表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
45/322

045 移民モデル地区統治官アンソン・デューチ

移民モデル地区統治官アンソン・デューチは今日も悩む。現在のモデル地区は収容率を80%を超えそれでも塀の外には選に漏れた難民が居て、諦めた者たちは去ったがいまだに諦めきれない者達を中心に次の受け入れを待っている。そして今日もその一部が激しい主張を繰り返している。


「まだ余裕があるだろう!受け入れろ!」


「どうして俺が入れない。他の奴より俺の方が役に立つだろう!」


「どうかこの子だけでも。お願いします」


「奴らは受け入れる事が出来るのにあえて受け入れないんだ。そうに決まってる。俺たちがここで弱って死んでいくのをこれ幸いと『手間が省けた』と笑っているんだ!」


「こんな小さな子も助けないなんてあんたたちはなんて心無いのよ!」


言いたい放題だ、とアンソンは思う。

そのような集団だから時間もかかり手間もかかる。さながら渋滞を起こした道路でのいがみ合いだ。

王国に受け入れてよいだけの教育とマナーとモラルが身についたと判断出来、収容できるだけの余地があるならとっくに受け入れている。だが自分たちのその行動を見て、果たして品が良いかどうかの判断すら出来ないのだろうか。

確かに飢えというのは恐ろしい。生命の危機に晒されていつも通りに振舞えというのは厳しい要求だ。しかし、である。それも考え方一つだ。そもそもが世界とは生活とは常に生死がつきまとうものだ。それがより遠くに感じられるのは以前に生きた人達が知恵を重ね、リスクを低減させるように積み重ねてきただけの事であり、それでもやはり生活というのは生死が常につきまとっている事を認識する必要がある。

生まれた時から社会の中に居るために、与えられた環境が何の努力もなく手に入ると錯覚したがために現状を正しく認識できず、そして今日まで生きてきたから自分達がさも権利を得るのが当然だと振舞う。

一方で彼らは被害者だ。帝国難民もそうだが帝国に侵略されて逃げてきた者もいる。彼らが望むと望まざると彼らの立場ではこうなる以外に選択肢はなかった、とも言える。

だがその性質についてはどうだ?彼らに何の余地もなかったのだろうか。恵まれた環境でも悪質な人物は生まれ、劣悪な環境でも善良な人物は生まれる。環境の影響で多少の偏向はあろうともその事実自体は否定出来ない。

故に王国は彼ら全てを受け入れない。資源は有限であり、無制限に増えようとする人々にまで分配出来る余裕はない。

王国は王国の維持と国民の権利の維持もその義務としている。ならば無制限に新たな民を受け入れる事で国民の既存の権利を侵害する事は出来ない。王国は王国に対して民が忠誠を誓い能力を奉仕するならばその生活の保障をする、という約束を違えてはならない。しかし同時に民自身の自己満足で自己啓発を止めるような者にいつまでも権利を保障する事もしない。能力とは向上させようとしなければいつの間にか低下していくものであり、権利が保障されているからと言って必要最低限さえしていれば良いと思われても困る。社会はわずかずつでも世界の実情に合わせて変化していくものであり自らの分野で情報を集めて自らの権利の維持のためにどう行動すれば良いのかを思考してもらわねば社会が機能しなくなる。王制とは王が貴族を束ね、貴族がそれぞれの地域の民を束ねる。王は貴族が正常に機能しているかを管理し、貴族は民が正常に機能しているかを管理するが、その管理のためにそれぞれに管理官を設け管理させる。管理官はその配下を管理するが、処理能力を超過していれば更にその下に管理官を設ける。管理官は管理している集団が正常に機能しているかを管理し、管理されている民は自分たちの分野が正常に機能しているかを自分達でも認識しようと努める事で早期に異常を発見し、上位へと問題を提起する。その末端であり、社会において発生する細やかな蓄積される事で深刻な問題に至る事故を気づけない、放置出来る、そもそもが自分たちが発生させるような人物を安易に受け入れる事など出来ない。人間は間違いを犯すものだ。だからと言って間違いを犯すから発生させて良いと何の自制もないものを受け入れる事は出来ない。

そしてそれは現在の王国の民にも言える事である。長い年月をかけて王国で生まれ続けた民はその遺伝子にそれなりの信頼をおけるだろう。しかしそうではないものもいる。そして信頼がおけると言えど、間違いを犯さない可能性がないわけでもない。新たな民を受け入れたとする。その民の性質が悪く、よりうまく取り入ろうとして媚びへつらい、賄賂を贈ったとする。それを拒絶するのも民に必要な性質だが、今まで自分より下につく者がいなかった人物は果たしてそれに正しい行動で対処できるだろうか。そこに魔の誘惑があり、その間違いの可能性をどれだけ排除出来るかもシステムの堅牢性には必要だ。排除できるリスクを排除しないシステムなどすぐに壊れる。


さて、一方で彼ら難民は幾度となく発生してきた。それはつまり、今日昨日に起こった出来事ではない。つまり、それを観察しその事象から生じる結果を知ることが出来る、という事だ。つまりその状況が自身に都合が良く利益を得る事が出来る者にとっては人為的に発生させても良いものになる。

そう。現状においてこの難民達は帝国からの攻撃の一形態である。もし仮に受け入れたなら王国内は混乱し、落ち着くまでに時間がかかりしばらくは生産にも影響が出、場合によりは行政にも影響が出、兵站にも影響が出るだろう。その結果、帝国の侵攻を許し王国が陥落してしまえば、そこはまた帝国の新たな餌場と化す。帝国にとっては王国が難民を受け入れようが受け入れなかろうがどうでも良く、彼らは単に欲するから奪い、それを逃れた者がここへとたどり着いたに過ぎない。そして負荷をかけるためにあえて逃した者たちもいるだろう。そして、その中にスパイも。


モデル地区での教育期間は長くなる傾向にある。帝国内での戦争が激化、それに伴い侵略もずさんになり無計画とも言える侵略を繰り返している。弾けては消え弾けては消える事を繰り返す軍隊、それに蹂躙される地域にまともに教育など根付くはずもなく、流れてくる難民の教養は低くなりもはや最低水準と言って良い。そんな地域で育つものだから奪い合い、押し付け合いが励行しそれが当然だと思っている。その性質を変えるのは並み大抵の事ではない。せめて王国内で通常の行動が取れるようになるまで訓練する。それがモデル地区の役割であり存在意義である。


難民は権力者が自国の民から利益を搾取するために良く利用される。難民には権利がない。もっとも重要な国民権、市民権などのそこに滞在して良い権利が。それが悪用される事が多い。自国民が10の対価で労働力を提供したとしよう。そこに権利を持たない難民を用意したとする。難民はその相場より安く労働力を提供するだろう。なぜなら、そこに国民権、市民権を取得する利益を計算に入れるからだ。対価7と国民権に対しての労働力と対価10に対しての労働力が釣り合ったとしよう。その仕事を提供する側はどちらを選ぶか。何も考えなければ対価7のほうになる。支払いが3減り利益が3増える。そしてそれは他者の権利を勝手に交渉材料にするという不当な行為により生じる。ここでの国民権は生存権と読み替えても良い。

故に管理官はその交渉が結果として他者の権利を不当に侵害していないかを判断する能力が問われる。権利の侵害が発生している時点で正常な商取引とは言えず成立させる事は出来ないが、それは王国内だからこそ適用できる事であり、実際に王国外では平然と行われる事が多々ある。場合によりそれは国民の半数以上を難民、移民で入れ替える程大規模になり、既得権益層が利益を搾取するための材料として行われた実績を持つ。

そしてだからこそ難民は制限して受け入れなければならない。管理官側が配慮しても、難民であった側が同様の手口でより有利に立ち回ろうとするからだ。初めに賄賂を払い契約をしたとする。そして自身が上位に立った時、同様に相手の権利を利用して利益を搾取しようとする可能性がある。最初に払う賄賂など権利を手に入れてから権利を濫用する事で得られる利益に比べれば微々たるものだと考える可能性があり、賄賂を支払ったのだからそれを上回る利益を求めて良いとまで錯覚する可能性がある。また、媚びへついながら受け入れられた者は、媚びへつらったから受け入れられたと錯覚し、自身より後から来るもの、下になる者に同様の行為を要求する可能性がある。管理する側は良く注意しなければならないが、そういった人物を管理する側にした場合、それは汚染された事に等しくその部位はうまく機能しなくなる。それはシステム崩壊の第一歩となる。

その方法で入れ替えられた場合、新たに国民になった人物はその安価な対価での生活を送る事を強要される事になる。自身の生活は向上したと言っても良いが、元々その国での水準で生活するには足りない可能性が高い。それは教育、設備の維持、緊急時の備蓄、安定した生活のための余裕を削る事になり、その個人から社会の水準を下げる要因を発生させる。

そしてそれにより利益を得た者は、同じ方法でより上層へと昇ろうとしやがてその内の誰かが上層へと昇り、それ以下を腐敗させる。それを繰り返し国の上層までも腐敗し、汚職や権利濫用が横行し、治安が乱れ、やがて内乱、場合により戦争へと発展する。それはウィルスの感染によりシステム全体が汚染された事と同義である。



そして資源は有限だ。人口が飽和してしまえばそれ以降は誰か一人を受け入れれば誰か一人が飢えて死ぬ。新たな国民のために既にいる国民一人を犠牲するなど愚の骨頂だ。国民の命は難民のそれに劣ると言っているに等しい。なら対等に競争をさせろ、というなら甚だ間違いだ。国民は既に権利を得た。その権利を勝手に競売にかける権利など誰にもない。そもそもが新しく受け入れた側が正しい競争の在り方を理解しているかどうかすら怪しい。媚び、賄賂を贈り、妨害し、あえて失敗するように罠をかける。こういった行為を行わないという保証もない。競争のルールを理解している状況をまず作る。それがこのモデル地区であり、王国への入り口だ。

しかしそうとは思わない者もいるだろう。自分達に都合の良い人物だけを受け入れている、と思うだろう。多くの賄賂を渡したから受け入れられた、賄賂次第で取捨選択して利益を貪っていると、自分たちの保身のために自分達の置かれた状況を自分たちのせいではないと自己正当化するために罵るようになるだろう。やがてそれは彼らの中では根拠のない事実となり、スパイが扇動し暴徒と化して襲い掛かってくるだろう。

それでも王国の維持のためにここはある。不満をここにぶつけてもらうのが一番良い。国境を越えて不法侵入されるよりはよほど良い。



アンソンは今日も塀の外で元気に声を張り上げる群衆に溜息を漏らしつつ、報告書を片付ける。


基本的に、利息、賄賂、独占、横領などで利益を得るだけ得た後に、国民などの権利を売りさばき、それが出来なくなると、アヘン戦争時の中国のように、ゴミ捨て場、使い捨て扱いで薬などで強引に利益を搾取して、戦争してうやむやにする。しかし"自分たちは悪くない"と言って逃げるのがセオリーです。あなたはそのセオリーを受け入れますか?受け入れませんか?既に何度も行われ、何度も間違いを指摘されているが、最も楽に利益を得られる方法のためにいまだに先進国でも行われる方法です。最初の基礎固めは、火事場泥棒のように隙が出来るのを待ち構え、隙が出来たら奪い、その資産を元手に賄賂でシェアを奪い、独占、寡占、横領で利益を得る事を繰り返して周囲を貶めながら自分を高めるのが最も簡単で、能力がなくとも出来る成り上がりのサクセスストーリーです。スペースシャトル方式と名付けられるに相応しい方法です。どこに飛んでいきたいのかは知りませんが。


なぜ、先進国が移民を、国内の状況を度外視してまで受け入れる必要があると強く主張するか分かりましたか?受け入れるだけの基盤がなくとも良いのです。代わりに、ところ天方式で出ていってもらう事を前提にしているのだから。そして国として成り立たなくなれば、まだ国として成り立っている国に亡命すればよいのです。銀行を通してロンダリングして、搾取した国から凍結されない別の国の銀行へと移してしまえば後は時期を見て逃げるだけ。よくあるでしょう?亡命後に元の国から銀行へ資産凍結の命令があるのを。それはこういった事実から来ます。ですが大抵は凍結されません。なぜなら、その資産を亡命先の国で浪費してもらうがためにあえて亡命してもらっている場合もあるので、その場合は凍結されず、どんどん使うように周りから追い込む場合が多いでしょう。そして全部使い果たして何もメリットがなくなれば、引き渡し、などがあり得ます。

この方法の似たような事に、犯罪者をかくまう、というものがあります。銀行強盗でもいいですが資産を持って逃亡した人物を、それが犯罪者だと知りつつも知らない振りをして地域にかくまい潜伏させ、持っている資産を浪費してもらい、なくなれば捕まえる、という手法が実の所当たり前のように起きたりします。自分たちは通常の商行為をしているだけ。しかしその資産が盗まれたものであれば不都合なのであえて知らない振りをして浪費してもらい利益を得る。不都合な事は犯人に全て押し付ける、という手法です。

日本では東に一カ所、西に一カ所、やけに逃亡犯がかくまわれ、のちに自首するなり見つかる事が多い地方があります。それはなぜなのか、という事です。


王国の設定で、移民は王国に受け入れられる前提ですが土地も有限です。開拓村を作る余裕がないと判断される場合を考慮し、移民は技術を身に付け一定の財産を持って別の地域に移住してもらう、という選択肢を提供する、というものを用意しています。再起の為の資本提供です。許容量を越えて受け入れる事などだれにも出来ないから、という事です。



そういえば最近読んだのですが、別人になりすましたりしながら、薬、媚薬などを使って洗脳や騙しをしながら成り上がる、人気らしい最強系がありますw。つまり、搾り取るための使い捨てを量産したいみたいですね。今の世の中。そいつに麻薬でもなんでも使って欲望の限り尽くしてもらい、自分たちはそいつと"まともな"商行為をする。収入源はそいつにどのような手口を使用してでも作ってもらい、自分たちはさも"まともな"人間だと主張したい連中がいるかもしれません。犯罪者とは社会が作り出す、という事を念頭に置く必要があります。


F1品種というのはご存知ですか。植物の種子を遺伝子改良し、一世代のみ良質の品物が出来るようにしたものです。

これは種を改良した企業の利益を守る、という建前があります。

果たしてそれだけでしょうか。

種を改良し、市場で売り物になる物品を作るには"毎回、種を購入する"必要がある事になります。つまり、常にとある集団に介入される事になり、その集団に依存する事になります。そして、通常品種の種が販売されないようになればどうなるか。その企業もしくはその記号を含む集団を介してしか種子を入手できず、依存する状況から逃れられず受動的になります。

つまり、F1品種が優良だと宣伝して安価で売り、通常品種の主旨が流通されないようになれば支配出来る、という事です。そのために自由競争があるといっても過言ではありません。力を持つ者がどのようにもして良い世界、という見方も出来ます。

一方で、考えてみてください。物を買う権利、そして、種子を買い育てるという権利を放棄した覚えなどないのです。つまり、F1品種というものを作り、それにより市場が独占され通常品種の種子が購入できなくなるのならそれは権利の侵害にも等しいのです。新たなものを社会に取り入れる時、その結果としてそこに存在する構成員の権利が侵害されないかを考慮する必要がありますが、なぜか今時の陳腐な民主主義はそれをしません。建前だけだからです。

F1品種などの独占することで権利を侵害する可能性のあるものを社会に取り入れる時は、同時に通常品種の種子を買う事が出来る権利を保障しなければなりません。なぜかと言えば、社会は役割分担し、それぞれがそれぞれの分野での知識は持つが、他の分野の知識は低い傾向になり、また自分が属する分野の出来事の対処を追われ、他の分野で起こる、自身の権利への侵害に対して常に注意を払う事が出来ないからです。故にいつの間にか権利を侵害されている、権利を奪われている、利益を奪われている、という状況を作る事は国として、権利を認めた構成員に対する裏切りであり、それは役割分担をするための基本ルールに抵触します。これが当たり前のように行われるのは行う側が、犯罪者に見られる思考として、その行為に対して"なぜしてはいけないか"などのカウンター思考を行う事が無いからです。そしてその間違いに気づく人物は懐柔して仲間に引き入れるか、脅迫して黙らせるかしてさもそこに問題がないかのようにふるまうからです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ