位に立つ者が効率を優先して競争するために軽視し放置され、そのひずみは弱者に押し付けられ、強制的に行動させられる状況を生み出し、この時に、まるで機械のように扱われる感覚、歯車として機械の一部として使い捨ての部品のように扱われる感覚を押し付けられる側は得ます。かつて、計算式が成立していた状況が崩れて無くなっても、権力を持ち優位に立つ者はそれを他者に押し付け実行させ、押し付けられた側がそのズレの悪影響を被り損失を出しながら実行し、その損失が耐え切れない状況になればようやく問題として表面化したとされて扱われますが実際に押し付けた権力者側に不都合が生じないなら暴動やストライキなどの影響を受けるような事態にならない限りは放置するでしょう。
また、定式化、定量化されていない部分に考慮されていない条件や事項があり、その蓄積がマクロ化して表面化する事もあります。
問題なのはこれが社会問題として発生するようなものはそのズレが問題になった時には深刻な影響を及ぼした後だという事です。ごみ問題も言ってしまえばそれまで安定していたシステムに別の要因が加わり発生し、問題が表面化した時には既に大きな影響を及ぼす状況になります。温暖化現象のようなものも同じです。計算が出来ないなら控えめで慎ましやかな生活をして徐々に消費量を増す事で問題の兆候が表れた時に対策を考えるというかつてのサイクルは失われ、制限のない競争により遅延して現れる問題が表面化していない間に多くの蓄積を行い、より深刻化して表面化する事態になります。
例えば急加速をした後に問題が生じて止まろうとしても急ブレーキを踏むしかなく止まるまでには多くの距離を移動する事になり、速い速度の場合も同じとなります。ゆっくりした速度で走っているなら止まりやすく、停まろうとした後に移動してしまう距離も小さくなります。ラインを超えないように止まろうとしてラインを超えたとしてその距離により崖であったり段差であったりした場合には単に後ろに戻るだけでは対処出来ないという事です。
私達の活動においては必要な活動だから行なっていたものをそういった問題で全て停止する事は出来ません。今まで通りに活動しながら量を減らし方法を改善するしかなく急にも止まれず事態が悪化するのをただ手をこまねいて眺める結果になる事があります。
こうして権力機構を悪人から守る事が出来ずに居座らせると社会は檻のような状態になります。権力者が利己益の為に権力を行使しそれに逆らえず、逆らおうものなら権力で黙らせようとします。そして社会のその高度さが意図しないように働き、先ほど言いましたように依存が高い為に逆らう事が難しくなります。そしてより計算しやすく把握しやすくなる為に管理しやすく、この社会が綻びを見せ状況が改善されるまでの時間が長くなります。その中で能力主義、個人主義と言い、全体の状況を考えずに行動し、新たな技術、知識を解明するとそれだけ社会は延命し、悪人が社会を使って不当の利益を得る状況が繰り返されます。その時点で洗脳が行われる可能性は高く、だからこそ全体を見ずに能力主義、個人主義と主張する者も発生します。
しかしそれを批判せず、そしてその状況が好ましい者は批判せずに推奨し同意するのでその集団は自らの主張が詳細な検証せずとも正しいと思い込み行動を続けます。なぜ批判されないかと言えば、批判する者は弾圧されるからです。
能力主義、個人主義と主張して行動する者の前にはそういった批判をする人物を配置せず、させず、そういった人物の居ない所で弾圧し排除する事で、そういった人物の目の前には自身の主張を肯定する世界が、自身から見た世界が存在するようになり、疑問に思う状況も発生せず、そして世論、周囲の考えなどで考え方の欠陥は巧く隠され気づけずに行動するようになります。私達は成功体験を繰り返している時はその成功を疑う事をあまりしません。それまでの成功による経験と実感からその成功が間違いないと推測するからであり、その推測も間違わされていると正しい判断すら出来ません。これは良く詐欺行為に使われ、簡単に成功しているように見せかけて重要な所で実際の基準で物事を行動させて失敗させその責任を取らせるという手法は常套手段として存在します。この場合は成功しつづける間は放置し、失敗した時に実際の現状を知り今までの行動による周囲に与えた悪影響の反動を受ける事になります。因果応報などと呼ばれる状況になります。
では批判出来ない状況というのはどのように作られるのか、という部分で圧政、恐怖政治が代表でしょう。権力者側の主義、主張を強引に押し付け、それに異論を唱える者を排除して権力者の都合の良い状況を作り出す、というものです。ではその原点はどこにあるかと言えば奴隷の作り方にあります。もしくは看守による囚人管理です。
例えば10人1組の集団が2組あったとします。片方は善人が多く他の集団を襲う気もない集団とし、もう片方は他の集団を襲うのに躊躇いもない集団とします。10人対10人では簡単に相手を打ち負かす事が出来ません。ならどうすれば良いか、となり、個別に狙い、相手側には気づかれないようにします。そうすれば、10人全員が行動しなくても2対1なら有利でしょうしそれ以上なら更に有利でしょう。そしてそれ以外の人員はその行動を気づかれない様に偽装します。そうして倒し服従させます。すると10人対10人の状態が、10人対9人と奴隷1人という状況になり、更にそれが続き、最後には最初は対等であった集団の一方が負けて服従する事になります。
この方法の利点は『自分より強い者を倒し服従させて利用出来る』部分にあります。それは逆に言えば『誰でも実行出来、容易く他者に勝ち簡単に利益を出す事が出来る』と言えます。罰せられないならしても良いと思う者達にはこれ以上ない方法と言えます。
奴隷狩りと言うものが行われる理由はここにあります。奴隷にする、服従させる対象に突然襲い掛かり自らは戦闘行為をするために武装し、相手側は生活活動をしている為に非武装の場合が多く、能力がなくとも物理上の差は覆せ、勝ってしまえば自分より強い者でも屈服させる事が出来、そこから得られる利益は著しいものになります。弱者が成り上がりを夢見るにはとても都合の良い方法だと言えます。
そしてこの方法は実際に物理上で行う以外にも、一度優位を作ってしまえばそれを示唆するだけで良く、権力を使って同じ状況を作り出しても効果があります。
権力を握り、自身の言う事を聞かない相手を屈服させ黙らせる為にこの方法を行う場合が圧政、恐怖政治になります。
そして、依存度を高めた社会では簡単には逆らう事が出来ずに継続して収益を権力機構に与える事になり、その資源がそのような方法に使われる事になり、無自覚に、場合によっては知っていても共犯になります。そして逆らおうとする者を屈服させ個別に対処していきます。
この時、個々の連携が生じて暴動、反乱、革命へと発展していきますが、これを防ぐ有効な手段として競争原理が存在します。互いに争わせれば連携など取るような事もなく、個々は分断され強い勢力を形作る事もなく、権力を握る側の都合の良い状況を作り出せます。例えばある分野を弾圧したとしても競争が苛烈を増している状況で互いに手を取るような事があるかと言えば可能性としてはあります。しかし同時に相手を出し抜いた方がより利益を得る事が出来る、と考えさせ、そう考える者を生かしておくのです。そうすれば容易く裏切るなりして勝手に連携を分断して権力者側に負ける要因を自ら作り出してくれるのです。そのような人物を優遇し管理する側や権力を行使する側に配置しておけば安泰であり、そしてそういった人物は権力を私利私欲の為に使う事で利益を得たり、賄賂を貰ったり媚びを売られたりとして自己顕示欲や食欲、性欲、独占欲などを満たせるなら喜んで従うので、権力者側からあえて何を提供し、自らの財産を切り崩して損失を受ける必要もないのです。
そしてこの手法は看守の囚人管理に似ています。囚人を個々に分断して物理的に看守が負ける様な状況を作らないように徹底し逆らう事を許しません。それを同じ手法を社会の中で行う事により、その社会で悪事の被害を受ける者は檻の中で生活する息苦しさを感じるようになります。
こうして、常に競争しなければならない状況を作り出して、『考える』事を止めさせます。『考えればそれだけの時間が必要になり効率が低下し負ける』ので考えないようになりより手順を重視して高速に行動しようとし、『モラルやマナーなどを守ればそれだけ時間もかかり制限も多くなるので負ける』ので法に罰せられない限りはモラルやマナーを守らないようになります。すると互いが互いを出し抜く行動をするようになり互いで警戒し合い連携するような事などなくなるわけです。
これは同時に支配の方法の一つです。知性の無い者、低い者を管理する場合には徒党を組んで悪事を働かせない為に徒党を組むメリットを奪うという面では有効な手法です。ただし、その部分だけに特化しており、より冷徹な方法と呼べるでしょう。そして社会を構成する人員の質が劣化する為に、全体としては有効な方法とは言えませんがその場しのぎになり、また、支配者側が同じような性質を持つなら自身の性質にあった社会を作り出したとも言えます。
こうして社会は権力を悪人に握られる事で、場合により求められる能力の基準に達していない人物が権力者になる事でその場しのぎの対応で社会を運用する事になります。そしてその時に社会が高度であればある程にその社会を壊しにくく、つまり改善する方法を実施しにくく、不満が溜まり従う事がもうデメリットしか生まない状況になるまで続けられる事になります。そして計算しやすければしやすい程に、技術が高く個々人の依存度が高い程に長く続けられる結果になり、本来あるべき社会とは似て非なる悪魔の社会が実現する事になります。
話を少し戻しまして食料は今までと同じか、という部分を考えます。
4輪農法が初められた当初に効率よく栽培される作物は、それ以外の農法により得られる作物と同じ価格で取引されます。その違いが分からず指摘する方法もないからです。いわばその差分を利益にしたとも言えます。4輪農法で得られた作物は3圃式農法に比べて土壌の窒素以外の栄養分が少ない為に同じとは言えない状況になっている可能性があります。しかし作物の見た目にはそういったミネラルなどは影響を及ぼしにくく、深刻な欠乏によってしか表面化しません。カリやリンも外部から供給しない状況では不足するでしょう。形は同じでも似て非なるもの、悪い言い方をすればそれまでの作物を基準にすれば悪魔の作物とも呼べますがここではそのような考えはせずに話を進めます。このようにそれまでのものとは同じように見えてコストダウンしたがために機能を低下させたものを、それまでと見た目が同じで区別がつかないために同じ価格で売る事で利益を出す事が出来、劣化させた差で利益を出す方法になり、錯覚を利用した方法になります。そしてこの方法はその土地を持つ人物の持つ財産を切り売りしているとも言え、効率よく栽培する事で土地は痩せ以前と同じように作物を作る事が出来なくなりますが、『見た目は同じ』でその栄養に関して分析する事が出来なければそれに気づく事はないでしょう。そして自身が自身の財産を切り売りする形で価格競争を挑む実態に気づかず、後になり外部から栄養を補給する際には価格を下げて売る事で得られた利益よりも多くの損失を出す結果になる可能性があります。そしてそれで利益を得るのは仲介する商人だけとなります。その生産に携わらず、その消費にも携わらない。自身がその事実を知っていればそれで得た利益で品質の良い食料を買えば良いだけです。
これが常態化すると競争原理により、作物は最低限の品質を保つ状況で作られ取引されブランドのような付加価値がなければ品質を上げる努力はなされません。『見た目が同じ』で同じ価格になるのですから余分なコストは競争に負ける要因になります。そして競争によりそれぞれが生活の効率を追求し、安い食料を求めるためにその基準が常態化します。
4輪農法を選択した側が多大な利益を上げる一方で、従来までの方法を、信仰やどこかおかしいと思う違和感で選択した側は損失を出し負け、方針を転換するか廃業するかで一掃されます。そしてその後になり、どのような事態に陥っているかが判明し、外部から栄養を、エネルギーを供給する方法が成され基準を保ちます。ここからの経過としてこの方法自体が社会が崩壊して維持出来なくなったりした場合、元の3圃式農法に戻るでしょう。リンの大量生産や場合により銅やモリブデンなどの微量要素の確保が個別に出来なくなるからです。
こうして、故意であろうと過失であろうと、結果として正しい選択をした側を一掃し排除した側が残り、何ら悪びれず反省する事もないままに正しい選択をした側の選択を実行します。ここにまた、相克や円環が自然の流れで異常な状態ではないと思わせたい悪意が存在します。4輪農法は3圃式農法を克ち、3圃式もまた4輪農法に克つ、などとしてそのプロセスの原因を考えさせずにその本質から目を逸らさせるのです。そして故意にこの様な方法を行う者は多く、方法や物品を劣化させて差を生み出し利益を得て他者を排除し、排除し終えた後に元の方法に戻す事で他者に勝ちそしてシェアを上げる事が出来ます。その結果がパイの大きさを減らす結果になっても、自身の周りはシェアを上げた事で以前より豊かになるのです。そして強い権力を得たなら元の基準に戻す事すらしなくなります。どのようなものを押し付けても逆らえず、そして逆らわず従順な者を自身の近しい場所に配置するからです。
そしてこれを肯定する為に自身から見た世界がより重要であるような錯覚を与えます。4輪農法を行ったものはその利益であたかも成功しているように見えるでしょうし本人もそう錯覚しているでしょう。しかしそれは同時にかつて保っていた権利を売り渡した結果でもあり成功している内はそれに気づけません。失敗した時に自身が何を行っていたかを知る事になります。
自身の知らない所で自身の本来持っていた権利を奪われる例を一つ挙げます。遺伝子改良品種というものがあります。その品種の種は一代限りで良い作物を作りますが交配の仕方に仕掛けが施されており、次の代からは劣化した作物を作る事になり、毎回生産者はその種を供給してもらう事になります。この品種が優れており他の品種より売れ収益が上がり種を仕入れる価格を差し引いても利益が出るなら競争原理によりこの品種を使うしかなくなってきます。こうして依存度を高める事になり支配される結果になります。そしてここでの問題点は、本来作物を育てるという事は誰もが自然に出来た事です。しかしその種を特定の集団から手に入れなければならないようになり、かつ、それまでに出回っていた通常品種が手に入らない様に仕組まれれば生殺与奪の権利を握られている事になります。遺伝子改良品種の種ばかり売れ通常品種の種が売れなくなれば通常品種の種は流通に出回らなくなり、それを競争原理が当然だと思っていれば問題にもしないでしょう。しかし通常品種の種が手に入らなくなった時、生殺与奪の権利を握られる結果になり、気づかない内に服従させられる結果になります。
遺伝子改良品種が一代限りで良い作物を作るようになっているのは、表向きはその改良をした者にその成果から利益を得る権利を与えるものになっています。
しかしそれは特定の集団にとって他者の権利を奪い服従させる為に都合の良い状況を作り出せるからあえてそのような理由を行っていると言えます。
この場合、いつの間にか本来持っていた、通常品種の種を手に入れて作物を育てる権利を奪われており、遺伝子改良品種の在り方を認めた国がそれを補償しなければならないと言えます。つまりは通常品種の種を手に入れる権利は元々誰もが持っていた物だから特定の集団の権利のみを優遇するのではなく、元々の権利を奪われないような施策を行う必要があるという事ですが、大抵において権力者が利益を上げるためには差を作り相手を服従させる事で損失を押し付ける事がより効率良い方法なのでこのような本来あった権利を守る施策が行われる事はありません。『気づかなかった方が悪い』などと言うでしょう。先ほど言いました方法で批判する者や間違いを指摘する者を排除しながら。
では遺伝子つながりで遺伝子組み換え食品の問題に挙げましょう。
遺伝子組み換えにより味などの品質が向上します。その欠点はどこにあるでしょうか。私達の遺伝子は長い年月をかけて現在ある形に収束したものです。しかし遺伝子の組み換えはそれを急激に変更するものです。先程加速の話を言いましたようにその勢いというものがあり、遺伝子組み換えされた食品を摂取した事で私達の身体にどのような影響があるかを知りません。しかしそれを考えずに食す者にとっては遺伝子組み換え食品は安く品質が良いものになり、また、貧困により遺伝子組み換え食品を選択するしかない場合が多いでしょう。つまり、人体実験を社会的に行う状況が発生します。そして弱者はそれに強制的に参加させられるのです。
食品による影響で簡単なものは食中毒が上げられます。酷いものは状況が分かりやすいですが軽度なものは悪心を発生させ精神を偏向させるだけのものがあります。外からは見えないという事です。これを利用した方法はいくつかあり常套手段として用いられます。交渉を有利に進めたい時、相手に失敗をさせたい時、普段とは違う行動を取らせたい時など良く使われ、この効果を高めたい時は薬として成分を濃縮させたものを摂取させる事になりますが、薬だと相手に気づかれ、そして場合により罰せられるために、罰せられない方法として食品を選び、その組み合わせ、食べ物ですから食べ合わせで相手を望むように操ろうと、もしくは間違わせて差を作ろうとします。相手側が食品を使ってそういった方法があると知らない場合、その食べ物にそういった効果があると知らない場合には効果があります。
同じように食品というものは私達の精神に作用する事があります。遺伝子組み換え食品を食べて実際には異常があったとしても精神に異常をきたしてそれを判別出来ない場合や癌などの遺伝子異常による突然変異を起こさないとは言い切れません。
食品に少し手を加えただけで悪影響を及ぼす例としては加熱調理があります。普段から殺菌のため、寄生虫を殺すために行なう方法ですが過度に行うと害を生み出します。アクリルアミドという成分を生成し癌の元になります。アクリルアミドは120度で食品を加熱すると発生します。油で調理する方法が好まれないのはこのためです。油は180度まで温度が上昇し、長く調理すればするほどにアクリルアミドを生成します。
油で調理する利点は水で煮た場合と違い180度まで温度が上昇するために加熱殺菌しやすく煮た場合では食中毒を起こしやすいような品質の低下した、つまりは傷んだ食品を調理して食べる事が出来るようにしやすいからです。また調理時間も短縮されます。その欠点としてアクリルアミドの生成が行われやすく同時に利点として挙げられた品質の低下した食品を調理出来る為に煮るなどして調理すると問題があり廃棄すべきかどうかが疑わしいものでも調理して商品として売り出す事が出来ます。
そしてそれを売る側はその利益を元にその影響を受けないものを食べれば良いわけです。こういった商人の発想は良く行われ、知らない者、場合によっては服従させられ逆らえない者に押し付ける形で利益を搾取し自身はその利益でその行為が与える悪影響を被らないように行動するのです。
では煮れば良いのか。いいえそうではありません。マクロとして水の温度は沸点が100度です。しかしミクロでは違います。アクリルアミドが生成される条件は平均で120度を維持した状態で発生するエネルギーにより分子の状態が変わる事にあります。水を加熱しすぎた状態、ぐつぐつと煮えたぎる状態はエネルギーを加えて圧を上げているのと変わりありません。その状態なら局所的に120度の時と同じ状態を作る事が想定されアクリルアミドは発生します。相対性理論のように衝突する場合のエネルギーは一方が止まっている状態よりも大きくなり、また、正面から衝突した場合が最も大きくなります。ミクロで多量の分子が得られたエネルギーにより変異し状態を変える為に長くエネルギーをかけた状態であるほどにアクリルアミドは生成されます。
ですので煮る時の目安はわずかに底面から気泡が浮き出るくらい、つまりはエネルギーが均衡して100度に近い状態を保つのが望ましいという慣習があります。
身体に影響を与えるという事でマーガリンなどのトランス脂肪酸などが問題になる事があります。異性体として扱われるものは本来必要なものとは形が違い、しかし結合において錯覚され結合されるものがあり、その悪影響が人体に被害をもたらす事があります。同じようなものに落花生があります。たんぱく質の形が豆類において落花生だけが違います。
また、落花生のように長所だけが取り扱われ短所は隠されるのが商売の基本になってしまっています。落花生は残留農薬が多くなりやすく安易に選択するべきではないものになります。
同じようにアスパラガス、ブロッコリーもそうです。プリン体の量が他の野菜と比べて多く、野菜としての利点の一つを失っています。プリン体の過剰摂取は痛風の原因となり、長い蓄積により一度発症してしまえば完治するものではありません。プリン体を意識して避ける食生活とそうでない生活では2,3割程摂取量が変わると言われています。一度発症したら治らないアレルギーのようなものには注意が必要です。
全粒粉についても挙げましょう。古来より小麦は表皮や胚乳、胚芽を取り外して製粉します。それをつけたまま製粉するのが全粒粉です。全粒粉が身体に良いと言われる根拠は玄米と同じです。元々その食品に求められる成分を下げ混ぜ物をした事で栄養過多による健康異常を抑制するという本末転倒な理由です。これは栄養管理が行えない者には効果的なようにも見え、健康管理が出来る者からは非効率なものです。精米や通常の製粉にはその加工というコストがかかりそして出来上がる品はまぜものがあるかないかの違いになります。その錯覚としてビタミンBの含有量も違い、体内で炭水化物を利用するにはビタミンB1が不可欠でその影響もあります。
わざわざ加工費も削減し混ぜ物をした食品に混ぜ物をせずに加工した食品と同等の価値をつけるのです。売る側からはその差を利益として得る事が出来るので競争原理によりこれが主流になる可能性が高くなりますし、また、その理由から勧められます。
ここでの問題点は、自らで栄養管理せずに他者に依存する形になるという事です。本来なら白米の摂取量を減らすかビタミンB1の摂取量を増やしてバランスを取る必要のあるものを他者に依存するのです。依存した結果として弱い立場になり、依存された他者は利益を得る構造が出来上がります。このように理由は分からないが良いとされるので従う場合には注意が必要です。依存させて定期的に不当に利益を得ようとする場合があります。そしてこの場合の言い訳は『顧客のニーズに応える商人を作った』です。確かにほんの一部の栄養管理もしたがらないサボり癖のある人物には好都合で高いと分かっていても買うかも知れませんが何を選ぶかの選択肢を相手に強制されるような状況を他の人物は望んでいません。もし仮に玄米が主流になったとすれば栄養管理において、玄米の栄養に対して加減算する形で他の食品を調整する形になるでしょう。わざわざ混ぜ物をしたものに合わせて調整するという状況を押し付けられる事になります。
全粒粉の場合は更に問題があります。元の形を成していません。全粒粉と言いますがその成分配合が示されているでしょうか。つまり混ぜ物の比率が問題になります。最初は少しかも知れません。しかしその内、どのような比率でも全粒粉だと出来るなら効率を考えると混ぜ物の比率を上げるのが競争原理であり効率を求める方法です。では最終的に全粒粉として示されるものに成分指定がされない場合、元の品質の良い部分は別にして、表皮などの以前は捨てていた部分とそれに近い部分だけで構成された製品を全粒粉の製品として売り出し、元々食べていた品質の製品を別の製品として売る事で元々の価値があると錯覚させてその差で利益を得る事が出来ます。その損失を押し付けられるのが消費者となります。
次に食べ方にも触れましょう。
『吸う』という動作があります。ストローで吸う、麺をすする、などの動作ですが、この『吸う』という動作は心臓に一番負担がかかる動作だと言われています。そのため地方により作法が変わる事があり、スパゲッティのようなものはすするのはマナー違反、しかしラーメンではそれが常識と言った違いが生まれます。日常的に繰り返される極自然な動作とするならそこにどれだけの劣化の違いが生じるでしょうか。この様に故意か過失か分からないですが劣化を促進させる習慣が存在する場合があります。日常的に『吸う』者と『吸わない』者。その時点で差がついているかも知れません。」
そしてエールトヘンは締めくくる。
「このように農業改革もそうですが単独で考えてはいけません。その影響は社会に波及しその反動がまた返ってきます。その影響で変化し、変化の差で利益を得る者もいれば破滅する者もいます。その際の活動において行為が正当に行われるかを思案してからでないと計画は実行してはいけないのですが、大抵において現状の必要性に迫られて実行する場合がほとんどとなります。ですのでお嬢様、そうならないように先に考える習慣を手に入れてください。それこそが知性を高めるという事です。」
経済特区の話に前向きなのは大抵は利権屋です。税の優遇措置というのはその分野の黎明期に手法そのものが確立していない事に加えて、開発費が開発方法などのセオリーも手探りな状態の為に多くかかりリスクが高いために税の優遇措置で補助しようという試みです。すでに世の中においてそうしなければならない特異的な分野は存在せず、あえてそれを持ち出すのは利権狙いです。
税の優遇を受けながら商売して売りぬいて逃げ切り最後は会社をたたんでドロン、などがよくある方法です。
経済特区は根本的な解決にならず、周囲を切り捨てて一部が生き残る為によく使われる手法です。本来は知識の粋を集めて新たな発明、新たな技術により全体を盛り上げるという意味合いがあるのですが効率よく利益を稼ぐのにそんな御大層な大義名分は飾っておくだけで実質は要らないのです。
カジノもそうです。カジノで利益を得る、というのは『外部から』エネルギーを入れて活性化する手法です。外から、外国から客がこなければ意味がないものです。では後発のカジノにどれだけの利点があるでしょう。何か新しい、誰もが飛びつく魅力的な賭けを考案したのでしょうか。それがなければ搾りかすを絞るように国内の不況でリスクの高い行動を取るしかなくなった弱者から搾り取るだけの施設になります。
こういった連中は良く『頼もし講』などと言って夢を語ります。それ自体は扱い方が正しければ違法でないのですが、これには落とし穴が存在します。頼もし講が何なのかは割愛しますが、自分が受け取るまでに支払う事が出来なくなるとそれまでどれだけ払っていても受け取る権利を消失するのです。つまり、途中まで払わせてから、何かの『不幸な出来事』により支払う事が出来なくさせればそれまで支払った分はただ取り出来るわけです。実の所、この手法のもっとも大きなものは『厚生年金』です。一定期間以上支払わないと受け取る資格が発生しません。最近はその欠陥を消すために条件は緩和されました。権力を使って散々こき使った挙句に罠にはめて資格を失わせる、という手法も出来たりする欠陥方法なのですが、元々は政府、国がそんなバカな事はしないという前提の元にありましたが、現状のように利権を得るのが当然だという状況になってはその信用もなく、運用に『わざと失敗して』誰かに利益を稼がせるという事も可能だったりします。その際には責任者が解雇されるような事もなく最悪でも閑職でのんびり生活する程度でしょう。そして失われるのは国民の財産として集めたものになります。財産の奪い方というのは多岐にわたり罰が軽すぎれば悪用を止める事は出来ません。
カジノなんてものを誘致しそうな方が時々不幸にも発生するのですが第3次産業でしかも景気に左右されやすいです。そんなもので経済をテコ入れしてもその場しのぎにしかなりません。周囲が不況でどうにもならなくなるまでの間のその場しのぎで打開策にもなりません。
なのでカジノ誘致をしようとする方がいたらその具体案をきいてみるのがおすすめです。対策も練らずにカジノカジノと念仏を唱えているでしょう。カジノを誘致したければ、そもそもがその対象は表向きには『外部からエネルギーを入れる』為なのだから外国からの客目当てでなければいけません。そうでなければ経済活性化にならないからです。裏向きは弱者から搾り取るのが目的ですがここではそれは考えません。なのでカジノをやるならどこぞの水浸し空港のように外部から隔離して、そこにある空き地を利用するかすると治安はまだマシになります。そして、外部からの客目当てなのですから、ハブ空港としても機能しているなら、カジノそのものを日本からはパスポートがなければ、つまりは一旦出国しないといけない場所にしてしまう方法が良いでしょう。そうすれば外部の客は空港利用時にカジノで遊ぶ事も出来、国内にカジノ目当ての浪費する傾向の高い人物はなだれ込まず、そして安易にカジノを利用出来ません。また、カジノ目当てついでに観光する客もいるかも知れませんがその客はカジノで稼いだかカジノで使う分とは別に費用を確保出来るだけの思考の持ち主になります。これくらいの対策をせずにカジノカジノと言うのは利権目当てで後がどうなろうと考えていない人物の発言だと思われます。生き残る為に必要だ、というでしょうがその前にその発言をするために何を努力してきたのか、となります。その発言をやむを得ずする前にどれだけの策を練ったのか、となりますが、既にバブル経済という名の元に、ツケにツケ倒した後なのでどれ程の優れた人物がいても覆せない状況なので誰もがその場しのぎでしのごうとしている現状です。その中であなたはどうしますか、などと聞かれているのが現在のこの国です。
"|万[よろず]"という字について書いたかどうか忘れたので書いておきます。この作品では書いてなかったと思います。書いてたらごめんなさい。
この字は確か"噛みつく"の象形文字です。口を上げてかみつこうとする(文字の下の部分)形になっています。相手を加害して何かをする、という意味で使われます。
"万引き"とは相手を加害しながら物を引き抜く(奪っていく)という意味になります。なぜ"万"が使われるかこれで分かると思います。
では少し前に大人気になった、というか錯覚させるネタに使えるから大人気になったというべきか"|万屋[よろずや]"を扱ったアニメがありました。そのアニメを見て"万屋良いな"などと思っていたり口にしたりしていたら注意が必要です。この作品でも書きましたがどの分野、品種にもそれを維持する義務というものが本来はありました。しかし万屋、つまりは雑貨屋、何でも屋はそのような義務を放棄して商売をします。だから"万"という字が使われます。商売が出来る環境維持を放棄して、誰かが作ってくれた環境のおこぼれをあずかる事で利益を荒稼ぎしようとする、から万屋と呼ばれます。例えばどの分野でも利益が出るものと利益が出にくいものがあります。場合によっては赤字になるものも存在し、利益の出るものも含めてどうにか採算を取っていたりします。そうした中で、利益の出るものだけを商いとして商売する万屋のようなものが存在すると、本来のその分野の専門店が潰れます。そうすると利益の出にくいものを扱っていた店が消えて、利益の出やすいものだけを扱う店だけになり、消費者側はそのニーズに答える店がなくなり、あったとしても高いコストを支払う事になります。こうやって社会は劣化するのですが、その尖兵のようなものが"万屋"です。
チャレンジアンドレスポンスの名の元に、壊れる事が分かっていても気づかない振りをして壊したのが現代社会です。その差分の利益を得た後はポイ捨ての如く逃げるだけの人物がどこかにいるでしょう。問題に気づいていない人物にさせて、問題に気づいていない振りをして便乗する、というのは悪人のスタンダードです。
さて、少し前に"百"という字について書きました。これでわかる言葉がありますが"八百万"という言葉です。"八"は末広がりと覚えていても構いません。これは数が多いという事だけを指すのではなく、そうであると錯覚させて覚えさせられているかも知れませんが、正しくは詐欺師を指します。
八百屋という言葉がありますが、生鮮食品を扱う者はその商品が腐って商品価値をなくす前に売り切らないといけませんので、多少の脚色をしてでも商人を売ります。「この時期は〇〇が活きが良い(がこれがどうかは知らない)」、「今日は〇〇が安い(が少し鮮度が落ちているから安い)」などと嘘とも言えないが本当でもない事ばかり言うから、"百"の文字が使われ、そういった事ばかり多く言うから"八"の文字が使われます。
そこに"万"が加わり"八百万"と書いてその意味は詐欺師となります。
さて、今ある日本神話は本当に正しい神話なのでしょうか。神話として詠われるものには2つあり、一つは私達の歴史(と教育のための資料)、もうひとつは悪人の所業を後世に伝えるためのものです。今の神話はどちらなんでしょうか。そしてそれが本当の神話なのでしょうか。世の中には焚書というものがありまして、その後に自由に書き換える人物は後を絶ちません。「勝てば官軍負ければ賊軍」というやつです。
因みに万は萬の簡略体であり、萬は蠍の別字(?簡略体?だったか定かではないですが)です。これで「八百万」の意味が分かったと思います。
五訂改訂を基準に話しますが「食品成分表」というものがありまして、その本に食品の栄養成分が載っています。そして面白い事に、通年栽培される食品などはその平均値が示されるようになっています。
細かい話ですが野菜などには旬があり、そこに含まれるビタミンなどは変化します。ミネラルはその土壌からの供給なので大体安定しています。ものによってはビタミンの量が数倍変わるものもありますので「食品成分表」を見る際も気をつけましょう。また、図書館の奥にしまわれた古い蔵書に三訂食品成分表があったりしますが、三訂までは季節の、旬の栄養成分量を載せているそうです。その辺りも見比べてみると良いかもしれません。
-->かつての状況と同じ事を再現し繰り返す形で同じ制限をかける状況に行きつきます。その原因は対策を取らなかったからとなります。
<--簡単な例では高級レストランではネクタイ着用の義務とか。普段からそういった事をしていないものがふらりと入ってこないようにするためのルール。<-衝動的な犯行を防ぐなど。
ここの話が社会が貧困になる理由の主な原因の一つです。差を作り利益を得て損失は押し付けるのが当然という行動を繰り返す為に富の偏在化が起こり、社会はリソースを切り売りする形で変換され続けるという事です。
ちなみに私は『吸って』いますよ。それ単体を過度に気を付けてストレスをためるのは逆に損です。食生活もそうですが習慣は徐々にしか改善出来ません。無理は禁物です。ただ、その場合は、似たような事を『知らない』と思ってカモれると思って寄ってくる方が時々居らっしゃるので注意してください。
そしてだからこそラーメンは「老麺」だなんて呼ばれる事があったりなかったり。「老」の意味は別の国では違うはずですが。




