020 王国という名のシステム
何やらすごい人物がいる、と思わせたいだけの説明回です。
話半分位で気楽に読み流して下さい。
良く分かっている(つもりな)人物を登場させたかっただけなので、
この作品で必要なここでの概要は、
王国->王杯という存在でエネルギー資源を持ちそれを利用して防衛している。
マギア->王杯からの魔力供給で稼働する巨人兵。つおい。
フレデクさん->よく踊る人。
これだけですw。
宰相さんやその補佐のお話なので何やらすごい事を語っている、かのようにしているだけです。
食糧問題、外交問題、治安問題、雇用問題。
種々様々な問題を抱え、それを解決する為に宰相の執務室は熱を持つ。
しかし宰相の机に宰相の姿はなく、横にある王室顧問の机に在席する男が代わりに執務を取り仕切っていた。
王室顧問バリュードミアス。
王国を支え続けるエルフであり、いつから王国に仕えているのかは定かではない。
彼について分かる事は、宰相を時には『ベルフ坊やも成長したな』などと孫でも可愛がるように笑みを浮かべて話す事があるという事だ。
まさしく王国の生き字引である彼は王室顧問として宰相を支え続けている。
ああ、東部の問題は少し大きくなりすぎた。
あの男ももう少し頭の良い男だと思っていたが、数代重ねても商人以上には成れなかったか。
まあ、裏側での攻防であの男に正しい情報が届かない事もあるのだが。
そもそもトードルド伯爵領の事件はあからさまだ。
しかしどうやったかがいまだ謎だ。
ズールドア帝国にあるアグニ山脈から現れたサイクロプスの集団とその配下の魔物達がズールドアを北上し、国境を越え領境を沿って内部のトードルド領へと雪崩れ込んだ。
王国の情報など持たぬはずの魔物がだ。
国境警備隊にも補足されず領境を沿うように北上する、という偶然など無きに等しい。
蹂躙する魔物の報を聞いた王国軍は地上部隊を派遣しつつ、先遣隊として航空部隊を出撃させた。
あれさえ到着出来ていれば被害も少なかっただろう。
ブラックスカイドラゴン『スカハ』。
あの存在もまた偶然ではあり得なかった。
救援に駆けつけようとする航空部隊を空の暴力がなぎ倒し、地上部隊が到着した時には領都は破壊しつくされ、魔物は散開し領内を荒らし回っていた。
領は荒廃し、当主であった伯爵も前線から戻らず、領の再建の為に分領し新たな領主を立てた。
その一人であったのがトーマス・フレデク。
商人として財を成していた彼を男爵として任命し領地経営をさせるつもりだった。
三代もあれば財を切り崩しながらも領地経営を学び、領主とは何かを知り落ち着くものだと思っていた。
しかしそれも誤算が生じる。
ズールドアの影。
フレデク家に商才があるのかあの家は南端のイー・ストライ湖を挟んだガシュア国から大量の食糧を仕入れ、その利益により領を復興させた。
周囲で経営に失敗した領地があるとそれを吸収して大きくもなった。
しかし、そこには別の思惑があった。
フレデク家はガシュアのいくつかの商会と取り引きしていたのだが、その商会はガシュアに本拠を持ちズールドア帝国とつながった商会だった。
あえてフレデク家に利益が出るように取り引きをし、ズールドアから仕入れた食糧を大量にフレデク家に商取引という形式で供給していた。
かつフレデク家には権力を持てばそのおこぼれにあずかりたいという意志表示をして偽装してみせていた。
本来ならフレデク家も領主としての自覚を持ち、領地経営に力を注ぐ筈だった。
しかしそのズールドアの工作により、領地経営は放置され、領主でありながらも商人として、商人でもあり得ない利益を上げながら錯覚するようになった。
フレデク領の周囲で何故か領地経営に失敗する領主が出るようになった。
商人があまり訪れなくなり交易が衰退し、食糧の買い入れも出来なくなり、資産を崩して高く買い取るが、やがてその資産も尽きる。
そしてその領地をフレデク家が吸収する。
そんな状況が続いた。
フレデク家は自分達がうまく立ち回ったように思っているのだろう。
しかしそこにはズールドアの影があり、フレデク家がいつしか行うようになった妨害工作よりも遥かに多くの妨害工作が存在していた。
王国が吸収する難民の中に紛れ込ませた工作員による工作により、要らぬ噂が流れたり、誘惑に負け盗賊化する者もいた。
工作員は行商人にも紛れ込み、フレデク家以外の旧トードルド領にいる領主に不利な情報を流した。
東の戦線は旧トードルド領から遠くなるように北上し、兵力は北側に偏り、それに併せて治安が悪くなった。
治安の悪化を利用して、ズールドアはならず者を操り、国境から侵入させた。
荒れる旧トードルド領はまっとうな商人からは忌避されて、交易が麻痺しかけた。
ただでさえ魔物に蹂躙され荒廃した土地であり、その労働は重い負担になっていたにも関わらず、物資が充分に供給されないため復興は中々進まなかった。
その中で唯一順調に復興して見せたフレデク家。
初めは周囲も好意的に見ていたが、数十年も経てば周囲の目も変わっていた。
フレデク家の周りでのみ起こる事件の数々は明確にフレデク家の利益になっていた。
しかしフレデク家は東南部の食糧事情を引き受けその周囲に猛威を奮った。
いつしかフレデク家は食糧を使って周囲を威圧する事が領地経営だと錯覚するようになっていた。
勿論何の手だても打たなかったわけではない。
ここは王国。
王杯の加護により護られし国。
英雄ライトゥーラ・フェムトシュタインに授けられし王杯は周囲に恩恵をもたらした。
帝国からの独立戦争は王杯のもたらした大きな力により成し遂げられ、この地域一帯はその恩恵により平和が保たれるようになった。
長き平和により着実に積み上げてきた歴史による確かな知識と技術は多少の事では揺らがないように王国を構成している。
王国での食糧生産を増産し、数十年はかかったが、旧トードルド領での消費を賄えるようにし、流通経路に乗せる事で影響力を封じた。
新たに高機動部隊を南端の国境警備に配置し強化する事で要らぬならず者が侵入する事を防いだ。
近年増加傾向にある難民対策として南端にモデル地区を作った。
モデル地区に難民を受け入れ、ある程度の訓練と法律遵守が出来た者のみ国内へと受け入れる制度を構築した。
資格鉦を得る事で国民鉦の代わりとなり、定住先で国民鉦と引き換える方式とする事で難民の受け入れに制限を設けた。
エネルギーは有限であり、全てのものには常に不自由がつきまとう。
全ての難民を受け入れる事は出来ず、また、それも間違いである。
自由とは自由を定義した際の条件を守る事によってのみその正当性が保証される。
資格鉦により難民の不満の矛先はある程度逸れ、かつモデル地区とその周辺に集める事が出来、治安の改善にもつながった。
難民はそこで訓練をし、素行の悪い者を選別して排除できるようになった。
そう、トーマス・フレデクも難民だったのだ。
過剰な実力主義のズールドアからの難民であり、フレデク家に養子として迎えられた事が原因で気づくのが遅かった。
荒れた旧トードルド領の再建という難事をこなすために確認が足りずに王国に長い年月生活していない人物に権力を持たせてしまった。
王国の在り方をあまり理解せず、その血はズールドアのやり方のままに行動をした。
彼らは商行為というものを正しく認識していなかった。
物を買う為に貨幣を払う。
そんな単純な事が実に難しいという事が分かっていなかった。
物を売れば、貨幣を払えば、無条件に成立する、という考えのままだった。
自由競争など存在しない。
それを彼らは理解出来なかった。
それでも自由競争というものが存在すると望むならそこに努力が必要な事すら分かっていなかった。
自由とは自由を定義した際の条件を守る事によってのみ正当性を主張できる。
それが分からない彼等は妨害工作すら正当化してみせた。
それが商行為の原則に反するものだと分かっていなかった。
商人と言うのは小さい規模から商売を始める。
それは商人には必要な事で、出来れば村単位から始めるのが好ましい。
扱う商品の規模と商品を取り扱う範囲が限定され、そこから知識が得られるためだ。
大き過ぎては得られる知識の中にある言葉では伝えにくいものが分からないままになる。
商行為とは2者間の同意の上に成り立つ。
村という小さな規模では価値観はほぼ同じであり、そこに間違いは生じにくい。
また、小さな規模での詐欺まがいの嘘で商行為を行った者は信用を簡単になくし、次の商行為を行う事が出来ない。
そうやって、基礎を知るのが商人である。
そして貨幣を扱うシステムはそのシステムに欠陥を持つ。
それが村程度なら良い。
銅貨1枚でパン一個、などと経済単位の基本を定義しやすい。
その価値観が容易く共有できるから。
しかし同時にどれだけの貨幣があれば村の総経済力を示す事になるのか、そしてどれだけの流通量であれば村の経済を支える事が出来るか、は最初には分からない。
つまり貨幣というシステムは不安定な状態から始まり、それが不確かなままの運用の末に定常状態へと移行する事が前提となっている。
その安定における流通量も、村の経済力を表わす貨幣の量も一定の収束の後にもたらされるものである。
そこに明確な根拠はない。
そういえば、経済学者が功績のある研究に王国技術勲章を授けるように進言してきた事もあるが却下した事があった。
他の工学分野では基本単位が確定し不確かな変動もなく定義出来るが、経済単位が確定もしない経済学がそれと同列に扱えるはずもない。
それは単に他と同列に扱う事で、経済学の基本単位も他の学問と同じで不変の性質を持つと錯覚させたいだけだ、と批判するとその学者は黙り込んだものだ。
そもそも少し考えれば分かる事だ。
同意によって価値が決まり、全ての対象者は価値観を共有していない。
なら経済単位となる基礎単位は常に同時において変動し、一定を示す事はない。
ある時点において、誰かにとって同じ品質のパンは銅貨1枚かも知れないし、銅貨2枚かも知れない。
そして、その経済単位を扱い、同意を元に決定する人間は容易く間違いを犯し、欲望を満たすために嘘をつき偽装する。
価値観を共有出来ているなら、そこに不当な価格による詐欺行為は存在出来ないが、価値観を共有出来ない集団では簡単に発生する。
それは経済単位となる貨幣の根拠を不確かにする。
物々交換において、パンと魚を交換できたとする。
その際に貨幣を仲介したとして、価値観の共有が出来ない場合に詐欺行為が発生するとどうなるか。
パンも魚も銅貨10枚の価値があるとするが、その価値観が共有出来ていない状態で商人がパンの売り手を騙して銅貨9枚で購入したとする。
銅貨9枚で売った者は魚を買おうにも銅貨10枚の価格の魚は買えなくなる。
これは貨幣の信用をなくし、貨幣の経済単位が容易に変動する事を示す。
そう、例えるなら水素原子が2者間の同意により金の原子に変わるか。
それが出来るなら誰もがそうするだろう。
言葉の錬金術では金は生まれない。
例えば原子はそのエネルギー準位を上げるために必要なエネルギーが同意によって変化しない。
原子に必要なエネルギーは不変であり、また、原子同士が自発的に交渉しない。
2つの原子間におけるエネルギーの授受を考えた際に、その量に確かな根拠があり、それは全ての原子間に共有され、一定の価値観を示す事が出来る、という事である。
どれだけの規模になろうともその基礎は揺らがない、という保証があると言える。
では経済はどうだろうか。
貨幣という経済単位は扱う人間の同意により変化する。
貨幣以外の力関係により、その同意の形も変わり、容易く価値が変動する。
より大規模の取り引きでは価値観の共有が難しく正しい価値は判断しにくくなり、同意も不確かなものとなる。
では正しい価値とはどのようなものか。
真に同意により問題がないと判断できる商行為は成立するのか、という事になる。
商行為の性質上、価値観を共有出来るのは、その運用により状態が収束した後である。
つまり、一定の時間を経過しないと正しい価値など誰にも分からない。
教えられる者がいない、という事でもある。
では知識として与える事が出来るか、となるが、不可能だ。
全ての条件を網羅して教えてその遷移についても教える。
これは全知である事を前提とし、そのような人物などいない。
その商行為に必要な全知とも呼べる知識を得るのは、その商行為の結果の集積の末に提示された結果と条件からであり、また、それも必要最低限を満たすだけの知識量でしかない。
判断出来ない情報は未分化のままであり、また問題として表面化しない情報は知り得ない。
それは疑似的な全知であり、また、事が全て終わってから得られる知識でもあり、事前に知る事は出来ない。
出来るのは不完全な形態の今までに得られた知識による商行為の定義であり、それは全知でない集団が用いてもその欠陥を埋めるものではない。
故に社会とは常に不確かな商行為の上に成り立ち、正しい価値を知る事もない。
しかし定常状態と呼べる収束点は存在出来る。
あくまで理想状態でしかないが。
自由競争と呼べる理想状態が無条件に成立すると仮定したとする。
また、性善説に則り、商行為に関わる集団が善良だと仮定したとする。
まず村を考える。
村という小さな規模では価値観はほぼ同じであり、商行為に必要な知識と条件は同じになる。
なぜなら規模の小ささから必要な知識と条件は未分化であって構わないからだ。
ある人物による不当な買い占めがない限りは商行為における条件は同じになる。
それは同じ環境上で同じ条件の上に立つからである。
差の生じない条件は考慮しなくとも商行為における損得へは影響しない。
そのため、規模の小ささと条件の単純さから収束は早く、村という小さい閉鎖社会での価値観は統一されやすい。
これが距離のある違う2つの村になると同じようにはいかない。
地理的条件、需要と供給バランス、物の品質と言った違いが発生する。
そこには、同種の取り引きの追加になるか新種の取り引きになるか、そして同じ目的となる別種との競合も発生する事になる。
そして2つの村という情報により、比較されてある1つの村における条件の矛盾や間違いが判明する事にもなる。
違う村を知る事により、初めて商行為に必要な条件の分化が出来るようになる。
これが別の領になるとする。
すると関税が発生するし、場合によっては保存状態による品質も条件になる。
これを別の国とする。
すると貨幣の違いも発生する。気候などの環境の違いも発生する。
しかし商行為を行う為に必要な知識と条件が複雑化しても最終的には定常状態へと収束する。
物品の価値+保存方法+運搬方法+保全方法+税+労働対価+収束した状態で得られる利益=最終的な価格
勿論、特殊条件は存在し、貨幣の両替率や特異事象として飢饉や地震などの天災による変動もある。
秋に収穫し、それを冬に売る事でも変動はある。
しかしそれでも性善説に則った場合のみである。
更に実際にはそれ以外も問題になる。
商行為を行う2者の能力である。
より大きな規模になれば必要な知識と条件が複雑化し間違いが生じ易い。
例え善良であっても能力が足りないために間違いを起こし、最終的に収束したとしてもその過程に影響する。
そして自由競争である事と性善説に則るという仮定を排除すると、そこに関わる集団の利権や欲望により、理想状態として想定した状態とはかけ離れた状態に収束する事になる。
独占、談合、偽装、賄賂による優先、それらは理想状態からの逸脱の要因として存在し、それはつまり経済活動の不活性を意味する。
独占により品質が向上どころか維持されず、談合により不当な価格を維持するどころか上昇し、偽装により価格が変わらずに品質が劣化し、賄賂により優先された品質の悪い商品が出回る事によって商行為の健全さが失われ、流通そのものを鈍化させ更に商品の価値に影響が波及し商行為の信用そのものを低下させる。
如何なる者も損をする前提が生じる商行為を行う事に積極的ではない。商行為の信用と貨幣価値の信用が低下すればその経済の活発さが鈍るのは当然である。
談合を用いて価格を一方的な理由により決定する事は他の自由競争により生じる商行為の価値を相対的に減じる。
最終価格に落ち着く前に談合により高止まりした価格は本来なら低下した価格との間に不当な差額を生じ、それは他の商行為の利益を減じる結果になる。
発生した差額により、何もせずとも資産を増やした結果になる為だ。
それは商人として利益を増やす事であり、その行為を許すと誰も正しい商行為をしようとはしなくなる。
結果、収束した状態の集合は理想状態からかけ離れた状態になる。
人は容易く罪を犯し、間違い、欲望に溺れて堕落する。
規模が大きくなるにつれ、価値観の共有が難しくなり必要な知識も増えるために、犯罪行為や詐欺行為を判別しにくくなり、2者間の能力差もそれを助長する。
商行為を正しい状態に収束させ、正しく運用するにはそれに関わる全員が発生する商行為に必要な条件や知識に対して全知でなければならない。
それは不可能である。
私達はこの方法だけでは理想状態に収束出来ない。
故に小さい規模から順に学ばせる必要がある。
それは商品を売って貨幣を払う、という商行為という行動を真似る事によって学ぶのではなく、商品を売って貨幣を払う、という商行為という行為を真似る事によって学ぶ事を覚えさせる事でもある。
商行為の成立にはそこにある条件と実行するための知識が常にある事を分からせる必要がある。
村での商行為に対して間違いを起こさなくなった者が、離れた2点間の取り引きを行うように次の段階に移行し、また、規模を拡大して移行する。
その規模で同じように必要な条件と知識を得て、更なる段階へと移行する。
これは実地体験により、必要な条件と知識を得る為であり、より早く収束してほぼ正しい価値を判断出来る状態での商行為を行う事で、より必要な条件と知識が如何なるものであるかを知る為の方法となる。
最初から規模が大きい商行為に含まれた商行為を行うと、根拠が混同され条件の錯覚をし、必要な知識が何かを判断する事が出来ない場合が生じる。
そうやって得た商人の知識モデルと行動方針と言うものは、五感により得られた情報を基に知識と経験を用いて判断する事で得られる新たな感覚としての第六感のようなものとなる。
それは表面には現れず、また、全て書き表す事が出来る可能性はほぼない。その商人が全知である可能性はほぼないからだ。
その理解力を書き表す為の表現力がある事とは無関係であり、また、その理解力を表現出来る言語構造を持った言語を使用しているかの問題もある。
また、それを読む側の能力が足りない事で情報伝達の不完全さが生じる。
知識は書き表した段階で形骸化し、それを読解する能力がなければ正しく伝わらない為に、正しく伝える為にはその知識を理解出来る能力が必要になり、それも表面には現れない。
書き手と読み手の知識モデルが同じであり、定義に不整合がなく、どちらの能力もそれを理解するだけの高さを有するかなど表面には現れない。
それを商人が環境を整える事で成立させるか、と言えばするはずもない。
そしてそれは人という種が能力の限界から専業化してよりよい社会を構築する方法から逸脱する矛盾でもある。
その役目は言語学者、長老、家庭教師などになり、家庭教師としての才も持つ商人がその感覚を弟子に引き継ぐ事で知識の伝達を可能にする。
家庭教師とは対象者に足りない知識や経験を把握し、補填する存在であり、正しい最終的な状態に導くための材料としての知識を提供する存在である。
その第六感が本来の正しい'商才'と呼ばれるものとなる。
しかしそれを得る者がどれだけいるか。
大きな規模になるにつれ、その複雑化した知識と条件を把握する商才は高度に要求される。
しかし同時にそれを持たない者にとっては商行為とは単なる行動でしかない。
商品を売って貨幣を払う。
能力が足りなければ足りない程に、ただそれだけの行動へと縮退される。
その本来必要な知識や条件により制限がかけられていたはずの行為が緩和されると言う事である。
そのため大規模な商行為であるにも関わらず、村という小さい規模でも反則と称される行為を行う存在が出てくる。
独占、談合、偽装、賄賂、買い占め、転売などの本来商行為を成立させるためには行ってはならないとされる行為を簡単に実行するようになる。
買い占めは不要な過剰備蓄により、市場の需要と供給バランスを崩し、価格をつり上げる事で不当な利益を得る方法であり商行為において反則となる。
転売は本来それが必要な者が適切な価格で商行為を行う正当な権利を奪う事になり反則となる。
どちらもその規模においての正しい商行為を実行できる者なら行わない方法となる。
ではそれを管理する事ができるか、となる。
それは不可能だ。
最終的に全数管理をする結果に陥り、資源が有限である事からどこかで限定する事になる。
全てを詳細に管理出来ない為に、必ずどこかで不正行為が発生する。
その不正行為により不安定になる健全な商行為を安定させるために商才を持つ商人の育成は必要になる。
しかし管理から漏れる不正行為の結果は、より不正した商人程利益を上げる事になり、まっとうな商人を不利にする。
不正行為が成立した回数分だけ、不正な利益を得る事で、健全な商行為を行った商人より利益を得るからである。
その差は商品の仕入れ量や設備投資に反映され、不正を行う商人程有利な展開を示すようになる。
そうであれば、まっとうな商人は廃業を余儀なくされ、不正をする商人だけが生き残り、数を増やす。
不正を行う商人は商行為が成立する環境を破壊してでも利益を上げ続ける。
それが環境を破壊している事すら把握出来ないからであり、これが分からない商人というのは実際には商才がない。
だが利益を上げ続ける事が出来る。
誰かが整えた環境を食いつぶす事によって。
社会とは誰もがその自制心を要求される。
個人は個人で行動を自制してその個人としての信用を得る。
それが得られなければお互いに不信感の元に行動し、協調は得られず争う事になり商行為など成立出来ない。
その個人が集団を成しても同じ事で、集団としての自制がなければ商行為は成立出来ない。
不正行為というものは、他者が積み重ねた商行為の結果による信用を悪用して初めて成立するものである。
故に商人とは商人として自らの役割である商行為の健全性を維持しながら商行為を行う事でその生活を行う必要がある。
それが出来ない者には監視をつけて指示をする必要が生じ、それを行うなら大抵の場合はその指示を出す者が行った方が早い。
しかし誰がそうであるか判別する事もその数から考えれば難しい事になり実現出来ない。
つまり商行為とはそれに関わる人物の健全性が保証されないなら必ず腐敗するものである。
ではそれを放置するのか、というのが経済学の本質的な部分となる。
そもそも貨幣とは指標でしかない。
指標が1次指標となり2次指標を発生させる事はあっても、指標が指標を増やす事はない。
貨幣は貨幣を生む事はない。
利子とは本来、利用料や手数料の事でありそれを外部から見た人物で錯覚した者がその扱いを誤用して利息というものを発生させたに過ぎない。
ズールドアの者達がいまだにこれを理解しようとしないのが問題であるが、これには多少は王国の事情も関係するだろう。
王国は王杯によって守護されている。
王杯はこの世界の加護を受け、世界から魔力を受け供給している。
その魔力は平時であれば社会整備に活用され、有事であれば軍事利用される。
その魔力の供給先の主な対象として魔導騎士が存在する。
王杯の魔力供給を円滑にするために、レプリカを作成し貴族杯として各貴族家に与え各貴族は貴族杯から魔力を得てマギアを駆動させる。
技術の粋を集めて作り出されたマギアは戦術兵器として戦場での主導権を握り、他国を寄せつけない。
これにより王国は亡びる事なく長きに渡ってこのシステムを維持してきた。
しかし同時にそれにも限りがある。
王杯の供給する魔力にも限界があり、それにより防衛する範囲が限定される事にあり、一定以上の地域へと拡大する事が出来なかった。
故に王国は利息という金が金を生むという怪しいシステムの矛盾を早めに知る事が出来た。
仮に利息が1割としよう。
貨幣が貨幣を生む、という事は何を意味するか。
そこにその対価となる物品自体が付随しなければならない事を表わす。
同意を得れば、無条件に物質が、資源が生まれるわけではない。
そこには1割分の根拠が求められる。
借りる場合の簡単な例で言えば、
不作分を翌年の余剰分で補う。
足りない分を次の給与で補う。
イレギュラーとして発生したものに対する対処としてはあたかも成立したかのように見える。
そこに支払う根拠が確約されていれば、である。
だがその根拠がなくても生活するために借りる場合がほとんどになる。
生活出来ないから返す宛てもないが借りる。
生活する術がないから、生活が成り立たないから、金を借りて事業を始める。
という形態になり、商行為を行う人物の健全性を保証出来ないために不正行為は当然のように行われる。
そして、その一形態として、
利息を払うだけで余剰収入がなくなり、原本が返済出来なくなる。
という状態が発生し、常に搾取される状態が発生する。
また、
利息すら払う事が出来ないために、不正行為を強要もしくは権利侵害を容認するように強要される
という事態にまで発展する。
商行為を悪用する事で他者を加害出来るため、その対策が少なくとも必要だが全てを監視出来ない事で放置状態になる。
また、個別で貸借を考えるとさも成立するように見えるかも知れない。
だが長期の借入れを行い、それを経済規模全体で許可した場合に何が起こるか、となる。
その中の一定数が借入れを行い、それぞれ年1割を追加で収入として得ないといけないとする。
その1割分の需要を誰が創造するのか、となり、無計画に、根拠無しに成立させる事は出来ない。
それでもその1割を得ようとするなら、誰かの収入として発生している需要を奪う事でしか成立しない。
その1割を得るために価格競争が行われ、価格の低下により実質的な借入れは増す事になる。
また、その借入れをしていない人物も価格競争に巻き込まれ、実質的に収入を減らし、資産を減じる事になる。
利益を得るのはその根拠もなく成立させた貸し付けを行った商人だけになる。
その借入れをしていないにも関わらず、資産を目減りされる人物が発生し、また、富の偏在化は促進される。
即ち、利息を得るという事を正当化しようとするならば、その利息の根拠となる常に新しい需要が発生しつづけなければならない。
しかも、それは従来の需要を奪わない形でしか成立しない。
新たな土地、新たな資源。
それは拡大解放路線でしか成立しないが、それでも矛盾は生じる。
加速し続ける事が出来るものは存在しない。
利息というものはそれ自体がネズミ講と同じである。
王国はその拡大に限界があり、その利息算定に矛盾がある事にはすぐに気づいた。
利息というものは王国管理下においてしか成立しないようにして、根拠を提示した場合のみ行われる特別融資として厳重に取り扱う事にしている。
これは、人とは間違う生き物であるために、市井においては偽装が当然の如く行われる事から扱わせる事はその性質から不可能であると判断したためである。
新たな需要がある事にして融資を行わせ、その資金でその場しのぎをしたり、その人物には死んでもらって周囲がそれを得、国には返済せずに利益だけ不正に貪ろうとする事への対策が不可欠であり、全数管理など出来ない以上、市井に扱わせるのは愚の骨頂である、と結論づけた。
生活が困窮したための借入れについては村、街、領、王国という基幹ラインにて対応し、その時点で収支報告管理対象として扱う事にしている。
利用料としての利子だけを付加させて貸し付けをし、返済まで管理対象とする。
完済をすると管理対象から外れる。貸し付けの後に更に悪化し、個人として再建不可能の場合は産業奴隷として扱い、重点管理対象へと移行する。
自由を制限し、節制を義務づけ、生活習慣の安定による収支バランスの安定により、自活出来る状態まで改善させて、評価結果により奴隷解放してもう一度市井に加える。
但し、産業奴隷化した時点で一度故郷からは離される。
これはその人物が自堕落であるが故に困窮したか、その生活環境の悪質さから困窮したかの区別がつかない為の措置となる。
故郷から離された産業奴隷は3つの選択を用意される。
産業奴隷として生活を建て直すか、国境警備兵として勤めるか、冒険者になるか、である。
産業奴隷としてなら長い期間はかかるが、全てとはいかないがやり直せる。
残る2つがある理由は性質の引き締めだ。
血の再現性。
生活を困窮させ奴隷になる者はどこか性質に問題がある可能性もある。周囲の環境が悪質な場合もあるが。
そのため、より生死に直結しやすい環境に置き、ルールや約束の重要さ、互いの権利とその侵害、協調する事の重要さ、約束の反故や裏切る事の問題を認識し、生き延びて財を得た後にもう一度生活を改めて再出発が出来るようにする。
その繰り返しにより、世代を重ね、社会とはどのようなものかを理解させていく。
国境警備兵は重労働であり、また、ある程度死の危険が伴う。
そのために東部戦線は維持されている。
別の理由はあれども、長期化させて安定させているのは王国に住む人間の生活に対する緊張感と原則を忘れさせない為である。
侵略をするためではない。
平和な生活とは常に生死を扱う問題の延長上に存在している事を教えるために行われ続けている。
そもそもが東部戦線は侵略の為ではなく防衛と牽制なのだが。
ズールドアはその侵略を南部に向けているので王国への侵攻は行わず、王国は侵略目的ではないために投入する兵力も技術も抑制しており、多少の激化はあるも、一定の死亡率で安定している。
良い言い方をするなら血の淘汰であり、悪い言い方をするなら口減らしである。
社会のどこで余剰分を吸収するかというバッファの問題を東部戦線に表面化させただけではある。
広がり続ける事は出来ず、安定を保つために必要な余剰は存在し、どこかで死を免れない。
ではその死が裏切りや犯罪により不当に行われるのではなく、人の尊厳と名誉を維持した状態で行われるようにしただけの事である。
生活に困窮し、需要がないために生活をする術もなく、能力が足りないが為に選ばれる事もない者が犯罪に手を染めずとも、やり直すか終わりにするかを選ばせるためのものでもある。
それでもまだ自堕落な者、事情により大金が必要な者が存在し、冒険者になる。
王国内部では雑用以外の需要はないが、北方の山脈、海岸、湖、辺境などには魔物が現れる可能性があり、その退治依頼などがある。
また、ズールドアと王国の境にこれみよがしに迷宮が一つある。
'喜劇の魔王'ルファルドーシャが経営する迷宮都市でもある。
暇を持て余した魔王がわざわざ国境に迷宮を造り、周囲を煽った挙げ句、財宝を配置して立てこもった。
迷宮の特定階層には財宝があり、特定の魔物は素材になり、また、倒した魔物の部位証明で報奨金が王国から出る。
その、他国を侵略する事なく、誰かの財産を不当に奪う事なく得られる外部資源が冒険者の収入になる。
危険が多く、だが見返りも大きい。
うまくいけば稼いだ収入で残りの人生を過ごせる。
王国がわざわざ報奨金を出すのは、この迷宮は'喜劇の魔王'の所有物であると言う事だ。
冒険者などが少なく余興が足りない場合、この魔王は迷宮から魔物を溢れさせ周囲を混乱させる。
そのため常に一定数魔物を倒しておく必要があるために報奨金を出している。
冒険者がいない場合は国境警備兵も送り込み間引くのだが。
この仕組みにより、緩やかに循環する生の営みにより自己啓発と自助努力の精神を養い、教化をしながら王国は続いてきた。
貸借に関しては多少の融通はしてある。
市井間で貸した金が7日経過しても返済されないなら抹消する事にしてある。
金を貸す事に対してそれだけの信用があるかを判断させる事と、また、それだけの信用を得られる人物が容易く奴隷化しないためでもある。
これは結局のところ、貸借を悪用して他者を侵害しないための措置であり、また、ほんの僅かな擾乱で奴隷にならずとも良いようにし、同時に基幹ラインの負担の軽減でもある。
王国法で縛ろうと、他者に利息をつけて貸し付けようとする者は存在し、取り決めがない場合はそれが横行する可能性が高い為に、あえて一定期間を経過した貸し付けは無効になる、という制限を加える事で風紀の維持を行うものである。
7日経過すると無効になる貸し付けでは、利息を得られず利益にならないから貸し付けが行われない場合、そして信用を得られない場合、また、信用出来る仲間がいない場合は通常通り基幹ラインの役割であり、それは同時に経済活動に支障が出ている事を示すサインとして王国へと伝達される。
供給が需要を決定する事などなく、過剰供給は単なる浪費でしかない。
料理を考えれば良い。満腹になるまで食べた後にまだ残されている料理は廃棄するしかない。
どのようなものにも限界があり、道具一つで充分な所に道具を二つ持ってきても、一つは無駄である。
それが予備であるならまだしも、単に需要があった事にして需要と供給バランスを逆算し、価格の維持調整や経済力の指標の維持であるなら本末転倒になる。
適切な経済活動を測る為の指標を、その指標を意図的に操作してあたかも健全な経済活動が行われているかのようにみせかけるのは隠蔽でしかない。
供給を増大する事で需要も増大し続けるという状態は不足状態であり、それを常に適用する事は出来ない。
資源は有限であり、かつ消費する存在も有限である。
また貨幣の増産にも問題がある。
通常は貨幣増産は社会で流通している間に損失する分を補填する形式で行われる。
つまりは増産はするが、損耗する分と均衡が取れ、実質の社会流通量には変化がない、という事になる。
それ以外には2通りの増産の根拠があり、この使い方を間違うと社会は簡単に崩壊する。
一つは価格の精度を上げるためとなる。
たとえばパンの材料がその品質から2種類になったとする。
この2つを区別するためには貨幣の量で区別するしかなくなり、それには貨幣の流通量が不足する事になれば区別する事が出来なくなる。
そのために貨幣を増産し対応するが、総量は変わらない。
もう一つは新たな資源による経済力の増大に合わせた貨幣の増産である。
これは資源の総量に貨幣の総量を合わせる形で価格への影響を抑え、かつ流通させる貨幣不足を起こさないためになる。
この増産の間違った使い方は根拠もないのに増産して、市場に貨幣を供給しようとする事である。
増産した貨幣に対する根拠がなければ不正であり、根拠無しに増産したものは空手形であり、国がその根拠を作って見せるという約束になり、それは即ち信用取り引きである。
その場合、その信用取り引きの実のない影響はどこに生じるかと言えば既存の貨幣の価値である。
元々の価値がXとして総資産がAとする。そこに1割増産すれば1X=Aから1.1X=Aとなり、既存の価値は減じる事になる。
この増産方法は信用取り引きが成立し、後付けで資産が増加されない場合には財産の侵害になる。
そもそもが根拠のない増産は既存の価値を減じる。
つまり、増産した貨幣を個々人が持ち得る貨幣量に比例して配分しない限り、他者の資産を奪う事になる。
この時点で大抵は増産の根拠が崩れる。
こういった方法は主には新たな貨幣による金額で投資をしようとするからである。
信用取り引きが発生し、貨幣が増産された段階でその貨幣を流通させるとそれまでの貨幣の価値が減じる。
では新たな貨幣を取り扱うのが一部の集団でありその利権の基になるとした場合、それは他者の財産を奪う形式で行われる事になる。
だが先程述べたように増産した貨幣を個々人に配分する事は増産をする必要もない事を表わす。
結果、信用取り引きにより行われた増産が、後付けで成功した資源の増加分を一旦価値を減じた人物に配分するかと言えばするはずもない。
その影響を無視できるかどうかは信用取り引きの成功失敗に関係がないが、失敗した場合は更なる影響を及ぼされる。
こういった事を前提に、人の悪意とは急激な変動と情報量の差に現れ易い為に王国では価格統制を行っている。
貨幣の僅かな差額を求め、計算しその能力を伸ばすのは良いが、それで資源が増大するわけでもなく技術が進歩するわけでもない。
あくまで商行為とはそれら資源の流通を円滑に行う事でしかなく、その行為が資源の流通に支障をきたし、経済力の衰退や技術力の衰退を招いてはいけない。
全数管理という不可能な事が実現できないならば、その悪意を制限する事で疑似的に達成する事になる。
急激な価格変動がなければ一回あたりの不正利益は減る。
また、過剰な価格で販売できなければ、買い占めに過度な効果はない。
原価に上乗せされる利益に限度が設定されるなら、転売による不当な価格上昇は生じにくい。
価格が一定の範囲に維持されるなら、独占による影響は少なく、技術力の問題を排除するなら中小企業にも生き残る機会が生じる。
談合は一定の上限に設定された価格となり、吊り上げを行う事は出来ない。
また、価格を下げる事で協定に参加しない同業他者を締め出す事も出来ない。
価格が安定する事により、消費者は選択の自由を得る事ができ、その業界全体が腐敗していない場合に限り偽装は行われにくくなり品質は維持されやすい。
優先的な販売権を得られないなら賄賂は有効性を失い易く、影響が小さくなる。
だがしかし、それでも人は腐敗し、経済は破綻する。
価格統制はある一定の範囲に個々の商品の価格変動を抑え付けるだけであり、その微差の中に本来の問題を凝縮したに過ぎない。
僅かな賄賂で僅かな優位を得て、有利な条件で商品を販売し、
業界全体で利益を得るために偽装をして、相対差をなくす事で消費者の選択の自由を奪い利益を得、
価格設定の上限で販売出来るように買い占めを行い、
特定の集団が参画出来ないように価格を談合して財産を浪費させて排除する事で既得権益を維持し、
別種の利益を原資本として、ある種の価格を最低価格に通時設定する事で長期において商行為が単種では成立しないようにして他者を排除して独占する。
商才のない者とはそういったものである。
商行為は破綻し、富が偏在化する事は人という種の無理解により避ける事が出来ないために王国法では貴族の強権を正当化している。
それは一つのリミッターである。
管理されない事を口実に、不正行為を気づかれないように行う事や善良であっても能力が足りないために富が偏在化する商行為を行う事で偏った富は経済の流れに影響する。
その時点でそれまでに行われた商行為には瑕疵があり、社会全体で対応する必要があると言う事になる。
そのため、領単位であれば領主が、国単位であれば王国が会議の末に、財閥解体、商会解散を行い富の再配分を行う。
商行為に正当性を示す事の出来なかった商行為はその財産の根拠を主張出来ない。
ましてやその商行為の健全性を維持する必要のある商人に、その強制執行に逆らう権限などない。
そうなりたくなければ、商人全体で健全な商行為を維持すれば良かっただけであるからだ。
社会の中で専業化して、その分野を担当しておきながら、私欲によりその健全性を失わせた集団はその対価を払う必要がある。
そして再配分により、もう一度商人は活動するが、不正行為によって富を成した商人は排除され、まっとうな商行為で富を成した商人は社会に受け入れられる。
教育により個人のレベルで商行為の精度を高め、国という権力で制限をかけ不正行為で富を成す事は結果的に損である事を体験させる。
この繰り返しにより王国はその経済を安定させてきた。
しかしである。
それでもイレギュラーは生じる。
フレデク家のように。
商人として正しい商才を持たず、貴族としても正しい貴族としての才を持たず、その性質が他者に有益であるから外力により助長される存在。
糸もつけずに操る事の出来る傀儡人形
それがフレデクという存在である。
その'糸がついていない'という事が今回は問題になる。
まだズールドアとのつながりがあるなら排除も容易い。
証拠をもって排除すれば良い。
しかしズールドアも当然考える。
フレデク家にはガシュアを通した商取り引き以外では関与しなかった。
それ以外は尋問の末の証言はあれど、物的証拠は残さなかった。
状況さえ作ってしまえば、フレデク家がその欲望でズールドアに都合良く動き、王国はその対処に追われる事になる。
ズールドアの狙いはズールドア南端に位置するベルチアの制圧であり、それを牽制する王国東部戦線を苦々しく思っている。
そのため、フレデク家の権力を拡大する事で王国の監視の目を国内に偏らせ、東部戦線を鎮静化させる事でベルチアに軍事力を集中させる事が目的である。
しかしそれも後少しで収束するだろう。
食糧増産によりフレデク家のアドバンテージは大きく損なわれ、東南部食糧協定により通行税を免除された商人の往来は正常な商行為を回復させるだろう。
後はそれを待つばかりになるが、それまでにベルチアやガシュアが制圧されないように留意する事になる。
さて、ベルフ坊やもそろそろ知恵熱が引いて何か案を出した頃だろう。
迎えに行ってやるとするか。
バリュードミアスは軽く遊びに行くかのように、部下を待たせたままに部屋を後にした。
ここはある人物賞が設立された時に、初めに経済学と心理学が対象でなかった根拠部分です。
後、ジョンさんが法改正した事による問題点の指摘です。
個人的な見解でインフレ、デフレの原因も書いていたり。
現実はもっと複雑だ、というのもいいんですが、それを単純化して解明するのが科学であり経済学ではないかと。
複雑だで済ませて解明もせず意見もさせないというのはご勘弁を。
ドブロイとアインシュタインの論争は当時は利益が得たいドブロイさんが勝ちましたが、現状は見て分かるように原子は捕まえる事が出来ていたりします。
後、利息を含めた経済の在り方で強権の発動がない場合は外に利益を求める事しか出来ないので必ず戦争になります。
その'外'がたまたま国内での勢力争いにおさまれば内乱止まりですが。
文にしてみると自身の表現力の足りなさに愕然とする今日この頃で、残念な結果になってしまいました。
修行が足りないようです。
途中何度か邪魔が入って集中力を切らした結果、なんとも変な部分があるのですがそれは御愛嬌で。
ここを書くのに、この作品の作風と違うために精神の切り替えしたので元に戻らず続きが書けていないというw。




