004 誕生
オ モ イ デ ス?
今年もこの日がやってきた。
かつての帝国動乱において、この地を独立させた英雄が新たなる王国を造ったとされる日を祝う降臨祭。
建国祭ではなく降臨祭と言われる理由は諸説あるらしい。
有力な説は英雄が自身の生まれた日に合わせて王国の記念日を制定した、というものだ。
英雄が降臨した日だから降臨祭。確かに耳に聞こえが良い。
だがそれも2000年近く前の話だから正確な事は分からないようだ。
自然に恵まれた豊かな土地。その恩恵により得られる収穫物を交易する王都は活気に満ち溢れている。
平野に造られたが故に整然とした区画と道路。中央にある王城は防衛拠点というよりも式典の為に造られたと言っても良いだろう。
人の集まる所には欲が集まる。
周辺各国の要人が集まる場所。それがここ神聖フェムトシュタイン王国の王都ノートアンガロス。
その大地を狙って繰り返される戦争により鍛えられた兵によって守られる強国、というのが評価らしい。
そんな王国も今日はお祭り一色だ。周辺国家だって分かっている。この日に攻めて来た相手には相応の報いが行われる。
勿論その前例がある。だから祝いの使者は送っても兵は送らない。
周辺地域の食糧庫とまで言われる国と長期間紛争するのは害こそあって利がない。
欲しければほんの僅かな争いで掠め取る位で良いのだ。じわじわと削るように。
だがそれすらも許されない程、強固な王国の存在に周辺国家は手をこまねいている、というのが実状だ。
綺麗に区画された王都は道がわかりやすい。
王城を中心に四方に伸びる大通りはまさしく都市計画の賜物だと言えるだろう。王城を取り囲むように円を描く道もそうだ。
往来の混雑を減らすべく王城周辺だけは円形に区画されている。同心円状に配置された3重の円形道路と行政機関の建物。
宿営目的も兼ねた公園。それらを大きく方形で囲んだ部分から格子状に配置された街区が存在するようになる。
奥街と内街と外街に分かれ、それぞれが城壁で区切られる。
奥街には主に王族と貴族の為の屋敷があり、内街に貴族と裕福な層が、外街にはそれ相応の層が住んでいる。
奥街にまで足を運ぶ用のある外街の人間は皆無であり、また、外街に用がある奥街の人間も皆無である。
だが豊かな国であるという事実がその差をあまり表面化させていない。
飢えなければ、不足しなければ、人間というものはあまり周りを気にしないものだ。
それでも今日は貴族から平民まで皆が祝う。
軍の行進、大道芸人の芸、施される酒に食事。
こういった時でしか見れないものや食べる事が出来ないものが民の好奇心を満たしていた。
そして普段は見る事が出来ない王族を一目見ようと皆がパレードを楽しんでいる。
そんな街の一画。パレードよりも別の意味で騒がしい屋敷に私はいる。
私はエルフという事もあり、1000年の時を生きた。
エルフでもそれは珍しい事で森でも長老と呼ばれる程だ。
だがそれは今日のこの日の為にあった生とも私には思えた。
1000年前の失敗を、救う事が出来なかった灯火を、その罪の贖いを求め、ここに居る。
生命の継承と守り手であるドルイドとしての最後の務め。
エールトヘン・ブラザーフッドとしての最後の務め。
大体一年前だったろうか。
森に宿る精霊が神格化した我らが神ゴールデンオーク・ブラザーフッドは確かな徴を感じ取った。
新たな生命の誕生。それも特別な。1000年に一度訪れるそれは今回に限っては更に特殊だと兄は告げた。
何かを隠すように、何かを加えた生命。今までとは確かに違うそれは、まるで生まれる事を悟られる事のないように仕組まれたよう。
何故そうなのかは私には分からない。ただ言える事は1000年前の悲劇を繰り返すわけにはいかない。
ただそれだけだ。
1000年前、私は自身が授かった力により、あの子の誕生に立ち会った。
巫女が予言した特別な力を持つ王族の誕生。
だがあの子は生まれながらに呪われていた。
私が授かった能力は精神感応。魔法ではない異能。
なぜそれが私に宿ったかなど私に分かるはずもない。ただその恩恵を受けるだけだった。
そう。あの日までは。
生まれて来たあの子は憎しみの思念を撒き散らした。
それは異能の力を持たない者達ですら、その異様な雰囲気に飲まれ気絶していった。
そんな中、あの子はただただこの世界が憎いと呪った。
伝わるのは罪。あの子は生まれた時から1000年の憎しみを背負っていた。
かつて自分がどう裏切られたのか。そして1000年の間に募った恨み。
更には1000年の争いの歴史が生み出した怨嗟の念と私達の咎の苦しみはあの子を蝕んでいた。
あの子はずっと見ていたのだ。裏切られた後に。裏切った者達を。
そして1000年の時を超え、再び生を受けたあの子は、生まれてすぐに壊れた。
1000年の憎しみの連鎖の片鱗に触れただけで、私は恐怖に囚われ慄いた。
だから止める事が出来なかった。
あの子を恐れた者があの子をくびり殺す事を。
私だけがあの子の事を分かってあげられたはずなのに、私はただ恐怖に飲まれ動く事が出来なかった。
私は役目を果たせなかったのだ。
あれからはあの光景が、あの子に見せられた映像が私を苦しめ続けた。
私はその時初めてこの異能の力が呪いだと思った。
それ以降の暮らしは平穏に過ぎ、住んでいた森も大過なく生命の営みを繰り返していた。
ただ時折思い出すそれは、確実に私の中の何かを変えた。
罪悪感かも知れない。恐怖による拒絶だったかも知れない。
あの日を受け入れる事が出来ない私は今日を繰り返して来た。
だからこそ兄は私にもう一度機会をくれたのだろう。
今度こそ、次のあの子は救ってみせる。
あの子がなぜ1000年もの憎しみを背負って生まれたかは分からない。
そうやって生まれて来る新しい命など他に知らない。
次のあの子はもしかすると2000年の憎しみを背負って生まれて来るのかも知れない。
なら私が半分受け持とう。
1000年という平穏な時を過ごした私の生きた証で以ってあの子が持つ1000年の憎しみを埋めてみよう。
あの子がただ憎しみに囚われるだけにならないように。
私の知識を授けよう。
憎しみに翻弄されないように。
私に向けられた優しさをあげよう。
私達がただ憎しみ合うだけの存在ではない事を伝えるために。
あの子の憎しみを受け止めよう。
どれだけの想いが込められていても、僅かでも分かってあげられるなら。
あの子の心の奥底に触れてみよう。
憎しみだけがあの子の全てではないだろうから。
私は1000年の日々を過ごし、あの時より少し賢くなった。
だからその全てで今日に挑む。
あの日を繰り返さない為に。明日へと踏み出すために。
そんな私の決意は脆くも崩れ去った。
何も無かったのだ。
本当に何も!
いや、私の覚悟していたそれはなかった、と言うべきだ。
このアーデルハイド子爵家で子爵夫人の出産に立ち会う事になった私だが。
男性がいていいのか、って?
神職や儀式を司る者を生者扱いして貰っては困る。
人間にならいるかも知れない。そういった連中は。
仮にも長い年月を生きた私をそう見る人物はもはやいなかった。
私からしてみれば孫や曾孫のように見える相手にどう思えと?
生命を継ぐ為に行為を行う事はあり得てももはや催す事もない。
産婆や侍女が慌ただしく動く後で私はただその時が来るのを静かに待っていた。
そしてその時を迎える。
赤ん坊の泣き声と共に伝わる思念。
私の異能の力が拾うそれは1000年前とは全く違うものだった。
「なんだよ!ここは!俺生まれたばかりなのに目ぇ見えてるよ!ありえないだろ!」
あの子は以前とは違う様に生まれて来た。
私はそれに安堵し、そして呆気ない結末に脱力して膝を付いた。
あの子が呪われず、救われた事が嬉しかった。
それだけだ。
何も起きずに生まれて来た。たったそれだけの事が私を重荷から解放した。
ただそれでも懸念は尽きない。
なぜならあの子は虹の輪光に包まれて生まれて来たのだから。
曰く、それは選ばれた者の証。
曰く、それは聖者の徴。
なるほど。兄が、生命の流れを共助するあのゴールデンオーク・ブラザーフッドが感じ取る何かがあるという事か。
そして生まれたばかりの赤子ではあれほどの思念は持ち得ない。
潜在能力はあったとしても言葉としての精度が高過ぎる。あれは異質なものだ。
生まれてすぐの意識ではない。
それも私だからこそ気づける事か。
なら兄より授かった名前を授ける事が必要だ。早めに、誰かに感づかれる前に。
そう結論付けた私は大仕事を終えた夫人に近寄り、手を握りながら許可を求める。
「名前を授ける許可を頂きたいのです。この子を守るために。
かつて子を守るために命を捧げた女性と同じ名前。
それがこの子の封じ名となり、この子が自らの身を守れるようになるまでこの子の命を狙う者から守るでしょう」
そう告げた私に、静かに頷く夫人。
これは1000年前のある女性の名前。
憎しみを背負って生まれて来たあの子を守り育て、そしてあの子が唯一憎しみを向けなかった女性の名前。
「この子の名前はローレンシア。
ローレンシア・レフトシルバー・アーデルハイド・セブンスドラゴン。
我が兄、ゴールデンオーク・ブラザーフッドより預ったあなたの娘の名前です」
それを聞き終えた夫人は静かに微笑んでから眼を閉じ安らぐ。
私は満足して夫人の手を離し、そっと立ち上がる。
もう大丈夫だろう。勿論色々な懸念はある。
そう。例えば。
「なあ、そこのイケメン!さっき俺の声に反応したよな?ちょっと教えてくれよ!?
俺今どんな感じなんだよ!
なあ?無視しないで欲しいんだけど?不安なんだけど?
なぜ目が見えてるのかあんたなら分かるんじゃないのか?
なんか偉そうだし?
それに今俺無視して、決めてただろ?」
なぜ閉じた目で周りが見えるのかなんて私にも分かるはずがない。
そして折角の命名式が台無しだ。
私にだけ分かる発言を繰り返す赤子の泣き声は元気に響き渡った。
そこは神殿。
恩恵を授ける事がなくなってなお崇められる創造神の為の聖域。
創造神を信仰するその神殿で一人の巫女が祈りを捧げていた。
ピラミッドのようだが階段状の造り。頂点は一人分の祈りを捧げる空間があるだけだ。
周囲に配置された灯りがかろうじて足元を照らす。
当代の巫女シャーロットは創造神より与えられた指示により、この日この時間に祈りを捧げていた。
降臨祭での役目を果たさない事で大司祭などは色々とネチネチネチネチと小言を言っていたが『創造神様の御指示です』の一言に結局は黙った。
神の声を聞く事が出来ない彼等はそれが真実かどうか知る事が出来ない。
私の神託も半信半疑でいつも聞いているようにも思える。
そのため、今日のような彼等にとっての稼ぎ時、権威を見せつける事が出来る時というのはかなり重要な事らしい。
その俗世にまみれた先代巫女が神託を受ける事が出来なくなった事が原因で今の私に引き継がれたという事ももう忘却の彼方らしい。
そして私は今ひたすら待っている。
兆候を。
創造神様が送る徴は本当に微弱だ。単に私にそれを受け取る能力がないだけだと思う。
だから時々気づけずに間に合わない時もある。
だからこそ今日はここで待つ。
創造神様が何回も今日という日の為に何回も神託を告げた理由が今日あるはずなのだ。
そして祈りを捧げ、目を閉じている私の瞼の裏にある言葉が浮かびあがった。
一番目の竜は巨人と共に亡びた。
二番目の竜は天の災厄と共に消え去った。
三番目の竜は地の奔流を喰らって消えた。
四番目の竜は原初の人と交わりて、その身を移した。
五番目の竜は嵐へと姿を変え世界を滅ぼした。
六番目の竜は大渦となりて大陸を飲み込んだ。
七番目の竜は人の罪を喰らいてその身に宿した。
それは世界の終焉を告げる詩。
私達が辿った、そしていつか辿り着く運命。
それは世界の変換点。
七番目の竜が果たして私達にとって益なるものか仇なすものか。
たったそれだけで全てが変わる転換点。
その詩の告げる真意に思考を巡らす私に更なる言葉が浮かびあがる。
隠せ。
護れ。
ただそれだけが浮かび消えていった。
その後に。
一筋の光が斜めに横切り、音とも言えぬ轟音が辺りを響かせる。
思わず目を開けて周囲を見渡すが、私以外の誰も驚いた素振りを見せていない。
ならそれは私にだけ届いた音。何かが地に届いた音。
創造神様の真意がどこにあるのか知らないけれど、私に出来る事はただ従う事だけ。
私は、神託は下ったが内容は話さない事にして儀式場を後にした。
同時刻。
それを知る事の出来る存在は皆一様に口にした。
「きたな」
「きた」
「きましたね」
それぞれが到来を感じ、来るであろう第七の喇叭が告げる世界に備える様に動き始める。