002 序詩
人の罪とは
見る事。
聞く事。
嗅ぐ事。
味わう事。
触れる事。
それらすべてに罪がある。人はエデンより放逐されし運命により、誤る事を知った。
見れば誤り、聞けば誤り、嗅げば誤り、味わえば誤り、触れれば誤る。
これら5つの罪は原罪として横たわり、人はそれから逃れる事能わず。
5つの罪は原罪としてある。これは神の与え給うた人の限界である。
しかし6つ目はどうか。
5つの罪をあがなう為に与えられた恩恵。他者と理解するための方法。コミュニケーション。
その恩恵は確かに5つの罪をあがなった。
しかしてそれは新たなる罪を生み出した。
6つ目の罪。それはコミュニケーションを誤る事。
原罪により生まれる罪に誘惑され、欲望に飲み込まれる時、6つ目の罪が生まれる。
ゆえに6つ目の罪も原罪である。
人は誤る事を運命付けられている。
ならば諦めるのか。
ならば人とはただ誤るだけの矮小な存在だと卑下するのか。
ならばなぜある。
高潔という言葉は。愛という言葉は。誠実という言葉は。
運命を受け入れるならば必要ないもの。
ただ自堕落に生き、我々は単なる騙し合いに末の滅ぶのだと受け入れさえすれば良い。
ならばなぜ受け入れない。
6つ目の罪が我々を矮小な存在でしかないと証明するならば6つ目の能力でその罪をあがなおう。
そう、例え6つ目の能力で7つ目の罪が生まれようとも。
いつかその果てに渇望せしものが手に入ると信じて。